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駄目親父としっかり娘の珍道中

作者:sibugaki
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第32話 本当の強さとは諦めの悪い事

 遂に此処まで辿り付いた。江戸の町に現れた謎の化け物を巡る事件から始まったこの事件。
 その事件も間も無く終わりを迎えようとしている。
 21個もあるロストロギア【ジュエルシード】を巡って行われた壮絶なる戦い。それが今、終局へと向って行っているのだ。

「どうもぉ、万事屋でぇす!」

 銀時の口からその言葉が発せられる。彼等からして見れば最早御馴染みの言葉でもあった。
 だが、それは江戸で生きてきた者達だからこそ御馴染みと言える言葉だ。異なる世界の住人達にとってはその言葉は新鮮な言葉にも聞こえて来る。
 反対に江戸の住人達が魔法の類を聞いて新鮮な気持ちになるのと同じような類だ。

「お父さん、来てくれたんだ!」
「おぅ、呼ばれて飛び出て出てきてやったぜ」
「でも私くしゃみもあくびもしてないよ」
「俺ぁハクション大魔王か? 緊迫の場面をぶち壊してんじゃねぇよクソガキ」

 安心したせいなのか、なのはと銀時の間で冗談が交わされる。この光景もまた御馴染みな光景と言えた。
 銀時となのはの関係と言えば側から見れば銀時がボケでなのはがツッコミと見られる事が多い。
 が、実際に言えば時々逆転する事もある。
 先ほどの光景の様になのはがボケに回り銀時がツッコミに回る事もある。
 まぁ、親子であるが故の光景とも言えた。

「あれ? なのはちゃんずっと何所に居たの?」
「ガラスケースの中」
「いや、それだけじゃ分からないよ。何それ? ホルマリン漬けにされた標本みたいな奴?」
「え~っと、どんな風だったっけ?」

 返答に困ったなのはは、あろう事か目の前に居るプレシアにその答えを求めだした。普通そんな事を尋ねるだろうか。
 そして、そんな場違いな質問に対して答える人間がこの世界に居るはずがない。

「いい加減にして頂戴。貴方達の戯言に付き合うつもりは毛頭ないのよ!」

 当然の返答と言えた。
 大事な局面でボケとツッコミなどやってる暇などない。それが普通の人間の発想と言うのだから。
 
「悪ぃな、これが普段の俺達なんでな。つっても、だからってお前等に合わせる気なんざサラサラねぇけどな」
「御託は良いわ。それで、一体何の用? まさか、皆で仲良くしましょう。とでも言いに来た訳じゃないでしょうね?」
「残念だが違うな。俺達はてめぇを叱りに来たんだよ」
「叱るですって?」
「禄に子育てもしねぇDV婆にな。覚悟しとけよゴラァ! 泣きっ面になるまでお尻ペンペンしてやっからよぉ!」

 プレシアに向けて自分の尻を叩いて見せつつそう告げる銀時。やはり肝心の場面で何時もボケが入ってしまう。
 仕方がないとは言えやはり世界が違うと空気の出し方も感じ方も違いが出てしまうようだ。

「銀時、締まってないよ。返って情けないから止めてくれない」
「え、マジ? 俺これで格好良く締めようと思ったんだけど、駄目かなぁ?」
「普通は駄目だよ……って、銀時に言っても無駄か」

 溜息混じりにフェイトは諦める。もう今に始まった事じゃない。銀時は何時もそうだ。
 大事な局面でもボケを挟む。それが一体何故かは理解出来ないが、もしかしたらそれこそが銀時の戦法なのかも知れないし、もしかしたら全く何も考えていないが故の行動なのかも知れない。

「この私を叱るですって? 笑わせてくれるわ。誰が私を叱ると言うの?」
「本来ならこいつが叱る役目なんだがなぁ、今回は俺もその叱る役目に加わらせて貰うわ」
「貴方と、フェイトが?」

 未だに蔑んだ目で銀時達に睨みを利かせてくる。恐ろしく威圧感のある睨みだった。しかし、そんな睨みで怯む銀時ではない。
 寧ろ銀時もまた睨み返しつつも話しを続けてきた。

「てめぇが何をしようが俺は関係ねぇ。てめぇが実の娘を生き返らせる為に全く同じ娘を作ろうが、世界征服をしようがそんなの俺の知ったこっちゃねぇんだ。だがなぁ、てめぇの娘を生き返らせる為に俺の娘を使う事は許さねぇ!」

 凄まじい怒気が篭っていた。普段は疫病神とか言っている銀時だが、やはり心の奥底ではなのはを大切な娘と思っていたのだろう。
 その大切な娘を、あろう事か利用しようとしたのだから、当然銀時の逆鱗に触れてしまったのは言うまでもない事だ。

「同じ親ならば分かる筈よ。愛する娘を無残に奪われた者の気持ちと言うのが。貴方も同じ親ならば私の胸の痛み、少しは分かると思うけれど。違うかしら?」
「てめぇがそれで泣き喚いているんだったら分かってやらないでもねぇさ。だがなぁ、その悲しみを手あたり次第に撒き散らしているてめぇに同情する気は、サラサラねぇ!」

 片手に持っていた木刀で空を切り裂き、その切っ先を真っ直ぐプレシアに向ける。その切っ先には、間違いなく殺気に似た気迫が篭っていたのは言うまでもない。

「なのはは返して貰う。そして、てめぇの夢物語も此処までだ! いい加減現実に目を向けやがれ!」
「もう、全ては手遅れだわ。アリシアは既にこの世に存在しない者となってしまった。もうアリシアの肉片すら残っていない。私の今までの苦労は全て水の泡となって消えてしまったのよ」

 先ほどとは打って変わり、プレシアの体から覇気が消え去っていくのが感じられた。
 全てが水の泡になった。
 一体どう言う事なのだろうか?
 疑念に思う一同だが、それを問うつもりはなかった。敵の要らぬ同情を受ける事になるからだ。
 人間とは世界は変わっても情の深い生き物なのは変わりない。例え凶悪な殺し屋を前にしても、その者の内情を知ってしまえば途端に手が鈍る危険性もある。
 どんな人間でも完全に心を殺し、機械になりきるのは難しいのだ。
 
「そうかい、だったら尚更もうなのはは必要ない筈だ。返せ」
「冗談じゃないわ。私だけアリシアを失っておきながら、貴方だけ愛娘と幸せな時を過ごす。こんな理不尽な事があって良いと思っているの? 全ては貴方達のせいよ。貴方達が此処に来たせいで、全てが狂ってしまったのよ!」

 再び、プレシアの声に殺気が篭り始める。いや、それ以上に何かドス黒い気迫を感じられた。
 それは憎しみだ。プレシアの深く、黒く、おぞましい色をした憎しみの気迫が感じられたのだ。
 
「銀ちゃん。あの鬼婆かなりやばいネ。この気持ち悪い気迫を放つ奴はとんでもない奴ってパピィが言ってたヨ」
「全くだぜ。綺麗な顔してる癖になんておっかない気迫をぶつけてきやがるんだ。流石の銀さんでもちょっぴりブルって来ちゃうんじゃねぇのぉ?」

 軽口を叩き合っているが、それらは全てプレシアの気迫に呑み込まれないようにする為の事だ。
 少しでも気を許せばプレシアのドス黒い気迫に呑み込まれてしまう。修羅場を潜り抜けてきた銀時が、そして戦闘種族の血を持っている神楽がそう感じているのだ。
 他の者達も当然その気迫を感じているのは言うまでもない。

「気迫に押し負けるなてめぇら! 奴の気迫に飲まれたら終わりだぞ!」
「そ、そうは言ってもさぁ―――」
「い、息をするだけでも辛いですよ」

 アルフも、そしてユーノも嫌な冷や汗が流れ落ちるのを感じていた。
 恐怖で背筋が凍るような錯覚を覚える。流した汗が氷水の様に冷たく感じる。
 歯が音を鳴らして震えだし、腕一本まともに動かせないようになっている。
 息をする事ですら渾身の力が必要となってしまうような、そんな感じだったのだ。

「許さない、お前達だけは……絶対に許さない!」
「おいおい、散々俺達に迷惑掛けておいて逆切れかよ。とことん小物に成り下がっちまうぞてめぇ」
「結構よ、もう小物でも外道でも何でも構わないわ。今の私にはもう何も残ってない。この命でさえ、もう間の無く尽きる筈だわ」

 え、尽きる?
 その一言にフェイトは驚愕した。意味が分からなかった。そんな事今まで一度たりとも言われた事がなかったのだ。
 母さんが、プレシア・テスタロッサが間も無く死ぬ。そう言っているのだ。
 一体何故?

「でも、もうそんな事どうでも良いわ。だって、今私がやりたい事はたった一つだけだもの」
「か、母さん……母さんの命がもうすぐ尽きるって、どう言う意味なの?」
「知る必要なんてないわ、フェイト。だって、貴方達は今すぐ此処で全員私と一緒に死んで貰うんだから!」

 その言葉に誰もが戦慄を覚えた。今この場に居る全ての人間を道連れにする。そう言っているのだ。
 言葉の意味を理解しようと必死に頭の回転を早めている者達の中で、銀時は誰よりも早くその言葉を理解した。

「おい、誰でも良い! 早くあいつからジュエルシードを奪え!」
「え? ど、どう言う事なの銀時。どうしてジュエルシードを?」
「良いからさっさと奪い返せ! あいつ、ジュエルシードを自分で使う気だ!」

 言葉を聞き終えた時には、既に手遅れであった。プレシアは、隠し持っていたであろうジュエルシードを全て目の前に並べていたのだ。
 その総数。実に二十個。
 なのはの体内に宿っているたった一つのジュエルシードを除き、その殆どがプレシアの前に揃っていたのだ。

「ジュエルシード、私の願いを聞いて頂戴。私に、此処に居る全ての人間を抹殺出来る力を頂戴」
「止めて、母さん!!」

 後先考えず、プレシアの元へと走ったフェイト。だが、その時、凄まじい閃光と衝撃が辺りに広がった。
 その拍子にその場に居た殆どの者が両足を踏ん張って衝撃に耐える。
 無論、間近に居たなのはや、近づいたフェイトはその衝撃が諸に来ていたのは言うまでもない。
 幼い二人の体は、瞬く間に木の葉の様に吹き飛ばされてしまう。
 フェイトは銀時達の近くに落下し、なのはは更に銀時達から離れた位置に飛ばされてしまった。
 
「くそっ、目眩ましか?」

 閃光が止んだ事知り、銀時達は目を開ける。
 其処で一同が見たのは想像を絶する存在であった。
 目の前に居たのは間違いなくプレシア・テスタロッサだった。だが、その姿形は全く異なる存在となっていた。
 全身は不気味な色の体毛を有しており、身長はかつての倍以上はある。鋭い牙や不気味な眼光。まるで悪魔を模した様な姿をしていた。その姿は恐らくプレシアの中に宿った憎しみの集大成とも言えた。

「ま、マジかよ……」
「ぎ、銀さん……何なんですか!? あの化け物は」

 新八の声が震えている。目の前に突如現れた怪物に恐れを抱いているのだ。無理もない。目の前に突如西洋の聖書内に現れそうな悪魔を模した怪物が現れたのだ。
 驚かない方がおかしい。

「銀さん、気をつけて下さい。今のプレシアは二十個のジュエルシードを使ってます。その力はとんでもない筈です」
「ちっ、ラスボスでいきなりこんな場違いな奴出すたぁなぁ」

 銀時がそう呟いた。その直後だった。
 目の前の化け物が突如遥か上空を眺め上げ、そして咆哮をあげたのだ。その雄叫びはまるで天を貫く大砲の様な大音量だった。
 思わず耳を塞いでしまう。まともに聞けば鼓膜を破られてしまいそうだった。
 耳を突き破るほどだった咆哮が途切れた。ようやく静かになったか。
 そう思い目の前を見た銀時に向かい飛んできたのは、化け物の太い尻尾であった。

「がっ!」

 その姿を認識した時には手遅れだった。横腹に痛みが走る。太い尻尾の一撃が諸に決まったのだ。
 その勢いのまま横跳びに跳ね飛ばされる銀時。
 其処へ間髪居れずに化け物は跳びかかってきた。
 巨大な体に似合わず俊敏な動きをしている。両の手は鋭く尖った爪がついており、それが獲物を切り裂こうと持ち上げられていた。
 避けろ!
 誰もがそう直感した。あんな太い腕の一撃をまともに食らえばバラバラにされるのは必死だ。
 一同が振り下ろされる地点から散らばるようにしてそれを回避した。

「銀さん、大丈夫ですか?」
「あてて……何とかな―――」

 銀時の隣に居た新八が尋ねる。かなりの痛手は食らったが動けない程じゃない。
 幸いだったのだろう。下手したら胴体から下が無くなってた筈だ。

「気をつけろてめぇら。あいつの攻撃をまともに食らえばバラバラにされんのは確実だぞ」
「って、それじゃどうやって奴を倒せば良いんですか?」
「知るかそんなもん!」

 明らかに強さの質が違う。目の前では魔力を持っているメンバーが必死に応戦しているが、所詮焼け石に水だ。
 何せあの化け物はフェイトの魔力刃を食らっても大して効いている素振りを見せない。
 いや、それ以上に傷一つつける事が出来ていないのだ。
 
「駄目だ、私の魔力じゃ……」
「危ない、フェイト!」

 アルフが飛び出し、フェイトを抱えて飛び退いた。
 その直後に、化け物の太い腕が地面を貫通した。後少し回避が遅かったら胴体に風穴が開くでは済まなかった筈だ。
 しかし、その直後二人に目掛けて丸太の様に太い尻尾が飛び込んできた。太いだけじゃない。この尻尾はまるで鞭の様にその軌道を自在に変える事が出来る。
 その為有り得ない方向からでもそれが飛んできたのだ。
 
「ぐっ!」

 尻尾の一撃はアルフの背中に叩きつけられた。その威力のまま二人揃って地面に叩きつけられる。
 地面に激突した際の衝撃がフェイトの背中から伝わってくる。だが、フェイトはまだ良い。
 アルフはそれに更に尻尾の一撃までもが加わっているのだ。
 相当のダメージを負った事は間違いない。

「新八、神楽! こうなりゃ一斉攻撃だ。三方向から同時で攻めるぞ!」
「ラジャー!」

 銀時の指示通りに、化け物の正面に銀時が立ち、右後方に新八、左後方に神楽が陣取る。
 怪物は目の前の銀時にのみ照準を絞る。狙い通りに両腕と尻尾が銀時目掛けて飛んできた。
 敵の目標を自分に定める事により新八と神楽をノーマークにする。そうすれば敵に少なからずダメージを与えられる。
 そう計算していたのだ。

「今だ、やれぇ!」

 怪物の攻撃をかわしながら銀時が叫ぶ。それを聞き、二人が怪物の後方から飛び掛り、必殺の一撃を叩き込もうとした。
 その怪物の背中の体毛が逆立った。かと思った直後、一斉にその体毛が弾丸の如く発射されたのだ。
 まるで弾丸の雨だった。無数の毛の弾丸が背後に回った新八と神楽を容赦なく襲ったのだ。

「新八、神楽!」

 銀時の目の前で二人は声を上げる事すら出来なかった。まるで全身ハリネズミだった。
 細い毛の弾丸が体深くにまで突き刺さっているのだ。
 此処からでは二人が無事なのかすら分からない。
 そんな銀時に向かい尚も化け物は容赦なく腕を振るってくる。

「邪魔、すんなぁ!」

 怪物の腕を木刀で払い除けようとした。その一撃は重く、また鋭かった。
 まるで巨大な丸太棒を振るってる巨人と戦ってるような感覚だった。
 こんな奴の攻撃をまともに受け続けていたら先に銀時の腕がやられてしまう。
 今はこんな化け物の相手をしている暇はない。だが、少しでも気を緩めればその腕に押し潰されてしまう。
 どうする。どうすれば良い?
 めまぐるしく変わる戦いの中で、銀時は必死に自分の思考をフル稼働させた。
 この状況をどうやって打開する。頼みの魔導師の武器でも効き目は薄い。それに接近戦も危険が伴うのは先のあれで実証済みだ。
 となれば遠距離から攻めるしかないが、生憎遠距離の武器など持ち合わせていない。それに、そんな物では倒せない事位分かれた。
 突如、怪物の体を光り輝く鎖が雁字搦めに絡め取る。見れば、ユーノがバインドを放っていたのだ。

「早く、二人の所へ行って下さい!」
「助かったぜ」

 怪物が鎖を引き千切ろうと銀時から狙いを外した。その隙に怪物の股下をくぐって二人の元へと急ぐ。

「新八、神楽! しっかりしろ!」

 二人の元に駆けつけた時、その変化に目を見張った。
 全身に突き刺さった細い毛、その毛を中心にして、二人の体を紫色に染め上げて行ってるのが分かる。
 一体この毛は何だ?

「その毛に触れちゃ駄目!」
「何?」

 フェイトの声がした。振り返ると、かなり痛手を被ったアルフを肩で担ぎながらフェイトがやってきていた。

「おい、この毛は一体なんだよ? 何で新八と神楽の体が紫色になってんだよ!」
「多分、この毛には猛毒が染み込んでるんだと思う。魔力を持ってる私達には多少免疫があるけど、それを持ってない銀時達じゃ致命傷になる」
「ま、マジかよ! どうすりゃ良い? このままだと二人共お陀仏なのか?」

 重い顔をしながらフェイトは答えなかった。それが答えとなっていた。
 今この場では手の施しようがない。下手に触れば最悪フェイト達も感染してしまう。
 免疫があるとは言えそれが役に立つかどうかは分からないのだ。
 鎖に引き千切れる音がした。怪物がバインドを千切ったのだ。再び自由になった怪物が縦横無尽に暴れ始める。
 
「ちっ、好き勝手暴れやがって!」

 木刀を握り締めて銀時は立ち上がる。これ以上奴に好き勝手暴れさせる訳にはいかない。
 なんとしても此処で倒す必要がある。だが、どうやって倒す?

「おい、フェイト。お前何時かの時みたいにジュエルシードを封印とか出来ねぇのか?」
「単体だったら出来るけど、今の私の魔力じゃ二十個全部一気に封印は……」

 其処で言葉を区切った意味は分かっている。出来ないのだ。過去にフェイトは六個一度に起動したジュエルシードを封印するのにも苦労した。今回はその実に三倍近くはある二十個。
 それを一人で封印など無理だと言うのだ。だが、やらなければならない。出来なければ確実な敗北が待っているのだから。




     ***




 銀時達が必死に戦っている最中、なのはは一人離れた場所に飛ばされていた。
 幸い床がちゃんと有った為に落下死すると言う事はなかったのだが、衝撃の余り暫くの間意識が飛んでいたようだ。それが今頃になってようやく目を覚ましたのだと言う。

「あ、あれ?」

 朦朧とする意識を急速に呼び戻し、事態を把握しようと周囲の状況を見て確認を行う。
 そして見つけてしまった。銀時達を追い詰める悪魔の様な姿をした禍々しい怪物の姿を。
 全身に生えた黒い体毛。太く長い手足。鋭い眼光と耳元まで裂けている口から生え揃っている牙。背中に生えている二枚の蝙蝠の様な羽に腰部分には太い尻尾が暴れ狂っている。
 その化け物の様な怪物を相手に銀時達は苦戦を強いられていた。
 力の差は歴然としていた。江戸では幾多の天人や巨大エイリアン。そして猛者達を蹴散らしてきた銀時でさえ、悪魔の様な怪物を前に苦汁を呑まされている。
 そして、フェイトやアルフ、それにユーノも同じように苦戦を強いられていた。
 何よりも驚いたのは新八と神楽だった。
 二人共地面に伏せている。それだけじゃない。二人の肌の色が紫色に変色しているのだ。
 そして、二人の顔色も何所か苦しそうだ。恐らく毒か何かを入れられたのかも知れない。

「お父さん、皆!」

 すぐに自分も加わらねばならない。このまま放っては置けない。
 だが、其処でふっと思う。
 ―――私が行って何が出来る?
 其処で、なのはは我に返った。
 何時もそうだった。依頼を見つける事は出来ても、一緒に依頼をこなす事は出来ない。
 まだ幼いから、小さいから、力がないから、そんな理由で、何時も自分は父や新八、神楽達の後ろに隠れてるだけだった。
 自分も万事屋の一員の筈なのに、何故か自分は万事屋と言う巨大な歯車に混ざれてない感じがあった。
 何所か疎外感を感じていた。
 誰もが死に物狂いで戦っているのに、私は闘う事が出来ない。皆が血の滲む思いで死闘を演じていると言うのに、その戦いに私は加わる事が出来ない。
 自分の無力さが、なのはは悔しくて溜まらなかった。
 そんな時、凄まじい轟音が響いた。見れば、銀時を捉えた怪物の腕が地面に叩きつけていたのだ。
 怪物の腕の中で銀時が苦しみもがく。口からは鮮血を吐き出し、同時に苦痛の叫びが木霊する。
 それを引き剥がそうとフェイトやアルフ達が挑むも、片手であしらわれてしまう。
 ユーノが手から無数の光る鎖を放っても、今度はそれを苦もなく払い除けて行く。
 全く歯が立たないのだ。あれだけ銀時達と激戦を繰り広げてきたフェイトやアルフでさえ、あの怪物を相手にまるで子バエの様にあしらわれている。
 その間にも、銀時を掴んでいる腕に力が込められている。そのまま握り潰すことさえ容易な筈だ。
 それを遭えてそうしないのは余裕の表れなのだろうか? それとも、長く苦しみを与えてからトドメを刺そうとしているのだろうか?
 どちらにしても趣味の悪い話であった。
 どうすれば良い。私は一体どうすれば良い。
 目の前に聳える巨大な怪物に対し、どう立ち向かえば良い。
 方法なんて無かった。力のない自分にあんな化け物を倒す術などある筈がない。
 だが、諦めたくは無い。その気持ちがあった。
 約束した筈だ。彼女を、プレシアを止めると。
 約束した筈だ。暗闇の中で、アリシアとそう約束した筈だ。
 その約束を破る訳にはいかない。これは約束であると同時に自分が契約した依頼なのだから。
 その依頼を果たす為にも、此処で諦める訳には行かない。此処でくじける訳には行かない。此処で立ち止まる訳にはいかないのだ。
 立ち上がり、周囲を見渡す。何か使える物はないか?
 それは、案外すぐ近くにあった。大きさからして短刀なのだろう。上階で使っていた鎧の怪物の武器がたまたま落下して目の前にあったのだと思える。
 だが、なのはにして見ればそれはもう立派な刀にも見えた。持ってみるとズッシリと重たさを感じられた。だが、振れない重さじゃない。充分に武器として使う事が出来る。
 それを両手に持ち、なのはは怪物を見据える。
 もう守られるだけなのは嫌だ! 何もしないのは嫌だ! 
 私も戦うんだ! だって、私は万事屋の一員なんだから!




     ***




 怪物は今、勝利を確信していた。回りに居るのは殆ど雑魚の集まり。魔導師では到底話にならないし、侍と言えどもこのざまである。
 二人の侍は先ほど放った毒針の影響で暫くすれば死に至る。そして、もう一人の侍ももうすぐこの腕の中で息絶える手筈だ。
 しかし、そうさせまいと周囲を跳び回りこちらを攻めて来る魔導師がやかましく思えた。
 何故こいつ等は敵いもしないと分かっておきながらわざわざ挑んで来るのか。
 理解に苦しんだ。まぁ、元より理解するつもりなど毛頭ないのだが。
 五月蝿いハエだとばかりに払い除けたとしても、またすぐに周囲を跳びまわる。五月蝿い事この上なかった。
 まぁ、あいつらの始末は何時でも出来る。今はこいつの始末が先だった。
 怪物の視線が周囲を跳びまわる魔導師達を無視し、自分が掴んでいる銀時へと向けられる。
 その銀時と言えば、必死に腕から逃れようともがき苦しんでいる。だが、人間の力如きで人間の何倍も巨大かつ強大な腕から逃れるのは困難であった。
 その怪物の腕からも銀時の命の力が弱まっていくのが感じ取れる。後少し、後少し力をこめればこの男の肋骨はへし折れ、内臓を押し潰し、絶命させる事が出来る。そして、そんな事は容易な話であった。
 本来ならもう少し苦しめた後で仕留めたかったのだが、回りがこうも五月蝿いのでは流石に興も冷めると言う物。
 少々名残惜しいが此処でお仕舞いにするとしよう。
 そう思った時、怪物の手に全く別の感覚が走った。手元で何かがぶつかる感触だ。
 今度は一体何だ?
 それはすぐ近くに居た。
 子供だった。金髪の魔導師と同じ位の少女が短刀と思わしき武器を必死に振るい腕にぶつけてきているのだ。
 無論、そんな武器で傷などつく筈がない。寧ろ痒い位に感じられた。




「お、お前! 何で此処に居るんだ?」

 銀時の目の前で、なのはは必死に短刀で怪物に攻撃を加えていた。そんなちゃちな武器じゃ傷一つつかない事位お見通しだったのは言うまでもないのに。
 それでも、なのはは必死に武器を振るっていた。
 
「私も、私も一緒に戦いたいから! だから―――」
「馬鹿言うんじゃねぇ! お前でどうにか出来る奴じゃねぇんだ! 死ぬ気か馬鹿野郎!」

 無謀。無策。それが似合う光景だった。全く勝算のない戦いに自ら飛び込んできたのだ。
 父親として、それを許せる筈がない。何より、彼女に死んで欲しくはなかったのだ。

「とっとと失せろ! お前が居たんじゃ目障りなんだよ!」
「嫌だ! お父さんや皆を見捨てて逃げるなんて出来ないよ! 逃げる時は皆一緒に逃げるんだもん!」
「出来る訳ねぇだろうが! てめぇも死ぬぞ!」
「私一人だけ生き残るよりは良い! もう一人ぼっちなんて嫌だ! 私だって、私だって万事屋の一員なんだよ!」
「お前……」

 その言葉は、何よりも銀時の心を強く打った。
 万事屋の一員。確かにそう言っていたのだ。
 この世界で本当の家族と過ごすよりも、別の世界で血の繋がりのない偽りの家族の下に居たい。
 そう言っているのと同じ事だった。父親としてそういわれるのは正に至極の喜びと言えた。
 怪物の尻尾が突如迫る。今度のは叩き付けるような動きじゃない。なのはの右足に尻尾の先端が絡みつく。

「え?」
「なっ!」

 それは一瞬の内に起こった。
 尻尾は突如宙を舞う。それに連動し、絡み付いていたなのはの足もまた尻尾に連なって動くように宙へと舞い上がる。
 逆さ吊りの感じで地面を真下に見るような位置取りになっていた。そして、そんななのはの真下に映ったのは、巨大な怪物の顔であった。
 人一人軽く呑み込めて仕舞いそうな巨大な顔が其処にあった。
 
「止めろ! そいつには触れるな! そいつは、そいつは俺の、俺のぉぉぉ!」

 下で必死に叫ぶが、怪物は全く聞く耳を持たない。そして、無情にも絡み付けていた尻尾を咄嗟に緩めた。
 拘束から逃れたなのはは重力に従い真っ逆さまに落下してしまった。
 その光景を目の当たりにした魔導師達がすぐに駆けつけようとしたが、そんな彼等に鞭の如く尻尾の打撃が襲い掛かってきた。ある者は天井に、ある者は壁に、ある者は床に叩きつけられる。
 そして、身動きが出来なくなった皆の目の前で、小さな少女のその体が、怪物の巨大な口へと吸い込まれていく光景が映った。
 何の躊躇もなく、まるで踊り食いの様にそのまま呑み込まれてしまった。
 
「て、てめえええええええええええええ!」

 憤怒の思いが銀時を支配した。木刀にこれまで以上の力を込めて怪物に突き刺す。
 今度のそれは怪物の皮を裂き、肉を抉り、骨を叩く。
 流石にそれには痛みを感じたのだろう。怪物が銀時から手を放し腕を抑えて唸り狂う。
 すかさず立ち上がる銀時。その彼の目は激しい怒りに満ち溢れていた。
 大切な娘を無残にも奪ったこの化け物を殺す為に、後先考える必要などない。ただ、ただこいつをぶち殺す事だけを考えるんだ。
 そう思い銀時は駆けた。
 両手に強く木刀を握り締めて、それを思い切り叩き付ける。
 怪物の右頬が衝撃で凹む。それに連動し、怪物の顔も右に向かい動く。
 今度は左に叩き付ける。同じ様に動いた。それの繰り返しであった。
 ただひたすらに木刀を叩き付ける。その繰り返しをただ行っていたのだ。
 しかし、どれ程叩いた後だったか、再度右側へ向い木刀を振るった際に、その動きが止められてしまった。
 見れば、木刀を怪物の牙が咥えていたのだ。
 木の砕ける音と共に、銀時の持っていた木刀が無残にへし折られるのが見えた。根元まで粉々に砕かれてしまった木刀。それを見て目を見張る銀時。
 そして、胸部に走る痛み。
 見れば、怪物の尻尾の先端が銀時の胸板を貫いていた。鮮血が辺りに飛び散り赤く汚していく。

「ぐっ、ぶはぁっ!!」

 痛みからか口からも鮮血を吐き出す。抵抗する力を失い、戦うことが出来なくなったと判断するや、怪物は銀時をその場に無残に放り捨ててしまった。
 地面に叩きつけられた銀時の体は大の字に倒れこみ、それきり動かない。
 即死なのか? それとも致命傷なのか?
 どちらにしてもこのままでは三人共確実に死が待っている。
 だが、それはフェイト達も同じであった。
 フェイト達の目の前にはあの怪物が迫る。
 侍達を仕留めた後、最後に残す魔導師達を片付けようとしているのだ。

「嘘だ……嘘だって言ってよ……なのはが、なのはが……」
「フェイト、しっかりして!」

 怪物が迫って来ていると言うのに、フェイトは動かなかった。嫌、動けなかったのだ。
 大切な友達が無残に殺されてしまったのだから。そのショックは計り知れなかった。
 だが、怪物は待ってはくれない。元より殺すつもりだったのだから当然と言えば当然なのだろうが。

「二人共、退いて!」

 背後から声がした。ユーノが何かを手に持って詠唱を済ませている。
 赤い球体の様な物であった。恐らくフェイトのと同じデバイスなのだろうが、彼では起動出来ないのだろう。
 その為、待機状態のまま使用を試みようとしているらしい。
 アルフはフェイトを抱えてすぐさま退避した。その場に居ては邪魔にしかならないからだ。二人が退いたのを確認し、ユーノは化け物を見据える。

「僕に出来るかどうか分からないけど……ジュエルシード、封印!」

 叫び、球体から閃光が発せられた。その閃光は怪物に命中し、その進行を妨げる。
 効いている。これなら封印出来るかも知れない。
 淡い期待を胸にユーノは封印を続ける。怪物が苦しんでいるようにも見える。後少し、後少しで……
 突如、怪物の頭部が目の前に飛んできた。首を伸ばしてこちらにやってきたのだ。
 突然の事に仰天するユーノ。そんなユーノの持っていた球体ごと、その右腕に怪物が食らい付く。痛みが右手全体に広がっていく。二の腕辺りに怪物の鋭い牙が食い込んでいく。
 肉の引き千切れる音と共に怪物の首が離れていく。その口の中には、ユーノの右腕が含まれていた。

「うわああああああああああ!」

 絶叫。それが部屋全体に響いた。ユーノの右腕が肩から下にかけてごっそりと引き千切られているのだ。
 無論、その腕に持たれていたデバイス諸とも。

「ユーノ!」

 倒れるユーノに二人が駆け寄る。その光景はとても痛々しく見えた。
 苦痛に顔が歪み、千切られた右腕からはひっきりなしに血が流れ出ているのが見える。

「ユーノ……う、腕が……」

 フェイトは見てしまった。腕を失くし、苦しんでいる少年を。彼もまた銀時達と同じように敵わないと知りながらも果敢に挑んだのだ。
 だが、その結果がこれであった。
 
「勝てないの? 私達じゃ……もうどうしようもないって言うの?」
「フェイト!」
「だって、だって銀時達やユーノが命がけで挑んだんだよ! それでも勝てないなんて……どうすれば良いの!」

 フェイトの表情に諦めの色が浮かび始めていた。大切な友達を失い、仲間達が次々と倒れていく。その光景に心が打ち砕かれてしまったのだ。

「フェイト、此処に来てあんたが諦めてどうするんだい! 本当に何も出来なくなっちゃうよ!」
「アルフ……でも―――」
「フェイトがそんなんでどうするんだい? なのはだって力がないのに必死で戦ったんだ。銀時達だって自分達の力で戦ったんだよ。それに、ユーノだって……だから、今度は私達が戦う番じゃないか!」

 アルフの激が飛ぶ。此処で自分達が諦めたら、それこそ全てがお仕舞いだ。それこそ、銀時達の苦労が全て無駄になってしまう。そんな事をさせる訳にはいかないのだ。
 その為にも、自分達が繋げなくてはならないのだ。例え敵わずとも。例え勝てずとも、此処で諦める訳にはいかないのだ。

「私は戦うよ。勝てないって分かっててもさ、だから、フェイトも諦めたら駄目だよ」
「む、無茶だよアルフ! 一人で勝てる訳ないよ!」
「だけどさ、此処で諦めたくないってのがあるんだ」

 微笑みを浮かべ、そのまま怪物へと向ってい行く。両の拳を堅く握り締めて、それを力いっぱい怪物に向かい叩き付ける。
 打撃音が辺りに響き渡る。だが、怪物に効いた素振りは見られない。まるで蚊が刺した程度にしか感じていないようだ。
 それでも構わずひたすらに殴り続けるアルフ。だが、其処へ再度鞭の様に撓る尻尾が横薙ぎに振られてきた。

「そんなものぉ!」

 咄嗟に上昇してそれをかわす。しかし、尻尾を回避したアルフに待っていたのは、怪物の頭部だった。
 岩盤の様な怪物の頭部が凄まじい勢いでアルフに向い突っ込んできたのだ。
 頭突きの要領だった。しかし、頭の大きさや堅さが段違いに違い過ぎる。まともにそれを食らったアルフは地面へと叩きつけられる。

「がっ!」

 全身に痛みが走る。たった一撃でこれだった。いんちきにも程があると言えた。怪物の右足が持ち上がる。地面に落ちたアルフ目掛けてそれを振り下ろそうとしているのだ。

「調子に、乗るんじゃないよぉ!」

 その場から駆け出し再び上昇する。今度はその姿を一匹の狼へと変貌させる。
 そして鋭い牙をちらつかせて突進した。
 怪物の首筋に牙を突きたてる。肉を抉り、血が噴出す筈なのだが、全然効き目がない。
 堅い、まるで岩の塊だった。牙がまるで通用しない。
 怪物の巨大な手が来ていた事に気付いた時には、既に手遅れであった。
 巨大な拳の一撃を受けたアルフはそのまま壁に叩きつけられる。全身を激しく打ち付けられ、口からは鮮血が飛び散る。
 全く身動きが取れなくなってしまったアルフに向い、怪物は再び拳を叩き付けた。それも、一回ではなく何回も何回もだ。
 壁の周囲に亀裂が走る。岩が砕けた際に起こった噴霧のせいで安否が確認出来ない。
 どれ程殴った後だろうか。怪物が壁から離れる。それから数秒した後、壁から黒い物体が地面に向かい落下した。
 アルフだった。全身ボロ雑巾の様にズタボロになった彼女は、物言わぬ存在となって地面に横たわっていた。
 もう、何も言う筈がない。もう、何を言っても答えてはくれない。もう、私に微笑んではくれない。

「あ、あぁ……」

 今度こそ、フェイトの心は完全に打ち砕かれてしまった。回りに居た仲間達は皆力尽き、地に伏していた。後残っているのは自分しか居ない。
 だが、分かっていた。自分では勝てないと言う事を。恐らく、上階に向った真選組やクロノが来たとしても結果は同じだと見えた。
 絶対的な脅威。圧倒的な敗北。それが目の前に聳え立っていた。それに加えて、大切な友達や仲間達の死が、血の匂いが、それら全てがフェイトの心を容赦なく、完膚なきまでに打ち砕いて行った。その場にへたり込み、フェイトは立ち上がる事さえ出来なかった。
 そんなフェイトに向い、怪物が迫り来る。怪物の影がフェイトを黒く染めていく。
 怪物の右拳が堅く握られ、頭上に持ち上げられる。後する事は分かっている。このままあの拳を振り下ろし、フェイトを物言わぬ肉の塊へと変えるだけだ。
 何てこと無い。一瞬で終わる簡単な作業だ。そして、その作業の先に待っているのは、確実なる死だけだった。
 フェイトは、それに抗おうとはしなかった。それに立ち向かおうとはしなかった。心が打ち砕かれてしまっていた彼女に、それを抗う事も、それを拒絶する事も、最早出来なかったのだ。
 怪物の拳が、弾丸の如く振り下ろされた。




     ***




 暗い、それだけだった。
 回りには何も見えないし、何も聞こえないし、何も感じない。今、自分がどうなっているのかさえ分からない。
 歩いているのか? 立っているのか? 倒れているのか? 生きているのか? 死んでいるのか?
 それさえ分からない状況だった。
 ただ、自分がこうして此処に居る、それだけは分かる。

(私……そうか、あの化け物に食べられて……)

 余りはっきりしない意識の中で、自分の置かれてる状況を、なのはは理解した。
 あの時、鮮明に覚えている光景。巨大な怪物の口の中に吸い込まれていき、それっきり何も見ていない。
 
(そっか、それじゃ此処って……)

 既に自分がどうなったか、幼いながらも粗方理解は出来た。
 死、それしか頭の中に浮かんではこなかった。
 だが、不思議と恐怖は感じなかった。死後の世界とはどんな世界なのだろうか?
 寧ろそんな興味が沸いて来ていた。もしかしたら、楽しい世界なのかも知れない。
 其処に行けば、友達とか沢山出来るのかも知れない。そんな少女らしい思いがあった。
 その淡い思いを打ち砕いたのは、右手に感じる感触だった。
 とても生々しい。そして、薄気味悪い感じがした。
 見ると、右腕を誰かが掴んでいるのだ。血塗れになっている人間の手が。

「えっ!」

 驚き、声を挙げてしまう。それはまだ手だけだったが、徐々に全貌が明かされる。
 其処に居たのは血塗れになった人間であった。
 全身傷だらけになり、死肉の塊になった筈の人間がなのはを凝視してその腕を掴んでいたのだ。

【死人ならば、俺達の元へ来い! それが死人になった者の運命なのだから】
「い、いやぁ!」

 その腕を払い除ける。右手には死人の血がべっとりとこびり付いている。
 血と腐肉の匂いが染み付き吐き気を促してきた。
 必死にそれに耐える。だが、その後にやってきたのは更に数を増した腐肉の手の群れであった。
 無数の腕がなのはを掴み取り、死人の世界へと誘おうとする。

【逆らうな! お前は既に死人なんだ!】
【死んだ人間ならば俺達の元へ来い!】
【抗うな! それが死人になった者の末路なのだから!】
「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ! 死にたくない! まだ、まだ死にたくない!」
【諦めろ、お前は既に死人となったのだ】
【お前に帰る場所などない! 此処がお前の帰るべき場所なのだ!】
【そうだ、此処には大勢の仲間が居る。もう寂しい思いをする事はないのだぞ】
「!!!」

 ふと、なのはは抵抗を止めてしまった。仲間が居る。もう寂しい思いをする事はない。
 その言葉が、なのはの抵抗する意思を打ち砕いてしまった。
 彼女が最も恐れる事。それは孤独だった。
 生まれて間もない頃、両親の元を離れさせられてしまい、一人孤独の時を過ごした彼女にとって、孤独がいかに恐ろしいか良く知っている。
 しかし、それを彼等が埋めてくれると言う。この死人達が、自分の孤独の寂しさ、怖さを埋めてくれると言っていたのだ。
 ならば、それもまた良いのかも知れない。そう思うと、なのはは抵抗する意思を捨ててしまった。
 このまま死人の世界に落ちても構わない。其処に行けば沢山の仲間が待っているのだから。
 もう、寂しい思いをする事などない。孤独に涙する事もない。
 徐々に回りを死人の腕が埋め尽くしていく。その数は数百も数千もある様に思えた。

【そうだ、お前の来るべき場所は此処なのだ!】
【来るんだ。俺達の居る死人の世界へ】
【仲間だ、また仲間が増えた】

 回りからそんな声が響く。だが、そんな事どうでも良い。おぞましい声だが、いずれ自分もその声の仲間入りを果たすのだから。
 そう思い全ての意識を手放そうとする。後は彼等に身を委ねればそれで良い。

(ばっきゃろう! そんな所で諦める奴が居るか!)
「え!」

 声が響いた。聞き覚えのある、とても懐かしい声だった。今まで自分を見つめて、見守ってきてくれた声だった。

(仮にも俺の娘を名乗ってるんだったらこんな所で投げ出すんじゃねぇ! こんなとこで諦めるんじゃねぇ! 最期の最期まで醜く抗いて見せろ! 途中が醜くたって、途中が汚くたって、最期が綺麗ならそれで良いじゃねぇか!)
「この声……お父さん!」

 そう、聞こえてきたのは銀時の声だった。それに続いて様々な人たちの声が響いてくる。
 新八が、神楽が、他にも江戸の多くの人達の声が聞こえて来る。
 それだけじゃない。他にも聞こえて来る。

(諦めないで、まだ君は死んでないよ!)
「フェイトちゃん!」
(私の目が黒い内は、そんな所へなんて行かせないからね! 意地でも戻ってきな!)
「アルフさん!」

 聞こえてきたのはフェイトとアルフの声だった。その他にも、この世界で知り合ってきた人達の声が聞こえて来る。
 誰もが同じだ、皆自分を励ましている。自分を叱咤している。
 此処で諦めるなと。まだ死んでないと。まだ立ち上がれると。
 
「聞こえる。皆の声が……私を呼ぶ皆の声が聞こえる。私はまだ……まだ、死んでない。まだ、死にたくない!」

 体中に力を込める。今まで取り囲んでいた死人達の腕を振り払い前へと進む。

【何故だ。何故俺達の仲間にならない!】
【生きていたって苦しい事ばかりしかないんだぞ! 死んだ方が楽なんだぞ!】
【そうだ、俺達の仲間になれ! そうすればずっと仲間で居られる。寂しいことなんてないんだぞ!】
「折角だけど、今は良いよ」

 振り返り、死人達の方を見る。その顔には、今までにあった優しい笑みが蘇っていた。

「だって私、まだ生きてやりたい事一杯あるし。それに、向こうにも沢山友達が居るから、寂しくなんてないよ」
【……】

 その言葉を聞くと、死人達は黙り込んでしまった。そして、伸ばしていた手を徐々に引き始めていく。

【折角仲間に入れてやろうと思ったのに、そんなに苦しみたいんだったら苦しめば良い】
【そうだ、散々苦しんだ後に来い。そうすればきっと】
【どうせ何時かはこっちに来るんだ。近い内に必ず】

 そう言い残すと、死人達は見えなくなってしまった。再び静寂の闇がなのはを包み込む。
 だが、今のなのはの心に寂しさなど感じない。今は、只前に向かい歩き進める事しか考えられなかった。
 その先に、きっと皆が待っている。そう信じて。
 どれ程歩いた後だろうか。目の前に一筋の光が見えた。とても小さな光だが、この闇しかない世界ではとても有り難い光だった。
 その光に向かい、なのはは歩く。ただひたすらに歩く。歩き続けた。
 それは赤い球体の様な物だった。薄紅色と言った方が良いだろうか。大きさはビー玉位の代物だ。
 それが光を放っていたのだろう。
 その球体を手に乗せる。不思議だった。無機物の球体だと言うのに、それからは何所か温かさを感じられる。温もりを感じられる。
 
「あったかい……それに、なんだか懐かしい感じがする」
【待たせてしまいましたね】
「しゃ、喋った!?」

 それには驚いた。球体が突如喋ったのだから。
 しかし、この声……何所かで聞き覚えがある気がする。

【驚かせて御免なさい。でも、今はそんな事を言っていられる時ではないの】
「は、はぁ……」

 何所かしっくりと来ない感じがするが、とりあえず納得してみせる事にした。その間もその赤い球体は話を進めた。

【今まで、貴方とこうして話をする事が出来なかったけれど、今はこうしてこのデバイスを通じて貴方と話をする事が出来ます】
「あ、あのぉ……貴方は何者ですか?」
【いずれお話します。それよりもまず、デバイスの起動を】
「で、デバイス? 起動?」

 フレーズが多すぎて理解に苦しんだ。そもそもそんな代物江戸にはなかったのだから。当然知ってる筈などない。

【私と共に唱えてください。契約の言葉を】
「わ、分かりました」

 頷き、互いに言葉を並べる。

”我、使命を受けし者なり。契約のもと、その力を解き放つ。
 風は空に、星は天に、不屈の魂はこの胸に”

【……多少違う気がしますが】
「えっと、頭の中に浮かんだのをそのまま言ってみました」
【はぁ、まぁ、良っか。では最後です】
「うん、この手に魔法を。レイジングハート、セットアップ……って、魔法ぅぅぅ!」

 言い終わった後で驚くなのは。それに声の主が多少引きつった感じになっている。

【そ、そうですけど】
「ええええ! 本当にぃ、凄い! これで私念願の魔女っ子になれたんだ。感激~~~」
【はいはい】

 何所か呆れてる感が見られる。しかし感動の余韻に浸っているなのはには至極どうでも良い事だったりするのだが。
 そんな時、球体から閃光が発せられた。その閃光はなのはを包み込んでいく。とても温かく、そして心強い光であった。

【今の私に出来るのはここまでです。頑張って依頼を達成して下さいね】
「有り難う。でも、貴方は本当に誰なの? 名前位教えてくれても」
【何時か、また会う機会があれば、その時にお話しますよ。それでは】

 それっきりその声は聞こえなくなってしまった。一体あの声の主は何だったのだろうか?
 今はそれを確認する術がない。それよりも今は。

《始めまして、貴方が私のマスターですね?》
「わ、また別の声だ!」

 今度は別の声が響いてきた。今度は機械的な音声だった。

《時にマスター、魔法の経験はお有りですか?》
「アニメで見た程度だから無い訳じゃないけど、自信はないなぁ」
《つまり未経験者なのですね?》
「え? でもアニメとかで見た経験が―――」
《なのですね!》
「……はい」

 強気に出られてしまいシュンとなってしまうなのは。どうやら話を早く進めたいらしい。
 何事もスピードアップの時代なのだ。

《私もサポートを行います。まずは、貴方の戦う姿を思い浮かべてください。その通りに私が構築致します》
「うん!」

 頷き、なのはは考え出す。腕を組んで必死に悩んでる。知識があると言ってる分そう言う所にはこだわりがあるのだろう。
 だが、こちらとしてはかなり急ぎたいらしい。

《時間がないのでマスターの頭の中から適当に選ばせて貰います》
「えぇ! まだ選んでないのにぃ!」
《時間がないんです!》
「はい……」

 再び怒られてしまい更に凹んでしまう。このデバイスちょっぴり厳しいようだ。
 そして、閃光が更に強くなり、辺りの闇を振り払っていく。その強い光を体に纏っていく感覚をなのはは感じていた。




     ***




 まるで一時停止状態のようであった。
 フェイトの目の前に振り放たれた怪物の拳が、その目の前で微動だにしないのだ。
 後もう数メートル拳を伸ばせば、フェイトに直撃すると言った辺りで、その拳は止まっていたのだ。
 それも、かなり長い時間に感じられる。
 一体どうしたのだろうか?
 疑問に思うフェイトの目の前で、それは突如起こった。
 怪物が苦しみ始めたのだ。
 喉辺りを抑えて苦しみの声を挙げている。まるで熱い物を一気に流し込んだ後のようにも見える。
 そして、その直後であった。天を向いた怪物の口から眩い閃光が放たれたのだ。
 その閃光は天井をぶち抜き、遥か上空まで飛んで行く。
 桜色の光を放つ強い閃光だった。とても強く、大きく、そして熱い。
 その閃光は、やがて天井だけでなく、その周囲も包んでいく。思わず目が眩み、フェイトは目を瞑った。
 それは正しく一瞬の出来事であった。閃光が止み、目を開く。
 
「え?」

 フェイトは声をあげてしまった。何故なら、其処に居たのは本来居る筈のない人物なのだから。

「な、なのは?!」

 そう、其処に居たのは紛れも無くなのはだった。あの後姿を見忘れるはずがない。
 栗色の髪を両端で白いリボンで束ねたあの髪型。だが、その下の衣服は違っていた。
 白を基調としたその服は間違いなくバリアジャケットの類である。
 裾の長いスカートに長袖のジャケット。そして、その手にはバルディッシュとはまた違った形のデバイスが握られていた。
 そのデバイスをなのはは、頭上で振り回し、両手に持ち替えて構える。

「見ててね、アリシアちゃん。今、依頼を果たすから!」

 力強い声と共に、熱い闘志を胸に秘め、今、此処に一人の魔導師が誕生した。
 



     つづく 
 

 
後書き
次回【絆の数字は【4】】お楽しみに 
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