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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第九章 双月の舞踏会
  第六話 揺れる心

 
前書き
 最近ルイズが色々な意味で大人になっているような気が……。 

 
「「お疲れ様でした」」

 日課である放課後のギーシュたちへの訓練を終えた士郎が部屋に戻ってみると、そこには二人のメイドが頭を下げていた。
 扉を開けた姿のまま固まった士郎は、部屋の中央でこれぞメイドの鏡といった仕草で頭を下げている二人のメイドを暫らくの間じっと見つめていたが、ゆっくりと首を横に動かす。

「……これはどういうことだ?」
「わたしに聞かないでよ」

 ベッドの上に座ったルイズが、膝の上で頬ずえをしながら不貞腐れた声を上げる。
 
「はぁ、で、これは一体どういうことだシエスタ。それにジェシカ?」
「実は異動になったんです」
「異動?」

 顔を上げたシエスタが、訝しげな顔を浮かべる士郎にニッコリと笑いかける。

「そうそう今朝早く王宮からあのエロじ……オスマンさまに一通の書類が届いたのよ」

 疑問の声に応えるように、同じく顔を上げたジェシカが、先程までの見事なまでのメイドとしての礼を感じさせない砕けた仕草で士郎に話しかけた。

「書類?」
「そうです。これがその書類です」

 シエスタが懐から一枚の紙を取り出すと、それを士郎に手渡した。

「えっと、は? 百合花紋ってことは、これ、もしかしなくても」
「そうよ。姫さまからの直々のご命令ってこと」

 ドンッ! と、苛立ちを示すかのように、ルイズがベッドの横を踵で蹴る。

「『シロウ・シュヴァリエ・ド・エミヤ氏に、学院内より選びし使用人を一人つけること』って何だよこれ?」
「何だよって言われても書かれている通り、シロウにメイドを一人つけろっていう命令書よ。で、身の回りの世話をするのなら仲がいい人ってことでメイド長が選んだのが」
「わたしですシロウさん」

 士郎の視線が向けられると、シエスタがぺこりと頭を下げる。

「シエスタが……ん? なら何でジェシカがここにいるんだ?」
「何よ。あたしがここにいることに文句でもあるの?」

 胸の下で腕を組んだジェシカが、背を伸ばしてにやりと笑みを浮かべた。
 
「いや、文句はないんだが」
「冗談よ冗~談。あたしは単に面白そうだからついてきただけよ。来たかい会ってルイズの面白い顔も見れたし、ね」
「ッッ、ぅう~~」

 にやにやとした笑みを浮かべた顔を、ジェシカはルイズに向ける。
 ルイズは苛立たしげに爪を噛むと、ふんっ、と顔を横に向けた。
 二人の様子を見た士郎が、ススっとシエスタに近づくとその耳に顔を寄せる。

「……なあシエスタ、一体何があった?」
「えっと……ルイズがシロウさんにメイドがつくことを強固に反対したんですが、ジェシカがその命令書を突きつけて……ルイズ、すっごく悔しそうな顔をしてたわ」
「あ~……ジェシカ、相変わらずいい性格しているなぁ……」
「あ、あはは……」

 士郎が渋い顔で引きつった笑みを浮かべると、シエスタも乾いた笑いを上げた。

「っぅう! さっさと出て行きなさいよ! シエスタはシロウ付きのメイドだけど、あんたは違うでしょっ! 仕事をほっぽり出してていいのっ!」
「おほほほ、メイド長からはちゃんと許可はとってありますから問題ありませんことよ。ついでに、最近シロウの周りが騒がしいから応援ってことで、暫らくシエスタの補助をすることの許可もね」 
「くぅ~ああ言えばこう言うッッ! 貴族に対する言葉遣いじゃないわよっ! メイド長に言いつけるわよっ!」
「あらあらルイズったら権力を振りかざす気? そっか、自分に自信がないからなのね。まあ仕方がないことよね、その胸じゃ……」
「胸は関係ないわよッ!!」
「あはははは」
「何笑ってるのよっ!!」

 ぎゃあぎゃあと言い争う(一方的に揶揄われている)ルイズたちを横目に、士郎は顔に手を当て溜め息をついているシエスタに手を差し出した。

「シロウさん?」

 差し出された手を見た後シロウの顔を見上げるシエスタ。
 士郎はそんなシエスタに笑いかけ口を(ひら)くと、

「ま、よろしく頼む」
「あっ、はい! よろしくお願いします」

 ルイズたちが言い争う横で、主従の挨拶を終わらせた。





 ルイズは最近悩んでいた。
 強敵と思われる二人から何とか引き剥がすことに成功し、無事士郎と共にトリステインに戻ってこれたのだが、帰ってみるとそこには新たな二人の強敵の姿が……。
 その内の一人は、何と自分の姉であり、憧れの女性でもある。
 憧れの姉であるカトレアが新たに士郎争奪戦に参戦し、他にもジェシカといった男の心理を知り尽くした飲み屋の看板娘も参加するなど、日々争いは激化し。戦力に乏しいルイズにとって厳しい戦いが続いた。

 ルイズは考える。
 このままではいけない。
 何か手を考えなければ負けてしまう、と。

 と言うわけで、

「この封印を解く日が来るなんて……」
「勿体ぶってるところ悪いがねぇ、それって効果あるんか?」

 ルイズは最近士郎から使ってもらえず不貞腐れていたデルフリンガーを持ち出すと、自分の部屋で作戦会議を開いていた。
 会議の内容は、勿論士郎をどうやって自分に夢中にさせるかというものだ。
 
「ん~……実はちょっと不安なのよね。これってシロウが以前わたしにプレゼントしてくれた服なんだけど……水兵の服なのよねこれって」
「ふ~ん。ま、あの相棒がわざわざ買ってきたんだ。何か理由があるんじゃねぇのか? しかし水兵服ねぇ……何か忘れているような」

 ルイズがタンスの奥から取り出したのは、以前士郎からプレゼントされた服であった。
 
「そうよね。あのシロウがわざわざプレゼントしたんだし。よしっ、やっぱり着ようっと」

 ルイズは水兵服、つまりはセーラー服にいそいそと袖を通し始めたのだが、流石に士郎が選んだことだけあって、まるでルイズのために仕立てられた水兵服(セーラー服)のようにピタリと身体に合った。ルイズは水兵服の下を短パンではなくスカートをはいているが、それは士郎が一から作った膝上三センチの特別製で、不用意に動けばその奥に隠された秘密の花園が見えそうな程の短さだ。
 ルイズはその丈の短いスカートの端を指で摘み、小首を傾げる。
 想像以上に丈が短かったことが恥ずかしかったのか、頬を赤くするルイズからは、活発さと共に健康的な色気が溢れていた。

「どう、かな?」
「まあ、いいんじゃねえか」

 デルフリンガーの返事に気を良くしたルイズがくるりと身体を回すと、ふわりとスカートが翻り、その奥に隠れた下着が一瞬覗き―――。

「……黒はまだ早いん―――っごふっ?!」

 デルフリンガーが壁に突き刺さった。

「覗いてんじゃないわよ」
「の、覗いてねぇ……」

 蹴りつけた後の足を上げた姿のまま、壁に突き刺さった衝撃で揺れ続けるデルフリンガーにルイズは凍えた声で言い放つ。
 スカートが短いため、蹴り上げた足の奥に隠された花園が完全に表に現れていた。
 デルフリンガーの苦悶の声を耳にしながら、無表情(顔はまだ赤い)のままルイズはゆっくりと足を下ろすと、スカートの端を引っ張り皺を伸ばす。

「これぐらいじゃないとインパクトが弱いのよ」

 頬を赤く染めながら腕を組みフンッと鼻を鳴らしたルイズは、壁に突き刺さったまま微動だにしないデルフリンガーに背中を向けた。

「じゃ、わたしイってくるわね」
「おう。武運を祈っとくぜ」

 デルフリンガーの声を背中に歩き出したルイズは、一路士郎の部屋に向かう。
 そう、今や士郎はルイズの部屋に住んでいない。
 騎士となり、貴族の一員となった士郎に対し、学院がルイズの隣の部屋を提供したのだ。
 勿論ルイズはそれに反対したのだが、厳正な多数決による賛成多数ということで士郎は隣の部屋に引っ越してしまったのだ。
 おかげで最近ルイズは寂しく一人寝ばかりで、たまに寂しさのあまり士郎の部屋に忍び込んでみると、先客がいて喧嘩が始まるなど忙しい? 日々が続いていた。
 


「―――あ、思い出した」

 ルイズがいなくなった部屋の中、取り残されたデルフリンガーがポツリと声を漏らす。
 部屋の中に一人(一振り?)壁に突き刺さったままのデルフリンガーは、先程ルイズが水兵服を取り出した時に気になっていたことを思い出した。

「あ~……そう言やぁ昨日あれ(・・)をメイドの嬢ちゃんが誰かに渡していたのを見たんだっけ……えっと、ありゃ確か……」

 昨日の夜。士郎の腰にぶら下がっている時に偶然見た光景を、デルフリンガーはぼんやりと思い出していた。
 ルイズが今着ていった服を、シエスタが昨日誰かに渡したのを見た覚えはあるのだが、それが誰だったのか……ハッキリと思い出せない。

「う~……確か……」

 ぼやけた像が段々と焦点が合ってくる。
 意識を集中し、何とか思い出そうとするデルフリンガーの脳裏に、桃色の影が映った瞬間―――。



「ち、ちいねえさまッ!! そ、その服ッ!!?」
「あらルイズ。どうこれ? とっても可愛いでしょ。昨日シエスタちゃんから借りたのよ。ちょっとキツいけどシロウさんはこれが好きって聞いたから……ふふ、シロウさんったらさっきから顔を真っ赤にして可愛いのよ」
「い、いや、そ、それはだな。その服はシエスタに合わせているから、カトレアには色々とサイズがだな、す、スカート丈……とか……だな」
「シロオオオオオオォォォッ!! 何処見てんのよッ!!」
「い、いや誤解だッ!」
「あらあら仲がいいわね、っあら? 胸が―――」
「見るんじゃないっ!」
「ぐふっ!?」


 
 突然聞こえてきた隣の部屋からの怒号やら悲鳴やら打撃音とか爆発音とか……を耳にしたデルフリンガーは、



「……遅かったか」



 と、その身の如く硬い溜め息を吐いた。





 時は流れ、冬の寒さが和らぐ頃、トリスタニアに春がやってきた。
 ぽかぽかとした日差しが降り注ぎ、暖かな風がそよいでいる。
 長い長い戦が終わり、やっと戻ってきた平和に、トリステインの街には春風のような暖かな空気が流れており。
 それは王宮も同じようで、城を守るための衛兵も壁によりかかりながら欠伸をするなど緩みきっていた。
 トリスタニアに流れる空気は春のように緩やかで暖かだが、その街を歩く人々は夏のような熱気を放っている。長引いた戦争だったとは言え、トリステインが受けた直接的な被害と言えばタルブが焼かれた程度であり、その他に被害は全くと言ってなかった。それどころか戦争による一時的な特需により、トリスタニアはここ数年で一番の賑わいを見せている。儲け話に抜け目がない商人が、それに乗らないわけがなく、現在トリスタニアにはこの特需に乗っかろうとする商人たちで溢れかえっていた。様々な商品を前に商人が大声を上げ客を呼び。それに誘われ客は並べられた商品を買い求める。
 そんな街の許容量を超える人でごった返すブルドンネ街の一角を、真っ白な馬車が走り抜けた。
 白い馬車の前後を、護衛の黒い馬車が走っている。事前に人払いをしたため、馬車の歩みが止まることはない。すし詰め状態のような通りを、馬車一台を通すために人払いする等、それに乗る人物の地位を自ずと知らせた。
 人払いされ、道の端に追いやられた人々は、苛立ちながら険しい死線を通り過ぎる馬車に向けたが、御者台の横についた百合の紋章に気付くと、先程までの苛立ちを忘れ歓喜の声を上げ始める。

「うおおおぉぉっ! 女王陛下万歳ッ! 女王陛下万歳ッ!!」
 
 白い馬車とは、トリステイン女王アンリエッタが乗る馬車であった。
 高らかに上げられる観呼の声に応えるように、馬車の小窓出した手を振るアンリエッタ。重税などでアンリエッタに対する不満が募っていた国民であったが、戦争が勝利に終わると共に税率が下がり、自分たちの生活が潤ってくると、募りに募っていた筈の不満を、現金なことにあっと言う間に霧散させていた。

「清貧女王アンリエッタ万歳ッ!」

 観衆の声に新たな呼び方が加わる。
 それが耳に入ると、アンリエッタが振る手が一瞬ピタリと止まったが、直ぐに何ごともなかったように動き出す。

 清貧女王。
 それは、祖国のために私財を投げ打ったアンリエッタを讃えた言葉だった。だがアンリエッタにとっては、それが自分を讃えた声であっても、嫌なものであり、清貧女王と呼ばれる度に、眉間に皺が寄っていく。元々私財を投げ打った話は広めるつもりはアンリエッタには全くなかったのだが、ではどうしてその話が広まったのかというと、それは財務卿から話を聞いたマザリーニが少しでも王室の支持になるのならばと噂を積極的に広めたのだ。
 
「不機嫌なのは分かりますが、顔には出さないように気をつけてください」
「……表情には出しませんからご心配なく」

 マザリーニが隣でポツリと呟いた言葉に、アンリエッタは顔を向けることなく応える。

「今の王家に、手段を選べるほどの余裕がないことは分かっています」
「分かっているのならば結構です」
「―――ですが」

 窓を隠すカーテンの端を握ると、アンリエッタは眉根に皺を寄せた。

「それと納得出来るかは別の話です」
「納得出来なくても理解しているのならば結構です」

 淡々としたマザリーニの声に、アンリエッタは口の端を皮肉げに曲げ笑った。

「使えるものなら何でも使うが政治の基本……ですか、讃えられ尊ばられながらも実態は随分と汚いものですね」
「何事も表もあれば裏もあります。王家も政治も……そして人も……」

 隣から聞こえた寂しげな声にアンリエッタが顔を横に向けると、マザリーニが疲れたように顔を俯かせていた。

「政治とは人の欲望が渦巻く深く暗い海の底のようなもの。政治に深く関われば関わるほど、人の欲望に深く触れることになります。陛下が今いる場所は、まだ浅瀬でございますが、これから否応なく深く触れていくことになります」

 まるで顔に浮かんだ表情を隠すように、皺が寄った年経た手をかざすマザリーニ。

「……経験則ですが、人は政治に―――人の欲望に深く触れると、大きく二つに分かれます」
「二つ、ですか?」

 かざした手の影に隠れているためマザリーニがどんな表情を浮かべているのか、アンリエッタには見えなかった。淡々とした口調からも、どんな感情が潜んでいるのか分からない。

「流され欲望に心が染まる者と、耐え忍び心が削られる者とに、です」
「…………」

 シンっ、と馬車の中が静まり返る。
 聞こえるのは、微かに馬車が揺れる音と、窓の隙間から漏れ聞こえる外の歓声だけ。
 マザリーニの言葉を耳に、アンリエッタは視線を足元に落とすと最近のことを思い返す。
 戦争中以上に、最近のアンリエッタは多忙を極めていた。戦争以前は国内だけでよかったものが、戦争後は各国との交渉や会談に出席するようになり、まともに休む暇もない。今日もまた、国境の街で開かれたゲルマニア皇帝との昼食会に出席していた。
 アルビオンとの戦争に勝利し、レコンキスタの、貴族派の勢いは弱まったが、未だ油断が出来る筈もなく。国外だけでなく国内の会議やパーティーであっても、隙を見せられない緊張感が続く日々が続いていた。
 復讐に飲まれていた頃は、何も考えず何も感じずただ前に進んでいられたが、目が覚めた今は、女王としての責任を力に何とか前に進んでいるが、最近それも限界に近い。
 笑顔で手を差し出しながら、隙を見せれば容赦なく牙を剥く貴族たちを相手にすることは、まだ若いアンリエッタの身体や心に多大な負担を掛け。最近はそのせいか、唐突に目眩や立ち眩み、酷い時は吐き気さえもようしてしまっていた。
 今もまた、視界がぐるぐると回りだし、視線の先、足元に倒れそうになったが、

「……ですから、支えを見つけてください」

 マザリーニの声に、ギリギリの所で気を取り戻した。

「支え?」

 ゆっくりと顔を上げたアンリエッタが、隣で目を伏せたマザリーニに顔を向ける。

「信じ、頼ることの出来る存在です。わたしにとっては信仰がそれです」
「……信じ、頼ることの出来る存在……」

 マザリーニの言葉を口の中で繰り返す。
 『信じ、頼ることの出来る存在』そう言われて、まずアンリエッタの脳裏に浮かんだのは、白い髪の、浅黒い肌の男の姿。
 不思議なことに、気付けば先程まで感じていた目眩が、その男の姿を思い出しただけで嘘のようになくなり、代わりに胸の奥に何かが熱く灯った気がした。

「……どうやら陛下には既にそのような存在がいるようですな」
「えっ!?」

 急に火照りだした頬を冷やそうと、アンリエッタが窓に顔を向けると、隣に座るマザリーニが何処か柔らかい声を上げた。
 突然声をかけられことで驚いたアンリエッタが、カーテン越しに窓に額をぶつける。頬だけでなく額も赤くしたアンリエッタが慌てて振り返ると、そこには好々爺然とした笑みを口元に浮かべるマザリーニがいた。
 
「な、な、ナニを―――」
「ふむ、どうやら陛下の『支え』に市民も気付きだしたようですな。確かに杖を持たず剣を腰に差した男が警護におれば目立ちますからな」 

 目を白黒させながらアンリエッタが何かを口にしようとしたが、マザリーニはそれを躱すように顔を窓に向けると、耳をそばだてた。マザリーニの言う通り、通りの市民たちが上げる歓声の中に、アンリエッタの知る者の名前が混じり出す。
 真っ赤な顔をして何やら文句を言い放とうとしたアンリエッタだが、マザリーニの声を合図にしたように、自分の耳にある人物に対する歓声が入ると、悔しそうに歯を食いしばった後、さりげなく窓に身体を近づけた。



「―――帰りたい」
「何を言っているんだね隊長」

 たった五人の騎士隊であるが、士郎が隊長を務める『水精霊騎士隊(オンディーヌ)』も、女王の警護を行っていた。
 アンリエッタが乗る馬車を警護する騎士隊は他にもおり、士郎が率いる水精霊騎士隊(オンディーヌ)の配置箇所は、王宮の序列に従って最後尾に位置している。
 警護とは言っても、新設された騎士隊、それも隊長を含めて五人しかいない水精霊騎士隊(オンディーヌ)に警護としての力は全く期待されておらず、お披露目のためにただ参加しているようなものであった。
 
「いや、実は今日は予定があったんだよ」
「予定?」

 士郎の声に、馬に乗って後ろをついて来ていたギーシュが首を傾げた。

「ああ。料理長のマルトーがな、珍しい材料が手に入ったから新しい料理に挑戦しようと話してたんだが」
「おいおいシロウ。名誉ある女王陛下の警護よりも料理長との料理研究の方が大切って、君は言うのかい?」

 ギーシュの声に、士郎はぽりぽりと頬を掻くと、後ろを振り向き苦笑いを浮かべた。

「いやなに、最近俺が貴族になったことでマルトーとギクシャクしてたんだが、この間一緒に食事をとりながら話しをしてやっと落ち着いてな、それで今日、料理でもしながら色々話をしようとしてたんだが……」
「だけどこれも仕事だし、仕方がないんじゃないかい?」
「まあ。マルトーも事情を説明したら笑って許してくれたんが、な」

 緊張感もなくギーシュと会話する士郎たちに視線を向ける者たちは、実は結構いた。
 最後尾を進む水精霊騎士隊(オンディーヌ)であったが、観衆からの視線はどの騎士隊よりも集中していたのだ。
 理由はいくつかある。
 まず目を引くのは、水精霊騎士隊(オンディーヌ)の隊長である士郎が身に纏う、銀糸でシュヴァリエの紋が縫い付けられた目にも鮮やかな緋色のマント。燃え盛る炎のような赤いマントに目を奪われた者は、それを纏う者が杖を持たず、代わりに腰に剣を差していることに気付き戸惑いの声を上げる。
 立派な体格の、烏の濡れ羽色をした漆黒の馬に乗るのは、これもまた鎧の上からでも分かる程鍛え抜かれた身体を持つ男。
 白い髪に浅黒い肌。赤いを基調にした鎧を纏う身体は、馬に乗っていてもその背の高さを伺える。
 杖を持っていないことからメイジではないとは分かる。しかし、他に四人しかいないようだが隊員は全てメイジということに、水精霊騎士隊(オンディーヌ)に目を向ける衆人は首を傾げていた。
 民衆の視線が集まっていることに気が付いたのか、ギーシュが瞳を輝かせながら身体をうずうずと動かしだす。
 背後の不穏な動きに気付いた士郎は、首を後ろに向けギーシュを睨み付ける。

「目立つ行動は控えろよ」
「い、いや。そうは言ってもだね。ほ、ほら、彼らも期待しているようだし」

 士郎の視線に怯えたように目を澱ませたギーシュだったが、水精霊騎士隊(オンディーヌ)を指差し『あれは誰だ?』とざわつき始めた観衆に向かって指を向けた。

「ここで一つサービスでもしてやるの―――」
「元気が有り余っているようだし、次の訓練はもう少し厳しめ―――」
「サアミンナ、オチツイテイコウカ」

 背後を振り向き他の隊員に注意を促すギーシュの変わり身の速さに、士郎は苦笑いを浮かべながら手綱を握り直す。
 士郎が乗る馬は、カトレアから渡された馬であった。
 騎士となったことで、ルイズから絶対に馬は必要だと言われた士郎は、手元にいくらか残る金で適当に買おうとしたが、事情を聞いたカトレアが実家からついてきた馬を一頭プレゼントされたのだ。最初は断ろうとした士郎だったが、『この馬は人を乗せないということで処分されそうになっていたのを助けた馬なんですが、最近元気が有り余ってるのか、他の馬に怪我をさせたりするので、このままでは処分されてしまいそうなんです。シロウさんならこの馬を乗りこなせると思いますので、この馬を助けると思って貰ってください』と言われれば断れる筈もなく。こうしてカトレアから貰い受けた馬に乗ることになったのだ。確かに最初は振り落とそうと暴れに暴れた馬だったが、小一時間も乗り続けると諦めたのか認めたのか暴れなくなり、今ではこちらの指示に従順に従っている。
 最初は水精霊騎士隊(オンディーヌ)を指差し囁きあっていた民衆たちは、次第に士郎にその指先を向け何やら話し合い始めた。
 「剣を持ってるってことは平民?」「何で平民が騎士隊に?」「しかも隊長なのかあれ?」「平民がメイジの騎士隊の隊長?」段々と大きくなる民衆の声は、次第に剣を持つ男の正体は何者だという話になっていく。
 「剣に見えて本当は杖だ」や「貴族が飾りとして剣を持っているのでは?」等と言った話が交わされていたが、不意に響き渡った声がその男の正体を知らせる。

「はんっ! 何馬鹿なことを言っているのっ! 彼があの連合軍に迫る七万の軍勢をたった一人で打ち破った男『赤き英雄』シロウよっ!」

 明らかに男の野太い声であったが、女のような話し方をする声が通りに響き渡ると、先程まで謎の隊長の正体について語り合っていた民衆が一斉に静まり返り。一瞬の静寂の後、民衆からどよめきが広がる。
 どよめきが広がる中、士郎は渋くなりそうな顔を必死に押しとどめながら、野太い女言葉を発した人物―――スカロンに視線だけ向けた。何千といる観衆の中でも、スカロンはやはり目立つ。あの濃いとしか言いようのない身体と顔と服装は、視線だけを巡らしただけで直ぐに目的の人物を見つけ出させる。
 予想通りスカロンはこちらに向かって力一杯腕を振っている。その周りには、士郎にも見覚えのある『魅惑の妖精亭』の女の子達が手を振っている姿も見えた。

「まさか、あれはただの噂で……」
「でも、噂通り……」
 
 スカロンの声を聞いた民衆からは、懐疑的な声が上がっている。ガリアが参戦する直前。撤退する連合軍に迫る、魔法によって反乱軍となった一部の連合軍を含めた七万のアルビオン軍を、逆に撤退に追い込んだ存在がいたことは、実は最近のトリステインの市民なら誰でも知っている噂であった。間に合わないはずの撤退が間に合ったのは、七万のアルビオン軍を打ち破ったものがいたからだという噂は、娯楽に飢えた市民にとっては格好の話しの種であり。一時期は真実は他所に、エルフの部隊やら何処ぞの親衛隊がやった等と様々な説が飛び交っていたが、ある時期を境に、一つの噂に収縮し始めた。
 それが『たった一人の赤い剣士によって七万のアルビオン軍は撤退に追い込まれた』と言う噂。
 最初はメイジでも何でもない剣士が七万の軍勢を撤退に追い込めるかと笑われていたが、その戦いに参戦していたという男たちがその噂を肯定した時からその噂が笑われることはなくなった。連合軍の一部が反乱軍になった理由が魔法によるものだということは、政府からの発表で市民は知っていたため、反乱軍にいたと言う男たちを攻める者はほとんどおらず。それよりも、七万の軍勢をたった一人の男が打ち破ったという話が真実なのかということの方が、市民には重要なことであった。
 魔法により反乱した男たちの話によると、意識がハッキリとしていなかったが、赤い男により軍が撤退に追い込まれたことは覚えていると口を揃えて話したおり。たった一人の男により七万の軍が撤退に追い込まれたという噂は、真実味を帯び始めた。
 だが、いくら証人いるとはいえ、七万の軍を一人でという話は俄かには信じられず、今目の前にその巷で『赤き英雄』と呼ばれ始めた男がいるにも関わらず、いまいち疑念が消えない民衆であったが、ある人物の動きによってそれは払拭されることになる。
 それは白いユニコーンに引かれる白馬車の主。
 白馬車の窓が開き、傍に控える衛士が顔を近づける。何やら伝言を言い渡された衛士は、士郎の元まで駆け出しその耳元にその旨を伝え終えた。伝言を受け取った士郎は、馬の腹を蹴り白馬車に近づく。
 民衆の目と耳が士郎に吸い寄せられる中、白馬車の窓が開くと、中から白い手がすっと差し出された。
 一目で分かる程にそのたおやかな腕には、気品さえ感じられる。
 それを目にした者たちは、誰一人間違いなくそれが女王アンリエッタのものであると理解した。
 馬にまたがった姿のまま、窓から差し出された手をそっと受け取った士郎は、流れるような仕草でその白い手の甲に唇を当てる。
 瞬間、観衆の中から「おおっ」と言うどよめきが広がる。
 女王が平民に御手を許す。
 余りにも明確な答えに、噂が本当であったと理解した民衆から観呼の声が上がる。

「シロウッ! 『赤き英雄』シロウ万歳ッ! シュヴァリエ・シロウ万歳ッ!」

 突然湧き上がる民衆からの歓声に目を丸くしながらも、士郎は照れたように頬を掻きながら隊列に戻る。
 耳が痛い程の歓声を前に、隊列に戻った士郎に、傍に寄ってきたギーシュが笑い掛けた。

「すごい人気だね。ほらみんな期待してるよ。手ぐらい振ってみたらどうだい?」
「勘弁してくれ」
「まったく、七万の軍を壊滅した男とは思えないね」





 窓から戻した右手に、左手を添えたアンリエッタは、まるで宝物を抱きしめるように両手を胸元に寄せた。
 目を閉じ顔を俯かせたアンリエッタの顔には、柔らかな笑みが浮かんでいる。
 
「ふふ」

 意識せず笑みが溢れ、隣にマザリーニがいることを思い出したアンリエッタが慌てて横を見る。するとそこには、顔を逆方向に向けて俯くマザリーニの姿が。ゆらゆらと揺れる身体から、疲れから寝ているのでは思ってしまうが、アンリエッタは気づいていた。マザリーニの頭の上に乗っている丸い帽子。それが落ちそうになる度に身体が不自然に動いていることに。
 その普段とのギャップとマザリーニの気遣いに、アンリエッタの顔が緩む。
 顔を前に戻し、深く腰掛け、天井を見上げる。
 気付くと、随分と身体と心が楽になっていた。右手を顔に翳したアンリエッタは、微かに熱くなる頬に左手で押さえながらゆっくりと瞼を閉じた。
 


 アンリエッタ一行が王宮に到着すると、護衛の騎士隊は一部を除き解散となる。王宮に務める騎士隊の者で当直でない者たちは、それぞれ帰る準備を始めている。その中に、水精霊騎士隊(オンディーヌ)の姿もあった。王宮の隅で学院に帰る準備を始める彼らの中に、一際背の高い人物を見つけたアンリエッタは、不意に足を止めそうになった足を動かしながら、周囲を固める大臣たちから求めに応じて裁可を下す。移動で歩く間も舞い込む仕事に辟易しながらも、アンリエッタは次々と舞い込む仕事を捌いていると一人の女官が近づいてきた。

「陛下。お客さまがお部屋でお待ちです」
「如何なる客も、まず待合室を通せと……っ、あ、分かりました直ぐに行くと伝えてください」

 女官の言葉に眉を顰めたアンリエッタだが、直ぐに何かを思い出したのか、女官に指示を下す。去って行く女官の背を口元に浮かんだ微笑で見送ると、直ぐに微笑みを消し早急に仕事を終わらせようと仕事を持つ大臣たちに自ら手を伸ばし始めた。



「ルイズっ! もうっ! 最近全く来ないからとても寂しかったのよっ!」
「きゃっ! ひ、姫さま、す、すいません。最近忙しいと言う話を聞きまして、お邪魔になってはと」
「あなたとわたくしの仲ではありませんか、そんな寂しいこと言わないで。それにわたくしとあなたはお友達でしょ。特に用がなくても遊びに来てもいいのよ」
「そ、それは流石に……」

 アンリエッタが自身の居室に入ると、そこには桃色の髪を持つ少女が何もない部屋の真ん中で所在無さ気に立ち尽くしていた。直ぐにアンリエッタはその少女に駆け寄るとその華奢な身体を抱きしめる。桃色の髪の少女―――ルイズを抱きしめるアンリエッタの顔に浮かぶのは華やいだ笑顔であり、年相応の少女のものであった。

「そうね。こんな何もない部屋に来ても面白くもないでしょうし」

 不意にルイズを抱きしめる腕の力が弱まる。訝しげに思い顔を上げると、アンリエッタの顔に浮かぶ寂しげな色が映り、ルイズは慌てて口を開く。

「そ、そんなことはありませんっ! 姫さまに会えるだけで十分です!」
「ふふ、ありがとうルイズ。でも驚いたでしょう。何もなくて」
「ええ……噂は本当でした」

 ガランとした広い居室を見渡したルイズの目が、ポツンと置かれたベッドで止まる。

「本当はベッドも売り払うつもりだったんですが、流石に財務卿に止められまして」
「あ、はは……流石にそれは止められ―――」

 部屋には椅子も何もないため、アンリエッタはルイズを促し、居室に唯一残ったベッドに並んで座った。ベッドに腰掛けながらルイズが乾いた笑い声と共に何かを言おうとしたが、視界の隅にキラリと光るものが入る。

「これ、ですか。これだけは……どうしても売ることが出来なくて。言い訳にしかならないのですが、戒めと誓いのため売らずに残していたのです」

 ルイズが何に気付いたのか分かったアンリエッタは、ベッドに置いていた左手を持ち上げる。上に翳す左手の指には、窓から差し込む光を反射させ煌めく指輪『風のルビー』の姿が。
 
「これを手放せば、国庫の足しになるのにも関わらないのに、どうしても手放せない……『清貧女王』と言われながらも、実態はご覧の有様です。幻滅させてしまいましたか」
「いいえ。それどころか安心しました。ウェールズさまの想いが詰まったそれまで売り払っていたらどうしようかと気が気ではありませんでしたから」

 胸に手をあてほっと溜め息を着くルイズに、アンリエッタは首を傾げた。
 確かにこの『風のルビー』はウェールズ皇太子の形見だが、そこまでルイズが心配するようなものではなかったはずだ。首を傾げるアンリエッタの姿に、ルイズはほっと安堵を浮かべていた顔を引き締めると、重々しく口を開いた。

「実はこの指輪ですが、ウェールズさまの形見であるということの他に、『虚無の担い手』にとって重要なものであると思われるのです」
「どういうことですか?」

 ルイズの様子に、アンリエッタの顔に緊張が浮かぶ。

「もっと早くお伝えしていれば良かったのですが、その『風のルビー』をはめれば、『虚無の担い手』ならばこの『始祖の祈祷書』が読めるようになります」

 懐から取り出した『始祖の祈祷書』をアンリエッタに見せるルイズ。

「以前お話した通り、『虚無の担い手』はわたしの他に三人いると思われます。少なくともその内の一人はわたし達に敵意を持っています。ですから、もし『風のルビー』を売り払い、それが敵の担い手が手に入れ、更にこの『始祖の祈祷書』が盗まれれば、一体どうなっていたことか」
「っ、それは、危ないところでした」

 ルイズの言葉に息を飲んだアンリエッタは、青ざめた顔で安堵の息を吐く。

「ええ。でも本当に良かったです。姫さまが指輪を売り払っていなくて」
「本当に……危ないところでした」

 ぽつりと呟かれた言葉に、ルイズが顔を横に向けるとアンリエッタが顔を俯かせていた。日差しを前髪が作る陰影が、アンリエッタの美しい顔を隠す。顔が隠されたことから、その声に潜む疲労に気付いたルイズが、そっと肩に手を置く。

「姫さま随分とお疲れのようですが、少しはお休みを取られたらいかがでしょうか」
「ありがとうルイズ。ですが大丈夫です。これくらいは皆も同じですから」
 
 肩に置かれたルイズの手の上に、そっと自分の手を添えたアンリエッタが顔を上げ小さく笑顔を浮かべる。

「そう言えば、ルイズはどうしてここに? 指輪の件で来たのかしら?」

 アンリエッタはルイズの励ましに力を得たように、一度うんっと背を伸ばすと、体ごと曲げて横を見る。
  
「うっ! そ、それは指輪の件の他にも……実は、ですね」
「実は?」

 アンリエッタの勢いに抑されるように、身体が横倒しになりかけるルイズだったが、気を取り直すように斜めになった姿のまま、こほんと一つ咳をして体ごと横を向いた。

「シロウのことでお話が」
「ッ!!?」

 今度はアンリエッタの方が、ルイズの言葉に押されるように横倒しになりかける。

「し、し、し……こほんっ。シロウさんのことで話とは?」

 しかしベッドの上に倒れるギリギリのところで踏みとどまったアンリエッタは、何とか体勢を立て直すと、わざとらしくこほんと一つ咳をしてルイズにニコリと笑顔を向ける。

「……やっぱり」
「何か?」

 アンリエッタの様子を半目で睨んでいたルイズがポツリと口の中で何かを呟く。聞き取れなかったアンリエッタが聞き返すと、ルイズは何でもないと首を振った。

「それでシロウさんのことが何か?」
「実はですね。最近シロウの周りに女性の姿を多く見るようになったんです」
「……そうですか」
「はい。実は前からシロウは学院の女子から目をつけられていた節はあったのですが、どうやら平民であるということが抑止力になっていたようです。しかし、今回シロウがシュヴァリエ(貴族)になったことで、行動に起こさなかった人たちがシロウにちょっかいを掛け始めたんです」
「……早まったかしら」
「姫さま?」

 ぼそりとアンリエッタ口の中で呟いた言葉が聞き取れず、今度はルイズが聞き返すが同じように何でもないと首を振られる。

「それも頭が痛いことなんですが、何よりも頭が痛いのはアルビオンから学院に戻ってみると、ちいねえさまとジェシカがいたんです」
「ちいねえさまにジェシカ? 確かちいねえさまと言えば、フォンティーヌ家の当主でもあるあなたの一つ上の姉でしたね。ジェシカという名前は聞いたことが……」

 小首を傾げるアンリエッタ。

「ジェシカと言うのは、以前姫さまの命により情報収集をしていた際、拠点にしていた店の看板娘のことです。どうやらその時にシロウを好きになってしまったようで、とうとう学院にメイドとしてやって来てしまいました」
「それは、何と言うか……その……」

 余りのことで、アンリエッタが言いよどんでいると、はぁ~と溜め息を付きながらルイズは天井を仰ぐ。

「ちいねえさまも以前実家に帰った時に、どうもシロウにヤられてしまったみたいで……学院に教師としてやって来ました」
「えっ! でも、確か彼女は身体が弱くて領地から一歩も外に出れないと聞いたことが」

 原因不明の病にかかり身体が弱いため、子供の頃からラ・ヴァリエールの領地を一歩も出ることがなかったため、不憫に思ったヴァリエール公爵が領地の一部を与えられ、名目上ではあるがラ・フォンティーヌ家の当主となったカトレアの話は耳にしたことがある。
 幼い頃何度もヴァリエール公爵家にいったことがあるアンリエッタであるが、感染るような病気ではないが、それでも大事をとったためカトレアに会うことはなかった。
 
「その筈だったのですが、どうも最近その病気が治ったようなんです。以前は魔法を使えば直ぐに寝込んでいたのが、今では全くそんな様子が欠片も見られず」
「それは良いことでは」

 アンリエッタの言葉にルイズは頷くが何処か納得していない様子が伺えた。

「ええ。ちいねえさまが元気になったことは、わたしもとても嬉しいのですが……」
「……シロウさんに近づくから素直に喜べないと?」
「うう~……元気になったのは本当に心の底から嬉しいんですが、どうやらちいねえさまもシロウのことが好きなようで、強力すぎるライバルとして現れたことから、素直に喜べないわたしって……酷いですよね」

 ガクリと肩を落とすルイズを励まそうとしたアンリエッタだが、伸ばそうとした手が震えていることに気付くとそれをギュッと握り締め胸に引き戻す。
 顔を俯かせているためルイズが、アンリエッタのその様子に気付くことはなかった。
 
「ジェシカも流石飲み屋の看板娘だけあって、シロウを誘惑する方法が手馴れていて」
「ゆ、ユうワくッ!」

 アンリエッタが素っ頓狂な声を上げたが、落ち込んでいるルイズがそれを取り上げることなかった。

「しかもシロウに近づく人はみんなスタイルが良くて……この間もシロウが以前プレゼントしてくれた服を着て部屋に押しかけたら、同じ服を着たちいねえさまが既に部屋にいたんです。しかもその時ちいねえさまが着ていたのは他の人から借りたものだったから服のサイズが合っていなくて、スカートの丈なんて股下十サントもないし、胸も今にもはち切れそうになっていて、ヴぁ、ヴァリエール家のものであろう者が、あ、あんな下品な……しかも途中で胸のボタンが吹き飛ぶし、何で同じ髪の色なのに胸と身長は全く似ないのよ」
「あ、あのルイズ?」

 ぶつぶつと顔を俯かせた姿のまま呟き続けるルイズに恐々としながらも、アンリエッタは勇気を振り絞って声をかける。

「あっ! すみません姫さま。ついあの時のことを思い出してしまって」

 アンリエッタの声で我に帰ったルイズが必死に頭を下げる。アンリエッタはルイズの謝る姿を揺れる瞳で見ながら、胸の辺りに感じるもやもやとしたものを抑えるように胸に手を当てた。

「それで、ルイズがお話したいシロウさんについての話はこのことなの?」
「えっと……そうですね。今のは前置きのようなもので」
「前置き、ですか?」

 どういう事だろうと首を傾げるアンリエッタが左手にはめる『風のルビー』を見下ろしながら、ルイズは口を開く。

「ええ、前置きの方が長い話なんですが」

 ベッドから下りたルイズは、扉に向かって歩きだす。

「ルイズ?」

 ルイズの唐突な行動の意味が分からず、アンリエッタが戸惑った声を上げる。
 扉の前でくるりと身体を回したルイズの顔には、先程とはうって変わった不敵な笑みが浮かんでいた。

「憧れてもいる実の姉さえ参戦したことから、例えこれからどんな(・・・)人が参戦したとしても、特に気にならなくなってしまったとお話に来ただけです」
「ッ!? ルイズそれってどういう―――」
「それではわたしは失礼します。また(・・)、遊びに来ますね姫さま」

 アンリエッタの呼び止める声を制するように、頭を下げたルイズが扉の向こうに逃げるように出て行ってしまった。
 一人ベッドと机しかない何もない部屋に残されたアンリエッタは、ベッドから腰を上げただけの中途半端な姿勢から、後ろに倒れると、天井を仰ぐ。

「何を考えているのよルイズったら……」

 部屋から出る直前見えたルイズの顔には、悪戯に成功したことを喜ぶ子供のような笑みが浮かんでいた。ルイズの考えていることが分からず、否、分かっているが信じられず両手で顔を覆ったままアンリエッタが唸り声を上げながらベッドの上を転がっていると、

「ッ! 誰ですか」

 扉がノックされた。
 
「わたくしです。よろしいでしょうか」

 扉の向こうから聞こえたのは、アンリエッタのスケジュールを管理する秘書官の声であった。
 慌ててベッドから降りたアンリエッタは、服の皺を手で伸ばしある程度体裁を整え終わると、扉の向こうに「どうぞ」と声をかける。

「失礼します。陛下のこれから二週間の予定について確認をいただきたく」
 
 アンリエッタ許可を受け入室して来たのは、ひっつめ髪に眼鏡をした三十をいくらか過ぎた女性であった。
 秘書官はアンリエッタの許可を受けると、今後二週間のスケジュールをそれこそ分刻みで読み上げる。物思いに耽る暇もないと溜め息を吐きそうになるのをグッと堪え、アンリエッタは秘書官の読み上げる予定について返事を返していく。
 淀みなくスケジュールを読み上げていた秘書官であったが、不意にその声が止まった。
 
「どうしました?」

 アンリエッタの声に、秘書官はメガネをかけ直すと、手に持ったスケジュールが書かれた紙に視線を落とした。

「第一週のフレイヤの虚無の曜日に魔法学院で行われるスレイプニィルの舞踏会への出席が入っておりますが、どういたしますか? 舞踏会といっても魔法学院の新入生の歓迎会でしかありませんので、キャンセルしても全く構いませんが」
「スレイプニィルの舞踏会ですか……」
「はい。新入生の歓迎会に陛下の来賓を仰ぐなど、全くオスマン氏は何を考えているのか……最近休みが取れておりませんでしたので、これをキャンセルして一日休みにして―――」

 最近の過密したスケジュールの中で、一日の休みは千金にも値すると分かっている秘書官は、アンリエッタがこの提案に喜んで乗るものと思ったが、

「いえ、出席します」
「は? え、あ、失礼しました。しかしお言葉ですが、折角の機会ですので御休みになられれば……」

 軽く一蹴されたことが信じられず、秘書官は叱責覚悟で休むことを勧める。スケジュールを管理する秘書官であるがゆえに、誰よりもその激務を知るため、今何よりもアンリエッタに休みが必要なことは理解していた。

「我が国の明日を担うことになる新入生の励みになるのならば、出席する必要はあります。あなたの気遣いは嬉しいのですが、今回は……」
「分かりました。ではそのようにします」

 アンリエッタの決定に否が言える筈もなく、秘書官は頭を下げると退室していった。
 またも一人部屋に残されたアンリエッタは、秘書官の気遣いを断ったことの理由に嘘を言ったことで心の中で謝りながらも腕を胸に抱く。
 魔法学院で行われる新入生の歓迎会を兼ねて行われるスレイプニィルの舞踏会は、参加者がある方法で仮装することで有名であった。
 その方法であれば、周りに自分と知られず彼に会うことが出来るかもしれない。
 期待に膨らむ胸を抑える手に『風のルビー』が光る。

「……二度と人を愛することは出来ないと思っていたのに……これが本当にそれであるのかはまだ分かりませんが……」

 愛した人の最後の願いを思いだし、アンリエッタは『風のルビー』をはめる左手をきつく胸に抱きしめる。
 
「確かめて本当にいいの……ルイズ……」 

 胸の痛みをこらえるように胸を抑えるアンリエッタの顔には、切なげな表情が浮かんでいた。



 
 

 
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