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Cherie

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第一章


第一章

                   Cherie
 親愛なる君へ。今はそう思う。
 あの時の僕は馬鹿だった。だからこんなことになってしまったんだ。そのことはどれだけ悔やんでも悔やみきれないし謝っても謝りきれない。それはわかっている。
 それでも僕はあの時のことを思い出さずにはいられない。はじめて会った時から。そして最後まで。今それを思い出して一人たたずんでいる。

「ねえ君」
 最初に声をかけたのは僕だった。ある雨の日のことだった。
 君は一人駅前で立っていた。タクシーを待っていたのを覚えている。
「どうしたの?」
 君は薄く化粧をしていて黒い髪を長く伸ばしていた。淡い紫のwナンピースが本当によく似合っていた。
 そんな君に声をかけた。最初は何気ない言葉だった。けれどそれが全てのはじまりだった。
 声をかけると君は顔を向けてきた。そして言ってきた。
「はい」
 最初の言葉だった。僕はそれを受けてまた口を開いた。
「誰か待ってるの?」
「いえ」
 それは首を横に振られた。それで深みに入り込んだのが僕だった。
「いないんだ、誰も」
「そうですけれど」
「そう、だったらさ」
 その言葉に気をよくして踏み込んだ。そのうえで提案した。
「どっかで時間潰さない?」
「時間って?」
「雨宿りだよ」
 僕は言ってきた。
「雨宿り。どう?」
「けれど」
 その言葉に君は俯いてしまったのを覚えている。その時は駄目かと心の中で思った。言葉には決して出しはしなかったけれど。
「今は」
「いいじゃない」
 僕は軽い調子で言った。
「お互い誰もいないんだったらさ。そうだろ?」
「ううん」
「いい店知ってるんだ」
 この辺りは馴染みだった。よく妻と二人で来ているからだ。今妻は訳あって側にはいないけれど。
「そこで飲もうよ」
「飲むの」
「うん、飲むんだよ」
 僕はにこりと笑って答えた。妻がいないせいもあって気が楽になっていたのを今自分認める。
「二人でね。どう?」
「それじゃあ」
 君はお酒が好きだった。だから言葉に乗ってくれた。それがはじまりだった。
 そと手を出してきた。白い細い手を。僕はその手を取った。
「お願い」
「うん」
 にこりと笑って頷いて。そしてそのまま店に入る。そこは洒落たバーだった。暗くレトロな内装の店でカウンターでは若い女の子のバーテンがカクテルを作っている。まだ明るさの残っている開店したての時間だったがそのバーテンはもうカクテルを作っていた。
「いらっしゃい」
 バーテンさんは僕達が店に入ると声をかけてきた。はっきりとした目鼻立ちできつい目をした女の人だ。長い黒髪を上で纏めていた。それがうなじまで見えてやけに妖しく見える。
「こっちだよ」
 僕は彼女をエスコートしてカウンターに案内した。バーテンの前に二人並んで座った。
「ここなんだ」
「ここにこんなお店があるなんて」
「知らなかったの?」
 そこだけ灯りがさしているカウンターのところで声をかけた。後ろのまだ誰もいない席のところには灯りはない。カウンターのところだけである。淡い白の光がグラスやボトルにはね返ってそこだけが眩しい。カウンターに置かれている空のグラスにはビー玉が入れられている。それも眩いけれど淡い白い光を反射させていた。
「ええ。バーはあまり行かないから」
「そうなんだ」
 僕はそれを聞いて少し残念に思った。
「じゃあカクテルなんかは」
「あまり」
 また僕に答えてくれた。
「飲んだりしないわ」
「そうなんだ」
「だからかえってね」
「興味がってやつ?」
「ええ」
 こくりと頷いてくれた。
「よかったら。どんなのがいいか教えて」
「そうだね。だったら」
「クローバー=クラブ=カクテルなんてどうかしら」
「あれ?」
 勧めてきたバーテンに顔を向けた。
「そう、あれよ」
 答えて僕に妖しい声をかけてきた。
「どうかしら」
「あれだったらいいね」
 僕はその勧めに頷いた。
「それでいいかな」
「それってどんなカクテルなの?」
「ジンを使ったカクテルでね」
 僕は答えた。
「身体にもいいんだ。飲みやすいしね」
「へえ」
「まずは飲みやすい。それが大きいかな」
「そうなの。それじゃあ」
「うん。君はそれね」
「ええ。お願い」
 これで君の最初に飲むカクテルが決まった。次は僕だった。
 
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