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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第二章 風のアルビオン
  第一話 王女と依頼

 朝。
 教室の中、ルイズは憂鬱な気分で窓から見える青い空を見ていた。
 思い出すのは、昨日見た夢、絶対に唯の夢ではない。
 けれど、あれが何であるか分かるわけもなく、だからといって士郎に直接聞くのもためらわれる……。
 
「はぁ……どうしよう……」
「ルイズ、どうした?」

 ルイズがため息を吐くと、いつの間にか後ろに立っていた士郎が話しかけてきた。
 
「な、何よっ、びっくりさせないでよシロウ」
「あ、ああすまない。しかし、驚かせるようなことをしたか?」
「うっ……いや、その……」

 士郎と顔を合わせたルイズは、目を泳がせながら口を濁らせた。
 そんなルイズを士郎が変な目で見ていると、教室の扉ががらっと開き、ミスター・ギトーが入ってくる。
 生徒たちは一斉に席に着く。ミスタ・ギトーはフーケの一件の際、当直をほっぽり出して寝ていたミセス・シュヴルーズを責め、オスマン氏にからかわれまくった時に、頭を抱えて体を捻らせた際、腰を痛めてしまった教師である。
 長い黒髪に、漆黒のマントをまとったその姿は、なんだか不気味であった。まだ若いのに、その不気味さと冷たい雰囲気からか、生徒たちに人気がない。

「では授業を始める。知ってのとおり、私の二つ名は『疾風』。疾風の―――」

 ギトーが自身の名前を名乗ろうとしたが、それを遮るように、ポツリと誰かが呟いた言葉が教室に響いた。

「キョニュー……」
「「「「「ぷっ」」」」」
  
 続けて

「ビニュー」
「「「「「ごふっ」」」」」

 そして、最後に誰かが大きめな声で呟く。

「貧乳……」
「「「「「っっぶふっ!!」」」」」

 ―――あっはははっはは~~~―――

 教室が爆発したかと思うほどの笑いに包まれた。 

 ―――バンッ!!―――

「わ・ら・う・な・あぁ・あ~っ!!」

 教壇を思いっきり両手で叩きつけたギトーが教室中を睨みつけた。
 ギトーに睨みつけられた生徒たちは、笑いが漏れる口を必死で手で押さえて、笑いを押さえ込んでいるが、端から空気が漏れる様な笑いが聞こえ、完全には抑え込めていない。
 それを憎々しげに睨みつけたギトーは、気持ちを切り替えるように咳を一つすると話を続けた。

「ごほんっ。では……まず最初に君たちに聞くが、最強の系統は知っているかね? ミス・ツェプストー」
「“虚無”じゃないんですか?」
「伝説の話をしているわけではない。現実的な答えを聞いてるんだ」
 
 いちいち引っかかる言い方をするギトーに、キュルケはちょっとカチンときた。
 
「それなら“火”に決まってますわ。ミスタ・ギトー」

 キュルケは不敵な笑みを浮かべて言い放つ。

「ほほう。どうしてそう思うね?」
「すべてを燃やしつくせるのは、炎と情熱。そうじゃございませんこと?」
「残念ながらそうではない」

 ギトーは腰に差した杖を引き抜くと、言い放った。

「疑うのならば、この私にきみの得意な“火”の魔法をぶつけてきたまえ」
 
 キュルケはぎょっとした。いきなり、この先生は何を言うのだろうと思う、が。

「どうしたね? きみは確か、“火”系統が得意なのではなかったかな?」

 挑発するようなギトーの言葉に、キュルケの目つきが変わった。
 
「火傷じゃすみませんわよ?」

 キュルケは目を細め、硬い声で告げる。

「かまわん。本気できたまえ。その、有名なツェルプストー家の赤毛が飾りではないのならな」

 キュルケの顔からいつもの小馬鹿にしたような笑みが消えた。
 胸の谷間から杖を抜くと、炎のような赤毛が、ぶわっと熱した様にざわめき、逆立つ。
 それを見た生徒たちが慌てて机の下に隠れ始める。
 キュルケが杖を振り、杖の先に直径一メートルほどの大きさになった火球を、ギトーめがけ振りかぶり、勢い良く放つ。唸りをあげて自分めがけて飛んでくる炎の玉を避ける仕草も見せずに、ギトーは腰に差した杖を引き抜いた。そして、そのまま剣を振るようにして薙ぎ払う。
 烈風が舞い上がる。
 一瞬にして炎の玉は掻き消え、烈風はそのまま、その向こうにいたキュルケを吹き飛ばそうとした。
 しかし、風がキュルケを吹き飛ばす前に、士郎がキュルケの前に現れ、腰から抜いたデルフリンガーで風を切り裂いた。

「なっ」
「シロウっ!」
「無事かキュルケ」

 士郎が振りむいた先には、頬を染め、潤んだ瞳で士郎を見上げるキュルケ。
 
「……ええ。ありがとうシロウ」 
「ぐっ……」

 二人っきりの世界ができ、完全に蚊帳の外に置かれてしまったギトーだが、唸り声を上げると咳を一つし、なにごとも無かったかのように話を続けた。
 
「くぬぬぬ……、ごほんっ……諸君、“風”が最強たる所以を教えようか、簡単だ。“風”はすべてを薙ぎ払う、“火”も、“水”も、“土”も、“風”の前では立つことすらできない。残念ながら試したことはないが、“虚無”さえ吹き飛ばすだろう。それが“風”だ」

 幸せそうに士郎を見つめていたキュルケだったが、ギトーの方を向き直ると、意地悪く笑った。

「シロウは立っていますが?」
「ぐっ!」
 
 キュルケに指摘されたギトーは、苦虫を噛み潰したかのような顔になる。

「そ、それは……、あ、あれは私が直前に気付いて、当たる前に消したのだよ」
「先生も驚いていましたけど……」

 キュルケだけでなく、教室中の生徒たちから白い目で見られたギトーだったが、大きく咳払いをすると話を続けた。

「ゴホンッ! 目に見えぬ“風”は、見えずとも諸君らを守る盾となり、必要とあらば敵を吹き飛ばす矛となるだろう。そしてもう一つ、“風”が最強たる所以は…」

 ギトーは杖を立てた。
 
「ユビキタス・デル・ウィンデ……」

 低く、呪文を詠唱する。しかしそのとき……、教室の扉がガラッと開き、緊張した顔のコルベールが現れた。
 彼は珍妙ななりをしていた。頭に馬鹿でかい縦ロールの金髪のカツラをのっけている。
 みると、ローブの胸にはレースの飾りやら、刺繍やらが踊っている。
 
「ミスタ?」

 ギトーが眉をひそめた。
 
「あややや、ミスタ・ギトー! 失礼しますぞ!」
「授業中です」

 コルベールをにらんで、ギトーが短く言った。

「おっほん、今日の授業はすべて中止であります」

 コルベールは重々しい調子で告げた。教室中から歓声が上がる。その歓声を抑えるように両手を振りながら、ミスタ。コルベールは言葉を続けた。

「えー、皆さんにお知らせですぞ」

 もったいぶった調子で、コルベールはのけぞった。のけぞった拍子に、頭にのっけた馬鹿でかいカツラがとれて、床に落っこちた。
 すると、一番前に座ったタバサが、コルベールのツルツルに禿げ上がった頭を指差して、ぼつんと呟いた。
 
「滑りやすい」

 教室が爆笑に包まれた。キュルケが笑いながらタバサの肩をぽんぽんと叩いて言う。

「あなた、たまに口を開くと、言うわね」

 コルベールは顔を真っ赤にさせると、大きな声で怒鳴った。

「ええい! 黙りなさいこの小僧どもがっ! こんな時貴族は、下を向いてこっそり笑うものですぞ! これでは王室に教育の成果が疑われる!」

 その剣幕に、教室中がおとなしくなった。
 しかし、怒鳴り付けたコルベールの頭に、教室の窓から差した光が当たり、キラリと光るのをみて、再びタバサポツリと。

「……光りやすい」
「「「「「ごぷふっっ!!」」」」」

 再び爆笑に包まれた教室を見て、コルベールは大声で怒鳴る。

「ええいっ! 静まれいっ! 静まれいぃっ! 恐れ多くも先の国王が忘れ形見、我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、本日ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸なされるのですぞっ!」

 教室がざわめいた。

「したがって、お出迎えのため、今から全力を挙げて、歓迎式典の準備を行いますぞ。そのために本日の授業は中止。生徒諸君は正装し、門に整列すること」

 生徒たちは緊張した面持ちになると一斉に頷いた。ミスタ・コルベールはうんうんと重々しげに頷くと、目を見張き高らかに言い放つ。

「諸君が立派な貴族に成長したことを、姫殿下にお見せする絶好の機会ですぞ! 御覚えがよろしくなるように、しっかりと杖を磨いておきなさい! よろしいですかな!」





「えらく嬉しそうだが、そんなに王女がくるのが楽しみなのか?」

 コルベールの話しのあと、にこにこと笑って教室から出て行くルイズに、士郎は後ろから声をかけた。

「あっ、そう言えば。シロウには言ってなかったわね」

 ルイズは士郎の声に悪戯っぽく笑うと、士郎のそばに近づき背伸びをする。
 顔を近づけるルイズに、士郎は答えるように膝を曲げた。
 ルイズは膝を曲げ、近づいてきた士郎の耳に口を寄せると、囁くような小さな声で話しかける。

「姫さまとはね、子供の頃に一緒に遊んだことがあったの」

 それだけ言うと、ルイズはシロウから離れて、苦笑いをしながら言った。

「きっと、姫様は覚えていらっしゃらないとは思うけどね」

 どこか寂しげに言うルイズを見ると、士郎はルイズの頭にポンッ、と手を置き、優しく笑いかける。

「ルイズが覚えているんだ。きっと、姫さまも覚えている」

 頭の上に置かれた士郎の手に、自身の手を重ねたルイズが、顔を赤くし、上目遣いで士郎を見上げて何かを言おうとしたが、横から急に表れたキュルケが、自分の腕を士郎の腕に絡ませ、士郎を引きずるように歩き出した。

「さあっ士郎! 早く門に行くわよ! トリステインの王女がどれ程のものか、確かめに行きましょう!」
「お、おいキュルケ。そんな急がなくとも」

 キュルケに引きずられて行く士郎を、唖然と見ていたルイズは、顔を怒りで真っ赤にしながら、キュルケのあとを追いかけ出す。

「キュルケ~! あんた何シロウと腕を組んでんのよ~! 待ちなさ~い!」





 魔法学院に続く街道には、花々が咲き乱れ、街道に並んだ平民たちからは、歓呼の声が上がっている。
 街道を豪奢な馬車が進んでいる。
 豪奢な2台の馬車を、名門貴族の子弟で構成された王室直属の近衛隊、魔法衛士の面々が四方を固めている。前を進んでいる馬車を引いているのは、唯の馬ではなく、幻獣である、ユニコーンが引いていた。その馬車には、ところどころに金や銀、プラチナで出来た聖獣である、ユニコーンと水晶の杖が組合わさった王家の紋章が型どられている。
 つまりこれは、王家の馬車であることを示していた。
 だが、そんな王家の馬車よりも、豪奢な馬車が後ろに続いていた。
 トリステインの政治を一手に握る、マザリーニ枢機卿の馬車である。
 その馬車の風格の差が、今現在のトリステインの権力を誰が握っているのか、雄弁に物語っていた。
 




 アンリエッタ王女はカーテンの間から歓呼の声を上げている、平民たちを見て、深いため息をついた。そこには、この年頃の少女が浮かべるような花の様な笑みは無く、あるのは、年に似合わない苦悩と、深い憂いの色である。
 王女は当年とって御年十七歳。すらりとした気品のある顔立ちに、薄いブルーの瞳、高い鼻が目を引く瑞々しい美女であった。細い指の中で、水晶のついた杖をいじっている。王族である彼女もまた、メイジなのであった。
 街道の歓声も、咲き乱れる綺麗な花々も、彼女の心を明るくはしない。彼女は深い深い、恋と政治の悩みを抱えているのであった。
 隣に座ったマザリーニ枢機卿が、真っ白な口ひげを、骨ばった指でいじりながら、そんな王女の顔を見つめた。白い髪が生える頭に、坊主がかぶるような丸い帽子をかぶり、灰色のローブに身を包んだ痩せすぎの四十男である。
 彼の姿がまるで老人のようなのは、先帝亡き後、一手に外交と内政を引き受けた激務が原因であった。
 政治の話をするため、彼は先ほど自分の馬車から降り、王女の馬車に乗り込んでいたのだ。
 しかし、彼の努力は報われる事はなく、王女はため息をつくばかりでまったく要領を得ない。
 
「……これで本日十三回目ですぞ。殿下」

 困った顔でマザリーニは言った。

「なにがですの?」
「ため息です。王族たるもの、無闇に臣下の前でため息などつくものではありませぬ」
「王族ですって! まあ!」
 
 アンリエッタは驚いた顔で言った。

「このトリステインの王さまは、あなたでしょう? 枢機卿。今、街で流行っている小唄はご存知かしら?」
「存じませんな」
 
 マザリーニはつまらなそうに言った。それは嘘であった。彼はトリステインだけでなくハルケギニアのことならば、火山に住むドラゴンの鱗の数まで知っていたが、都合が悪いことから、知らない振りをしているだけであった。

「それなら、聞かせてさしあげますわ。トリステインの王家には、美貌はあっても杖がない。杖を握るは枢機卿。灰色帽子の鳥の骨……」
 
 マザリーニは目を細めた。『鳥の骨』などと王女の口から自分の悪口が飛び出たので、気分を害したのであった。

「『美貌はあっても杖がない……』。ぷっ、自分で美貌って」

 マザリーニが横を向きながら、小馬鹿にするような口調で言うと、アンリエッタは顔を真っ赤にさせ、マザリーニにくってかかった。

「べっ、別にわたくしが作ったわけではっ……」
「ええ、わかっていますとも。まあ、それだけ元気があれば十分ですね」
「あっ……」

 マザリーニが苦笑しながら言うと、マザリーニがわざと怒らせたということを理解したアンリエッタは、どこかバツの悪い顔をしながら顔を俯かせた。

「臣下がそのようなことを言ってよろしいのですか?」
「そうですな、では、殿下も一緒に言葉遣いを改めましょう」
「うっ……」

 アンリエッタは、不貞腐れたような顔を見せないように、豪奢なカーテンがしめられている窓に顔を向けた。

「フウ、殿下もご存知でしょう? かの“白い国”アルビオンの阿呆どもが行なっている“革命”とやらを……。きゃつらは、ハルケギニアに王権というものが存在するのがどうにも我慢がならないらしい」
 
 アンリエッタはマザリーニに振り向くと言い放った。

「礼儀知らず! 礼儀知らずのあの人たち! かわいそうな王様を捕まえて、縛り首にしようというのですよ! わたくしは思います。この世全ての人々が、あの愚かな行為を赦しても、わたくしと始祖ブリミルは赦しませんわ。ええ、赦しませんわ!」
「そうですな。しかし、アルビオンの貴族どもは強力です。アルビオン王家は、明日にも倒れてしまうでしょう。始祖ブリミルが授けし三本の王権のうち、一本がこれで潰えるわけですな。ま、内憂を払えもせぬ王家に、存在の価値があるとも思えませぬが」
「アルビオンの王家の人々は、わたくしたちの親戚なのですよ? いくらあなたが枢機卿といえども……」
 
 アンリエッタが勢い良く言ってのけるのを遮るように、マザリーニが声を上げる。

「しかしっ! 事実ですっ! ……しかも、あの馬鹿げた貴族どもは、ハルケギニアを統一するとかなんとか夢物語をふいております。となると、自分たちの王を亡きあと、あやつらはこのトリステインに矛先を向けるでしょう。……そうなってからでは遅いのですよ……」

 どこか苦しそうな顔で言うマザリーニを見て、アンリエッタは、顔を伏せ、スカートの裾を握り締めながら、震える声で言った。

「わかっています……。だからわたくしが、ゲルマニアに嫁ぐのでしょう」

 顔を伏せながら、横目でカーテンの隙間から覗く青空を仰ぎながら、アンリエッタは誰に聞かせることなく小さな声で呟いた。

「ウェールズさま……」



 

 魔法学院の正門をくぐって、王女の一行が現れると、整列した生徒たちは一斉に杖を掲げた。しゃん!と小気味よく杖の音が重なった。
 正門をくぐった先に、本塔の玄関があった。そこに立ち、王女の一行を迎えるのは、学院長のオスマン氏である。
 馬車が止まると、召使たちが駆け寄り、馬車の扉まで緋毛氈の絨毯を敷き詰めた。
 呼び出しの衛士が、緊張した声で、王女の登場を告げる。

「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおな―――り―――ッ!」
 
 しかし、がしゃりと扉が開いて現れたのは枢機卿のマザリーニであった。
 生徒たちは一斉に鼻を鳴らした。しかし、マザリーニは意に介した風もなく、馬車の横に立つと、続いて降りてくる王女の手を取る。
 生徒の間からわっと歓声があがった。
 王女はにっこりと薔薇の様な微笑を浮かべると、歓声を上げる生徒たちに向け、優雅に手を振る。
 
「ふ~ん、あれがトリステインの王女? ふん、あたしの方が美人じゃないの」

 キュルケが士郎の腕に、自分の腕を絡ませながらつまらなそうに呟く。

「ねえ、シロウはどっちが綺麗だと思う?」
 
 キュルケが上目遣いに士郎に聞くと、反対の腕に自分の腕を絡ませたルイズがキュルケに噛み付いた。
 
「きゅ、キュルケッ! あんた何言ってんのよっ! 姫殿下に失礼よ! それといい加減にシロウから離れなさいっ!」
「何よ~、別にいいじゃない。硬いわね~」

 しかし、士郎はそんな二人のやりとりを見ることなく、薔薇のような微笑みを周りに振りまくアンリエッタを見つめていた。
 そんな士郎に気付いた二人が同時に頬を膨らませると、示し合わせたように絡ませていた腕の肉を同時に指で思いっきりつねり上げた。

「いっった!!」

 士郎が驚いて下を向くと、そこにはどこかで見たことがあるような目つきをした、ルイズとキュルケがいた。

 ……これは、やばいな。

 以前、時計塔のパーティーに、遠坂とルヴィアと一緒に行った際、ゲストとしてパーティーに現れたパーティードレスに着飾ったバゼットに見惚れていた士郎を見た遠坂たちの目つきに似ていると感じ、士郎は冷や汗が止まらない。
 
「シロウ? どこ見ていたのかしら? ねえ、あたしが近くにいるのにどこ見ているの?」
「ねえ、シロウ。あなたなんで姫さまに見とれているのかな? かな? かな?」

 ルイズたちに両腕をつかまれているせいで逃げることも出来ず、士郎は青い空を見上げる。

「なんでさ……」





 豪奢な馬車を守る近衛隊の内の一人に、羽帽子に長い口ひげが凛々しい、精悍な顔立ちの若い貴族であった。黒いマントの胸には、三つの魔法衛士隊の内の一つである、自らが率いる魔法衛士隊のグリフォンをかたどった刺繍が施されている。
 男は、キュルケと仲良く士郎を責め立てているルイズを見て、誰にも聞かれ無いように小さく、暗く、深い声で呟いた。
 
「ルイズ……私の……“虚無”」





 姫殿下が魔法学院に行幸したその日の夜……。
 ルイズの部屋の中で、必死にルイズに言い訳をする士郎の姿があった。

「はあ……ルイズ、だから言ってるだろ、別に見とれていたわけではないと」
「でも、姫さまのことをずっと見てたじゃないっ」

 枕を抱いて顔を横に向けて文句を言うルイズを見て、天井を仰いだ後、ため息を吐く。

「見てたのは確かだが……別に見とれていたわけでは無いぞ」
「……じゃあ、なんであんなにじっと見てたの?」

 ルイズが枕を抱きしめながら、上目遣いで士郎を見上げると、士郎は悲しそうな顔をしていた。

「……泣いているように見えて、な」
「えっ? 泣いて? 姫さまが? 笑っていたわよ」

 ルイズが驚き、枕から顔を上げ士郎を見上げると、士郎はルイズの頭に手を置き目を細める。
 
「ああ……そうだったな。きっと、俺の見間違いだ……」
「? 変なシロウ?」
 
 自分の頭の上に手を置いて笑う士郎を、不思議そうな顔で見上げたルイズは、士郎の目に悲しげな影を見つけ、声をかけようとした時、ドアがノックされた。

「俺が行く」

 ノックは規則正しく叩かれた。初めに長く二回、それから短く三回……。
 それに気付いたルイズは、はっと上げた顔をドアに向けた。
 急いでブラウスを身につけ、立ち上がる。そして、ドアに向かう士郎を押し留め、ドアを開けた。
 そこに立っていたのは、真っ黒な頭巾をすっぽりとかぶった少女。  
 辺りをうかがうように首を回した少女は、そそくさと部屋に入って来ると、後ろ手に扉を閉めた。

「も、もしかして……」
 
 ルイズは驚いたような声をあげた。
 頭巾をかぶった少女は、しっと言わんばかりに口元に指を立てた。それから、頭巾と同じ漆黒のマントの隙間から、魔法の杖を取り出すと軽く振る。
 そして、同時に短くルーンを呟くと、光の粉が部屋に舞った。
 
「……ディティクトマジック?」
 
 ルイズが疑問の声を上げると、それに応えるように士郎は言った。

「ここには誰も聞き耳も目も立てていませんよ……アンリエッタ王女殿下」
「「えっ!」」

 士郎の言葉に、ルイズだけでなく頭巾をかぶった少女も驚きの声をあげた。
 ルイズは慌てて少女を見ると、少女はかぶっていた頭巾をゆっくりと外す。
 現れたのは、士郎の言った通りのアンリエッタ王女であった。
 美しい顔立ちだけでなく、その身に神々しいばかりの高貴さを放っている。

「姫殿下!」
 
 ルイズが慌てて跪く。
 アンリエッタは涼しげな心地よい声で応える。

「おひさしぶりね。ルイズ・フランソワーズ」

 その光景を、士郎はどこか悲しげな目を細めて見ていた。

 ―――王族、か……。





 ルイズはかしこまった態度でアンリエッタに対応していると、アンリエッタは首を振りながらルイズに近づいた。

「ああ! ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい! あなたとわたくしはお友達! お友達じゃないの!」
「もったいないお言葉でございます。姫殿下」
 
 ルイズは硬い緊張した声で言った。それを聞いたアンリエッタは、ルイズから離れて涙を滲ませた目で話しかける。

「ルイズ……そんなこと言わないでください。ここには誰もいないのですよ、枢機卿も母上も、欲の皮の被った宮廷貴族たちも……それなのに、あなたにまで、そんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまいますわ……」
「姫殿下」
 
 ルイズは顔を持ち上げた。
 
「幼い頃、泥だらけになりながら、一緒になって宮廷の中庭で蝶を追いかけましたわね」
 
 はにかんだ顔で、ルイズが応える。

「……ええ、お召し物を汚してしまって、侍従のラ・ポルトさまに叱られました」
「ええ、ええそうねルイズ。ふわふわのクリーム菓子を取り合って、つかみ合いになったこともあったわ。ふふっ、ケンカになると、いつもわたくしが負かされたわね。あなたに髪の毛をつかまれて、よく泣いたものね」
「いいえ、姫さまが勝利をお収めになったことも、一度ならずございました」

 ルイズが懐かしそうに言った。
 話しているうちに、昔を思い出して興奮してきたのか、アンリエッタの口調が段々と強くなっていく。

「あっ、思い出しましたわ。わたくしたちがほら、アミアンの包囲戦と呼んでいるあの一戦よ!」
「姫さまの寝室で、ドレスを奪い合ったときですね」
「そうよ、“宮廷ごっこ”の最中、どっちがお姫さま役をやるかで揉めて取っ組み合いになったわね! わたくしの一撃がうまい具合にルイズ・フランソワーズ、あなたのおなかに決まって」
「姫さまの御前でわたし、気絶いたしました」

 それから2人はあははは、と顔を見合わせて笑い合う。
 士郎はそれを苦笑いしながら見ている。

「ふふっ、その調子よルイズ。ああもうっ! わたくし懐かしくて、涙が出てしまうわ」
 
 王女は深いため息をつくと、ベッドに腰かける。
 アンリエッタの表情は、先ほどまでの嬉しげな様子は無く、深い憂いを含んだ表情だった。

「姫さま?」
 
 ルイズは心配になってアンリエッタの顔を覗き込んだ。

「ルイズ……わたくし結婚するのよ……」

 アンリエッタは窓の外の月を眺めて寂しそうに呟く。
 その悲しげな声を聞いたルイズは、沈んだ声で言った。

「……おめでとうございます」

 悲しげにルイズの祝辞の言葉を聞いていたアンリエッタだったが、先程からじっと黙ったまま壁に寄りかかり、こちらを見ている士郎に声をかけた。

「そう言えば、こちらの方はどなたですか?」
「えっ、ああっ。姫さま、ご紹介いたします、こちらはわたしの使い魔のシロウです」
「使い、魔?」

 アンリエッタが訝しげな顔でルイズを見ると、ルイズはどこか誇らしげな顔をしてアンリエッタに士郎を紹介した。
 
「ええっ、その通りです。わたしの召喚した使い魔のエミヤシロウです」
「紹介に預かりました衛宮士郎です、プリンセス」

 士郎はアンリエッタの前に膝まづく。

「人にしか見えませんが……」
「人です。姫さま」

 呆然とした顔をしていたアンリエッタだったが、ふっと口元を笑みにすると、悪戯っぽくルイズに笑いかけた。

「ふふっ。わたくしったら、あなたの恋人だと思っていましたわ」
「ふぇっ! そ、そんなこ、恋人だなんてっ!」
 
 アンリエッタの言葉に激しく動揺したルイズは、顔を真っ赤にさせて首を激しく左右に振った。
 それを見たアンリエッタは、目を驚きに丸くしたが、すぐに顔に笑が浮かぶ。

「ふふっ。そう……」

 アンリエッタは意味深げな眼差しを士郎に向けると、またも顔を俯かせた。
 ルイズはそのアンリエッタの様子を心配気に見ると、おずおずと声をかけた。

「姫さま、どうなさったんですか?」
「いえ、なんでもないわ。ごめんなさいね……いやだわ、自分が恥ずかしいわ。あなたに話せるようなことじゃないのに……わたくしってば……」
「おっしゃってください。あんなに明るかった姫さまが、そんな風にため息をつくってことは、何かとんでもないお悩みがおありなのでしょう? ……力になれるかわかりませんが、わたしをお友達と呼んでくれるのでしたら、どうぞおっしゃってください」

 ルイズの真摯な眼差しを感じ、アンリエッタは嬉しそうに微笑んだあと、決心したように頷くと、語り始めた。

「今から話すことは、誰にも話してはいけません」

 それから士郎のほうをちらっと見る。
 士郎はアンリエッタに挨拶をしたあと、離れてその様子を見ていたが、アンリエッタの視線を受けるとアンリエッタに声をかけた。

「席を外しますか?」

 アンリエッタは首を振った。

「いいえ、結構です。メイジにとって使い魔は一心同体。席を外す理由がありません」

 そして、物悲しい調子で、アンリエッタは語り出した。






「あなたも知っていると思いますが、アルビオンでは反乱が起こり、まもなく反乱軍が勝利を収めるでしょう……そうすれば、次に狙われるのはこのトリステインです……ですから、わたくしたちはそれに対抗するためにゲルマニアと同盟を結ぶことになったのです」
「ゲルマニアと……」
「それが、王族の義務というものですから……」
 
 驚きに目を見開いたルイズに、哀しげな笑で微笑みかけるとアンリエッタは話を続けた。

「アルビオンの貴族たちは、トリステインとゲルマニアの同盟を望んでいません。二本の矢も、束ねずに一本ずつなら楽に折れますしね……」

 アンリエッタは呟いた。

「したがって、わたくしの婚姻を妨げるための材料を血眼になって探しています」
「もし、そのようなものが見つかったら……あっ、もしかして」
 
 アンリエッタの様子とここまでの話の流れで、話の内容を予測できたルイズは、ハッとした顔でアンリエッタを見ると、アンリエッタは軽く頷きながら言った。

「あれが婚姻を妨げる材料になるかはわかりませんが……わたくしが以前したためた一通の手紙です」
「手紙ですか?」
「そうです。内容は言えませんが……」
 
 ルイズはアンリエッタに詰め寄る。

「姫さまっ、その手紙はいったいどこにあるのですか?」
「それが……手元にはないのです。実は、アルビオンにあるのです……」

 ルイズの問いに、顔を伏せながらアンリエッタは答える。
 それを聞いたルイズは、驚きに口を開かせた。

「あの……反乱で混乱しているアルビオンですか……」
「っ、ええっ。その通りです……頼んでもよろしいですか」

 何かを耐えるように、体を震わせながらも伝えるアンリエッタを見て、ルイズは何かを決心したように頷くと、勢いよく立ち上がり、アンリエッタを見て言った。
 
「何を言っているんですかっ! 姫さまっ! このぐらい頼ってくださいっ! わたしたちはお友達なんですからっ」

 最後の言葉を笑いながら言い切ったルイズを見たアンリエッタは、涙を滲む顔を笑顔に変えた。






「アルビオンの反乱はまもなく反乱軍の勝利で終わると聞きます。ですので、早速明日の朝にでも、ここを出発いたします」

 ルイズは真顔になると、アンリエッタに頷く。
 その言葉を聞いたアンリエッタは、士郎の方を見つめた。

「頼もしい使い魔さん」
「なんでしょうか姫さま」
「わたくしの大事なお友達を、これからもよろしくお願いしますね」

 そして、すっと左手を差し出した。士郎は再びアンリエッタの前に跪くと、その左手をそっと手にとり、優しく口づけするとアンリエッタをその鷹のような瞳で見つめる。

「この身にかけて」

 そして、立ち上がりながらアンリエッタを優しく見つめると、アンリエッタに聞こえる程度の声で囁く。  

「ここでは、無理に笑わなくても大丈夫ですよ、ルイズも俺もそんな辛そうな笑顔はみたくありません」
「あなたは……」

 アンリエッタが驚き、士郎に声をかけようとすると、士郎はいきなりため息をつき、ドアにかつかつと近寄るとドアを勢い良く開けた。すると、まるで雪崩が起こるようにギーシュ、キュルケ、タバサの順で倒れてきた。
 それを呆れた顔で見た士郎はため息をつく。

「ハァ……生徒が話し込んでいるのかと思っていたが……まさか、聞き耳を立てていたとはな。何やってるんだお前たちは……」
「だって、ルイズの部屋に女の人が入っていったんだもん」
「『もんっ』てキュルケ……何を言ってるんだ」
 
 キュルケが顔を背かせながら言うと、続けてギーシュが言った。
 
「かっ顔を隠した姫さまが、ここに来るのを見かけて……」
「顔を隠していてよくわかったな?」
「ふっ、姫さまのあの香しき香り、わからないはずがないだろう」
「………ッッ!!」

 それを聞いた周囲の者が一歩ずつ後ろに引いたことを、うっとりとした顔で目を閉じているギーシュは気づかなかった。
 
「タバサはどうして?」
 
 ルイズがぼうっとした顔で突っ立ているタバサに声をかけると、タバサはキュルケを指差し。

「心配」
「タバサ……」

 短く答えたタバサを見たキュルケは、目を潤ませタバサを抱きしめた。
 キュルケの胸に抱きしめられ、その豊満な胸に顔を埋もらせたタバサが手足をバタバタと震わせたが、目を閉じながらタバサを抱きしめていたキュルケは気付いていない。
 そんな様子をギーシュは指をくわえて羨ましそうに、ルイズは恨めしげに、アンリエッタは目を丸くして、そして士郎は苦笑いしながら近づき、タバサをキュルケの胸から開放した。

「そろそろいいだろ、タバサが苦しそうだ」 
「あんっ、もう」 
「ぷはっ」
 
 キュルケが士郎を恨めしげに見たあと、真顔になり、アンリエッタの前に膝まづく。

「アンリエッタさま、失礼ながらお話は聞かせてもらいました。出来ればその願い、私にも手伝わせてもらえませんか」
「あなたは一体?」
「ゲルマニアから来ました、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーと申します」
「ゲルマニアから……!」
「先ほどのお話しから、事の次第はトリステインだけで無く、ゲルマニアにも事は及ぶと思います。ですので、私も微力ながらも力になりたいと思います」
「わっ私はギーシュ・ド・グラモンと申します。わっ、私も姫殿下のお役に立ちたいのです!」
 
 二人の間に割り込むように言うギーシュに、アンリエッタは困惑気な顔を向ける。

「グラモン? あの、グラモン元帥の?」
「息子でございます。姫殿下」

 その様子をずっと黙って見ていた士郎は、大きなため息をつくと、苦い顔をして言った。
 
「詰まる所、みんなアルビオンに行くということだな」
 
 士郎の言葉に、ルイズの部屋にいた皆が士郎に顔を向けた。

「ええ、もちろんよシロウ。もし、置いていくと言っても付いて行くわよ」
「ふんっ。もちろんだよシロウ。姫さまの願い、答えなくては貴族が廃るというものだよ」
「心配」

 士郎は顔に手を当て、指の隙間から部屋の中を見回すと、深い溜息をつきアンリエッタに向き直る。

「よろしいのですか姫さま」
「わたくしには、何も……」

 士郎の言葉に微かに首を振ったアンリエッタは、ルイズに近寄り、懐から一枚の手紙を取り出した。
 そして、一度だけ手紙を悲しげに見たあと、そっと手紙をルイズに手紙を手渡した。
 
「これをウェールズさまにお渡しすれば、件の手紙が渡されるでしょう」
「姫さまこれは……」

 ルイズはアンリエッタの悲しげな様子を見て、声をかけようとするも、首を振りしっかりと頷き答える。

「わかりました」
「ルイズ……」

 ルイズが手紙を受け取るのを確認したアンリエッタは、右手の薬指から指輪を引き抜くと、ルイズに手渡す。

「母から頂いた“水のルビー”です。せめてものお守りです。お金が心配なら、売り払って旅の資金にあててください」

 ルイズは深々と頭を下げた。

「この任務にはトリステインの未来がかかっています。母の指輪が、アルビオンに吹く猛き風から、あなたがたを守りますように」





 ルイズとアンリエッタのやり取りを哀しげな目で見つめていた士郎だったが、窓から見える星空を見上げ。

 ―――私には、王としての義務があります。

 脳裏にもう会えない人の姿が浮かんだ士郎は、気を取り直すように顔を軽く左右に振ると、部屋の中に視線を戻した。

 王族の義務……か。
  
 

 
 
 
  
 

 
後書き
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