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親子

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第一章

                       親子
 ずっとそうだと思っていてもそうではないことが世の中にはある。
 それは夏川慎太郎についてもだった、彼は幼い頃から両親にいつも可愛がられ大切にされていた。
 尋常学校だけではなく中学校にも高校にも通わせてもらった、家は呉服問屋で金があったがそれでも当時そこまで通わせるとなると結構な負担だ。 
 だが父の慎之介も母のトメも笑顔でこう彼に言うばかりだった。
「お金のことは心配するな」
「あんたはちゃんと勉強しなさい」
 こう言うばかりだったのだ。
「そしてこの店を継いでくれよ」
「それが私達がして欲しいことだからね」
「店も繁盛しているからな」
「気にしなくていいよ」
 実際に店は繁盛していて東京でも有名な店だ、そもそも老舗の店で江戸、元禄の頃から越後屋とも並び称される程の店であり続けている。
 今も店は賑わい実に大きな店だ、それで両親もこう言えたのだ。
 だが慎太郎はいつも親に可愛がられ何不自由なく育てられていることに感謝以上に申し訳なさを感じていた、それでだった。
 大学の友人である河北源吾にこう言ったこともある、今二人で蕎麦を食べながらであった。
 ざるそばをすすりだ、慎太郎が源吾に言った。
「僕はね、何かね」
「親御さん達に大切にしてもらっていることがね」
「感謝以上にね」
 その思っていることをありのまま話す、醤油と大根をおろした汁のそばつゆという江戸のそれでそばを食べながらの言葉だ。
「申し訳ないというかね」
「親御さんにそこまで思うのかい?」
「うん、何処か遠慮しているというかね」
 そうした感情を感じるというのだ。
「そんな感じなんだよ」
「親子で遠慮かい?」
「うん、そうなんだ」
 ここでまたそばを啜る、そばは江戸の実に美味い味だ。
 それは源吾も口にしている、だが慎太郎がそばを噛まずに飲み込むという江戸っ子の食べ方であるのに対して彼は噛んでそれから食べている。
「どうもね」
「ふむ、それはね」
「それは?」
「おかしな話だね」
 源吾は考える顔で慎太郎に述べる。
「親子の間こそは最も遠慮の必要のない間柄だからね」
「普通はそうだよね」
「うん、普通はね」
 そうだとだ、源吾は慎太郎に述べる。
「僕はそう思うよ」
「僕もだよ、だから僕達の関係はね」
 それはというのだ。
「妙に思ってるんだよ」
「そうだろうね、それで親御さんのお顔だけれど」
「顔?」
「君はどちら似かな」
 源吾は慎太郎のその顔、呉服屋の後継というよりは学者めいた整いを見せているその顔を見て問うた。細く白面で唇は薄い、そして睫毛はやや長い。普通程度の背丈の身体つきもほっそりとしている。それに対して源吾は剣道をやっているせいかしっかりとした体格で髪は短く刈っている。目の光は強く顔は四角く眉も太い、横幅も結構ある長身だ。
 その彼がだ、慎太郎にこう問うたのである。
「一体」
「父さんか母さんか」
「そう、どちらかな」
「ううん、そう言われるとね」
 慎太郎はそばを食べる手を止めて思索、検証のそれに入った。そのうえでの返答はというと。
「父さん似だね」
「成程ね」
「うん、母さんには似ていないね」
 そうだというのだ。 
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