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至誠一貫

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第一部
第四章 ~魏郡太守篇~
  四十八 ~郷挙里選~

 月が、洛陽に赴く前夜。
 私室に、月と詠、稟、風が顔を揃えていた。
 無論、善後策を話し合う場である。
「皆、揃ったようだな。では、始めるとするか」
 私の言葉に、皆が頷く。
「では、現状整理から参りましょう。まず、洛陽ですが……」
 稟が、口火を切った。
「陛下の御加減は優れず、かなり重態とも噂されています。その為、十常侍を中心とする宦官が実質、全てを取り仕切っているようです」
「ただ、軍事に関しては何進さんに権限が集中しているままのようですねー」
「……このまま洛陽に月が赴けば、間違いなく十常侍に利用されるわね。連中にすれば、恋や霞達を擁するうちの軍は、外戚に対抗するのに打ってつけ……そう思っているに違いないわ」
 正史でも、曹操が重用した三人だけの事はある。
 議論に無駄がなく、的確に問題点を洗い出していく。
 冀州情勢が落ち着いている今、私のところでは差し当たり、懸念事項はない。
 強いて言うなら、増加一方の人口に対し、農地の開拓や都市の整備が追い付かぬ事、増え続ける仕事に比べ、文官の質・量共に慢性的に不足がちな事がある。
 こればかりは一朝一夕で解決出来るものではなく、地道に進めるしかないのだが。
「本来なら、旗幟を鮮明にすれば済む事ではあるのだが……」
「それが出来ればとっくにやっているわよ。月に、アンタみたいな果断な真似が出来る筈ないもの」
 詠は、大きく溜め息をついた。
「協皇子との繋がりが、やはり足枷になってきますね」
「正直、今の朝廷と関わり合いになるのは得策ではありませんしねー」
 理想は、十常侍を廃した上、何皇后にも身を引いていただく。
 さすれば、姉妹どちらが後継となっても、月が巻き添えになる事はあるまい。
 ……だが、実現させるのは至難の業、としか言えぬ。
 宦官も何皇后も、どちらも共倒れは望んでいまい。
「すみません、私……」
「月、自分を責める必要はない。私は、お前の性格を承知の上で受け入れたのだ」
「そうですよ、月殿。歳三様が選んだ道は、私達の道でもあるのですから」
「お兄さんにお仕えしている以上、覚悟の上ですよー。軍師としては、やり甲斐もありますしね」
「お父様、稟さん、風さん……ありがとうございます」
「……月には、ボクがいれば十分だけどね。でも、月が歳三とそうしたい、って言うんなら仕方ないから」
 半ば本心、半ば照れであろうな。
 誤解されやすいが、詠は本来、そういう人物。
 ……今少し、視野を広く持てれば違うのであろうが、それは申すまい。
「さて、難題に頭を抱えているばかりでも何も解決しません。策、というには少々相手が大がかりですが……」
「風はですねー、そこはこうした方がいいと思うのですよ」
「ちょっと待って。ボクならそこは……」
 三人の議論は、白熱していく。
「ふふ、本当に皆さん、頼もしいですね」
「ああ」
 武田観柳斎の如き似非軍師ではどうにもならぬが、今目の前に居るのは歴史に名を残した名軍師ばかり。
 如何に宦官どもが狡知に長けていようとも、この顔触れがいれば案ずる事もあるまい。


 未明になり、月らを城門まで見送った。
 軍勢は昨日のうちに、恋と霞らが、郡内の巡検に出向く愛紗の手勢に紛れて出発させてあった。
 ここ数日、疾風(徐晃)の手の者から、不審者を捕らえたという報告が屡々上がっている。
 己らの権力争いに汲々とする連中に、そこまで気が回るとも思えぬが、用心に越した事はあるまい。
「月」
「はい」
「これを持っていけ」
 私は、贋作の堀川国広を手渡した。
「お父様、宜しいのですか?」
「構わぬ。それは贋作ではあるが、紛れもなき我が愛刀であったものだ。守りとして、持つが良い」
「……わかりました。この剣、お父様だと思い、大切にします」
「うむ。……閃華(華雄)」
「何でしょうか、歳三様」
 閃華は、言葉遣いが以前と変わった。
 月を主として敬意を現すようになり、その父となった私にも、同様に接するようになっていた。
 言葉だけではなく、短慮は影を潜め、冷静に戦場を見るようになった……とは、同僚である霞の評。
 真名を与えられた、という切欠があったとは申せ、まるで別人であるかのような変貌ぶりだ。
「月が、これを抜くような事にならぬよう、頼んだぞ」
「お任せを。例えこの身に代えようとも、月様はお守り致します」
「うむ。だが、くれぐれも命を粗末にするでない。武人たるもの、命を賭けて戦うのは当然だが、使いどころを見誤ってはならぬ」
「そうですよ、閃嘩さん。あなたは、私にとって掛け替えのない方の一人なのですから」
「歳三様、月様……。お気遣い、ありがとうございます。お言葉、肝に銘じます」
 迷いのない、いい眼をしている。
 愛紗と斬り結ぶ事は万が一にもあるまいが、今の閃嘩ならば、両者とも拮抗した勝負になるやも知れぬな。
 ……無論、そうさせる気は微塵もないが、な。
「詠、手に負えぬ事態ならば、直ちに知らせよ。決して、一人で抱え込むような真似は止すのだ」
「わ、わかってるわよ。稟や風にも釘を刺されたけど……ボクって、そんな風に見える?」
「お前は、月に対する責任感が強過ぎる。自覚してない筈はあるまい?」
「……そう言われると、返す言葉がないわね。でも、今の月はアンタっていう、頼れる存在があるからね。ボクも、それは頭に入れているから」
「殿。そろそろ発たぬと、人目につきますぞ?」
 途中まで、月らの警護に当たる彩(張コウ)に促され、一行は城門を出た。
「では、行って参ります。お父様」
「息災でな」
 月は、何度も何度も、振り返りながら遠ざかっていく。
「城門を閉じよ」
「……宜しいのですか?」
「ああ」
 名残惜しいのは事実だが、如何に未明とは申せ、あまり城門を開けたままにしておくのは好ましくない。
 城門が閉じられていく音を聞きながら、私は踵を返した。

 翌朝。
 執務室に出向くと、元皓(田豊)と嵐(沮授)が待っていた。
「太守様、おはようございます」
「おはよう、旦那」
「うむ。朝から二人揃うとは珍しいな」
 愛里(徐庶)と違い、二人は郡内に出向く事が多い。
 各々に役目があり、一日姿を見ぬ日も度々である。
 ……ただ、先夜の一件から、二人が共に在る時間が増えたようだ、と皆が口を揃えてはいる。
 下衆の勘ぐりをするつもりはないが、つまりはそういう事なのであろうな。
「新たに官吏を採用する時期が来たので、そのご相談にあがったんです」
「今のところ、以前と同じ郷挙里選で、ってなるんだけどさ。これ、旦那と豪族どもの協議になるからね」
「そうか。具体的に、私は何をすれば良い?」
 嵐は、書簡を一つ、私の机に置いた。
「それが、各里から上がってきた、推挙者の一覧さ。今までのやり方だと、それを見て、旦那が落款をして終わりだね」
「……前の太守様は、豪族の方々となあなあで選ばれていましたから。ただ、その結果がどうなったかは……」
 言わずもがな、だな。
 折角、大掃除が済んだばかりのところに、また汚泥を持ち込む訳にはいくまい。
「一つ聞くが。郭図らと繋がりのある、若しくはそれが疑われる人材が混じっている可能性は?」
「あるだろうね」
「明確に関わっていたという者はさすがに少ないでしょうけど。ただ、郭図様達が絶大な権力を誇っていたのも、いろいろな利権を握っていた事が大きいですから。当然、豪族の方々にもそれは残っているでしょう」
「利が全て悪とは申すまい。全ての人間が、無私でいられる筈がないからな。だが、それを無制限に見逃す訳にはいかぬ」
「そこなんだよね、問題は。頭からこの一覧の人材を否定すれば、豪族共は旋毛を曲げるだろうし」
「第一、それでは郷挙里選が成り立たなくなります。この制度は、郡太守と豪族の協調を前提としていますからね」
 官吏の絶対数が不足している以上、執り行わぬ、という選択肢はない。
 そもそも、それを理由に官吏の採用を中止すれば、郡内に要らぬ波風を立たせる事にもなろう。
 最悪、朝廷からそれを理由にこの地位を追われる事になるやも知れぬ。
 それでは、皆がここまでやってきた苦労や努力が、全て水泡に帰してしまう。
「ならば、学問試を行うというのはどうか?」
「学問試?」
「そうだ。官吏として登用する以上、当然学問は修めていよう。それをまず見極める」
「試験、という訳ですか。確かに、一定の目安にはなりますが」
「その上で、私と豪族の主立った者が同席の上、見分を行う。これならば、一方的な選抜と言われる事はあるまい?」
「……確かに、今までの方法よりは公正だと思うけどさ。ただ、いくつか問題があると思うぜ?」
「無論だ。何よりも、豪族共を説得する必要があるな」
「そうですね。ただ、郭図様の一件で苦い思いをしている方も少なくない筈です。素直に協力していただけるかどうか……」
「だが、他によき思案が思い浮かばぬ。あまり時間もかけられぬであろうしな」
 私の言葉に、二人は考え込む。
「旦那。この案、他の人には?」
「まだ話しておらぬ。私の腹案だ」
「ともかく、一度稟様達を交えて、検討すべき事案かと。基本方針は僕も賛成ですけど」
「良かろう。お前達二人が中心となり、取り急ぎ進めてくれ」
「あいよ」
「御意です」
 二人が下がってから、私は推薦者の一覧に目を通して見た。
 姓名に出身地、略歴。
 そして推薦者である豪族からの人物評。
 ……無論、推薦する以上、佳き事ばかりが並べられている。
 鵜呑みにするならば、全員をそのまま官吏として登用する事になるであろうな。
 だが、私がこの郡に対して責を負う以上、それは許される事ではない。
 郡の官吏は、基本的にその郡の官吏であり続ける。
 私自身は、いつまでこの地にいるかはわからぬが、官吏らはずっと、この魏郡の庶人らと関わり続けるのだ。
 迂闊な者を選んでは、将来の禍根となる恐れすらある。
 そう考えると、慎重を期すに越したことはない……それが、私の想いだ。
「歳三さん、お待たせしました」
 愛里の声で、思考を中断する。
「何かあったんですか? 嵐さんと元皓さん、何やら難しい顔をされていましたけど」
「うむ。その事だが、愛里にも呼び出しがある筈だ」
「私も、ですか?」
 首を傾げる愛里。
 とにかく、皆で知恵を出し合えば、どうにかなるであろう。
 そんな事を思いながら、私は愛里が置いた書簡に、手をつけ始めた。


 一週間後。
 豪族の主立った者を、ギョウへと招集した。
 郷挙里選での推挙者も、同時にギョウへと集まったようだ。
「初対面の御仁もおられるであろう。拙者が、郡太守の土方だ。見知り置き願いたい」
「此方こそ、高名な土方様にお会い出来て光栄ですな」
 世辞か本心かは知らぬが、豪族共は下手に出てきた。
 一人一人が名乗りを上げるが、当然、聞かぬ名の者ばかりであった。
「それで、土方様。此度の郷挙里選、何やらご存念がおありとか」
「然様。……先だっての一件、皆の衆も存じておられようが、真に残念至極な限りであった」
「私腹を肥やし、あろう事か年端のいかぬ少女を慰み者にしていたとか」
「全く、不届きな者共にございましたな」
「迅速で手厳しいご処置でしたが、やむを得ますまい。自業自得というものですな」
 流石に、郭図らを擁護する発言はない。
「二度と、あのような者を官吏として登用すべきではない。ご一同、この点にはご異存ないでしょうな?」
「無論ですとも。推薦する我々にしても、あのような者を再度出しては恥というもの」
 一人の豪族の言葉に、全員が頷いた。
「そこで、拙者より提案がござる。お聞き下さるか?」
「ほう、太守様に。是非、伺いたいものですな」
 皆の視線が、私に集まる。
 中には、成り上がり者めが、と言わんばかりの軽蔑も混じっているが、気にする必要もあるまい。
「では、申し上げる。まず、本来の郷挙里選とは何か。各々方、それを思い起こしていただきたい」
「…………」
「各里より、素行に問題がなく、優れた人物を選ぶ制度。それはまず、ご一同もよくおわかりの筈」
「当然ですな」
「人選そのものは各里の有力者、つまりは貴殿らが行い、推挙する。郡太守はそれを元に、豪族のご一同と協議の上、官吏として採用する。この流れそのものは、国が定めた制度故、変えるべき箇所はござらぬ」
 何を当たり前の事を、という顔をしている者が大半だな。
 だが、本題はここからだ。
「調べたところ、定められているのはそこまでにござった。それ以外は各太守の裁量次第……と」
「太守様。はっきりと仰っては如何ですかな?」
 豪族の一人が、苛立ったように言う。
「では、申し上げよう。拙者は、選考を私とご一同の協議のみ、とせず、段階を踏むべきと存ずる」
「ほほう。それで?」
「まず、志望者に自らが望む部署を選ばせ、その部署の官吏を相手に、口述にて学を問わせる。然る後、私と貴殿らにて、口述試験を通った者と個別に面談を行う。その結果を、従来通りに協議で決める……それを加えたいと存ずる」
 豪族共が、互いに顔を見合わせる。
 何人かは、ひそひそと密談を始めた。
「太守様。それは候補者全員に対して……という事ですかな?」
「然様。そうでなくては意味がござらぬ」
「はっはっは、これはまた。太守様はご冗談が上手いようで」
 その者は、高々と笑ってから、
「太守様。候補者が何人いるか、ご承知なのでしょうな?」
「無論にござる」
「その為に、官吏だけでなく、我々も付き合わされると? 何日かけるおつもりか?」
「そうだそうだ。その間、何日里を不在にさせるつもりだ!」
「その為の費えは誰が持つと思っているのだ」
「第一、それでは我らが信用されていないという事ではないか。如何に太守でも、無礼極まりない!」
 まさに、非難囂々だ。
「馬鹿馬鹿しい。まるでお話になりませぬな」
「これでは協議など無理。どうやら太守様は、官吏の登用をする気がないようですな」
 そう言って、豪族共は皆、席を立とうとする。
「待たれよ」
「もう結構。太守様、勝手になされるが宜しいでしょう」
「勝手にしろ、と仰せられるか」
「如何にも。横紙破りに付き合えるほど、我々も暇ではありませぬからな」
「その言葉、二言はござらぬな?」
「くどいですぞ!」
「……皆。今の言葉、聞いたな?」
 その場に居合わせた仲間と官吏らが、一斉に頷いた。
 豪族共は憤慨しつつ、全員立ち去った。

 その夜。
 改めて、主立った者が集まった。
「上手く行きましたね」
「売り言葉に買い言葉、って奴か。しかし、旦那もえげつないねぇ」
「ふっ、確かにそうかも知れぬ。だが、連中も堪え性がないな」
 確かに、私の案では豪族共に何の利もない。
 無論、説得するのならば言いようもあるのだが、最初からそのつもりはなかった。
 勝手にしろ、そう言わせるのが目的であったからな。
「どちらにせよ、これで豪族達は自らの責務を怠り、国の法に反した事になります。歳三様の思惑通りになりました」
「豪族さん達が推したかった人物でも、問題があれば此方の判断で不採用に出来ますしねー」
「ただ、その分わたし達の仕事は増えますけどね」
 苦笑する愛里。
「済まぬな。だが、愛里とて、あのような目に遭う者を出したくはあるまい?」
「勿論です。ですから、異を唱えるつもりはありませんし、歳三さんの判断に間違いはないと思います」
「うむ。疾風、この事、広く郡内に流布せよ。豪族共が、後から取り消しが出来ぬようにしておきたい」
「そう思いまして。既に、手の者を発たせました」
 流石、心得たものだ。
「面談は、星、愛紗、彩も加わるように」
「はぁ……。我らも、ですか」
「し、しかし私は武骨者。宜しいのでしょうか?」
「殿のご指示とあれば従うのみですが……」
「お前達が躊躇う気持ちはわかる。だが、一軍の将として、人を見る眼を養うのは必要な事だ。良いな?」
 三人は戸惑いの色を隠せないまま、頷いた。
「お兄ちゃん、鈴々は何もしなくていいのか?」
「そうだな。……鈴々は、学問試を受けてみるか? どうだ、愛紗?」
「いいお考えかと。また最近、勉強を怠けているようですから」
「や、やっぱりいいのだ!」
 慌てて、鈴々は走り去る。
「こら、待て鈴々!」
 一座に、笑いが広がった。


 そして。
 従来とは違う形となった郷挙里選だが、予想以上に優秀な人材を集める事に成功。
 郡太守の推挙、という名目で行った、魏郡以外の者に対する募集にも数多くの申し込みがあった。
 それなりに名の知れた人物も混じっていたようで、愛里がひどく喜んでいたのが印象的であった。
 ……その分、必然的に皆、寝不足気味とはなったが。
「歳三さん。ぼやっとしてないで、手を動かして下さい」
 そう言いながら、ドサリと書簡を積む愛里。
「……書簡が、随分と増えたようだが?」
「そうかも知れませんね。でも、それだけ働く人数が増えたという証拠ですよ」
 ……加えて、私自身の仕事も増えてしまったようだ。 
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