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乱世の確率事象改変

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藍橙の空を見上げて


 洛陽の復興作業に携わって結構な日にちが過ぎた。
 とりあえず一通りは形になってきたのでもうすぐ平原に帰れる頃合いだとは思う。
 軍同士の洛陽復興に対する連携は、袁紹軍が指揮している事に不安や不満はあったが驚くほど上手く行った。ただ、曹操軍だけは対等な立場として別枠で動いてはいたが。
 朱里と雛里から政略関係の詳しい話であるとは聞いたが難しいモノで、これからは俺達も権力の使い方というのも学んでいかなければならないなと思い知らされた。
 そんな折、曹操軍は先に洛陽から引き上げ始めた。理由としては様々なモノが並べられていたが、きっといくつかが嘘である事は想像に難くない。
 マネして理由をつけて帰ろうとした諸侯は袁紹軍にうまい具合にここまでは終わらせてくれと時間が掛かりそうなモノから順に押し付けられて、治める地に何割かを返したりして対応していた。
 俺達も例外ではなく、朱里と桃香と愛紗、そして鈴々は平原の滞っているであろう政務の為に先に帰っていた。
 俺が残ると言った時、皆は反対したが洛陽の方にいい医者が居たので高度な治療を受けられるとの名目をつけて説得すると渋々だが了承してくれた。ただ雛里だけは目付け役として共に残ることになった。
 本当の理由は各諸侯の動向を観察したいが為ともう一つ、孫策か周瑜に会っておきたいからだった。これからの乱世のための密約を口約束でもいいから交わし、少しでも有利に動けるようにするために。
 しかし忙しい身なので時間など取れるはずもなく、間者や密偵がいる可能性も考え、他の諸侯の目も気になるので結局うだうだと時間を浪費してしまった。
 そんな事をしている内に一つの問題が起こる。
 袁紹と袁術、田豊と張勲の間で小さな諍いが起きた。聞くところによると余りに大きな無茶を押し付けられ両者の意見が分かれたとか。
 もしかしたら袁家内部の対立の兆候かもしれないと考えているとある日袁術軍は独断で兵をまとめてさっさと自国に帰ってしまい、それに合わせて孫策軍も機を得たとばかりに引き上げた。
 まだ本拠地移動も確実なモノではないのでそこまで焦る事でもないかと考えて今回は運が無かったと諦め、俺達も割り当て分をどうにか終わらせ、兵をまとめて洛陽での最終日を過ごす。

 †

 ふう、と一つ大きく息をついて天幕内の簡素な椅子にゆっくりと腰を下ろす。
「お疲れ様です」
 コトリと乾いた音を立てて机に茶が置かれ、持ってきてくれた女の子を見ると微笑みを返してくれた。
 その少女の服装は現代で言うメイド服。ロングスカートのそれは上品な彼女の雰囲気にぴったりと合っていた。
 彼女達の正体を隠す為にどうにか焼けていない洋服屋を探し、雛里に侍女用で二人の身体に合ったモノを選んできて貰った。
 何故メイド服がこの世界にあるのか、とはもはや突っ込む気力さえ起きなかったが。
「ありがとう、月」
 礼を言って湯飲みに口をつけ、程よい温かさのお茶を喉に送る。動き回って疲れた身体にゆっくりと沁み渡り、全身の疲労感がじわりと溶け出してくように感じた。
「ふん、味わって飲みなさいよね! 月がわざわざ淹れたお茶なんだから!」
 ミニスカートのメイド服の詠は、眼鏡をくいっと持ち上げてきつい言葉を投げつける。その裏には彼女なりの心遣いがある事はこの滞在期間で分かったが。
「確かに月の淹れてくれるお茶はおいしいもんな。詠もありがとう。それと二人ともお疲れ様。慣れない仕事ばかりで疲れたろう? 兵達はお前達の可愛さに癒されていたみたいだけど」
 言うと月は顔を真っ赤にし、へうと出会ってからよく聞く口癖を呟きながら頬に手を当てる。
「バ、バッカじゃないの!? 月は確かに可愛いけどなんでボクまで入ってるのよ!?」
 照れたのか詠も顔を赤く染めて怒鳴りながら否定してくるが、それを見て月はクスクスと上品に笑った。
「詠ちゃんは可愛いよ?」
 そんなわけない! と言い訳し続ける詠にまあまあと優しく諭す月。そんな二人の様子に和みながらお茶の時間を楽しむが、ふと外に人の気配を感じた。
「お疲れ様です秋斗さん」
 開け放たれた天幕の入り口からとてとてと雛里がこちらを労いながら入ってきた。
 彼女がここに来たのは朝の内に今日の仕事が終わったら行く場所があると呼び出しておいたからだ。いつものように自分の行いを心に刻むためだと彼女は分かってくれているようだった。
「ありがとう。雛里もお疲れさん。二人とも、これを着て少し俺と雛里の散歩に付き合ってくれないか?」
 立ち上がって服入れからフード付きの羽織を不思議そうに見つめる二人に渡す。
「どこ行くのよ?」
「洛陽の城壁の上。都を目に焼き付けておくために。俺と雛里は二人でも行くがどうする?」
 言うと二人の表情は少しだけ翳った。
 彼女達が長い時を過ごした場所。守りきれなかった街。
 そのままでもいいがちょっとでもけじめをつけて貰うためにと考えての提案。
「行きます」
 短く返事をする月は王の気を纏っていた。ああ、やっぱりこの子は強いな。
「……うん。ボクも行く。きっとしておくべき事だと思うから」
 哀しい瞳で語る詠の手を月と雛里がそれぞれ握る。
「一緒ですよ」
 優しく紡がれた言葉は詠の沈んで行く心を掬い上げたようで、ふっと息を漏らして穏やかな表情に変わった。
 それを見てから羽織を着た二人を連れて四人でゆっくりと目的の場所に向けて歩き出した。

 †

 斜陽が未だに工事の行われている都を紅く照らし出す。
 ここはあの時逃げ出した城壁。兵を見捨て、民を見捨て、たった一人の命を救うために駆け去った場所。
 街並みに目を落とすと所々に焼け果てた家屋が残っていて、それらを見ると自分達が巻き込んでしまったんだという想いが心を激しく責め立てる。
 どうして自分は救いきれなかった
 どうしてもっと早くから行動を起こさなかった
 どうして自分は全てを読み切れなかった
 どうして……ボクは皆を守れなかったのか
 幾多ものどうしてが思考を渦巻き圧しかかる重圧に涙が溢れそうになる。
 突然、二つの繋がれた手がぎゅっと力強く握りしめられた。
 驚いて交互に二人を見ると、瞳は哀しみに暮れていたが奥に宿る光は明るく、弱いボクを励ましているようだった。
 きゅっと唇をきつく結び、気を抜けば零れそうになる涙を抑え込み、眼下に広がる街並みをもう一度見回す事にした。


 しばらく四人で沈黙していると涼やかな風が一筋頬を撫でて、もうすぐ夜がくると優しく告げてくれる。
 心に圧し掛かる罪悪感の重圧を自分の中に溶け込ませていると、黒衣の男が一歩前に踏み出す。
 その背中は大きいはずなのに小さくて、確かにここにいるのに消えてしまいそうで、何故かひどく切なく感じた。
「ねぇ、秋斗。あんたみたいな奴がどうしてまだ桃香の所にいるの?」
 口を突いて出たのは聞きたかった疑問。
 劉備軍の誰一人としてこんな行いはしなかった。
 死者に礼を尽くして、自身の罪を確かめて、自分を責めぬくような事を。
 ボクの言葉に彼は幾分かの沈黙の後、こちらを見ずにゆっくりと語り始める。
「……思想や考え方ってのは完全に一つになる事は無い。誰もがそれぞれ譲れない矜持を持っていて、心に一本の線を引いている。己を守るために、誰かを守るために。乱れた大陸を救うために覇を唱えるモノは確実に出てくる。全てを先導する強大なる王は、万が一にも暴走した時にこの大陸を焼き尽くすだろう。その時誰が民を守る? 対抗するには違った思想が必要で、希望を与えるには別の王こそがそれを為せる。俺がここにいるのは世界を変えるためともう一つ、大陸の自浄作用を育てるためだ」
 話された事柄に驚愕を禁じ得なかった。なんというバカげた事を。どこまで先を見ての考えなのか。でもそれよりも……
「俺が自分で立てばいい、とそう思ってるだろう? けどもう出来ないんだよ。賽は既に投げられている。俺達の置かれた状況とこの大陸の現状から判断すると厳しい、それに桃香のように天性の才で人を惹きつけるような魅力もない。何よりも俺はこれまで繋いだ想いを裏切る事なんか出来やしないんだ」
 雛里の瞳が隣で絶望の色に染まる。
 きっと秋斗がここにいる発端は彼女にあるのだろう。最初はただ武力が高く、頭も悪くない奴だったのが予想出来る。
 ただ一つ違ったのは桃香の理想の穴を知っていたという事。その矛盾が彼を急激に成長させたのか。
 桃香を呑み込めるほどのモノへと。
 思考が積みあがっていき一つの解へと行き着いた。
 つまり秋斗は高祖劉邦と似た人物を作ろうとしているんだ。
 大陸を二分した過去を繰り返して、今まで出てきた間違いを治世で改善してより強固な平穏を作る。これから先に腐敗することが無いように新しいモノを取り入れて。
 対立した思想はどちらが正しいかを明確に民に証明するための手段であり、力のある権力者の存在を世に知らしめることが出来て、どちらが勝ったとしても治める王が非道で無い限り長い安寧をもたらす事が出来るだろう。
「じゃあ桃香がダメな時は?」
 可能性としては在り得るだろう。成長が間に合わない場合、大陸を統一できるほどの器で無かった場合、秋斗はどうするのか。
 しばしの沈黙が場を包み、何を考えているのか背を向ける彼からは全く読み取れなかった。
「……その時は俺に力を貸してくれないか?」
 振り向いてボク達を強い眼差しで見やり助力を請う。その意味は桃香を裏切ると言う事だ。幾多の想いを引き連れて、桃香の代わりに『劉備』になる、と。そのためならばどんな手段でも使うだろう事は予想出来る。
 大陸を変える王になる、その決意にはどれだけの覚悟が必要なんだろうか。
 三人の中で理解できるのは一人だけ。類まれなる王の資質を持つボクの親友なら、きっと秋斗の覚悟を全て理解している。
「秋斗さんが望む世界のために、私の智を振るいたいです」
 突然、雛里が声を上げる。
 ずっと秋斗を見てきた彼女は既に起こり得る可能性として想像していたはず。凛とした表情からは彼女の覚悟の大きさがありありと伝わってきた。
「私は支える事しかできません。ですが先の世の平穏を見るためになんでもお手伝いさせて下さい」
 彼に王の何たるかを説けるのは月だけ。成長を促す役になれるだろう。
「ボクも手伝うわ。言ったじゃない、平穏を作るまで支えてあげるって」
 言うと秋斗はふっと微笑んで空を見上げた。
 ボク達もつられて視線を移すと藍と橙が綺麗に入り混じっていて、その美しさに思わず見惚れてしまう。
「俺のこの罪深い行いの為にどれだけの犠牲が出るかは分からない。でもその先に誰もが夢見る大きな平穏があると信じてくれるか」
 哀しそうな、それでいて嬉しそうな呟きが空に消える。
 きっと秋斗は壊れる寸前で
 何かを信じていないともう持たないんだ
 本当は王になんかなりたくない優しい人なのに、それでも誰かを救いたくてたまらないから覚悟を呑んだ。絡まった責任の糸はもはや彼をその場から離してなどくれない。
 もう一つ、違う道だってあるのに。
「ありがとう、ごめんな」
 二つの言葉に込められた多くの想いを無言で受け取り、少し目を瞑って自身の心に刻み込む。
 ボク達は星がぽつぽつと瞬き始める空をしばらくの間眺め続けた。


 †


 秋斗さんと別れた後に月ちゃん達の天幕にお邪魔した。
「それで? 雛里はボク達になんの話があるの?」
 ふう、と息をついて寝台に腰を下ろした詠さんが尋ねる。
「……秋斗さんの見逃している事柄についてです」
 言うと真剣な表情になって二人は私を見つめて身体を乗り出し続きを促した。
「あの人が耐えられない可能性も考えておいてください。最近目元に隈が出来ているのは気付いておられると思います。心が擦り切れるギリギリなのかもしれません。なので耐えられないその時は秋斗さんを王とせず、誰かの元に行かせてあげたいんです。内側からの自浄作用の道も示してあげるのも一つの手だと思うのですがどうでしょうか?」
 例えば曹操さんや孫策さん。彼女達は一番秋斗さんに近いから共にやっていけると思う。
 言うと二人は驚いて、でも詠さんは感心したように頷いてから口を開いた。
「実はボクも同じ事考えてたわ。あいつなら、まあ袁家以外のどんな場所でもやってけるでしょ」
「でもそれをした時もあの人にとってはダメなんじゃないかな?」
 月ちゃんの言葉は鋭い所を突いている。
「きっと初めは拒否すると思います。でもあの人は他のどの王だろうと手段や過程は違っても目指す所は同じだと理解していますので、相手と状況によってはそういう道も考えてくれるかと」
「まあ、今後の周りの動きと状況次第って事よ。その都度あいつにボク達の考えを伝えて、平穏を作るための最善の方法を選択させるの。あいつが桃香にやってきた事をするだけ。秋斗の場合理想ばっかり見てはいないからそのくらいの判断はするでしょう。それとね、月があの時代わりにと頼んだのと同じ事よ?」
 二人で説明するとなるほど、と頷く。月ちゃんは秋斗さんに王の想いを託したからこそ楽になったはず。それと同じ事を出来ればあの人は救われる。あの人が壊れるなんて絶対に嫌……だからその時は私がなんとしても説得してみせる。
「ふふ、雛里ちゃんは秋斗さんの事が本当に大切なんだね」
 月ちゃんからの奇襲に思考の虚を突かれて硬直してしまった。
「あわわ……」
 頬が熱くなり、自分の心の中を言い当てられたことが恥ずかしくて思わず俯く。顔赤くなってるんだろうなぁ。
「もうダメ! 雛里ちゃん可愛い!」
 何故か彼女はそんな声を出して私をぎゅっと抱きしめてくる。私なんて全然で、月ちゃんの方が凄く可愛いのに。
「真剣な話してたのにどうしてこんな事になるのよ……まあいっか。月、ボクにも抱きしめさせなさい!」
「く、苦しいでしゅ……」
 挟まれて少し苦しかったが、二人の暖かさと、あの人を支える仲間が増えた事が嬉しくて、私は自然と笑顔になっていた。
 どうかこれから全てが上手く行きますように。
 桃香様も、朱里ちゃんも、愛紗さんも、鈴々ちゃんも、皆で平穏を作れますように。
 そんな祈りを胸にしばらく色んなお話をして、私は洛陽で過ごす最後の夜を満喫した。


 †


 ポトリと一滴、湯飲みに満たした水に眠り薬の雫を垂らす。
 波紋を広げるそれをじっと見つめて、落ち着いた頃に口をつけて一気に飲み干した。
 すると急な眠気が襲ってきて寝台にバタリと倒れ込む。
 ああ、これで夢を見ずに眠れる。
 渦巻く思考も黒く塗りつぶされていき、静かな寝息だけがその場所に響き始める。

 嘘を積み上げ、全てを騙し続けるその男は
 縛られた思考では、自身が重大な間違いを犯している事に気付くことは無かった。




 †







 一面が白の世界にてモニターを見る少女は独り言を呟く。
「二つの内、一つ目の収束点を過ぎましたが……もしかしたらこの事象は二重雑種(ダブルブリッド)ですかね。だとしたらもうすぐ分岐点が来るはずです。しかし三人目の適性者『徐晃』は中々ですね。初めての男ですし、何より『妲己姉様の尻尾』のおかげで他よりも長く外史に取り込まれずに済んでます。今回の虎牢関の時みたいに暴走しなければ存在定着率も安定させられるでしょうから問題ありません。……ふふ、せいぜい踊ってかき回してください」
 立ち上がり、大きく伸びをしてから振り返りパチンと指を鳴らす。
 現れたのは後ろ手に拘束された変態。禿げた頭に三つ編みの髪、筋骨隆々の体躯を覆うべき服は下着と呼ぶには余りにお粗末な物だけ。
「貂蝉、お前達旧管理者のせいでこんな事になってるんですよ? お前達が管理者としての仕事を守らなかった責任が私達に来たんです。
 クソみたいなバグである天の御使いの残滓がこれだけ外史に影響を与えたんです。分かってますか?」
「でも喜媚様、さすがに実数固定されるなんて――」
「思わなかった。そう言いたいんですか? バカですね。外史の分化は確かに大事ですが管理者のように大きな存在が関わったら異常な出来事が起こるに決まってるでしょう?
 まあいいです。この事象が上手く行ったら全てがひっくり返りますし。そろそろ目障りなんで消しますね。お前達のせいでこの男が苦しんでる事を重々理解して、行く先を見続けなさい」
 もう一度指を鳴らすと変態の姿は煙のように消えた。
 彼女はちっと舌打ちをしてモニターの前に座りなおし、男の選択の先を想像しながら口角を吊り上げ、嗤う。

 無限とある確率事象の中、ただ一つの可能性を求めて。
 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

改訂分はこの話にて終了となります。
明日からはペースが週一か週二くらいに落ちますが、
どうかエンディングまでお付き合いください。

ではまた 
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