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トリスタンとイゾルデ

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第二幕その三


第二幕その三

「嘘ではないわ。だから私はここにいる」
「そして私も」
「私は貴方を感じている」
 歩み寄り合い抱擁し合う。二人の抱擁はただの抱擁ではなかった。
「そして今見ている」
「私も貴女を見ている」
 二人は闇の中で見詰め合っていた。
「こうして。貴女を感じている」
「目も口も耳も手も」
 イゾルデはトリスタンの全てを感じ取っていた。
「そして胸の鼓動も」
「貴女の胸の鼓動を感じる」
「これは嘘ではないのね」
 イゾルデはそれが信じられないとさえ感じてもいた。
「この感じは。決して」
「私もそれが疑わしい」
 そしてそれはトリスタンも同じだった。
「今こうして二人でいるのは本当に」
「夢ではないのでしょうか」
 トリスタンの胸の中で呟く。
「この魂の歓びも甘く気高く、そして美しく至高の悦び」
「この世のものとは思えない」
 トリスタンはその思いをさらに強くさせていた。
「これ程の悦びは」
「貴方は私のもの」
「貴女は私のもの」
 二人の心は溶け合い一つになったかのようだった。
「それを今感じている」
「この森の中で」
「私は遠く感じている」
「遠く?」
「これ程近くにいても」 
 そう感じるというのだ。
「それでも。どうしても」
「感じているのね」
「遠さと近さ。何故だ」
「親しさを妨げるものは隔たり。緩慢な時間の遅滞する遅さ」
「その遠さと近さ。優しい近さとすさびたる遠さ」
 トリスタンもまた言う。
「この天地に隔たりあるもの」
「暗き場所に貴方がいて明るき場所に私がいて」
「光・・・・・・」
「明るさは光」
「その光が何と長い間消えなかったのだろう」
 彼は今度は光を恨めしく思うのだった。
「日が沈んだ時昼は去ったがその嫉妬の息を尚も絶やさず威嚇の印を火に転じ私が近付けないようにしている」
「それが光」
「そう、光だ」
 彼は今その光を明らかに拒んでいた。
「私達を妨げるのは光なのだから」
「けれどもうその光は消えてしまったわ」
 イゾルデはトリスタンのその光を否定した。
「この世の全ての光は」
「だからこそ私達は今ここにいられる」
「そう」
「陰険な昼は私達にとって忌まわしい敵」
 やはり光を拒む。
「愛の悩みの為私も不遜な昼を消したかった。だがそれはできず」
「そして?」
「昼の光が目覚めさせぬ苦しさや辛さがあるだろうか」
 半ばイゾルデに、半ば自分に問うている。
「夜の薄暗がりの美しささえ恋人の家に灯りが掲げられれば全てを拒んでしまう」
「けれどそれはかつては」
「そう、私もだった」
 かつての自らのことを思い出した。
 
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