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老人の一時

作者:河童
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油断

「しつっこい!!」

 一喝して太刀を大きく振り、少し怯んで隙が出来た所を更に立て続けに攻め立てて行く。 アオアシラは既に身体中至る所を斬り付けられ、酷く衰弱している。 連撃に耐えかね、痛みに耐えながら彼女に背を向けて走りだす。 どうやら逃走して体勢の立て直しを図るつもりらしい。

「こっの!」

 逃げ出したことに少し拍子抜けしてしまったが、すぐ我に返りポーチの中からペイントボールを取り出し投げつける。 ゆるく弧を描いて着弾した箇所から強烈な臭いと目立つピンク色の液体がアオアシラの毛皮に付着した。 姿が見えなくなって、呼吸を整えてじっくりと臭いをたどってみる。 大まかな距離と方角は認識できるので成功と判断すると、砥石を使って刃を研ぎながらポツリと呟いた。

「師匠。 どこ行っちゃったんだろ?」

 そう。 先程から師である老人の姿が見えないのだ。 アオアシラと戦っている最中、何時でも助けれるように何処からか見守ってくれていると思っていたが、いつの間にか居なくなっていた。 ペイントボールの臭いは強烈なので、遠くにも届く為気付いたとは思うが、完全に援護無しというのは今まで優勢だった相手でも少し竦んでしまう。 師が保険として立っている、というのが一種の心の支えだったので、仕方のないことだろう。
 やがて刃も綺麗に研ぎ上がり、携帯食料を口に含みながらしばらく周囲を探ってみても師は現れなかった。 これ以上待つと休息されて今までの戦いが水泡に帰す恐れがあるので、胸に一抹の不安を抱えながらペイントの臭いの方へ歩を進める。
 背後から眺める存在にも気付かずに。





「ハァ!」

 アオアシラが寝床として使っているのであろう、地図上ではエリア2と表記されている崖の上まで追い詰め、今再び対峙していた。 師である老人がいない事の不安は狩りの熱気で覆い隠され、いま少女のテンションは最高潮に達しており、今までで一番キレの良い動きでアオアシラを翻弄していた。
 自らの気によって黄色く輝いている太刀でアオアシラの肩口を斬り付ける。 そこからさらに連撃を仕掛け、その内の一太刀がアオアシラの顔面を縦に切り裂いた。

「グオオゥゥ!?」

 さすがのモンスターも己が顔面を傷つけられると堪えるらしく、大きく仰け反って顔を守るように両手を上げる。 勿論、それによって隙だらけになった腹部を見逃す手は無い。 袈裟から逆袈裟、刃を返して切り上げ、大上段から振り下ろす。 そこから回転しつつ、太刀を腰溜めに構えて一気に薙ぎ払う。 今までの戦いでによって毛皮はボロボロであり、研ぎ澄まされた刃はアオアシラの肉を易々と切り裂き、更には骨すらも両断する。 血が傷口から噴水のように吹き出し、刃は内臓まで達したのか、アオアシラは濁流のように吐血する。 
 黄色く輝いていた刃は噴出した血が溶け込んで赤い、紅い気で覆われ、今までの比にならない程の気を纏い込んだ。 戦い続けて気が研ぎ澄まされ、それによって武器にまで影響を及ぼした状態。 太刀の切れ味が大きく跳ね上がる。 まさしく、死神の持つ相手の命を刈り取る刃。

「ハッ! ハァ。 よし。 よし! もうすぐ、もうすぐで……ハァ、勝てる……!」

 息は荒く、紅い気を宿した太刀を構える両手は震え、少女の体力の限界を示していた。 いくら師の訓練志向によってスタミナが鍛えられていても、所詮それは新人(ルーキー)の範疇内での話。 初のソロ狩猟。 経験の無い狩りは、本人が想像しているよりも遙かに重い精神的負担となり、それが肉体にも表れている。
 だが、相手のアオアシラはもっとひどい。 今の今まで戦い、身体中至る所は切り裂かれ、出血している。 そこにダメ押しとばかりに叩き込んだ気刃斬り。 アオアシラの命はまさしく風前の灯だった。

「グオオオオォォォォォォ!!」

 それでも、負けられないと咆哮し傷ついた体を奮起させて走りだすアオアシラ。 力強く地を蹴り、剛腕を振るって彼女の華奢な身体を叩き潰さんと振り上げる。
 少女もまた、そんなアオアシラを正面から迎え討とうと、膝を曲げて腰を落とし、太刀は腰溜めに構える。 身体の力は弛緩させ、あくまでゆったりと構えて相手を見据え、待ち受ける。
 迫り来る『死』。 使い手が振り上げた『死』は世界の重力に更に腕力が加味され、より濃厚となって迫り来る。 まだ早い。 まだ早い。 まだマダまだマダ。 心の中で自分自信に言い聞かせ続ける。 フッと、頭に浮かぶのは一秒後のビジョン。 脳天から叩き潰され、陥没し、頭部分は見るも無残になるイメージがありありと浮かぶ。 剛腕が迫る。 位置は? 太刀の間合い。

 抜刀。

 弛緩させていた体中の筋肉を一気にフル稼働。 脱力状態から一瞬で身体に力を込め、バネの様な瞬発力を持って太刀を振り上げる。 
 脚の踏み込み、太ももの筋肉を経由して腰の回転を上乗せ、腹筋を経由させて肩、腕、手首の動きを全て最適な状態で太刀に込め、今までの比にならない圧倒的な斬撃を叩き出す。 
 踏み込み、腰の回転、腕の振り、全てを完璧のタイミングで組み合わせ、最短距離で最速の斬撃を打ち込む抜刀術。 本来は対人戦として作成された技らしいのだが、少女は独学でこの技を覚え、そしてモンスター用の武器でモンスターに対抗できる技とまで昇華させていた。 
 振り込まれた一閃はアオアシラの剛腕とぶつかり合い、頑丈な筈の甲殻を易々と切り裂いて更に直進する。 少女を叩き潰さんとした腕は斬り飛び、刃は無慈悲にアオアシラの首を切り裂いた。 
 ギリギリで生命活動を維持していたアオアシラにこれほどの重傷を耐える力などある筈もなかった。 噴き出した血で地面を濡らし、その上に力の抜けた身体が横たわる。
 生きるためにと奮闘していた一つの命が、今消えた。

「勝った。 ……勝ったァァァァァァ!!」

 刃を振り抜き、アオアシラが倒れた後もしばらく構えていた少女だったが、動かないと確認すると喉よ枯れろと言わんばかりに絶叫した。
 太刀を手から投げ出し、身体を大の字にして寝転がる。 肉体は限界値を突破し、もはや歩くことも億劫になっているが、心は満たされていた。 勿論、精神的な疲労も感じたことが無いほど尋常では無いものだが、心地よい疲労感とでも言うべきか、納得できる結果に大きく満足し、喜びを全身で表現していた。

 だが、一つ忘れてはならないことがある。 ここは弱肉強食の世界。 己が身で自然を生き抜いてきたモンスター達が闊歩する危険地帯なのである。
 狩り場に指定されている土地で、武器を手放し、横になって今にも疲労感に任せて睡魔に身を委ねようとしている少女。
 そんな絶好の獲物を……、彼らが見逃すはずは勿論無い。

「ギャア!」
「へっ?」
 
 突如聞こえてきた生物の鳴き声に対して間抜けな声が口から洩れる。 瞬間、太陽の眩しさに目を細めていたのに、急に影が差して少し眩暈がする。 その眩暈の中かろうじて見えるのは……ジャギィが大きく顎を開いて噛みつこうとしている、死ぬ一瞬前。

「キャアァァ!?」

 瞬時に転がってその場を離脱する。 顎が閉じられ、首を噛み裂かれそうだったのをギリギリで回避した。 耳が掠っただけで済んだのはほとんど偶然に近い。 慌てて太刀を引っ掴み目の前の相手と対峙する。
 鳥竜種、ジャギィ。
ここ渓流で頻繁に見られる種で、大きな群れさえ作らなければさして脅威にはならないモンスターである。 そう、群れでさえ無ければ……。

「ウ~~。 アウッ。 アウッ」
 
 間延びした遠吠えを数度繰り返すと、周囲から何処に居たんだと叫びたくなるような数のジャギィが出現した。 奥の道から、背後の山道から、崖下から、端の洞穴の中から。
 そうしてその奥から一際大きな個体がその姿を見せた。 小さく華奢な姿をしたジャギィとは似ても似つかず、遙かにがっしりとした力強い姿をさらして堂々と群れを率いている群れのリーダー。
 狗竜、ドスジャギィ。 同族の中のリーダー争いに勝ち抜き、純粋な実力のみで群れのリーダーにのし上がった群れの最強の個体。

「あ、ハハ……。 さすがに……まずいよね?」

 確認するように呟くが、この場に言葉によって肯定してくれる存在はいない。 居るのは行動によってそれを実感させてくれようと今か今かとリーダーの指示を待っている鳥竜のみ。
 彼らのように群れを作って日々を生き抜いている鳥竜種は総じて狡猾であるというのが良く知られている。 彼らは今まで彼女とアオアシラの決着がつくのを影で観察していたのだ。 決着がついた後ならば、残った方も疲弊し、危険が少なく狩れると思っていたのだろう。
 
 そしてその予想は見事に的中していた。 

 アオアシラと戦って勝利したとはいえ、少女もまた満身創痍。 体を支える足腰はスタミナ不足で仔ケルビのように震え、太刀を握る両手は違う意味で意思とは関係なく小刻みに震えている。
 アウッ。 と一鳴き。 ジャギィのそれと比べると低く、ずっしりとした鳴き声は群れ全体の耳に届き、その声の意味を理解した彼らは少女に向かって駆け出した。
 一匹は体勢を崩すために体当たりを、 一匹は爪で脚を引き裂き、狩りの成功をより確かにするために、一匹は鋭い歯が並んだ口を開き、喉笛を噛み千切らんと肉薄する。
 恐怖によって反応が大きく遅れてしまった。 少女は現状を何とかしようと太刀を振るうが、アオアシラを斬り裂いた太刀筋は何処へやら。 不完全な体勢で振るった太刀はジャギィの歯によって止められ、横から体当たりによって吹き飛ばされる。 幸運は吹き飛ばされたことによって爪が当たらなかったことぐらい。 だが所詮一瞬の出来事。 目を向けてみれば今度こそと口を開き、喉に噛みつこうとしているジャギィがいた。
 
 ―――あ~あ、ここで終わりか~。 そう言えば師匠。 どこ行っちゃったんだろ? 私が死んだらあの人、悲しんだりしてくれるかな?―――

 非常に時間がゆっくりと流れている気がする。 喉元にゆっくりと牙が迫る。 まるで時がゆっくりになり、自分の思考だけがいつもの速度で活動出来ているみたいだ。 本当は思考が高速回転しているのかもしれないが、そんなことはどうでも良い。
 もうちょっと世界を知ってみたかった。 番台さんが温泉が新しくなったと言っていた。 ドリンク屋さんはもうすぐ新作が出来るから味見をと言っていた。 村長にどうやったらあんなサラサラな髪になるのか聞いとけばよかった。 そう言えばまだお昼ご飯食べてない。
 いろんな思考が浮かんでは消え、また浮かび上がる。 ああ、死ぬ間際ってこうなるんだ。 と少女が理解しかけたその時。

 至近距離から肉の潰れるような、引き千切れるような、そんな普通なら耳を塞ぎたくなる音が聞こえた気がした。
 思考をやめて、目の前に意識を向けてみると、下顎の吹き飛んだジャギィが倒れて行くのが見えた。 突拍子もない事を見たせいで混乱したが、さらに立て続けに似たような音が響き、周囲のジャギィが倒れて行く。
 視線を横に向ける。 ジャギィの囲みの外側に、あの人がいた。 煙草を吸いながら重弩を構え、いつもと変わらない顔で、師匠が居た。 ……来てくれた。  
 

 
後書き
抜刀術、居合ってロマンがありますよね。 
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