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銀河英雄伝説~悪夢編

作者:azuraiiru
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第四十四話 これで俺もバツイチだ




帝国暦 488年 9月 22日  オーディン 宰相府 ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ



「閣下、ケスラー憲兵総監が面会を希望していますが?」
私が問い掛けると上司、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン帝国宰相は決裁する手を止める事無く
「直ぐ通してください」
と言った。そしてケスラー憲兵総監が宰相執務室に入ってくると決裁する手を止めて彼が要件を切り出すのを待った。

「例の国外追放処分を受けた貴族達ですがようやく目処が立ちましたので御報告に伺いました」
「そうですか、で、どうなります?」
憲兵総監が資料を渡した。宰相閣下が資料を読みながらパラパラとめくる。

「着のみ着のままとも行きませんので大体準備にあと三日はかかるようです。その後は順次フェザーンへ送り出します。一週間以内には全て送り出します」
「なるほど……。まあ良いでしょう、後は彼らがフェザーンで大人しく暮らしてくれる事を祈るだけです」
どうだろう、果たして彼らにそれが出来るだろうか……。憲兵総監がチラっと私を見るのが分かった。背筋がざわめく、出来るだけ平静を保たないと……。

「しかし貴族の殆どがフェザーンに移る事になりますな」
「民族大移動、それともエクソダスかな、まあ反乱軍のロンゲスト・マーチに比べれば大したことは無いでしょう」
「確かにそうですが……」
憲兵総監が苦笑を浮かべた。

「就任早々、面倒な仕事を押し付けてしまいましたが良くやってくれました。後はフェザーンでの動きに注意してください」
「はっ、抜かりなく行います」
宰相閣下が頷くとケスラー憲兵総監は踵を返して執務室を出て行った。

二人とも私には声をかけない、だが声をかけられる以上に緊張した。国外に追放された人間の中には少なからず私が関わった人間がいる。彼らは今、私の事を裏切り者と思っているだろう。マリーンドルフ伯爵家は何ら処分を受けず、私は帝国宰相秘書官に抜擢されているのだ。裏切ってはいない、だが結果としてそうなった。そうさせたのは……。

「不満かな、フロイライン。それとも罪悪感か……」
宰相閣下が私を見ていた。
「いえ、そのような事は……」
「くどいようですが私は新たな権門の誕生を許すつもりは有りません」
「はい、分かっております」
ヒヤリとする様な冷たさ、厳しさが語調に有った。

“貴女は間違ったのです、私を見誤った。そして何よりも自分の野心を優先させた、マリーンドルフ伯爵家を大きくしたいという野心……。私は政治勢力としての貴族の存続を許すつもりは無い。それなのに貴女は自分が声をかけて味方を増やすと言った。新たな政治勢力の誕生ですね。そんな味方は必要ありません、だから貴女の申し出を断ったのです。どうせなら兵力、補給物資の提供、或いは自らの参戦を申し出るべきでした。そうであれば私は貴女を信じる事が出来た。だが貴女がやった事はいかにも貴族らしい事だった……”

“マリーンドルフ伯爵家には処分は下しません。やり方は間違いましたが貴女が私の味方をすると言った事を評価します。但し、貴女が声をかけた貴族に関しては処分をします。貴女を中心とした政治勢力の誕生を防ぐために財産の半分を没収し国外へ追放します”

あの日、父とともに元帥府に呼ばれて言われた。何も言い返す事が出来なかった……。政治に関心の無い、いや関心を持たない愚かな軍人。私が彼に対して下した評価は全くの誤りだった。むしろ誰よりも政治に強い関心を持っていた、その恐ろしさも理解していた……。彼にとっては私など失笑の対象でしかなかっただろう。

マリーンドルフ伯爵家は政治的信頼を失った。権力の恐ろしさを軽視した代償だった。貴族達が復権する様な事が有ればマリーンドルフ伯爵家は間違いなく没落するだろう。それを逃れるにはマリーンドルフ伯爵家は宰相閣下に協力するしかない。彼から宰相秘書官の提示を受けた時、私には断る事は出来なかった……。

彼の決裁を手伝う。捕虜の待遇改善、辺境星域への開発の指示、憲法制定に向けての準備委員会の発足……。そしてブラウンシュバイク、リッテンハイム家への対応……。両家とも子爵の爵位と小規模だが比較的富裕な荘園を三カ所ずつ所有する事になった。そして毎年百万帝国マルクの年金を政府から受け取る……。

所有する領地は決して大きくは無い。しかしこれからは貴族も課税される事を思えば年金として百万帝国マルクを受け取れる事は大きい。領地も比較的富裕な荘園から成り立つのだ。両家とも経済面で困る事は無いだろう。そして政府から年金を受け取るという事は政府に従属する度合いが強まると言う事でもある。

また両家にとっては政府からの優遇の証でもある。両家が反政府活動を行う可能性はかなり低くなるはずだ。反政府活動の象徴として利用される危険性を考えれば二百万帝国マルクの出費は決して高くは無い。後は両家の名前を決めるだけだ。近日中に両家から希望の名前が届くだろう。

午前中は元帥府で仕事を、午後は宰相府で仕事をする。もっとも仕事の内容に軍政の区別は無い、緊急度の高い物が来る。呼び出し音が鳴った、受付からフラウ・ヴァレンシュタインが来ていると連絡が入った。宰相閣下に確認を取ると通すようにと指示が出た。

フラウ・ヴァレンシュタイン、私にはグリューネワルト伯爵夫人の名の方が印象に有る女性だ。先帝陛下の寵姫であったがあの事件により宰相閣下に下賜された。その時、爵位、所領は全て帝国に返上している。かつて皇帝の寵姫として権力の近くに有り、今は帝国宰相夫人として権力の傍に有る。余程に権力と縁の有る女性なのだろう。

夫人が執務室に入って来た。金色の髪が美しい儚げな佳人だった。先帝陛下の寵愛を十年に亘って独占したのも納得が行く。
「御仕事中に申し訳ありません」
「いや、気にしなくていい。アンネローゼ、ここに来たという事は決心は変わらないのだな」
「はい、これにサインをお願いします」
夫人は執務机の前に立つと上品な赤のショルダーバックから書類を取り出し宰相閣下に渡した。

書類の内容を確認すると閣下は執務机の引き出しから書類を取り出した。夫人に差し出す。夫人は幾分躊躇したがそれを受け取って視線を走らせた。
「貴方、これは」
夫人が驚いている。
「爵位、領地の返上が私達の結婚の条件だった。離婚する以上、お前に返還するのが筋だろう」
離婚! 驚いて二人を、そして夫人が出した書類を見た。あれは離婚届……。

「ですが……」
「お前を無一文で放り出しては皆が騒ぐだろう、私の事を酷い男だと非難するに違いない。私はこれでも良い格好しいなのでな、お前がそれを受け取るのが離婚に同意する条件だ」
「貴方……」
「幸いお前は物欲の強い女では無かったようだ。返上した所領は少ない、お前に返しても騒ぐ人間はいないだろう。……受けてくれるな」

夫人は必死で何かを堪えていたが頷く事で同意した。それを見て宰相閣下が胸ポケットから何かを取り出した。
「それと、これを受け取りなさい」
「貴方、これ以上は……」
「良いから受け取りなさい」

強い口調に夫人はおずおずと手を伸ばして受け取った。そしてカードに視線を落とす。
「いけません、貴方。こんな、二百万帝国マルクなんて、私受け取れません」
夫人が激しく首を振って拒絶した。閣下の方にカードを突きだす。二百万帝国マルク? 銀行の預金カード?

「勘違いするな、お前のためじゃない。これはお前が治める領民達への贈り物だ。
これからはお前にも領内統治、開発をしっかりやってもらう。その為の資金だ。慰謝料としてお前に払うからそれを使って領地を発展させなさい」
「……」
「私が持っていても何の役にも立たない、お前が使いなさい」
「……貴方、……済みません」
夫人が口元に手をやり嗚咽を堪えながら頭を下げた。

「住居はどうするのだ?」
「暫くは、男爵夫人の所へ……」
「そうか、……今の家も譲ろうかと思ったが伯爵夫人の住まいとしては聊か狭すぎる様だ。それに元帥府にも近い、お前には迷惑かと思って止めた」
「……」

「面白くなかったか、冗談だったのだが」
「……以前にも似たような事を」
「そうか、私は詰らない男だな。離婚されるのも当然か」
宰相閣下が苦笑を浮かべた。夫人がそうではないというように首を横に振った。本当に離婚するのだろうか? どう見ても宰相閣下は夫人を愛している、気遣っているとしか思えない。そして私には夫人が宰相閣下を嫌っているようには見えない。

「本当に済みません、私の我儘なのに……」
「……お前が自分で考えた上で決めた事だ。私はお前の意思を尊重する」
「……」
「お前が爵位、領地を返還されたと知ればお前の周囲にはお前を利用しようとする人間が群がるだろう。困った事が有ったら遠慮せずに私に相談しなさい。ゲラー弁護士にもお前の事は話してある。彼はお前の顧問弁護士になっても良いと言っていた。一度会って話をしなさい」
「はい」

宰相閣下が離婚届にサインをした、そして夫人に渡す。受け取る夫人の手は微かに震えていた。
「さっきの書類をアイゼンフート典礼尚書に見せなさい。お前をグリューネワルト伯爵夫人として貴族名鑑のデータベースに登録してくれるはずだ。領地もお前の物として登録される」
「はい」
夫人が答えると宰相閣下は頷いた。

「私からは以上だ、何か有るか?」
「いいえ、有りません。これまでお世話になりました」
夫人が頭を下げた。
「いや、世話になったのは私の方だ。感謝している」
少しの間二人が見詰め合った。やはりこの二人は愛し合っているとしか思えない。

「御身体にお気を付けてください」
「そうだな。お前、いや、伯爵夫人も気を付けられよ。オーディンはこれから寒くなる」
「……はい」
夫人はもう一度頭を下げると静かに部屋を出て行った。それを見届けてから宰相閣下は文書の決裁作業に戻った。

「宜しいのですか?」
「……」
私が問い掛けても宰相閣下は視線を文書に落したままだった。サインをして次の文書に手を伸ばす。
「閣下?」
文書から視線を上げた。いつもと変わらない。

「もう終わった事だ、気付かなかったのかな、フロイライン」
本当に終わったのだろうか? 二人とも愛し合っているのに? 伯爵夫人と呼ばれた時、夫人の身体は微かに強張った。夫人にとって“伯爵夫人”と呼ばれることは予想外だったのだ。偶然か、故意か、宰相閣下は“伯爵夫人”という呼びかけでもう夫婦ではないのだと夫人に伝えたのではないだろうか、或いは自分自身を納得させたのか……。

決裁を手伝いながら考えていると宰相閣下がミューゼル少将を呼ぶようにと命じた。ミューゼル少将は夫人の弟の筈だったはず、御自身で離婚を説明するのだろうか? 不審に思いながら元帥府に連絡を取りミューゼル少将の呼び出しを依頼した。

決裁を続けていると十分程でミューゼル少将が現れた。直ぐに執務室に通され宰相閣下の前に立つ。宰相閣下も若いがミューゼル少将も若い。二人とも帝国軍でも最も若い将官だろう。宰相閣下はミューゼル少将が執務机の前に立っても決裁は止めなかった。

「妻と離婚しました」
「は?」
「私の妻、少将の姉であるアンネローゼと離婚しました。理解出来ましたか、ミューゼル少将」
文書から視線を上げた。じっとミューゼル少将を見ている。そして少将は戸惑っていた。宰相閣下がフッと笑った。

「期待外れですね、喜ぶか怒るか、どちらかと思って楽しみにしていたのですが」
「閣下!」
「私は怒るだろうと思っていました。姉を侮辱するのか、権力を得た途端姉を捨てるのかと……、想定外の反応です」
からかっている口調ではない、淡々としていた。

「理由を教えて頂きたいと思います」
「別れると決断したのは彼女です、理由は彼女に聞けば良いでしょう。彼女はヴェストパーレ男爵夫人の所に行く事になっています」
ミューゼル少将が唇を噛み締めた。憤懣を抑えている。

「ミューゼル少将、卿の新しい任務を決めました。フェザーン駐在弁務官事務所の首席駐在武官です」
「フェザーン? 首席駐在武官?」
ミューゼル少将の顔が歪んだ。そして宰相閣下を睨むように見ている。

「左遷ですか、本来首席駐在武官は大佐が任命されるはずです。離婚されたから意趣返しに私をフェザーンに左遷する! 卑劣な!」
吐き捨てるような口調だった。
「皆がそう思うでしょうね」
「……」
「友達が一杯できるでしょう、フェザーンには私を嫌っている人間が大勢います」

思わず宰相閣下の顔をまじまじと見た。私だけじゃないミューゼル少将も閣下を見ている。
「ようやく話のできる顔になりましたか、ミューゼル少将」
宰相閣下は笑みを浮かべていた。背筋が凍りつく様な恐怖が身体に走った。閣下は夫人を愛していた、愛していたはずだった。それなのに離婚を利用しようとしている、しかも道具として使うのは夫人の弟……。

「小官に貴族達を探れと……」
「一つはそうです」
「では他にも?」
「フェザーンの動きを探って欲しいと思います」
「フェザーンの?」
ミューゼル少将が訝しげな表情をすると宰相閣下は苦笑を浮かべた。

「少将はフェザーンをどう思っています? 言葉を飾らずに言ってみてください」
「……商人の国、金の亡者、拝金主義、そんなところでしょうか」
ミューゼル少将が考えながら答えると宰相閣下が“表向きはそうですね”と続けた。
「表向き、ですか?」
「そう、フェザーンには裏の顔が有ると私は考えています」
少将がチラッと私を見た。分かるか? と言うのだろう。私にはとても分からない。視線を逸らす事しかできなかった。

「それを探れというのでしょうか?」
「いえ、商人の国、金の亡者、拝金主義、それを信じるなと言っています。探って欲しいのはフェザーン自治領主府の動き……」
「……」
「アドリアン・ルビンスキーが何を考えるか……」
私とミューゼル少将が困惑する姿を見て宰相閣下がまた苦笑を漏らした。ミューゼル少将は反発しない、ただ唇を噛み締めている。

「内戦により帝国は門閥貴族が滅び政府の力が強くなりました。このまま改革を続ければ帝国の国力は間違いなく増大します。そして自由惑星同盟は敗戦続きで国力は低下している。両者の中間で利益を得ているフェザーンは何を考えるか……」
「……」

そういう事か、改革の実は未だ上がっていない。国力の増強が感じられるのは早くても来年以降の事だ。だから私にもミューゼル少将にもよく分からなかった。だが来年以降は間違いなく三者の勢力比は変わるだろう。宰相閣下はそれにフェザーンがどう反応するかを今から探れと言っている。

「ミューゼル少将」
「はっ」
「フェザーンには高等弁務官は派遣しません。帝国は当分の間国内問題に専念する」
「それは……」
「つまり卿の行動に掣肘を加える人間は居ない」
ミューゼル少将の顔が強張った。宰相閣下は自由にやれと言っている。

「少将が私を嫌っている事は知っています。彼らと組んで私に敵対しても良い」
「……」
「但し、帝国の覇権が欲しければ誰かの力をあてにするのではなく自らの力で行う事です。失敗したくなければね」
硬直するミューゼル少将を前に宰相閣下が微かに含み笑いを漏らした……。


 
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