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ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~

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番外編
  青騎士伝説 前編

 ――――――っ!!!

 響き渡った哄笑が、森を行くシリカの耳を振わせた。
 いや、正確には、シリカ達の、だが。

 四十四層のはずれにある、何処にでもある様な森林地帯。名称すらもまともに覚えられないようなその開放型ダンジョン、訪れるプレイヤーは限りなく少ない。シリカ達がここにやってきたのは、そのダンジョンが『獣使い(ビーストテイマー)』の操る使い魔を強化するアイテムが手に入る、という情報を仕入れたからだ。

 「な、なんですか……?」
 「……わ、分からない……と、とりあえず戦闘準備だけは、」

 肩でキュルルと啼くシリカの使い魔の小竜、『ピナ』を宥めながら、シリカも短剣を構える。共にパーティーを組んでいる四人組の中のリーダー格の男も、緊張した面持ちで武器である両手剣を背中の鞘から抜き放つ。

 人の声に対していきなり戦闘姿勢なのは、その聞こえた哄笑が、

 「ハハハ!!! 馬鹿だぜコイツ!!!」「殺せ! 殺せえ!」「バーカ、バーカ!!!」

 あまりにも下卑て、悪意に満ちていたからだ。正直、まともなプレイヤーのそれとは思えない、耳を塞ぎたくなるようなセリフの山。恐らく……いや、間違いなく、犯罪者(オレンジ)プレイヤーの声だろう。

 (あの人達と、同じ……)

 シリカには、身に覚えがある。かつて自分を狙って、オレンジ集団に襲われたことがあるのだ。自分をかばってくれた一人の剣士に対して、圧倒的な大人数で斬りかかる男達。暴力に酔った目に、罵る快感に囚われた口。あれが『攻略組』の剣士であるキリトでなかったら、彼は……そして自分は、あっさりと殺されていただろう。あの時は、

 「っ!?」
 「な、なん、だ……?」

 唐突に、茂みの奥の声が静まった。
 あの時と、同じように。

 「……な、なにが、起きたの……?」

 たしかあの時は圧倒的なレベル差を持ったキリトが一向に堪える様子が無かったことを訝しがってのことだった。一体何事かと、《索敵》持ちの男がそっと茂みの奥の開けた場所を覗き。

 その次の瞬間、

 「うわあああああ!!!」

 一転、耳を劈く様な悲鳴が上がった。恐る恐る偵察していた男が突然の絶叫にビクンと肩を震わせた男の後ろから、のしかかる様にシリカ達もその光景を覗いて、

 「っ!?」

 言葉を失った。五人全員が、息をのんだ。

 「ひっ、な、なんだ、コイツっ!?」「な、なんで死なないんだ!?」「ど、毒ナイフが刺さってるはずなのに!?」「り、リーダー!」「ひ、く、くるなっ! は、離れろっ!!!」

 いたのは、十人ほどの集団だった。ぐるりと円を描くように布陣した男達の殆どのカーソルが、目に痛いオレンジ色。犯罪者の印。だが、悲鳴を上げているのは、他でもない彼らだ。驚き、慌て、狼狽している。皆一様に周囲の面々の顔を落ち着きなく覗う。そして、

 (あの人は……?)

 目線を動かした、その先。円の中心に佇む、一人のプレイヤー。

 その姿を一言で表すならそれは、『騎士』。全身を青く輝く豪奢な鎧で包み、背中には紫のマント。手足も同色の金属防具に隙間なく覆われており、携えているのは独特な木柄をもつ両手用の長槍。頭すらもすっぽりと兜に覆われ、数本の縦スリットの入っただけの面からはその顔や表情を覗うことは出来ない。しかし。

 (……こ、怖い……)

 その佇みに、言いようのない恐怖を、シリカは感じていた。

 確かにその姿は、それ自体が異様だった。所々の打撃痕は恐らく鎧に相性の良い打撃武器での攻撃を受けたのだろう。鎧の隙間にささった短剣は《鎧通し》のスキルで突き立てられたもの。現実だったら満身創痍どころか生きているのが不思議な、まさに倒れる寸前といった風貌。

 だが。

 ―――ガシャン。

 シリカを恐れさせたのは、そんなうわべなものでは無かった。キリトのような得体のしれなさとは違う、明確な敵意と害意。青い騎士はカーソルの色こそグリーンだが、その無言の歩みは周囲のオレンジプレイヤー達よりもはるかに強い恐怖をシリカに呼び起こさせた。青のスリットの奥、見えるはずのない瞳が殺意に光るのを、シリカは見た気がした。

 ―――ガシャン。

 その歩みは、流石に重装甲だけあって速くは無い。しかし、周りのオレンジはその歩みに気押された様に、じりじりと後退していく。その後ずさりはまだ迷いがあるのか、武器を構えたまま下がるオレンジ達よりも騎士の歩みの方が速い。そして、数秒。

 騎士の歩みが止まって。

 ガシャっ、という音が響き、同時に一人の男が悲鳴を上げた。
 騎士の両手が凄まじいスピードで閃き、長槍が突き出されたのだ。

 「う、うわあああ!!!」

 血の様な深紅のライトエフェクトを纏って繰り出された長槍が、その倍以上の距離を一瞬で貫いて一人のオレンジを貫く。だが、青い騎士の攻撃はそこで終わらなかった。赤い光を保ったままに槍は高々と掲げられて一回転、そのまま深々と地面に突き立てられる。

 勿論、敵を貫いたまま。

 「ひ、ひぃっ!!!」

 磔にするように突き立てられた槍を抜こうと、驚愕に顔を歪めた男がもがく。しかし槍は相当な力で刺さったらしく一向に抜ける気配は無い。色濃い恐怖の表情を浮かべる男を睥睨しながら、騎士は悠々とマントの下からアイテムを取りだした。あまり馴染みのない、黒褐色の結晶は、《牢獄結晶(ジェイルクリスタル)》。シリカも詳しくは知らないが、とりあえず言えるのは「犯罪者プレイヤーを牢獄(ジェイル)に強制的に送る」というアイテムだったはず。確か軍以外では殆ど誰も持っていない上に、えらく使い勝手の悪いらしいそれを手に持った騎士が、ゆっくりと屈んで左手をもがく男の胸に当てる。

 「ひ、い、嫌だ、牢獄は、やめ、」
 「――」

 男の悲鳴は、途中で掻き消された。騎士がヘルムの奥で何かを……システムに聞きとれるぎりぎりの音量で呟かれた言葉によって、男の姿そのものが消滅したからだ。シリカにもなじみ深いそのエフェクトは、結晶による転移のそれ……ということは、彼は牢屋へと転送されたのだろう。

 「うわあああ!!?」「逃げろ、逃げろお!!!」「化けモンだ、殺される!!!」

 一人が牢獄へと転送されたことでオレンジ集団は撤退を決め込んだらしく、口々に悲鳴をあげて腰のポーチから転移結晶を取り出し、散り散りに転移していく。

 と、

 「うわあああっ!!?」

 一人が、悲鳴を上げた。騎士が重量級の体の許す限りの速度で突進し、逃げ惑う一人に同様に槍を突き立てたのだ。先程までの涼しげな歩みとは一転、まるで……いや、正真正銘修羅の闘気を纏って疾走した青い騎士は、その突進の勢いのまま男を後ろの木もろとも深々と貫く。

 「な、なんで、なんで俺だけ、あいつらも、あいつらだって、う、うわあああ!!!」
 「――」

 男の絶叫は、唐突に途切れた。全く同様に、牢獄へと転送されたのだろう。

 「うあ……」「あ、……」「ひっ……」

 誰もいなくなった広場で佇んでいた騎士が、こちらを向く。全員が目に見えて息をのむ。

 だが、その騎士はシリカ達をじろりと一瞥しただけで、そのまま転移結晶にてどこかへ去って行った。その行き先は、やはり限界まで抑えられた声のせいで、誰一人聞きとることは出来なかった。シリカ達五人に残ったのは、強烈な青の印象と、本能的な恐怖だけ。

 「あ、……『青の亡霊騎士』……?」

 誰からとなく、ぽつりと呟かれた言葉。
 それはここ最近、中層フロアで噂になっていた、一つの怪現象の通称だった。





 『青の亡霊騎士』。

 その噂が中層フロアに流れ始めたのは、アインクラッドに秋の足音が聞こえ始めた頃だった。オレンジプレイヤーを手当たり次第に攻撃して、牢獄送りに……一説では殺しさえもする、仕事人。所属するギルドはおろか、レベルも素性も、名前すらも不明な、一人のプレイヤー。

 いや、名前は分かっている。
 正確には、「分かっているのに分からない」のだ。

 「BlueKnight」。

 カーソルに表示されるのは、そのアルファベット。だと言うのに、アインクラッド第一層、『黒鉄宮』に置かれた『生命の碑』に、()()()()()()。以前からきっと存在するだろうと言われていた、「名前詐称アイテム」が実在することの証明でもあったが、青騎士の不可解な現象はそれだけでは無かった。

 ()()()()のだ。

 それは噂を聞いた犯罪者プレイヤー達の一ギルド……十人を超えるそのメンバーが張った罠に青騎士が陥った時のことだった。なかなかに名の知れた彼は、中層レベルではかなり上のレベルを持つ実力者であり、罠にかけて取り囲んだ青騎士に一斉に襲いかかった。無慈悲な一体多数。巧みなスイッチで回復の隙を与えず、毒や麻痺を立て続けに放った。

 そして、一時間。

 騎士は、全く怯むことなく、戦い続けた。

 ()()()効かない毒。
 ()()()表示されないHP。

 違和感が不信感に、そして恐怖に変わり、戦線は崩壊。
 圧倒的有利だったはずのギルドの数人が牢獄送りになって、その名は不動のものとなった。

 その不死身の体で犯罪者を狩る、青の暴力。
 『青の亡霊騎士』。





 その日、三人の犯罪者プレイヤーが立て続けに牢獄に送られるにあたって、シンカーは確信していた。「ああ、また彼(・)がやったのか」と。送られてきた面々は、中層フロアではそれなりに名の知られているオレンジギルド、『秩序の破壊者(ピース・ブレイカー)』のメンバーだったこともあるし、何より彼らの尋常ではない怯え方が、そのことを確信させた。

 (で、あるなら……きっと来ますね。《牢獄結晶》をまた仕入れに)

 待つのは、ほんの数分に過ぎなかった。
 予想通り、彼はやってきた。

 「シンカー、彼をお連れしました」
 「ご苦労様です、ユリエール。申し訳ありませんが、下がっていてください」
 「了解しました」

 付き添いは副官、ユリエール。彼女の後ろについて来たのは彼の予想通りの、大きな青い影。

 「お掛けください、青騎士君。……お疲れ様でしたね」
 「………」

 鎧を解除することなく、ガシャン、と音を立てて『青騎士』はソファに腰かけた。その間、一切口を開いていない。聞いたところによれば、彼は軍の本拠地たるこの『黒鉄宮』内で……いや、他の場所でも一切声を出すことが無いらしい。

 ユリエールがゆっくりとドアを閉め、そのまま数秒。防音効果が発動したのを確認して、

 「……もう、いいですよ。……ファー君」
 「……はい……」

 やっと彼は鎧を解除し、口を開いた。
 『冒険合奏団(クエスト・シンフォニア)』の腕利きの壁戦士、ファー。『青騎士』の正体であり、不死身の亡霊と謳われる男だが、こうして俯いて項垂れている姿を見るととてもそうは思えない。全身鎧である《シアン・メイル》の解除によって体は軽くなっているはずなのに、その表情は憔悴しきっている。

 何か彼から言ってくれるかと待つが、ファーは顔を上げすらしない。
 仕方なく、自分の方から口を開いた。

 「……使った《牢獄結晶》は三つでしたね。お譲りしましょう」

 表示したトレードウィンドウがOKされる。
 その動作を行う間すら、彼は俯いたまま行っていた。

 「っ……」

 止めたかった……いや、止めるべきだった。
 もうこんな無茶は、馬鹿なことはよせと言いたかった。

 (しかし彼は、到底聞きはしないでしょうね……)

 シンカーは理解していた。彼はまさしく、「亡霊」なのだ、と。
 全ての敵を排除し、駆逐するまでは決して止まらない、生きた屍だ。

 鎧の下に着こんだ厚手の漆黒の衣は、毒や麻痺に対して異常とも言えるほどの耐性を高める激レアのドロップ品。鎧に付けられた宵闇色のマントは、『HP表示を周囲のプレイヤーから隠す』という、使い道のないどころかパーティープレイでは邪魔にしかならない……しかし敵にHPゲージを見せないという、恐怖を煽る作戦においては有効なアイテム。首に掛けられた金色のロザリオは、『幸運』値を大幅に高めるマスターの《細工師》が最高級素材を用いて作った作品。

 そして『青騎士』の生命線である、顔の右半分を覆い隠す仮面状の『名前詐称アイテム』……《ペルソナ・オブ・クラウン》……道化師の仮面。どれもこれも、シドを始めとした『冒険合奏団』の面々の獲得品として倉庫に眠っていたのだと聞いた。

 (シド君が……『冒険合奏団』がこれほどのワンドロップアイテムを蓄えていたとは……)

 その、特殊な効果を持つ様々なアイテムを組み合わせることによって、HP不可視、名称不明など数多くの謎を持つ『青騎士』の型が作り上げられた。そしてその型に、「ソラの死」という復讐心が流し込まれることによって、その騎士は動きだした。

 (彼は、『笑う棺桶(ラフィン・コフィン)』が生み出した『冒険合奏団』の亡霊ですから……)

 しかし、止めることはできない。
 彼が拒む拒まない以前に、自分からそれを言い出すことができない。
 そのことを思い、心の中でシンカーは深く溜め息をついた。

 自分の率いるギルド、『アインクラッド解放軍』にとっては、彼の行動は非常に都合がいいからだ。今現在、軍はある男の台頭によって非常に苦しい……というか、不安定な状態にある。自分の発言力が失われつつあるくらいならどうでもいいのだが、その煽りを軍の中枢部はおろか一般プレイヤー、果ては街中の全てのプレイヤー達までが受け始めているのだ。

 そんな足元が覚束ない状態では正直、『圏外』の治安維持、犯罪者の取り締まりなどまではとても目を向けていられない。その点『青騎士』は軍が売っている《牢獄結晶》を使うため、「あれは軍の秘密兵器だ」という勘違いもあり、「軍がとうとう治安維持のために本気になった」と噂されてこちらに損は無い……というか、得ばかりだ。一応《牢獄結晶》とここまでの往復用の《回廊結晶》は格安で譲っているが、それも彼の働きからすれば微々たるものに過ぎない。

 そんなことを考えていたら、シンカーは無意識に唇を噛んでいた。

 「……では、お任せしておきます。…よろしくお願いしますね」
 「はい」

 一言だけ頷いて、彼は立ち上がる。再び身に纏う豪奢な全身鎧、《シアン・メイル》は、所々に真新しい傷跡がついてはいるが、まだ十分に耐久度を保っているようだった。そういえばたしか鎧は昨日知り合いの鍛冶屋に修繕してもらったと言っていたか。そして鎧を纏うということは、寝床に戻るわけではないだろう。これから、レベル上げに向かうのか。或いは、夜の分の『狩り』か。

 「―――」

 再びの無言を取り戻した騎士は、ガシャンと音を立てて歩き始める。武器の修繕に向かうときはこのシンカーの執務室から直接『リンダース』まで飛ぶのだが、今日は歩いて街の転移門までいくようだ。さっきまでの困憊した様子が嘘のようにしっかりした足取りで進む彼に、

 「……気を付けて、くださいね……」

 呟くようにしか、シンカーは声をかけられなかった。





 アインクラッドの歴史に残るであろう最悪の集団対人戦闘、『ラフコフ討伐戦』。
 その夏の深夜の、血みどろの死闘によってあの殺人者(レッド)ギルドは壊滅した。

 だが、それによって全ての犯罪者プレイヤーが同様に剣の力にて制裁を受けることを恐れて大人しくなったかというと、そんなことは無かった。寧ろ『笑う棺桶』という絶対のトップが消滅したせいで、他のオレンジギルド達がこぞってその座を狙い始めたのだ。

 『アインクラッド最凶最悪のギルド』の、負の称号を。
 罠、恐喝、強盗、殺人。

 オレンジギルド達がまるで競うように凶行に走りだしたときに、『青騎士』は現れた。

 幾つかの根城の割れたオレンジギルドを壊滅へと追い込んだ後にその男が始めたのは、「傭兵」だった。朝方、人の気の多い階層に唐突に表れてメッセージウィンドウを表示、そのまま無言で勧誘を待ち続ける……というか、仁王立ちのまま佇むのだ。

 知る人ぞ知るオレンジギルドハンター、『青騎士』。そのネームバリューを得ての傭兵業は、かなり順調に進んだ。ひと月が立つ頃には、「共に行動したパーティー達が、オレンジプレイヤーの襲撃があった場合も含めて一人のHPも赤の危険域に落ちない」と評判の腕利きとなった。

 傭兵の依頼は、先を争って増えて。
 騎士の名声が高まるにつれて、その首に懸けられた『負の名声』も増えた。

 「『青騎士を討ち取る』。それこそが、最凶最悪ギルドの証」。

 オレンジギルドは、こぞって彼を狙った。
 いや、「狙わされた」、「狙うように仕向けられた」というべきかもしれない。
 『青騎士』がしていたのは、自分自身を餌とした「オレンジへの罠」だったのだから。

 結果。ひと月で夥しい数の投獄者が生じた。
 その影に、相当の死者がいたに違いないという憶測は、当然のものだった。





 もう、何日寝ていないのか。まともに寝ていない、という点で言うのであれば既に二カ月が経っていることになるのだろう。だが、それでも辞める訳にはいかない。夜のレベル上げの為のMob狩りも、昼間のコル稼ぎの為の傭兵業も。

 自分がそれほどの力を持っていないことは、分かっていた。

 あの頃から、いつだって自分は足手まといだった。自分の防御が完璧であれば、皆はもっとそれぞれ自分の役割のみに集中できていたはずなのだ。シドも、レミも、そしてソラも、いつだって自分を気にかけ、自分のフォローを忘れなかった。

 それは今だってそうだ。
 『青騎士』を演じれば演じるほど、自分の弱さを感じてしまう。

 シドとソラの、凄まじい戦闘センスは、あまりにも自分とはかけ離れていた。

 この『青騎士』の装備一式は、獲得したアイテムの組み合わせ表と共に『冒険合奏団』の倉庫に保管されていたものをそのまま使っていた。喋らない、例えHPが危険域でも余裕を失くさず動揺を悟られない、といった注意書きも、それに従っている。

 恐らくシドが書いたのだろうそれは、まるで未来予知のような効果を及ぼした。

 喋らないのは、自分の弱気な口調を隠してくれた。
 動揺を隠す振る舞いは、『青騎士』をまるで亡霊のように錯覚させ、オレンジすら恐怖させた。
 その不気味な態度は、一般プレイヤーには「寡黙でクールな『青騎士』」と受け入れられた。

 その全てがシドの……『冒険合奏団』の筋書き通りだと考えると、彼らはまるで神か何かなのではないかと疑いたくなる。自分が考えもつかないことを考え、その効果を最大限に生かす。そんな彼らは、やはり何処までも天の上の存在だったと思い知らされる。

 そして、そんな「『冒険合奏団』の作り上げた『青騎士』」と、「自分の入った『青騎士』」の乖離は、ますます自分の焦りを加速させ、ときに困惑させることもあった。





 「あ、『青騎士』さん、きょ、今日は、」
 「よろしくお願いします!」
 「頼むよぉ〜」

 眠たげな頭で、困惑する思考を整理する。

 自分は確か、朝の八時半にこの第五十七層主街区、《マーテン》の転移門前に来て、いつものように立ったまま地面に槍を突き立てた。この姿勢は周囲からは「寡黙な不動の佇まい」と言われているが、自分は単純に眠いのを堪えているだけだ。一時間後に設定した自分にしか聞こえないアラームで起きて、そのときに表示されたパーティー勧誘のうち、もっとも高価なものを受けた。

 そしてその面々を見て、

 「今日の狩りは、五十二層の森林地帯、《メメントの森》よ!」
 「私達のレベルは六十前後だからレベル的には大丈夫なんだけど、ほら、三人とも軽装戦士なんだよねぇ~。だから安全レベル帯の狩りはどうにも難しいんだけどぉ~、今回はちょっとメイン狩り場の上昇を考えてねぇ~」
 「それで、あの、その、」

 その声を聞いて、

 (なんなんスか?)

 やはり困惑した。

 女の子、三人組だ。年は恐らく自分と同じか、やや低めか。このソードアート・オンラインという極端にプレイヤーの男女比の偏った世界では滅多にお目にかかれないだろうし、こんなオレンジのマトのような謎の騎士でなくてもっといい勧誘パーティーがいくらでもあるだろうに。そもそも狩りが覚束ないならそれは安全レベル帯では無いということではないか。

 だが、今は自分は、ファーではない。『青騎士』だ。

 「……」

 沈黙のまま頷く。それが、「青騎士らしい振る舞い」だから。

 その振る舞いに、二人の元気な女の子が黄色い歓声を上げた。一体自分が何をしたというのだ。もう一人の女の子に至っては顔が真っ赤、感情表現がオーバーなSAOとはいえこれは普通の表情というわけではないだろう。

 いや、いいか。
 考えるな。『青騎士』は、そんなことを考える必要は無い。

 「私はハヅキ! よろしく!」
 「ウヅキぃ~。お願いね~」
 「あ、あ、わ、私、その、」
 「この娘はナガツキ! と・く・に! よろしく!」

 頷いて、ついていけばいい。
 やれと言われたことを、為せばいいのだ。

 (やることは、変わらないッスから)

 なぜならそれが、『青騎士』なのだから。





 狩りは、いくつものハードな経験をこなしてきたファーには特に難しいものでは無かった。何より彼のレベルはもう七十を軽く超えていたし、その身を包む装備は最前線七十三層にだしても恥ずかしくない程の充実度なのだ。こんな中層フロアのMob相手に苦戦しようはずも無い。

 相対する『メガクラッブ・エイプ』もこの層では高い筋力値を持つ強敵だが、

 「グギャギャっ!」
 「……」

 繰り出される大猿の棍棒をあっさりと左手で受け止められる程度でしかない。そのまま左手で相手の獲物を固定して、右手の長槍でその胸の中央を貫く。発生した赤い光は、ソードスキル、《タンラウンド・クルシファイ》。軽く自分の体重の三倍はあろうという巨体を高々と持ち上げて一回転、そのまま地面へ貼り付ける。手間のかかる割に威力の低い技で、本来は対人戦にて相手を無力化するだけの技。

 「ありがと、『青騎士』!」
 「やぁ~んラクシょ~」
 「えいっ、やあっ!」

 長槍、《ミスティルティン》に張り付けられてもがく巨猿に三人が順番にソードスキルで斬りかかる。滑らかな連携でそのHPを三割ずつ綺麗に削られた巨猿がポリゴン片へと代わり少女たちが歓声をあげたが、その時にはもうファーは別の標的へと向かって歩き出していた。

 槍は相手に突き刺したままで、なんの武器も持たずに。

 「……」

 だが、そこに恐怖は無い。
 これも、いつもと言えばいつものことだから。

 襲いかかる仔猿が三匹、その番犬なのか大きな豹のようなヤマネコが二匹。どれもこれもレベルは五十の後半、なんの問題も無い。先頭を切って後ろの三人へと向かおうとする仔猿の構えた尖った骨を、突き出した右手で遮る。その動きに加えて発動させた壁戦士の挑発スキルで憎悪値(ヘイト)を煽り、残りの四体を纏めて自分に殺到させる。

 その牙が、爪が、武器が自分に突き立てられ、

 「うおぉーすごぉーい」
 「かっこいぃ〜」
 「あ、『青騎士』さん!」

 一様に弾き返された。

 当然だ、とファーは思う。この《シアン・メイル》の防御力は、半端では無いのだ。こんな中層エリアの雑魚モンスター、ダメージが通るはずがない。リズベットの腕は、そんなものではない。それは骨の短剣を抑えた籠手も、牙に咥えられた具足も、同様だ。

 愚かしくなおも躍起になって攻撃を加えるMob達が、左右から跳ね飛ばされた。ハヅキとウヅキだ。ハヅキの両手剣と、ウヅキの片手剣。威力は違えど突進系のソードスキルは流石の威力で小柄な猿達を一体ずつ跳ね飛ばす。

 「やあっ!」

 そして最後に、一拍遅れての気合いは、ナガツキ。小柄な体に似合わない巨大なハルバードの弧を描く軌道が、残りの三匹を纏めて薙ぎ払った。かなりダメージを負った敵は一旦体勢を整え、攻撃を加えた三人に狙いを変更する。

 (……ここからは、また三人の戦いッス)

 SAOは、敵に与えたダメージ量によって経験値量が分配される。ファーが本気を出してMobを狩ろうと思えば、彼一人でも少女ら三人纏めた分よりはるかに効率よく敵を倒せるだろうが、それでは彼女らに経験値が入らない。故に『青騎士』のような傭兵は、基本的に危なくなるまで手を出さないのがセオリーだ。

 (……危なげは、ないッスね)

 確認したあと、ゆっくりとした歩みで槍を取りに行く。青白い燐光を纏う刃先を持った、木柄の両手用長槍。彼自身の身長すらも超えるだろうその長柄には、禍々しい二本の蔦が捲き付く様な形をしている。『宿木の長槍(ミスティルテイン)』。『青騎士』の切り札にして、生命線。

 (……大分傷んでいるッスね。また修繕をしてもらわないと……)

 彼の相棒であり、『冒険合奏団』の戦利品の一つでもある、長槍。
 その槍を見ながら、彼は人知れず目を細めた。





 狩りは、昼休憩を挟んで夕方まで問題無く続いた。朝こそ何度か話し掛けられたものの、自分が全く反応しないと分かってからは三人だけで姦しく話をし続けていた。それでもナガツキだけは夕方まで自分のマントを引っ張り続けて、何か言いたげにしていたのだが。

 だが、反応しない。しないように、なっている。

 (「『青騎士』は、喋らない。戦闘会話以外には、頷きさえしない」、からッス)

 ファーは忠実すぎるほどに、『青騎士』となる為に書かれたメモを守る。中学時代は真面目なくせに成績不良で有名だった彼が、その文章を一言一句丸暗記するほどに見続けたその文章は、ファーの脳に直接インプットされたようにその行動を制御している。だから、

 「あ、あの、その、」

 狩りが終わり、主街区までの帰り道で、再び話し掛けられた時も、そうした。

 「ねえ、『青騎士』サン? やっぱり、私達と一緒にならない? 相性ばっちりだったじゃん?」
 「狩りもぉ~、快適だったよぉ~」
 「ちょ、ふ、二人ともっ!?」

 声をかけてきたナガツキを庇うように、或いは支える様に左右に立った二人が更に追い打ちをかけるように口を開く。が、その声が聞こえても、ファーがその声に反応を示すことは無かった。その無反応は既に彼の脳裏に染みついており、彼の言動はおろか思考にすら動きを及ぼさない。

 応答を求める言葉には、反応しない。
 それが彼の…彼らの決めた、『青騎士』のルール。

 何秒たったか。五秒か、十秒か。或いはそれは数分に及んだか。
 口を開いたのは、ナガツキだった。

 さっきまでの困ったような顔を変えて、はにかんだような、諦めたような、弱弱しい笑みで。

 「あ、あの、今日は、ありがとうございました。私達ばっかり助けて貰って、大していいアイテムもドロップしなくて、『青騎士』さんの役には何にも立たなくて……。でも今日は、すごく楽しかったです。お金が貯まったら、またお願いしますね。……じゃあ、また」

 笑って、身を翻した。
 そんな彼女を見て、残りの二人も困ったように顔を見合わせて、ぺこりと礼をして去って行った。

 その動作にも、反応はしなかった。
 反応せず、見続けた。三人が、街へと……《圏内》へと入るその瞬間まで。

 そして。

 (……「役には何も立たなくて」?……立ったッスよ、十分)

 ゆっくりと、振り返る。
 シドには劣るが、あれから鍛えた《索敵》スキルは、辺りの犯罪者達を十分に捕えていた。

 (……こうして、またエモノが釣れたんスから)

 翻ったその騎士の面の向こうに、先程までの思考の停まった面影は無かった。
 あるのは敵意。害意。そして、爛々と輝く、戦意。

 騎士の歩みは、それだけで背後に隠れて自分の首を狙っていたオレンジプレイヤー達を茂みから引き摺りだした。慌てて武器を構える者、距離をとって辺りを覗う者、先んじて《投剣》スキルで先制してくる者。そんな彼らの数人が『牢獄』へと送られ、残りの面々に恐怖を刻みこむのに、五分とかかりはしなかった。





 窓の外のけたたましい雨音を聞きながら、

 「んで、アンタここまで武器やっちまったワケ? 相手何人いたのよ?」
 「……六人、ス……」

 リズベットは大袈裟に溜め息をついた。目の前で丸椅子に腰かけるのは、ファー。彼の装備品は異常なほどに多く、そのほぼすべてが彼女の手によるプレイヤーメイド品だ。青い輝きを纏う本来は豪奢で美しい全身鎧の一式全てがかなり耐久度を削られており、目に見えて傷だらけだ。同時に出された長槍も、刃の部分がかなり消耗しており、このまま使えば二日と持たないだろう。

 「……はぁー。全く、お金は払ってるからいいけどさ」
 「……はい……」

 溜め息をつきたくもなろう。彼の装備一式を翌日までに修繕し直そうと思えば、一晩丸々かかることは想像に難くない。このしんどい依頼が、一週間と間を置かずに来ているのだ。もう十一月。この生活が始まって三カ月だ。

 (アタシも意外と、やれば出来るわねえ……)

 この暮らしがはじまったすぐの頃は、到底一ヶ月持たないだろうと思っていた。しかし、自分の体は思った以上に頑丈にできているらしくその三倍の期日を超えてなおとりあえずはちゃんと動き続けている。全く、これなら受験勉強も心配なく徹夜で頑張れそうだ。

 頑張れそうにないのは、

 「……アンタ、ちゃんと寝てんの?」
 「……」

 この男の方だ。

 ギルドにいた頃から、嘘の付けない男だった。疲れ切った眼光に、おぼろげな視線。姿勢は泣きだす寸前の子供の様に俯いて、項垂れている。うーん、分かりやす過ぎる。明らかにアタシよりも重症だ。しかしこの男は、まさにこんな姿だった三か月前から、日々死闘を繰り広げ続けているのだから、正直信じられない。

 「はぁー。死なない程度にしときなさいよ……」

 それだけ言って、修繕に取りかかる。普段は自分の作品達、一つ一つを大切に扱うのだが、こんな雑念まみれではとても集中できそうにないが、染みついた作業は体が勝手にこなしてくれていた。

 頭の中ではいろいろと考えていたが、あたしの口はそれ以上は、何も言わなかった。この男の心が、もう大分擦り減っていることを知っていたから。それはまるでこのSAOが始まった頃のアタシやアスナ……いや、それよりも上だろう。それを癒せるのは、きっと私じゃないのだ。

 キリトのような、ソラのような、選ばれた人間達。

 (……はぁー)

 もう一つ、内心で溜め息をつく。脳裏に浮かぶのは、二人の姿。つい先日、「結婚報告」に来たばかりの、黒と白の、二人の若者。全く、確かに今回は負けを認めたものの、こんな報告を堂々としに来るとは。まあ、しに来なければ来ないで許せないが。

 そんなことを思っていたせいだろうか。

 「まったく、しょうがないんだから……」

 一区切りついたところでふらりと立ち上がり、俯いたままピクリとも動かないファーへと近づく。まったく無反応のところをみるに、どうやら眠っているようだ。その、短い金色の髪を、そっと撫でる。キリトみたいに馬鹿で、アスナみたいに真っ直ぐで、レミみたいに不器用で、……ソラみたいに理想を語って。

 思えば彼は、きっと一番『冒険合奏団』の影響で変質したのは、彼だったのだ。

 レミやソラは、どこに行っても彼女ららしくあったのだろう。それは確固たる個性の証とも言えるし、もう性格が固まってしまった、成長の限界だとも言える。そんな彼女らは、きっとどんなことがあったとしてもそのままだったのだろう。

 その点彼は違う。彼は、変質した。もし別の場所にいたら、もっと別の彼になったはず。『軍』にいたら『軍』の色に染まっただろうし、もしオレンジギルドにいたらオレンジギルドの色に染まったのだろう。そして彼は、何の偶然か或いは奇跡か、『冒険合奏団』というリズの知る限り最高のギルドに育てられた。

 (あの頃のコイツは、もっと……うーん、犬っぽかった、かな?)

 ひとしきり撫でた後、何故か満足したので思考を中断する。うーん、人恋しかったのかな? キリトとアスナをみて、ちょっとうらやましかったのだろうか? これは浮気になるのか?いやいや、今考え
ることではないか。だってこいつ、ワンコだし。

 苦笑して、再び作業に戻る。
 まあ、なかなかに気分が良かったことは認めよう。だから。

 (……その分のお礼は、この修繕を完璧にすることかしらね)

 ちょっとだけ笑って、またアタシは作業に戻るのだった。





 しかし、彼女の想いは、果たされなかった。
 届いた一通のメッセージに、ファーが修繕もままならない鎧をて再び出撃したからだ。


 ―――『青騎士』へ
 第五十五層、『結界の丘』にて待つ
 来なければハヅキ、ウヅキ、ナガツキ三人の命は無い
 殺人者ギルド 《墓荒しの蝙蝠(コフィン・バッツ)》―――


 簡潔過ぎるそのメッセージに、彼は再び、『青の亡霊騎士』と化した。

 その姿は罪無き命を守る騎士のそれではなく。
 咎人を裁く断罪者のそれだった。

 
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