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銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~

作者:鳥永隆史
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犠牲よりも大きいもの

 公開試合の形式をとったアレスとワイドボーンの戦いはほぼ全学年の知るところとなった。
 学校最優秀の学生が、負けた事実は教官たちも知ることとなり、多くの人間が非常に素晴らしい戦いであると褒めた。もっとも、一部ではあったがあるものは双方ともに無様な戦いであったと論評したが。

「二学年でこれだけの戦いが出来るとはね」
「凄いですね」
「どっちも負けだろ」
 小会議室の一角で、そばかすを残した男が呟いた。

 室内には四人ばかりの――様々なマフラーを持った少年たちが意見を交わしていた。手元のコンソールに映し出されるのは、何回目であろう彼がどっちも負けと評価した戦術シュミレートの戦いが広げられている。
 青軍、アレス艦隊が押し寄せるのを、赤軍のワイドボーン艦隊が正面から受け止める。ほぼ同数の戦いは戦闘開始十分――シュミレート上では五十分で、ワイドボーン艦隊が有利に進めた。撃ち込んだ陣のうち中央の陣系で隙が出来たと見るや、左右の艦隊と呼吸を合わせて一気に畳みこむ。中央の艦隊が崩れると同時に艦隊を鋒矢へと変えた。弓のような態勢となった陣形は中央を突破するに最適な陣形である。わずか数分で陣を変えた動きは、さすがと言っても良いだろう。仮にコンソールを見る男――ダスティ・アッテンボローであっても、ここまで上手くは陣形を変える事ができない。陣形と陣形を動かす隙で打ち砕かれるだろう。

 アレス艦隊は中央に押し寄せるワイドボーン艦隊に防ぐことが出来ずに、次々と破壊を許していく。
 コンソール上の情報画面では、アレス艦隊の被害数だけが伸びあがり、中央――五千のうち、二千隻が破壊され、ワイドボーンの勝利で決まったかのように見えた。
 と、開始三十分――二時間と三十分の時点で、情報画面に赤軍の損害が増えた。
 そこで初めて、全員が疑問に感じた。
 包囲されている。

 誰もが押し寄せるワイドボーン艦隊に中央が崩れていると考えていた。だが、崩れているのではなく、鶴翼――U字型の包囲網の中に引きずりこまれているということを、情報画面での被害によって気づかされたのだ。
 被害艦隊が青よりも赤が多くなって初めて、ワイドボーン艦隊は身じろぎを始めた。包まれようとしている艦隊で、ワイドボーン艦隊は反転迎撃を選択しなかった。
 最初のままに中央を突破して、敵左翼を食い破ろうと方針を転換し、中央突破にさらに力を入れた。

 だが。
 アレス艦隊の中央が今まで以上に、さらに攻勢をかけた。
 それまでの戦いで節約していたであろう火力を一気に使い、戦線を押し上げた。
 ほぼ真正面からの撃ちあいは容易に中央突破を許すことなく、アレス艦隊の包囲は完成していた。
 結果――アレス艦隊の中央艦隊とワイドボーン艦隊はほぼ全滅する事となった。
「負けも何も、これは二学年の勝ちだろう」
「中央艦隊を犠牲にしてか。こんなこと現実にやれば、後ろから撃たれるね」

 アレスの行動は冷酷なほどに中央艦隊を犠牲にしている。
 ワイドボーンの艦隊運動、さらにその攻撃すらも気づかされずに包囲陣形の中に包み込んだアレスの艦隊運動は誰が見ても優れている――しかし、それは中央艦隊五千隻の犠牲があってのことだった。
 それも犠牲が出て考えついたことではない。
 最初から中央艦隊の犠牲の上で成り立った作戦行動であった。
 アッテンボローが、そして一部の人間が無様と評した理由である。
 戦術的には有効であるかもしれないが、戦略的には無意味である。

 もし、最初から犠牲になると言われれば犠牲になる人間は機械のように動けないだろう。これはあくまでシミュレーターであったから、成り立った作戦である。
 だが、そこまで気づくものは少ないのだろう。
 多くがワイドボーン艦隊の初撃から中央突破への連携を褒め、アレスの包囲陣形を褒めている。
 ――第一、包囲が完了した時点で降伏勧告するのが普通だろう。
 損傷率が五十を超えるとは、例え相手に勝っていても負けているも同じだ。

 数にして七千五百以上、人間にすれば何十万もの人間が死ぬのだから。
「それだけとは思えないけどね」
 小さく置かれたコーヒーカップに、アッテンボローが顔をあげた。
 そこに最上級生のマフラーを確認して、慌てたように立ち上がって敬礼する。
 手で納めながら、最初にコーヒーを運んだ上級生が席に座り、周囲も席に座った。
 勧められたコーヒーを手にして、アッテンボローは口を開いた。

「それだけとはってどういうことですか。ラップ先輩?」
「アッテンボロー候補生。あと他の人達もこの戦いの戦略的勝利とは何だろう」
「青軍ならば、星系の主要基地の破壊。赤軍ならその阻止でしょう」
「それは戦術シミュレーターでの戦略目標だね」
「いや、これは戦術シミュレーターでしょう」

「ただ一人――いや、二人かな。そう思わなかった人間もいたってことさ」
 怪訝そうな視線が集中する中で、ラップはゆっくりとコーヒーを口に含んだ。
「ワイドボーンは公開して打ち砕くことで、後輩達の手綱を握り閉めようと考え――そして、その後輩はワイドボーンの考え方にNoを叩きつけたと、僕は思う」
 怪訝そうな表情が集中する中で、人の良さそうな笑みを浮かべるジャン・ロベール・ラップはコーヒーをすすって、苦い顔をした。

 ちょっと苦いなと呟いて、コーヒーを追加した。
 そこでようやくラップの言葉が頭に入ったアッテンボローが驚いたように声を出した。
「ちょ、ちょっと待ってください。じゃ、この後輩の戦い方はわざとだっていうんですか?」
「僕はそう思うよ。ワイドボーンのことだから、俺に従えとでも言ったのだろう。そんな相手に補給線を潰して勝ったところで何の意味もない。あえて、彼が望む正面決戦を受けて、完全に殲滅戦を演出したってことだろう」

 言葉を失った三人の中で、手元のコーヒーを回す。
「簡単に見えるが、ワイドボーンを相手にして殲滅戦を君たちはできるかい?」
 リピート再生によって、コンソールではワイドボーンの横並びの艦隊がまるで機械のように縦並びへと変化する様子が映し出されていた。それも待機中ではなく、戦場でだ。本来ならば向かうべき艦隊が破壊されれば、即座にそれの代替えを用意してなるべくように動きを変える姿は、天才との名前に遜色ない。

 その天才と小細工なしに正面から立ち向かえる自信は――。
「少なくとも僕では無理だよ。もし、これが出来るとすれば、ヤンくらいだろうね。もっとも、彼にとっては正面から戦うという行為に何ら意味がないと思うだろうけど」
 そんな完璧に見えた鋒矢の陣に対して、中央を犠牲にしながらも包囲殲滅を完成させる。
 誰もが言葉もなく、コンソールを覗き込む様子に、ラップはコーヒーを飲んで、微笑を浮かべた。

「何を驚いているんだい。君たちは、まあ、僕もだが――そのワイドボーンとマクワイルド二人を相手にして戦うことになるかもしれないんだよ?」
 顔をあげた四人が心底嫌そうな顔をした姿に、ラップは声をあげて笑った。
「何が面白いんですか、ラップ先輩」
「心強いことじゃないかい。優秀な人間が同僚や後輩がいると言う事は――そして、敵が強いほど、きっと僕たちも強くなれる。間違えてはいけないよ、戦術シミュレーターは評価のためにあるわけでもないし、ただ戦術だけを学ぶだけではない。ま、それは学業全てに言えることかもしれないけれどね」

 + + +

 顔合わせから一週間。
最上級生不在のままに、会議という名目の時間が過ぎていく。
殲滅戦の印象は思いのほかに強かったらしく、元々友人といってもスーンとフェーガンを含めて数名しかいなかったが、輪をかけて話しかけられる事は少なくなった。それは、チームメイトも同じようで、ローバイクもテイスティアも離れた位置でずっと黙っていた。三学年のコーネリアもまた一度謝ってからは、こちらを遠目に窺うだけにとどめている。既にチームとは名だけで、崩壊していると言ってもいいのかもしれない。

 広くないとはいえ、四人には余りにも広い空間。
 後方にアレスが位置し、他が窺うように先頭で座っていた。
 話す言葉もなく、ただ黙り――そして、食事の時間に解散する。
 それを一週間ばかりもすれば、いい加減飽きてくる。

 とはいえ。
 ――ここでチームをワイドボーン抜きでまとめたとすれば、戦った意味がない。
 正確に言えば、鬼とまで呼ばれて殲滅戦を演出した意味がなくなる。
 しかし、時間は有限であり、戦術シミュレーターの大会までは一カ月を切っている。
 後方で本を片手にしながら、アレスは小さくため息を吐いた。
 ま、このままワイドボーンがショックで辞めれば無能な指揮で死ぬ人間が少なくなると喜べばいいのか。ただ……彼の才能は正直もったいない。

 ただでさえ、原作の都合上か有能な指揮官が次々と死ぬ中で無能といわれたままに終わったワイドボーンの実力は、今後必要であろう。
 そもそも原作ではあの様であったが、学生時代はヤンやラップを抜いて学年主席におさまったのだ。十年来の天才とまで呼ばれた彼の戦術指揮はずば抜けていると言っても良い。ただ、そこで挫折を経験しなかっただけ――。
 この挫折が良い方向に転がるか。

 それとも逃げだすのか。はたまた……少し考えてアレスが本を畳んだ時、叩きつけられるような勢いで扉が開いた。
 開いた先に、集中する視線。
高い身長と太い眉が、集中した視線を無視してただ一人、アレスを睨んでいた。
小さく緊張が広がる中で、ローバイクが腰を僅かに浮かせた。
一週間前といい。随分とローバイクは苦労症のようだ。

「…………」
「…………」
 誰も言葉もなく佇む中で、ワイドボーンはじっとアレスに視線を向ける。
 小さくアレスが首を曲げた。
 その様子にワイドボーンが唇を僅かに曲げ、指で席を差した。
「何をそんなところで休んでいる。さぁ、会議を始めるぞ。後輩」
「誰も始めようとしなかったので。随分と待ちましたよ、先輩」
「人生で初めて負けたのだ。心を癒す時間に、一週間は短い方だろう?」

「そうですね……」
 言葉に、アレスはゆっくりと笑った。

 + + +

「何をしているのです?」
 小会議室を覗き込むシトレの姿に、冷静な相貌が突き刺さった。
「な、な。何でもない……ぞ?」
「どう見ても盗撮か覗きをしているようにしかみれませんが?」
「酷いな。こうして学生を見守るのも学校長としての……」

「学生を覗いている暇があったら、事務を片づけるのですね」
「相変わらず厳しいな、スレイヤー教頭。だが、君だってなぜこの場にいるのかね?」
「私は落ち込んでいる生徒に対して、年長からのアドバイスをあげようと思ったのですが……どうやら、その必要はないようですね」
 小さく開いた扉。何事もなかったかのようにワイドボーンがモニターを表示して、先の戦いの評価を語っている。それに対し、アレスも口を出し、少しずつであるが周囲も戦いについて話し始めていた。アレスの補給面での発言にも、もはやワイドボーンは無用との一言で話を終わらせる事はなくなった。有用性を考え、周囲の意見も少しずつであるが考えるようになっている。

「君だって気にしていたのに、盗撮とは酷くないかね?」
「ならば、何でもないなどといわずに、最初からそう言えばいいのです」
 冷淡にそう返されれば、シトレは苦笑する他なく、音を立てずに扉を閉めた。
 ゆっくりと離れれば、スレイヤーもシトレの後に続く。
「強くなるな」

「ええ。彼の欠点は戦術思考にこだわるという点もありましたが、何よりもその欠点に対して正面から向かわないという点にありました。一度の負けが――それも得意としていた戦術的敗北が、彼を大きくしたようですが」
「どこか浮かない顔をしているな」
「何でもありません」
「おいおい。学校長――上官に対して嘘は良くないぞ。顔を見ればわかる」

「それを理解させたというのが、上官でも同期でもなく、後輩だと言うのがね」
「アレス・マクワイルド候補生か。天才という奴なのかね」
 感心したように顎を撫でたシトレに、スレイヤーは首を振った。
「士官学校以来の天才、百年に一度の天才。そんな天才は自称他称を問わず、どこにでもいます。大体において天才ではなく、天災になりかねないのですが」
「相変わらず酷い事をいうな、君は」

「そもそも戦術や戦略などは閃きが左右しますから。天才と呼ばれるのも良いでしょう。若くして才能がなかったものがいなかったわけでもない。しかし、学校長は十六の時には何をされてましたか?」
「唐突だな。そうだな、士官学校だから、真面目に勉学をし――そして、たまには抜け出して夜の街を楽しんだものだ、はっは」
「私は戦っておりました」

 スレイヤーの言葉に、シトレは口を開けたままで固まった。
 ゆっくりと顎を戻しながら、困ったように頭をかき、
「そいつは、そのすまん」
「謝られることではありません。確か十六ですとまだまだ見習い新兵で、上の言葉に従いながら、敵艦に照準を合わせてましたな。戦闘ではよく漏らしてました、大きい方ではなかったのが幸いでしたが」

 笑うところなのかとシトレがスレイヤーを見れば、白髪の男は変わらぬ冷淡な瞳をシトレに向けている。
「凄いことに聞こえるかもしれませんが、私の場合は――まあ、一兵卒の場合は、それが当然だったのです。やれと言われた事をやり、たまには悪い事ですが酒を飲んで発散させる。それが、十六歳でしょう。そんな十六歳の天才が、ワイドボーンを倒す。それくらいなら不思議なことでもありません。ただ、私が十六歳の頃には自分が何をやるべきかなど、考えたことはありませんでしたね」

「早熟過ぎるといいたいのかな」
「冷酷なほどにね。おそらく、彼はワイドボーンが戻らないことも考えたと思います」
「戻らないとは?」
「あのままワイドボーンが戦場に出れば、それなりに出世はしたでしょう。凡人ではとても勝てない――しかし、凡人ばかりが戦場に出るわけでもありません。いつか、彼以上の天才にあたることもあった。その時に被害は彼が出世をすれば出世しただけ大きくなる。だからこそ、ワイドボーンの心をへし折るほどに苛烈に攻め込んだ」

「……」
「成功すればよし。失敗して逃げるようであれば、それでもよし。逆に――もしそのままであれば、ワイドボーンはさらに苛烈に攻められたのだと思います」
「考え過ぎではないかね?」
「そう私も思いたいのですが。正直、私は彼が恐ろしくて仕方がありませんな。それらは十六歳の子供が考えることではない」

 シトレは笑おうとした。
 しかし、スレイヤーの表情に、小さく首を振って、歩きだした。
 数々の戦場をくぐり抜けた人間。
 その二人がたった一人の生徒に汗をかかせられていたのだ。


 
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