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ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~

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ALO編
  episode6 彼女の想い2


 鍛冶妖精(レプラコーン)領首都の、埋め立て地帯。

 炭鉱の様な灰色の空気の漂うこの土地は翡翠の都スイルベーンや色鮮やかなアルンと比べれば明らかに劣るだろうが、俺は個人的にはこのススの匂いと研ぎ澄まされた空気、そして絶え間無い鎚の音の響くこの街は割と好きだ。ALOが映像、音楽共に最高レベルの水準にあるゲームであることに疑いはないが、それでもこういった何気ない人の動作が連なって生まれる音楽とは呼べない音の群れも、悪くない。

 俺が最後に聞くことになるかもしれない、音楽としては。

 一際近い鍛冶の音が工房から響くのを聞きながら、窓を見やる。
 遮光カーテンの向こうの空は、どんな色をしているだろうか。

 世界樹は、見えているだろうか。

 (本当に……悪くない、な……)

 鍛冶妖精領の一角にある、『ペット用装備製作店』。長いようで短かった《天牛車》での旅は終わり、俺たちは今、目的地に来ていた。領内の村に特定の時間に猫妖精(ケットシー)の姿で訪れた際のみ入れるその店に、その中でもとびきりの高級品である《竜鎧》の作成を依頼していた。あれだけの大口の依頼だ、NPCとはいえそれなりの時間がかかるだろう。

 その時間俺は、出来上がりを待ちながら窓を……その遠くを、眺めていた。

 と、視線の先を遮る様に突然表示されたのは、青い画面……ウィンドウだ。もう見慣れたそれは、ブロッサムの左手から生み出されるメッセージ。少し引いて、その近すぎる文字を読む。

 『何を考えているのですか?』

 舌を巻く。そこまで黄昏れていたつもりはないのだが、どうやらブロッサムにはそれが見えていた……或いは、感じ取れていたらしい。全く、流石に感情の機微には敏感な奴だ。苦笑を堪えてその顔を見やると、その顔はどうも怒っているようだった。

 「……ちょっと、用事を思い出してな。そろそろ出掛けようかと」
 『この期に及んで嘘をつくとはどういう用件でしょう? 間違いなく、「思い出して」、ではなく機を窺っていらしたのでしょう? 何を考えているのか、と聞いているのです。簡潔に述べてください。ごまかしやはぐらかしはは無しでお願いします』

 昔から嘘をつくのは得意だったのだが、どうやらこの人には通用しないらしい。まあ今回はさして誤魔化す気はないのだから、別にばれても構わないと言えば構わないのだが。苦笑を心の中にゆっくりと納めて、立ち上がる。

 ブロッサムの細い目を、真っ直ぐに見て。

 「……ブロッサム。ここの荷物の運搬を任せたい。ここは生産職の多いレプラコーン領、傭兵も多いだろうし、ここに店もあるブロッサムなら知り合いもいるだろう? 金は置いていくから自由に使って、なるべく早くにアルンまで《竜鎧》を届けてほしい」
 『貴方は?』
 「……行く所がある。……やるべきことが、あるんだ」

 向こうも、真っ直ぐに俺を見返す。
 細い目の奥の、強い意志を秘めた瞳。

 『それはもしや……いえ、断言していいですね、何か危険を伴うのですね。この世界でのゲームオーバーなどではないもっと大きな……それこそ貴方があの『呪われたゲーム』で体験したような。……そ
こには、貴方が行かなければならないことなのですか? 私が変わって実行することは出来ないのですか?』
 「……分かるもんかね。まあ、その通りだよ。……俺にしか出来ないし、俺がしたいことなんだ。だから、行かせてほしい。だから、」
 『嫌です。お断りします』

 意を決しての言葉は、途中で遮られた。瞳は真っ直ぐに俺を見詰めたまま、即座に拒絶のメッセージが打ち込まれる。そんな彼女の聞き分けのなさに、大きく溜め息をつく。この調子では、どうしてもかと確認しても、返事は変わらないだろう。

 『貴方を危険には晒せない』の言葉が、何度も強調されて表示される。

 「……そうか…」

 はあ。もう一度、深く溜め息をつく。仕方ないか。
 そう、仕方ないな。
 この手段は……あの名は使いたくなかったが、仕方ない。

 もう一つ溜め息をついて、ゆっくりと、口を開く。ゆっくり、ゆっくりと。

 「……なら、答えて……いや、答えろ。言ってみろ。自分に与えられた名を。その、意味を」





 「答えろ。言ってみろ。自分に与えられた名を。その、意味を」

 突然、周囲の空気が硬質で張り詰めたものへと変貌した。いつもの……現実世界の彼からすれば幼すぎるその声すらも、口調の変化と共に堂々とした重い威厳を持つように錯覚する。その口から放たれた言葉が、私の心の奥深く……いや、私という人間の根幹を揺さぶった。

 「……神月、でございます」

 その言葉には、逆らえない。私の口が自動的に動き、現実のそれと異なる声が生まれる。
 だが、声が違えど、姿が違えど、私という存在を為すその言葉は、決して変わることは無い。

 「意味するところは、付き従う者。四神『守』の家に仕え、侍り、『付き』従う者。育てて頂いた恩義を胸に、己の全て……心も体も声も唇も、全てを捧げることを定められた者でございます」

 神月。その名は、名字では無い。様々な理由で親のいない子達が傘下の孤児院へと集められ、育てられる過程にてその資質を見込まれて本家に仕えることを定められた……いや、仕えることを()()()者にのみ与えられる、称号としての名字なのだ。

 「……では、言ってみろ。仕えるべきものは何だ? 従うべきは誰にだ?」

 なおも続く、厳かな言葉。私の眼にはもう、小さな仮物の体は映っていない。映るのは大きく、強く、誇り高い、主の姿。仕えることを言い渡され……仕えると誓った、金髪碧眼の青年の姿。陶酔したように固まっていく脳とは無関係に、口は淀みなく言葉を紡ぐ。

 「仕えるべきは、本家たる四神守。従うべきは、主人たる貴方様、シエル・デ・ドュノア様でございます。私の御主人様である、貴方様でございます」

 響き渡る主人の声に、その重い、堂々とした言葉に、脳が、甘く痺れる。

 現実世界でも、この仮想世界でも、どこか軽薄で飄々として、そして自信なさげな態度の主人。彼を主人として傍に付き従いつつも、どこかその言動に不満を抱いていた。主人は、主人なのだ。自分の主として、格好良く振舞ってほしい。威厳に満ち溢れた言葉で自分に命令してほしい。主人の誇り高さを、存分に見せつけて欲しい。

 ―――そうだ。私はこれを求めていたのだ。

 蕩ける様な快感が身を包み私を、主人の為だけに生きる一つの存在……『神月』のあるべき姿へと変質させていく。途方も無い達成感と、充足感。

 「ならば、『四神守』の血を継承する者として、我が付き人たる『神月』に命ずる! この工房での《竜鎧》の完成と共にこの場を発ち、一刻も早くアルンへとこれらを運搬せよ! あらゆる手段を用いて、最速の行動を取れ!」

 朗々と謳い上げられる命令。
 熱病にでも罹ったかのように疼く体が、深く頭を垂れる。

 「畏まりました。全てはご主人様の仰せのままに。『神月』……『四神守』に仕える者として恥ずかしくない仕事をお約束致しましょう」

 深く、深く下を向いたまま、主人を見送る。全ての指示を出し終えて扉へと向かうその主君の歩みを、見ることすらも恐れ多いと感じながら耳で追う。その、極限まで澄ました耳に。

 「……ありがとう…牡丹さん……」

 ほんの小さな、彼の呟きを聞いたように錯覚した。





 扉を閉めて、一気に走りだす。まだ時間が時間なせいで、流石に道行く人は疎ら。全力で駆け抜けようとも人に迷惑はかかるまい。その飛ぶような疾走とは裏腹に、心は重かった。また溜め息を一つつく。全く、今夜だけでもう何回目だ。

 (言わせたく、なかったんだがな……)

 喋らない、ブロッサム。

 思えば、最初から不思議ではあった。旧世代のゲームのようにボイスチャット……つまりは声が向こうの世界での自分のそれと完全に一致するゲームと違い、このALOでは声はランダムパラメータだ。だから声で正体がばれる、などということはありえないにも関わらず、なぜ彼女は喋らないのか。

 恐らくそれは、彼女の精一杯の妥協だったのだ。主人である(ということに名目上なっている)自分に対して気兼ねなく発言するのはやはり気が引けたのだろう。だから、テキストチャットを使った。

 ……まああれだけ毒舌を吐いて……いや打ち込んでおきながら「直接口ではちょっと」もクソもなかろうと思うのだが、一応牡丹さん基準ではそういうものだったのか。

 牡丹さん。
 彼女は俺の付き人としてずっと俺に、文字通り付き続けていたわけだ。

 (使いたく、なかったんだがな……)

 苦い表情になるのは、別に爺さんに禁止されていたからなどという理由では無い。
 ああ言えば、牡丹さんが逆らえないことは分かっていたからだ。

 『四神守』と、『神月』。孤児院のような設備で育てた子供たちのうち、望んだ人達を使用人として本家で雇うというシステム。明言されている訳ではないが、それでも「育てて貰った」という恩を受けた、いや恩を押し着せられた『神月』の人間が『四神守』に付き従うのは、ある意味当然と言えた。そんな人を人と思わないような扱いは、出来ればしたくなかった。

 だが。

 (仕方ない、か……)

 行かなければならない場所がある。
 絶対の確信というわけではないが、不自然な…いわば、この世界の綻びを感じさせる場所。

 それはもしかしたら、あの世界に通じるかもしれない場所なのだ。
 失われた、あの世界に行くチャンスがあるのなら、その席を譲るわけにはいかない。

 たとえどれほどの危険が……それこそ、命の危険があるのだとしても。

 (俺が、行くべき場所なんだ)

 まだ深い夜空の下、俺の体が埋立地の硬い地面を蹴って駆け抜けた。

 
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