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銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける

作者:azuraiiru
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第四十九話  決戦(その八)



宇宙暦 799年 5月 8日   ガンダルヴァ星系   ヒューベリオン  ヤン・ウェンリー



黒姫は笑みを浮かべている。余裕の溢れた表情だ、勝利は目前だと思っているのだろう。だとするとローエングラム公は……。
『黒姫の頭領、ローエングラム公はどちらかな』
『公はここには居られません』

彼方此方でざわめきが起こった。皆、顔を見合わせている。やはりそうか……、何故気付かなかった。総旗艦ブリュンヒルトを囮に使う等、ローエングラム公らしくないと何故気付かなかった……。序盤で鮮やかにあしらわれた事で不審を抱かなかったのか、或いは負けられないという焦りが判断を鈍らせたのか……。思わず唇を噛み締めた。……自由惑星同盟の敗北、滅亡は確定した、民主共和政も……。

『居ないとは?』
『入れ替わったのですよ、私と。ブリュンヒルトには私が乗っていました。お気の毒ですがローエングラム公はこの戦場には居られません』
今度は呻き声が起きた、物を叩く音もする。納得できないという感情が彼方此方で噴出している。

『卑怯だ!』
司令長官の声では無い、参謀の一人だろう、姿は見えないが黒姫の頭領を非難した。同意する声が聞こえる。リオ・グランデだけでは無い、ヒューべリオンの艦橋でも“卑怯だ”という声が上がった。おそらく同盟軍の艦艇全てで同じ声が上がっているだろう。

『卑怯だ! 恥ずかしくないのか!』
『止さないか』
『ですが、閣下』
ビュコック司令長官が部下を宥めていると笑い声が上がった。黒姫の頭領が心底可笑しそうに笑っている。

『構いませんよ、ビュコック司令長官。どうやらこれは戦争なのだという事も分からずに戦場に出ている人が居るらしい。卑怯? それは一体何です、馬鹿馬鹿しい』
黒姫の頭領がさらに笑う、彼方此方で呻き声が上がった。また何かを叩く音がする、今度はヒューベリオンの艦橋だ。

『軍人が恥じるべき事は三つあります。一つ、部下を無駄に死なせる事。二つ、捕虜、民間人を虐待する事、三つ、上位者が下位者に対して私的暴力を振るう事。入れ替わる事は何ら恥じる事ではありません。これは立派な作戦ですよ』
呻き声がまた上がった。その通りだ、少しも恥じる事ではない。ただ感情が納得していないだけだ。

「提督、後方に敵艦隊、二個艦隊です」
オペレータが震える声で報告してきた。顔が引き攣っている。艦橋の空気が痛いほどに緊張した。ビュコック司令長官も知ったのだろう、顔が強張っている。
『安心していいですよ、彼らには現状維持を命じています。戦闘再開となっても一時間は現状を維持させます。時間稼ぎをしたなどと言われたくありませんからね。まああまり意味は無いかもしれませんが』

頭領が微かに笑みを浮かべた。彼の言う通りだ、あまり意味は無い。一時間で眼前の敵から撤退するのは不可能だ。敗北が確定した、いやローエングラム公が居ない以上、同盟の敗北は既に決まっていた。それに気付かなかっただけだ。一体何のために戦っていたのか……。

『話を戻しましょう、ヤン提督のイゼルローン要塞攻略戦はどうです?』
視線を感じる。ヒューベリオンの艦橋に居る皆が私を見ていた。
『ローゼンリッターに帝国軍人の姿をさせ要塞内に送り込んだ。要塞司令官を押さえる事でイゼルローン要塞を攻略した、立派な騙し討ちですよ。それを奇跡、魔術と言って褒め称えたのは貴方達です。この作戦は私が立案しました。ヤン提督を称賛した貴方達に私を非難する資格が有りますか?』
声が無い。その通りだ、あれは騙し討ち以外の何物でも無い。

『これは戦争なんです、騙す方が悪いんじゃありません、騙される方が悪いんです。海賊でも分かる理屈ですよ、自分を欺くのは止めて頂きたいですね。敗北を直視できない軍人ほど始末の悪いものはありません』
これもその通りだ、騙す方が悪いのではない、騙される方が悪いのだ。オペレータがメモを寄越した。通信をしている艦が判明したようだ。だがローエングラム公が居ない以上、何の意味もない。しかし、ローエングラム公は一体何処に行った?

『この戦いで同盟軍はローエングラム公を戦場で殺そうとした。理由は公を殺せば帝国は指導者を失う、ローエングラム体制は崩壊すると見たからです。一時的に同盟が帝国に占領されても再興は可能だと見た。ゲリラ戦はローエングラム公を戦場に引き摺り出す挑発だった』
また呻き声が起きた。こちらの作戦は完全に読まれていた……。

『だからそれを利用させてもらいました。私がローエングラム公の身代わりとなる事で貴方達の作戦目的そのものを叩き潰したんです。貴方達がこの戦場に現れた時点で自由惑星同盟の敗北が決まりました。同盟軍が勝利する可能性は一パーセントも無い』
一パーセントも無い、その言葉が胸に刺さった。無益に人を死なせてしまった。

『後は貴方達を逃がすことなく降伏させる事だけです。それも目途が立ちました。これ以上無益な死傷者を出す必要は無いでしょう、降伏を勧告します』
『……』
司令長官は俯いている。

『先程到着した二個艦隊の司令官はビッテンフェルト提督とファーレンハイト提督です。どちらも破壊力が強く短期決戦が得意な猛将ですよ。第一艦隊、第十三艦隊の後方を叩かせれば瞬時に勝敗は付く……』
誰かが溜息を吐く音が聞こえた。瞬時に勝敗は付く、いやもう付いている。一時間では艦隊は逃げ出せない。目の前の艦隊が逃がしてはくれない……。そしてこれから先、帝国軍の艦隊は増える一方だ。

『……一つ教えて欲しい。ローエングラム公は今何処に?』
ビュコック司令長官が沈痛な表情で問い掛けた。そう、私も知りたい。ローエングラム公は今何処に……、私ならローエングラム公をあそこに送る……。黒姫の頭領は如何した……。

『……ローエングラム公はハイネセンに向かっています、同盟政府を降伏させるために……』
彼方此方で呻き声が起きた。やはりそうか、我々を誘き寄せる一方でローエングラム公をハイネセンに送った……。負けた、全てにおいて負けた……。私の立てた作戦は無意味に人を死なせるだけに終わった……。

『なるほど……。ではこれは本当だと言う訳か……』
呟く様な声だ、皆が司令長官に視線を向けた。
『降伏する。たった今、同盟政府から降伏せよとの命令が届いた』
『司令長官!』
『政府からの命令だ、それにこれ以上の戦闘は意味が無い……』
彼方此方から啜り泣く声が聞こえた……。



帝国暦 490年  5月  9日   ガンダルヴァ星系   ウルヴァシー   コンラート・フォン・モーデル



戦闘は終結した。帝国軍はウルヴァシーの基地に戻ってきた。ローエングラム公の艦隊とキルヒアイス提督の艦隊、ルッツ、ワーレン提督、それからシュタインメッツ、ビッテンフェルト、ファーレンハイト提督の艦隊。他の艦隊はまだ戻ってきていないけど戦闘が終結したことは報せたからもう直ぐウルヴァシーの基地に戻って来るはずだ。

降伏した反乱軍の艦隊は推進剤やミサイル等を全部廃棄させられた。その上で帝国軍の艦艇に曳航されてここまで来た。将兵は皆地上基地に収容されている。戦闘で疲れているから一旦休息を入れてから輸送船でハイネセンに行く事になっている。当然だけど帝国軍の艦隊が護衛兼監視で付いて行く。

戦争は終わったけど結構忙しい。補給はしなくちゃいけないし損傷した艦の修理の手配、負傷者の手当て等後始末が大変だ。それと戦死者の確認、反乱軍の捕虜の確認、戦闘の報告書も書かなければならない。皆手分けして作業をしている。

ウルヴァシーの戦いで反乱軍を降伏させたのはローエングラム公っていう事になった。うーん、頭領も降伏勧告してたしシュタインメッツ提督、ビッテンフェルト提督、ファーレンハイト提督も戦場に居たんだけど反乱軍は政府からの命令で降伏したって事になったみたいだ。

戦闘が終了した後、頭領はローエングラム公に通信を入れて反乱軍が降伏した事を報告した。ローエングラム公は上機嫌だったけどブリュンヒルトが撃沈したと聞いた時には顔が引き攣ってた。

“最後の戦い、ブリュンヒルトは総旗艦に相応しい武勲を挙げたと思います。あの艦が撃破された事で同盟軍は攻撃目標を失いました。あれで同盟軍の士気は目に見えて落ちました”

ローエングラム公は頭領の報告に“そうか”って言ってたけど声が震えてた。よっぽどショックだったんだ。もっとも頭領は全然気にしていなかった。“大丈夫ですか”って訊いても“何がです?”って訊き返してきた。でもニコニコしてたからワザとだと思う。頭領ってちょっと意地悪な所が有るよ。

頭領は今、ビッテンフェルト提督と一緒に反乱軍のヤン提督と話をしている。本当はヤン提督と二人だけで会いたかったらしいけど、それだと変に誤解する人がいるからね、本当はメルカッツ参謀長が立ち会うはずなんだけど参謀長は仕事が忙しいからビッテンフェルト提督に頼んだみたいだ。

頭領の方からヤン提督に話をしたいと申し込んだみたいだけどどんな話をしているのか、凄い気になる。後で訊いてみよう、教えてもらえれば嬉しいけど……。ヤン提督を見たけど高名な軍人には見えなかった。穏やかな感じでちょっと頭領に似ていた、話が弾めばいいな……。



帝国暦 490年   5月  9日   ガンダルヴァ星系   ウルヴァシー   フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト



「如何ですか、その紅茶は。帝国産の物ですが……」
「美味しいと思います」
「そうですか、それは良かった」
黒姫の頭領とヤン・ウェンリーが話している。ヤン・ウェンリーはどうやら紅茶が好きらしい。黒姫の頭領はその事を知っていて紅茶を用意したようだ。

ヤン・ウェンリーがティーカップを顔に近づけた。眼を閉じている。香りを嗅いでいるのか。それを見て頭領が微かに苦笑を浮かべた。
「申し訳ない事をしました。香りを十分に楽しめませんね」
「いえ、そんな事は」
「遠慮なさらなくても結構ですよ」

なるほど、頭領がココアを、俺がコーヒーを飲んでいる。そのためどうしても紅茶の香りが消されてしまうのだろう。頭領がクスクスと笑っている。ヤン・ウェンリーは困惑の表情だ。妙なものだ、この二人はほんの少し前までは殺し合いをしていたはずだがそうは思えないほど穏やかな空気が流れている。

外見のせいかもしれない、黒姫の頭領は華奢で穏やかな青年にしか見えないしヤン・ウェンリーは軍人と言うより芽の出ない若手の学者の様な容貌と雰囲気を醸し出している。二人とも高名な海賊と軍人には見えない……。俺を含めて三人、正三角形が出来るような位置に座っているが俺だけが場違いのように思える。

「頭領、私に話が有るとのことですが……」
「話では無くお願いが有るのです」
「……お願いですか」
「ええ」

二人がじっと見詰め合っている。俺もコーヒーカップをテーブルに置いた。気付かれないようにそっと息を吐く。ここから先は間違いは許されない。頭領とヤン・ウェンリーの会談、帝国軍の中には二人の接触、接近を危険視する人間も居るはずだ。

当初頭領は二人だけの会談を望んだが皆が反対した。いや、会談その物も出来る事ならすべきではないと忠告した。しかし頭領はそれでも会談を望んだ。已むを得ず立会人を入れる事での会談になった。メルカッツ閣下、ミュラーでは頭領に近過ぎる。

ルッツ提督、ワーレンも共に戦っただけに情が移るだろう。公平な立場となると俺かファーレンハイト提督しかいない。そしてじゃんけんで負けた俺が立ち会う事になった。この二人の会談に興味が無いとは言わない。しかし立会人とはついているのかいないのか、何とも判断しかねるところだ。ロイエンタールが居れば奴に押し付けるのだが……。まあ黙って話を聞くしかない。

「ハイネセンに戻れば解放されると思いますが、その後はどうされますか?」
「……さあ、今は何とも……」
「未だ決めてはいない……」
「ええ」
敗戦の直後だ。反乱軍、いや自由惑星同盟は消滅する。先の事は分からんだろう。頭領がゆっくりと頷いた。

「自由惑星同盟は無くなりますが民主共和政は存続出来る事になりました」
ヤン・ウェンリーが目を見張っている。驚いているのだろう、俺も吃驚だ。民主共和政は存続?
「それは、自治領という事でしょうか?」
「少し違うようです。或る星系においてどのような統治形態を採ろうと自由という事のようです。ヤン提督の気に入れば良いのですが……」
「……」

「民主共和政の存続も決まった事ですしヤン提督は帝国軍に加わるというのは如何です? ローエングラム公も喜ぶと思いますし貴方の為にもその方が良いと思うのです」
「……」
声が出そうになって慌てて堪えた。また吃驚だ、本気か? 二人を見たが二人とも落ち着いた表情をしている。驚いているのは俺だけか、頭領はともかくヤン・ウェンリーも外見からは想像できぬ図太さを持っている。

「気が進みませんか?」
「ええ、私は宮仕えは向いていないようです。出来れば御放念いただければ幸いです」
頭領が一口ココアを飲んだ。ヤン・ウェンリーも紅茶を飲んだ。

「年金生活ですか、まあ帝国は統一後は旧同盟市民に対してもその辺りは保障しますから生活には不自由する事は無いと思いますが……」
「それは大変助かります、有難いですね」
頭領がヤン・ウェンリーに視線を向けた。軽く笑みを浮かべている。

「一つ約束をして欲しいのです」
「約束と言うと?」
「この宇宙から戦争が無くなろうとしています」
「……そうですね」
「混乱を引き起こす様な事は止めていただきたいのです」

静かな声だったが俺の耳には雷の様に響いた。ヤン・ウェンリーは混乱を引き起こそうとしているのか? 彼を見たが無表情に頭領を見ている。
「頭領の忠告を無視した事をお怒りですか」
「忠告?」

思わず口を出していた。頭領とヤン・ウェンリーが俺を見た。そして直ぐに視線を外した。頭領もヤン・ウェンリーもそのままあらぬ方を見ている。話の邪魔をした、バツが悪かった、だが口に出してしまった以上戻れない。この二人には俺達の知らない何かが有る。反乱軍の軍人と海賊の実力者。一体この二人に何が有った? 知らぬままにしておいて良いのか? 危険だ、確認すべきだ。

「忠告とは何のことです、頭領、ヤン提督」
「……」
二人とも答えようとしない。いや、俺の言葉が聞こえていたのだろうか? まるで表情に変化が無い。
「お答えいただきたい!」

ヤン・ウェンリーが俺を見た。そして頭領に視線を向けた。だが頭領は視線を合わせようとしない。ヤン・ウェンリーが一つ息を吐いて俺を見た。
「帝国軍が侵攻する前の事です。フェザーンの独立商人を通して頭領からの忠告を受け取りました」
「……」

またヤン・ウェンリーが頭領に視線を向けた。
「そろそろ戦争を終わらせる時が来た、民主共和制に囚われて詰まらない事はしないでくれ。それから戦争をしないで済む時代がようやく来る、邪魔をするのは許さない……」
「そ、それは……」
「にも拘わらず私はゲリラ作戦を提案し帝国軍との決戦を目論んだ……、ローエングラム公を戦場で斃す為に」

頭領を見た。視線を感じたのか、ゆっくりと頭領が俺を見た。感情の見えない顔、だが視線は強い。まるで押さえ込むような視線だ。そしてその視線から目を逸らそうとしても逸らすことが出来ない。喉が干上がる、気圧される様な圧迫感、喉元を締め上げられるような感じがした。頭領がヤン・ウェンリーに視線を向けた。ようやく息を吐く事が出来た。コーヒーを一口飲む、温くなったコーヒーが喉の渇きを止めてくれた。

信じられなかった、この二人はずっと前から戦っていたのだ。たった二人で戦っていた。頭領がこの遠征に参加した理由も分かった。負けそうになったら出るというのは嘘だ。頭領は帝国軍がヤン・ウェンリーの前に敗れると見たのだ。だからヤン・ウェンリーを封じるために参加した。実際、頭領の参加無しでは帝国軍が反乱軍に勝つのは難しかっただろう。

化け物、ミュラーから頭領がヤン・ウェンリーを化け物と評していると聞いた。否定はしない、確かに化け物だろう。ならば頭領はどうなのだろう、どう評すればいいのだろう……。人外の二人が話をしている、そこに立ち会っている。何故立ち会ったのか、今更ながら後悔した。

「怒ってはいませんよ。ヤン提督の立場では戦わざるを得なかった。お給料を払ってくれる人にはその期待に応えないといけない、そうでしょう、ヤン提督。まあ給料分以上に働いている様な気もしますが……」
「……」
幾分皮肉が交じっているだろう、ヤン・ウェンリーは無言だ。

「今後は帝国政府が貴方に年金を払います、であれば帝国政府が困る様な事はしませんよね」
「……」
「……」
ヤン・ウェンリーは答えない、頭領も答えを求めようとしない。お互いをじっと見ている。ヤン・ウェンリーは反帝国活動を考えているのか……。

「軍が解体されれば私は無力な一市民でしかありません。頭領が何故私を危険視するのか、良く分かりませんね」
ゆっくりとした口調だ、視線は頭領から外さない。
「私はビュコック司令長官を恐ろしいとは思いません。だが貴方は恐ろしいと思います。例え指揮する兵を持たなくてもです。貴方には何をしでかすか分からない怖さが有る。だから大人しくしてくれと頼んでいます」
頭領も同じようにゆっくりとした口調で答えた。頭領も視線を外そうとしない。

部屋の空気が重い。怒号も罵倒も問い詰める声も無い、だがこの二人は間違いなく戦っている。頭領はヤン・ウェンリーに帝国への恭順を求めヤン・ウェンリーは言質を取らせない。頭領がヤン・ウェンリーに帝国への仕官を勧めたのも反帝国活動を防ぐためだろう。ようやく俺にも分かった。この二人にとって戦争はまだ終わっていないのだ。

頭領がフッと笑った。部屋の空気がジワリと緩む。
「まあ、私が何を言っても最後に決めるのは貴方です。貴方が賢明な判断をする事に期待しましょう。もっとも何が賢明な判断なのかは個人の価値観によって違うのかもしれませんが……」
「……」

ヤン・ウェンリーは表情を見せない、相変わらず無表情のままだ。
「一つ教えて貰えますか、ヤン提督」
「……」
「貴方は人の命以上に大切なものが有ると思いますか、それとも命以上に大切なもの等存在しないと思いますか……。自由惑星同盟は人命より民主共和政の護持と打倒帝国を重んじたようですが、貴方はどうです?」

ヤン・ウェンリーの表情が変わった。強い眼で頭領を睨んでいる。どうやら痛い所を突かれたらしい。頭領は微かに笑みを浮かべている。
「次に戦争が起きれば貴方の養子、ユリアン・ミンツも戦場に出る事になるでしょうね。彼を失った時、貴方はどう思うのかな。已むを得ない犠牲と割り切れるのか……」
「……」

ますますヤン・ウェンリーの表情が硬くなった。僅かだが身体が震えている。そして頭領は更に余裕の笑みを見せた。
「怒る事は無いでしょう、私は未来を予測しただけです。実際にどうなるかはヤン提督、貴方が選択する事だ。ただその時に自分の選択が何をもたらすのか、そこから眼を背けないで欲しいですね。……ビッテンフェルト提督、そろそろ失礼しましょうか」



部屋を出て廊下を歩く、前を歩く頭領に問いかけた。
「頭領、ヤン・ウェンリーは反帝国活動をするとお考えか?」
「民主共和政の存続は許されました。それがどのようなものかを確認してからでしょう。多分受け入れられると思いますが……」
振り向く事無く歩き続ける。

「では、何故あんな事を?」
「念の為の警告、そんなところです。本当はローエングラム公に仕えてくれるのが一番良い。妙な連中に利用される事も無く誰にとっても一番安全なのです、そうでしょう?」
なるほど、地球教、いやそれだけでは無いな、自由惑星同盟の復活を望むものか……。頭領が足を止め振り向いた。俺も足を止めた。頭領が俺をじっと見ている。

「降伏などさせず戦場で殺してしまった方が良かったかもしれない。ビッテンフェルト提督に彼の後背を撃たせる。その方が後々悩む必要がなかった。このままでいくとヤン・ウェンリーは不安定要因になりかねない」
「それは……」

俺が絶句すると頭領は苦笑を浮かべた。
「困った事に私は彼が嫌いじゃないんです。出来れば殺したくないと思った、だから降伏を勧告した……。でも好き嫌いで見過ごす事が出来る問題でもない、厄介な人ですよ」
改めて思った、頭領にとって戦いはまだ終わっていない。ヤン・ウェンリーにとっても同様だろう。暗闘、そう思った。

頭領が身を翻して歩き始めた。足が動かなかった、黙って立ち去る姿を見ている事しか俺には出来なかった……。

 
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