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木ノ葉の里の大食い少女

作者:わたあめ
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第一部
第一章 純粋すぎるのもまた罪。
  1-5

「よっ、ヤーバネっ」
「あ、……あんた」

 手を振って見せると、振り返った白い髪の少女は表情を緩めた。色あせた桃色の着物を着ており、髪も整えられている。里の中心部に行くにあたって身だしなみを整えてみたのだろう。もしくはちょっとしたおしゃれだろうか。

「久しぶり」
「あーうん、おひさ」

 ヤバネを連れて木の葉病院へと歩いていく。相変らずつんけんした態度のヤバネは、不意にぽつりと聞いてきた。

「ユヅル、どうなったの」
「まあ、経絡系の損傷がナンタラーカンタラーだね」
「ケイラクケイ? 何、それ。シロートにもわかるように説明して」

 と言われてチャクラの概念や経絡系について大雑把に説明して聞かせたが、ヤバネは「はぁ?」を何度も繰り返した上に、とどめで「あんた、説明下手すぎ。いいよ、あたし他の人に聞くから」と呆れたように溜息をついた。どうしてアタシが呆れられにゃあかんのだ。マナとしては大変理不尽な思いを抱いていたわけだが。

「で、あんたは花の一本も持ってないの? 仲間じゃないの?」
「お前こそ持ってねえのかよ。兄弟だろ?」

 じろじろと無遠慮にマナの空っぽの両腕を眺める。本日紅丸は犬塚家にて忍犬の訓練を受けているので不在だ。ムッとしたので言い返してやると、ヤバネは更にムッとした顔つきになった。

「貧乏ですみませんでしたぁ」

 嫌味ったらしく言われると、火影の援助と狐者異の遺産を受け継ぐ身としては返す言葉はない。そうだ、十三歳の女の子一人で養っていくことしか出来ないいとめ家にはユヅルの医療費を払うくらいで精一杯だったはずだ。聞くところによると、今回の任務での収入は殆どがユヅルとその父ヤジリの医療費に使われ、残ったものは生活費としているのだという。花を買う余裕などないだろう。
 それでも何か言い返したくてうーうー唸っていると、わん、という声がした。

「わっ、苺大福!」

 飛び込んできた青い目の子犬を抱きしめてくるくる回る。

「どうだぁ、訓練は終わったのかーっ?」
「今日もいい子だったぜ、紅丸はよ」

 赤丸を頭に乗っけたキバが近づいてきて、サンキューと紅丸に頬を摺り寄せる。ぽかんとしてこちらを見つめているヤバネに、マナは紅丸をヤバネの目の前に近づけた。

「ほらっ! かわいいだろ~」
「っう、っわあああ!」

 忍者顔負けのスピードで後退り、お店の壁にべたりと張り付く。更に紅丸を近づけてみると、ヤバネは露骨に嫌そうな顔をして顔を背けた。

「うわ、ち、近づけるな! あっちいけ!」
「……ヤバネ、お前まさか」
「そうだよそうだよ近所の野良犬に追い掛け回されてから犬嫌いだよ犬怖いんだよそれがどうかしたか! 笑いたくば笑うがいいわ、全力であんたを叩きのめすぞ!!」

 開き直って怒鳴りつつ、全力でいやいやをするヤバネにキバが唖然とした顔をしている。犬嫌いの人間がいるということに驚きを隠せないようだ。
 
「わーったよ、ぎゃんぎゃん騒ぐなって」

 ニヤニヤ笑いつつ紅丸をどかすと、鉄拳がマナの顔面に飛び込んできた。忍びではない為に威力はそうないが、任務明けの翌日いきなり怒れる少女の鉄拳とはキツイものがある。

「どぶふぉっ」

 キバもそれが自業自得だとは分かっているので何のフォローもしないことにした。


「えーと、いとめユヅルくんは……」
「同じ班のマナさん、同期の下忍キバくん、そして双子の妹のヤバネちゃんですね、わかります」
「「「え!?」」」

 長い茶髪に細い瞳の医療忍者がにこにこしながら言った。ヒルマだ。勤務時間が終了したのか、医療忍者の白衣ではなく黒で統一された行衣だ。

「えーっと、どちら様……? つかなんで名前知って、」
「僕のこの白い瞳の前にプライバシーなどもはや存在できません」

 屈託なく笑うヒルマは勤務時間ではないためか、一人称もわたくしから僕へと変化している。

「というのは冗談でして、ヤバネちゃんは来たらユヅルくんのところにご案内するよう申し付かった時に写真を見せてもらったのですが、やはり実物が一番麗らかにございますね、思わずちゃん付けしてしまいます。マナさんは狐者異最後の生き残りということですので、知名度ならサスケ君並みですよ? キバ君はそうですね、君の姉上が下忍の頃ちょうど僕と同じ班でいらしたということで。君の事ならよぉく知っていますよ、ハナちゃんのブラコントークにはよくよく巻き込まれましたから」

 そこで一息ついて、

「例えば呑みこみは早くて賢いのにどこか抜けてておばかなんだとか、手がつけられないほどやんちゃだけどそれがまたいいとか。犬の尻尾を引っ張って噛まれてぎゃんぎゃん泣いたりとか、喧嘩した時ごめんなさいって言われても直ぐに仲直りしないと反応が一々面白いとか。よく彼女が引っ張り出してるのはあれですね、キバ君に“死ねクソ姉ちゃん”って怒鳴られたとき、アカデミーで習った方法で死んだふりをして見せたら“姉ちゃんが死んじゃった”って大騒ぎしたとか。全く可愛い話ですねー」

 ひくひくとキバが頬を引き攣らせ、ヤバネとマナがそれぞれその傍でぷ、と笑みを零した。

「因みに誕生日は七月七日の七夕で、かに座のB型。好きな食べ物はビーフジャーキーと軟骨、嫌いなものは噛み応えのないもの、趣味は赤丸くんとの散歩であっていますね? 同じ班のは確か日向宗家の長女であるヒナタ様と油女一族の嫡子油女シノ。赤丸くんの弟たる紅丸くんがマナさんに贈られた時は“キバにガールフレンドが出来たかもしれない!”と大層動揺しておりましたので安心させてあげた方がよろしいのでは? あ、因みに先ほどいったの全部ハナちゃんに緘口令しかれてるものばっかなんで、彼女には内緒ですよ。これでも一応ハナちゃんに惚れている身でね、余り嫌われたくはないのです」

 なんて自分勝手な理由だろう。この男、口がかなり軽い。姉に言いつけてやりたい衝動が一気に湧き上がったが、それ以上に姉がこんないらんことを全部この男に打ち明けたりしていたことに腹が立った。おまけに姉に惚れている、だと?

「一目惚れという奴ですかね。アカデミー時代、白眼の修行中に偶然見つけたんですよ、子犬と戯れる美少女を……! まあ、そういうことですので。あ、僕が彼女に惚れているということは僕と君とのひ・み・つ、ですからね、キバ君。感謝します」

 にこりと笑い、スキップで去っていくヒルマに、キバの中にかつてない殺意が燃え上がった。
 
「……あいつだけにはっ、姉ちゃんやらねえ……! あいつが俺の義理の兄になるとか、そんなこと俺の鼻がまだ利く内は許さんぞっ!」

 吠えるキバに、ヤバネとマナは顔を見合わせてにやっと笑った。
 
 +

 ぱくぱく羊羹を食べていたユヅルは、病室に入ってきたマナを見るなり慌てて残りを口に押し込んだ。
 窓際には色とりどりの花が入ったバスケットだ。ユヅルに好意を持つ少女が頬を染めながらそれを持ってくるというシーンがまざまざと頭に浮びそうな可愛らしい花で、バスケットにはピンクのリボンが結ばれている。たぶん、はじめだ。
 机の上には甘栗甘の詰め合わせ、淡いブルーの兵糧丸に「根性」とかかれた錘が転がっている。

「見舞いにきたぜー」

 どかっとベッドの脇に腰を下ろすマナに、ありがとうとユヅルは苦笑気味に笑う。黄色いカチューシャに纏められた長い白髪が風に吹かれて揺れた。
 キバとヤバネも、適当に椅子を見つけて座る。

「ヤバネ、ええっと、任務のお代、ちゃんと届いた?」
「届いた。父ちゃん、お医者さんに見てもらったよ。薬ちゃあんと飲めば治るってね。そんで、“あの疫病神も少しは役に立つな”とか言ってた」 
「は? なんだよそれ」

 キバが眉根に皺を寄せる。ユヅルとユヅルのとーちゃん、仲がわりーの。そう耳打つと、ふうん、とキバはあまり納得していないような口調で呟いた。

「わかんない? これさ、父ちゃんが今ユヅルに言える最大級の褒め言葉だよ」

 最大級の褒め言葉がそれか、と思わんでもないが、何年間もずっと続いてきたこの溝はそう簡単には埋められるものではないだろう。ヤジリにはこれがユヅルが稼いだ金だとは教えずに医者に診てもらった。あのお金ね、ユヅルが稼いできたものなんだよ、そう教えた時のヤジリの表情はかなりの見物だったのを憶えている。

「そんでね、ユヅルが入院してるって聞いたらね、ワシはいかんぞいってやるものか、でもヤバネお前は行って来いってね」
「何そのツンデレジジイ」

 赤い瞳を細めて笑ったヤバネにぽつりと零せば、すぐさまヤバネの手刀がマナの顔面にクリーンヒットした。じろりとヤバネがこちらを振り向く。血の赤がむき出しになった瞳が冷たい。

「しばくぞ」
「しばいてから言う台詞か? それは」

 赤い目と黒い目のにらみ合いが続いたところで、あーっ! とキバが声を上げた。「ゆっ、ユヅル! お前彼女でも出来たのか? あの花きれーだなー!」とはしゃぎ、わざとらしく明るい声で空気を緩和しようという努力らしいが、ヤバネとマナに一斉に白い目で見られてしまった。因みに現在、赤丸と紅丸はベッドの上でじゃれあっている。微笑ましいことだ。
 
「あ、……それははじめが持ってきたものだよ。この羊羹はテンテンさんとリーさんからで、あそこに転がってる錘はガイさんから。で、あっちのミント味兵糧丸はハッカ先生」
「……ハッカ先生ェ……名前がハッカだからって無理に兵糧丸をミント味にしなくても……」

 キバの明るい声に少しばかり躊躇ってからユヅルが遠慮がちに言う。ミント味兵糧丸と言う単語にキバが呆れた(引いた)ような顔つきになった。
 それから数分の間続いた沈黙の末に、ヤバネが口を開いた。

「あんね、あたしまだ仕事あっから。ごめんね、あたし、帰る」

 どうやらヤバネとユヅルの間にある溝も埋まったわけではないらしい。それは当たり前だろう――ヤジリとユヅルの溝ほどではないが、ヤバネとユヅルの間にも溝がないわけではないのだ。ヤバネはユヅルに羨ましがられて死んでしまうことを恐れ、そして距離を置いていたことに違いはない。ヤジリのようにユヅルに強くあたらずとも、ユヅルを恐れる気持ちはあったはずだ。

「うん……わかった。頑張ってね」

 ユヅルが長い白髪を揺らして笑うと、短い白髪を揺らしてヤバネは踵を返す。
 見詰め合った赤い瞳の中に何があったのかは、マナには読み取れなかった。
 九班になってからわかったのは、家族といえど皆が仲良しではいられないということだ。血の繋がりをもつ実の家族の間にも溝が出来てしまうということだ。疫病神と詰られたユヅル、ヒトツの姫になることを強いられたはじめ。その中にマナが羨んだような親子の情だとかそんなものは一切見受けられない、けれど。
 その中に愛がないとは言い切れない。
 やや気まずくなった空気の中、キバは赤丸を抱き上げた。

「ごめん、俺ももうそろそろ帰らねえと母ちゃんにどやされる」
「うん、キバもわざわざありがとう」
「わんっ」
「ばいばーい」

 ユヅル、紅丸とマナに見送られて、キバと赤丸が病室を後にする。ユヅルが羊羹を薦めてきたので遠慮なく食べ始めた。病室の中でマナが羊羹を食べる音が響き、ユヅルは頬杖をついて興味深そうにマナを眺めている。
 そしてマナが食べ終わった頃に、組み合わせた両手を見下ろして、ぽつりと呟くように言った。

「迷惑かけてごめんね。……あんね、昨日みたいなこと初めてなんだ。いつもなら、あの程度の感情じゃ笑尾喇は出てこないのに。……ううん、羨ましいと思って笑尾喇が出てきたことなんて一度もないんだ」
「……ユヅルも、“あんね”って言うんだ」
「……え?」

 話題とは全くないことを持ち出されて、ユヅルは目を丸くした。

「ヤバネもさ、“あんね”っつーんだよ。“あのね”じゃなくてさ」

 “あんね、”と言うその声にヤバネを思い出してしまう。あんね、と。確かに彼女もよくそう言っていたような気がする。あのね、ではなくあんね、と。

「そこらへんさあ、家族なんだなあ、って思った」

 あれだけの思いで笑尾喇が出てきたことに違和感を抱いていた。自分はただ、半ば言い訳というようにその違和感を吐き出しただけなのに、マナはそれをヤバネと繋げてしまった。“あんね”という一言だけで。
 笑尾喇がぴくりと自分の中で動いた。笑尾喇が感じ取ったのだ、マナの羨みを。
 ああそうか――マナは羨ましいのか、マナには家族がいないから。だからマナにはそんな些細な、でも確かな共通点を持ってる俺たちが羨ましいんだ。羨ましがられるほどに仲がいいわけじゃないのにね、と紅丸を撫でると、彼は嬉しそうに目を細めた。

「ま、気にすんな。もし笑尾喇が出てきてくれなかったら、あのままグダグダな長期戦になってたし、ネジ先輩の熱が悪化したりとかそれだけじゃ済まされなかったかもしれねえしな」

 軽く笑って、マナは立ち上がった。紅丸がその頭の上に飛び乗る。

「じゃ、アタシ先行くわな。さっさと退院しろよ、そーじゃねーと突っ込みが足りねーわ」

 手を振って、マナは病室のドアを押し開ける。
 はじめにしてもハッカにしても、ガイやテンテンやリーにしても、十分足らずで去ってしまった。病室に一人ぼっちだった自分に寂しいかなんて一言も聞いてこない。そして長居も長話もせず、あっさりと去っていく。
 でもそんな彼らが好きだ。自分は直ぐによくなるだろうと何よりもそう感じさせてくれる。そして、早くよくならなければと。
 そう思わせてくれる彼らが、ユヅルは好きだ。
 
 +

「おっじゃまっしまーす」

 分家と言えど、ネジの家は中々に大きい。がらがらと引き戸をあけて中に入ると、ふわっと煎餅の美味しそうな匂いがした。ヤバイ、マジ美味しそう。途端に自制が聞かなくなり、ネジの見舞いのことはすっかり忘れて、るんるんで匂いを辿った。紅丸が頭の上で心配そうな鳴き声をあげるが知ったこっちゃない。
 障子の向こうにいくつかのシルエットが見える部屋だった。だがマナの目にそのシルエットは入ってこない。入ってくるのは煎餅をほおばるかりっという音とその醤油の匂い。

「とつげきーっ!」

 障子を打ち破る勢いで中に転がり込む。畳を蹴って低空飛行。地面から五センチほど浮いた体の指先が、皿に盛られた煎餅を巧妙に刈り取る。「ひっひゃああ!?」と女の子の悲鳴が響いた。自分と同じくらいの身長の少女。

「な……!?」

 ばりばりと煎餅を貪りながらあたりを見回すと、兎に角ネジやヒナタやヒルマみたいな奴らが一杯いた。誰を見ても目につくのはその白い目で、それを見るだけで彼らが日向一族であると知る。ちらっと目の前に視線を向けると、目を見開いた少女がいた。いや、この場合幼女と言うべきか? アカデミーに入学してるかしてないかくらいの少女で、顔つきも幼い。切りそろえられた胸元くらいまでの髪や、顔に垂れる一本の黒髪の女の子だった。
 一方その傍にいるのは艶やかな黒髪をオールバックにした男性だ。黒い羽織を纏っており、年は四十代ほど、といったところか。唖然としたその男の傍に、やはり数人の白い目をした男達がいた。

「え……っえ、……ええ……!?」
「ん? 食べないのか? もったいねぇなあ、アタシが食べてやるよ」

 酸欠の金魚のように口をパクパクさせる少女の手から転がり落ちた煎餅をするっとごく自然な動作で掠め取る。

「……っち、ちちうえ……!」

 自分が食べたことのあるものを見ず知らずの赤の他人に食べられるというのはこの少女にとっては初めてのことだった。それもそうだろう、彼女は日向宗家の次女、日向ハナビだ。彼女が食したものに手を出せるような人間など今まで一人もいなかったに違いない。どうしたらいいのかわからなくなって父を振り返ると、父――日向宗主、日向ヒアシは重い溜息をついた。

「ハナビ。彼女は狐者異一族の生き残り……狐者異マナだ」
「え……っ! でっ、でも父上! 狐者異マナは姉上と同じ年のはずでは……!」

 ハナビが混乱するのも無理はない。132センチのハナビの眼前にいるのは彼女と同じか、もしくは彼女より背の低い少女なのである。大人びた顔つきをしているが、顔が丸っこい上にその身長なのであどけなく見える。

「……狐者異一族は体が育ちにくいんだ」

 たくさん食べる癖に太りもしなければ背も伸びない。
 頭の中は食べ物のことばかり。食べたもので頭がよくにもならん。
 奴らは食べることしか知らぬ能無しよ。
 ――そう蔑まれてばかりの一族だったが、その戦闘能力には文句なしだった。戦場でも大層役にたった。
 ……けれどそれは戦場での話。日常ではやはりこのような感じだ。

「えーと、じゃあ今は……っ!」
「絶賛下忍中でーっす。今日はネジ先輩のおみまいー」
「ヒアシ様、検査が終わりました」

 そのタイミングで、入ってきたのはマスクをつけたネジとにこにこ笑顔のヒルマだった。
 ネジの頭は俯きがちで、黒い髪は僅かに乱れ、頬も上気している。白い瞳もとろんとして眠そうだ。

「そうか、どうだった?」
「はっろーネジ先輩。だいじょぶかー?」

 ヒアシがヒルマを見上げる。地面に寝転んで煎餅を食べつつマナが手を振った。その瞬間、俯きがちだったネジの頭が弾かれるように跳ね上がったかと思うと、瞬く間にその指先がマナの点穴を貫いた。

「うぐっふぉお」
「白眼を使わず点穴を見切るとは……さすが日向始まって以来の天才!」

 ヒアシの傍に立っていた男が感銘に撃たれたような顔つきになる。点穴の位置を記憶しているだけです、と痰の絡んだ喉からネジはそんな言葉を発した。因みに記憶したのはマナに八卦六十四掌を繰り出した時だ。

「……ネジ先輩てめー元気だな……ッ」
「お前は人様の家でっ、しかも宗家の前で何をしているっ! ……ヒアシ様、ハナビ様、俺の後輩が無礼を働き、すいませんでした……!」

 土下座したネジの横顔に、マナは一瞬違和感を覚えた。こんな顔、どこかで見たことがある。なんて言えばいいんだろう。

「いや、構わん。お前が狐者異の者と知り合いだったとはな……」
「任務でご一緒したんですよー」

 土下座したネジの後ろ、日向宗主相手に親しげに口をきくマナ。土下座したまま、ネジは白眼を発動するなり左手を持ち上げ、そして後ろに向かって突き刺した。マナの点穴は再び貫かれた。

「……ヒルマ」
「はい。そうですね、さすが疫鬼にやられたというだけはありますね。一週間やそこらじゃ治らないかもしれません。――お薬を調合しますので、出来るだけ喋るのを控え、薬をちゃんと呑み、そしてちゃんと静かに休憩を取って、水分を補給すれば治るはずです。あまり無理してはいけませんよ、そして冷たい水もいけません。いいですか?」

 ヒアシに見られて、ヒルマはネジにやってはいけないことなどを伝えた。ネジはこくんと頷いて喋るのを控える。その時不意に、一人の日向の男が口を開いた。

「ネジよ。お前が店でアカデミー就学前の少女に対し柔拳を用いたという噂が蔓延っている。それは真か? ――正直に答えよ。これは日向家の名誉にもかかわる。……よりにもよって就学前の少女に、公共の場で柔拳を用いるとはな……」
「え? っつこたぁ公共の場じゃなきゃいいのか?」

 溜息をつくその男に、ぽかんとマナが見当はずれな問いをかける。ネジの指が更にマナの点穴を貫いた。
 成る程、とネジは上手く回らない頭で納得していた。それが死病でも無い限り、宗家が一分家の見舞いにくるなんてことがそうそあるはずもない。この場合ネジが宗主ヒアシの甥であることも関係しているのかもしれないが、しかしだからといってわざわざ見舞いにきたり贔屓したりするような宗家ではないし、ネジとて宗家とはあまり会いたくない相手だ。仲がいいとはとても言えない。
 つまり見舞いにくるというのは建前で、彼らはその噂の真否を確認しにきたのだ。日向始まって以来の天才が公共の場で就学前の少女に柔拳を用いる――というのはかなりの醜聞だろう。
 まあ、店で柔拳といったら誰かさんしか思いつかない。……成る程こうハナビと比べてみると、この女ハナビよりも少しだが背が低いみたいだ。就学前に見えても無理はあるまい。

「――俺は、誓って“就学前の”少女に柔拳を用いたことはありません」
「……そうか?」
「はい」

 訝しげな目を向けてくる宗家に腹が立ってきた。日向の栄誉。日向の掟。日向の血継限界。日向の血。日向の宗家。日向の分家。日向の呪印。瞼が重くなってくる。何があっても憎き宗家の前でうたたねをするとかそういうわけにはいかない。ネジはぐっと拳を握り締めた。こっちは病人なんだぞと心中悪態をつく。悪熱と寒気で視界がぐわんぐわんとした。

「だがこれを実際に目撃したという者もいるのだ、日向分家に」
「……その方はこの場に?」
「いや、今は長期任務で里を出ている」

 更にその男の口から出てきた分家の名前にネジは悪態をつく。
 ――そいつは狐者異マナを知らないただの馬鹿だ!
 二十代もあれば、狐者異を知らない者はない。その男の口から出てきた分家は確か今年で三十歳、恐らく狐者異マナの存在は知っていてもその容姿は知らないのだろう。

「あ、それってアタシのことじゃね?」

 何テンポも遅れてからの、マナの能天気な台詞にネジは固まった。眼前のヒアシも固まる。その傍の男たちも固まり、ハナビだけが不思議そうな顔をしていた。

「……そ、そうか……。就学前というわけではないのだな、ならよかった……ね、ネジよ、体を大事にするんだぞ……」

 ヒアシが目を右に左にキョトキョトさせつつそう言って、強張った笑顔で立ち上がった。他の者たちもそれに続いて立ち上がり、父に促されハナビも立ち上がる。はい、とネジは突然のことに驚きつつも、頭を下げて彼らを見送った。

 +

「父上? ……どうしたのですか?」

 父達の態度の変わり様に驚いていたハナビは、ネジの家を出るなり直ぐにそう問いかけた。

「いや……な。狐者異ならば仕方あるまい」

 言いながらヒアシは、ヒザシを介して知り合った以前マナの母――狐者異ネリネが接近してくるのを白眼で捉えるなり自分とその身辺の食べ物を守る為にチャクラを放出していたことを思い出す。そしてそれがヒアシの八卦掌・回天の完成に繋がったことも。

「……母が母なら、娘も娘か……」

 ネリネがヒザシにもぶっ飛ばされていたことを思い出し、ヒアシは改めてネジはヒザシの息子なんだと実感しながら、遠い目になった。
 ヒアシとヒザシ、ネリネが十代のこと――三十年も前のことだ。もうそんなに昔か、とヒアシは年月の流れの速さに溜息をつき、僅か二十一にして死んでしまったネリネとその夫、そしてネジが四歳の頃にやはり雲のかなたへと向かってしまった弟の命を悼んだ。

 +

「わあ、去っていったなあの人達」
「げほっ、げほ」

 僅かの間咳きこんでから、何しに来たんだとマナを睨みつける。見舞いだよ見舞い、さきもいったでしょーと彼女は軽い調子で返してきた。

「ヒアシさんってさ、ネジ先輩と血ィ繋がってんですか? なんか未来形ネジ先輩って感じがします」
「……それは大人になった俺がヒアシ様のようになる、ということか?」

 マナの発言に怪訝そうな顔をして問いかけると、マナはうーん、と首を傾げた。
 
「――というよりも、ヒアシさんがネジ先輩のような少年だったんじゃねえのかなあ……? うーんと、未来形ネジ先輩ってか寧ろネジ先輩が過去形ヒアシさん、ってな感じ?」
「……はあ? ……まあ、血は繋がっている。俺の伯父だ」

 宗家とか言ってましたよね、つことはあの人達日向宗家なんすか! あーあ、さっさとぼったくっとけばよかったのに、アタシってば惜しいことしたなあ。ぐちぐち呟きだすマナを睨みつけて、淹れたばかりのお茶を飲んだ。喉がひりひりとする。お茶を飲むと逆にそれが強調されるようで気持ち悪い。

「ネジ先輩って、あの人たち嫌いじゃないんですか」

 図星をつかれてドキッとした。なんで、と思わずそんな言葉を零す。
 部外者のマナに、食以外に興味を持たないマナに気付かれるほど、自分はあからさまだっただろうか。

「だってネジ先輩の顔、嫌いな食べ物を目の前にして、でも食べたくないって言えない顔でしたもん」
「……はぁ?」
 
 相変らず食べ物を用いたその表現に呆れつつ、しかしそれは納得できた。確かに自分は彼等が嫌いで、でも嫌いとはいえない。言える立場ではないし、自分の生死は彼等に握られているのだから。

「ねー、ネジ先輩」
「何だ?」

 地面に寝転がって煎餅を頬張りながら、マナが黒い目をこちらに向けてきた。眉を僅かにあげると、目尻の切れ込んでいる目が少しばかり大きくなったかのように見える。傍で困り顔の紅丸もこちらに視線を向けてきた。

「アタシの両親って、どんな人だったと思います?」

 ひどく真剣にその後輩は問いかけてくる。黒い目はまるで、ネジが彼女より一年早く生まれたからマナよりもずっとずっと多くのことを知っているとでもいうようで。勿論脳味噌が胃にあるようなマナに比べればネジが知っていることはずっと多い。けれどマナの目はまるで、――一年早く生まれたネジが彼女の母を見知っているのではないかと。そんな期待とも言えない空想があった。
 その頃は物心もついていなかったさ。馬鹿じゃないのか、お前。そう返そうとしてやめた。そうだな、と目を瞑る。適当に答えて適当に夢を壊しておこう。

「お前の両親だから、背は高くなかったんだろうな。それで、どちらかがきっとお前みたいな髪の色してたんだろう」

 マナをまじまじと見ながら、とりあえずマナの容姿を並べ立て、そしてその前に「お前みたいな」と付け加えれば意外に簡単なもんである。マナもまともな答えをもらえるとは期待していないらしい、ネジがでっちあげた両親の容姿を黙って聞いている。

「それでお前の両親だから、お前みたいになんでも食べるんだろうな。そして白眼使いに点穴をつかれでもしていたんだろう」
「おー。そんで?」
「それで、髪は天然パーマだな。目は黒。頭は空っぽ。脳味噌は胃の中、それで、それで……まあ、そんな感じだろう」
「ありがとうございます、ネジ先輩」

 ネジ先輩って、家族のこと大好きだったでしょう。そう言ってマナは軽く笑って見せた。ああそうだ、大好きだったさ。ネジは静かにそう答えた。気まずい沈黙が続き、お前はさっさと出て行けとネジはマナを睨んだ。へいへいと笑いながらマナと紅丸の足音が遠ざかっていく。
 ゆっくりと目を瞑ると、浮んできたのは疲れで――ネジはそのまま寝ることにした。


「火影さまぁ、ハッカとガイとその生徒たちの合同任務、なんで私もご一緒させてくれなかったですー?」

 悲鳴じみた声を上げて飛び込んできた彼女は、ハッカとガイと同班だったくノ一、ユナトだ。現在は火影邸の使用人になっている。一応中忍で、もうちょっと仕事を与えてやってもいいのだが……、本人が雑用好きでまたそれに向いていることもあり、だからいつまでたっても雑用である。敬語もちょいとおかしい。

「余りにも突然のことでなあ……わしも対応できんかった」
「火影さまうそつきです! きっと私がいくと事態がややこしくなるって思って行かせなかったです!」

 火影を人差し指で指しつつ悲鳴のように嘘つきと喚くユナトもユナトだが、ヒルゼンがこのやり取りを楽しいと思っているのは事実だ。

「まあ……な」
「こっ、肯定するだなんて!」

 肯定したらしたでやはり悲鳴じみた声をあげるユナト。その片腕は日に焼け、片腕は妙に白い。――そう、それこそが上忍シソ・ハッカが一番愛した女の腕。そしてガイとハッカとユナトの担当だった女の腕だ。

「まあ、もう過ぎたことじゃろう?」
「でも今日ハッカとガイが音の国の奴等について調べるです。火影さまはそのことも教えてくれなかったです」

 少しは落ち着いてきたのだろうか、声が比較的悲鳴っぽくなくなった。唇を尖らせながら子供のように火影を睨むユナトに、三代目も失笑を禁じえない。

「……まあ無駄話はこれくらいにしようかの。本当の目的はこれを文句しにきたわけじゃないじゃろう?」
「はいです。えとですね。上層部にて、いとめユヅルの解剖計画が進んでるです。犬神は通常雲隠れに多いです。木の葉に出てくるのはこれが最初です。これとない解剖の機会です。実をいうと、私もちょっと興味あるです」
「……何じゃと?」
「で一方、ダンゾウさまはいとめユヅルを暗部にいれようと考えてるです。こちらの方が少しマシかもですけど、でも暗部になる前に死んじゃう可能性もあるです」

 ユナトは火影邸の使用人であると同時に、その中に三代目が潜ませた間諜でもあった。喉を鳴らす猫のように嬉しそうな笑顔、身に纏う和やかな雰囲気。決して高貴であるとは言えなくとも、その精一杯の努力と優しさが見て取れる何気ない仕草、そして軽薄そうに見えながら口を割らないその点で、彼女は木の葉の上層部全般に於ける信頼を持ち、木の葉の上層部に放つ間諜としては正に最適だった。
 その上彼女はかつての担当上忍、御座敷童子から受け継いだ左手の持つ幻術と、ガイやハッカなどと組み手をする内に覚えた体術、そして会得しているいくつかの忍術でそれなりに腕が利く。しかも彼女は右腕を移植させられて後、若くして忍びを辞めてしまっていた為に、今ではその実力を知る者も数人ほどしかいないのだった。
 敬語は拙くとも彼女は聡明であり、相手から様々な言葉を引き出すことに長けていた。また、一時期その能力を買われ、志村ダンゾウの下で暗部としての修行を積んでいた為、ダンゾウでからすらもさまざまな情報を引き出し、またある時には三代目とダンゾウのパイプ役ともなってくれるのだった。

「うーむ、どうしたことかのう……ユナト、どう思う?」

 そう問いかけてみれば、待ってましたとばかりにユナトは目を輝かせた。言いたくてうずうずしていた様子である。まあ、三代目をそれをわかって問いかけてみたのだが。

「私の知り合いに、いとめユヅルの知り合いの子がいるです。その子ならいとめユヅルも警戒しないはずです。その上狐者異マナの監視も出来て一石二鳥なのです、――それからハッカも、です」
「よく考えれば、七班も九班も危険因子ばかりじゃのう」

 七班を構成するは、三忍の名すら霞ませる天才忍者・はたけサクモを父に持ち、写輪眼有するコピー忍者。一族と両親を敬愛する兄に殺されてしまったうちは一族の最後の生き残りたるアカデミー首席。四代目火影を父に持ち、悪戯好きで人々の頭を悩ませる落ち零れ人柱力、及び抜きん出た座学の恋するくノ一だ。
 そして九班を構成するは、記憶を封印された、かつての担当上忍に狂ったまでに恋をしている担当上忍。女物の服を着せられる、姉の人形となったアカデミー次席。餓死して滅びた狐者異一族の生き残り――と表ではそういわれている――恐ろしいまでの大食い少女に、犬神を宿したいじめられっ子だ。
 どの班にだって一風変わった風景を持つ曲者や、担当上忍の頭を悩ませるクソガキはいるもんだが、こうも危険因子ばかりを一つの班に詰め込むのはどうかという考えも首を擡げはじめるがしかし、これも彼等を信頼している証拠だ。
 決して他班の担当上忍である夕日紅や猿飛アスマを信頼しているというわけではない。だが紅は上忍に成り立てであるし、アスマは猪鹿蝶の班を纏めるのには猿飛の血を継ぐ彼が相応しいと判断したからというのもある。
 しかしハッカを只でさえ問題児の多い班に入れたのはどうだっただろうかと今更ながら思う。

「とりあえず、万事任せてくださいです。実は今日その子と会う約束があるです」
「あ、……ああ、わかった。任せたぞ」

 使用人にしては割りと好きに行動できているユナトだが、元々色んなところをうろちょろしているような女なのでいなくても怪しまれることは滅多にない。
 口笛を歌いながら彼女が向かったのは森の中で、暫く歩くと、樹上にお団子を食べる少女と中性的な顔をした茶髪の少年が二人腰掛け、ちらちらとお互いに向かって視線を馳せていた。

 +

 うちは一族のような悲劇が二度と起こらないように。
 彼女は彼女の手下たちを使って各一族内部の情報収集や監視などを続けていた。
 山吹もそんなユナトの手下の一人で、餓死しかけていたところをユナトに拾われたのだ。それからその体に基本的な体術や足音の消し方などを学び、今では一文字家にてはじめや当主一矢の信頼を勝ち得るに至っている。
 テンテンと出会ったのは彼女が忍具店でかなりの値段がつく巻き物を買うか買わないか迷っていた時に、それを買って彼女にあげたのが始まりだった。以来ユナトとテンテンのことを調べ始め、テンテンの忍具の狙いの的確さ――いざとなれば相手の急所をついて一撃で殺せることも出来る――に目をつけたのだ。

「テンテンちゃん、こっちの子は山吹くん、一文字家に仕えてるの。で、山吹くん、こっちがテンテンちゃん。可愛いでしょお」
「よ、よろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ」

 おずおずと頭を下げるテンテンに対し、山吹は堂々とした態度である。
 テンテンは全く理解が出来なかった。何故自分が呼ばれたのだろう。それにこの一文字家に仕えているという少年は一体何者なのだろう?
 
「……ユナト様、貴女が私を及びしたのはお見合いの真似事でもするためでしょうか?」

 いつまでも本題に入らないことに苛々したかのように口を開く山吹に、ユナトは目を丸くしてみせる。

「やだぁ、山吹くん、お見合いだと思ってたのー? それともテンテンちゃんに興味が出ちゃった?」
「違います! ――っとにかく、早く話を進めてください!!」
「やだ、そんなに声を荒げなくたっていいのにー。テンテンちゃん、山吹くんは優しくふわふわしてる女の子みたいに見えて実はすっごく怖いんだよおー」

 肩を抱かれ、あからさまなひそひそ声で話しかけられたテンテンは思わず体を強張らせた。山吹の殺気が増す。そんなテンテンにニコニコしながらユナトは言う。

「さあて、そろそろ本題に入ろ?」


「私の名前はユナト、白腕のユナト。白腕って呼ばれてるのはこの腕の所為なんだけど。で、ところで山吹くん、テンテンちゃんはくノ一なんだ」
「く、くノ一!?」

 山吹の驚いたような顔に、ユナトは満足げに笑う。ユナトの何人もいる手下は殆どがユナトに簡単な体術などを教わった百姓や一般人、孤児などで、その殆どが召使いなどとして様々な場所にもぐりこんでいる。ユナトが忍を手下にするというのは始めてだ。

「別にテンテンちゃんじゃなくてもよかったんだけど、やっぱ知り合いの子のほうが私としてもやりやすいから」

 山吹は知っている。ユナトは本当に、別にテンテンじゃなくてもよかったのだろう。彼女と交流があるのは概ね上層部、上忍、特別上忍に一般人などで、だから下忍や中忍のことをそれほどよく把握はしていないのだろう。もし相手から情報を引き出し、それをそっくりそのままユナトに教えられるような下忍で、尚且つ九班に近しい下忍であれば誰でもよかったはずだ。
 山吹もまた然り。ユナトは孤児の山吹を拾った。そして彼を拾い、懐いてきた山吹を自分の手下とした。もし山吹じゃないどこかの孤児が同じように路頭で彷徨っていて、もしその子の方が山吹より有能そうならユナトはそちらを選んでいたかもしれないのだ。
 ユナトは山吹を愛してくれている。これは自惚れではない。ユナトは山吹を弟みたいに可愛がった。でもそれだけだ。他の子でもユナトはきっと弟妹のように可愛がっただろう。
 山吹もテンテンも。つまり使いやすそうだと思われたからだろう。
 しかしユナトに任務内容を説明されたテンテンの答えは予想外のものだった。

「――私には出来ません」
「え?」
「忍具買ってもらったのに恩を仇で返すようで悪いんですけど、マナやユヅルは確かに危険因子かもしれないし、マナと笑尾喇はすっごく厄介かもしれない。でも私、それでもマナやユヅルたちのこと気に入ってるんです。だから……私には私の気に入ってる後輩を監視して情報を取り出すなんてとても出来ないんです。本当にごめんなさい。……他を当たってくれますか」

 お団子のお代と、この間の忍具のお金です。そう言ってお金をおくと、踵を翻して彼女は去っていく。
 ぽかあん、という顔で、間抜け面を晒しつつユナトは座っていたが――、じゃあ仕方ないね、他を当たるかといいつつ肩を竦めた。

「貴女にしては諦めがいいですね、珍しく。……ところで疑問に思っていたのですが、いとめユヅルと狐者異マナの監視なら、はじめ様にお任せすればよいのではないでしょうか」
「んー、無理無理。初さんが山吹くんのことあんまよく思ってないって知ってるでしょ? それにはじめくんなんて初さんに虐待されたらころんと寝返りそうだし、拷問されたら色々白状しちゃうかもだし。あの脅威な姉がいなければそれなりに使えるんだけどねー」

 面白いなあ、とユナトは呟きながら、テンテンが去っていった先を視線で追う。

「私の手駒になってくれなかったのはきみが始めてだよ、テンテンちゃん。ますます興味が湧いてきたなあ」

 少なくとも、力ずくでキミを手なずけたいと思うほどには。
 くすりと笑うユナトを眺めて山吹は小さく溜息をついた。知っている、ユナトは手駒にした誰も信じていないし、敬愛する三代目だってそこまで信じていないし、上司だったダンゾウだって、元チームメイトだったハッカやガイだって信じていないのだ。ユナトは自分しか信じないし、自分にしか気を遣わない。ある意味楽しい人生なのではないかと山吹は一人思った。他人に気を遣わない人生なんて。

 +

 慌てて出てきたらしいはじめは服装こそいつものもので顔の化粧も落とされていたけれど、口紅を落とすのだけは忘れたらしい。ほんのりとした赤の口紅がはじめの顔の女らしさを倍にし、傍目に見たらはじめの双子の姉妹かとでも思いそうな風情だった。

「マナ、……お前、どうして姉上にやり返さないのかと聞いたことがあったな」
「おー、あったな」
「……それは私が、六年間決して彼女に逆らわないという誓いを立てたからだ」

 はじめには一つ下の弟がいた。
 双子だと間違えられるほどに顔の似たその弟は、一文字ひとつと言い、はじめよりも顔の輪郭が柔らかく、はじめより尚女らしく、そして病弱だった。
 修行も出来ず、アカデミーにも通えないほどに脆弱な弟とはじめとを二人一緒に女装させていた初は、取り分けひとつがお気に入りだった。アカデミーに入る前は父一矢との修行、アカデミーに入ってからは修行と宿題、予習などの口実を遣って、はじめは度々初から逃れていた。
 すると自然、初の矛先はひとつに向いた。もとより気に入っていたひとつ。アカデミーにもいけず修行も出来ない彼は初の手から逃れることが出来ない。初にとってひとつは恰好の獲物となった。
 そしてひとつは八歳になったその年に、首を括って自殺した。
 その時のはじめはひどく後悔した。もし自分も一緒にいれば、ひとつだって自殺しなかったかもしれない。苦しみを分担できる相手がいれば、ひとつもここまでされなかったかもしれない。ひとつが死んだのは私の所為のようなものだ。
 後悔していたはじめの耳に入ってきたのは女中達の話し声だった。彼女たちの会話の内容によると、初の女装遊びが始まったのははじめが三歳、ひとつが二歳の頃の話。ひとつが死んだのは八歳、つまりひとつは六年間苦しみ続けたことになる。
 だからはじめは、それから六年間姉のいうこと何一つに逆らわないことにした。

「……そっか。お前のオネエサーマもすげえな」
 
 苦手なものから逃げ出して、無意識であったにせよなかったにせよひとつにすべてを押し付けてしまったはじめが悪くないとは言えないけれど、でもそれが人間だ。苦手なそれが逃れられるものなら、そして逃れていいものなら逃れだそうとする。それが人間なのだ。マナだってなんでも食べる割にグルメなのだからゴミ箱漁りは嫌である。
 弟を一人自殺させといてそれでも懲りない初も初だとは思うが。

「誓いをたてたのが九歳だから……今は折り返し地点だ」
「……忍耐強いなあ、お前も」

 そう溜息をつくと、はじめの灰色の目が笑ってるみたいに僅かに輝いた。
 口元も僅かだが緩んでいる。はじめが笑うのをあまり見たことはないが、笑ったらきっとかわいいんだろうなと思った。

「あーっ、マナじゃない! あれ、誰それ? はじめの姉妹か何か?」

 明るい声が聞えた方向へと視線を馳せると、いのがにこにこ笑顔で手を振っていた。その隣には相変らずめんどくさそうな顔つきのシカマルと、ポテチを頬張るチョウジの姿がある。

「えーっと、いや、私、はじめ・・・・・・むぐっ」
「はじめのいもーとだよ! 似てるだろー?」

 はじめ本人だ、と言いかけたはじめの口を塞ぎ、笑顔で言ってみせると、へーっ、妹さん? すっごい似てるのねー! といのが目を輝かせた。

「ま、そのままいつまで隠し通せるか頑張ってろよ、“特に無い”はじめくん」

 にたっと嫌味たっぷりに笑い、自分の傍から駆け去っていくマナに、暫くあんぐりとしていたはじめだが、すぐさまその唖然とした目付きは恨めしげなものへと変じる。

「名前はなんていうの? ほーんとかわいいのねー」
「えっと、一文字はじ……じゃなくて、はつ」
「はっちゃん? 可愛いわね!」

 きゃあきゃあ笑ういのに、はじめは改めて恨めしげな視線を去っていったマナの方に注ぐのだった。

 +

 僕の兄弟――
 そう言う兄の顔はいつも苦笑気味だった。「僕の兄弟」、彼の中でその言葉の前には括弧が入っていて、中にはこう書かれてあったのだろう。「僕の(腹違いの)兄弟」、と。
 きっと兄は自分のことをどこかの娼婦が父と産んだ憎たらしい子供くらいにしか思っていなかったはずだ。その母による洗脳は徹底していたし、その母が洗脳していてもしなくても、兄はきっとそう想っただろう。
 自分が私生児で、そして兄よりもずっとずっと父によく似ているということで、義母は絶対に自分を許さなかった。父は滝隠れにある由緒正しき忍の一族、だそうで、その一族は木ノ葉の日向のように皆外見が似たりよったりだったのだけれど、嫁いできた義母の息子である兄は母にそっくりで、あまり父には似ていなかった。義母にとってはおそらく「娼婦の産んだ」であろう、なのに父に瓜二つなこの血の繋がらない子供の存在が悔しく、憎らしい存在であったに違いない。
 義母と父はそのことでよく確執を起こしていた。兄は、お前の所為で、幸せだった家はめちゃくちゃだと罵った。八つ年上だった兄は今頃たぶん、三十四ほどになっていただろう。生きていればの話だが。そして十二でその兄を生んだ義母と十三でその義母と結婚した父はたぶん、五十六と五十七。やっぱり、生きていればの話。
 父は死んでも、義母と兄の言う「娼婦」の名前を明かそうとはしなかった。娼婦とかではないと自分は信じている。父はいつも自分に言っていた、お前の母親はとても綺麗で高貴な娘だから、けっして義母さんや兄さんが言うような娼婦ではないからと。とっても高貴な生まれの娘、優雅な娘、いつかお前にもあわせてやるぞと。
 義母は独占欲が強くはあったけれども、綺麗で、頭のいい女だった。兄は自分のことを決して許さなかったけれど、それでも面倒を見てくれたし、優しい人だった。父はとても厳格な人だった。
 あってみたいとおもった。父の言う綺麗で高貴な娘に。だから自分は、ずっと前からその娘がいるという木ノ葉に来ているけれども、その綺麗で高貴な娘に会えたことはない。
  
 

 
後書き
これで一応第一章は終わり。次から中忍試験です。
ナルトは不幸な経歴のキャラが多い割りに、私生児とかはないような。 
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