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或る皇国将校の回想録

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幕間2 弓月兄妹と学ぶ〈帝国〉史

 
前書き
この話の登場人物
弓月葵 弓月家長男 若手外務官僚

弓月碧 弓月家三女 十代半ばの少女
 

 
皇紀五百六十八年 六月 某日 某時刻 弓月家上屋敷第二書斎
弓月家長男 弓月葵


 故州伯爵・弓月家長男である弓月葵は一人、書斎の中で深い溜息をついた。
彼は今年から外務省条約局の通商課の一員として近日、頭を痛める日々を送っていた。
<帝国>水軍の海上封鎖対策やら、アスローン経由の<帝国>情勢の収集など外務省も天下の忙しなさに外れる事はなく終わりの見えない戦時体制に組み込まれている。
久々の休みではあってもどうにも持ち帰った資料の通読をしないと落ち着かないくらいには明日の仕事をこなすのに必死にならざるをえない日々である。
――まぁ豊久さんよりはマシか?あの人も義兄になれるように戻ってきてほしいものだ。
一通り目を通した書類の束を机にしまい、鍵を掛けて葵はぼんやりと窓の外を眺め聯隊のどうにか形にしようと四苦八苦しているであろう男に思いを馳せる。
死んだものと思われた時にはあの(・・)姉が涙を見せるなどという十数年ぶりの光景を目にする羽目になったのも記憶に新しく、できれば二度と観たくないと心底思ったものであった。
「御兄様。いらっしゃいます?」
 どうにもならない戦争と言うものへの恨み言を遮るように幼さを残した声が葵の耳に届く。
「碧か、珍しいな。何の用事だ?」
 そう云いながら扉を開いた先には弓月家の末女である碧がちょこんと立っていた。
「失礼、入れていただけますか?」

「あぁ、少し待ってくれ。一応片付けとくものがあるからな」
 役所仕事は形式主義と言われるが、中には必要な万が一を潰す作業も含まれている。
とりわけこうした機密の扱いはそうした形式の本義を知ってこその官吏である。




「で、何の用かな?いつもなら姉さんのとこにでも行っているだろうに」

「あら、折角のお休みなのに部屋でお仕事していらっしゃると聞いて見舞いに来た兄思いの妹ですのに、酷い言い草」
クスクス笑いながら碧は兄が手で示した安楽椅子に腰かける。
「〈帝国〉語の家庭教師の方がお止めになったでしょう?」

「通詞の仕事で徴用されたらしいな。時間があったら代理位はできたのだが」
 <皇国>軍はあれこれと必要な人材を法律家から板前まであれこれと掻き集めている。
当然ながら<帝国>語に堪能な者も例外ではない。

「で、自習用に御父様から本をお借りしてたのだけど良く分からないの」
 碧が拗ねたような口調で差し出した本を葵は懐かしそうに開いた。
「ん?あぁツァルラント大陸史録か、懐かしいな。良い歴史の入門書だけど、語学の入門には向かないだろうな」

「御父様は良い本だっておっしゃってたわ。御兄様だって昔は読んでいらっしゃったじゃないですか」

「そりゃぁ僕は外務省に入庁する前は史学寮で大陸史を学んでいたからな。
〈帝国〉語は〈帝国〉語でも史料を読む勉強用だよ」
頬を膨らませた妹に笑いながら云う。
「あぁ、待っててくれ。良い本を見繕ってみよう」

「ありがとう、御兄様。それと――これの内容、教えて下さる?」

「〈帝国〉史に興味があるのか?大半は戦争と内戦の話になるぞ」
 ――ただでさえ物騒な世の中なのにこれ以上物騒な歴史を学ぶ意味があるのか?
拗ねた思いが脳裏を過ぎるが葵はそれを即座に打ち消した。
――あぁあるとも、あるだろうさ。少なくとも愚かな憧憬を持つよりもそこへ至るまでの合理性とその結果が齎す愚かしさと愚かしさを知った者達による変革の訪れを知り得ることが出来る。
「そうですね、でもこの御時世に小説の書かれた年数やら歌集の作家の名前やらを暗記するよりはマシでしょう?」

「そうか?まぁ学んで損はないと思うが――1日で終わるものでもないし、簡単に歴史の概略だけでいいな?」

「はい、よろしくお願いしますね」

「ん、まずは〈帝国〉に関する基礎知識はどの程度ある?
〈皇国〉と開戦するまでの歴史だぞ?」

「〈皇国〉北方、ツァルラント大陸に存在する〈大協約〉世界最大の国家でその歴史は〈皇国〉よりも古い。
広大な国土は、西方諸侯領・本土・副帝家が統治する東方辺境領にわかれ、ロッシナ家による帝室の支配が行われている――」
 語尾を濁しながら碧はそっと目を泳がせた。
「そこで挫折したのか」
兄の笑い声に碧は拗ねたように唇を突き出した。
「だから教えていただこうと思ったのに、酷いわ」

「それは失敬、それでは簡単な基礎知識から始めよう」
 そう云うと葵は<皇国>地学院発行の〈大協約〉世界図を広げた。
 C・NOVEL版と文庫版両方の巻頭に載っている読者諸賢にも御馴染みであるあの地図である。
「皇紀前四百十五年にケリウス・マクシノマス王(ゴーラント一世)によって建国された〈マクシノマス家ならび諸卿の合意による聯合帝国〉――直訳だから無駄に長いな――を母体とし、幾度かの膨脹期と、数知れない内乱を経て、ツァルラント大陸のほぼ全土を支配下に置く現在の〈帝国〉となった。
あくまで概略だけだが、順番に話そう」
 膝の上で掌を組み、目を閉じる。こうしていると葵は官僚と言うより洒落者の学士といった雰囲気を漂わせている。
「先ずは“西方への拡大(ドランク・ナッハ・ヴェステン)”だな。これは現在の西方諸侯領の大半がこの時期に編入されている。
〈帝国〉の西方への領土拡大期を表す用語で幾度もの遠征を総括した一時代の名称と考えてくれ。
その時期は具体的な年数はまだ議論されているが、おおむね〈聯合帝国〉建国から皇紀前百九十年前後までの二百年以上の物だ。その形態は遊牧民族の略奪と定住民族を支配下に置く方法による版図拡大で、この拡大期に現在の西方諸侯領と〈帝国〉の農奴制といった〈帝国〉の基礎が築かれたといってもいいだろうな」

「西方諸侯領からさらに西進する事はなかったのですか?」

「アスローンと磐帝国――俗にいう南冥の二ヵ国。そして現在では北方蛮域と称される土地に住む民族達にぶつかったからな。
特にこの時期、磐帝国は王朝全盛期だった。大国としての意思統一がなされており、また諸民族を統合する為に巨大な軍備を有していた。そしてなによりアスローン諸王国の宗主国だった。
――故に〈聯合帝国〉軍は敗退した。これによってマクシノマス家の威信は揺らぎはじめた」
 黒茶で喉の渇きを癒すと葵は足を組み、滔々と説明を続ける
「余談だが、この時代のアスローン諸王国も内乱に勝利した事で精強な軍勢を有し、磐帝国の庇護を受けた大王の下で集権化が進んでいた。
この時代に大陸の有力国たちの現体制まで続く基礎がつくられたのさ――まぁこれは後にしよう。ここまではいいね?」
 慌てて緑は手持ちの帳面に筆をはしらせ、地図を見比べながら説明の概要をまとめる。
「えぇと、南冥の磐帝国が当時の〈聯合帝国〉相手に戦争できるほどの大国だったってことですね?アスローンはその庇護下で大王の権限が強化されたおり、これに同調して〈聯合帝国〉軍に抵抗した」

「うん、その通りだ。まぁこれのおかげで対〈帝国〉戦争が出来る状況になったと言われているな。分かりやすい“敵”があらわれた事で磐帝国を盟主とした防衛体制を周辺国家勢力は構築し、磐帝国に事実上併合されるような国家も少なくなかった。〈聯合帝国〉はこうした大規模国家とその衛星国を相手にしたことで膠着状態に陥ってしまい、200年以上続いた拡張を前提とした国家運営が出来なくなった。
だが、これに対応する事はマクシノマス家を中心とした中央政府にはできず。諸侯達はマクシノマス家に不満を募らせた。そして発生したのがヒルデップ新帝乱だ」

「新帝乱……という事はここで帝室の交代が起きたわけですね?」

「あぁ、その通りだ。マクシノマス家は断絶し、新たにハルトラント家のヒルデップ一世を皇帝とする〈聯合帝国〉が建国された。
この乱は皇紀前一六四年に集結し、〈帝国〉は拡大した領土の整備などの内政面に注力して最初の安定期を迎える。
この時期は、南冥でも内乱によって王朝の交代が起き、アスローンは南冥の支配下から外れて交易による発展を進め、現在の〈帝国〉領レンストールなどの島国と交易問題による紛争を起こしていた」

「この時代はまだロッシナ家は出てこないのですね」
 出された黒茶を飲みながら碧は帳面に筆をはしらせ、尋ねた。
「あぁ、当時はまだ本領の一貴族だった。彼らが頭角を現したのはこのヒルデップ新帝乱から約八十年後に訪れた東方への猛撃(シュトルム・ナッハ・オステン)だ。これは〈帝国〉の東方への領土拡大期を表す。皇紀前八二年ごろから皇紀元年ごろまでだが、今でも東方諸民族と断続的に紛争が起きているな」

「こちらの進撃が止まったした理由は何ですか?」

「単純に領土に旨味がなかった事だな。この拡大期にツァルラント大陸東部の沿岸地域・主要な穀倉地帯は概ね東方辺境領に組み込まれる事になった。
ここから先は山岳地帯だったり作物の北限に限りなく近かったりと、敢えて領土とする必要性が薄い土地が多い。それに急速な領土拡大によって領内の整備が必要になった事もある」
 黒茶で唇を湿らせ、葵は講義を続ける。
「だが、この拡大によって〈帝国〉は致命的な問題を抱える事になる。
西方の諸侯領と〈帝国〉本領はまだ比較的交流があった事もありまだマシだったが、東方辺境領は約八十年程度で急速に入植を進めた事や、現地の非有力部族を取りこんでいた事もあり、現地で生まれ育った世代、〈帝国〉本土に足を踏み入れた事もなく、領土の田園と領土の防衛、拡大の為の戦争で生まれ育った世代が台頭してきた。
彼らは〈帝国〉本土への帰属意識が非常に薄く、〈帝国〉本土語を敢えて話さず、現地の言葉で話す事で結束を高めたと言われているな」

「あぁ・・・・・・・」
碧が半眼で力なく笑った。

「そして御期待通りに内乱が起きる、東西諸侯叛乱だ。
これは今話した通りに〈帝国〉において、“東方への猛撃”により新たに〈帝国〉領となった東方辺境領と<帝国>本領・西方諸侯領との対立から起こった内乱だな。
これは皇紀百十八年から皇紀百四十三年と長きに渡ったが、最終的に、ハルトラント家支配の〈聯合帝国〉は、ロッシニウス家支配の〈帝国〉にとってかわられた。
ロッシニウス家は東方辺境領から本領に出戻った貴族で、東方辺境領の過激派と西方諸侯達が互いに消耗しきったところで外交的に和解させ、彼の親族――今の副帝家だな――が実権を握った東方辺境領と〈帝国〉本領の貴族たちの支持を背景に権力を掌握する事に成功した。これが現在〈帝国〉史における最後の帝室交代となっている」

「ロッシニウス家?あれ?今の帝室はロッシナ家ですよね?」
 首を傾げた碧を兄はかるく笑いながら掌を向けて押しとどめた。
「まぁ待て、その説明は少し後だ。
この東西諸侯乱によって〈聯合帝国〉に代わる〈帝国〉建国を宣言したアレクサンドロス一世は〈帝国〉の支配権を得た際に東西諸侯乱の再発を防ぐ対策の一環として〈帝国〉全土の共通語を定めた。
これは、広大な〈帝国〉領内の複数の民族の間で使用されている主要な言語から作られた人工言語だ。
これは身分にかかわらず、〈帝国〉の全ての民に使用が義務づけられた。
碧、この意図は分かるな?」
 兄の問いかけに碧は即座に頷き、答えを述べる。
「新しく建国された〈帝国〉への帰属意識を高める為、そして皇帝の権威を〈帝国〉全土に広める為だと思います。
それに加えて東西がほぼ完全に異文化の国になってしまった事から<帝国>としての統一性を作り出すことも目的でしょうか」

 妹の返答に葵は目を細めて頷いた。
「うん、ほぼ満点だな。〈帝国〉共通語は、過去の言語の特徴を巧みに組み合わせただけあり、四半世紀ほどをかけて〈帝国〉全土に定着した。
ロッシニウス家のアレクサンドロス一世は、公的な文書においても私生活においてもロッシナ家のアレクサンドル一世と名乗り、これによって保守的な宮廷内でも公用語の使用を強引に推し進めた。――これでさっきの碧の疑問に答えることにもなるな」

「はい、御兄様」

「――そして、〈帝国〉公用語と共に文化的統一の道具として利用されたものが有る。
何か分かるか?」

「えーと・・・・・・流通の活性化でしょうか?人を動かせばそれだけ公用語の統一性も広がりますし」
 ――如何にも東州乱後産まれらしい答えだ。
同じ答えを返し、かつて講師にそう笑われた事を思い出した葵は小さく溜息をつくと懐かしむように笑みを浮かべた。
「お前も〈皇国〉人として健全な価値観を持っているようで安心したよ。
だが、残念ながらそれをやるには〈帝国〉は広すぎるし内乱直後は東西の隔意が強すぎた。
内乱間もない状況でそうした方策をとるのは危険に過ぎたからな」

「むぅ……それでは正解はなんですか?」
 頬を膨らませた妹を見て小さく笑い、葵は正解を告げる
「答えは宗教だ。拝石教――〈帝国〉の国教とされている大宗教で“石神”をあがめる一神教。名前くらいは知っているだろう?」

「はい、救貧活動を行っていますよね。献金を募って孤児院を造ったりしているのは聞いたことがありますし、私も茜御姉様と故府の施設を見に行った事もあります」

「あぁ、父上が故府の州知事をしていた時にそんなことをやっていたっけな
〈皇国〉総石院か。アレも〈帝国〉の拝石教総宗庁から見ると異端扱いなのだがね。
まぁ殆ど交流がないから問題にもならないが」

「どうしてですか?特に害になるようなことはしていない筈ですが」

「〈皇国〉の導術利用に言及する事がないからさ。本来、導術は教義に反するものだ。
まぁ少なくとも総宗庁はそういう事にしている」

「確かに、豊久義兄様も〈帝国〉は導術を使わないとおっしゃっていましたけど
それが――そこまで問題になるのですか?」
 正確には(まだ)義兄ではないのだが、北領から戻り、そして再び軍務に復帰してからなんとはなしにそう呼ぶようになっていた。茜も葵も気づいているのだが、指摘する事はない。

「〈帝国〉民衆の中で拝石教が確固たる権威を持ったのは、皇紀三百年代後半から皇紀四百年頃まで――具体的に言うのならば皇紀三百六十四年に始まった宗教純化運動が発端だ」

「・・・・・・厭な響きですね。宗教純化運動って」
 〈皇国〉の一般的な価値観において宗教の政治的な動きは嫌悪されることが多い。
特に皇都や地方の都市においてはその傾向が強い。
「〈皇国〉は幸いにも宗教の先鋭化はそれほど酷くないからな、それこそ諸将時代の帯念一揆位だ」
 諸将時代に農村地帯の一部が寺社の扇動を受け、搾取の象徴として将家やその御用商人を追い出し、自治体制を作り出そうとした事があった。当時の僧侶は知識階級であり、同時に農村においては庄屋たちと並び、慣習法の裁定者でもあった。
だが、彼らは一揆の軍勢と結びつき、独自の武装勢力を作り出そうとしたのであった。
 結局は内政の行き詰まりと将家の鎮圧によって叩き潰されたのであるが、略奪にあった商人や将家達にとってはある種の衝撃であった。特に現在まで伝統的に残っている農村に自治権を与える五将家のやり方はこの衝撃的な武装勢力との戦いを糧としたものであると言われている。

「だが、この宗教純化運動も最初は決して悪いものではなかった。
そもそもの発端は“信仰帝”と呼ばれるウィリテリウス二世の治世に起きた――皮肉な事に、な」

「悪い事ではなかった――ですか?」
 眉を顰めた碧に葵は頷いてみせた。
「あぁ、なぜならば当時、〈帝国〉国教として独立した権力を持っていた拝石教の組織は深刻な腐敗・綱紀の紊乱によって民心が離れつつあったからだ。
学問僧であったジュガヴィリヌスの主導で教団上層部の体制刷新、腐敗の是正を掲げていた――が、五年後には失脚し、破門された。
教団の腐敗は糾される事は殆どなく、民衆の不満は高まって行った」

「あぁ・・・・・・そこで導術士が出てくるわけですね」
碧は痛ましそうに顔を曇らせた。彼女にとっても導術士は日常の者達である。

「あぁ、その通りだ。〈帝国〉における導術士は各部族の中で狩猟前の占術や離れた親族の無事を知るなどと導術を利用した“呪術”によって部族社会の中で一種の特権的な地位を得ていた。
〈帝国〉もそもそもは騎馬民族の〈聯合帝国〉が母体であり、西方諸侯領の下層・中層階級の大半は〈帝国〉本領の影響を受けていても一般住民の大半は異民族達だ。
こうした土着の呪術師は結構な数がおり、五百年を経た社会の中でも相応の位置づけに居た。不満を持った民衆は――とくに〈帝国〉本領からの移民達を中心とした拝石教を奉じている下層民の一部は、導術士達を異端者として駆り立てはじめた」

「――殺したの?」

「〈帝国〉を、そしてこの手の行為を擁護するわけではないが、
導術士に対する不信からくる虐殺は〈皇国〉の把握する(大協約)世界の国ではどこでも引き起こされている。
この〈皇国〉だって五百年代初頭に滅魔亡導運動が発生している。
――だがそうした類の事件で、この〈帝国〉において起きた“宗教純化運動”はとりわけ徹底している。
その理由を滅魔亡導と比較して考えてごらん?」

「少し待ってください・・・・・・」
 唐突な兄の問いかけに碧は慌てて歴史の悲劇から理論へと思考の向きを変える。
「――皇家のように術士を庇護する立場の者が居なかった事ですか?」
魔導院設立までの歴史には皇家の導術士の保護が密接に関わっている事を想起したのだろう。だが、兄は微笑を浮かべて首を横に振った。
「あともう一歩だな」

「えぇと、ならば――えぇっと――」
 目を白黒させながら碧は思考をめぐらせるが、葵はそれを待たずに正解を告げた。
「はい、時間切れ。答えは非組織的な民衆による運動である事だ。
最大の問題点は民間の信仰心に篤い方々が勝手に始めた事で、〈帝国〉中央政府で拝石教を統括していた拝石教総宗庁には管理しきれなかった事だ。
滅魔亡導は五将家の主導であり、ある程度の統制がとれていたからこそ、皇家も保護を行い、対将家の外交札の一つとして活用できたのさ」
 兄の言葉をかみしめるように碧はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「それに対し、〈帝国〉の宗教純化運動は民衆たちによる非組織的な行動だったから――止められなかった」

「その通りだ。最初は総宗庁も止めようとした。
国教としての総宗庁の役割は〈帝国〉領の文化的統一を補助する事であり、内紛の種をばらまいたら深刻な腐敗と帝室から独立した影響力をもった総宗庁は中央政府によって抑え込まれかねない状況だったからな。
――だが、その導術士排斥運動が〈帝国〉全土に瞬く間に広がる様相を呈するに至りに総宗庁は静止する事辞めた。彼らは民衆の反感を逸らす為に導術士を異端として審問官を送り込み、独自に裁判を行った。
俗に宗教純化運動と呼ばれているのは初期の腐敗是正ではなくこうした宗教裁判の方だ」

「でも、そこで総宗庁が統括できるようになったのなら、歯止めをかけられなかったのですか?」
 碧の言葉に葵は皮肉な笑みを浮かべて答える。
「限定的であるが、異端審問に関する独立した司法権を認められた。
総宗庁はそれを手放すつもりはなかったからね。一端始めた以上はそうそう終わらせるメリットも薄いからな。総宗庁も官僚化されているという事だな」

「……」

「まぁ、そうしたわけで導術排除で政治的危機を凌ぎ、民衆の支持を高めた総宗庁は政治的に大勝し、確固たる地盤を得た。
勤勉な〈帝国〉臣民諸賢は三千万以上の“背天の技”を使う呪術師――導術士の疑いがある人物を殺しつくした。一時的に導術士の多い地域は、人口が半数近くなったと言われているくらいだ。だから今でも<帝国>は導術排除を大いに重視しているし、〈帝国〉国内に導術士は居ない。素質のあるものは居るかもしれないが、それを磨く術はまさしく“失われた技術(ロスト・テクノロジー)”になっているようだ」

「――徹底していたのですね」
 寂しそうに碧は言う。

――〈皇国〉軍の大半や魔導院の者達は、この純化運動には感謝してもしきれない、と思っているのだろうな。
葵は内心何とも言えぬ気持ちを抱きながら史書の記憶を辿りながら言葉を紡ぐ。
「あぁ、総宗庁――拝石教の権威が下層市民にまで徹底的に浸透した経緯の一つだと言われている。“信仰帝”ウィテリウス二世も本来は異端審問を利用した総宗庁の権限拡大を厭っていたが、皇帝の権威を保つ為に黙認していたくらいだからね。
逆に総宗庁に接近して“信仰帝”と呼ばれるほどに表面上の親密さを誇示したくらいだ。
――裏では財政に手を回して総宗庁の経済力を削ごうとしたりしていたが、まぁどうにか過剰な膨張を喰い留めるにとどまったようだな」

「宮廷情勢は複雑怪奇なり、ですね」
 碧は力なく笑い、肩を竦めた。

「あぁ、だがそのあとは大規模な内乱もなく、慢性的に十年単位で発生しては収束するアスローン・南冥の帝国との戦争。東方の漸進的な領土の拡大と開拓の進行。
この辺りは馬堂の方々みたいな軍人たちの研究分野だろうな。
戦争と農奴による開拓、そして大商人の投資。概ねこうして〈帝国〉は緩やかに拡大を続けていった。最後に起きた内乱は東州乱とほぼ同時期に起きたものが最後だな」

「カルパート僭帝乱でしたっけ。これは少しだけ聞いたことがあります」
 碧の言葉に葵も頷いた。
「皇紀五百五十年代初頭に起きた内乱だ。先帝パーヴェル三世が五百五十年の春に崩御したのちに帝位継承権を争った戦いだな。
そもそもは皇帝親衛軍の一部が帝位継承を宣言したカルパート伯爵の叛乱に同調したことが、それが切欠だった。
まぁ要するに皇太子の側近の一人が次期財務尚書を狙っていた事が直接的な原因の一つだと言われている。
要するに軍部の一部が担いだわけだ」

「えぇと・・・・・・?」
 首を傾げた碧に葵は笑いかけた。
「父上の口癖はなんだ?」

「あぁ――戦後の軍縮ですね?」
 碧が印象に残るくらい弓月は戦争そのものを憤懣やる方ないものとして取り扱っている。
政治に関係ないところにいる碧ですら印象に残るくらいは激おこである。民政官僚として軍人貴族が牛耳る国家で権勢を維持し続けてきた最中に戦時が訪れてきたのだから致し方ないのであるが。
「そう云う事だ。まぁうちの義兄候補殿みたいな変わり種もいるが、概ね軍人と言うものは軍縮と言う言葉を聞くと蕁麻疹がでるものだ――とりわけ<帝国>のような国では」
 黒茶に口をつける葵に碧は尋ねた。
「あの、ですが。親衛隊というとこの国の近衛と同じですよね?
皇帝直轄ならばなぜ叛乱など?」

「だからこそ、さ。皇帝直轄という事は正規の官僚機構から外れた組織である、という事だ。そこに優秀な選抜された将校が入り込むと――遊ばせておくとろくな事にはならないものだ。とりわけ近くに最高権力者がいるとなればね」

「……<皇国>と違って実権ももっていますからね」

「そう云う事だ。そして中央政府が混乱すると広大な<帝国>は存外に脆い。
“正統”政府が並立すると東方辺境領を治める副帝家は即座に傍観に徹した。
脆弱な経済基盤と副帝家としての立場から介入する事は好ましくないと判断したからだろうと言われている。
一方で西方諸侯領は双方の正統政府を支持する面々が分裂し、諸侯領がそれぞれ軍勢を率いる状況となってしまった。
とはいえ、西方諸侯領における戦闘が激化したのは内乱終盤であり、幾つかの反ゲオルギィ派軍閥を糾合して臨んだ決戦に敗れた事で比較的短期間に終わったがね。
とはいえ、本領や西方諸侯領といった<帝国>の経済中枢が一時麻痺したことは<帝国>の経済構造にかなりの痛手を与えた事は確かだ。
これが遠因となって〈皇国〉の廻船問屋が〈帝国〉に進出をはじめ、皇紀五百五十二年に<帝国>大手両替商だったバクーニン商会が破産。その影響で帝国からすさまじい勢いで正貨が皇国に流出し始めたと言われている」

「ある意味では〈皇国〉が勝利した内戦と言うわけですね?」

「またある意味ではこの戦争を引き起こした内戦でもあるな。
まぁどの道、〈皇国〉廻船問屋は徐々に〈帝国〉に進出していたのだから遅かれ早かれこうなったのかもしれないがね」
葵は皮肉な笑みを浮かべて言った。
「――さて、〈帝国〉史を総括してあの国をどう見る?」

「そうですね……〈帝国〉の起源は騎馬民族の諸部族からなる聯合国で、伝統的に領土拡大を志向していたことがわかります。
広大な国土と引き換えに農奴などの下層階級の多民族化による慢性的な不満の高まり。少数民族を取りこんだ封建諸侯の〈帝国〉への帰属意識が薄くなり、反乱が幾度か起きている事から伝統的に中央政府の基盤がどうしても地方諸侯と比較すると脆弱になってしまうことが分かります」

「ほう」
 兄が向ける採点者としての視線にあたふたしながらも碧は思考の理論化を進める。
「えぇと……そこから考えるに〈帝国〉中央政府は下層階級と辺境諸侯の不満を抑える為に対外出兵か、〈帝国〉本領を中心とした安定した経済成長が必要となります」

「なぜ本領を中心にする必要があるのかな?」
 葵が面白そうに問いかけると気を落ち着けることに成功したらしい碧は若々しい知性を感じさせる口調で答える。
「政治的な独立性は必然的に経済的な独立から生まれるからです。
東州公の乱も食糧自給によって完全に経済的な独立が可能になった事が直接的なきっかけ――と習いました」

「中々慧眼だな。良く考えているよ。そうだな――じゃあその〈帝国〉と渡り合った二国について軽く触れて終わりにしようか」

「はい、御兄様」

「それではまずはアスローンからだな。
アスローンは先の〈帝国〉史でもふれたとおり、以前は南冥の磐帝国を宗主国と仰いでいたが、以後は独立した一国として〈帝国〉と渡り合いながら漸進的に南進と内乱、そして〈帝国〉との紛争を続けていた。
地図で見るとおり、その国土は〈皇国〉と比べると広大であるが、けして〈帝国〉や南冥の王朝に並ぶものではない。
アスローンについてはどの程度知っている?」

「〈帝国〉と国境を接していて、何度も戦争している事は有名ですね。
アスローン大半島と呼ばれているツァルラント大陸南西部の半島部を支配する国で大王が治めているのは先程習ったばかりです。
えぇとあとは――アスローン・モルトってお酒を代表に色々と〈皇国〉と交易を行っています」

「ん、そうだな。貿易などで〈皇国〉とも関係が深い。今、碧が言った通りのアスローン・モルトなどの嗜好品だけではなく、衣服や船の建材や黒石や鉱物なども輸出している。
代わりにこちらからは織物や民生用の船などが売れているな」
 この辺りは葵の専門である。花形部署配属だった筈が戦乱で色々と酷い事になっているが
「そして、大王が治めるというのもまぁ間違いではないが、抜けている点がある。
アスローン大半島は幾つかの王国として分割されており、そこから最大勢力の国王が大王として他王国を従える政治形態をとっている。
――まぁ外交を含めて中央政府としての役割は大王の下で一元化されているし、言葉や民族も殆ど同じだから〈皇国〉の大半は碧のいったような勘違いをしているようだがね。
まぁそれぞれ法制や行政制度は異なっているし、国民意識も完全に統一されているとは言い難い。だから戦間期には内戦が起きる事も珍しくない――最近は腕木通信の発達やら海上輸送能力の発達やらで早々に潰されることが多いようだが――簡単な触りのみとなるとこのくらいでいいかな」


「はい、お兄様。それとアスローンと一緒に戦っている南冥はどういう国なのですか?」
 葵はかるく顔を顰めて首を横に振った。
「あぁ、まず南冥と言う呼び方はあまり良くないな。元々の意味合いは蔑称だからな」

「そうなのですか?えぇと正式な名前は何でしたっけ?」

「今は凱帝国だね。ロッシナ朝――今の〈帝国〉とほぼ同時期に成立したらしい。
冥州大陸に存在し、帝国やアスローンと国境を接している。
幾度か王朝が交代している多民族国家だ。帝国とは敵対関係にあり、数度の国境紛争を起こしている……正直なところ、このくらいしか分からないな」
といって葵は肩を竦めた

「あら?でもアスローンよりも大きな国で、〈帝国〉と渡り合っていたのですよね?
どうしてそれほど情報がないのですか?」

「仕方ないだろ、〈皇国〉の主要交易域に含まれない位に遠く、なんら通商条約も結んでいない、露骨に言えば遠すぎてどうでもいい国だったんだ。アスローンを仲介して定期的に情報を収集していただけだったのだがね。〈帝国〉と通商関係のいざこざが始まってから慌てて新しい販路開拓の為に資料を掻き集めていた矢先にこの状況だからな」

「・・・・・・戦争」
 碧がそっと目を伏せる。
「そう、戦争だ。どうにかして早く終わらせなくてはならないな。
戦争の所為でお前が売れ残ったりしたら大変だ」といって葵は立ち上がると碧の頭を撫でながら笑った。
「今はまだ豊久さんたちに頼るしかないが――なに、どの道最後には俺達も胃を痛めるはめになるのさ。
戦争はもはや軍人だけのものではないのだから」
 
 

 
後書き
本年の投稿はこれが最後です。
読者の皆様のおかげで今年も拙作を書くことを楽しむことが出来ました。
来年も願わくば御付き合いしていただけるようお願いいたします。


本編は2013年度末までには定期的に投稿できるようにしたいです(希望) 
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