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港町の闇

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第八章


第八章

 幼い頃から美貌で知られていた。だがそれだけではなく彼女の心には闇も巣食っていた。それこそが彼女が魔性の者であるという証であった。
 辺りの少女を城に招き入れては惨殺していった。鉄の処女と呼ばれる機械仕掛けの拷問道具により少女を苦悶のうちに殺し、その血の風呂に浸かり恍惚となる。彼女の身体は常に血で濡れていた。
 遊び半分に殺したこともあった。そしてその苦しんで死ぬ様を見て無上の悦びを得ていたのだ。チェイテの城は鮮血に染まり死臭が漂っていた。彼女の行くところ常にそうした鮮血と死臭が漂っていた。それがエリザベート=バートリーであった。
「あの者の宴を邪魔したのも貴様等だったな」
 男は本郷達を見据えてそう言った。
「当然だ」
 本郷はそれに答えた。
「むざむざ貴様等の餌食になってたまるか」
「ふん」
 だが男はその言葉をむべもなく笑った。
「糧の分際で偉そうなことを。してや同胞を死に至らしめるなぞ」
 エリザベートも罰せられる時が来た。城から一人の少女が逃れてきたのだ。その少女の口から城の中の恐るべき実態が明らかになった。それを聞いた教会も役人達もあまりのことに震え上がった。
 だが調べないわけにはいかなかった。それが本当ならば大変なことであるからだ。そして慎重に捜査が行われ、チェイテの、そしてエリザベート=バートリーの実態が明らかになったのだ。
 彼等は城に踏み込んだ。そこにいたのは屍の血を啜るエリザベートであった。彼女は石の城の中で赤絨毯の上にいた。少女の首筋に噛み付きそこから血を啜っていたのだ。純白のそのドレスが少女の血で深紅に染まっていた。見れば城の全てが赤くなっていた。血生臭い匂いがその中を支配していた。
 戦いがはじまった。教会が送り込んだ退魔師達がエリザベートを取り囲む。エリザベートは少女から口を離し彼等と対峙した。そして戦いは三日三晩に及んだ。
 最後に立っていたのは一人の退魔師であった。彼以外の全ての者は傷つき、息絶えていた。彼は何とかエリザベートの胸に杭を打ち込み倒すことに成功したのだ。その下では胸に杭を打ち込まれたエリザベートは鬼の様な形相で事切れていた。こうしてチェイテの魔物は倒れたのだ。
 だがこの事件は公には全く別のことが書かれていた。エリザベートの殺戮は事実であったがその正体までは公にはされなかったのだ。異形の者の存在を言うことはできなかったからだ。
 エリザベートはチェイテの城に監禁され、三年後に死んだことにされた。そしてチェイテの城はそのまま放置され廃墟となった。今もハンガリーの森の奥深くにその城は残っている。
「我が愛する親族を屠ってくれたな」
「自業自得だ」
「獲物を殺して何が悪いというのか」
 男は悪びれるところがなかった。
「貴様等ごときが我が一族を手にかけるなぞ。過ぎたことを」
 彼にとっては人間とは糧でしかないのだ。だからこそこうした言葉を口にすることができた。そして彼にとってはそれがヨーロッパの者であってもそのヨーロッパから遠く離れた東洋の島国の者であっても同じことであった。彼にとっては等しく人間であり糧であるのだから。
「それで名前は何ていうんだ?」
 たまりかねた本郷が男に問うた。
「名乗るっていいながらもう大分時間が経っているぜ」
「ふん」
 男はそれを聞いて口の端を歪めた。
「そうだな。では名乗るとしよう」
「勝手にしな」
 本郷は悪態をつくように言った。
「聞いてやるぜ。早くしろよ」
「無粋だな。急かすとは」
「急かすも何もこっちは聞く方だ。早くしろ」
「まあよい。では名乗ろう」
 男はようやく名乗った。
「我が名はアルノルト=ホーツェプロツ」
 自らの名を言った。
「偉大なるユダの血を引く者だ」
「とどのつまりはそれか」
 本郷はユダのことを聞いてそう言った。
「所詮貴様はユダの子孫でしかねえわけだ」
「その偉大さがわからぬようだな」
「ああ、わからないさ」
 そう言葉を返した。
「血筋なんて何の意味もないことだからな。ましてや」
 そう言いながら懐から小刀を取り出す。
「吸血鬼なんかにはそんなもの一切関係ねえ!俺にとっちゃただの魔物だ!」
 そして小刀を放った。それは一直線にその男アルノルト=ホーツェプロツに向かっていった。
「ふむ」
 アルノルトは自らに向かって飛んで来るその小刀を見据えていた。
「経文を書いた小刀か。成程」
 そこには彼の見慣れぬ文字が書かれていた。梵字というものだ。
「どうやら我々にとって何かしらの効果のある文字らしいな。ならば」
 彼は冷静にその小刀を見ながらそう考えていた。
「こうすればよいまでのこと」
 左にスッと動いてかわした。小刀は後ろに落ちた。
「チッ、やはりかわしたか」
「私を侮ってもらっては困る」
 アルノルトは舌打ちする本郷に対してそう言った。
「この程度のものに当たると思ったか」
「だろうな。こんなので倒せるとは思っちゃいない」
 それは本郷にとっても予想通りであった。彼はまた小刀を取り出した。今度は数本であった。
「なら、これで・・・・・・」
 その小刀を持つ右手に力が篭る。
「どうだっ!」
 そして放った。数本の小刀が唸り声をあげアルノルトに襲い掛かった。
「ふむ」
 やはりアルノルトはその小刀を冷静に見ている。
「一本で駄目なら今度は数本か。芸のない」
「本当にそう思うか?」
 本郷はアルノルトのその言葉に対してニヤリと笑った。その時だった。
 小刀がそれぞれ独特の動きをはじめた。そしてアルノルトに襲い掛かってきた。
「なっ」
 そしてそれぞれアルノルトに向かう。彼は投げながらそれぞれの小刀に変化をつけていたのだ。
「変化球ってのがあってな」
「野球のですね」
 大森巡査が突っ込みを入れる。
「その通り」
「その投げ方を小刀に応用したと」
「そうだ。ただ投げるのには苦労するがな。され、吸血鬼さんよ」
 アルノルトに問う。
「これはよけられるかな?」
「愚問だな」
 アルノルトはそれに対してニヤリと笑って答えた。
「フン」
 そして右手を一閃させた。それで一陣の風が起こった。
 それが消えると彼も姿を消していた。それで小刀をかわしたのだ。
「消えたか」
「如何にも」
 闇の中でアルノルトの声が響く。
「さて、人間よ」
「俺は本郷っていうんだ。覚えておきな」
「わかった。では本郷よ」
「何だ」
「これにはどうするかな。私が何処にいるかわかるまい」
「そうだな」
 答えた。答えると同時にニヤリ、と笑った。
「目ではない。しかしな」
 そう言いながら今度は刀に手をかけた。
「気配でわかるんだよ。そこだっ!」
 そう言いながら刀を左に一閃させた。そしてその空間を切り裂いた。
 
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