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たった一つのなくしもの

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第一章

             たった一つのなくしもの
 菊池隆太は金もなければ仕事もない、今もハローワークからアパートに帰ったばかりだ、汚い部屋の中でアルバイト雑誌を開いている。
 そうしてもっと割のいいアルバイト先を探していた、部屋にいるのは彼だけだ。
 しかも髪の毛は三十にして薄くなりかけていて風采も上がらない、身なりも粗末だ。
 その彼にだ、何処からか声がかかってきた。
「おい」
「おい?」
「御前だよ御前」
 また声がした、声がしてきたところはというと。
 部屋のテーブルの上だった、食べた後のコンビニ弁当やカップラーメンのカップ、割り箸が汚く置かれたそのテーブルの上に一匹のゴキブリがいた。そのゴキブリが後ろの二本足で立ってそのうえで言ったのである。
「全く、何やってんだよ」
「何って仕事探してるんだよ」
 隆太は雑誌を開いたままゴキブリに返した。
「っていうかゴキブリが何やってんだよ」
「おい、驚かないのかよ」
「驚くって何にだよ」
「ゴキブリが立って喋ってるんだぞ、驚かないのかよ」
「漫画でよくあるからな」
 だからだとだ、隆太はゴキブリに言い返した。
「今更な」
「驚かないのか」
「部屋の中にいきなり落ち武者がいてもな」
「それは怖いだろ」
「それも漫画でありそうだからな」
 やはり驚かないというのだ。
「逃げるけれどな」
「俺は落ち武者以下かよ」
「それで何だよ、家賃でも払ってくれるのかよ」
「御前今月の家賃まだ払ってないよな」
「金がないからな」
 現実問題の話だ、実際に隆太は金がなく今今月の家賃を支払っていない。
「今きつくても割のいいアルバイト探してるんだよ」
「そうか、やっぱりまずは金だよな」
「それと仕事な」
「わかった、任せとけ」
 ゴキブリは右の前足を人間のそれの様に振って隆太に話す、その太って不健康そうな外見の彼に対して。
「金と仕事だな」
「何とかなるのかよ」
「ああ、これでも百年生きてるんだ」
「ゴキブリで百年かよ」
「百年生きて力も身に着けたんだよ」
 そしてその力でだというのだ。
「御前を何とかしてやる、一緒に住んでるよしみでな」
「何時の間に一緒に住んでたんだよ」
「ずっとだよ、御前がこのアパートに来てからずっとな」
 ゴキブリはこう隆太に答える。
「同居してるんだよ、気付かなかったのかよ」
「いちいちゴキブリに気付くかよ」
「やれやれだな。とにかくな」
「金と仕事を何とかしてくれるのかよ」
「まずはこれ持って今から競馬場に行って来い」
 千円札と馬券だ、ゴキブリは隆太の前にその二つを出してきた。
「この券の馬買え、千円が十万になる」
「倍率百倍か、凄い大穴だな」
「絶対に当たる、それで次はだ」
 また別の馬券を出した、今度は五十倍だ。
「次はこれ買え、それで五百万だ」
「わらしべ長者みたいだな」
「馬のことは何でもわかる、五百万あったら家賃も他のことも暫く大丈夫だろ」
「まあな」
「それでな、仕事もな」
「それもか」
「明日ハローワークに行って。その前に風呂入って副着替えて綺麗にしろ」
 まずは身支度を整えてからだというのだ。 
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