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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第二章 風のアルビオン
  第四話 最後の夜会

 士郎たちを乗せた軍艦“イーグル”号は、浮遊大陸アルビオンのジグザグした海岸線を雲に隠れるようにして航海していた。
 三時間ばかり進むと、大陸から突き出た岬が見え、その突端には高い城がそびえていた。
 ウェールズは後甲板に立った士郎たちに、あれがニューカッスルの城だと説明した。しかし、“イーグル”号は真っ直ぐにニューカッスルには向かわず、大陸の下に潜り込むような進路を取る。
 
「なぜ、下に潜るのですか?」

 ルイズの疑問にウェールズは城の遥か上空を指差す。
 指先の延長上、遠く離れた岬の突端の上から、巨大な船が降下してくる途中であった。慎重に雲中を航海してきたので、向こうには“イーグル”号は雲に隠れて見えていないようであった。

「叛徒どもの艦だ」

 巨大としか形容出来ない、禍々しい巨艦であった。長さは“イーグル”号の優に二倍はあるだろう。帆を何枚もはためかせ、ゆるゆると降下したかた思うと、ニューカッスルの城めがけて並んだ砲門を一斉に開いた。ドドドドンッ、とまるで雪崩の様な斉射の振動が“イーグル”号まで伝わってくる。砲弾は城に着弾し、城壁を砕き、小さな火炎を発生させた。
 
「かつての本国艦隊旗艦“ロイヤル・ソヴリン”号だ、叛徒どもが手中におさめてからは、“レキシントン”と名前を変えている。やつらが初めて我々から勝利をもぎ取った戦地の名だ。よほど名誉に感じているらしいな」

 士郎は雲の切れ目に遠く覗く巨大戦艦を見つめた。無数の大砲が舷側から突き出て、艦上にはドラゴンが舞っている。

「備砲は両舷合わせ百八門。おまけに竜騎兵まで積んでいる。あの艦の反乱から、全てが始まった。因縁の艦さ。さて、我々の船はあんな化け物を相手にできるわけもないので、雲中を通り、大陸の下からニューカッスルに近づく。そこに我々しか知らない秘密の港があるのだ」





 雲中を通り、大陸の下に出ると、辺りは真っ暗になった。大陸が頭上にあるため、日が差さないのであった。おまけに雲の中である。視界がゼロに等しく、簡単に頭上の大陸に座礁する危険があるため、反乱軍の軍艦は大陸の下には決して近づかないのだ、とウェールズが語った。ひんやりとした、湿気を含んだ冷たい空気が、士郎たちの頬をなぶる。

「地形図を頼りに、測量と魔法の明かりだけで航海することは、王立空軍の航海士にとっては、なに、造作もないことなのだが……空を知らない、無粋者の貴族派には無理な話しさ」

 そう言ってウェールズは笑った。
 しばらく航行すると、頭上に黒々と穴が開いている部分に出た。マストに灯した魔法のあかりの中、直径三百メイルほどの穴が、ぽっかりと開いている様は壮観だ。

「一時停止」
「一時停止、アイ・サー」
 
 掌帆手が命令を復唱する。ウェールズの命令で、“イーグル”号は裏帆を打つと、しかるのちに暗闇の中でもキビキビした動作を失わない水兵たちによって帆をたたみ、ピタリと穴の真下で停船した。

「微速上昇」
「微速上昇、アイ・サー」
 
 ゆるゆると“イーグル”号は穴に向かって上昇していく。“イーグル”号の航海士が乗り込んだ“マリー・ガラント”号が後に続く。
 
「まるで空賊ですな。殿下」
「まさに空賊なのだよ。子爵」

 ワルドがニヤリとウェールズに笑いかけると、ウェールズもワルドにニヤリと笑いかけた。







 穴に沿って上昇すると、頭上に明かりが見えた。そこに吸い込まれるように、“イーグル”号が上っていく。
 眩いばかりの光にさらされたかと思うと、艦はニューカッスルの秘密の港に到着していた。そこは、真っ白い発行性のコケに覆われた、巨大な鍾乳洞の中であった。
 そして、鍾乳洞の中にある岸壁の上には、大勢の人が待ち構えていた。“イーグル”号がその岸壁に近づくと、待ち構えていた人達が一斉にもやいの縄が飛んだ。水兵たちは、素早い動きでその縄を“イーグル”号に結わえ付けた。
 艦は岸壁に引き寄せられ、車輪のついた木のタラップががらごらと近づいてきて、艦にぴったりと取り付けられた。
 ウェールズは、ルイズたちを促し、タラップを降りた。
 背の高い、年老いた老メイジが近寄ってきて、ウェールズの労をねぎらった。
 
「ほほ、これはまた、大した戦果ですな。殿下」
 
 老メイジは、“イーグル”号に続いてぽっこりと鍾乳洞の中に現れた“マリー・ガラント”号を見て、顔をほころばせた。

「喜べ、パリー。硫黄だ! 硫黄!」

 ウェールズがそう叫ぶと、集まった兵隊が、うおぉーっと歓声を上げた。
 
「おお! 硫黄ですと! 火の秘薬ではござらぬか! これで我々の名誉も、守られるというものですな!」

 老メイズは、おいおいと泣き始める。

「先の陛下よりお使えして六十年……こんな嬉しい日はありませぬぞ、殿下。反乱が起こってからは、苦渋を舐めっぱなしでありましたが、なに、これだけの硫黄があれば……」

 にっこりとウェールズは笑った。

「王家の誇りと名誉を、叛徒共に示しつつ、敗北することができるだろう」
「栄光ある敗北ですな! この老骨、武者震いがいたしますぞ。して、ご報告なのですが、叛徒どもは明日の正午に、攻城を開始するとの旨、伝えてまいりました。全く、殿下が間に合ってよかったですわい」
「ははっ! してみると間一髪とはまさにこのこと! 戦に間に合わぬは、これ武人の恥だからな!」

 ウェールズたちは、心底楽しそうに笑い合っている。ルイズは敗北という言葉に顔色を変えた。

 えっ……敗北。敗北って……死ぬってことじゃない! なのに何でこんなに笑っていられるのよ……。

「して、その方たちは?」
 
 パリーと呼ばれた老メイジが、ルイズたちを見て、ウェールズに尋ねる。
 
「トリステインからの大使殿だ。重要な用件で、王国に参られたのだ」

 パリーは一瞬、滅び行く王政府に大使が一体何の用なのだ? といった顔つきになったが、すぐに表情を改めて微笑んだ。

「これはこれは大使殿。殿下の侍従を仰せつかっておりまする、パリーでございます。遠路はるばるようこそ、このアルビオン王国へいらっしゃった。たいしたもてなしはできませぬが、今夜はささやかな宴があります。是非ともご出席くださいませ」




 ルイズたちは、ウェールズに付き従い、城内の彼の居室へと向かった。城の一番高い天守の一角にあるウェールズの居室は、王子の部屋とは思えない、質素な部屋であった。
 木でできた粗末なベッドに、椅子とテーブルが一組。壁には戦の様子を描いたタペストリーが飾られている。
 王子は椅子に腰掛けると、机の引き出しを開いた。そこには宝石が散りばめられた小箱が入っている。ウェールズが首にかけていたネックレスを外すと、ネックレスの先にある小さな鍵を小箱の鍵穴に差込み、箱を開けた。蓋の内側には、アンリエッタの肖像が描かれていた。
 ルイズたちがその箱を覗き込んでいることに気付いたウェールズは、はにかんで言った。

「宝箱でね」
 
 中には一通の手紙が入っていた。
 ウェールズはその手紙を取り出し、愛しそうに口づけしたあと、開いてゆっくりと読み始めた。何どもそうやって読まれたらしい手紙は、すでにボロボロであった。
 読み終えたウェールズが再び手紙を丁寧にたたむと、封筒に入れ、ルイズに手渡した。

「これが姫からいただいた手紙だ。このとおり、確かに返却したぞ」
「……ありがとうございます」

 ルイズは深々と頭を下げると、その手紙を受け取った。
 
「明日の朝、非戦闘員を乗せた“イーグル”号が、ここを出発する。それに乗って、トリステインに帰りなさい」
 
 ルイズは、その手紙をじっと見つめていたが、そのうちに決心したように口を開く。
 
「あの……殿下。さきほど、栄光ある敗北とおっしゃっていましたが、王軍に勝ち目はないのですか?」
 
 ルイズは躊躇うように問うたが、ウェールズは至極あっさりと答えた。

「ないよ。我が軍は三百。敵軍は五万。万に一つの可能性もありえない。我々にできることは、はてさて、勇敢な死に様を連中に見せることだけだ」

 ルイズは俯いた。

「それには、殿下の討ち死になさる様も、その中には含まれるのですか?」
「当然だ。私は真っ先に死ぬつもりだよ」
 
 ルイズは深々と頭をたれて、ウェールズに一礼した。言いたいことがあるのだった。

「殿下……失礼をお許しください。恐れながら、申し上げたいことがございます」
「なんなりと、申してみよ」
「この、ただいまお預かりした手紙の内容、これは……」
「ルイズ」

 士郎はルイズに声をかけると、静かに首を振った。
 しかし、ルイズはきっと顔を上げると、ウェールズに尋ねた。

「この任務をわたくしに仰せ付けられた際の姫さまのご様子、尋常ではございませんでした……まるで、恋人を案じるような……それに、先ほどの小箱の内蓋には、姫さまの肖像が描かれておりました。手紙に接吻なさった際の殿下の物憂げなお頭といい、もしや、姫さまとウェールズ皇太子殿下は……」

 ウェールズは微笑んだ。ルイズが言いたいことを察したのである。

「きみは、従妹のアンリエッタと、この私が恋仲であったと言いたいのかね?」
 
 ルイズは頷く。

「そう想像いたしました。とんだご無礼をお許しください。そう考えると、この手紙の内容とやらは……」

 ウェールズはルイズの手にある手紙を見つめると、昔を懐かしむように目を細めた。

「そう……だね。君の想像の通り、これは……昔彼女から渡された恋文だよ。アンリエッタが手紙で知らせたように、この恋文がゲルマニアの皇室に渡っては、まずいことになるだろうね。なにせ恋文の中には、始祖ブリミルの名において、永久の愛を私に誓っているから。知ってのとおり、始祖に誓う愛は、婚姻の際の誓でなければならない。……例えそれが子供の頃の話であっても、ゲルマニアとの婚約を快く思っていない者が知れば、これ幸いにと騒ぎ立てるだろうね。……貴族派の連中はどこにでもいるようだからね……そうなれば、ゲルマニアとの婚約が難しくなる……そして同盟が結ばれる前に、必ず貴族派は、トリステインを襲うだろう……」
「……とにかく、姫さまは殿下と恋仲であらせられたのですね?」
「昔の話だよ」

 ルイズは真剣な顔になると、ウェールズに迫る。
 
「殿下! 亡命なされませ! トリステインに亡命なされませ!」
 
 ワルドがルイズを止めようと近寄ろうとしたが、それよりも早く士郎がルイズに近づきその肩に手を置いた。しかし、ルイズの剣幕は収まらず、ますますウェールズに迫った。

「お願いでございます!わたしたちと共に、トリステインにいらしてくださいませ!」
「それはできない」
 
 ウェールズは笑いながら、しかしきっぱりと言い切った。

「殿下! これはわたくしの願いではございませぬ! 姫さまの願いでございます! 姫さまの手紙には、そう書かれておりませんでしたか? わたくしは幼き頃、恐れ多くも姫さまのお遊び相手を務めさせていただきました! 姫さまの気性は大変良く存じております! あの姫さまがご自分の愛した人を見捨てるわけがございません! おっしゃってください殿下! 手紙の中に、亡命をお勧めになっているはずです!」
 
 ウェールズは首を振った。

「そのようなことは、一行も書かれていない」
「っ―――殿下ッ!」

 ルイズは瞳を潤ませながら叫んだ。

「私は王族だ。嘘はつかない。姫と私の名誉に誓って言うが、ただの一行たりとも私の亡命を勧めるようなものは書かれていない」

 ウェールズは何かに耐えるように歯を食いしばり、しかしルイズの目をしっかりと見つめて言った。
 
「アンリエッタは王女だ。自分の都合を、国の大事に優先させるわけがない」
 
 ルイズはウェールズの意思が果てしなくかたいのを見て取り、悲しげに顔を歪ませると顔を伏せる。
 顔を伏せてしまったルイズを見たウェールズは、フッと優しく笑うとルイズの肩を叩いた。

「きみは正直な女の子だな。ラ・ヴァリエール嬢。正直で、真っ直ぐで……いい目をしている」 

 ルイズは肩を震わせるだけで顔を上げられなかった。ウェールズの態度からして、ルイズの指摘が当たっていることはうかがえたが、臣下に情に流された女と思われないように、アンリエッタを庇う態度を取らせてしまうなどさせてしまい、申し訳なくて、悲しくて、苦しくて、いろいろな感情が混じり合って混乱し、どのような顔でウェールズに顔を向ければいいかわからなくなってしまった。
 
「忠告しよう。そのように正直では大使は務まらないよ」

 ウェールズは微笑んだ。白い歯がこぼれる。魅力的な笑みだった。

「しかしながら、亡国への大使としては適任かもしれぬ。明日に滅ぶ政府は、誰よりも正直だからね。なぜなら、名誉以外に守るものが他にないのだから」
 
 それから机の上に置かれた、時計と思われる、水がはられた盆の上に載った針を見つめた。

「そろそろパーティーの時間だ。きみたちは、我らが王国が迎える最後の客だ。是非とも出席してほしい」

 士郎たちは部屋の外に出た。しかしワルドは居残り、ウェールズに一礼すると近づいてきた。

「まだ、なにか御用がおありかな? 子爵殿」
「恐れながら、殿下にお願いしたい議がございます」
「なんなりと伺おう」
 
 ワルドはウェールズに、自分の願いを語って聞かせた。ウェールズはにっこりと笑った。
 
「ははっ、なんともめでたい話しではないか。喜んでそのお役目を引き受けよう」








 パーティーは、城のホールで行われた。簡易の玉座にはアルビオンの王、年老いたジェームズ一世が腰掛け、集まった貴族や臣下を目を細めて見守っていた。
 明日で自分たちは滅びるというのに、随分と華やかなパーティーであった。王党派の貴族たちはまるで園遊会のように着飾り、テーブルの上にはこの日のためにとって置かれた、様々なごちそうが並んでいる。
 士郎は壁に寄りかかりながら、この華やかなパーティーを見つめていると、ワルドがワインの入ったグラスを、二つ持って近寄ってきた。
 
「終わりだからこそ、ああも明るく振舞っているのだよ」
 
 そう言って、片方の手に持っていたワインを、士郎に手渡した。 
 
「ああ……そう考えると、寂しく感じるものだな……」

 ウェールズが現れると、貴婦人たちの間から、歓声がとんだ。若く、凛々しい王子はどこでも人気者のようだった。彼は玉座に近づくと、父王になにか耳打ちした。
 ジェームズ一世は、すっくと立ち上がろうとした、しかし、かなりの年であるらしく、よろけて倒れそうになった。ホールのあちこちから、屈託のない失笑が漏れる。
 
「陛下! お倒れになるのはまだ早いですぞ!」
「そうですとも! せめて明日までは、お立ちになってもらわねば我々が困る!」

 ジェームズ一世は、そんな軽口に気分を害した風もなく、にかっと人懐っこい笑みを浮かべた。

「あいや、おのおのがた。座っていてちと足が痺れただけじゃ」
 
 ウェールズが、父王に寄り添うようにして立ち、その体を支えた。陛下がこほんと軽く咳をすると、ホールの貴族、貴婦人たちが一斉に直立した。

「諸君。忠勇なる臣下の諸君に告げる。いよいよ明日、このニューカッスルの城に立てこもった我ら王軍に反乱軍“レコン・キスタ”の総攻撃が行われる。この無能な王に、諸君らはよく従い、良く戦ってくれた。しかしながら、明日の戦いはこれはもう、戦いではない。おそらく一方的な虐殺となるであろう。朕は忠勇な諸君らが、傷つき、倒れるのを見るに忍びない」

 老いたる王は、ごほごほと咳をすると、再び言葉を続けた。

「従って、朕は諸君らに暇を与える。長年、よくぞこの王に付き従ってくれた。厚く礼を述べるぞ。明日の朝、巡洋艦“イーグル”号が、女子供を乗せてここを離れる。諸君らもこの艦に乗り、この忌まわしき大陸を離れるがよい」
 
 しかし、誰も返事をしない。一人の貴族が、大声で王に告げた。

「陛下! 我らはただ一つの命令をお待ちしております! 『全軍前へ! 全軍前へ! 全軍前へ!』今宵、うまい酒の所為で、いささか耳が遠くなっております! はて、それ以外の命令が、耳に届きませぬ!」

 その勇ましい言葉に、集まった全員が頷いた。

「おやおや! 今の陛下のお言葉は、なにやら異国の呟きに聞こえたぞ?」
「朦碌するには早いですぞ! 陛下!」

 老王は目頭を拭い、ばかものどもめ……、と短く呟くと、杖を掲げた。

「よかろう! しからばこの王に続くがよい! さて、諸君! 今宵は良き日である! 重なりし月は、始祖からの祝福の調べである! よく飲みよく食べよく踊り、楽しむが良い!」

 その言葉とともに辺は喧騒に包まれた。
 こんな時にやってきたトリステインからの客が珍しいのか、様々な人たちが話しかけ、世話を焼き、そして最後には必ず、アルビオン万歳!と怒鳴って去っていくのであった。
 そんな様子を見たルイズは、何か感じることがあるのか、顔を振ると、この場の雰囲気に耐え切れず、外に出て行ってしまう。
 士郎が後を追いかけようと歩き出そうとした瞬間、後ろからウェールズに声を掛けられ足を止めてしまった。

「ラ・ヴァリエール嬢の使い魔の人だね。しかし、人が使い魔とは珍しい。トリステインは変わった国だな」
 
 ウェールズは笑いながらそう言って近寄ってきた。

「いや、トリステインでも珍しいと思いますが」

 士郎は顔に苦笑いを浮かべる。 

「少し話しをよろしいですか?」

 士郎はそう言ってテラスにウェールズを誘うと、ウェールズは笑いながら頷く。
 
「ええ大丈夫ですよ。ちょうど外の風に当たりたいと思っていたところだったので」





 
 
 ニューカッスルのテラスからは、巨大な二つの月がますます大きく、そして一際強く輝いているのが見える。
 そんな中、ウェールズは強く吹く風に当たり、酒で火照った体を冷やすと、グラスに入ったワインを少し口に含み、ゆっくりと士郎に振り向いた。

「それで、シロウと言ったかな? 私に話とは?」
 
 士郎はテラスの扉を閉めると振り返り、姿勢を正すと、ウェールズに尋ねた。

「あなたはなぜ、亡命をしないのですか?」
「シロウどの?」

 ウェールズは士郎の問いに、訝しげな顔をした。

「あなたがルイズに言ったとおり、この戦いに勝つことは不可能でしょう。しかし、一度トリステインに亡命すれば、逆転の目が見えるかもしれない……」
「それは出来ない」
 
 士郎の言葉にウェールズはきっぱりと答えた。

「それはなぜでしょうか?」
「民のためだ」
「民のため……」

 ―――民のために―――
 
 ウェールズの言葉に、士郎は一瞬、過去の記憶を思い出した。自分の憧れであり、誇りでもあった女性を……。
 
「確かにあなたの言うとおり、トリステインに亡命すれば、私は生き残ることができる。そして、私が生きていれば、王党派が滅びるのを免れる可能性もある。しかし、貴族派との争いはますます過激さを増し、終わりの見えない争いが続く。そうなれば、一番被害を受けるのは、本来貴族や王族などに関わりを持たないはずの民たちだ。……ならば、内憂を払えなかった王家は、潔くここで戦い、アルビオンの戦いを終わらせる……王家の死をもって」
「……あなたは、本当にそれでいいのですか? 民のためとあなたは言うが、あなたはまだ若い……戦いで死んだことにし、自由になることもできるのでは……。っ、いえ、失礼しました。今言ったことは聞かなかったことにしてください」

 王子の覚悟をまるで無視した言葉に、士郎は慌てて謝った。

 馬鹿か俺は! とうに覚悟を決めた者に何を言っている! なにを……。

 ウェールズは顔を背け、手を強く握り締めている士郎を見ると、小さく、そして優しげな笑い声を上げた。

「っ、はは……ありがとう。実の所、確かにそのようなことを考えたことがないと言えば嘘になる。王家の子として生まれ、毎日休みもなく、王となるための勉学ばかり……何度も考えた……私がただの下級の貴族だったら、ただの平民だったらと……。しかし、今はなぜか、そんな考えは全く出てこないんだよシロウ。なぜだかわかるかい?」
「―――いえ……わかりません」

 ウェールズの言葉に、わからないと答えた士郎だが、本当はわかっていた。昔、彼女も同じようなことを言ったことがあるのだから……。

「仲間だよシロウ……ここに残る貴族たちを見たかね、相手は五万、こちらの死は確実だ……しかし彼らは今ここにいる……こんな王家に忠誠を誓ってくれている。王家の義務、内憂を払えなかった責任、私がここにいる理由は様々あるが、一番の理由は彼らだ…確かに私はアンリエッタを愛している、彼女の願いはなんだって叶えて見せる……そう思っていた、しかし私はその思いを裏切り、彼らと共に戦い、死ぬことを選ぶ。……明日の戦いが歴史に記される時、彼らが逃げ遅れた王家と共に死んだ貴族ではなく、王家と共に、最後まで戦い抜いた貴族と記されるためにっ、私は彼らと最後まで戦うっ!私の誇りたる彼らと共にっ!」
 
 ―――共に戦った騎士たちが、私の誇りです―――
 
「……上に立つものは、やはりどこか共通するものがあるのかな……」

 ウェールズの宣言のような話を聞き、士郎は小さく何事か呟くと、ウェールズの前に恭しく跪いた。

「シロウどの?」
「ご武運をお祈りいたします……」

 士郎の言葉を聞いたウェールズは、微かに笑うと、目をつむり。

「シロウ、頼みがある……ウェールズは勇敢に戦い、勇敢に死んでいったと。アンリエッタに伝えてくれ……それだけで十分だ……」

 そう言うと、ウェールズはテラスの扉を開き、喧騒が響くホールの中心に入っていく。
 ウェールズが去ったあとも士郎はその場から動けずにいた。

 ウェールズ皇太子……あなたの最後の望み……仲間と共に戦い死ぬ……せめてその死が、満足出来るものであることを願います……。
 
 テラスに一人跪く士郎。その胸中をしるものは、夜空に輝く大きな双月も知ることはできなかった。







 士郎は真っ暗な廊下を、ロウソクの燭台を持って歩いていた。
 廊下の途中に、窓が開いていて、月が見えた。月を見て、一人涙ぐんでいる少女がいた。長い、桃色がかったブロンドの髪……。白い頬に伝う涙は、まるで真珠の粒のよう。
 その美しい横顔と悲しげな様に、しばらく士郎はじっと見とれていた。
 ついと、ルイズは振り向くと。ロウソクを持った士郎に気付き、目頭をゴシゴシと拭った。
 しかし、ルイズの顔は再びふにゃっと崩れた。士郎が近づくと、力が抜けたように、ルイズは士郎の体にもたれかかった。
 士郎はルイズの頭に手を置き、優しく撫でる。

「なんで……なんであの人達……、どうして、どうして死を選ぶの? わけわかんない。姫さまが逃げてって言ってるのに……恋人が逃げてって言ってるのに、どうしてウェールズ皇太子は死を選ぶの?」
「ルイズと同じだよ……」

 士郎が頭を撫でながら言うと、ルイズは士郎の顔を仰ぎ見て、不思議そうに聞いた。

「……わたしと同じ……?」
「自分の中にある、譲れないもののために戦うんだ……」
「じゃあ、残される人たちは? 姫さまのことはいいの? それって結局、自分のことしか考えていないだけじゃない……」
 
 再び士郎の胸に顔を埋め、ルイズは体を震わせている。
 
「シロウは、彼らの言うことが分かるの?」
「理解は出来る……」
「何でできるの?」
 
 士郎はルイズの頭を撫でながら、窓から見える月を眺め、その輝きに目を眩ませたように目を細めた。
 
「昔……昔な、俺の知り合いに、似たような人がいたからな……」
「どんな知り合いだったの」
「俺の知る中で最高の剣の使い手だ、とある戦いで共に戦ったことがあってな……その時の俺はてんで弱くて、色々情けないところを見られたよ。俺の最初の剣の師匠でもあったな。……融通の利かない頑固ものでな、負けず嫌いなところもあって、ゲームとかで勝ってしまったら、自分が勝つまで続けさせられたこともあったな……そしてなにより……」
「そして?」
「ああ、そして、とても綺麗な人だったよ」

 懐かしそうに話す士郎。しかし、その言葉に込められている思いに気付いたルイズは、士郎から体を離し、顔を伏せながら聞いた。

「……恋人……だったの」

 ルイズがいきなり離れたことに驚きながらも、士郎は軽く頬を掻きながら言った。

「恋人……だったのかな? それは……俺にも分からない……な……」
「そう……」
「ルイズ?」
 
 ルイズの様子がおかしいことに気付いた士郎が、ルイズに近づこうとすると、ルイズは伏せていた顔を勢い良く上げ、士郎に笑いかけた。

「ごめんねシロウ、変なこと聞いて。わたし疲れたみたいだから、もう寝るね、おやすみシロウ」
「あっ、ルイズ!」

 急に踵を返し、駆け出したルイズに呼びかけるも、ルイズは止まらずにそのまま暗い廊下の中に消えていった。

「ルイズ……」
 
 暗い廊下には、士郎の呆然とした声のみが響いていた。
 
 
 
 

 
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