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樹界の王

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12話 タケ

「カナメ、君は可愛い容姿をしている割に中々喧嘩っ早いね」
 中学1年生の時だった。
 由香はボクの頬に出来た擦り傷を消毒しながら、どこか楽しそうに言った。
「全く、腫れたらその可憐な顔が台無しだよ。むさ苦しい筋肉質の男ならともかく、顔を資産として利用できる君はもっと身体を大事にすべきだ」
 園芸部の中で唯一男であったボクに、絡んできた人達がいた。数は三人。いずれも場慣れしていないにも関わらず、態度だけがでかい連中だった。
 ボクはその中で、リーダー格と思われる男を叩きのめした。全員を相手にする必要はない。容赦無い打撃と威圧的態度。それだけで向こうの戦意はすぐに折れた。後は息をするように簡単だった。
「一発目の右ストレート。容赦なく相手の顎を打っていた。一切の躊躇がない攻撃だった。人体の急所に対して中々できるものじゃないよ、あれは」
 そこで、由香は消毒を止めた。
「ねえ、カナメ。君は人間に対して一種のディスコミュニケーションを引き起こしている。植物の心を直接読み取れるという特性が、君と植物を近づけた。でも、人の心は読めない。その差異が、人に対しての共感能力を著しく低下させている」
 ボクは何も言わなかった。
「恐らくは、元々共感能力がなかったわけではない。むしろ君は植物に対しての強い共感能力を持っている。植物が嫌がるような、例えば撫でたりとか、そういう行為は一切しない。君はそれを禁忌としている。でも、ある特定のものに対して特別な感応能力があるが故に、他のものに対する共感意識が薄くなってしまっている」
 薄々気がついていた。
 人というものに、軽い嫌悪感を抱いていた。
「カナメ、別にそれは悪い事じゃない。逆に一般的な人の場合は、人に対する共感能力を他の生物にも押し付けてしまう。どちらがいい、という訳ではない。私は君の在り方を好ましいとすら思う」
 でも、と由香は言った。
「人との喧嘩は止めておくべきだ。自然淘汰。私達が属する社会性は、それを許容しない。下らないものだが、それを維持する装置は強大だ。私はこれに息苦しさすら感じるけれど、これを打倒しようとは考えない。カナメも、これに恭順を示すべきだ」

 豚男の死骸を眺めていると、三年前の由香との会話が脳裏に再生された。
 確かに、ボクの他者に対する共感能力は低下している。
 目の前に転がる死骸を見ても、何も思わない。自分の手で、自我が存在するであろう生命を殺したにも関わらず、心は動かない。
 そもそもこれは正当防衛だ。初めに襲ってきたのは向こうだった。
 そして、世界は弱肉強食だ。この豚男は襲う相手を間違えた。それだけだった。
 それが自然の摂理だ。一方的にやられることを許容する。それはあまりにも歪過ぎる。一度命を狙われたならば、反撃の一切の機会を摘む為に、その相手を殺さなければならない。ボクは当たり前の事をやっただけだ。罪悪感を感じる必要はない。だから、心は動かない。
 荒れていた息が整うと、ボクはラウネシアの方に向かって歩き出した。亡蟲について聞かなければならない。知るべき事が山ほどあった。
 不安そうな感情を立ち昇らせるラウネシアの前に辿り着くと、彼女は安心したように微笑んだ。
『無事だったのですね』
「墜落した亡蟲の生き残りだったようです。手負いだった為、一方的に打撃を与える事ができました」
 ラウネシアの双眸が、血だらけのボクの服に向けられる。
「ラウネシア。死骸はどうしますか? 放っておけば養分になりそうだけど」
『ええ、亡蟲の死骸はそのままで構いません。そのうち分解されていきます』
 ボクは迷った後、少しだけこの森に踏み込む。
「この辺りに川や湖はありませんか? 全身の血を落としたいんですが」
『水、ですか。この周囲に水源はありません。森全体が、土が水をよく吸収するためです。しかし、私自ら水を提供する事ができます』
 ラウネシアの右手が、そっと唇を指差す。妙に艶かしい仕草だった。
『土から吸い上げた水をろ過し、それを私の口から移す事ができます。よろしければ、どうぞ』
 予想外の言葉に、身体が止まる。
「……あの、ラウネシアはもしかして、そうやって人の生気を吸う訳じゃないですよね?」
『まさか。冗談です。私の右側の樹幹にコブがあるのが見えますか? そこに穴を開けてみてください。貯蓄している水が出ます。そこに貯まっている水は全て差し上げます』
 からかうように笑うラウネシア。どうやらユーモアの感覚があるらしい。
 中に水があるというのは、竹水のようなものなのだろうか。一般的にコブというのものは樹木の病気などの症状として挙がる為、あまりそこの水を飲む気にはならないのだけど。
「穴って、本当に良いんですか?」
『ええ。カナメ。私は貴方に好感を抱いているのですよ。貴方はその手でシメコロシ植物を駆除し、亡蟲の個体を打ち倒した。原型主たる私が創造したこの森において、私に味方する別の種、というのはいません。貴方は私にとって初めての協力者になった。食料と水は私が責任を持って提供しましょう』
 その代わり、とラウネシアの思考が続く。
『私の手入れを出来れば続けて欲しいのです。理性的な共生、というわけです。いかがですか?』
 ボクはその提案を、迷いなく受け入れた。
 食料、そして拠点の確保に成功する上に情報源にもなるラウネシア。
 断る要素が見つからなかった。  
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