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或る皇国将校の回想録 前日譚 監察課の月例報告書

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六月 野心なき謀略(一)

 
前書き
今回の登場人物
堂賀静成大佐  兵部省陸軍局人務部監察課の首席監察官 憲兵出身の情報将校

馬堂豊久大尉 同首席監察官附き副官兼監察課主査として課全般の庶務を監督する。五将家の雄、駒州公駒城家の重臣である馬堂家嫡流

三崎中佐    監察課企画官 課の総務一般と監察の企画運営を分掌している
        安東家の陪臣出身

平川利一中尉    陸軍局兵務部文書課 広報室主任 

 
皇紀五百六十四年 六月 十二日 午前第八刻 兵部省陸軍局人務部監察課執務室
監察課主査 兼 首席監察官附き副官 馬堂豊久大尉


 首席監察官附き副官である馬堂豊久大尉が職場に登庁すると、既に何名かの係員達が出張中の監察官から届いた導術室の報告書や昨晩届いた書類に目を通していた。
 もっぱら忙しそうにしているのは法務係や主計係の者達である。必要に応じて彼らも監察官の補佐役として派遣されるのであるが、こうして送付されたものの精査や法的な解釈について注釈を行う事が多い。

「よしよし、今日も適度に問題あり、と」
 自身が座る副官席にも請願書の入った封筒が置かれている。
「さてさて――」
 旅団次席副官時代から愛用している紙切り小刀を取り出して封筒を注意深く切る。
まず一通目、と封筒を見るとその筆跡には心当たりがあった。
「この間の龍州の議員か。今度は――泉川市の風紀が乱れており、憲兵隊の怠慢ではないか監察されたし、か。これは幾らなんでもいいがかりだな。
一応、通達を出して、局長が御意見拝聴、厳正に監督してまいりますとでも返答を出すように文書課にでも回せばいいな」
 似たような言い掛かりや、部隊長に勧告を出せば済むようなものをよりわける。
「――こっちは、駒州で馬鹿な兵が民間人と喧嘩、と。これは主に調停が職務になるだろうから法務係の者か、手馴れた主査があたった方が良いな――だが一応、これは首席殿の判断を仰ぐ方がいいか。駒州の恥さらしめ」とひとしきり毒づくとこれもまた先程までのものとは別により分ける。

 各州に派遣された監察官は最も忙しい時期には一ヵ月以上この執務室に戻ってこないこともある。鎮台ごとに法務官や憲兵隊が不祥事の処理を行っており、監察官はそれらが問題なく行われているかの確認も含めて定期的な監察も行っているからである。
 それらを統括する首席監察官やその副官である豊久とて暇なわけではない。
彼らの報告書や、提供された書類を人務部長に上げる前に再度の精査を行ったり、不祥事への対応の為に各部局との調整をしたり等々、多くの仕事が待ち受けているのである。
 五将家の閨閥が勢力争いを繰り広げる中で、どのように彼らの瑕をいじるか、その瑕がどのように埋められるべきか、それを考えなければならない。
 監察課は陸軍局の中では兵務部文書課や人務部人務一課・二課と並ぶ利害調整機関なのである。

 豊久が席について半刻が過ぎたころには上官である堂賀静成大佐や企画官である三崎中佐も登庁する。
「おはようございます、首席監察官殿、企画官殿」
 主査の敬礼に答えながら堂賀は眼前の書簡の小山に目をやった。
「おはよう、今日もそこそこ来ているようだな」
「厄介事はあるのか?ようやく人員に猶予ができそうなところなのだがな」
 三崎も真剣な目でそれを見る。
「はい、こちらのものは該当の鎮台司令部に回すべきものだと判断したものです。
そしてこちらの方が尉官級の者を派遣すべきと判断したものです。
今のところは監察官が出張るような新規の案件は確認しておりませんから企画官殿の御心配には及ばないでしょう。厄介な内部告発や匿名告発もないので今日は幾らか気が楽ですね」

「ん――」
 堂賀も素早く中身と封筒を重ねてある物――副官が地方軍政機関である鎮台司令部に回すことを提案した物――つまりは不正の摘発よりも地方議会対策に主軸を置くべき問題であると判断したものに目を通す。
「この龍州議員は確か、民友同志会の奴だったな。民本主義の急進派だ」

「はい、今の総裁が例の六芒郭騒動の調停を執り行い第一党に躍進した政党ですね。財政的には軍縮推進派ですから民友会の主流派として秋の総選挙前に龍州議員選挙における勝利が欲しいのではないかと」

「――成程な。あの大成果を得て以来、龍州は民友会の勢力圏だからな、面倒な事だ。鎮台に回すときのそのことを注意するようにしてくれ。
――まったく、あんなのが今の衆民院第一党だとはな」

 さて、納税者である衆民達の代表者である衆民院、および天領に設置された――五将家の領地にも権限が制限されているが似た物が設置されている――州・市の地方議会に対しては陸軍の支配権を維持している五将家もそれぞれ程度の差こそあれども影響力をもっており、また態度に差はあってもその権限に異議を挟むことはなく認めていた。
 なぜならば封建的な財政上の必然によって陸軍内で予算を好きにできる――口さがない貴族将校の一部は貧困にあえぐ自由と自嘲するが――権限をもっているのは五将家のそれぞれが支配する六個鎮台(五将家の本拠地の他に北領は恩賞によって守原家の支配下にある)のみであるからだ。
 例えば皇州都護鎮台・龍州鎮台は執政府の管理する予算で賄われているし、当然ながら兵部省と軍監本部、及びそれらに管理されている関係機関も同様である。
〈皇国〉陸軍将校団の大半を占める五将家閥に属するものが国家予算を食む部署へと大量に流入するのは自然の摂理であった。
 なにしろ五将家がその厳然たる権威を保つには自身の支配する州の適切な内政と閥に属する陪臣たちに昇進の機会を与えるという二つの難事をこなさなければならない。領地の運営が滞れば兵である領民達が天領へと流入するようになってしまうし、自身の家臣団たちに適切な昇進の機会を与えられねばそれは権限を奪い合う官僚的政治抗争においては敗北を認める事と同義であるし、そこまで主家に付き従う程に家臣たちの忠義を信じるべきではないだろう。
 要するに自身の権威と武力を構成する多くの者達を食わせ、自信の政治的影響力を保持する事が五将家の義務であったのだ。
 天領での経済発展とそれによる経済格差への対策により、鎮台の縮小が進む以上、彼らが付き従うものにポストを与えるには、必然的に中央政府の予算にしたがった中央省庁の文官、および兵部省・軍監本部そしてそれらの付属・外郭機関へと浸透していくことになるからだ。
つまるところ一見は独自の戦力を独立した財源によって保有している五将家であっても陪臣たちを養い、相応の栄達と昇進を保障するためには執政府と衆民院によって決定される予算に依存せざるをえないのだ。
 更に、五将家の体面を維持する為に必要な私的な収入の為には天領からの利益誘導と出資を行わなければならず、これもまた衆民院に多大な影響力を持つ商人達との繫がりをもち、相互に影響しあう事となる。
 結局のところ、世俗に生きる以上は経済からは逃れられず、ましてや政治に携わる以上は納税者の代表者という名分を背負った者たちからは逃れられないからである。
         ――閑話休題――

「最初は地方の産業振興に関する大規模な投資優遇を行った事で支持を得ていましたが、大規模な街道整備事業の為に一部の議員達が増税を示唆した所為で分党騒ぎ、
代わりの財源を求めてに皇都・龍州の更なる軍縮を推し進めた所為で珍しく足並みのそろった五将家の圧力。早々に解散・総選挙になりそうですからね。――良くも悪くも中産階級から支持を受けた地方の名士たちの寄合だったって事でしょう」と馬堂豊久が肩を竦めて見せた。

「こちらの主家も当初は後押ししていたのだがね。
流石にやり過ぎだ。目先の事しか考えないからあぁなるんだ」
 
「お、おう」

「そ、そうですね」
 三崎が鼻を鳴らして言うと首席監察官とその副官がさりげなく目を逸らす。

安東家は東州の嘗ての栄華を忘れられずに戦乱で荒廃しきった恩賞として与えられた東州に本拠を移した家である。
 もっとも、その復興に家産が潰れかけ、海良の者達の内政能力と安東吉光伯爵をはじめとする中央官僚による国策の誘導によってどうにか復興も軌道に乗りはじめたところである。

「何が云いたいのか分かるがね。東州の産業は随分と回復してきたのだぞ?
天領からの投資が続く限り十年もすれば東州乱前以上の工業地帯となる。
無論、食糧の自給率を犠牲にしたうえでの措置だがね。これは前例がある以上はどうしようもないが、それこそ叛乱など馬鹿げた事をしない限りそろそろ収支が黒字になり始める頃合いさ。
まぁなんだ。そうした法制措置が整った以上、民友会の連中は用済みだ。ましてやこれ以上の軍縮は幾らなんでも受け入れられない。東州鎮台は必然的に最低限の維持が必要だとしてもな」

「おいおい、二人とも散々利用しておいてそれは酷い言い草じゃないか」
にたり、と堂賀が笑って云った。
主に民友会の主導した事業によって龍州、東州への投資の増加が行われ馬堂家もその投資参加し、大いに利益を受けていた。
 結局のところ、彼らの主導した事業の大半は商人達だけでなく、五将家が財界と結びつきを強める事に利用され、そして五将家が軍縮の口実として渋々と(内心はともかくそう振る舞った)天領直轄の鎮台削減を受け入れ、足並みをそろえて自分たちの鎮台も似たような削減を行った後は、執政府に影響を及ぼせる地位から追い落とされることとなったのである。五将家にとって陪臣将校達の怒りの矛先を逸らすには丁度良かったのだろう。
「随分と五将家のお偉方がテコ入れするようだからな。皇民党が五つに分裂しない限りは勝つだろう」と言って堂賀は僅かに口を歪める。
 馬堂家当主である馬堂豊長退役少将も駒城の利益代表者として皇民党に接近し、駒城派の勢力拡大に尽力している事は堂賀も豊久も知っている。
「それにしても、かりにも将家の将校二人が軍縮に愚痴を溢して、衆民院選について語るとは――今日も今日とて太平の世、だな」

「五将家体制擁立直後なら武装蜂起の相談だった――のでしょうかね?
確かにこれは随分とのんきなことですね」と彼の若い副官も嬉しそうに笑った




或る皇国将校の回想録 前日譚 監察課の月例報告 六月 野心なき謀略(一)




六月十三日  兵部省陸軍局庁舎 人務部監察課事務室
監察課主査 兼 首席監察官附き副官 馬堂豊久大尉


 馬堂豊久大尉は監察課執務室の机にこの数日の間噛り付きであった。四・五月の間に頻発した不祥事や軋轢、内部告発に対する人務部の事後処理を終え、次は五月に配属された新人士官達達によるそれの繰り返しにより、細やかながら(或いはそう見せかけた)十数名の将校達の異動企画の為に人務部は再び悲鳴を上げていた。それを引き起こした監察課もその例外ではなかった。

「来月分の感状の発行予定表とそれの考課一覧への反映は終了――と。後は出向中の監察官達に送る連絡書面ですが――企画官殿、まだですか?」

同じく課内の庶務を担当――というよりも統括している企画官の三崎は不機嫌そうに答える。
「まだだ。出張中の方にそのまま隣接州の鎮台に行ってもらう必要もあるから派遣されている監察官達も現在地の確認を取ってから日程を組まなきゃならん。
適当なところで本省に一度戻らせないと向こうもこまるだろうし――取り敢えずは確認がとれてからだ。半日ばかり待てば返答が来るはずだ。導術様々だな」

「了解です。それならば今のところはこちらで首席監察官殿と課長閣下に判子を貰って課長の所におくれば終わりですね。今月はなにごともなし、で終わるといいが」
監察課課長は監察課の執務室に姿を現すことはめったにない。人務部次長として年若い背州公子の代わりに先任次長である人務第一課長と共に人務部を取り仕切る事に傾注しているからである。佐官以上の人事を司る人務第一課長と並び准将が課長を務めるあたり、監察課が大きな権威を持っている事が分かる。
――中央政府機関として兵部省・軍監本部が統制を得るまで苦労したのだろうな。
と豊久は内心面白がっていた。

「今月も怪しいものだが、来月からは大荒れだろうな。覚悟を決めておけよ」
と三崎が肉厚の顎を撫でながら言った。

「――来月は兵部省の局長会議、再来月には定期人事異動の発表でしたね。
絶対面倒事が起きるだろうし――せめて通常業務の意味くらい把握したかったのですがね」
 うんざりと豊久が頭を抱えていると三崎中佐が太鼓腹を震わせて笑いながら云った。
「おいおい、あまり情けない事をいうな。だいただな、ここの仕事は基本的に面倒事の解決だぞ」

「はい、企画官殿。あぁまったく副官と聞いたから内勤だけだと思っていたんですけどね」

「残念だがそうもいかないようだな。
まぁ首席監察官殿は現場出身だからそうしたやり方を好んでいるのだろうさ。
それはそれで貴様にも良い勉強になるだろう」
椅子に腰かけながら三崎が云う
「はい、企画官殿。色々と学んでおります。えぇ」
 つい先月行った受勲審査の事を思い出し、馬堂主査は呆けたような口調で言った。

「――あぁ随分と意外なものを見聞きしたようだな」
 三崎が問いかけると若い主査も鉄筆を弄びながら
「そうですね――意識してなかった方向で見聞が広まったと思います。えぇ、その点は良かったと思います」と答えた。

「ふん、苦労知らずとは言わんが、俺達のする苦労とは全く違ったものだっただろう?
貴様の世代はその手の面倒をどうにか御さねばならんのだよ」
東州で家を傾けかけた安東家に仕える男の言葉に若い軍人貴族は真面目な顔で頷いた。
「――よし、励めよ 若造。まだまだやるべきことは山積みだ」と背中を叩き、三崎は立ち上がった。
三崎企画官と入れ替わるかのように、満面の笑みを浮かべた堂賀首席監察官が若い中尉を引き連れてやってきた。
「おう、副官。御苦労だな、貴様に客が来ている」

「首席監察官殿、そちらは――」
 立ち上がって敬礼を奉げた馬堂大尉は大賀大佐の後ろに立っている若い中尉に物珍しそうに視線を飛ばす。
「君も名前は知っているだろう?広報室の平川中尉だ。君に個人的な用事があるらしい」

「はい、首席監察官殿。久しぶりだね、平川中尉。幼年学校以来かな?」

「はい、お久しぶりです、主査殿。後で少々お時間をよろしいでしょうか」
その言葉に馬堂大尉は一瞬、逡巡するが、上官が頷くのが視界に入ると僅かに頬を緩めて頷いた。
「えぇと――あぁ大丈夫だよ。昼からでいいかな?」


同日 午後第一刻 星岡茶寮
監察課主査 馬堂豊久大尉


「――広報室の主任か。大変だろうけど良い仕事じゃないか。
かの幼年学校の優等生は見事にばってきをうけたわけだ」
 食後の黒茶を啜りながら豊久は同期の平川利一中尉に笑いかけた。
 兵務部は編制・徴兵・動員計画・軍律の策定といった陸軍に関する政策、兵部大臣の名で発せられる省令の管理といったを所管している部署であり、巨大で独自性が高い陸軍局の官房としての役割を担っている。
 つまり、平川中尉は周囲だけでなく上層部からも高い評価を得たからこそ、抜擢されたのである。
「あぁ、ようやく皇都に戻ってこられたんだ。これを最後の仕事にするのもいいかと思うくらいには満足しているよ」
 平川の父は、背州に本店を構える合資商会の大番頭であった。そして接客の才を父から受け継いだのだろう。気位の高い貴族将校や、気難しい衆民の古参将校達とも上手く付き合い、衆民将校の中ではかなり早く二十二歳で中尉へ昇任している。
 そして陸軍局の中枢に抜擢されたのだから衆民将校としては最高級の待遇である、豊久の知る限り、余程大物の将家出身者に気に入られなければこのような事はないだろう。

「そうなのか?もう少し頑張って大尉になれば万一のことがあっても多少はマシな配置で戻ってくるだろうに」

「その大尉まで何年かかる?中尉になるまでに六年もかかったんだ、八年?いや、十年かかってもおかしくないだろうさ。
だったらまだ物覚えが良いうちに店に戻るよ。ちょうど手土産の伝手作りにゃ丁度いい仕事だから区切りにするかどうか、って迷っているんだ」

「そうか――まぁ衆民の将校は大抵そうするからな」と寂しそうに豊久は菓子をつまむ。
見習士官ではなく、軍幼年学校に入校して将校となったのは、下士官だけでなく着実に増加している衆民将校とも繫がりを造るべきであると彼の父が判断したからだった。
 無論、軍人としてのそれだけではなく、彼らの大半がいずれ地方の名士や商会の要職に就く事がを約束された身である事が大きかったのだが。
「――っとそうだ。早めに退役の挨拶に来たわけじゃないだろう?何の用事で来たんだ?」

「あぁ、この間の受勲と両替商摘発の件――」
 ぴくり、と豊久は肩を震わせた。
「――で瓦版連中だけじゃなく、新聞記者の連中までもが随分と嗅ぎ回っているようなんだ。兵務部の幹部連も随分とぴりぴりしている、当然といえば当然だよ」
<皇国>では一般的に俗にいう高級紙を新聞と呼び、扇情的なゴシップを質の悪い紙を使って刷っている物を瓦版と呼んでいる。どちらもここ最近は衆民から縁遠い殿様(・・)と軍隊を獲物にして部数を稼ごうとしている。

「局長会議を来月に控えているんだ、そちらで水軍に札を与え無い為だろう?確かに受勲を受けた事は話題にはなるだろうが、記者連中の本命はこちらの不祥事だろうよ――前回は早めに虚偽の報告を受けていたと、鈴鳴屋を叩いたから良かったものの――」と豊久は顔を顰めた。
「危うくこっちまで巻き込まれる所だった。首席監察官殿が視警院に根回ししたお蔭だ」

「だが向こうの瓦版連中は泥沼に嵌るのを見世物にしたかった連中が大半だ。
新聞記者共もここで上手くすれば民本主義政党と結びつくことができると思っている。
民本化運動が進めばそれだけ高級紙である新聞の市場が広がるからな」

「税制を握っている衆民院がその気になれば世論を盾に予算案の修正ができる。昨年度は取っ組み合いの末に妥協して得た分の巡洋艦と駒州の軍馬牧場の改築予算が工部省の熱水機関普及補助費とかいうのに化けたのは知っているだろう?
またあぁやって出し抜かれるのは屈辱の極みだ、と上層部は考えているようだ。
何かしらあってもこちらが把握すれば手の打ちようはある。監察が何か睨んでいる案件はないか?」
 平川の探るような視線に豊久は肩を竦めて答える。
「――例えば文書課の漏洩騒ぎとか?」
 このところ、連続して新聞に兵部省が発表する前の情報が特報として報道されることが相次いでいる。将家間の駆け引きが何度か台無しにされかけた事もあり、将家の閥に属するものではなく、非主流派の衆民将校だろうと推測されていた。
「あぁ、正直なところそっちもある。俺を含めて衆民出身者は針の筵だよ。
衆民出身の誰かが小遣い稼ぎにネタを売っているのだと幹部連中は考えているし、他の部局もこっちを信用しなくなった。人務部だってこっちに情報を流してくれないんだろ?
この間の受勲関係の騒ぎも殆どそっちの部内で済ませてこっちには事後報告だけだったじゃないか」
重い溜息をついた同期にばつが悪そうに豊久は弁明する。

「あぁ、あのころはまだ目立ってたわけじゃなかったけどな。
慎重に判断するように上から言われていたからだ。どっちにしてもそうしていたよ」

「そう言ってくれると助かるよ。あぁ、それはともかく、何かしらつかんでいる話はないか?どっちにしても衆民院対策はこっちでやらなくてはならないからな」

 豊久の視線が鋭くなり、先ほどまでの情を感じさせない淡々とした口調で言葉を発する。
「――漏洩の危険は?」

「俺と被害者――追い落とされそうな立場の連中で探ったルートを使うから大丈夫だ。
それとこれは、貴様もすぐに知る事になるだろうから言うが――近日中に監察課に内偵に入ってもらう。これが要請で俺が今日、監察課に来た理由だ。室長に言われてね」
 平川もそれを当然のごとく受けて答える。

「お前が言うのなら――大丈夫なんだろうな。それで漏れたら絶対お前を更迭するぞ」
 
「おっかないな。監察課の新鋭課員様にいい加減な事はいわないさ」
と笑うに笑えない冗句を飛ばしながら平川が笑った。

 豊久は手持ちの帳面を取り出し、視線を落とす。
「今のところはそう大きな火種はない筈だよ。退役した者達は流石に把握してないがね。こっちが掴んでいるのは精々、旅団内の揉め事や、横流し程度だ。そうだな――後は龍州議員の親戚だかなんだかの果樹園で酔った馬鹿な兵共が暴れた件くらいか?
あれは、州議が直訴状を送ってきたが別段将校がらみでも癒着がらみでもないから憲兵任せで処置報告を確認しただけだった。あれは多分、似たような事例を掻き集めて龍州議会で軍の綱紀が緩んでいるとか、兵の管理体制について問題があるとか州議会でつつくつもりだろうな」

「龍州議会か――うん、ありがたい。こっちの方で鎮台司令部の方と連絡を取っておこう。
こっちも衆民院で取り上げられるだろうからな。これで官房に嫌味を飛ばされずにすむ」
 平川が頷いてこちらも帳面に書き付ける。
「今のところはそれくらいなのか?」

「ん、そうだな。他は――首席殿に聞いた方が良いだろうね。あの人はどっかから爆弾を持ってきてもおかしくない」と豊久は真顔で言った。

「確かにあの人は警察関係には顔が広いからな。うん、なんなら今度はウチの室長直々に尋ねた方が良いだろうな。この時期に広報室長が監察課に、なんてさすがに|白地(あからま)に過ぎるだろうが――」

「心配しなくても危険性が高いのならウチの首席殿ならまず間違いなく伝えるべきところに伝える筈だ。あの方は情報を扱う専門家だからな、この手の危機管理は十二分に知悉しているだろうさ」

「――二カ月で随分と惚れ込んだみたいだな。少しばかり羨ましいよ。
こっちはガタガタだからな、勢力争いの前に部署としての信用すら落ち始めている。
このままだと機能不全に陥ってしまう」と平川は額を掻く。
「取り敢えずこちらの掃除が済むまでは何かあったら俺にすぐ連絡してくれ。
万が一、記者連中に出し抜かれたら局長閣下直々に兵務部をまるごと大掃除されかねないぞ。
五将家の最後の牙城が揺らいだらどうなるか――馬堂殿ならお分かりでしょう?」
と厭味ったらしく衆民将校が貴族将校に問いかける。

「――分かっているよ。俺から首席監察官殿に伝えておくさ。そんな事態にならないことを祈るがね」と豊久が溜息をつくと平川も頷いた。
「同感だな。兎に角、俺も協力するから今回の件は頼んだぞ。内勤だとしても局内の事だ。
貴様もなんかしらの形で関わるだろうからな」

「あぁ、平川中尉殿の最後の花道だからな。そうなったら可能な限り協力するよ」
 と豊久は再び寂しそうに笑った。 
 

 
後書き
とりあえず合間をぬって趣味全開の外伝更新
月曜に第2話
来週の土日に3・4話を投稿して第二短編を完結させたいと思います。

本編はもう少しお待ちください。
 
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