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銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける

作者:azuraiiru
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第四十話  相性


帝国暦 490年  4月 12日   ガンダルヴァ星系  ウルヴァシー   アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト



ウルヴァシーの基地の大広間に将官以上の階級に有る人間が集められた。黒姫の頭領が要請したらしい、どうやら頭領の言っていた作戦案の説明が有るのだろう。最終的にここで討議し実施の可否を決める事になるはずだ。作戦案に期待している人間も居れば反発している人間も居る。だが誰もが関心を持っている、無関心ではいられない。

哨戒活動に出ていた指揮官達も戻ってきた。ヤン・ウェンリーに敗れたシュタインメッツ提督の艦隊は三割以上の損害を出している事が分かった。おそらくこの決戦では重要な役割を得る事は出来ないだろう。シュタインメッツ提督の表情が今一つ冴えないのは敗れた事よりもその所為かもしれない。

ローエングラム公が討議の開始を宣言した。聞くところによると公も作戦の内容は知らないらしい。頭領は公に楽しみは後に取っておきましょうと言ったそうだ。頭領が皆の前に出た、いつも通りの落ち着いた表情だ。さてどんな作戦案なのか。相談に乗ったメルカッツ閣下も首を振りながら驚いたと言っていたが……。

「作戦を提示する前に同盟軍の狙いについて確認します。彼らはゲリラ戦を展開していますがその狙いは二つあると思います。一つは我々を翻弄し疲れさせ同盟征服を諦めさせる事。もう一つはローエングラム公を戦場で殺す事……」
物騒な発言だ、大広間にざわめきが起きた。

「帝国は現在ローエングラム公の独裁体制により動いています。ローエングラム公が戦死した場合一体帝国に何が起きるか?」
頭領が周囲を見回した。
「総参謀長、貴女の意見を聞かせてください」

頭領の言葉に総参謀長の顔色が曇った。一瞬だがチラっとキルヒアイス提督に視線を向けるのが見えた。
「おそらく、後継者を巡って争いが生じると思います」
また大広間にざわめきが起きた。なるほどキルヒアイス提督に視線を向けたのはナンバー・ツーの彼の体面を考えたからか……。

黒姫の頭領が手を上げると騒ぎが収まった。
「私も同感です。一時的にはキルヒアイス提督を中心に纏まるかもしれません。そして自由惑星同盟を征服するかもしれない。しかしその紐帯は極めて緩いものになるでしょう。反帝国を掲げ帝国の統一を望まない勢力がそれを見過ごすとも思えません。彼らは必ず帝国を内部から分裂させようとするはずです」

頭領の言葉を聞いている皆の表情が硬い、十分にあり得る話だ。地球教、そして征服されたフェザーン、反乱軍、それに貴族連合の残党……。帝国の内部分裂を狙い復権を望む勢力にとっては千載一遇の機会だろう。この機会を逃すとは思えない。隣に居るルッツ、ワーレンを見た。二人も渋い表情をしている。

「或る国を占領した国家が内部闘争から占領地を放棄する例は歴史上珍しくありません。同盟軍はそこまで考えてゲリラ戦を展開していると思います。なぜなら、同盟軍の跳梁を抑えるためには彼らを罠にかけ誘引し殲滅するしかないからです。そして彼らを罠にかけるにはローエングラム公自らその命を的にするのが最善の策です。同盟軍はそこに活路を見出そうとしていると考えられます」

彼方此方で呻き声が上がった。皆が顔を強張らせている。胆力に優れたルッツも顔色が悪い。思った以上に帝国軍の状況は良くない。そして反乱軍は周到に作戦を立てている。ヤン・ウェンリーか、容易ならぬ敵だ。頭領は一体どうやってこの苦境を乗り切ろうと言うのか。突拍子もない作戦、メルカッツ閣下も驚いた作戦とは何なのか……。

「ここまでの現状分析について異論の有る方、疑問の有る方は?」
「……」
黒姫の頭領が大広間を見渡したが皆無言だった。それを見て頭領が一つ頷くと言葉を続けた。

「ではこれから私が考えた作戦案を説明します。先ず、四個艦隊を以って惑星ウルヴァシーを守り、残りの艦隊は同盟軍の補給基地の破壊に向かいます。ウルヴァシーを守るのはルッツ提督、ワーレン提督、キルヒアイス提督の艦隊、そしてローエングラム公の直率艦隊」
大広間がどよめいた。ローエングラム公の艦隊をウルヴァシーに残す? 一体何を考えている。ルッツ、ワーレンを見た。二人とも驚愕を隠そうとしていない、予想外の事態だろう。

「頭領! それは一体どういう事です。先程頭領は反乱軍の狙いはローエングラム公を戦場で斃す事だと言った。それではみすみす反乱軍の……」
「キルヒアイス!」
言い募ろうとするキルヒアイス提督をローエングラム公が制した。頬が紅潮している。興奮しているのだろう。

「戦場に居る以上私は戦いを避けるつもりはない。ヤン・ウェンリーと決着を付けるか……。望むところだ、続けよ」
黒姫の頭領がローエングラム公に一礼した。もう一度ルッツとワーレンに視線を向けた。二人とも緊張している、内心では厄介な事になったと思っているだろう。

「危惧されるのは尤もと思います。しかし我々は先ず同盟軍を誘引しなければなりません。その点において我々が同盟軍の前に提示できるのはローエングラム公とこの惑星ウルヴァシーに有る補給物資だと思うのです。両方失えば帝国軍は非常な窮地に陥る、おそらくは撤退という事になるでしょう。同盟軍はこの誘いから逃げられない……。如何ですか?」

皆が渋々頷いた。確かに頭領の言う通りではある。だがローエングラム公が戦いを望んでいるから黙っているのであってそうでなければ口々に非難をしたに違いない。
「補給基地を攻略した各艦隊はウルヴァシーに帰還、ウルヴァシーの留守部隊とともに押し寄せた同盟軍を包囲殲滅する……」

頭領が皆を見渡した。反論は出ない。ローエングラム公の安全を危うくすると言う一点を除けば特におかしな作戦では無い。
「では次にローエングラム公を失う危険を軽減する策を説明します」
皆が訝しげな表情をした。俺も多分同様だろう。軽減? 兵力を増やすのか?

「ローエングラム公にはブリュンヒルトを降りて頂きます」
皆が訝しげな表情をした。ブリュンヒルトを降りる?
「どういう事だ? 一体何を言っている」
「ブリュンヒルトには私が乗ります。公はマーナガルムへお移りください」

大広間がざわめいた。皆が興奮して口々に何かを言っている。ルッツが“それは”と言って絶句した。要するに頭領が身代りに立つ、そういう事か。確かに突拍子もない作戦だ……。

「馬鹿な、そのような事は出来ぬ! 卿は私を愚弄するのか、危険を避け安全なところでじっとしていろだと?」
「その通りです」
「そのような事は……」
「甘んじて受けて頂きます」
押し殺したような声だった。ローエングラム公と黒姫の頭領が睨みあっている。大広間の空気がずしっと重くなった。騒ぎは収まり皆、何も言えずにいる。

どのくらい経ったのか……、頭領が一つ息を吐いた。
「公が一個艦隊の司令官に過ぎぬのなら私は何も言いません。ですがそうではない……。先程も言いましたが公に万一の事が有れば帝国は分裂し多くの血が流れるのです……」
「……」
ローエングラム公が唇を噛み締めた。

「それだけではありません。今では二十億のフェザーン人、百三十億の同盟市民に対しても責任を持つ身なのです。今、ローエングラム公以外に宇宙を統一できる人物が居ますか? 彼らに平和をもたらす事の出来る人物が……」
「……」
頭領の声が大広間に流れる、大きな声では無い、静かな声だ。だが声が流れるにつれローエングラム公の顔に苦痛の色が浮かんだ。

「如何なされます? ……宇宙の支配者としての責任を負うか、それとも責任を捨て己が矜持を優先させるか……。お答えください、ローエングラム公」
「……」
公が目を閉じている、微かに震えているようだ。キルヒアイス提督が“ラインハルト様”と声を出した。

「無礼だろう! たかが海賊の分際でローエングラム公に何を言うか!」
「黙りなさい、トゥルナイゼン! 私はローエングラム公にこの銀河の支配者としての覚悟を問うているのです!」
「な、何を」
「止めよ! トゥルナイゼン!」
ローエングラム公がトゥルナイゼンを厳しい声で止めた。愚かな奴、これでは到底役に立つまい……。

「分かった、マーナガルムに移ろう」
絞り出す様な声だ、皆がホッと息を吐くのと頭領が公に対して礼をするのが一緒だった。俺もホッとした、もし公が矜持を守る事を優先すると言ったらどうしただろう……。何処かで公を見限っていたかもしれない。だがそれは俺だけだろうか……。

「卿は酷い男だな」
「……」
「私に戦うなとは……」
ローエングラム公が呟くように声を出した。戦争の天才が戦う事を許されない、確かにこれ以上の苦しみ、哀しみはないかもしれない。頭領がまた一つ息を吐いた。

「御胸中、お察し致します。しかし、この道を選んだのは公御自身のはず。後悔しておいでですか?」
「……いや、それはない。私は十歳でこの道を選んだ。後悔はしていない」
後悔はしていない、そう言い聞かせている、俺にはそうとしか思えない……。

「……人はそれぞれ歩む道によって得る物も有れば失う物も有ります。全てを得ようというのは欲張りと言うものです」
黒姫の頭領も俺と同じ事を考えたのかもしれない。頭領の言葉にローエングラム公が苦笑した。
「卿は遠慮が無いな」
「……」

大広間は沈黙している。苦笑を浮かべているのはローエングラム公だけだ。軍人としてなら戦うのが正しいのだろう、しかし統治者なら危険は避けるべきだ。特に今回は負ければ失うものが大きすぎる。だが軍人として有能であればある程、理性では理解できても感性では納得するのは難しいかもしれない。まして今回の戦いはこの銀河で最後に行われる戦いになるはずだ。その戦いに参加できない、不本意だろう。

「キルヒアイス提督もバルバロッサを降りてください。ミュラー提督と乗艦を換えて頂きます」
「私も……、分かりました」
キルヒアイス提督が答えるのと、ミュラーが頷くのが一緒だった。なるほど、ウルヴァシーに残るのはいずれも守勢の上手い人間達だ。

「ローエングラム公とキルヒアイス提督にはリオヴェルデの補給基地を目指してもらいます。そこを制圧した後はウルヴァシーに反転せずそのままバーラト星系へ、そして惑星ハイネセンを突いて頂く」
大広間がどよめいた。ここでハイネセンを突く?

「自由惑星同盟政府がローエングラム公の姿を確認すれば、彼らは自分達の防衛計画がその根本から覆された事を認識するでしょう。その上で彼らを降伏させ、そして彼らから惑星ウルヴァシーで戦う同盟軍に対して降伏するように勧告させる」
彼方此方で興奮する姿が有った。俺も興奮している、なるほど、公をウルヴァシーから遠ざけたのはこれも有っての事か!

「これは競争です、各艦隊が戻ってきて同盟軍を降伏させるのが先か、それともローエングラム公がハイネセンを降伏させるのが先か、……惑星ウルヴァシーの防衛軍が単独で同盟軍を降伏させる前にどちらが先に功を挙げるか、楽しくなりますね」
頭領の冗談に興奮が更に大きくなった。いや、もしかすると本気か? ルッツとワーレンが顔を見合わせて力強く頷いている。面白い! まさに宇宙最後の決戦に相応しい戦いだろう!

「面白い! 良いだろう、卿の作戦案を採ろう」
ローエングラム公も頬を紅潮させて興奮している。おそらく自らの手でこの戦争を終わらせる、そう思っているのだろう。これなら公も十分に矜持を保つことが出来る。作戦案を採用された事に対して頭領が一礼した。
「ところで一つ教えて欲しい、私ではヤン・ウェンリーに勝てぬか?」
「……」

「卿が私の身代わりになるというのは私では勝てぬと見たからであろう」
問い掛けたローエングラム公よりも、そして問い掛けられた頭領よりも、周囲の俺達の方が緊張しただろう。ローエングラム公の声には楽しそうな響きが、頭領の顔には苦笑が浮かんでいる。大広間の興奮は何時の間にか静まっていた。

「私なりの考えを述べさせていただきます」
「うむ」
「戦略家としての能力は互角、戦術家としても互角でしょう。しかしいささか相性が悪いかと思います」
「相性?」
公が訝しげな声を上げた。皆も腑に落ちないといった表情をしている。

「じゃんけんのような物です。グーはチョキより強いがパーに負ける。しかしそのパーはグーに負けたチョキに負ける。実力は同等、しかし相性で負ける……」
「なるほど、分かるような気もするが……、騙されているような気もするな」
ローエングラム公が今一つ納得しかねるといった表情で苦笑した。俺も今一つよく分からない。頭領の苦笑が更に大きくなった。

「騙してはおりません。……ヤン・ウェンリーの戦術はどちらかといえば受動的なのです。相手の心理を読み、それを利用して勝つ。柔軟防御にこそ彼の真価が有ります」
「ふむ」
公が頷いている。なるほど、良く見ている。時々不思議になる、頭領は本当に海賊なのか? 我々軍人よりも同盟軍の事を知悉している。

「一方ローエングラム公の用兵は能動的です。積極的に、より完璧に勝とうとする。二人が戦うとどうなるか? 公がより完璧に勝とうとするが故にヤン・ウェンリーにその裏をかかれるという事象が起きます。アスターテの最終局面を思い出してください」
「アスターテか……」
ローエングラム公が呟いた。何かを考えている。

「二倍の兵力で分進合撃を図る同盟軍に対しローエングラム公は各個撃破を図りました。ヤン・ウェンリーはそのような積極果敢な指揮官なら、より強く勝利を求める指揮官なら最終局面で紡錘陣形による中央突破を狙うだろうと読んだのです。完璧な勝利を求めようとすれば採るべき手段は限られてきますからね。そしてあの逆撃が起きた……」
「……」

「ローエングラム公がもう少し凡庸か、或いは完璧な勝利を求めなければあの逆撃は無かったと思います。相性が悪いというのはそういう事です」
頭領の言葉にローエングラム公が呻き声を上げた。キルヒアイス提督は顔面が蒼白だ。いや彼だけではない、皆が凍り付いていた。

「ウルヴァシーでの防衛戦では勝つ必要は有りません。ただ堪えるだけで良いのです、時間が経てば経つほどこちらが有利になる。積極的に勝とうとしない、ただひたすら相手の攻撃を耐え抜く指揮官ほどヤン・ウェンリーにとって遣り辛い相手はいないでしょう。私はそれが出来る指揮官を選びました」
「……」

「そしてこちらが積極的に動かない以上、ヤン・ウェンリーは自らが積極的に動いて勝たなければなりません。彼にとって最も不得手とする戦い方です。ヤン・ウェンリーは限られた時間内で最も不得手な戦い方で勝たなければならないのです。今度は帝国軍がグーになりヤン・ウェンリーがチョキになります……」
誰一人身動きできずにいる大広間に頭領の声が静かに流れた。



 
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