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アンドレア=シェニエ

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第三幕その七


第三幕その七

 ジェラールにとってそれもまた旧時代の忌まわしい悪習であった。彼はそれを何としてもなくしたかった。だが革命はそれを許さなかった。
「革命の敵はその悪事と死をより多くの者に晒すべきだ」
 こうした考えがあった。そしてそれは実行された。ジャコバンの下では特にそうだった。
「何も変わってはいない。いや」
 彼は俯いたまま言葉を続けた。
「さらに酷い。偽善の仮面がこれ程醜悪なものだったとは」
 革命の名の下に多くの血が流れている。だがそれ等は全て革命の下に許される。どれだけの血が流れようとも。
 その血は王政の頃とは比較にならない。トリコロールの色は決して自由と平等、そして博愛を表しているわけではないのだ。少なくとも現実は。
「同志達よ、少し落ち着いてくれ!」
 見ればマテューがいる。そして市民達を宥めている。
「じゃあ早くはじめてくれ!」
「そうだ、早く見たいんだよ、革命の敵を!」
「今日は大物が来るそうじゃないか!」
 シェニエのことであるのは言うまでもない。彼は今日このパリに着いたばかりである。そしてすぐに裁判にかけられるのだ。
 物売り達の声もする。席はすぐに満席となった。
 やがて陪審員達が来た。だが彼等はあくまで飾りである。見れば皆サン=キュロットを着ている。しかも顎鬚を生やしている。
 そして裁判官達が来た。判決も既に決まっている。結局市民達は死刑の判決が見たいのだ。彼等のことはどうでもよかったのだ。
 その証拠と言うべき金髪碧眼の長身の男が颯爽と入って来た。検事であるフーキエ=タンヴィルだ。やはり彼もサン=キュロットだ。青に白に赤。それが一際映えて見える。
「タンヴィル!」
 市民達が彼に歓声を送る。
「今日も頼むぞ!」
「あんたのその見事な告発は何時見ても胸がスッとするよ!」
「今日も革命の敵をギロチンに送ってくれ!」
 そうなのだ。この裁判の主役はあくまで検事であるこのタンヴィルなのだ。他の者は脇役に過ぎない。それが革命裁判の実態であった。
「あの男を御覧なさい」
 今日は弁護人になっているジェラールはタンヴィルを指差してマッダレーナに言った。
「彼の言葉で全てが決まるのです」
 マッダレーナはその言葉を聞いて顔を青くさせた。
「しかし私も貴女と誇りに誓いました」
 強い声で言う。
「必ずやあの人を救ってさしあげます」
「お願いします」
 マッダレーナはそう言うしかなかった。喉をゴクリ、と鳴らした。
 次々と『革命の敵』達がタンヴィルにより一方的に死を言い渡される。
 かっての宮廷財務官、僧院長、王族。彼等は死刑の判決を聞くとうなだれてその場から消え去る。
「殺せ!殺せ!」
「革命に逆らう奴は皆ギロチン送りだ!」
 市民達の声が響く。それはまるで冥界の太鼓の様であった。
 遂にシェニエの番となった。彼は昂然と裁判所に入って来た。
「いよいよか」
 ジェラールは彼の姿を認めて呟いた。マッダレーナの顔が固まった。
 シェニエは憲兵達の立ち並ぶ中を進んで行く。兵士達の険しい顔に臆することなく胸を張っている。
 そして被告人の場所に来た。裁判官達と対峙する。
「アンドレア=シェニエ」
 タンヴィルが彼の名を呼ぶ。
「詩人」
「はい」
 シェニエはその言葉に頷いた。
「革命に反することを書き、我々を誹謗中傷した」
 タンヴィルは告発を開始した。
「ジロンドの者達とも親交があった。間違いはないな」
「ジロンド派とは確かに親交があった」
 シェニエはそれを認めた。
「だがそれが悪いとは思っていない」
「何!?」
 タンヴィルはそれを聞き眉を顰めさせた。
「私はそれが正しいと今でも確信している」
「それは間違いだ」
 タンヴィルはそれに対して反論した。
「ジロンド派は革命の敵だ」
「違う」
 シェニエはそれに対して反論した。
「彼等は彼等の正義の下に行動しているだけだ」
「ジロンド派は正義なぞ信じてはいない」
 タンヴィルは剣呑な声で言った。
「彼等がやろうとしているのは革命を潰すことだ。そして君が行っていることもそれだ」
「それは違う」
 シェニエは怯むところがなかった。
「私も彼等も革命に剣を向けてはいない」
「いや、向けている」
 これはタンヴィル達だけでなく裁判官達も言った。
「君のそのペンと口が我々への剣だ。君は剣を持った革命の敵だ」
「ペンと口がですか」
 シェニエはうっすらと笑った。
「確かに。私はそれを武器にする一人の兵士です」
「兵士などではない」
 タンヴィルはそこに突っ込んだ。
「君は刺客だ」
「お聞きなさい」
 だがシェニエはそこでタンヴィルを見据えた。あえて睨まなかった。
「貴方に理性があるのなら」
「うっ・・・・・・」
 さしものタンヴィルもその告発を止めざるを得なかった。彼は甚だ不本意ながら黙ることにした。
「あのタンヴィルが黙ったぞ」
「あの詩人、只者ではない」
 市民達はそれを見て囁き合った。マッダレーナはまだ顔を青くさせている。一言も話すことはできない。
 ジェラールは腕を組み沈黙を守っている。しかしその目はシェニエから離れない。
「私は兵士です。銃と剣ではなくペンと口で戦う兵士です。この二つの武器は世の邪悪なることに向けられます」
 彼は言葉を続けた。
「私は祖国のことを歌いました。愛するこのフランスのことを。そしてその崇高なる理念を」
「理念か」
 ジェラールはそれを聞いて呟いた。
 
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