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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十章 イーヴァルディの勇者
  第九話 雪解け

 
前書き
 本当は第八話で一気に投稿しようとしたんだけど、三万字を超えそうになったので、二つに分割しました。
 では、士郎無双をどうぞ。

 剣の丘に花は咲く『第九話 雪解け』始まります。 

 
「しぶといな」
「それが取り柄でな」

 赤く身体を染めながらも、士郎は余裕の笑みを顔に浮かべ肩を竦める。
 とはいえ、最大の好機を逃した今、取れる方法は二つしかないかと、士郎は思考を巡らせた。ルイズの虚無の魔法の援護か、それとも宝具の投影か。さてと、と士郎が考えを巡らした時、背中に濡れ揺れる疑問の声が向けられた。

「どうして、逃げないの……どうして……立ち向かえるの……」

 それはタバサの声だった。
 力なく、弱々しい。
 親からはぐれた幼い子供が上げる、今にも泣き出しそうな声。
 声が聞こえると、士郎は躊躇なく身体を回しタバサと向き合った。その場にいるもの全員が息を飲む。戦いの最中、敵に背を向けることは自殺行為に等しい。だが、士郎は平然とビダーシャルに背を向けた。 それは、ビダーシャルとの戦いよりも、少女―――タバサからの問いが大事だと示しているようであった。
 士郎は向き直ったタバサに笑いかける。

「……そう言えば、まだ話しの途中だったな」
「―――え?」

 戸惑いの声を上げるタバサを、士郎は細めた目で見る。

「なあ、タバサ。お前はさっき、ここに残ることを望んだ自分を、無理矢理連れ出すような奴は、『正義の味方』なんかじゃないと言ったな」 

 十メートル近い距離を保って、相対するように立つ士郎とタバサの視線が交わる。
 タバサの戸惑い、疑問、不安が入り混じったものに反して、士郎のものは、何処までも優しかった。

「確かに、お前の言う通りだ。タバサがここに残ることを望んでいるにもかかわらず、無理矢理連れ出して、『助けてやった』なんて言う奴は、『正義の味方』なんかじゃない。ただの善意(他人の正義)の押しつけだ」

 ざわり、と周囲の空気が騒めく。それは戸惑い。タバサの救出を諦めるようなことを口にした士郎に対する動揺が、周囲に伝播したのだ。だが、そんな中でも、士郎は全く気にすることなく言葉を続ける。

「だがな、タバサ。例え本当にお前がここに残ることを決めたとしても、俺はお前をここから連れ出すよ」
「…………ぇ?」

 喉の奥で弾けたような小さな声は、微かに開いた唇の隙間から漏れた。

「どう、して?」

 「どうして?」とタバサは問う。さっき士郎は自分で人の意志を押さえ、自分の意志(正義)を通すのは『正義の味方』じゃないと言った筈なのに。なのにどうして、それでもわたしをここから連れ出すと……?
 
 向けられる数多の視線。タバサだけじゃない。その直ぐ後ろに立つキュルケ。ルイズ、ロングビル、シルフィード、ギーシュにマリコルヌも疑問に満ちた視線を向けてくる。視線は問いかけてくる。
 『どうして?』と……。
 向けられる問いに、士郎は頬を上げ、更に目を細め

「タバサ。お前は今、笑えるか?」

 問いかけた。

「…………わら、える?」

 問いを問いで返すタバサに、士郎は頷きを返す。

「ああ。お前が望むように、俺たちがここから去り、母親と一人ここで幽閉されることになれば、お前は笑えるか?」
「…………」

 問いに、無言で応える。
 否、答えられない。



「なあタバサ。お前は以前、俺に『正義の味方の定義』について聞いてきたな。なら、今それを教えてやる。俺の答えは、な―――」



 何処か照れくさそうに、はにかむようにして士郎は笑み。



「―――笑顔だ」



 答えた。  





「……え、がお」

 『正義の味方の定義』とは?
 その質問に対する士郎の答えは、『笑顔』だった。
 その答えに対し、タバサがまず始めに思ったものは、「シロウらしい」というものであった。
 だが、直ぐに疑問が浮かぶ。
 今度の疑問は、「どうして笑顔なのか?」という疑問だった。
 だから、タバサは質問した。

「どうして、えがお、なの?」

 まるで子供だ。とそんな思いがタバサの心を過ぎる。
 疑問に浮かんだことを直ぐに口にする。小さな子供のようだ、と。自分で考え、予想し、答えを出すことなく、直ぐに相手に答えを求める。それは多分、早く知りたいのだろう。彼の、エミヤシロウのことを。
 顔を上げ、夜の空を見上げる士郎。無数に輝く星空を見上げ、士郎は言葉を紡ぐ。

「何が救いになるか何てのは、他人が勝手に決められるようなものじゃない。人それぞれ、時と場合によって『救い』の形は変わる。ただ、それを知る手掛かりはある」
「それが、『笑顔』?」

 タバサの斜め後ろに立つルイズが声を上げる。士郎は顔を戻し、ルイズに頷く。

「ああ。みんな笑っていた……だから、タバサ。お前が本当にここに残ることを望むというのなら、笑ってみろ。それが自分の『救い』だと笑って見せろ。本当に笑えるのなら、俺はここから立ち去る」
「っ、ちょ、シロウッ!」

 そんなことを言ったら―――ッ!!

 タバサの後ろ、キュルケが焦った調子で士郎に声を上げる。勢いがつき、身体が前のめりになるのを止められない。そのまま勢いのあまり足を一歩前に出すキュルケ。

 っ、やばっ。前にはタバサが―――っ。

 タバサを後ろから抱きしめるような位置に立っていたキュルケは、前に一歩進むだけでタバサに当たってしまう。しかし、

 ―――え?

 キュルケの身体が、タバサにぶつかることはなかった。
 だが、直ぐにタバサが何処に行ったか気付いたキュルケが顔を上げると、確かにそこにタバサがいた。
 士郎と距離を詰めるように前に向かって歩いていたタバサが立ち止まる。
 士郎とタバサ。互いの距離は約三メートル程度。月明かりしかない下ではあるが、互いの顔はハッキリと見える位置だ。

「……ありがとう。みんなが助けに来てくれて……本当に嬉しい」

 その穏やかな声を耳にし、キュルケは湧き上がる苛立ちに唇を噛み締める。キュルケはよく知っている。何時も無表情で、本ばっかり読んでいて、人付き合いもない、何を考えているか分からないこの小さな友人が、本当はとても優しい少女であると。『雪風』なんて冷たい二つ名を付けられながら、その実そこらの火系統のメイジなんて相手にならないほど熱いところがある女であることを。

「でも、わたしは母さまと一緒にいられるのなら、何処でもいい……ここでも、いいから……別に、何かされるわけでもない。だから、大丈夫……心配しなくても。わたしは本当に大丈夫」

 そんな少女にあんなことを言えば、どうなるか何て簡単に予想できる。何より、自分の友達だ。エルフに敗れ、その強さを知ったタバサが、自分のためにその恐ろしいエルフと戦おうとする人を止めようとしない筈がない。可能性があれば、どんな方法さえとるだろう。自分たちが、タバサを救うため国に逆らってでもここに来たように。止めることが出来るかもしれないと知れば、タバサはきっと、どんなことでもしてしまうだろう。
 例えそれが、

「だから、みんな、もういいから……わたしは、大丈夫、だから」

 一度も見せたことがない、笑顔を浮かべることだとしても。

 


 驚き。

 ルイズの、ロングビルの、キュルケの、シルフィードの、ギーシュの、マリコルヌのそれが、最初に浮かんだ感情だった。
 タバサは笑っていた。
 目を細め、頬を上げ、本当に、本当に幸せそうに笑っていた。
 それが、何よりも驚きだった。
 無理のない。自然な笑み。誰が見ても頷くほどに、タバサは綺麗に笑っていた。
 初めて見るタバサの笑顔。
 話しの流れを思えば、タバサが士郎たちを救うために笑ってみせていると直ぐにわかる筈なのに、タバサが浮かべる笑みに、無理な様子は全く見えない。
 本当に、幸せそうに笑っていた。
 タバサが言うように、本当に大丈夫だと思える程に、その笑顔に無理は感じられず、とても美しかった。
 己の『正義の味方の定義』が『笑顔』だと言った士郎は壊せない。
 そう思えるほどにタバサの浮かべた笑みは完璧だった。

 歯を噛み締め、目尻に力を込めて、キュルケは己の胸を掴む手に力を込める。ぎりぎりと強く握り締めて、キュルケは押さえ込む。痛みを、苦しみを。理由はわからない。ただ、ただ痛かった。苦しかった。タバサが浮かべた笑みを見た瞬間、氷の刃で心臓を切り刻まれたかのような冷たい痛みが走った。
 キュルケは、タバサの笑みは偽りではないと気付いた。
 タバサのあの笑顔は、あれは、誰かに強制されたものではなく、無理矢理作り出したものでもないと。 
 本当に、タバサは望んで笑っているのだと。
 自然に感じるのも仕方がない。何故ならあれは、確かにタバサの内から生まれた笑顔なのだろうから。
 親が子を想うように、姉が妹を思うように、弟が兄を憶うように……慈愛から生まれた笑みなのだから。
 こんな笑みを浮かべられたら、士郎じゃなくても、何もいえないじゃない……。
 誰よりもタバサの救出を願っていた自分がこう思ってしまうのなら、誰も何も言えないのではと、そう考えてしまった時、



「馬鹿が。そんな顔で言われて、大丈夫だなんて思えるか」



 士郎の苦笑混じりの声が響いた。
  

 
 

 「え?」という戸惑いを含んだ声が聞こえたのは、誰の口からだったのだろうか。
 士郎はタバサの直ぐ目の前に立つと、ぽんっ、と彼女の小さな頭の上に手を置いた。そして、ゆっくりと髪を梳くようにその青い髪を撫で始めた。

「なあ、タバサ。お前は俺が何で『正義の味方』を目指しているか知っているか?」

 理由。
 エミヤシロウが『正義の味方』を目指す理由。
 それは、以前聞いたことがある。
 土くれのフーケが盗んだ学院の宝『破壊の杖』を取り戻すため、馬車に乗っていた時に聞いた。
 その時聞いた理由は、確か―――

「確か父親との『約束』だね」

 ポツリと答えた小さなロングビルの声に、士郎は頷く。

「ああ。『正義の味方』になれなかったと口にしたオヤジの代わりに、俺が『正義の味方』になると『約束』した……だがな、それは理由の一つでしかない」
「……じゃあ、他にも理由があるの……?」

 手元から聞こえた声に、士郎は視線を下げる。俯き、青い髪で自分の顔を隠したタバサの頭を、士郎はくしゃりと撫でた。

「憧れたからだ」
「あこがれ、た?」

 呟きに、笑みを返す。

「俺は昔、オヤジに命を救われた。誰も彼もが死んでゆく中、たった一人生き残り、だが、今にも死にかけていた俺を、オヤジは救ってくれた」
「その姿に?」
「ああ。だが、少し違う」

 今にも泣きそうな顔で自分たちを見つめてくるルイズに、士郎は頷き、しかし続いて小さく顔を横に振った。

「確かに、俺は自分の命を救ってくれたオヤジに憧れた。だがな、俺が本当に焦がれ、望み、憧れたのは、俺を救ってくれた時、オヤジが浮かべた、幸せそうに笑う顔に、だ」
「笑顔に、憧れた?」

 キュルケの問いかけに、士郎は目を細め応えた。

「ああ。救われたのは俺なのに、まるで自分が救われたかのように笑っていた。その顔がな、とても綺麗で、幸せそうで……だから、憧れた。俺も何時かそんな顔で笑いたいと焦がれる程に、な」
「だから」

 キュルケの言葉の続きを、士郎は口にする。

「『笑顔』なんだ」

 士郎はタバサの頭を撫でていた手をずらし、その手を髪の下の頬に添えた。ごつごつした硬い指先が、白く柔らかな頬に触れる。雪のように白い頬は、あたたかなものが流れ、濡れていた。それを親指でそっとぬぐい、頬に添えた手を動かし、優しくタバサの顔を上げる。

「俺は、な。これまでずっと『笑顔』に救われてきた。幸せそうに笑う顔に。なあ、タバサ。人が本当に幸せだと感じた時に浮かぶ笑顔は、な。見ている者も幸せにするんだ」

 自分を見上げる青い瞳から、溢れ出る雫で手を濡らしながら、士郎はタバサに問いかける。

「なあ、お前は、俺を笑顔にしてくれるか?」

 問いに、タバサは―――

「……で……、…………い」

 士郎は待つ。

「………で、き……い」

 膝を曲げ、士郎はタバサと視線を合わせる。
 目の前に見える士郎の瞳をじっと見つめ、タバサは震える声で問いに応えた。

「―――でき、ない」

 泣き濡れた声に、士郎は聞く。

「なら、教えてくれ。俺は自他共に認めるような鈍感で、馬鹿なんでな。だから、教えてくれ」

 泣く幼子をあやすように。
 
 迷子に親を聞くように。

 道に迷った子供に行きたい場所を聞くように。

 欲しいものを我慢する、我慢強い子に聞くように。

 士郎は優しく問いかける。

「お前が、俺を笑顔にさせてくれるには、何をしたらいい?」

 問いに、タバサは―――



「―――かぇ、り……ぃ」



 泣く幼子がぐずるように。

 迷子が親を呼ぶように。

 道に迷った子供が道行を聞くように。

 今までずっと我慢していたものを、初めて求める子供ように。



「―――……かえ、りた、い」



 救いを求める声を上げた。



「―――帰りたいっ! 帰りたいよぉッ!!」



 救いを求める声に、衛宮士郎は―――



「ああ、帰ろう―――みんなで」





 空間を抉るかのような勢いで振り返った男を、風を纏い膨れ上がった外套が追って翻った。
 血風が舞い、宙が赤く染まる。
 身体に刻まれた傷口から溢れ出た血が、男の全身を赤く染め上げている。
 両手をだらりと下げた姿で、力なく立ちつくしているように見えるその背中。
 男が今にも倒れてもおかしくはない状態であることを、その背を見つめる者たちは知っている。
 腕は折れ、全身から血を流し、疲労も蓄積しているだろう。
 常人ならば、既に死んでいる。
 メイジでも、変りはない。
 だが、男は立っている。
 血を流し、無数の傷を刻まれた身体でありながら、男は立っていた。
 力と意志に満ちた背中を向けて、男は強大な敵に相対する。
 一人の少女を救うため、衛宮士郎は立つ。
 

 
「すまないな、待っていてくれて」
「構わん。別れの言葉を待つぐらいは、な」

 士郎がビダーシャルに笑いかける。
 口元を釣り上げ、目尻に力が込もった獣の笑みを。
 
「さて、では最後にもう一度だけ聞こう。その少女を置いてここから立ち去るつもりはないか?」
「ない」

 問いは一つ、返事は一つ。
 応えを受け、ビダーシャルは右腕を上げる。
 指先が月の光を受けた時、ビダーシャルの背にそびえるアーハンブラ城を構成する壁の石が外れ、地響きを立て宙に浮く。宙に浮いた石は、ビダーシャルの背にとぐろを巻く巨大な石蛇を中心に渦を巻き始める。そして、ビダーシャルの左腕が上がり、石蛇を中心に渦を巻いていた石が石蛇に張り付き出す。石の蛇は、鎧のように城壁の石を身に纏い、巨大な石蛇が更に巨大になる。
 倍以上に膨れ上がった石蛇、否、岩蛇を前に、士郎は数歩足を前に動かし、手を伸ばす。

「で、相棒本当にあれを相手にするつもりか?」
「なんだ、怖気づいたか?」
「へんっ! オイラは剣だぜっ! 敵を前に怖気づく剣がいるかっての」
「いい返事だ」

 士郎は地面に突き立ったデルフリンガーを掴む。
 無事な左手で一気にデルフリンガーを引き抜くと、勢いよく振り下ろす。
 地面に広がる砂埃が宙に浮き、渦を卷く。

「エルフのビダーシャル。今の俺は、少しばかり手ごわいぞ」

 笑い、士郎は告げる。
 剣先をビダーシャルに向けた時、ビダーシャルの後ろでとぐろを巻いていた岩蛇が解き立ち上がった。

「いけ」

 ビダーシャルが上げていた両手を下ろし、岩蛇は士郎に襲いかかる。
 迫る巨大な岩蛇。先ほどの倍以上の大きさになったにもかかわらず、その動きは以前よりも早い。空間を削り取るように進む岩蛇は、まるで一本の巨大な槍のように士郎に迫る。巨大な質量が迫る中、士郎は目を閉じたまま動かない。
 迫る脅威の巨大さに、絶望を感じ動けないのか。
 ―――否、違う。
 守るために士郎は立っている。
 背にある少女を守るために、士郎は立ちふさがり。
 少女を救うため、士郎は立ち向かう。
 眼前に迫った岩蛇が、その存在全てを噛み砕かんと飛びかかり、直前、士郎の目が開き―――

 

 塔のように巨大な岩で出来た蛇が迫る姿に、ルイズたちはその身を硬く立ち尽くしていた。
 エルフの魔法の強大さに、恐れ、怯え、ただ、震えるしかなかった。
 自然災害に人の力が敵わぬように、余りの巨大さにただ見ているしか出来ないでいた。
 だが、その心に、何故か不安の姿はなかった。
 恐怖は感じている。
 怯えてもいる。
 恐ろしさに、身体は震えている。
 しかし、不安は感じない。
 ―――理由は、きっとあの背中。
 赤い―――彼の背中が見えるから。
 強大な、抗うことさえ思い浮かばない強大な力を前に、それでも意志と力を漲らせ立つ彼の背中があるから。
 迫る脅威に比べ、彼の存在は余りにも小さい。
 しかし、不安は欠片も生まれない。
 祈るように胸の前に手を組み、タバサは涙に滲む視界で彼の赤い背を見つめる。
 月を背にした岩蛇は、夜に染まりまるで闇が襲いかかってきているかのようで。
 赤い彼の背中が、闇に浮かぶ小さな火のように見える。
 その火は、闇の中あまりにも小さすぎるが、確かな明かりだった。
 タバサの青い瞳に映る火が、闇に飲まれる。
 その瞬間―――

「「「「「「「「――――――ッッ!!??」」」」」」」」

 太陽が生まれた。

 

「ッ嗚呼ああああぁッ!!」

 デルフリンガーを握り締める左手が白熱し、目を貫く輝きを放つ。夜の地上に生まれた太陽は、天に輝く太陽と同じく夜の闇に染まっていた地上を照らし出す。士郎を襲う闇を打ち砕く。
 轟音が響く。それは余りにも早く、長く続くため、一つの音としてしか聞こえない。硬い岩が砕ける音が、止まることなく連続して続く。身体の奥から震わす音が響き渡る。山一つ崩れたかのような音が延々と続くその中に、士郎の咆哮が入り混じる。
 一時間は続いたようにも、一瞬で終わったようにも感じたそれが終わった時、その場にいる者たちは息を飲んだ。
 全身を響き渡った衝撃と音で震わせながら、ルイズたちは目の前の光景に心を震わせた。 
 パラパラとザラザラと、空からナニカが降ってくる。
 それは石だった。
 それは砂だった。
 それは、石の、岩の蛇だったもの。
 振り注ぐ石と砂の雨の中、太陽の如く光を放つ左手に握った剣の先をビダーシャルに向け、士郎は告げる。

「すまないな『エルフのビダーシャル』。俺はまだまだ未熟でな。伸ばされる手しか掴むことが出来ない。だから、今この時の俺は、手を伸ばしたタバサの―――正義の味方(タバサの笑顔の味方)だ」
「っ、く」

 士郎が一歩足を踏み出すと、ビダーシャルは逃げるように一歩後ずさる。
 左手で輝くルーンに負けないほどの眼光で、ビダーシャルを射抜いた士郎は、静かに、決意に満ちた言葉を告げる。
 反撃の狼煙を告げる言葉を。
 


「いくぞエルフのビダーシャル――――――精霊の力は十分か」



 気付けば、目の前に士郎がいた。
 既に剣を振り下ろしきった(・・・・・・・・)姿の士郎が。
 その後ろに、自分に剣の切っ先を向ける士郎の姿があった。

「―――ッ?!」

 ビダーシャルの瞳に、二人(・・)の士郎が映っていた。
 理性は理解を拒否した。
 だが、本能は強制的に理解させられた。
 
 ―――残―――像―――ッ!!??

 気付いた瞬間、爆音が耳を貫く。
 音は二つ。
 大地が弾けた音。
 続いて、風が裂けた音。
 遅れて、衝撃。
 大型の台風の風を纏めて凝縮したような衝撃を全身に受け、吹き飛ばされるビダーシャル。
 反射的に閉じる瞳の最後に映ったのは、目の前の士郎の後ろにいる士郎の姿が消える瞬間だった。
 数十メートルを風に吹かれる埃のように地面を転がったビダーシャルは、盛り上がった土に背が当たってようやっと止まることができた。
 丁度立った姿の状態で、土山を背に止まったビダーシャルが、回る視界と混濁する意識を何とかしなければと考えた時、

「……っは? ごぇっ、ぁ?」

 気の抜けたような声がビダーシャルの口から溢れる。
 遅れて、喉からゴボリとくぐもった音と共に血塊が溢れ出し、最後に、右肩から左脇腹へ向け走った斜めの線から血が飛び出した。
 
「あ―――、ぁぁぁああああああっ?!」

 何が起きた理解が追いつかないのか、ビダーシャルは驚愕混じりの悲鳴が上げながら、血に染まった手を見下ろす。
 
「ぃジィア嗚呼唖々アアああぁぁッ!!」

 血に濡れた怒声を上げたのは、痛みのためか? それとも恐怖を紛らわすためか? 何が起きたか理解する前、否、理解してしまう前に、ビダーシャルは風石が封じ込められた指輪を作動させ上空に逃げた。理性もなにもなく衝動的に発動させたためか、一瞬でアーハンブラ城を超え、ビダーシャルは遥か上空に月を背に浮かんでいる。三桁の天空に浮かぶビダーシャルは、美しさよりも恐ろしさを感じる程巨大になった二つの月で照らされた、血に濡れた己の身体を焦点が合わぬ目で見た。
 身体に刻まれた傷は一つ。
 右肩から左脇腹に走る一本の線。
 傷自体はそこまでたいしたものではなかった。
 傷は内蔵にまで至ってはいない。
 吐血の原因は全身に受けた衝撃の可能性が高い。
 ビダーシャルの心中に、様々な情報が駆け巡る。
 が、一番大事な情報が抜けていた。
 ―――否。
 ただその事実から目を背けたいだけである。

 ―――反射(カウンター)を斬った―――

 その事実を数舜の後、やっと理解した際、もう一つの事実を理解し、ビダーシャルの中でナニカが切れた。

 ―――手加減された―――
 
 ビダーシャルの目には士郎の動きは全く見えていなかった。
 気付いた時には既に剣を振り切っていたのだから。
 つまり、士郎は全く一瞬の停滞もなく反射(カウンター)を斬ったということである。
 その事実は、その時纏めてビダーシャルも斬り殺せたことを意味している。
 それを理解した時、ビダーシャルは己の内から湧き出た衝動に身を任せた。

「臥っ嗚呼唖々アアぉぉッッつ!!」

 怒りに、憎しみに、殺意に――――――だがそれは、もう一つの感情から目を逸らすためのものであったことに、ビダーシャルは気付いていなかった。
 血に染まった手を士郎に向けた。
 連動するように、士郎の周りに転がる岩蛇の残骸が浮き、士郎を覆うようにナイフのように尖った石が襲いかかる。
 だが、

「遅いな」
「―――っぁああア嗚呼唖々アア亜ああぁぁッ!!」

 そこには既に士郎の姿はなかった。士郎が進んだ道筋を追い、赤光が闇に走っている。左手に刻まれたルーンの輝きと、赤い外套が混じり合い生まれた赤光の先に、士郎はいた。文字通り目にも止まらない速度で駆ける士郎に、ビダーシャルは悲鳴か怒声か分からない声を上げる。

 ―――――危険―――
 ―――危険だッ!
 ―――危険だコレ(・・)はッ!!
 ――早期にッ!
 ――迅速にッ!!
 ――直ちに排除しなければっッ!!!


「―――ッッつぁあッ! 舐めるな蛮人がぁあアアあっ!!」
 
 血に濡れた身を空に浮かべ、月を背負いビダーシャルは天に向け両手を掲げる。
 空を支えるかのように上げた手に導かれ、アーハンブラ城を中心に岩が、砂が、石が宙に舞い上がる。見る間にビダーシャルの頭上に巨大な円が生まれる。
 それは巨大な石の、砂の、岩の固まり。
 それは余りにも大きかった。
 その時、地上に一つの月が生まれた。
 落ちればアーハンブラ城はもとより、その下の宿場町も被害を受ける程の驚異的な質量を持った固まり。それはもはや魔法ではなく災害。幾万の可能性の一つで起きる、天の星が落ちる大災害。
 星落とし。
 
「消え失せろおおォォアアぉぉオォッ!!」 

 叫びと共に、頭上に掲げていた両手を、ビダーシャルは振り下ろす。
 風を纏い、大気を押しつぶしながら、月が落ちてくる。
 先程の岩蛇など比べ物にならない程の大きさ、質量。
 夜の星空を覆い、一つの巨大な固まり―――月が落ちてくる。
 迫る月を、士郎は見上げる。
 
「なあ相棒……あれ、どうにか出来る?」

 月が落ちてくる。
 その余りの光景に、剣であるデルフリンガーは呆れたような声を上げるが、その声は微かに、しかし確実に震えていた。
 
「ま、どうにかするしかないな」 

 そんな声に軽い調子で応えた士郎は、デルフリンガーを地面に突き刺す。
 そして、空いた左手を頭上にかかげ、

投影開始(トレース・オン)

 己の内に呼びかけた。 
  




 空に三つ目の月が生まれた時、何故かタバサの脳裏に『イーヴァルディの勇者』の一節が過ぎった。
 それは、目に映る余りの絶望の姿に、思考が現実逃避をしたからかもしれない。
 
『イーヴァルディは洞窟の奥で竜と対峙しました。何千年も生きた竜の鱗は、まるで金の延べ棒のようにきらきらと輝き、硬く強そうでした。』

 落ちてくる月の影響で風が巻き起こり、砂が舞い空を覆う。

『竜は震えながら剣を構えるイーヴァルディに言いました。』

 圧倒的質量が迫る月に、未だ空高くあるにもかかわらず、タバサは圧迫感と重量感を感じる。

『「小さきものよ。立ち去れ。ここはお前が来る場所ではない」』

 崩れ落ちそうになる膝を震えさせながらもタバサは立ち、士郎の背中を見つめ続ける。

『「ルーを返せ」』

 赤い背中は、左手から生まれる光を受け、赤く輝いて見える。

『「あの娘はお前の妻なのか?」』

 迫る絶対の死を感じさせる落下する月の姿に、しかし士郎は怯えた姿を見せることなく力強く立っている。

『「違う」』
 
 大気が悲鳴のような揺れを起こし、身体が震える。

『「お前とどのような関係があるのだ?」』 

 近付く月が空に輝く星々を隠し、世界は闇に染まっていく。

『「なんの関係もない。ただ、立ち寄った村で、パンを食べさせてくれただけだ」』

 闇に世界が染まりゆく中、ただ一つ赤い光が世界を照らしている。

『「それでお前は命を捨てるのか」』

 士郎が空に輝く左手を掲げた。

『イーヴァルディは、ぶるぶると震えながら、言いました。』

 その瞬間、一際強い赤光が世界を満たし、

『「それでぼくは命を賭けるんだ」』

 一つの槍が生まれた。





 士郎は左手に生まれた赤い槍を握り締め大きく振りかぶる。
 槍を矢に、腕を弦に、身体を弓に見立て、士郎は力を込め、狙いを定め、

「――――――覚悟しろ―――これは少しばかりキツいぞ」

 構えた()を解き放つ。
 
「穿ち貫けッ! 破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)ッ!!」

 真紅の光が、天を駆ける。
 放たれた()は、音を置き去りに加速を続け、瞬きの間もなく迫る月へと辿り着き。

「―――――――――ッ――――――なッ、ぁ―――――ッ??!!」

 穂先が月に触れる度、破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)は精霊の力の繋がりを遮断する。
 ただの土くれなど、音速を超えて飛ぶ破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)を止めること等出来はしない。
 一瞬たりとも停滞することなく、破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)は月を穿ち貫く。
 全ては一瞬にも満たない刹那での出来事。
 矢として放たれた破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)は、馬鹿げた質量の岩の塊を、まるで豆腐のように刺し貫き―――

「――――――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 月が―――砕けた。

 
 




 己の限界を超えた精霊の行使によって生まれた擬似月。
 絶対の自信を持って放った。
 しかし、男が紅の輝きを天に向けて放ったかと思った瞬間―――月が砕け散った。
 月は内部で爆発が起きたかのように急激に膨れ上がり四散した。
 男が何かをしたのだと理性は告げるが、それをどうやったのかが分からない。
 ただ、その力の強大さだけは分かっていた。
 月を砕いた何かの威力は凄まじく、城を押しつぶさんとした月は、今や細かな砂粒や泥の塊となって舞っている。月が砕けた際に発生した衝撃は凄まじく、反射(カウンター)は砕け己の全身を本日最大の衝撃が貫いた。
 抵抗する時間も手段も―――そしてその時にはもう、そんな意思もなかった。
 全身をシェイクする振動に、意識がズレる。 
 間延びた意識の中、先程まで心の中に渦巻いていた憎悪や怒り等の感情が消えていくのを感じていた。
 
 ―――……何故だ。
 
 自分に何をされたのか理解できなかった。
 ただ、必殺の思いで放った月を、赤い光が貫いたと思った時には、やられていた。
 そう、やられていた。
 ビダーシャルは、自身の状態を正しく理解していた。
 今保っている意識も、直ぐに消えてしまうだろうことを、ビダーシャルは分かっていた。
 意識が薄れ。
 行使していた精霊の力が崩れていくのが、感じ取れる。
 眼下で、生み出した月が解け崩れていくのが見える。
 霞がかかる視界に、地上に立つ影が映った。
 その一つに、自然と意識が向く。
 それは、一人の少女だった。
 青い髪を持った少女。
 囚われた少女。
 
 ―――ふん……笑っている。

 視界に映る少女は、笑っていた。
 初めて見た時、人形のような人間だと思っていた少女が、幼子のように笑っている。
 心が消えると言われた時も、泣きも喚きもせずに、ただ人形のように従った少女が……。

 ―――……笑っているな……幸せそうに……。

 意識が消える直前、ビダーシャルの目がもう一つの姿を捕らえる。
 衛宮士郎。
 今はもう、先程までの光は放っていなかった。
 
 ―――『正義の味方』……か……。

 ビダーシャルは思い出す。
 衛宮士郎(正義の味方)が口にした言葉を……。
 『人が本当に幸せだと感じた時に浮かぶ笑顔は、見ている者も幸せにする』

 ―――……ああ、そうだな。

 消えかける意識の刹那、

 ――――――――……貴様の言うとおりだ……。

 ビダーシャルの口元には―――笑みが浮かんでいた。









 きらきら、きらきらと光が舞っている。
 大きな……巨大な……月が砕け、小さな小さな砂粒となって空を舞っている。

『イーヴァルディは竜に向けて剣をふるいましたが、硬い鱗に阻まれ、弾かれました。竜の爪や、大きな顎や、吹き出す炎で何度もイーヴァルディを苦しめました。』

 様々な光を受け、砂は輝き、舞っている。
 空に輝く月の光を、星の光を―――そして、地上で輝く、太陽のような暖かな光を受けて……。

『イーヴァルディは何度も倒れましたが、そのたびに立ち上がりました。』

 タバサは見つめる。
 眩い輝きを放つ彼の背中を。
 暖かな輝きを放つ彼を―――士郎を。

『竜が止めとばかりに、炎を噴き出したとき、驚くべきことが起こりました。イーヴァルディが握った剣が光り輝き、竜の炎を弾き返したのです。イーヴァルディは飛び上がり、竜の喉に剣を突き立てました。』

 見つめる中、士郎が振り返る。
 輝きの中、士郎とタバサの視線が交わり―――

 ――――――ぇ……?

 タバサの目が見開かれる。
 
 ―――わらっ、てる?

 士郎が笑っていた。
 とても、柔らかい、笑顔だった。

『どう! と音を立てて竜は地面に倒れました。』

 眩げに、タバサの目が細まる。
 太陽を見上げた時のように。

『イーヴァルディは、倒れた竜の奥の部屋へと向かいました。』

 輝く左手が動き、士郎は自分の顔を指差してみせた。

『そこには、ルーが膝を抱えて震えていました。』

 疑問符を浮かべたタバサだったが、誘われるように手が自分の顔に向かって動く。

「―――ぁ」

『「もう大丈夫だよ」』

 そして、気付いた。
 



 ――――――笑っ―――て、る―――

 


 タバサは笑っていた。
 頬に触れた指先が、暖かな雫で濡れる。
 笑っていた―――泣きながら。
 ぼろぼろ、ボロボロと涙をこぼし、泣いていた……泣きながら……笑っていた。
 一年、二年……何年もの閒雪が降り続け、何時しか氷ついた世界に、今、光が満ちる。
 暖かな光が、硬く、固く、凍えた世界をゆっくりと溶かし―――

『イーヴァルディはルーに手を差し伸べました。』

「――――――皆の所へ、帰ろう」

 伸ばされた手を、迷いなくタバサは握り締める。

 
   
 長く……永く続いた、雪と氷に覆われた世界に―――



『「竜はやっつけた。きみは自由だ」』



 ――――――雪解けの時が、来た。
 
 







  
 

 
後書き
 感想ご指摘お願いします。

 次回はエピローグです。

 次も比較的早く上げれると思います。 
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