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蜘蛛女

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第五章

 女郎蜘蛛はその場からこう言った。
「慣れてるわね」
「おう、若い頃は随分やったからな」
「こういう場所でも勝負をしてきたのかしら」
「色々な場所で喧嘩をしてきたさ、悪い頃はいきがってたからな」
 実は遠山の背には刺青がある、桜吹雪の見事なものが。奉行になった今ではそれを隠すのに苦労している。
「それでだよ」
「面白いわね、人間はこうした場所では慣れていないけれど」
「それぞれでい、まあ鼠小僧程じゃねえけどな」
「口も達者ね、さっきから思っていたけれど」
「まあな、じゃあはじめるか」
 その小刀を右手に持ち蜘蛛に近寄ろうとする、だが。
 蜘蛛はその八本の脚と糸を出してきた、それで遠山を絡め取ろうとする、その糸が来たところで。
 遠山は小刀で糸を切った、すると。
 糸は見事なまでに切れた、蜘蛛もこれには驚いた。
「私の糸が!?」
「糸だけじゃねえぜ」
 遠山は不敵に笑う、そして。
 さらに近寄ると今度は脚が来た、その脚もだった。
 小刀で断ち切る、蜘蛛は驚きだけでなく痛みからも動きを止めた。そこに隙が出来た。
 遠山は蜘蛛のすぐ前まで来てその左右に四つずつある八つの目の中間、眉間の場所を刺した。小刀は根元まで突き刺さった。
 それを受けてだった、蜘蛛は完全に動きを止めて言った。
「そんな、小刀程度で」
「塩を塗ったからな」
「塩、ね」
「おめえさんは妖怪だ、最初から妖怪の仕業かも知れねえって思ってたからな」
「塩を用意していたのね」
「そうだよ」
 その通りだというのだ。
「だから小刀に塩を塗っておいたんだよ」
「考えたわね。いえ、最初から考えていたのね」
「喧嘩ってのはやる前から決まってるんだよ」
 これも若い頃からのことだ、喧嘩等からわかったのだ。
「備えあればってな」
「そういうことね、負けたわ」
「じゃあ成仏しねい」
 遠山は勝ったことを喜ぶ声で告げた。
「ゆっくりとな」
「無念だけれどそうさせてもらうしかないわね」
 蜘蛛も観念していた、最早声は消え入りそうになっていた。
 その最後の言葉を出して煙の様に消えた、後には何も残っていなかった。
 蜘蛛を退治した後で吉原の店という店の屋根や町の傍の川の中、裏手や誰もいない空き部屋なり潰れた店なりを調べ回った、すると。
「蝶柳のすぐ傍のか」
「はい、主が死に潰れた店の中からです」
「夥しい数の骨が見つかりました」
 南町奉行所で与力達が遠山に報告する。
「どうやら蜘蛛に食われた者達かと」
「消えた男達ですな」
「間違いないな」
 遠山は今は奉行の身なりで奉行の顔で応える。
「それで」
「はい、そうですな」
「それで間違いありませぬ」
「このことは公には出せぬ」
 とてもだというのだ。
「それはな」
「内密にしますか」
「隠しておきますか」
「吉原、江戸に化物がいたなぞと言っては大騒ぎになる」
 このことを恐れての判断だった。
「それ故にな」
「でjは公には伏して」
「この件は収めますか」
「骨は葬ってやれ」
 このことは忘れなかった、遠山も。
「家族にはそれぞれ理由をつけて火葬にしたと返しておくか」
「その理由は」
「辻斬りにでもしておけ」
 真相を考えると無理があるがそういうことにするというのだ。
「それにやられたとな」
「夜の吉原で、ですか」
「その様に」
「辻斬りの下手人は成敗され死ぬ間際に川に落ちた」
 それで骸はなくなったというのだ。
「随分と巧妙に辻斬りを働いたがな」
「その様に話を収めますか」
「表向きは」
「そうする、ではよいな」
「はい、わかりました」
「では表ではそうしておきます」
 与力達も遠山に応えた、それでこの蜘蛛の話は辻斬りということで収められた。
 このことは長い間辻斬りということになっていたが先日幕府の裏の記録であったことが判明している。幕府の裏の記録にはこうした話が実に多いがこのこともそのうちの一つだ、南町奉行だった遠山は今も人気があるがその彼にまつわる話の一つとして興味深いものに思えたのでここに書き残しておくものとする。


蜘蛛女   完


                              2013・3・28 
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