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ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~

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GGO編
  episode1 風を受けて


 最深部の激戦を終えた頃には、ダンジョンへ入った時間からは既に四時間が経過していた。

 しかし機械兵やクモの群れとの散発的な戦闘が数回、そして最深部の『ブリンク・ザ・クラウン』との戦闘が一時間近く長引いたことを考えると、それでもかなりのハイペースの狩りだったと言えるだろう。ちらりと見やると、最初は空きばかりだったミオンのバックパックが、今ではみっちりと詰まっているのが見える。

 (……)

 だが、シノンの顔はうかなかった。

 正直、自分と他のメンバー……特にツカサやラッシーとの差が、ありありと示されたからだ。
 特にラッシーなどには、勝算どころかどう戦えばいいかすらわからない。

 そんなふうに考えて、一人で唇を噛んでいると、

 「お話してあげようか?」

 横から唐突に声をかけられた。目線だけを向けると、垂らした前髪の下の黒眼鏡の笑み……ツカサだった。無言を貫いたまま歩いていたシノンだったから、今回も拒否の意志を示して砂色のマフラーに顔をうずめる。

 だが、心中では少しだけ、悔しかった。

 (……顔に、でていたのかな……)

 まさに、もっと情報がほしいと思っていたから。
 まるで、見通されたようで。

 シノンは、間近に迫った『第二回BoB大会』に参加する予定だ。そこで優勝する……強い奴を皆殺しにして、自分が最も強い人間になる。それは、賞金や賞品、名声などの俗物的なものではなく、シノン……詩乃という人間が生きていく為に、どうしても必要なことなのだ。

 それなのに、弱気になってしまっていた。

 (私は、こんな化け物達に勝てるの……?)

 その内心を読み切ったかのように、ツカサが雑談し始める。
 黒丸眼鏡の奥の瞳を笑わせて、口元では口角が幽かに上がるのが見える。

 「ねえねえラッシー、ラッシーの《索敵》ってさ、何キロ先まで見通せるの?」
 「は? ……ああ……」

 彼が話しかけた相手は、D-ラッシーだ。彼もそれだけで悟った様で、ヘルメットについた漆黒のバイザーの下の唇をへの字に歪める。横でミオンがやれやれと首を振って目配せ。それに頷いたグリドースが、ラッシーに変わって進む先の索敵を行い始めた。こちらは双眼鏡を使って、だが。

 「あのなぁ……俺は次回のBoBには出ないって言ったろ……俺のこと知ったってな、」
 「いいからいいから。で、どのくらい?」
 「はぁ……裸眼で平地なら範囲的には二キロ、双眼鏡を使えばもっといけるな。完全に隠蔽(ブッシュ)した奴が分かるのは…まぁ、四、五百ってトコか。……狙撃銃を構えての隠蔽は、直線距離一キロくらいだな。狙撃的にはギリギリか?」
 「ふむふむ……」

 呆れたように話すラッシーに、ツカサが頷く。
 その様子をシノンは、顔は向けずに……しかし全力で耳を立てて脳に刻み込む。

 成程、彼は……いや、《索敵》スキルを究めたら、そこまで先が見えるのか。確かにヘカートの射程は桁外れに長いが、それでも一キロ、それも相手の警戒の隙を突いてとなると今のシノンの腕ではかなり命中率は落ちる。それを一撃で決めることが出来なければ、勝ち目はないということか。

 「……更に言えば、AGI一極型相手にはやっぱ狙撃は相当きついんじゃないか? 分かってる奴は分かってると思うが、AGI一極型は「走っている時が一番安全」だ。弾速が音速を超えるヘカー……狙撃銃でも、キロ単位で離れればコンマ数秒は着弾が遅れるから、そんな奴を狙撃するのは至難の業。そしてもし俺がBoBにソロで出るなら、一秒たりとも停止はしねーだろうな」
 「ふむふむ、と言うことは、狙うならオレと合流した時、というわけだね?」
 「ま、万一止まっても相当に《索敵》に集中するぞ。一キロ半くらいまでは見逃す気はねーし。……今だって、お前と喋ってたって、グリドースよりは索敵出来る。…そこを超える狙撃が出来て、初めて一人前……ってか、ソロの狙撃手って感じだな」
 「キビシイね? 全く、キミは何処からコンバートしてきたんだい、ホントに」

 なおも二人の話す情報を、一言も漏らすまいとシノンは耳を澄ます。

 とんでもない話を平然とする彼らだが、彼らと同じフィールドに立つにはそれだけの技量が必要だということを、改めて思い知る。このGGOで、スナイパーというFPSの花形兵種が不人気なのは、それだけの技量を得ることの困難さ故なのだ。

 しかし。

 (なら、私が最初に()()なってやる……)

 それはシノンにとっては諦める理由では無く、奮い立つ動機だった。決意を胸に、肩に背負った狙撃銃の銃身をそっと撫でる。想いを馳せるのは、グロッケンに預けてある激レアの狙撃銃……自分の最初で最後の愛銃となるであろう、あの鉄でできた冥界の女神。

 目つきを鋭くするシノン。
 その目線の先で笑うツカサに、シノンは無言で頭を下げた。





 帰りは、滞りなく進めた。

 このダンジョンはどうやらボスを倒せば一方通行の安全なルートが出現して、出口付近までMobと遭遇することなく帰れるようになっていたのだ。ツカサやカメ爺さんは完全にだらけムードで、グリドースの《索敵》も一応、という程度。そんな状態だったから、帰り道は数分で出口の光が見える所まで来られた。その瞬間、皆の意識が、ほんの少し……しかし確かに、緩んだ。

 (……ま、無理も無いかね……)

 だが、俺は知っている。

 どんな時だろうと、油断は容易に死に繋がることを。
 本当の意味では今は失われたあの世界で、嫌というほど思い知っていたから。

 だから俺は、油断しない。できない。喋りながら、笑いあいながらも、心のどこかは常に引き絞ってある。昼も夜も、仮想世界でも現実世界でも、夜寝る時でさえも……恐らく、あの日以来、ずっとだ。それが心をすり減らすことはわかっているが、それでもその心は頑なに緩んではくれない。

 そしてそれは、なにも《索敵》という技能だけでは無い。

 「……? どうしたんだい? ラッっ、しぃ……」
 「……」

 立ち止まった俺に声をかけようとしたツカサの声が、尻すぼみに消えていく。

 俺の唇に当てられた、立てられた人差し指のせいだ。
 と同時に、メンバー全員に緊張が走る。誰一人、声を上げようとはしない。

 (流石に、よく分かってる奴らだ……)

 それを確認した後、ちょっとかがんで石ころを一つ拾って。

 「っ!!!」

 手裏剣気味に、投擲した。

 向こうでは《投剣》スキルは取っていないからスキルではない(というか、そもそもこのGGOには銃とういう超強力な遠隔武器があるので、投げ武器などはいらんのだ)が、動きのイメージ自体は頭にある。完璧に、とはいかないが、普通の人間よりはマシだろう。

 運よく、放られた石は狙いに過たず命中した。

 「……鏡、ですね。向きからして、外から中を覗く為、ですか」

 小声でミオンが呟く。
 入口の岩陰におかれた、ミラー。

 スモークの効いたその鏡アイテムは、転がっていても大多数のプレイヤーは気付けない(まあ、残念と言うか無念と言うか、俺は大多数には含まれないが)だろうが、注意してみれば反射によって向こう側の風景を見通すことさえ可能だ。つまりは、「設置した本人達なら、双眼鏡系アイテムで洞窟内を覗う」などという偵察も可能となる。

 要するに。

 「さ、どうすっかね。待ち伏せられてるぜ、司令?」

 今日の狩りの〆には、随分と大物がかかったということだった。

 
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