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至誠一貫

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第一部
第三章 ~洛陽篇~
  二十八 ~洛外にて~

 
前書き
9/5 誤字修正を行いました。
12/25 ルビがやはりおかしくなっていましたので修正。ルール変わったんでしたっけ? 

 
 その後は賊との遭遇もなく、また陣中でも然したる事もない日々が続いた。
 やがて行く手に、巨大な城壁が見えてきた。
「あれが、洛陽か」
「はい。ふふ、ここに戻る事になるとは思いませんでしたな」
 疾風が、どこか自嘲気味に笑う。
「しかし、本当に大丈夫なのですか?」
「心配無用だ、稟。伝手もあるが、何より、今の朝廷に私のような小役人を構っている余裕があるとは思えないからな」
「それならばいいんですけどねー」
「とにかく、目立つ行動は控えよ。今、お前を失う訳にはいかぬ」
「……はっ。お言葉、肝に銘じます」
 これは、本心だった。
 いや、疾風だけではない。
 稟も風も、愛紗も星も鈴々も、無論月達も。
 ……誰一人として、死なせはせぬ、その為にも、私も生き延びるだけ。
 この巨大な都で、何が待ち受けているのかはわからぬが、とにかく全力を尽くすのみだ。
 そんな事を思っていると、華琳と孫堅がやって来た。
「歳三。悪いけど、貴方達はここで待機という事になるわ」
「功は大きいが、官位のないお前をいきなり洛陽に入れるとはいかぬからな。無論、俺からも上奏はするが」
「気遣い、痛み入る。もとより覚悟の上だ」
「そう。ところで、一つ提案があるのだけれど」
「ほう。聞こう」
「今の朝廷で、歳三の顔を知る人物は、まずいないでしょうね。だから、貴方一人が城内に入る分には、何の問題もないわ」
「一兵卒に扮して城内へ、という事か?」
「そうよ。尤も、歳三が私に仕えてくれるというのなら、話はもっと簡単だけどね」
「またその話か。何度請われても、返事は同じだ」
「ふふ、私は本気よ?」
「ほほぉ。曹操、だいぶこの男に惚れ込んだようだな?」
 孫堅が冷やかし気味に言うが、華琳は平然と、
「ええ、そうよ? 私は、才ある者は愛する事にしているの。歳三は、申し分ない存在だもの」
「てっきり、曹操は女にしか興味を持たないと思っていたんだが。両方いける口だったのか」
「な……。そ、そういう意味じゃないわよ!」
「おやおや。そんなにムキにならずとも良いではないか」
 いつの間にか、立場が逆転したようだ。
 流石、子持ちの余裕、と言うべきなのだろうか。
 にやつく孫堅に対し、華琳は耳まで真っ赤になっている。
「しかし、そこまで曹操が入れ込むとはな。……ふむ」
 と、孫堅はしげしげと私の顔を覗き込んできた。
「何かな?」
「確かに、顔は美形。その上、あの曹操が惚れ込む程の才能……か」
 また、あの獰猛な笑みを浮かべる。
「おい、土方。俺の娘だが、どうだ?」
「どう、とは?」
「ほれ、既に紹介しただろうが。我が娘孫策、まだまだ未熟者ではあるが……あの通り、見てくれはなかなかだ。貴様、まぐわう気はないか?」
「ブッ! まままま、まぐわう……?」
「ほへっ? ち、直球ですねー」
「歳三様と、孫策殿が……ああ」
 取り乱す疾風に、慌てているのかどうかもよくわからぬ風はともかくとして。
 稟が、このままでは危険だな。
「風、稟の小鼻を押さえておけ。疾風、そのまま稟を連れて野営の準備にかかれ」
 とにかく、気を逸らさねばなるまい。
「ぎ、御意。ほら稟、しっかり致せ」
「ではではお兄さん、また後ほどー」
 ……洛陽に、良き医者がいる事を願うしかないな。
「なかなか難儀だな、お前の家臣は」
 原因を作っておいて、本人に自覚がないのだから始末に置けぬ。
「孫堅。貴女、どういうつもり?」
 華琳が凄んでみせても、孫堅は平然としたままだ。
「どうもこうもない。土方であれば、孫家に血を入れるのに申し分ない、そう思ったまでだ」
「……孫堅。それは、孫策の意思か?」
「いや、俺の一存だ。だが、雪蓮もお前を気に入っていると見たがな」
「本人の意思も確かめぬのに、それは横暴というものだ。それに、私は色欲魔ではないぞ?」
 確かに今の私は美しき女子(おなご)に囲まれてはいるが、見境もなしに手を出すつもりはない。
「何なら、お前さえよければ、嫁にくれてやっても良いぞ?」
「ま、待ちなさい! 何故、歳三に何てこと吹き込む気?」
「何か可笑しい事を言ったか? これ程の男だ、我ら一族に入れる事は、理に適っていると思うがな?」
「そ、それは……そうかも知れないけど」
 しどろもどろの華琳。
 流石の曹孟徳も、男女の営みてなると、かなり初心というところか。
「俺では薹が立ち過ぎているが、雪蓮ならば申し分なかろう?……それとも、俺や祭のような年増が好みか?」
「い、いい加減になさい! この色欲魔!」
「はん、未だに男も知らぬ小娘風情が知った風な口を聞くな」
 ……うむむ、頭痛がして参った。
 ……本当にこの二人が、歴史に名を飾る、あの英傑なのか?
 暫し、二人の低次元な言い争いが続いた。


 その夜。
 食事を済ませ、天幕の中で皆と話す事とした。
「さて、洛陽と、朝廷の現状を聞いておきたいが。皆の知るところを、話してくれ」
「はい、では私から。疾風、風、補足は随時頼みますよ?」
 昼間の醜態を微塵も感じさせず、稟は落ち着いて話し始めた。
「承知した」
「了解ですよー」
「では。まず、今上帝は病を得ている、との事です。実権はかなり以前より、十常侍と呼ばれる宦官と、何皇后とその実兄、何進大将軍との間で争われている状態です」
「そして、陛下には弁皇子と協皇子、お二人のお世継ぎがいらっしゃいますねー」
「国政を壟断しているのは宦官ども。ですが、外戚の方々はその奪還のみを求めておいででした。恐らく、今もそれは変わらぬかと……」
 疾風の言葉には、実感がこもっていた。
「今の朝廷に仕えるのを良し、としない名士も少なくはありません。ただし、皇甫嵩将軍や朱儁将軍のような方もおられますし、文官でも有能な人物はやはり多い筈です」
「洛陽の民ですが……。暮らし向きは決して楽、とは申しませぬ。飢饉にこそ見舞われてはいませんが、地方に比べていくらかマシ、という程度です」
「華やかさとは無縁、という事か。だが、権力者同士の争いは、やすやすと決着がつくまい?」
「何かきっかけがあれば別でしょうけどねー。ただ、どちらが勝っても、利があるのはごく一部だけですから」
「華琳や孫堅のような者達はどうなのだ?」
「何進殿が大将軍、という事もあり、地方の有力な太守はほぼ外戚派、と考えて間違いありませんね」
「今のところは、表立って宦官さん達に歯向かう姿勢を見せるような方はいないかと。陛下の信を受けているのですから、対応を誤ると朝敵と見なされますしねー」
「だが、疾風。何進一統に真から忠義を誓う、となるとどうなのだ?」
「はい。代わりとなる権力者が現れれば、掌返しをする者も少なくないかと。お会いいただければわかりますが、何皇后様はさしたる御仁ではありませぬ。何進殿も頑張ってはおられますが……」
「疾風は、大将軍と面識があると見たが?」
「はい。私も武官の端くれ、幾度かお声をかけて頂きました」
「ならば、どのような人物か、率直に申せ」
「わかりました。まず、御存知かも知れませぬが、何進殿は、何皇后様が陛下のご寵愛を賜ってより、庶人より召し出されました。腕力こそお持ちですが、剣の腕が優れている訳でもなく、また学もない御方です。なれど、人柄は誠実で、決して金品につられて権力を振るうような真似はなさいませぬ」
「その点、宦官とは違う……そういう事か?」
「はっ。陛下におかれましても、宦官では軍事を全て任せるに足る、とは思し召しではございませぬようで。その為、陛下の信も篤く、またご自身も懸命に努力をなさっておいでと聞き及んでいます」
 確かに、庶人の出でありながら、武官の最高峰とも言える大将軍を勤め上げている。
 才幹を求めるのは酷としても、並々ならぬ努力なしでは、皇帝が信任する筈もなかろう。
 それに、如何に外戚とは申せ、それだけでは人はついて来るとも思えぬ。
 となると、疾風の言葉通りの人物、そう見るべきだな。
「では、大将軍とは今のところ、良好な関係を築けるようにすべきだな。疾風、その時は頼りにさせて貰うぞ?」
「はっ」
「歳三様。十常侍は如何なさいますか?」
「……諸悪の根源、と申すのは容易いが、関わらぬに限るな。いずれにせよ、今上帝が健在な限り、と見ているが」
「お兄さん。何故、そのように思われるのでしょう?」
「衰えたとは申せ、漢王朝も今上帝も、まだまだ権威は残っていよう。だが、宦官共は今上帝の寵愛があればこそ、専横が許されている。もし、今上帝に何かあらば、その時は外戚が黙ってはいまい」
 私の言葉に、皆が黙り込む。
 不遜、と取られてもおかしくない会話だから、という事ではないだろう。
「秦の趙高の例を見れば、宦官に権力を持たせる事が如何に危険か、わからぬ道理もあるまい」
「確かに……。では、宦官と何進殿の間で、闘争が起こる。歳三様は、そう見ておいでなのですね?」
「そうだ。そうなれば、武力を持たぬ宦官は不利であろうな」
「歳三殿は、そうなれば何進殿が勝ち、弁皇子が皇位に就かれる、と?」
「可能性としては、な。だが、宦官は力はなくとも謀略を巡らすのは得意としていよう。自分たちがみすみす誅されるのを見過ごすとも思えぬ」
「そうなると、協皇子を担いで傀儡に仕立て上げ、何進殿を何らかの手で封じ込める……全く、魑魅魍魎の世界ですね」
 稟が、大袈裟に溜息をつく。
「そうなったら、お兄さんはどうなさるおつもりですかー?」
「可能であれば、どちらにも与したくないところだ。そのような権力争いに巻き込まれるのは好むところではない」
「ですが、そうもいかないでしょうね。歳三様は、何らかの形で官職を賜るでしょうから」
 と、思案顔だった疾風が、顔を上げた。
「歳三殿。何進殿と、内々にお会いになりませぬか?」
「内々に? そのような事が出来るのか?」
「はい。明朝、城門が開いてから、密かに何進殿につなぎをつけます。私に、お任せいただけませぬか?」
 どうあれ、何進とは一度会っておかなければならぬだろう。
 幸い、疾風は何進と面識があるという。
「だが、危険ではないのか? 大将軍はともかく、それ以外の者に顔を見られては」
「そこまで抜けてはおりませぬよ、歳三殿。これでも、無茶はしない性格ですので」
「……ふむ。稟、風、どう考える?」
「私は賛成です。内々とは言え、何進殿と面識を得ておくのは、何ら損にはなりませんから」
「風もいいと思いますよー。お兄さんの眼から見て、何進さんがどのような人物かを、確かめておく事も出来ますし」
「よし、ならば後は疾風に任せよう」
「ありがとうございます。必ずや、ご期待に応えて見せます」
 疾風に頷き返し、
「では、今宵はここまでに致そう。……疾風、後で私の天幕へ」
「……は、はい!」
 ……稟が微笑ましい眼で、風がにやついた顔で見ているのは、気にするまい。


「お、お呼びにより参りました」
「うむ」
 鎧を解いた疾風は、いつもと違って見える。
「どうだ?」
 用意させた徳利を、掲げてみせた。
 疾風は、意外そうに私を見つめる。
「酒、ですか? 歳三殿が?」
「ふっ、私とて全くの下戸ではない。霞や孫堅らのようには参らぬが、な」
「は、はぁ……」
「とにかく、座るが良い。立ったままでは話も出来ぬであろう?」
「……では、し、失礼致します」
 いつになく、疾風は緊張しているようだ。
 ぎこちなく、私の隣に腰掛けた。
「さあ、飲め」
「は、はい。では、いただきまする」
 杯を持つ手が、震えている。
「少し、落ち着くが良い。それでは、酒が溢れてしまうぞ?」
「……大丈夫です。では」
 そして、疾風は杯を一気に干した。
「……これは?」
「私の生国で造られる酒……に似たものだ。私が、義勇軍を結成した時の事、存じているな?」
「はい」
「その時に、援助を申し出た張世平の仲間に、蘇双と言う者がいる。酒を商っている者だが、どうしてもこの酒を造りたいと申してな。知る限りの製法を伝授した」
「では、この酒はその者が?」
「うむ。まだ試作品の段階故、手には入らぬが。私に確かめて欲しいと、先ほど届いたばかりだ」
「そうでしたか。そのような貴重な酒、忝うございます」
「どうだ? まだ試行錯誤の最中らしいが」
「は、はい。米の旨味が出ていて、非常に美味かと」
 そう話す疾風の顔は、赤かった。
 酒気のせい、だけではなさそうだな。
「そうか。少しは、落ち着いたな」
「……あ。そう言えば」
 さっきまでの身体の震えは、収まっていた。
「疾風」
「はい」
「……私は、お前が望むのなら、このまま酒を飲んでいるだけでも良い。その先は、お前の意思次第だ」
「歳三殿。一つだけ、お聞かせいただけますか?」
「うむ」
 疾風は杯を置き、両手を膝の上に揃えた。
「昼間、孫堅殿からの申し出を、はっきりと断ったと聞きました。何故ですか?」
「私は、美しき女子と見れば片っ端から手を出す好色ではない」
「ですが、相手はあの江東の虎。孫策殿も将来有望と見ました。歳三殿にとっては、損になる話では」
「もう止せ」
 私は、疾風の言葉を遮った。
「私には、稟に風、愛紗、星、そして疾風がいる。それで十分、満ち足りている」
「…………」
「それに、将来の大望があるのならば、華琳から臣従せよと言われた時に、それを断る道理もあるまい? 奴は、間違いなく徐々に力を持つ存在、その麾下とあらば得るものも大きかろう」
「……そうでしょうな」
「私は皆と仲間がいて、民を平穏に導ければそれで良いのだ。人間、欲をかくと碌な目に遭わぬからな」
 クスッ、と疾風が笑った。
「無欲と言えばそうですが。歳三殿はある意味、とても欲張りですな」
「そうかな?」
「はい。望むなら手に入るものには興味をお示しにならないのに、我らとの事を第一と。稟も風も超一流の軍師、愛紗に星、鈴々は優れた武人。それを皆、手元に置きたいなどとは」
「そうかも知れぬな。だが疾風。一つだけ、間違っているぞ?」
「間違い、とは?」
「お前自身がいないではないか。無論、お前の才も、武も買っているが、私は仲間として、大切に考えているのだ。あまり、自分を軽んじるな」
「と、歳三殿……」
 臭い台詞かも知れぬが、これは本心だ。
 真っ赤になって照れる疾風が、何ともいじらしい。
「あの……。歳三殿も、一献」
「うむ」
 杯を差し出したが、疾風は何故か、自分の杯に酒を注いだ。
 そして、一気に呷ると、顔を近づけてきた。
 そのまま、腕を私の頸に回し、抱き付く。
 生暖かい酒が、私の口の中に流れ込んできた。
「ふふ、如何ですかな?」
「……そう来るとはな。どうしたのだ?」
「……決めたのですよ。歳三殿に……お任せします」
「良いのだな?」
「……はい」
 酔いが回ったのか、疾風は少々大胆だった。
 だが、それもまた、良かろう。


 事が済み、二人共に臥所に横になっている。
「どうだ? 辛くはないか?」
「平気です。歳三殿に、優しくしていただいたので」
 そうは言うが、疾風は少し、涙ぐんでいる。
「痛むのか?」
「……少しは。でも、これは嬉し涙です」
「……そうか。ならば、何も申すまい」
 疾風の手が、私の顔に触れた。
「歳三殿」
「うむ」
「お慕い申しておりますよ。……うふふ」
 今宵何度目かの、口づけを交わす。
「このまま、朝までお側にいてもよろしゅうございますか?」
「無論だ」
 その背に手を回し、そっと撫でてやる。
 優れた武人ではあっても、その肌は若い女子のそれだった。
「では、おやすみなさいませ」
「ああ、おやすみ」
 すぐさま、安らかな寝息が聞こえてきた。
 また一人、慈しむべき者が増えた、か……。 
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