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渦巻く滄海 紅き空 【上】

作者:日月
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五十七 閉幕

空が泣いていた。

鐘の音が厳かに鳴り響く中、行列を成す黒。肩を濡らした喪服姿の人々は、雨滴を滴らせる棺桶へ一同に頭を垂れる。

あちこちで上がる嗚咽は雨音と鐘音で掻き消される。里を包む暗欝な空気は、この降りしきる雨が原因ではなかった。棺桶へ供えられた菊だけが白き輝きを以って咲き誇っている。

冥福を祈る木ノ葉の里は今や、黒白の世界へと成り代わっていた。





「……葬儀はもう始まっているぞ」

墓標の前で佇む。
背後からかけられた声に、彼は僅かに肩を竦めた。
「冥福祈ってどうするのさ?」

頭上に渦巻く雨雲を仰ぐ。けぶる雨の向こう側で微かに見える火影岩を瞳に収めてから、畑カカシはようやく振り返った。
「お前こそ、親父さんの葬儀でしょーが。この親不幸もん」

カカシに声を掛けた張本人――猿飛アスマは、先ほどの自分の発言に頭を掻く。雨で湿り、とっくに火が消えた煙草をぷらぷらと手持無沙汰に揺らして、彼もまたカカシに倣うように肩を竦めた。


「がらんどうの棺桶に何の意味がある?」


だよねえ、とアスマに同意して、カカシは今一度火影岩を眺めた。雨曝しとなっている顔岩は何れも、里人を憐れむような悲しい眼差しで見下ろしていた。
「…ま!世間一般では死んだ事になっているんだから仕方ないよ」
自分自身に言い聞かせるようにわざと明るい声を上げる。カカシの呑気な様子に苦笑しつつ、アスマは視線をある一点へ向けた。

木ノ葉病院。その奥の奥の病室。秘密裡に収容された、実の父――生きている三代目火影・猿飛ヒルゼンへと思いを馳せる。





大蛇丸の部下によって張り巡らされた結界。それが解けるや否や暗部達の眼に飛び込んだのは、三代目火影の伏せた姿であった。

一瞬亡くなってしまわれたのかと危ぶんだが、彼はただ昏々と眠っているようだった。そこですぐさま木ノ葉病院へ運んだのである。

しかしながら世間ではヒルゼンは殉職したように発表すると、木ノ葉の上層部は決断を下した。その原因は、生きているものの一向に目覚めぬヒルゼンの容態及び鉛のように変色した彼の両足にある。

仮に目が覚めたとして、この足では再び火影の座には就けないだろうと判断されたのだ。






「いくら他里の忍びに狙われるかもしれないからって、皆に秘密とは遣る瀬無いねぇ…」

猿飛ヒルゼンの生を知る者は上層部を始め、一部の忍びのみ。それも決して他言しないであろう忍びのみである。故に木ノ葉の里人は勿論、下忍など多くの者は皆、三代目火影の死を心から嘆いているのだ。

「そう言うな。寝たきりの親父は正に恰好の獲物。死んだとでも言わなきゃ、常に木ノ葉は危険に晒される」
「長がいない里のほうが危ないと思うけど?」
「火影を殺して名を挙げたい奴らだって幾らでもいる。どちらにしても同じ事さ」

墓標を前に、肩を並べたカカシとアスマは同時に天を仰ぐ。三代目火影が生きているという真実を知る彼らは、ようやく小降りになってきた空を物憂げに見遣った。
途切れた雨雲から射し込む光が、二人の複雑な顔をほんのりと照らす。鐘が一際大きく里中で鳴り響いた。



直に雨が上がる。















雲間から垣間見える太陽。
寸前まで降っていた雨が嘘のように晴れ渡った空。水溜りに映り込んだその青は乱反射して、次々に円を描いている。

空を閉じ込めた水溜り。それをナルトはじっと見下ろしていた。最後に聞いた三代目火影の言葉が今でも耳に残っている。
先ほどの出来事を思い出し、彼は静かに双眸を閉じた。



「わしを殺せ」
無言で佇むナルトにヒルゼンは猶も言い募った。

「お主はまだ若い。たかが老い耄れ一人…簡単じゃろう?」
「…冗談はよしてくれ」
苦々しげに答えるナルトの前でヒルゼンは「冗談ではない」とゆっくり頭を振る。
「わしが死ねば、ナルは兄の記憶を取り戻す。もう一度、兄妹仲良く幸せに暮らせる日が来るのじゃ」


うずまきナルトはある日、忽然と里から姿を消した。どれだけ捜索しても暗部を派遣しても決して見つかる事は無かった。誰もが皆、彼の死を疑わなかった。

実の妹―――波風ナルを除いて。

ヒルゼンが一生かけても償い切れない罪。それはナルトの存在を消してしまった事だった。
彼はずっと後悔していた。確かにナルトを、兄を忘れてからナルは元気を取り戻した。けれどヒルゼンだけが抱える秘密はとてもとても重かった。

覚悟はしていた。死ぬまで背負い続けると。
それでも、彼はもしかしたら生きているかもしれないナルトへの申し訳なさでいつも胸が張り裂けそうだった。


「どうせこの足ではもう火影としても忍びとしてもやっていけん」
「…………」
「恨んだりはせぬよ。最期にナルト…。お主と会えたのだから…」

死んでいたと思っていた子どもが生きていた。それだけでヒルゼンは嬉しかった。たとえ彼の存在を知る者が自分しかいなくとも、ヒルゼン自身死んだものだと思っていても。


「ナルト」
名を呼ぶ。
九尾と同一視されていた妹に変化していた兄を。彼女の身代りに里人から虐待を受けていたあの幼子を。
「ナルト」
だからこれは、自分自身への罰なのだ。








手を翳す。
頭上に置かれた小さな手に、ヒルゼンは瞳を閉ざした。死ぬ覚悟を決めている彼の顔を、ナルトはまじまじと眺めた。
老いたその顔には、ヒルゼンの火影としての歴史が幾重にも刻まれている。


ヒルゼンとて、大蛇丸と闘っている最中は決して死ぬものかと思っていた。木ノ葉の里を脅かす可能性を前にして、膝を折る事は許されないからだ。

けれど今彼は、己の死を願っている。

記憶と言えど、うずまきナルトの存在を抹消してしまった。禁術であるこの術を解くには、術者であるヒルゼンの死が条件なのである。

自分の死を引き換えにして、ナルトとナル…――兄妹の幸せをヒルゼンは祈った。それが彼の、長年抱いてきた宿願だった。



「…いいや。貴方はきっと恨むよ」
ようやく口を開く。ナルトの言葉を、目を閉ざしたまま、ヒルゼンは聞いていた。その顔には死への恐怖ではなく穏やかな表情が浮かんでいる。


「なぜなら貴方は生きるのだから」


思いがけぬ言葉にヒルゼンははっと顔を上げた。だがその時には既に遅かった。
「三代目火影…。貴方の心遣いには感謝する。だが俺には夢があるんだ。その夢を実現するその瞬間まで―――」

翳された手の合間。手の影から垣間見えたのは、愛しき子どもの哀しげな顔だった。
「眠っていてくれ。きっと、」
微笑む。
「そう遠くない未来だから」



そうして三代目火影・猿飛ヒルゼンは、眠りの海へ沈みゆく。瞼に焼き付いたナルトの顔を頭にしっかりと刻み込んで。
















「…待っていたよ」

不意に発せられた声は初めて聞くものだった。
意外にも向こうから話し掛けられたという事実に、ナルトはふっと口許を緩めた。眼を開ける。

ゆらゆらと揺れる水溜り。
その水面に波紋が広がった次の瞬間、水溜りには空とナルト以外に、もう一人別の存在が映り込んでいた。

「その姿で会うのは初めてだね」
ナルトの何気無い一言に、相手の肩がギクリと跳ねる。一瞬の間の後、「……何時から知っていた?」と鋭く訊かれ、ナルトは穏やかに答えた。

「最初は野兎、次に鼠、禿鷹………そして猫。見事な変化だったよ」
「…最初から知っていたのか」
自身の特技を簡単に見破られ、彼は顔を顰めた。次いで恨めしげにナルトを睨む。

「俺を躍らせていたのか?」
「監視していたのはそちらだろう?」
やわらかな物腰のまま、ナルトは改めて相手と向き合った。水面に反映された太陽がキラキラと煌めく。


「はじめまして、とでも言えばいいのかな?」
水溜りが再び波紋を描いた。



「元『根』の一員であり、そして現在大蛇丸の部下…――シンさん?」











ナルトとダンゾウとの対峙中、殺気を放った張本人。
大蛇丸に命じられてナルトを見張っていたシンは、不貞腐れたように唇を尖らせた。

「一応特技なんだけどな。見破られたとは自信を失くすよ」
「いいや。貴方の変化は完璧だったよ」
シンの発言をナルトはすかさず否定した。


幾ら変化が得意でも人が動物に変化したところですぐにバレる。それは動物の習性や仕草が再現出来ていないからだ。どこか人臭さが残り、本物の動物ではないと見破られてしまう。

だがシンは違う。彼は本当にその動物に成り切る事が出来るのだ。本物と区別がつかないほどの徹底振りで、変化した動物の習性・癖を完璧に再現してみせる。
動物限定だが百変化の異名をとる彼の特技は、正に密偵には持ってこいである。

現に大蛇丸の屋敷傍の野兎など、多由也は気にも留めなかった。宿の天井に潜む鼠に、香燐は気づきもしなかった。頭上で円を描く禿鷹を、我愛羅は勘付きもしなかった。

『根』でさえもダンゾウでさえもそして…幼き頃共に過ごした弟でさえも、崖上の猫の正体を見破りもしなかった。



「弟が…いや本当の弟じゃないんだけどね。俺にとっては弟のような子が動物の絵を描くのが好きだったんだ」
唐突に語り始めたシンの話に、ナルトは静かに耳を傾けた。

「でも何事も繰り返さないと上手くならない。弟の絵も最初は上手くなかったよ。だけど模写しようにも動物は動かずにじっとしているわけじゃない」
昔を思い返すシンは穏やかな表情で話を続けた。
「だから俺は弟の前で何度も動物に変化した。変化した俺を見ながら描く弟は絵がどんどん上達していった。俺もまた、動物を観察し、その癖も身につけていったから次第に変化が上手くなっていったんだ」
そこで彼は口を閉ざした。その表情は一転して苦々しい顔へ変わっていた。

「だが弟はダンゾウに騙されている。だから俺は弟を、サイを、ダンゾウの魔の手から救おうと大蛇丸の部下になったんだ」
俯く。回想に耽っていたシンは、直後キッとナルトを睨んだ。

「監視していてずっと疑問だった。結局お前は誰の味方なんだ?」
大蛇丸と繋がりがあり、そしてダンゾウとも取り引きした。我愛羅に助言めいた言葉を発したり、三代目火影と接点があったりと眼前の監視対象者の行動は、シンにとって不愉快そのものだった。

「三代目火影がいない今、次の火影はダンゾウになるだろう…お前はこれを予期して取り引きしたのか?返答によっては……」
腰に手を伸ばす。短刀に手を伸ばし掛けた彼の行動を制したのはナルトの一言だった。



「ダンゾウの火影就任を阻止させる方法ならある」
ぴくり、とシンの手が止まった。

「おそらく木ノ葉の御意見番達はダンゾウではなく三忍の誰かを火影候補として挙げるだろう。なかでも初代火影・千手柱間の孫にあたる人物―――綱手を推すな。血筋的にも問題がない。もっともその場合、各地を放浪する彼女を連れ戻さなければならないが」
淡々と告げられる言葉に、シンは眼を瞬かせた。ややあって「…それで?」と話を促す。



「ダンゾウの火影就任を止めさせたいのなら、綱手を捜索する者の手助けをすればいい。つまりは、波風ナルの護衛だ」


あまりにも確信めいたナルトの発言に、シンは呆れたように眉を顰めた。
「なぜそう言い切れる?根拠は何だ?」
「ご意見番はまず、現在木ノ葉に帰還中の三忍――自来也に火影就任を要請する。だが彼は性格上、就任を固辞するだろう。引き換えに綱手を連れ戻すよう依頼された彼は、波風ナルを連れて里を出る。火影就任の件で綱手を説得するには彼女の存在が鍵となるだろうね」
「……そこまで読んでいるなら、なぜ自分でやらない?」
ナルトの話を素直に聞いていたシンが鋭く眼を細める。もっともな問いにナルトはこくりと首を傾げてみせた。

「完璧な動物変化が出来る君だからこそ、護衛に向いているんじゃないか?」
「そうする事で俺に何のメリットがある?」
「猫に変化し、監視していたのなら解るだろう?」
訝しげな顔をするシンと真っ直ぐに顔を合わせながら、ナルトは答えた。

「パイプ役を通じてだが、俺はダンゾウと取り引きをしている。情報を手にする事も可能だ」
シンの動揺をナルトは見過ごさなかった。真剣な顔で考え始めた彼に穏やかな視線を向ける。水溜りには対照的な表情を浮かべる二人の顔が映り込んでいた。


「ダンゾウの情報…どんな些細な事でも欲しくはないか?」












澄んだ青空。
それを一度眩しげに見遣ってから、シンはナルトに向き合った。空と同じ青を真っ直ぐに見つめる。

「…その話、乗った」

ダンゾウが火影の座に就けば、益々彼の近辺に探りを入れにくくなる。弟を取り戻せなくなるという考えに至ったシンはナルトの申し出を受けた。

「だがあくまで三忍が火影に就くまでだ。そこから先は俺の知った事じゃない」
無言で微笑むナルト。まるで自身の返答が解っていたかのようなその面差しに、彼は顔を顰めた。反抗するように言い返す。

「俺としてはダンゾウさえ火影に就かなければいいのだからな」
「ならば急いだほうがいい。彼は裏の忍びから多大な支持を得ている。元一員だった君には解るだろう」
「それでも根は地中から脱け出せない。木の葉と違って表舞台には向いていないよ」

会話が途切れる。雲の合間から洩れた光が両者の間を遮るように射し込んできた。沈黙が落ちる。


「……大蛇丸には報告しないでおくよ」
静寂の中、シンが口を開いた。その顔はまるで人形のように無表情だった。
「だけど憶えておくんだね。今の俺は―――――」


再び水溜りに広がる波紋。緩やかに描かれる円が消える頃にはシンの姿はどこにも無かった。


「ただの大蛇丸の駒なんだよ」














シンの気配が完全に消えたのを確認してから、ナルトは改めて里を一望した。壊滅は免れたものの甚大な被害を受けた木ノ葉を瞳に映してから、やにわに呟く。


「…―――来た」


里を取り囲む外壁。そこを振り仰いだナルトは、どこからか聞こえた鈴の音に苦笑を漏らした。

足下の水溜り。重なり合った波紋がぶつかり合って消えてゆく。まるで最初から空のみを映していたかのように水面は静寂を湛えていた。

木の葉が一枚、水溜りに墜ちるその瞬間まで……―――――。
















「…―――被害は甚大のようですねぇ…。あの三代目火影まで亡くなるとは…」

リィン…と涼しげな音が奏でられる。木ノ葉の里を俯瞰して、二人の男がしみじみと嘆息を零した。
「……栄華を極めたあの里が…―――憐れだな」
独り言のように呟かれた一言に、男はおや、と意外そうに訊ねる。

「柄にもない。故郷はやはり、未練がありますか?」
「………そうだな……」
片割れの男の問い掛けに、彼は笠を目深に被り直した。鈴が再びリィン…と美しく鳴いた。



「……懐かしき顔には、感慨があるかな…」
笠の陰から覗き見える紅き瞳には、静かな波紋が渦巻いていた。
 
 

 
後書き
長らくお待たせいたしました!!木ノ葉崩し編、終了です!
今回また捏造多数ですがご了承願います。サイがあれだけ絵が上手な理由がシンにあったら面白いかと思いまして…もう一つ理由があるんですけどね(汗)それは後々…

次回もよろしくお願いします!!
 
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