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銀河英雄伝説~悪夢編

作者:azuraiiru
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第四十三話 一度はっきりさせようよ




帝国暦 488年 9月 19日  オーディン  アンネローゼ・ヴァレンシュタイン



元帥府に泊まり込んでいた夫が帰ってきたのは朝十時をちょっと過ぎた頃だった。突然だったのも驚いたが二人の軍人、一人は副官のフィッツシモンズ大佐、もう一人はクレメンツ上級大将に両脇から支えられながら家に入って来たのにはもっと驚いた。どうやら夫は動けないらしい。二人は夫を寝室に運びベッドに寝かしつけた。寝室に他人を入れるなど恥ずかしかったが幾ら華奢とはいえ動けない夫を私一人で寝室に運び込むのは無理だ。私には傍で見ている事しかできなかった。

事情を聞くことが出来たのは夫を運び終わった二人を応接室に案内してからだった。
「少々忙しすぎたようです。タンクベッドで睡眠をとりながら仕事をしていたのですが疲労が体に溜まったのでしょう。突然右足が動かなくなりまして……」
フィッツシモンズ大佐の言葉に胸が潰れる思いだった。あの事件の所為で夫が苦しんでいる、後遺症が出ているのだ。フィッツシモンズ大佐も時折私を見ながら言い辛そうにしている。

「失敗でしたな、宇宙艦隊司令長官の人事を受けておけば良かった」
「……」
「最高司令官閣下から宇宙艦隊司令長官にという打診が有ったのですけどね、実戦部隊の指揮系統は一本化しておいた方が良い、紛らわしい事はすべきではないと思いお断りしたのですよ。良かれと思って断ったのですが反って負担をかけてしまったのかもしれません」
クレメンツ提督の口調は冗談めいたものだった。

二人に気遣われている、そう思った。おそらく軍内部では私を非難する声も出ているのかもしれない。
「申し訳ありません、私の所為で……」
「いや、あの事件はフラウ(奥様)には関係ありません、お気になさらない事です。大佐も言いましたが忙しすぎるのですな。問題は新しい帝国の国家像が最高司令官閣下の頭の中にしかない事です。物が物だけに事前に文書化しておくことが出来ませんでしたから……、皆がどう動いてよいか分からずにいるのですよ」
クレメンツ提督が言い終るとフィッツシモンズ大佐が後に続いた。

「ですがそれもようやく出来上がってきました。大まかな概要だけですが後は下の人間に任せれば良い筈です。閣下もそのために無理をなさったようです、出来上がったと思った途端動けなくなってしまって……。御本人は緊張の糸が切れたと仰っていました」

「そうですか、……ご迷惑をおかけしました」
私が頭を下げると
「いえ、こちらこそ最高司令官閣下の体調に注意を払うべきでした。申し訳ありません」
と言ってクレメンツ提督とフィッツシモンズ大佐が頭を下げた。そして今日はゆっくり休ませて欲しい、明日以降は必ず帰宅させると言って元帥府に戻って行った。

夫が目を覚まし、寝室から出てきたのは夕方六時を過ぎた頃だった。顔色は悪くない、歩行も特に異常は感じられなかった。
「もう起きて大丈夫なのですか?」
「ああ、大丈夫だ。心配をかけて済まない」
「お腹が空いていませんか、食事は直ぐ出来ますけど」
「そうだな、一緒に食べようか」

牛肉のルラーデンに茹でたジャガイモの付け合せ、アジの甘酢漬け、カボチャのクリームスープ、それにパンはライ麦パンを用意した。飲み物は夫がジンジャーエール、私は赤ワイン。夫はカボチャのクリームスープが気に入ったらしい、美味しそうに飲んでいる。

夫は私を恨んでいないのだろうか。身体が動かなくなった時、如何思ったのだろう。目の前に居る夫は私の料理を美味しそうに食べている。そこからは私への不快感はまるで感じられない。本当に信じて良いのだろうか……。私が考えていると夫が話しかけてきた。

「吃驚したか?」
「ええ、歩けなくなるなんて思っていませんでしたから」
夫が首を横に振った。
「いや、そうじゃない。私がこの国の覇者になった事だ」
「……よく分かりません。驚いたような、驚いていない様な……」
「そうか……」

驚いたような気もするが何処かで当然と思った様な気もする。ただ、目の前の夫には昂りも無ければ喜びも無い。夫にとっては已むを得ない事だったのだろう、権力奪取は野心では無く義務だったのかもしれない。
「お前に言っておくことが有る」
「はい」

ラインハルトの事だろうか、そう思ったが違った。
「私はこの国の覇者になった。当然だが私を利用して私利私欲を得ようとする人間が居る。そういう人間はお前をも利用しようとするだろう。私はその手の不正を許すつもりは無い、注意してくれ」
「はい」

分かっている。先日、ヴェストパーレ男爵夫人とシャフハウゼン子爵夫人から聞いた。夫は二人に私を利用するなと言ったらしい、いかにも夫らしいと思う。虚栄心の強い女達にとって夫程詰まらない男性は居ないだろう。夫の愛人になりたいなどとは思わないに違いない。夫では虚栄心を満たすことは出来ないはずだ。

でも誠実で聡明な女性なら夫を愛するかもしれない。ただこの人に愛人というのも私には想像が出来ない。この人に女性を口説くとか出来るのだろうか……。無心にアジの甘酢漬けを食べている夫を見ているとあまりそういう事が得意だとも思えない。私には可笑しなくらい生真面目な男性にしか見えない夫なのだ。

「どうした、何か有るのか?」
気が付けば夫が不思議そうな表情をしていた。
「いえ、アジの甘酢漬けを美味しそうに食べていたので」
「うん、美味しいと思う。それが何か?」
「いえ、それだけです……」
夫は小首を傾げたが何も言わずにまたアジの甘酢漬けを食べだした。やはり愛人は無理だろう。

「あの、お聞きしたい事が有ります」
「ミューゼル少将の事かな」
こういう事には夫は鋭い。
「はい、昇進しないと聞きました。いえ、その事に不満は無いんです。貴方が不当な事をするとは思いません。ただ理由を教えて頂けないでしょうか、弟たちに訊いても答えてくれなくて……」

怒るか、嫌がるかと思ったが夫は少し考えるそぶりを見せると“そうだな、説明した方が良いだろう”と言った。やはり弟の一件にはそれなりの理由が有るのだ。
「問題が起きたのはレンテンベルク要塞を攻略した時だった。向こうにはオフレッサー上級大将が居た……」

夫はオフレッサー上級大将が夫を挑発した時の様子を教えてくれた。最初は侮辱の対象は夫だった、だがオフレッサー上級大将は侮辱が夫に通用しないと見ると侮辱の対象を私にまで広げた。夫は笑い飛ばしたがラインハルトはそれに反応してしまったらしい。

「お前が侮辱された事が許せなかったのだろう。自分にオフレッサーの相手をさせろと言いだした。ロイエンタール、ミッターマイヤー両提督が通信で繋がっている時にだ」
「……」
「皆が思っただろう、私情で動く奴、周囲に配慮出来ない奴と」
夫の言う通りだ、溜息が出た。

「オフレッサーだがあの男は裏切り者として味方から処刑された。本人は不本意の極みで死んだだろう」
どういう意味か判断が出来なかった。もしかすると受けた侮辱は返した、私の事を大事に思っているのだという事なのだろうか。

「ミューゼル少将を昇進させることは出来ない。そんな事をすれば皆が私に不信を抱くだろう、軍の統制にも影響が出る。それに中将に昇進すれば一個艦隊を指揮する資格を持つ。百万人以上の人間の命に責任を持つ立場に立つのだ。皆が言うだろうな、彼にそんな資格は無いと……」
「……」
厳しい言葉だ、夫は憂鬱そうな表情をしている。

「能力は有ると思うのだがその能力を使いこなせていない、使いこなすだけの冷静さに欠けていると思う。それを身に着けるまでは昇進はさせられない、危険すぎる」
夫が首を横に振った。やはりそうかと思った。ラインハルトには何処か危ういところが有ると思っていた。それが夫の前で出てしまったのだ。

夫にはそれは許せない事なのだろう。ラインハルト達が私に話さないのもオフレッサー上級大将が侮辱したのが私だから、そして非はそれに反応した自分達に有ると理解しているからに違いない。彼らはそれを言えば私が傷付くと思ったのだ。

「ジーク、いえキルヒアイス少佐と離れ離れにすると聞きましたが……」
抑え役に必要ではないのか、そんな思いで聞いてみた。だが夫はまた首を横に振った。夫の判断ではジークは抑え役にならないらしい。
「手元に置いてみて分かった。あの二人は互いに寄りかかっている。その所為で他者を必要としない。……総司令部でもあの二人だけが浮いていた、他者に関心を向かせるには離した方が良いだろうな」
「……」

「私に不満を持つのは許せる、面白くは無いがな。だが自分が総司令部の一員であるという自覚は持って欲しいと思う。個人的感情から軍の勝利を喜べないなど何を考えているのか……」
ごく平静な口調だったが内容は厳しかった。夫は弟達を組織の一員としての自覚が無いと言っている。だが未だ見捨ててもいないのだろう。

「申し訳ありません、弟達が……」
私が謝ると夫は首を横に振った。一度口を開きかけ、私を見て口を閉じた。そして視線を皿に落としフォークとナイフを置くとライ麦パンを一切れ口に運んだ。
「どうかしたのですか、遠慮せず仰ってください」
私が言うと夫はちょっと困ったような表情を見せてから“話しておいた方が良いか”と呟いた。

「多分あの二人は軍幼年学校に入ってからは周囲から受け入れられなかったのだと思う、皇帝の寵姫の弟として色眼鏡で見られその所為で自然と自分達は周囲から受け入れられない存在なのだと思ってしまった、周囲には敵しかいないと思い込んだ……。十歳の子供には厳しい環境だ」
「そんな……」
夫が首を横に振った。

「アンネローゼ、お前の所為じゃない。周囲が敵だらけなら用心深くなるか攻撃的になるかだ。あの二人は攻撃的になる事を選んだ、お前が選ばせたわけじゃない」
夫は私を労わってくれている。でも間違いなく責任は私にも有るだろう。あの二人を軍幼年学校に入れるように頼んだのは私なのだ。

「申し訳ありません、弟達には私から注意しておきます。貴方にも敬意を払うように言っておきます」
「……多分、言っても無駄だろうな」
「!」
驚いて夫を見た。夫は無表情にジンジャーエールを飲んでいた。

「あの二人にとってお前と過ごした時間は何物にも代えがたい時間だった。だがそれを先帝陛下に奪われた、許せなかっただろうな。あの二人はお前を取り戻すと決めた、そして幸せにすると……。そうする事であの時間が返ってくると思っているのではないかな」
「……」

夫は茹でたジャガイモを口に運んでいた。何時もなら美味しそうに食べるジャガイモを無表情なまま食べている。その事が二人に対する夫の感情を表していると思った。あの二人が夫に対して面白く無い感情を持っているとすれば当然だが夫も二人の事を面白く思っていないのだろう。“私に不満を持つのは許せる、面白くは無いがな”。いつか許せなくなる日が来るのだろうか……。

「あの二人にとって私はお前を不幸にしている悪い夫でしかないのだ。多分、私から奪い返して自分達の手でお前を幸せにする、そう考えていると思う。説得をするのは良いがあまり期待はしない事だ、辛くなるだけだろう」
夫が大きく息を吐いた。夫は私を気遣っているのだろうか、それとも現実を見ろと言っているのだろうか。胸が潰れそうだった、私の存在があの二人を狂わせている……。

「呪縛だな、あの二人にとっては何よりも大切なものかもしれないが今となってはあの二人を縛り付ける呪縛でしかない……」
「……」
「そんな顔をするな、誰にでも大切な物は有る。私だって両親を殺されなければ帝国を変えようとは思わなかった」
十一年前の事件だったと聞いている。十一年前、私が後宮に入った年でもあった。私は十五歳、夫は十二歳、そしてラインハルトとジークは十歳……。

「皮肉だな、オーディンはミューゼル少将では無く私を選んだ。逆でも私は少しも構わなかったのだが……」
「……」
「そんな顔をするな、……ああ、さっきからこればかりだな。あの二人を引き離せばまた違ってくるだろう」
夫が今度は私を労わるような笑みを見せた。

「ジークは昇進して巡察部隊の司令に内定したと聞きましたが……」
「貴族が居なくなって逆に治安が悪化する星系も有るだろう、巡察部隊の果たす役割は大きい。ミューゼル少将に頼ることなく自分の判断で仕事をする事になる、少しは変わるんじゃないかな。私も中佐に昇進した時に巡察部隊の司令を務めたが色々と勉強になった。楽しかったな」
「……」

「ミューゼル少将については未だ検討中だ。総司令部に置くか、それとも外に出すか……。フェザーンに行かせるのも良いかもしれない、帝国とは全く違うところだ、視野も広がるだろう……」
本当にそうだろうか……、目障りな二人を遠ざけるのが目的では……。思い悩んでいると夫が“アンネローゼ”と私の名を呼んだ。

「アンネローゼ、あまり自分を責めるな」
「……」
夫は視線を伏せカボチャのクリームスープを飲んでいた。
「あの時はああするしかなかったんだ。お前には他に選択肢は無かった。その事を悔やむんじゃない」
「……はい」
十一年前、後宮に入った事だろう。確かに他には選択肢は無かった……。

「ここに来たこともだ」
「……」
「お前には他の選択肢は無かった。そして私にも選択肢は無かった。誤解の無い様に言っておくが私はあの事件に関してお前に責任が有ると思ったことは一度も無い。そういう意味では私の所にお前が来たことは不当だったと思っている。ミューゼル少将のいう通りだ、お前は加害者じゃない、犠牲者だ」
「……」
夫はもうスープは飲んでいない。でも下を向いたままだ、何を言おうとしているのだろう。

「不当である以上、それは解消されるべきだと私は思う」
「それは、どういう意味で仰っているのです?」
私の問いに夫は視線を上げて私を見たが直ぐに逸らせた。
「こんな事は言いたく無かったが一度はっきりさせた方が良いだろうと思う」
「……」

「お前が今でも不当だと思っているなら、私と別れる事を望むのなら私はお前の意思を尊重する。今ではお前を束縛するものは何もない。例えお前が私と別れる事を選択しても誰にも非難はさせない。あの二人を不当に扱うこともしないしお前が今後の暮らしに困らないようにもする。だからこれからどうするか、お前自身の意思で決めてくれ」
夫は視線を逸らせたままだった……。



 
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