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銀河英雄伝説~美しい夢~

作者:azuraiiru
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第三十六話 坂道




帝国暦487年  9月 7日  イゼルローン要塞 イゼルローン方面軍司令部  ヘルマン・フォン・リューネブルク



「昇進したのか」
「ああ、今回の戦功でな」
「そうか、まあ目出度いと言うべきなのだろうな」
シェーンコップが俺の軍服をしみじみと見ている。中将から大将に昇進した事で軍服が変わった。多少心得の有る人間なら直ぐ分る。

今回の戦いで捕虜になったのはローゼンリッターが三十五名、軽巡航艦を動かす為に用意された人間が三十名の計六十五名だった。イゼルローン要塞には空いている部屋が沢山ある。連中はその幾つかの部屋にそれぞれ五名程ずつ分散して監禁されている。もちろん部屋は離れ離れだ。たとえシェーンコップが逃げ出しても仲間を助けるのは難しい。

ローゼンリッターと軽巡航艦を動かす為の兵士は同室にはしていない。ローゼンリッターは同盟軍の兵士にはウケが悪い、一緒にするのはトラブルの元だろうと思ったので俺がグライフス方面軍司令官に別々にするように進言した。

俺は二日に一度は連中の元に行き無聊を慰めている。何と言っても元は同僚だったのだ、それくらいはしてやらないと……。差し入れをしてやる時も有る、酒は無理だがクッキーやアイス等の甘いものだ。結構喜ばれているのだがシェーンコップは甘いものを好まないから不満そうだ。ということで今日はナッツを用意してやった。少しは喜ぶだろう、帰りがけに渡してやるのを忘れないようにしないと。

「勲章でも貰って終わりかと思ったのだがな、事情が有って昇進になった様だ」
「事情?」
興味有り気だな、一緒に部屋に居るリンツやブルームハルトも興味深げにしている。娯楽が少ないからだろう、俺が来るのを結構楽しみにしているようでもある。

「イゼルローン方面軍の最初の武勲だ、そして俺をここに配置したのはブラウンシュバイク公だからな」
「なるほど、戦果を大きく評価して地盤固めか、ブラウンシュバイク公の地位は必ずしも盤石ではないようだな」
少し皮肉な口調だな、シェーンコップ。

「地盤固めか、それも有るだろうが主たる狙いは別なようだ」
俺の答えにシェーンコップが訝しげな表情をした。
「帝国政府は国政の改革を行おうとしている。まあ、貴族の専横を抑えて平民達の権利を拡大しようとしているわけだ。結構平民達の不満が溜まっているからな。しかしそうなると貴族達は面白くない、という事で反抗しても抑えつけるだけの武力が有るぞという恫喝のためだな」

シェーンコップが顔に驚きを浮かべている。
「改革を行うと言うのか……」
「まあそうだ。元々公は平民の出だ、昔から改革が必要だと思っていたようだな。……今ミューゼル提督が四個艦隊を率いてこの要塞に居る。改革が始まれば帝国は混乱するかもしれん、となれば同盟も動く可能性が有る……」
「それに対処するためか」
俺が頷くとシェーンコップが唸り声を上げている。

改革はもう始まっている。汚職政治家として評判の悪かったカストロプ公は処断されカストロプ公爵家は廃絶となった。カストロプ公の嫡男、マクシミリアンはカストロプ星系で抵抗しようとしたが討伐軍が接近すると部下達に叛かれ殺された。

ノイケルン宮内尚書、カルテナー侍従次長も御禁制のトラウンシュタイン産バッファローの密猟に関わったとして逮捕されている。処罰はまだ決まっていないが皇帝の財産を盗んだのだ、死罪は免れないだろう。改革の実施、相次ぐ高官の処罰にイゼルローン要塞の兵士達は好意的だ。彼らの殆どが平民、下級貴族だ。安全な場所で不正を働く貴族に対して強い不満を持っている。

「どうだ、シェーンコップ。お前も帝国に仕えんか、帝国はこれから良い方向に動くぞ。ブラウンシュバイク公はお前達を捕虜では無く旗下に迎えたいと言っている」
「……好意は感謝する。しかし、俺達が帝国に仕えれば同盟は俺達が裏切ったと思うだろう。それでは残された仲間達が辛い思いをする事になる」
シェーンコップの言葉にリンツやブルームハルトも沈んだ表情をしている。

どうやら俺が亡命した後、相当に苦労したようだ。あの亡命を後悔してはいない。けっして帝国から歓迎された亡命ではなかったが亡命しなければ同盟で鬱屈したまま腐っていっただろう。亡命を後悔した時も有ったがあの決断が有ったから今の俺がいるのだと思っている。帝国軍大将にまで出世した、信頼できる上司も居る。それだけに目の前で沈んだ表情をしている彼らを見ると内心忸怩たるものが有った……。

「しかしなあ、シェーンコップ。お前達が同盟に義理を通してもあいつらがどう思うか……。残された連中は結局は辛い思いをするかもしれんぞ」
「……」
シェーンコップ達の表情が曇った。

「分かっているだろう、俺達はどんな時でも貧乏籤を引かされた。今回だとて作戦の失敗はお前達が失敗したからだと言い立てるのではないかな。正直にブラウンシュバイク公に作戦を見破られた事を認めると思うか? 俺にはとてもそうは思えん」

そんな苦しそうな顔をするな、シェーンコップ。お前はふてぶてしいくらいの笑顔の方が似合うのだ。
「ブラウンシュバイク公がお前達に好意を持っているのは事実だ。公はなかなか愉快な方だぞ、それは俺が保証する。悪い事は言わん、意地を張らずに公の厚意を受けろ。お前が受けなければお前の部下も受けられんだろう」
「……」
僅かにシェーンコップの表情が動いた、だが無言だった。

「お前達はこれからオーディンに向かう事になる」
「貴様も一緒か」
「いや、俺が戻るのは交代の師団が来てからだ。まああと二週間は先の事だろう、お前達は遅くとも明後日には出発のはずだ」
「……そうか」
「時間は十分に有る、良く考えるのだな」
「……」

帰り際にナッツをシェーンコップに渡した。“クッキーか?”と訊いて来たので“ナッツだ”と答えるとふてぶてしい笑顔で“酒が欲しいな”と言ってきた。いずれ飲めるようになるさ、公の部下になればな。



帝国暦487年  9月 10日  オーディン  ブラウンシュバイク公爵邸    エーリッヒ・フォン・ブラウンシュバイク



「どうかな、状況は」
「まあこれまでの所、露骨な動きをする貴族はいないようです。フェザーンも表面上では大人しくしています」
「そうか」
ブラウンシュバイク大公が頷きながらワインを口に運んでいる。

食事が終わり皆好みの飲み物を持ってリビングに移動した。大公と大公夫人はワイン、俺はジンジャーエール、エリザベートはアップルサイダーだ。不思議なのはこの家ではエリザベートの前でもごく普通に政治の話が出る事だな。まあ彼女に訊くと十二歳になってからそうなったらしい。但し、外で話すのは厳禁だそうだ。

「マクシミリアン・フォン・カストロプが部下の手によって殺されました。下手に反乱を起こせば同じ運命になる、貴族達はそう思っているようです」
「ふむ、マクシミリアンもなかなか役に立ってくれたな」
「ええ」
義父が満足そうに笑みを浮かべている。義母も同様だ、怖い夫婦だな。

マクシミリアンの殺害は随分と酷いものだったらしい。遺体を確認したクレメンツからの報告では体中に刺傷が有ったそうだ。多分嬲り殺しに近かったのだろうと言っていたが俺もそう思う。日頃の恨みを存分にはらしたのだろう……。考えてみれば貴族とは酷く脆いものだと思わざるを得ない。彼らの特権は帝国が保障したものだ。平民達は貴族の後ろに帝国を見てひれ伏している。所詮は虎の威を借る狐なのだが貴族達はそうは思わない、自分が何をしても許される絶対の存在だと勘違いしてしまう。

しかし帝国の保障が無くなればどうなるか……。マクシミリアン・フォン・カストロプがそれを教えてくれる。あっという間に平民達に命を奪われてしまうのだ。おそらくマクシミリアンは自分が何故殺されるのか、死を迎える瞬間まで理解できなかっただろう。自分が虎では無く狐なのだという事を理解していれば帝国政府に抵抗などしない、大人しく降伏して命の保障を請うたはずだ。

「最近良く来るようだな」
「……ヴァルデック、コルヴィッツ、ハイルマンですか?」
俺が問い掛けると義父が頷いた。
「誤解が解けたと喜んでいます。しばしば来るのは私との関係が良好だと他の貴族に見せつけるためでしょう」

俺に殺される心配が無くなったとでも思って喜んでいるのだろう、お目出度い奴らだ。どうしてリメス男爵が爵位を返上しようとしたか、もう忘れたらしい。それどころか、真犯人を知っていたのならもっと早く教えて欲しかったと恨みがましく言ってくる始末だ。俺なら先にリメス男爵家の相続の件で謝るところだ、あれが無ければあの無残な事件は起きなかった……。

それに比べればマリーンドルフ伯はなかなかのものだ、あの黒真珠の間の一件の後、ルーゲ伯爵、ヴェストパーレ男爵夫人と共に正式に謝罪してきた。俺も素直に気にする事はないと言う事が出来た。彼らとの関係は良好なものになるだろう。

「カストロプ公爵家の財産だがどの程度になるのだ?」
「まだ整理が始まったばかりですのではっきりした事は分からないようですが……」
「?」
「ゲルラッハ財務尚書の話では四千億帝国マルクを下る事はないそうです」
俺の言葉に大公夫妻が顔を見合わせた、エリザベートは眼を丸くしている。

「随分と貯め込んだものだな、四千億か……」
「平民達が不満を持つ筈ですわね」
大公夫妻が溜息交じりの声を出した。帝国最高の権門であるブラウンシュバイク公爵家の人間が呆れている。十五年近く財務尚書の地位に有ったとはいえ異常と言って良い。仕事よりも蓄財に精を出していたのだろう。

「少しは平民達の不満も解消されたかな」
「改革がどう進むかでしょう。カストロプ公は氷山の一角でしか有りません。他にも似た様な不正を行っている貴族は沢山います。彼らが素直に改革に従ってくれれば良いのですがそうでなければ平民達の不満は爆発しますよ」
大公が唸り声を上げた。

希望が有る限り、人間は自暴自棄にはならない。なっても周囲の人間が止めてくれるだろうし同調する人間も少ないだろう。騒乱は小規模な物で済むはずだ。だから帝国政府は平民達に絶望では無く希望を持たせなければならない。平民達に政府は自分達の事を考えてくれていると思わせなければならないのだ。例えその本心が革命などで殺されたくないという利己的な物であったとしても……。

「不満が爆発すれば、そして収拾がつかなくなれば、その矛先は必ずブラウンシュバイク公である私に向かってきます。平民でありながらブラウンシュバイク公爵家の養子になり自分だけが良い思いをしていると……。他の貴族達よりも遥かに憎まれるでしょうね。エリザベートもその憎悪に飲み込まれる事になる」
「縁起でもない事を言うな」

不機嫌そうな表情だ、だが否定はしなかった。大公夫人も反論はしない。そしてエリザベートは怯えた表情で俺を見ている。哀れだと思った、ブラウンシュバイク公爵家の未来は決して明るいとは言えない……。義父が暗い空気を打ち払うかのように咳ばらいをした。

「それを防ぐためにも改革をせねばならん。次は裁判だったな」
「はい、平民達に控訴権を与える事、それと帝国政府の同意無しに帝国臣民を死刑にする事を禁じます。今司法省で準備を整えています」
「貴族達がそれを受け入れるのは難しかろうな」
大公が憂欝そうな表情をしている。貴族達の反発を思ったのだろう。

「反発は有ると思います。しかしこれはやらなければなりません。直接税を制限した以上、貴族達は賦役でそれを穴埋めしようとするはずです。当然ですが賦役は厳しいものになる。賦役を軽減させ平民達の生命を守るには平民達に控訴権を与え貴族達が恣意によって平民を処罰する事を制限しなくてはならないのです」

控訴は帝国政府に対して行わせる。それによって貴族の領内統治に介入する事が出来るようになる。貴族達は何が嫌だと言っても帝国政府に干渉される事を嫌うはずだ。当然だが干渉を避けようとすれば統治は穏健なものにせざるを得ない。変に隠蔽するなら強権を持って潰す、或いは領地を一部取り上げる……。

善政を布く貴族だけが生き残れるだろう。これまでの生き方から抜けられない貴族は緩やかにそして確実に没落していく事になる。帝国貴族に領地を与えたのは帝国の統治の一部を委任しただけで有り財産として与えたものではないと言う事を理解させねばならない。統治において悪政や不正が有れば領地は没収されるのだと言う事を理解させねば……。溜息が出そうだ。

「それでもこれは平民達に対しての救済でしか有りません。農奴は対象外です」
「農奴か……、どうするつもりだ、切り捨てるのか?」
義父が眉を寄せている。
「色々と考えてはいますが……、先ずは平民を優先させようと思っています」
「そうか……、農奴問題は厄介だぞ。注意せねばならん」
「はい」

農奴問題は厄介と言うのは大袈裟でも無ければ誇張でも無い。こいつの厄介さにはほとほと頭を痛めている。農奴は人間だ、何らかの原因により貴族の所有物になり帝国臣民ではなくなったところにその厄介さが有る。帝国臣民であれば平民であろうと法によって守る事が出来る。しかし農奴は帝国臣民ではない、あくまで所有者である貴族達の私有財産なのだ。

帝国はこれまで農奴を認めてきた、だから貴族達は私財として農奴を集めたのだ。農奴解放と言えば人道の観点からは聞こえは良いだろうが貴族達は私有財産の保護を無視するのかと反発するだろう。政府の政策には一貫性が無い、その所為で自分達が損害を受ける事は納得がいかないと言われればその通りだと言わざるを得ない。どう見ても理は貴族側にある。一つ間違うと改革そのものが否定されかねない。

ブラウンシュバイク公爵家にも農奴はいる。大体三十万人程居るらしい。もちろん帝国貴族の中では最大の保有数だ。彼らはブラウンシュバイク公爵家の重要な労働力になっている。義父の言う『厄介』の中にはそれも入っているだろう。彼らを失った時、それに代わる労働力をどうするのか、ウチだけじゃない、多くの貴族がこの問題に直面するはずだ。貴族など滅びてしまえと思わないでもないがそれが社会不安の一因になるのは困る。これも頭の痛い問題だ。

だが農奴の存続を認めれば貴族達は間違いなく農奴を増やそうとするだろう。これはこれで貴族と平民の間に新たな衝突を生み出す事になるはずだ。それに農奴と自由民でどちらが生産力が高いかと言われれば間違いなく自由民なのだ。政府としては農奴を無くして自由民を増やす方向で改革を進めなければならない。

やはり農奴は買い取る形で解放するしかないだろうな。そして新たに貴族が平民を農奴として買い取る事を禁止する。そういう形で農奴制を廃止に持って行くしかない。時間がかかるだろう、多くの人間が農奴のまま死んでいく事になる、酷い話だ、溜息が出た……。

「ところでカストロプをどうするつもりだ」
「……」
「財務省の接収が終わったら内政に関しては自分にまかせて欲しいと言っていたが」
考えに耽っていると義父が問い掛けてきた。

「開明派に任せてみようかと考えています」
「大丈夫か? 連中はかなり急進的だが」
義父が顔を顰めている。あいつら評判悪いんだな、改革の必要性を認める人間から見ると急ぎ過ぎている、机上の空論、そう見えるらしい。

「丸投げにはしません。私の管理下で行わせます。カストロプはオーディンから近い、あそこで開明派の統治が上手く行けば貴族達に与える影響は小さくありません。それに刺激を受けて自主的に領内統治を変えていく貴族が現れればと考えています」
「なるほど、ブラウンシュバイク公爵家の統治にも取り入れるか……」
「はい」
義父が頷きながらワインを口に運んだ。俺もジンジャーエールを口に運ぶ。炭酸の気が抜けて妙に甘ったるい飲み物になっていた。ま、嫌いじゃないがな。

急な坂道を自転車でブレーキを掛けながら下りるようなものだな。止まる事も出来ないし戻る事も出来ない。そしてブレーキをかけなければ自転車の制御が出来ず事故を起こすだろう。少しずつ少しずつ降りるしかない。厄介な事だ、また溜息が出た……。



 
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