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命短し、恋せよ軍務尚書

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 「なぜ、そう断言する」
常とたがわぬ冷たい調子で、オーベルシュタインは自信ありげな部下に問い質した。不遜な部下は少しも動じることなく、微笑を浮かべたまま回答を提出した。
「単純な心理分析ですよ。閣下には好きな女性がいる。だから、身内とは言え他の女性と会っていることに、変な誤解をされたくないと思っていらっしゃるんです。まして、かつての許嫁です。また縒りを戻すのではと、いい加減な噂を広める輩もいることでしょう」
オーベルシュタインは驚いたようにその半眼を見開いたあと、困惑したように目を伏せた。彼らしくないあからさまな感情の動きが、肯定を意味していた。
「図星ですか」
俯いたまま返答しないオーベルシュタインに、フェルナーはすっと緊張を緩めて言った。
「何も、根掘り葉掘り伺おうなどとは思っていませんよ、閣下」
無意識なのか、きゅうっと下唇を噛みしめて、冷徹非道といわれる軍務尚書は全身を硬直させている。まるで年頃の娘のような反応に、フェルナーは可笑しいやら心配やらで、小さくため息をついた。
「そうですか、閣下にも春が来たんですね。良いことじゃないですか。どうしてそんなに、暗い表情をなさるんです?」
意図的にあっけらかんと言って、フェルナーは上官の鞄をひょいと持ち上げた。オーベルシュタインは自分の鞄の行く末をぼうっと眺めながら、何事かを逡巡していた。
やがて、ぼそりと一言漏らす。
「私は、どうしたら良いのだろうか」
オーベルシュタインは机に両肘をついて、額を抱えるように顔を伏せてしまった。フェルナーは次の言葉を待ったが、一向に続く様子がなかった。「どうすれば良いのか」とは、今夜会う従姉のことではなく、好きな女性のことであろうと予想できる。しかし、具体的に何を相談したいのか、オーベルシュタイン自身にも分かっていないのだろう。フェルナーは妙に可愛らしい上官に内心でクスクスと笑った。
「閣下、前言撤回いたします。根掘り葉掘り伺いましょう。……その女性とは、お付き合いなさっているのですか」
オーベルシュタインは顔を上げた。その表情は、少しホッとしたように頬の筋肉を弛緩させていた。
「いや、そのような事実はない。私の……私の一方的な思慕だ」
気恥ずかしそうに目を逸らして、オーベルシュタインはそれでも正直に答えた。
帝国元帥が部下に恋愛相談。到底ふさわしくない状況であることは、オーベルシュタインにも分かっていた。しかし、プライベートで相談できる相手のいない彼としては、部下の中で最も信頼するフェルナーに話す以外に、自分の困惑を解消する手段がないのであった。そのあたりの事情でさえ、フェルナーは承知して話を促しているのだから、好奇心過多な面が、今回は功を奏していると言うべきであろう。
「片思いですか。振られたということでしょうか?」
言いにくいことをあっさり質問する部下は、しかし今は頼もしい。オーベルシュタインは首を振った。
「では、まさか告白さえしていないとか。……そもそも、話したことはあるんですか」
今度は小さく肯いた。
「何度か言葉を交わしたことはある」
そう言って少し間を置いてから、消え入りそうな声で説明を始めた。
「犬の散歩コースにある公園で、時折顔を合わせるのだ。彼女はダックスフントを連れていて、犬のことで少し話をすることがある。……それだけの関係だ」
再び目を伏せて寂しげな表情をする上官を見ていると、励ましてやりたいという気分になる。これも性分というものだろう。
「でも閣下。他にも大勢、公園を通る人間がいるのに、その女性は閣下と話をするんですよね。まったく脈なしとは言えないのではないですか」
そうだろうかと、オーベルシュタインは自信なげに呟いた。
「可憐で明るい女性だ。もしかすると、誰とでも言葉を交わしているのかもしれぬ」
そう言いながらその女性を思い浮かべてしまったのか、青白い頬にうっすらと朱が差した。上官のあまりにも純粋な反応が可愛らしく、フェルナーは込み上げる笑いを押さえるのに必死だった。
「そんなに自信がないなら、いっそ権力でご自分のものになさればよろしいでしょう」
無論これはフェルナーの軽口であった。自然体のまま自分を「笑い」という試練の場に連れ出した上官への、ささやかな復讐である。
「そのような非人道的なことができるか」
上官の顔はあくまで真剣で、フェルナーは耐え切れなくなって、ぷっと吹き出した。
「……閣下がそれを言いますか」
ひとしきり笑った後、真顔に戻って改めて思案を巡らす。
「それにしても、伝えてみる価値はありますよ。何しろ閣下ほどの方に想いを寄せられて、断る女性などいないでしょうから」
フェルナーの提案に、オーベルシュタインは激しく首を振った。
「それが嫌なのだ」
先ほどまで頼りなげに泳いでいた視線が、真っ直ぐにフェルナーを見据える。
「地位や財産を目的に付き合おうなどと思われるのは心外だ。私個人を見てほしいし、私に好意を持ってもらわねば意味がない」
日頃は他人からの評価など気にも留めない癖にと、フェルナーに皮肉られると、「好きな相手には好いてもらいたいと思うのが道理だろう」と恥ずかしげもなく答え、さらに部下を笑わせた。
「とはいえ、地位や財産もひっくるめて閣下という存在が成り立っているわけで、切り離して考えるのは容易ではありません。初めは帝国元帥という地位に惹かれたとしても、その後少しずつ互いに理解し合っていかれたらよろしいのではないですか」
そういうものかと、オーベルシュタインはゆっくりと肯いた。何しろ権謀術数から離れた探り合い、特に女心などには縁のない彼である。自分よりは遥かに経験豊富そうな部下の言に納得するしかなかった。
「そうと決まれば、まずはお茶にでも誘ってみてはいかがでしょう。犬を連れて入れる喫茶店なら、ブリーダーとしての付き合いの延長上で、すんなりと受け入れてもらえると思いますが」
そうだな、と言いかけて、オーベルシュタインはかぶりを振った。そもそも、そのような思い切ったことができるのならば、部下に笑われながらこんな話などしない。
「……にわかに首肯しかねる。地位財産を含めたとしても、彼女が私などの誘いに乗るだろうか。あれほど可憐で屈託なく笑う魅力的な女性(ひと)だ。もっと彼女に相応しい相手がいるのではないか。……私など、相手にされぬのではないか」
ああ、もう!フェルナーは感嘆とため息の中間のような声を出した。
そんな少女向け恋愛小説のような台詞を言われても、どうしろというのだ。
フェルナーはひとつ咳払いをした。
「それでは閣下。一生このまま、ただの顔なじみで過ごされるおつもりですか」
「……その関係が継続できるなら、それでも良いと思っている。時々顔を合わせて、わずかでも話ができるだけで、私は満足だ」
今時、15、16の女の子でも言わないような台詞である。無論、当人がそれで良いと言うのなら、フェルナーがどうこう言う問題ではない。しかしそれでは、恥を忍んで自分にこのような話をした意味がないではないか。ここまで聞いてしまった部下の身としては、何としてもオーベルシュタインに幸せを掴んでほしい。日頃から損な役回りばかりを引き受けている彼を見ているからこそ、余計にそう思わずにはいられなかった。
「それは矛盾していますよ、閣下。閣下はどうにかして今の状況を変えたくて、小官に話をされたのでしょう。人生には限りがあるのに、それも軍人の命は短いのに、想いを伝えないでどうするんです?」
部下の翡翠色の瞳が、いつになく揺れているように見えた。しかし、それでもオーベルシュタインは尚、返答に窮していた。
「閣下は、幸せにつながるかもしれない扉を、ご自分から閉ざしているんですよ。駄目で元々ではありませんか。このままではきっと、いつか死ぬ時に、ああ、せめて気持ちだけでも伝えれば良かったと、後悔なさいますよ」
沈黙の時が流れる。たった数秒が、数分にも数十分にも思われた。やがて、オーベルシュタインが意を決したように口を開いた。
「……分かった」
そう言うと微かに表情を歪めて、切なげな息を吐く。立ち上がり、鞄を受け取って出て行こうとする背中に、フェルナーは何ともいえず気遣わしげな視線を送った。 
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