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乱世の確率事象改変

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理想の先と彼の思惑


 夜襲を受けた朝早くに袁紹軍が虎牢関を攻略したという報告が入った。
 呂布率いる董卓軍は何故か関を放棄していたらしく攻略時に被害はなかったらしい。
 袁紹軍は即座に馬超軍と公孫賛軍に追撃を呼びかけ二つの軍はその機動力を生かして呂布隊を追った。
 連合は呂布隊の追撃に向かった馬超軍と公孫賛軍の帰りを虎牢関にて待っていた。

 †

 普段はあまり口にしないようなきつい味の酒を舌の上で転がし、コクリと静かに嚥下した。
 一人で飲む酒は、やはり不味い。如何に夜天に輝く夜空が綺麗であろうと、俺には喧騒の中、もしくは誰かがいる空間でしか美味くは感じられないようだ。
 今は共に杯を傾けられる星も白蓮もいない。愛紗は……気を使ってしまい誘う事が出来ない。
 寂寥に心を鎮めながらも、それでも月を肴にただ酒を煽る。自身の心を少しでも誤魔化せるように。
 今は誰もが眠る時間帯。空にある月はただにこやかに俺を笑うだけ。
 ふいに人の気配がして後ろを振り返るとそこには桃香がいた。俯いているのと夜の暗さで彼女の表情までは確認出来なかった。
 気にせずに警戒を解き話しかけてみる。
「よう、こんな時間まで起きてたのか。しかもこんなはずれに何しにきたんだ?」
 陣のはずれの見晴らしのいい所に俺は一人座って酒を煽っていた。
 俺の問いかけには応えずに、彼女は無言で隣に座る。
 別に快活な返答は求めていなかったがさすがに無言で返されると寂しい気持ちになった。
「私は……わかってなかった」
 数瞬の間を置いて突然放たれた独白。だがこちらも何が、とは聞くつもりはない。
「三人が死にかけて初めて怖くなったんだ。大切な人を失うっていうことが」
 俺は無言で酒を煽り続きを待った。
 無言の時間は不思議と心地いい。
 聞いてみよう。見せて貰おうか。お前の成長を。

 †

 虎牢関の戦が終わった後、私はひとしきり泣き、絶望の淵に堕ちた。
 明ける事が無いと思われた長い夜は無情にも光に包まれたが、それでも自分の罪は消えない。
 次の日、軍に指示を出していたが朱里ちゃんと愛紗ちゃんに心配され、休んでいてくれと頼みこまれた。
 天幕にいてもずっと眠れずにただ思考だけが巡り何度も叫び出しそうになったが無理やり抑え込み、しかしその間もずっと罪悪感と後悔が頭を支配していた。
 人の声がまばらになり、気配が無くなり、また深く昏い夜が来た。気付くともうすでに夜遅くになっていたようだ。
 誰かに会いたい、けど誰とも会いたくない。矛盾した想いが綯い交ぜになって心と思考を支配し始める。
 結局一人でいることに耐えきれず、いてもたってもいられなくなって天幕の外に出た。
 出た途端に皆はもう寝ている時間だと当たり前の事に気付き自嘲の笑みが零れる。
 少し一人で歩こう。
 そう決めて陣の外に出ようとしたが警備の兵が私を止める。
 行くならあちらにと指差された先には一つだけ地に座る小さな人影があった。
 それは今一番会いたくない人だった。
 虎牢関の戦いで一番傷を負わせてしまった人。
 私の苦手な人。
 でも何故か私の脚はそちらに向かう。
 近づくと掛けられたのは優しい声だったが、返答できずにただ隣に腰かけた。
「私は……わかってなかった」
 少し間を置いて思っている事が無意識に口を突いて出る。
 結局自分は誰かに話したかったんだという浅ましい気持ちに笑いそうになるが抑え込んだ。
 その人はこちらを見ようともせずに無言で月を映したお酒を見つめていた。
「三人が死にかけて初めて怖くなったんだ。大切な人を失うっていうことが」
 続けても静寂しか返ってこなかった。
 何も言わずにグイとお酒を煽り私が話すのを待っているように見える。
 自分の言葉がただ流されるだけの落ち着いた空気は不思議と心地よく感じてきた。
「私は兵の気持ちも、戦って殺してきた人の気持ちも背負ったつもりになってた」
 失いかけて始めて気付けた。自分の行ってきた事の罪深さに。
 子供だって理解している簡単な事を分かっていなかった事に恐怖と後悔が押し寄せる。
「命じるだけで私は何もしていない。付いて来てくれる人の死を背負ったつもりになってた。殺された敵兵の人達もただ悪い人に従っていただけの罪のない人達だった」
 溢れ出した言葉は止まらない。しかし涙はもう枯れ果ててしまっていた。
「理想を語るには責任が足りなかった! 私の理想のために死んだ人たちにも大切な人がいたのに、私はその人たちから奪ってしまった! 私の理想は……その人たちから笑顔を奪ったんだ!」
 自然と声が大きくなっていた。やっとその人はこちらを向いてくれて目が合う。
 こちらを見る黒い瞳は私を責めている様には見えなかった。
「そうだ。……お前は、お前の理想は人の笑顔を奪っている」
 繰り返された言葉は胸の深い所まで突き刺さる。この人は最初から分かっていたんだ。私達のしている事の罪深さを。
「……私の理想は……皆が笑顔で暮らせる争いの無い世界。笑顔を奪って……このままじゃ――」
「迷うなよ? お前は自分で考えて答えを見つけろ」
 自分が言葉を続ける前に突き放された。甘える事は、立ち止まる事は許さないと言うように。
「お前は答えを知ってるはずだがな」
 次にその人が放った言葉は意外なものだった。
 私が答えを知っている? そう言われて思考に潜る。
 私の作ろうとしている世界には犠牲になった人たちとその人を想っていた人達の笑顔がない。
 きっと怨んでいることだろう。きっと憎んでいくことだろう。
 その悲しみに耐えきれず自ら命を絶つ人もいるかもしれない。
 憎んで怨んで人生を終えてしまう人もいるだろう。
 親を奪われた子供は、愛する人を失った妻は、信頼する友を失った人たちは……。
 私達は恨みも憎しみも受けてしかるべき事をしてきた。
 その人達を私達では幸せにできない。
 誰も争わなかったらこんな事にならなかったのに。
 皆で手を繋げたなら犠牲も何もなかったのに。
 一人じゃ何もできない。私達だけじゃ理想の世界は作れない。
 そこで一つの卑怯な考えが頭をよぎる。
「……私達がダメでも共にいる近しい人なら笑顔を作れる」
 紡いでその意味を明確に理解する。これは他力本願の責任放棄だ。
「そうだな。奪った幸せは戻らないが人それぞれ新たな幸せは探せるな」
 私達では傷つけてしまった人に笑顔は作れない。なら他の人に笑顔にしてもらうしかない。
「私達は怨まれても憎まれても争いのない世界を作るしかない。その人たち個人で違う幸せを見つけて貰うことしかできない」
「傲慢なことだ。罪深く、愚かしい。お前の描く理想の世界はお前自身の手で作りたいんじゃないのか?」
 心に言葉の刃が突き刺さる。しかし思考を続ける。
 私だけで作れるなんて考えた事はない。愛紗ちゃんや鈴々ちゃん、皆がいて初めて作ろうとできた。
 そうか、私達は理想の世界の土台を作る事しかできない。
 皆で手を繋いで、そうして初めて理想の世界は作れるもの。
 手が震える。私は殺された人の家族に手を繋いでくれと言おうとしていたんだ。自分勝手に相手の気持ちも考えず、そこにあるであろう感情も無視して。
 そんなバカな事を本気で考えていたんだ。
「私は皆で作ろうとした。その輪を広げたらいけない事なのかな?」
「俺に聞くな。その先を見据えて自分で考えろ」
 再度厳しく突き放される。
 私は土台を作り、後の世の中までその想いを繋げないといけない。
 そうすればいつか理想の世界になっている。力を行使した私にはそれしか方法はない。
 いや違う。それこそが私が掲げた理想の世界を作るという事。
 争いが起こるのを止めて、もう同じ事を繰り返さない世にするということ。
 誰も今以上に傷つかないようにして、そこからやっと初めの一歩を踏み出せる。
「私たちは理想の世界を見る事はできない。けど想いを繋ぐ事はできる。……私達は命をかけて理想の世界の足がかりを作る」
 確固とした答えに行き着く。今の世の中じゃ到底足りないし私達にその世界を生きる資格はない。
 怨みが、憎しみが途切れた時に初めて優しい世界が作られる。
「お前はそれでいいんだな?」
「……立った時点で気付いているべきでした」
「……そうだな。それがお前の理想の本当の姿だ」
 その言葉に一つの疑問が浮かぶ。
「……秋斗さんは最初から分かってたの?」
「ああ、矛盾に気付いていたし理想の穴も知っていた」
「じゃあどうして――」
「他人から言われた理想を掲げるつもりだったのか?」
 私がこの答えに行き着く事を信じてくれていたのか。
 私が自分で見つけなければ責任も何もない。誰でも掲げられるまがい物の理想に成り果ててしまう。
 だからこの人は私達に壁を作って気付くのを待っていてくれたんだ。自分の責任は自分で取れと強く教えてくれたのか。
「でも秋斗さん、あなたはそれを知っていてどうして私の代わりに立とうとしなかったんですか?」
 これが一番おかしい。私が辿り着く答えを知っていたならそれもできたはずだ。
「お前が見つけた理想はお前だけのモノ。俺にはそんな理想は考えつかなかったし、ただその先が見えただけだ。設計図を見て完成品を予想したってところだよ。これで設計図を描いたのは桃香で完成させたのも桃香自身だ。この尊い理想はもう桃香だけのモノだ。それと……よく苦しみながらも、悩みながらも自分で見つけられたな。やっぱり桃香はすごいよ」
 言われて私は初めてこの人の凄さを知った。優しく、厳しく、暖かい。雛里ちゃんが好きになるのもわかる。
「……私はまだまだあなたの上に立つには未熟です。それでも、私にこれからも力を貸してくれますか?」
 口を突いて出たのはそんな言葉。
「一つ聞いておきたい。力で奪っていく事も辞さないんだな?」
 返ってきた言葉は現実を突きつけるモノ。力がなければ守る事も話し合う事もできない。答えはすでに胸の内にある。
「必要なら力を行使します。守る為に。でも話し合いで解決できるならそうしたい。私には誰かと手を繋げる可能性を最初から否定する事は出来ないよ」
 これだけは譲れない。私の理想を叶えるのは力だけじゃないんだと証明したい。
「……今まで散々殺してきたくせにそれを言うのか?」
 自分の矛盾した答えに反論があがる。今まで殺して来た人達に言われるだろう。自分達は殺したくせに他は生かそうとするのか、と。
「向けられる恨みと憎しみを受ける事は私に与えられた責任です。矛盾を飲んで尚、私はその道を進みます。それに無駄な争いをしなくてもきっとわかってくれる人もいます」
 その言葉を聞き彼は月に高く杯を掲げてから飲み干し、少し笑って言葉を発した。
「……クク、桃香らしいな。なら今まで通り力を貸そう」
 きっといつかこの人の上に立つのに相応しい王になろう。
「ありがとう。これからもよろしくね、秋斗さん」
「ああ、よろしくな。桃香」
 そう言い合って新しい覚悟を胸に私は戻ろうとしたが背中越しに声を掛けられる。
「桃香、他の者に話すかどうかはお前が決めろ。ただ話すならお前は誰かから刃を向けられても文句は言えない。それを頭にいれて十分に考えてから話せ。説き伏せられたならお前の想いの証明になる。それと……今日はゆっくり寝ろよ?」
「うん。ありがとう秋斗さん」
 本当に優しい人だ。私はこの人からもっと学ぶことがある。
 自分の理想を確固たるものに出来た私は皆にどう話そうか考えながら自分の天幕に戻った。




 桃香が去った後、握りしめすぎて手に持っていた酒瓶が乾いた音を立てて割れた。
 近しい者が死にかけて初めて気付いただと?
 行き場のない怒りが自分の心を焦がす。桃香の話を聞いている途中で感情を叩きつけそうになるのをひたすらに堪えていた。
 自分の生きていた時代と違うのは分かっていたが今更価値観の違いに愕然とさせられた。
 荒れ狂う心を鎮め思考に潜る。
 桃香は思想家だ。本来なら乱世に立つべきではなかった。血に汚れてはいけなかったんだ。
 その理想を人に説き、ただ広める存在でいるべきだった。庶人の心に根付いたそれは今の時代では大きな力と希望になっただろう。
 だがなんのいたずらかこの世界ではそんな者が劉備になって義勇軍まで作っていた。後には引けない状況になっていた。
 乱世において王が語るべきではないその理想を説いてしまっていた。
 ならどうするか。
 矛盾を飲ませて無理やり立たせるしかない。
 選んだのは自分自身なのだから周りに責任転嫁してはいけない。
 自分で消化して、自分で考えて、自分で悩んで初めて王としてその責を背負う事ができる。
 笑われても、蔑まれても、憎まれても、怨まれても、自分と他者の哀しみを理解したそれを死ぬまで貫かせる事。
 やっとあれはスタートラインに立った。
 これでやっと理想を語る王としての覚悟を持てた。殺しという究極の理不尽を行っていく事の責任感を持たせられた。 王として確立されたと言える。
 だが……桃香はまた自分の言っている事に気付いていない。
 力を持って臨んだならそれは話し合いではなく交渉や脅しだ。言い方一つ違う言葉遊びだ。
 結局、理想からは覚めきれず桃香はお綺麗なままか。
「度し難いな」
 自嘲の気持ちが溢れ、誰に言うでもなく口から言葉が一つ零れ出た。
 効率が悪い。本当に。
 だが一番のクズは俺だ。乱世の結末を知っているくせに止めないのだから。
 乱世を手っ取り早く終わらせることはできる。この戦の後桃香は出世するだろうから曹操に従わせればいい。そうすれば乱世は早く終えられるだろう。
 正史の曹操ならお断りだがこの世界の曹操は黄巾の時に接触して、噂や行いでも分かったが統率者の理想像だった。虐殺など間違ってもしないだろう。
 だが桃香は曹操には従わない。いや、従うことが出来ないというのが正しい。
 桃香の理想とこれから曹操が行うであろう覇の道は水と油だ。
 どちらも引く事が無いから必ず戦う事になる。
 俺の目的は三国後の蜀の勝利にあるから問題ない……しかし世界改変などとバカげた任務のために乱世を伸ばそうとしている事は許されるモノではないだろうな。
 ただ長い乱世にもいい所はある。
 この時代の民達は圧倒的な力を持って乱世を治めた支配者を頼り、それによって治世が長く続きやすくなる。それはこの大陸の歴史が証明していることでもある。
 治世になれば桃香の思想を民にも権力者にも根付かせ、法と規律と徳によって秩序を守り、欲に遁走する者を行き過ぎる事のないように縛れる。
 朱里と雛里がいれば大本はできるだろう。他の勢力の者も傘下に入るのだから上手くいくはず。
 曹操を丞相に置くことが出来たなら最高の形だが。
 桃香という庶人の希望と曹操という反乱分子の抑止力、どちらも長い平穏には欠かせない。
 ……ここまでにしておこう。この世界は完全な三国志ではない。
 ここでは何が起こるか完全にはわからないから元居た世界の常識にとらわれ過ぎてはいけない。
 だがここまでの流れから見るに人物が違っていても大局は変わらない気がする。
 まあ俺はどんな事が起ころうとも理想的な形に持って行けるように動くだけだ。
「これは俺だけが背負うモノだ。誰にも背負わせるわけにいかないな」
 言葉に出して覚悟を確認する。
 俺が桃香に出会ったのもあの腹黒幼女の意思だろう。世界改変のために無駄な事はしないはずだ。
 呂布戦の時、何故か繋がった白の世界でのあの女の独り言はノイズが入って全く思い出せない。
 ただ、俺があの時死ななかったのはこの選択が正しいからだろう。
 思考を重ねているうちに幾分か昏く燃えたぎっていた感情も落ち着いた。
 俺は掌を滴る血を服で拭う事もせず立ち上がり、ゆっくりと天幕に帰る事にした。


 †


「それで桃香様が変わってたんですか」
 夜に天幕を訪ね、秋斗さんは寝台に、私は横の椅子に座っている。
 まだ倒れてから日が経っていないのに昼間から自分が問題ない事を軍に見せる為に無茶をしていた。今は少しでも楽にしていて欲しくて無理を言って寝台に寝て貰った。
 秋斗さんから説明された事は納得のできるモノだった。
 夕方に桃香様から話があると言われて私と朱里ちゃん、愛紗さんと鈴々ちゃんが天幕に呼ばれた。
 そこで話されたのは自分達の理想の最終目的。「私は理想の世界の礎になろうと思う」と言った時の桃香様にはすごく 惹きつけられたと同時に安堵した。
 朱里ちゃんも愛紗さんも桃香様から話を聞いて大きく変わった。皆も薄々はどこか違和感を覚えていたようで桃香様の答えはすっと胸に落ちたようだった。
「ここで気付けてよかったのか悪かったのか。まあやっと王としての基礎が固まった。愛紗や朱里も納得したようだし上々だな」
 力を持って対等の立場になってから相手と対話をする。それが今の桃香様の言う話し合い。
 力を振るう自覚と責任を持った桃香様はこれでやっと本当の王になったと言える。
 この人は救われたんだろうか。その背に背負うモノを少しは軽く出来たんだろうか。
 見つめていると目が合った。その眼はいつもと違う昏い色を映している。
 もう一人で背負わなくていいはずなのにどうしてこの人はこんなに哀しそうなんだろう。
「し、秋斗さんはどうしてそんなにお辛そうなんですか?桃香様も皆も気付けたのに」
 押し寄せる不安に胸が締め付けられ疑問を素直に話す。
「……雛里はこの乱世の向かう先が読めるか?」
 返ってきたのは辛そうに見える理由ではなかった。教えてくれなくて少し悲しい気持ちになる。
 乱世の向かう先、今回の戦が起こった事から予測される先の展開はどうなるか。
「……権力争いから始まったこの戦によって漢王朝の存在意義があってないようなものと認識され諸侯同士による群雄割拠の大陸になります」
「そうだな、各諸侯による勢力争い。己が力を誇示し、この大陸を自分達の手で治めようとするもの。今回起こった反董卓連合の件しかり、諸侯達の野心は抑えられないもんな。そこで俺達はどう動くべきだ?」
 私達が動くべき道筋はどんなものなのか。予想されるのは――――
「侵略に対抗する事と勢力を広げる事……ですが各諸侯共に野心旺盛な今、弱小である私達はすぐに呑まれてしまいます」
「今回の戦での功績を見て少しは出世できるとしてもまだ足りない。その時俺たちはその侵略者に降伏するべきか否か」
 一番民と兵の被害が少なく抑えられる方法だが侵略を是としてしまっては桃香様の理想の行く先は見れなくなるし潰えてしまう。
「逃げて助けを求め他の所で再起を計るか目的の近い諸侯と盟を結ぶかのどちらかを選ぶ事が最善かと」
「うん。きっとそうなるだろうな。ただ逃げた後で再起を計っても力が均衡した相手と同盟を結んで乱世を終わらせようとするだろう。桃香の理想のためには守る戦しかできないから。手を取り合ってとはそういう事だ」
 その言葉にゾクリと背筋に悪寒が走る。この大陸の行く末と私たちの行く末を確信を持って話している。軍師でもないはずなのにこの人は私の読みを越えているのか。
 この人は……何を目指しているんだ。それよりも――――
「秋斗さんは……守る戦だけでは足りないとお思いですか?」
「……逆に聞くが雛里は同盟などという甘ったれた現状維持でこの弱り切った大陸に長い平穏を与えられると思ってるのか?」
 凍りつくような厳しい言葉。向けられた昏い目はいつものこの人のものではない。その色は絶望と哀しみと憔悴。こんな目は私に対して初めて向けられた。私は恐ろしく思いながらも目を逸らせない。
 同盟とはお互いに牽制し合い監視し合う事も意味している。いつかは破棄されることもあるだろう。
 私たちは次の世に平穏を繋げたい。それなのにそんなものを残しておくなんて……確かにできない。
「自分の治める地域だけじゃダメだ。大陸を呑みこんでこそ、大陸全てに桃香が掲げたモノが一番力を持ったと示してこそ初めて長い平穏が手に入る。庶人も権力者達も納得し、ついて来てくれるだろう。しぶしぶ従うような、負けを認めない愚か者はどうせいつか裏切るし反抗する。次の世代に争いを引き延ばそうとするだろう」
 確かに統一すればまとめ上げた後で欲に走るものが出ても抑えやすい。
 中途半端に妥協してしまうのは愚の骨頂。相手が善政を敷いていようとも従ってもらう事が一番だ。
 それぞれに任せるでなくしっかりとした統一を行わなければ時が流れると格差が大きくなる。開いた格差は新たな野心を生む。
 次の世代が争わないように出来る限り動く、やりきるとはそういう事だ。
 だからこの人は辛そうだったんだ。
 桃香様が持った覚悟が未だに不完全だから。
 この人と一緒に矛盾を背負うと言った自分が愚かしい。私は何も分かっちゃいなかった。
 私の目を見つめていた秋斗さんは突然いつもの優しい瞳に戻った。
「ごめん、今の話は忘れてくれ」
 瞳の優しさとは反対に哀しい声で紡がれたその言葉でも私の思考はもう止められない。
 どれだけ、この人はどれだけ先を見ているのか。
 私達と全く違う思考。この軍に、桃香様の元に所属していて何故その考えに至る事ができるのか。
 そうか……誰よりも一番桃香様の理想を理解しているからこそ必要な事が見えているんだ。
 今の命よりも先の平穏を。
 先に生きる人々から争いを奪うために。
 また……私は甘い理想に溺れそうになっていた。
「いいえ、忘れられません。私は……また間違いました。私にもっと秋斗さんの考えを聞かせて欲しいです。一緒に背負わせてください」
 もっと知りたい。この人の事が。この人の思考が。少し面喰った顔をしてから真剣な表情で秋斗さんは話し始めた。
「……俺の一意見だが、お前達の優しい論理は人を信じていればこそできる尊いモノだと思う。本当ならお前達が正しいだろう」
 私たちの論は人の本質が善だけならばの話。上手く行った時の事しか見えていない理想論だと今なら思える。
「でも人の欲を抑えきるのは心と、他にも必要なものがある。統一された法と規律での秩序が必要だ。その決められた線の中で初めて心、徳が意味を為す。
覇だの徳だのと拘っていたらいけない。どちらも持って初めて本当の平穏は手に入るし乱世でもそれは同じだ、と俺は考えている」
 自分の価値観が壊されていくのが分かる。天井が抜けて青空が覗くように、見ていた世界が広がっていく。
「秋斗さんは、もしかして桃香様とは違う理想を持っているのではないですか?」
 ふと聞いてみたくなった。このような思考を持つ人が私達と同じだというのはおかしい気がして。
「……俺は始まりに多少の格差はあろうとも個人の努力の度合いによって人それぞれが自分の幸せを安心して探せる平穏な世界を望む。身分や血筋ではなく才で評価され、才あるモノは民のためにそれを振るう。守られているだけではなく民にも才伸ばす機会が与えられ、皆で法と規律による秩序の中で競い合い助け合い成長し合う。俺が王ならそんな世界が作りたい。理想じゃなくてこれは目標だけどな。これは桃香の理想の通過点になるか」
 本当に困難な道だがギリギリ手が届く範囲の目標を語る。この人らしい。
「それと……関係ない話だが人の心は変わるモノと思っているんだがそれが必ずしもいい方向に行くとは思えない。いい人もいれば悪い人もいる。それにいい心も悪い心も、どちらも併せ持ってこそ人だと俺は思う。だから信じるだけじゃ危ういんだ」
 言われて思い出す。私はこの人と出会った時にその事を教えて貰い乗り越えられた。
 この人はあの頃から何も変わってはいない。それが少し嬉しく思う。
 同時に私は衝撃的な事に気付いてしまった。
 この人こそ王に相応しいと。
 命の取捨選択を行う覚悟を飲み、大陸の未来を見据え、民のために尽力し、桃香様でさえ導き、理想と現実との格差を説き、人の清濁を理解して注意を喚起し、全てをかけて平穏な先の世のために動くこの人は十分に王足りえる。
 しかし問題が二つ。
 一つは自分で立つつもりが無いこと。この人は自分に対する評価が驚くほど低い。桃香様の成長を待っているという時点でその上をいっているというのに。
 もう一つはこの人自身がその本質を隠していること。桃香様に影響を与えないようにわざと自分の考えを殺している。皆に知られていないだけでこの人に付いていこうとする人は大勢いるだろう。
 徐晃隊などがいい例だ。密かにこの人の事を『御大将』と呼び、副長さんは自分の主は徐晃将軍ただ一人だと公言している。規律の緩いこの軍でこそ許される事だが。
 私が勧めたらこの人はご自分で立ってくれるだろうか。
「雛里、王として掲げるべきなのは桃香だ。俺はただ一振りの乱世に振るわれる剣だ。民の希望の標は桃香こそがなり得る」
 私の考えている事を先読みされて驚愕する。
 恐ろしい。だがどこか安心感も感じてしまう。最初に私の悩みを聞いてくれた時のような。
 この人は自分で気づいてる。自分がどんな話をしているか。自分がどんなモノかも。
 きっとこの人はこの先も心を砕いて待つんだろう。自分を抑えて耐えるんだろう。
 もう賽は投げられている、だからこの人の覚悟は変えられないし変わらないということ。
「ごめん」
 その短い謝罪にはいろいろな想いが詰められている。
 悲しそうな目をしないで欲しい。
 私にこの人は救えない。
 この人はそれを望んでいない。
 私は何もできない。
 桃香様に引き合わせてしまったのは私だった。
 耐える事を強いてしまった原因は未熟な私のわがままだった。
 この人は軍に入る事を拒んでいたのに。
 最初から桃香様の理想の本質を見抜いていたこの人は他の王に出会えていたならここまで耐えなくてもよかったのに。
 後悔と自責に押しつぶされそうになり涙が零れだした私の頭をいつものように撫でてくれる。
「ごめんなさい。私のせいでこの軍に」
 耐えられなくなってつい零れてしまった。謝ることで時が戻るわけではないのに。
「……俺は俺の意思でここに入った。だから雛里が謝る必要はないよ」
 そうやっていつもこの人は全て自分で背負っていく。
「雛里がいなかったら俺はきっと潰れていた。いつも支えてくれてありがとう」
 その優しい言葉に耐えきれなくなり抱きつく。
 私はこれからこの人が壊れないためになんでもしよう。
 引き込んでしまった責任はそれで許されるわけじゃないけど。
 心の内にそう決め、今は秋斗さんの優しさに包まれている事にした。

 
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