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魔法科高校の神童生

作者:星屑
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Episode20:十字の道化師


「くっ、油断したな…」

雫とほのかが正体不明の組織に連れ去られた後、隼人は雑居ビルのほど近くにあるバーに足を運んでいた。そこは、九十九家がよくお世話になる情報屋がいる場所であった。

「傷は浅かったからよかったねぇ。このくらいなら、すぐに治るよ」

「ん、ありがと沙織さん」

情報屋の名前は黒条沙織。櫂よりも少し年上の女性だ。
最後、刺された足を治療してもらった隼人は沙織に礼を言って、懐からほのかの端末を取り出した。そして躊躇なく立ち上げる。

「おやおや、そりゃ女の子の端末だろう?勝手に見ちゃっていいのかい?」

「今は緊急事態だから仕方ないよ、ってことにしといてくれないかな?」

からかうように言う沙織に苦笑いしつつ、隼人はほのか宛に届いていたメールを開いた。そして、それをカウンターの向こうに戻った沙織に差し出す。

「これは、脅迫文みたいねぇ…まったく女の子にこんな脅すような真似するなんて相当ダメな男ね」

相変わらずだね、というのが隼人の正直な感想だった。だが、今は雑談にかまけている場合ではない。
意識を切り替えて、隼人は沙織の持つ端末の画面を下へスクロールさせていく。すると、

「これは…」

「うん。多分、これは何かの組織のトレードマークなんだと思う」

ほのかに送られた脅迫メールの最後、そこには、十字架に吊るされたモノトーンのピエロの画像が添付されていた。

「なにか、分かることはある?」

「…このトレードマークの組織は一つしかないね」

長年、情報屋として生きてきた彼女だからこそ、このトレードマークに見覚えがあった。いや、情報屋としてこの組織を知らないというのは有り得ない。それほどまでに、この組織は危険だった。
隼人に伝えて良いべきものか。そう沙織が逡巡したのは束の間。隼人の射抜くような視線を受けて、沙織は覚悟を決めた。

「組織の名前は、十字の道化師(クロスズ・ピエロ)。世界的に危険視されている人身売買の組織だよ」

「人身売買!?」

隼人が驚きに声を上げた。沙織の言ったことが本当なのだとしたらマズイ。一刻も早く雫とほのかを助けに行かなければならない。
そう判断して、隼人は座っていたイスから立ち上がった。その時に刺された足が痛むが、そんなことを気にしてはいられない。

「沙織さん、十字の道化師(クロスズ・ピエロ)の拠点はわかる?」

「一人で乗り込もうって言うのかい?」

それは、問わずとも分かっていることだった。しかし問いかけてしまうのは、沙織が本当に危険だと思っているからだ。けど、隼人は引けなかった。

「雫とほのかが連れ去られたのは俺の責任だからね、助けないわけにはいかないでしょ。それになにより、二人は友達だから」

そう言って少し照れ臭そうに微笑んだ隼人に、沙織は白旗を上げた。
溜息を一つ漏らし、自分の端末の操作を始める。

「店の外に電動二輪がある。アンタの端末にアジトの場所送っといたから、それ使っていきな。あと、連れ去られた二人の家族には櫂を通して事実を伝えさせてもらうよ」

「うん、ありがとう沙織さん」

沙織の答えに満足したのか、電動二輪のキーを受け取った隼人はバーの出口へ向かった。

「女の子助けるんだから、しっかりフラグ建てときなさいな」

「ふらぐ?なんか、よくわからないけどがんばってみるよ」

そして、隼人は店を出た。バタンと扉の閉まる音を聞いて、沙織はすぐさま端末から櫂の番号をひっ張りだした。














深夜の公道を一台の電動二輪が疾走する。沙織から十字の道化師(クロスズ・ピエロ)の拠点の場所を教えてもらった隼人は消耗した体力や集中力を無視して沙織の示した通りの道を走り続けた。少しスピードが速すぎるのは、加速魔法を電動二輪ごと自らにかけているからなのだろう。周囲に車や隼人と同じ電動二輪の存在がなかったのは幸いだ。
沙織が櫂に連絡して、櫂から雫とほのかの家族に攫われたことが伝わる。そうなれば警察も動き出すだろう。しかし、隼人に警察を頼るという選択肢は存在していなかった。

「っ…!」

更に電動二輪のギアを上げ、隼人は十字の道化師(クロスズ・ピエロ)の拠点となっている廃墟へと急いだ。














櫂に、隼人が単独で十字の道化師(クロスズ・ピエロ)のアジトに向かったという報せが届いたのは、丁度、北山雫の父、北山潮に娘が攫われたとの連絡を受けたときだった。
沙織の話をすぐさま理解した櫂は潮に手短に状況を説明すると、モニターに映る沙織と潮に微笑みかけた。

「隼人が向かっているなら大丈夫だ。あいつは、同じ過ちは繰り返さない」

一部の淀みもなくそう断言した櫂に、潮は驚き、沙織は若干呆れていた。その二人の様子に更に笑みを深めて、頬杖を突く。

「『九十九隼人』は、たかがピエロに負けはしないよ」

それは櫂が隼人のことを息子としてではなく、一人の暗殺者、一人の魔法師として認めているからこその言葉であった。

「潮さん、まだ不安だったのなら言っておきましょう。あいつはもう、オレよりも強い」

今度は別の意味で驚く潮を、櫂は楽しげに眺めていた。

















電動二輪を走らせること一時間。ようやく目的地に辿り着いた隼人は目の前に聳える建物の近くにある茂みに電動二輪を止めた。
そのまま気配を隠しながら、十字の道化師(クロスズ・ピエロ)の根城を観察する。

「…なにかの研究所、かな?」

かなり広大な土地の八割を占めるこの苔むした建物は、数十年前までは魔法師の改造を目的に作られたものだった。だが、その非人道的な研究は十師族の勅命により凍結。研究所だけがそのままの形で残っている状態であった。どうやら放棄されてから数十年。この建物はなんの手も加わっておらず、コンクリート製の壁には蔦や雑草が群生していた。
十字の道化師(クロスズ・ピエロ)といった違法組織が、身を隠すには最適な場所だ。

「…屋上にヘリコプターね、先に潰しておこうか」

三階建の研究所の屋上には、十字の道化師(クロスズ・ピエロ)が保有していると思われるヘリコプターがあった。
先ほどのようにヘリコプターで逃げられてしまうと厄介になると判断した隼人は、ワイヤーを伸ばし屋上の手摺に縛り付けた。そしてそのままリールを巻いて屋上へ到達する。

「…壊す前に内部の様子を見ておこう」

屋上から研究所全体を見下ろすように、隼人は世界の心眼(ユニバース・アイズ)を発動した。
目が眩むほどの光量に顔を顰めながら、研究所内部をくまなく見回していく。いつもセーブしている能力をフルに使って、内部の情報を全て頭の中にインプットとしていく。やがてその視線が、ある一つの部屋で止まった。

「サイオンが妙に静まってる。眠らされてるのか…なら、可能性は高いね」

そこは研究所の中でも一番奥と言える場所だった。二階の、廊下の突き当たりの部屋から更に奥に行った、恐らくは隠し部屋となっている部屋だというのは容易に想像できた。

「さて…敢えて派手に行こうか」

そして、隼人がヘリコプターに触れたときだった。

「ん、人?」

不意に電動二輪を止めた茂みの辺りに人の気配を感じた隼人は、一度ヘリコプターから手を離してその場にしゃがみ込んだ。
そのまま気配の正体を探ろうと茂みに目を向けて、思い切り脱力してしまう。そしてゴソゴソとポケットを漁って取り出したのは、ほのかの端末だった。立ち上げてみてメール送信履歴を見ると、溜息をついて体を起こす。そのまま一気に茂みの手前まで飛んだ。着地して、身構えている二人組に一言。

「やあ達也、深雪さん。こんなところでなにしてるんだい?」




















深雪に、ほのかの端末を介して十字の道化師(クロスズ・ピエロ)からのメールが届いたのは、風呂から上がった直後だった。
驚きと焦りに突き動かされ、下着姿のまま達也の部屋へ突撃しようとしたのだが、扉に手をかけたところで我に返り、急いで寝間着を着て扉をノック。奥から「いいよ」という声が聞こえてきて勢いよくドアを開けたら兄が驚いた顔をしていた。思わずその顔をずっと見ていたい衝動に駆られたが、なんとか抑えると事の顛末を知っている限り早口で捲し立てた。
相当な早口で捲し立てたにも拘らず、彼女の兄は一度考える素振りをしてから頷くと深雪に着替えを促した。兄の言わんとすることを素早く理解した深雪は急いで部屋に戻って着替えを済ませた。デスクの上に置いてあったCADを取って上着を羽織る。どうやら兄は既に家を出たようだ。それを確認すると深雪も外へでて鍵をかける。そして、電動二輪で玄関前まで来た兄からヘルメットを受け取るとすぐに被って跨る。
「掴まっててな」、と兄の声が聞こえたときにはもう電動二輪は走り出していた。
公道から外れて少しして、深雪と達也は目的地に辿り着いた。雫とほのかが囚われているであろう研究所近くの茂みに電動二輪を止めると、他にもう一台の電動二輪があることに気づいた。だが、どうせ敵の所有物なのだろうと思い、無視して茂みに身を隠して、研究所の様子を伺う。
その時だった。深雪の側にいた達也が身構えた。それに反射的に反応して深雪も警戒レベルを上げる。敵襲か、そう思ったとき、その声は聞こえた。

「やあ達也、深雪さん。こんなところでなにしてるんだい?」

目の前には、ニコニコと人懐こい笑みを浮かべる友人、九十九隼人の姿があった。
















「やあ達也、深雪さん。こんなところでなにしてるんだい?」

ニコニコと隼人はそう言うと、目の前の達也が溜息と共に構えていた拳を下ろした。

「いや、それはこっちのセリフなんだが…もしかしてお仕事か?政府の番犬さんは」

「へぇ、気づいてたんだね。九十九家の本質に」

愉しそうに隼人が笑みを漏らす。不穏な空気を漂わせる隼人と達也に、話についていけない深雪だけが不安げに達也の服の裾を掴んでいた。

「深雪さんは知らないみたいだから教えてあげるよ。九十九家は暗殺一家なんだ。それも、政府お抱えのね」

九十九家は、基本的に誰からの依頼であろうと暗殺者である人間が受けると言えば殺しを行う。だが、一般への周知度は高いわけではない。九十九家の基本的なクライアントは政府や軍などが殆どだ。だから、本当に詳しく九十九家を知らない人間は九十九家を政府お抱えという。達也はその一人だったのだろう。知らないのなら、これ以上知らなくていい。隼人はそう判断して達也と深雪に、「九十九家は政府お抱えである」とウソをついた。
だが、隼人が暗殺者と認識されたことに変わりはなかった。
二人から、明確な敵意が突き刺さる。

「俺達を殺すか?」

達也から投げかけられた問いに、隼人は大きな笑みを浮かべた。

「君達を殺るには、骨が折れそうだ」

敵意が殺意に変わった。達也の手は拳銃形態のCADへ伸び、深雪も既にタブレット型のCADを構えている。
そんな二人を見て、隼人は思わず吹き出した。

「ふふっ、そんな身構えなくてもいいよ冗談なんだから」

「その根拠は?」

まったく達也は心配性だなぁ、と呟いて隼人はポケットからほのかの端末を取り出した。

「俺も二人と同じだからさ。今は、『九十九』じゃなくて『隼人』だから」

「…なるほど。十分信頼に足る理由だな」

「お兄様…?」

不安げな声を上げる深雪の頭に手を置いて、達也は大丈夫と囁いた。

「なら、ちゃっちゃと行こうか。あまり時間をかけるわけにはいかないからね」

「そうだな、それでどう攻めるんだ?」

誤解が解けたことに内心安堵してる隼人を他所に、達也と深雪は立ち上がって眼前に不気味に聳える研究所を見据えた。

「…俺は上からヘリを潰して行くよ」

「分かった。なら、俺達は下から行くとしよう」

そして、三人で頷き合って隼人は再びワイヤーを使って屋上へ飛び乗った。
達也と深雪が攻め込むのは、隼人がヘリを破壊した瞬間。敵の意識が上へ向いた時に奇襲することになっている。

「さあ、派手に行こうか!」

止まっているヘリコプターの上へジャンプした隼人は、拳を握って思い切り体を引き絞った。裂帛の気合と共に打ち込まれる、雷を帯びた拳。
雷鳴とコンクリートの崩壊する音が、人気のない郊外に響き渡った。













現在、十字の道化師(クロスズ・ピエロ)のアジトとなっている研究所内部は混乱に見舞われていた。
いきなりの敵襲は、屋上もろとも崩壊させるほどの派手さ。そしてそれに紛れるように一階から侵入した敵もみるみる内に一階を制圧しかかっていた。
組員が慌てて敵の拘束または殺害を試みるも、その全てが返り討ちに遭う。ある組員は雷撃に打たれて、ある組員は格闘術により昏倒させられ、またある組員は氷の彫像と化していた。
一階と三階から始まったパニックは瞬く間にアジト全体に広まり、統率などとれるはずもない状態だった。
だが、ある一角の部屋で、女は静かに二人の男に命令を下した。二人の男は頷くと、一人は一階へ、一人は三階へと向かって行った。一人薄暗い部屋に残った女は、残忍な笑みを浮かべて彼女の背後に寝かされた二人の少女を見つめていた。















「邪魔だよ!」

狭い廊下を縦横無尽に疾駆して、ライフルを撃ち続ける敵をワイヤーで拘束、からのインライトで確実に数を減らして行く。時にはベレッタの引き金を引き、投擲剣を敵の眉間に突き刺す。
まるで隼人にだけ重力がないかのように、壁を走り天井を駆け、敵を蹂躙していく。やがて、廊下にいる全ての敵組員を倒し終えた隼人は廊下の突き当たりにある階段の手前で、一つ溜息をついた。
その一瞬の隙が、命取りとなる。

「っ!?」

反射的に顔を傾けた目の前を、空間の揺らぎが通過していく。
間一髪敵の不意打ちを躱した隼人は、体を倒し数回のバック転で階段から距離を取った。瞬間、周囲の空間全てが揺らぎ始める。

「くっ、これは…断熱圧縮か!」

加重魔法により熱を遮断して空気を極限まで圧縮する。その後に起こる現象は一つしかない。

「やむを得ない…!」

空間が爆発を起こした。圧縮された空気を一気に解き放つことにより起こる熱膨張の爆発だ。
全方向を囲まれていた隼人に、逃げ場はない。だが、事前にこの攻撃を隼人は読んでいた。
空間に歪が生じて、爆発そのもの が消え去る。
消失(デリート)で爆発を消し去った隼人は、階段下にいる敵が僅かに動揺する気配を察知した。しかし、すぐに距離を詰めることはせず、隼人は一度息を吐き出して目を瞑った。襲いくる疲労感を懸命に鎮める。長時間の魔法の連続使用。それは、隼人のスタミナを根刮ぎ奪っていっていた。

「ハァー…しんどいけど、ここで止まってるわけにはいかないよね」

どうやら敵は隼人の出方を伺っているようだ。ならば、と隼人はわざと敵の目に姿を晒した。まるで警戒している様子のない雰囲気に、敵は油断したようだった。姿を隠しながら、確実に接近してきている。
刹那、バァン!という大音響が鳴り響き、隼人の姿がかき消えた。

「油断禁物、だよ?」

敵の男が最後に見たのは、嘲笑を浮かべて拳を構えた隼人の姿だった。
脳を揺らすほどの衝撃が、拳が着弾した顎から伝わり、男の意識は引き千切られ、背後の壁にめり込んだ。
恐らく死んではいないだろうが、ぐったりして動かない男を一瞥して、隼人は新たな気配を感じた。

「……化け物め」

吐き捨てるような声が聞こえてきて、隼人は視線を左へスライドした。その視線は、鋭い。

「…心外だね、俺だって人間だよ?」

隼人の視線の先には、一人の男が立っていた。細く、光を宿さない目、羽織った黒コートに隠された体つきは恐らく強靭。更に、腰に吊るした一振りの刃。
危険。一目でそう判断した隼人は緩みかけていた集中力を高めた。

「どちらにせよ貴様が我々にとって危険なのは間違いない…死んでもらおう」

そう言った男は、手を左腰の刀に伸ばした。そして左足を下げ半身の体制をとる。

「それはこっちも同じだよ。俺らにしたら、アンタらは危険だ…始末させてもらうよ」

対して隼人はなんの構えもとらず、ただ立っているだけに見える。
だがそれが隼人の構えなのだと、そう気付いたのは男が隼人の懐に入り込んだときだった。
右足で踏み込み、柄を握る手に力が篭る。そのまま振り抜こうとした瞬間、男は隼人に頭を掴まれ地面に叩きつけられた。

「がッ…!?」

一瞬の出来事についていくことができず、受け身をとれなかった男は後頭部を地面に強打した。それでも意識を失わないのは、咄嗟の判断で魔法を発動したためか。
だがそんなことは隼人には関係ない。早々に決着をつけるべく電流を流そうとする。

「くっ!」

だが、先ほどまでの隼人の戦闘を見ていたためか、男は隼人のしようとしていることを理解し慌てて隼人の腹を蹴って距離をとった。

「…流石に簡単に殺れはしないか」

やはり、今まで倒してきた相手とはレベルが違う。
隼人の攻撃方法を知っているだけなのかもしれないが、あのゼロ距離放電を回避したのはこの男が初めてだ。更に、地面に叩きつける際の後頭部を守るために使用した硬化魔法。体が受け身を取れていないにもかかわらず咄嗟に魔法を発動できるスピードも驚くべきものだ。
距離が離れたのを好機と見て、隼人は両手に嵌めていたシルバーフィストを外した。

「CADを外しただと…?ナメているのか?」

隼人がシルバーフィストを外したのを見て怒気を露わにする男。普通、魔法師はCADを介することにより素早く、また効力の高い魔法を発動させられる。逆に、CADを使わないで魔法を発動すると、なにか特別な資質でもなければ実戦ではまるで使い物にならない程度の威力の魔法しか発動できない。即ち普通の魔法師がCADを外すという行為は、自分の全力を出さないという意思表示になる。
しかし隼人は、そのなにか特別な資質を持つ人間だ。そのことを、男は知らなかった。

「ナメてるかどうかはアンタが判断しな」

その声を男が聞いたのは、既に懐深くに隼人が入り込んだときだった。驚愕に目を見開きながら慌てて回避しようと右足に力を込める。だが、突如銃声が鳴り響き弾丸が男の右太腿を撃ち抜いた。いつの間にかベレッタの引き金を引いていた隼人を睨みつけて、痛みで入れかけていた力が抜ける。回避を不可能だと判断した男は防御を選択した。
隼人のアッパー気味に喰い込んでくる拳を鞘で防ぐ。だが、その程度で筋力強化した隼人の拳を受け止めきれるはずなく、男は大きく後方に後退した。
ビリビリと痺れる両手に苦い顔をして追撃に備える。

「はぁッ!」

十数mの距離を一瞬で詰めた隼人の拳が振り上げられた。反射的に刀を体の前に構えると再び衝撃が刀を通して腕に伝わる。
続けて受けたら間違いなく負ける、そう判断した男は隼人の拳戟をなんとか掻い潜って距離をとった。
すぐに追撃しようとする隼人だが、男の魔法発動のほうが早かった。足が、途端に動かなくなる。

「硬化魔法か…!」

よく思われがちだが硬化魔法は物質の強度を高める魔法ではない。パーツの相対位置を固定する魔法だ。今回、この男は地面と隼人の足を一つのパーツとしてその相対位置を固定している。反射的に消失(デリート)で消し去ろうとするが、寸前で思い留まる。現在の集中力では、自分の足ごと消しかねなかった。それに、そんな猶予もなかった。加速して接近してくる男の足をベレッタで狙うが躱されてしまう。あっという間に懐に侵入され、刀の白刃が隼人の首を狩ろうと迫る。鋭い金属音が響き、純白の刀は漆黒の短剣に防がれた。

「くっ…」

鍔迫り合いの状態から無理矢理抜け出した男は身動きのとれない隼人に向かって縦横無尽に刃を振り始めた。隼人はそれをなんとか短剣で捌いているが、その得物は元々投擲用に作られたもの。例え技量が同等でも武器の得手不得手で差が出始める。
男の放った鋭い突きが隼人の手から短剣を弾き飛ばした。それに舌打ちを漏らして隼人は横薙ぎに振るわれる刀を屈んで躱す。

「おおッ!」

雄叫びに合わせて男が袈裟懸けに刃を振り下ろした。だがその瞬間、感じたこともない圧力が男を頭上から押しつぶした。
領域干渉魔法・歪重空間(グラビトン・エリア)。普段の数倍の圧力が加わった男は、耐え切れずに膝を折ってしまった。刹那、硬化魔法の支配から領域干渉で無理矢理解放された隼人のインステップ・キックが男の鳩尾に着弾し、そのまま壁まで吹き飛ばされた。

「ぐっ…!」

壁に激突した男は呻き声を上げてなんとか立ち上がった。肋骨の数本は確実に折れているためこれ以上の戦闘は恐らく難しいだろうが、男は戦うのを止めようとはしなかった。そもそも男が隼人と戦っているのは彼の主たる十字の道化師(クロスズ・ピエロ)のリーダーの娘の命令だ。彼女の命令は絶対。達成するか、死ぬか。そのどちらでしか命令を終えることはできない。そして男に与えられた命令は『侵入者』の始末。ここで立ち去れるはずがなかった。
だが、このままでは勝つことは不可能。ならばと、男は最後の足掻きをすべくブレスレット型のCADに触れた。
隼人が不穏な気配を察知して身構えるが、遅かった。

「凍てつけ…!」

サイオン光が煌き、薄暗い廊下が眩い光に覆われる。
あまりの光量に目を覆った隼人が次に見たのは、白く光る極寒の世界だった。

振動減速系広域魔法・ニブルヘイム。

キラキラと光るダイヤモンドダストに、隼人は顔を顰めた。

「ニブルヘイム…まさか、アンタがこれほどの魔法を使うとは思わなかったよ」

自嘲気味に笑った隼人は徐々に手足の感覚がなくなっていくことを感じた。だから、早々に決着をつけることにした。

「俺も、少し本気になったほうがいいか」

左手を前に差し出す。差し出した左手を中心に、黒い光が灯った。
刹那、肌を突き刺す極寒の世界の中で、男を強烈な熱気が襲った。

「ムスペルスヘイム」

瞳を見開いた隼人の口からその言葉が呟かれた刹那、氷と雷炎、二つの相反する力がぶつかり合った。
気体分子の振動を減速し、水蒸気や二酸化炭素を凍結させるのに留まらず、窒素までも液化させる領域魔法・ニブルヘイム。
気体分子をプラズマに分解し、更に陽イオンと電子を強制的に分離することで高エネルギーの電磁場を作り出す領域魔法・ムスペルスヘイム。
プラズマと冷気が、周囲を覆い尽くし互いを呑み込もうと荒れ狂う。恐らく、両者の能力が拮抗しており更に場所が屋外だったならば夜空には、少なくともこの街では見ることのできないオーロラが見れていたことだろう。
だが今回は、そのどちらの条件も満たしていなかった。
冷気が急激に収束を始め、プラズマが激しさを増した。
隼人と男。二人の干渉力は、圧倒的に隼人の方が勝っていた。だがそれは当たり前のことだ。サイオンを直接改変できるのだから、干渉力で隼人と同列に立つことのできる者はいても、勝てる者はいない。その人が、現代の魔法プロセスを使用している限りは。
ほとんど冷気など消え去ったところで、男は諦めたように瞳を閉じた。そして、轟音と同時に最大出力のプラズマが男を焼いた。

「…沙織さんの言うとおりだったか……この組織、一筋縄ではいかなそうだ」

地面に落ちている短剣を拾い上げて、隼人は未だ燃え盛る廊下を眺めた。
現在地は二階の階段付近。雫とほのかが捕らわれているであろう最奥の部屋はここから突き当たりにいった場所だ。人質の二人の救助を最優先としている今、ここからすぐにでもあの部屋へ向かったほうがいいのだろうが、まだ達也と深雪が来ていない。

「あの二人のことだろうから、なにも無いとは思うけど…」

深雪は天才だ。十師族の直系と同等、いやそれ以上の力を持っている。そして達也も、魔法の実技教科に手こずるものの、実戦の腕は恐らく本物だ。今まで隼人が相手取ってきた十字の道化師(クロスズ・ピエロ)の組員にあの二人が倒せるとは思えない。
だが、戦いに番狂わせの可能性とは常にあるものだ。確実に二人が負けないなんて確信はない。

「ーーあ、もしもし達也?」

そこで隼人が選んだのは達也への通信だった。自分の端末から達也の番号を探し出して電話をかける。
隼人の懸念に対して、応答は早かった。

「三階の殲滅は終わったけど、そっちの調子はどう?」

『ああ、こっちももう終わる。すぐそっちに向かうから待っていてくれ』

「了解。戦闘中に電話してごめんね」

そう。達也の冷静な声の後ろではまだ銃声が聞こえていた。だがまあ、焦っている様子はまるでなかったのだから電話しても問題ないのだろう。

「…さて、と」

溜息を一つ漏らして、隼人は後ろに手を振った。すると今まで燃え盛っていた炎が、空間の歪に吸い込まれて消えて行った。

「そろそろ決着つけようね、ピエロさん」

最奥に見える扉を見据えて、隼人は歩き出した。








ーーto be continuedーー 
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