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蒼き夢の果てに

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第5章 契約
  第64話 勝利もたらす光輝

 
前書き
 第64話を更新します。

 次の更新は、
 6月26日 『ヴァレンタインから一週間』第22話
 タイトルは、『玄辰水星登場』。

 その次の更新は、
 7月1日  『蒼き夢の果てに』第65話
 タイトルは、『魔眼の邪神』。
 

 
 いぃぃやぁあぁぁぎゃぃやぉぉううぅ~。


 霧に沈んだ街に、異世界の歌が聞こえて来る。
 声に成らない声。いや、人間の声帯では本来発声する事の出来ない音の羅列。

 地上から俺たちを見上げる死んだ魚のような瞳。その瞳が妖しい光を浮かべる度に、何処からともなく聞こえて来る異世界の歌声。
 そして、その異様なハーモニーが強く聞こえて来る度に、容易く現実の(ことわり)が砕かれ、世界の歪みが更に大きなモノへと変わって行く違和感に、自らの足元さえ覚束なくなるような異常な感覚に囚われる。

 そう。その一瞬一瞬に、俺たちの周りから通常の世界を支配する理が失われて行き、何か別の物……闇ですらないナニカが、世界を、あらゆるモノを塗り込めて行くかのようで有った。
 間違いない。これは世界を引き裂く歌声。

 間に合うのか?

 我知らず緊張感に身体を強張らせながらも、自らと、そして自らの腕の中から解放された紫の少女を空中の一点へと固定した後、彼女の端整な横顔を見つめた。
 しかし……。
 世界そのものが引き裂かれて行くかのような異界の歌声に乱された心が、その少女の横顔を見つめた瞬間に、術を行使する際に必要な精神状態に成って行くのが判る。

 現在。炎の精霊サラマンダーと、魔将ハルファスを現界させてからは、地水火風に属する魔法に因る攻撃は一切、行われなく成って居ます。
 但し、代わりに激しく成る物理魔法(コモンマジック)と、大弓。更に、マスケット銃に因る射撃。

 そして、その攻撃を遮るかのように、俺たちの周辺に発生する空間の歪み。

 そうだ。その歪んで見える空間こそが、俺たちの周辺の精霊が活性化している証。俺と湖の乙女の周囲では、炎の精霊たちが歓喜の歌声を響かせ、風の精霊たちが軽やかなステップを踏み、水の精霊たちが輪舞を繰り広げる。
 正に、精霊たちの王国がここに築き上げられていたのだ。

 マスケット銃の一斉射撃が水の精霊に弾かれ、大弓の放った矢が、風によって在らぬ方向へと逸らされて仕舞う。
 現状はまったく問題無し。例え、それが人間の限界を容易く超えた攻撃で有ったとしても、逆に言えば、それは所詮人間の限界。
 そして、俺の式神たちは、その限界の向こう側に居る存在。境界線の向こう側に暮らす、異世界の生命体たち。

 敵……操られた人々の攻撃に関しては大丈夫。このまま危険な邪神が顕われない限り、操られている人たちを解放してやれば、次の行動。急に出航したガリア両用艦隊の状況を探る事も可能と成ります。
 そう。危険な何モノかが顕われる前になら……。

 俺の顔を見つめてから、微かに首肯く湖の乙女。これは、彼女の方の準備と覚悟が完了した事を意味する首肯き。
 異世界からの侵略に晒された世界で、俺の精神(こころ)を安定させる、彼女の麗貌と、落ち着いた精神の在り様。

 俺も、同じように、小さく首肯いた後……。

 霧に包まれた世界に、ゆっくりと心に染み入るメロディが広がって行く。これは、鎮魂(タマシズメ)の笛の音。
 その哀愁を帯びたメロディが、しんしんと降る雪の如き霊力と成って、暴徒に埋め尽くされた大地へと降り注いで行く。

 そして、次の瞬間。その曲調に相応しい儚い歌声が重なる。

 淡々と……。

 そう。新たに龍の巫女と成った少女の歌声(霊力)が、大地へと降り積もる俺の霊力に重なり、彼女に相応しい色を着けて行ったのだ。
 精神に作用する水の精霊の職能を歌声に乗せながら……。

 蕭々(しょうしょう)と……。

 そう。何モノにも穢されていない色の霊気が、大地を覆い尽くす悪しき意識を駆逐して行くのだ。
 ゆっくりと。しかし、確実に……。



 しかし! そう、しかし!

 理性を消失し、操られるままに動き続ける人々の()に直接響かせる事が出来なければ、この術式は完成しない。
 そして、魂を揺さぶるのは、こちらの魂が放った真実の言葉だけ。表層を流れ行く、ただ美しいだけの旋律では、何も変える事は出来る訳がない。
 但し、逆に言えば俺の奏でる曲が。そして、儚げに歌う湖の乙女の歌声が、人々の魂に直接、届くもので有れば、間違いなく彼らを救う事が出来る。

 そう。俺と湖の乙女の作り上げる音楽(術式)が、どうしようもなく心を揺さぶる、とても美しく、そして儚い律動と旋律で有ったのならば……。

 遙か高所から降り積もるように……。悪しき気に因って塗り替えられた世界の理を、再び塗り替えようとする俺と湖の乙女の霊気。そして、その霊気に抗するは、海より這い上がって来る声に成らない異世界の歌声。

 そよ、ともそよごうともしない大気が、濃密な腐臭を帯びて身体に纏わり付き、
 悲痛に。引き裂かれるかのように謳い続けられる異世界の歌声。
 それは、操られる人々の口から口へと伝わって行き、

 霧の白(邪気)と、雪の白(霊気)。ふたつの白が反発し、抵抗し、打ち消し合い。
 互いに譲ることのない相容れぬ呪が、ぐるぐると呪力の渦を発生させたのだ。

 まるで、巨大な竜巻の如く、地に渦巻く呪力の渦。

 ゆっくりと流れ行く陰と陽の呪力が生み出す拮抗は、誰にも押し止める事の出来ない力となり、悠揚と螺旋を描いて行く。
 そう。その瞬間、霧と雪がまるで太極に等しい図形を大地に描き出していたのだ。

 湖の乙女が歌う鎮魂の歌が、霧に包まれる世界に響き続ける。
 それは、操られし人々の荒ぶる魂を鎮め、無秩序に存在していた霧の魔力に、明確な方向性と言う物をもたらせて行く。

 いや……。
 いや、それだけでは無かった。

 その鎮魂の歌声が、やがてひとつ。遙か上空に滞空する俺と彼女の元以外の地点からでも響き始めたのだ。
 それは、本来俺たちがいないはずの街の北の方角から。
 そして、またひとつ、違う場所から響き始める鎮魂の歌声。

 その歌声が響き始めるに従って、操られし人々の統一された動きに僅かながらの齟齬が発生する。但し、それは本当に僅かな綻び。
 しかし、今まで完全なる同期(シンクロ)の元、統一された意志に従って一糸乱れぬ動きを繰り返して来た軍隊に等しい暴徒としては、正に致命的な齟齬で有った。

 ゆっくりと大地に降り積もるだけで有ったふたりの霊気が、共鳴し、それが更に、別の触媒と共鳴する事に因って、更なる巨大な霊気へと増幅されて行く。

 これは昼の間に配置した呪物を触媒として共鳴させて、更にこちらの霊力を増幅する為に土地神の加護や龍穴から溢れる霊気までも利用した、このブレストの地だからこそ行使出来る俺の最大の術式。
 そして、その効果は劇的。

 その霊気(歌声)がひとつ共鳴する瞬間に更に増幅され、大地に蔓延っている異世界の歌声を徐々に凌駕して行ったのだ。
 そう。徐々に、まるで潮が引いて行くかのような勢いで力を失って行く異世界の歌声。
 そして、逆に力を増して行く湖の乙女と、俺が奏でる荒ぶる魂を揺さぶる鎮魂の歌。

 上空を見上げたまま、固まりつつ有る暴徒たち。
 その瞳からは、徐々に妖しげな光は失われ、口々から発生していた異世界の歌声は消え去っている。
 そして、その代わりに……。

 動きを止めた海軍兵らしき男の瞳から流れ出るのは一滴の涙。
 見上げる若い娘の喉の奥から発するのは、異世界の歌声ではなく魂の慟哭。

 そうだ。彼らは皆……哭いて居た。

 自らの意に沿わぬ支配に抗い、涙を流し、そして、声に成らない叫びのような声を上げ始める何者かに操られた人々。
 湖の乙女の儚げな歌声に重なる魂の慟哭。それは、一人、また一人と人々の口から口。瞳から瞳へと広がって行き……。

 美しくも、哀しい輪唱のように、ブレストの街を満たして行ったのでした。


☆★☆★☆


 哀しい輪唱が広がって行き、そして、一人、また一人と力を失い、倒れて行く暴徒……いや、操られた人たち。

 これで今回のここでの事件は終わり。後は、この倒れた人々を安全な場所に移動させ――。



 ふんぐるい むぐるうなふ くするふ るるいえ うがふぐなぐる ふたぐん



 ――意識が回復すれば、すべては終わる。そう考え始めた刹那、何処かから聞こえて来る召喚呪文と港の方向から響く爆発音。

 そして、何処かから聞こえて来る、呻くような耳障りな声と人間の叫び声。
 更に、海の方向から漂って来る魚が腐ったような腐臭……。

 その瞬間、ありったけの剪紙鬼兵符(せんしきへいふ)を上空よりばら撒く俺。
 そして、その次の瞬間に地上に現れ、俺を見上げる二十人以上の分身たちに対して、

「海から上がって来るモノたちから住民を護ってくれ。住民に出来るだけ、被害を出さないように頼む」

 そう命令を行う俺。流石に、あまりにも無関係な人間が殺され過ぎると、世界に与える歪みが大きく成り過ぎますから。
 剪紙鬼兵は、俺のデッドコピー。しかし、故に元が俺ですから、例え彼らに魔法が使えなくても、それなりの剣士程度の能力は持っています。
 その俺の命令を受け、三人の組みと成って行動を開始する剪紙鬼兵たち。



 くぅ~りゅ とりゅ~ とぉおふ~ うがふなぐるうぅぅぅ~



 更に続く口訣と導引。
 その瞬間、俺の直ぐに脇に現れる俺の分身二体。
 いや、この新たに現れた分身は先ほど登場した剪紙鬼兵たちとは違う。この新たに現れた分身たちは飛霊と言う存在。完全に俺の能力をコピーした存在で、彼らの経験はすべて俺にフィードバックされる便利な存在。
 但し、彼らが受けた被害もすべて俺にフィードバックされて仕舞う為に、簡単に使って良い分身と言う訳では有りません。

 そして、俺の顔を見つめる同じ顔がふたつ。そのふたつは軽く首肯いた後、それぞれが、ハルファスとサラマンダー一柱を連れて、別の場所へと飛び去って行く。
 そう。彼らは俺自身。わざわざ何かを語らずとも、彼ら自身の為すべき事は理解して居ます。



 るうぅぅぅ…… るるううぅぅぅ りぃぃえええぇ! いあ! いあ!



 これで、現状で打てるだけの手は打った俺が、未だ燃え続けるガリア両用艦隊の物資を納めて有る倉庫群に視線を移す。
 その視線の先に広がるのは、正に地獄絵図。未だ、大規模な爆発を繰り返す衝撃波が俺と、俺と共に有る少女を護る結界を打ち、鼓膜には、その爆発のすさまじさを物語る巨大な轟音を伝えて来て居た。

 但し、

「ここの倉庫が爆発して、それでも尚この程度の被害で収まっていると言う事は、ノームと土地神が精霊力の暴走の阻止には成功したと言う事やな?」

 巨大な赤い火柱が立ち上がるのを瞳に映しながら、自らの傍らに立つ紫の髪の毛を持つ少女に対して、そう問い掛ける俺。
 当然のように、倉庫に納められていた風石や火石などの精霊石に溜めこまれた精霊力が暴走した結果の爆発ならば、この程度の爆発で収まるとは思えません。

 流石に、ここはガリア両用艦隊の主要な港。ここに備蓄されている燃料や弾薬は、通常の港と比べるとケタが違うはずですから。

 俺の問い掛けに、微かに首肯いて肯定と為す湖の乙女。
 そして、

「ここの倉庫に納められている火石や風石すべての精霊力が暴走を開始すれば、このブレストと言う街が地図の上から消える」

 ……と剣呑極まりない台詞を、普段通りの表情及び口調で告げて来た。
 成るほど。但し、それならば、これから先の戦いに土地神やノームの直接的な援護は期待出来ない、と言う事にも成りますか。



 だ、だ、だだ、だぁ、だぁごん! だごん!



 刹那、再び、世界の在り様が変わった。

 少しずつ吹き付けて来て居た神気と瘴気を孕んだ異界よりの風が、その瞬間に、より強烈なそれと成り吹き荒んだのだ。そして、心を簡単に砕きかねない凶悪な威圧感となって、周囲に邪悪な気を撒き散らせて行く……。
 これは紛うこと無き水妖の神気。いや、何処からか聞こえて来る、この異世界の存在を讃え、呼び出そうとするかのようなその歌声は……。

 俺の顔を見つめた湖の乙女が、僅かに首肯いた。
 これは、俺が何かを話し掛ける前に、俺たちの次の行動が理解出来たのでしょう。

「すまんな」

 小さく謝罪の言葉を告げた後、彼女を抱き寄せる俺。
 但し、その謝罪の言葉は彼女を抱き寄せる際の挨拶と言うだけではなく、俺に付き合わせた事に因って、これから起こるで有ろう、非常に危険な戦いに巻き込んで仕舞った事に対する謝罪。

 しかし……。
 しかし、小さく首を左右に振った後に、俺の腕の中に納まる湖の乙女。
 そして、

「あなたと過ごした時間は、わたしに取って一番幸せだった時間」

 直接、顔を見つめて居られないような台詞を口にする湖の乙女。
 但し、それは俺ではない誰か。彼女が、其処まで言ってくれているのは、今の俺ではない、かつて、俺であった誰かの事。
 これではまるで、俺は親の財産を食い潰して行く、馬鹿息子のような……。

 そんな、現状ではあまり、意味のない。更に、少し後ろ向きの思考に囚われようとした俺に対して、

「そのあなたが、約束通り、再び、わたしを見つけてくれた。それだけで、わたしは……」

 それまでの彼女と比べても、本当に小さな。本当に小さな声でそう独り言のように呟いた後、

【幸せを感じて居る】

 ……と、【告げて】来たのでした。


☆★☆★☆


 有視界の限界……宙空に浮かぶ一点にまで転移してきた瞬間、俺の全身を駆け回るかのような悪寒を感じる。
 そう。それは、全身の体毛と言う体毛すべてが総毛立ち、皮膚の内側で何か得体の知れない虫の如きモノが這いずり回るようなおぞましい感覚。

 その瞬間、右腕と額から鮮血が迸る。
 但し、これは返りの風(かやりのかぜ)。先ほど感じたおぞましい感覚とは別の物。
 返りの風と言うのは、剪紙鬼兵や飛霊などが負った被害を、俺自身が負わなければならないリスクの事。
 剪紙鬼兵に関しては、能力が低い分、軽いリスクで済むのですが、飛霊の場合は……。

 問題は……。
 俺は、遙か沖合を見つめ、其処から、ブレストの街に接近しつつ有る現象を見つけ、慄然としたのだ。
 そう。遙か海の彼方から近付いて来る黒い、巨大な水の壁を見つけて……。

 その瞬間、左わき腹の表皮が弾け、白の海軍服に真紅の彩を付け足す。

 しかし……。
 しかし、同時に。微かに、首肯いたような気配を腕の中に感じた。
 そう。今の俺は一人ではない。

 自らの左側に少女をゆっくりと解放し、その場で固定。
 そして……。
 ほぼ身長差に等しい距離からやや上目使いに俺を見つめる彼女の視線と、やや上からの俺のそれとが、今二人の丁度中間地点で結び合った。

 その瞬間、右足の表皮が弾けた。

「大丈夫。あなたは、わたしが護る」

 彼女の透明な声が、俺に答えを与えた。そう、それは一切の迷いを感じさせる事のない強い言葉。
 そして、それが俺と彼女の約束……いや、誓約の言葉で有った。



 その瞬間、まるで意識を失ったかのように、全身の力を失い俺の元に倒れ込んで来る少女。そして、その小さな、更に、とても柔らかい身体をしっかりと受け止める俺。
 しかし、その俺の精神の内側に、確実に存在している彼女(湖の乙女)

 その次の瞬間。身体中を駆け巡る霊気が、爆発寸前にまで高められて行くのが自覚出来る。
 但し、それは非常に爽快な気分。意識自体はより明確となり、そして、普段以上に、湖の乙女(彼女)を強く感じる事が出来る。

 刹那。急速降下で、そのブレストの街を完全に破壊し尽くそうと接近して来る巨大な水の壁の正面に立ち塞がる(湖の乙女)と、そして、俺の腕の中に居る彼女の身体。
 その瞬間。背中の表皮が同時に二か所、そして、左の頬が弾けた。

 やや左足を後ろに引き、右足を前の形。所謂、半身に成って抜き打ちの構えに入る(湖の乙女)
 左腕は彼女の身体を。右手は未だ徒手空拳の状態。

 呼吸により外気から……。そして、土地神の加護を受ける事により龍脈から直接取り入れた自然の気を、そのまま俺自身の気へと変換させ身体中……。いや、自ら()の腕の中で眠る湖の乙女の身体(霊道)すらも使用して高められて行く霊力。
 そう。二人の身体の間をやり取りされる毎に加速され、更に輝きを増して行く霊気。

 半身。抜き打ちの構えに成り、更に右腕へと集まって行く俺たち二人の霊気。

 既に指呼の距離へと近付いた巨大な水の壁から、地鳴りに等しい轟音が発せらる。猛烈な勢いで吹き付ける暴風が精霊に護られし俺と彼女の前髪を弄り、身体の彼方此方から止めどなく流れ出る紅き生命の源が、血風と化して後方へと散じて行く。
 そう。俺と彼女の後ろに広がるのはブレストの街。ここからは一歩も下がる事は出来ない。

 俺と共に有る湖の乙女の精神は穏やかな湖面の如し。今まさに、すべてを呑み込む、高さ三十メートルにも及ぶ水の壁を薙ぎ払えるだけの霊気を制御しているとは思えない、非常に落ち着いた状態。

「勝利をもたらせ」

 自然と、俺の口から紡ぎ出される言葉(聖句)
 その最中も収束し続ける霊気が、丹田から螺旋を描きつつ駆け上がり、頂点へと抜ける力と琵琶骨から、右腕。そして、突如俺の右手内に現れた神刀を蒼銀色の光輝(ひかり)へと変える。

 それは正に光輝。その光輝は、かつて魔槍にて牛角の邪神を屠った時のそれを軽く凌駕しているかのように、俺には感じられた。
 そう。すべての小さき精霊一人一人の動きまで鮮明に理解出来、俺と彼女。湖の乙女の精神が完全に同期(シンクロ)している事が理解出来たのだ。

隔てられぬ光輝(クラウ・ソラス)!」

 我知らず紡がれるは聖句。彼女との誓約により解除された古の能力。
 左脚に乗りし体重を、右脚へと移す正にその瞬間!
 無造作に振り抜かれる蒼銀光(ぎんこう)

 左やや下方から右肩の高さまで振り抜かれた神刀。其処より発生した眩いばかりの蒼銀の光輝と、街を呑み込み、そして破壊し尽くす巨大な津波の激突!
 片や、迫り来る巨大な黒き水の壁。
 そして、それを迎え撃つは、伝承上、鞘から抜かれると必ずや勝利をもたらせると語り継がれている光の剣が放つ光輝!

 その瞬間、すべての音が消えた。
 そう。拮抗する霊圧だけが凝縮され、巨大な黒い壁を押し止める光輝の帯だけが其処に存在して……。

 ………………。
 …………いや、違う。その壁の向こう側。僅かに覗くその内部に何か、黒い巨大な何モノかが存在している事が感じられる。
 そして、僅かな一瞬。完全に振り抜かれた右腕の勢いのままに半回転しようとする俺の黒紅の瞳と、その巨大な黒の壁の向こう側から覗く真紅の瞳が……。

 しかし!
 そう、しかし! それが永劫に続くかと思われた光輝と、黒き水の壁の拮抗の最後の場面であったのだ。
 巨大な黒の壁に走る一閃の蒼銀の断線。
 その断線に斬り裂かれ、壁から海水に戻り、其処から更に霧、そして分子へと散って行く水たち。

 其処に巨大な黒き水の壁が存在していた痕跡さえ残す事なく――――――――。

 そして、勢いのままに半回転した俺の背中から眩いばかりの光輝が放たれ、宙に浮かぶ(湖の乙女)と、俺に抱えられた彼女の身体を、一瞬だけ影絵芝居の主人公と為し……。
 そして次の瞬間、完全に光の世界に取り込んで仕舞っていた。



 数瞬の後……。

 地上に落ちた太陽に等しき光は終息し、完全に凪いだ海面。
 遙か沖合から吹く風は、高緯度地域の秋に相応しい冷たさを感じさせるが、それでもソレは妖しの気を含む事のない通常の秋風へと戻り……。

 しかし!
 しかし、突如、俺と湖の乙女の存在する空間の背後に立ち上がる巨大な水柱。

 空間自体の爆砕。そして、神に等しきモノの顕現する際に発せられる異常な威圧感。
 その水柱から発する神気からは、皮膚の表面にまるで電気が走ったかのような痺れを。
 そして、心の底から湧き上がって来るような、そんな潜在的な畏れをもたらせられる。

 しかし……。

「問題ない」

 俺から意識を切り離し、自らの身体へと精神を戻した少女が、俺の胸の中でそっと呟いた。彼女に相応しい落ち着いた雰囲気と、耳に心地よい声音で。
 そして、その次の瞬間。後方より、再び、先ほどと同じような蒼銀の光輝が発せられ始めた。

 そう。振り返らずとも判る。夜の闇よりも尚昏き存在感を発し続けていた神の内側から、最初、左右に走った断線から光輝が漏れ出し始め――。
 そして、其処から徐々に、広がって行く光輝。

 闇よりも昏きその内側より発するは、眩いまでの輝き。
 少しずつ、少しずつ黒き邪神の身体に広がって行く蜘蛛の巣に似た亀裂。そして、その亀裂に従って漏れ出した光輝が、黒い巨大な身体中に支配領域を広げて行き……。

 そして……。
 さらさらと。さらさらと光輝の粒と成って海へと、そして大気中へと散じて行く水の邪神。

「汝に瑠璃の城にて、自らの主と共に永劫の深き眠りが訪れん事を……」

 振り返る事もなく発せられた俺の祈りの言葉が届いた瞬間。

 異界の瑠璃の城に封じたヤツの主のように……。
 魔界の湖深くに鎮めたヤツの息子のように……。

 最後の微かな光輝を残して、水の邪神は現実界より、その姿を消し去っていたのでした。


☆★☆★☆


 霧が払われ、スヴェルの夜に相応しい蒼に染まったブレストの街に着陸し、一息吐く俺。
 その瞬間……。

 大地へと降り立った瞬間、俺の左腕から解放された少女が俺の姿を一瞥。
 そして、その名工の手による精緻な造りの眉を僅かに顰め、白一色から、凄惨な色が転々と浮かぶ事と成った海軍服の詰襟を開き、胸元のボタンを手早く外した後に……。

 しかし――――

「待った、何をしているんや?」

 首筋に近付いて来るその色素の薄いくちびるを、言葉と、右手の人差し指で押し止める俺。

 そう。今の彼女……湖の乙女の行動は、どう見ても俺の首筋にキスマークを付けようとしているようにしか思えませんから。
 もしくは、彼女自身が、俺の首筋に血の刻印を刻もうとしている古き血の一族の末裔で有るかのような行為を……。

 その俺の静止に対して、少しその清楚な面差しを離し、やや上目使いに俺の瞳を覗き込む湖の乙女。
 そして、

「頸動脈に直接、水の秘薬を送り込む事に因って、早急に全身の傷の治療を行う」

 彼女の口から、至極もっともな説明が非常に簡潔な形で語られた。その口調は冷静そのもの。
 確かに、身体全体に及ぶ返りの風による傷を治すには、水の秘薬とやらを使用するのが早いとは思います。
 まして、その水の秘薬と言う魔法の薬は、以前に瞳から滂沱の如くあふれ出した、本来は霊障で有るはずの左目からの出血を、いとも容易く治して仕舞った実績も有りますから。

 あの時は目蓋にくちづけを行ったのですが。

 しかし、

「その水の秘薬を送り込む、と言う行為は、首筋。つまり、頸動脈から送り込まなければならないのか?」

 一応、念のためにそう問い掛けてみる俺なのですが……。
 それでも、この問いは無意味ですか。

 そもそも、彼女が必要だと言い、そして、彼女が無意味な事を今まで為した事は有りません。
 つまり、彼女がそれを行うのが必要だから、為そうとしたのでしょう。
 彼女は、より精霊らしい合理的な判断で、それが現在の状況にもっとも相応しいと判断した結果の行動だと思いますから。

 案の定、ゆっくりと首肯く湖の乙女。矢張り、彼女が無駄な事を為す訳は有りませんか。
 それに、確かに頸動脈から送り込む方が、素早く身体全体に送り込む事が出来るとも思いますしね。

 俺は、彼女に対してひとつ首肯いて見せた後、首筋を彼女に見せる事に因って彼女の行為に対する答えとする。
 ただ……。

 彼女のくちびるが首筋に触れた瞬間、何とも言えない感覚が身体の中心に走る。
 そう。このシーンは、どう考えても非常に背徳の色に染まった……。

 蒼き魔性の女神の支配する世界の下、ふたつの影が、その時は完全にひとつと成っていた。


☆★☆★☆


 昨日と今日の狭間の時間。
 遙か上空から、この季節に相応しい冴えた明かりを煌々と投げ掛けて来る女神に一瞬、視線を向けた後、

 湖の乙女を胸に抱き、シルフ(風に舞う乙女)を起動させる俺。
 しかし……。

 しかし、何も起きる雰囲気はなし。

 俺は遙か西の空を見つめた後、軽いため息を吐き出した。その後、懐から一枚のカードを取り出す。
 そうして、

翼ある竜(ワイバーン)

 次善の策として予定していた策を実行する俺。
 但し、ダゴンらしき存在が顕われた事により、この状況は半ば予想していた事実なのですが……。
 それでも、これも仕方がないですか。

 空中に描き出されるワイバーンを指し示す納章。そして、その印に集まる小さき風の精霊たち。
 その精霊たちが、ワイバーンの存在する魔界への扉を……今、開いた。

 刹那、轟とばかりに風が舞い、俺と、俺の胸の中の少女を包み込む。
 そう。これは、間違いなく魔界からの風。

 その一陣の風が過ぎ去った後、その場に存在して居たのは……。

「ワイバーン。これから、西に向かいつつある飛空船を追いたい。
 手伝ってくれるか?」

 ガリア両用艦隊が出航してから六時間。ハルファスが遠視を行った結果から推測すると、百キロメートル程度は進んでいるはずですが……。
 それでも、流石にこの混乱状態に有ったブレストの街を捨て置く訳にも行かず、上陸して来て居た半魚人。地球世界ではマーマンや、アズミ、インスマウスなどと呼ばれる存在と同種の連中を駆逐した後、短い休息を挟んでのこの追跡作戦の開始だったのですが。

 もっとも、ガリア両用艦隊旗艦内に置いた俺の指標(マーカー)が無効化されていた事で、出鼻をくじかれた形と成って仕舞いましたが……。

 俺の問い掛けに対して、高くワイバーンが啼く事に因って、今回の急な出航を行ったガリア両用艦隊の追跡作戦が開始される事と成った。


☆★☆★☆



 何処か孤独の地で(む、むぅ~とぉと、とぐれ~ぇぶぶ、ぶ)…………。



 翼ある竜(ワイバーン)が、闇の空を滑り行く。
 月の光を映したその肌は蒼銀に光り輝き、全身に纏い付く羽衣のように感じるそれは、彼が纏いし風の精霊たち。

 ブレストの街を飛び立ってから一時間。前方には、既に二十隻以上のガリア両用艦隊に所属する飛空船が三重縦列陣を組み、遙か西に向かって進む姿を捉えていた。
 彼我の距離は、大体、三キロメートルほど。

 尚、この世界の臼砲の最大射程は……詳しい数値は分からないけど二キロメートル程度だと思う。但し、それは最大射程で有って、有効射程はどう考えても一キロメートルもないでしょう。まして、臼砲。つまり、放物線を描くように放たれる砲の為、俺の乗るワイバーンに命中させる事は不可能と考えても問題なし。
 いや、おそらく、空中戦で砲戦を挑む場合は、かなり接近しなくては砲弾を当てるようなマネは出来ないと思いますしね。

 何故ならば、通常の海戦の場合は、最初の砲を放った後に、着弾した時に上がる水柱で照準の誤差を修正したはずです。そして、当然、空中戦では水柱など上がるはずは有りませんから。

 そう考えた瞬間。後方の艦より飛び立つ数体の何モノか。
 月下に飛び立ったその黒い生命体の翼は、まるで伝承上に伝えられる堕天使や悪魔その物の形状をしている。

 いや、あれは……。

「あれはガーゴイル」

 俺の傍ら。ワイバーンの背の上から前方を見つめた湖の乙女が、そう呟く。
 ガーゴイル。このハルケギニア世界の土の系統魔法で造られた魔法人形。土の系統魔法のゴーレムを造る魔法の上位魔法。確か、魔力が供給される限り自律行動。ある程度の判断を自分で下して行動出来る魔法による擬似生命体。

 成るほど。対空戦闘要員と言う訳か。それに、飛竜の部隊が付き従っている訳ではない飛空船の艦隊ならば、防空戦力としてのガーゴイルを用意しているのは当然でしょう。
 しかし、

「アガレス、サラマンダー、シルフ。周辺の精霊を完全に支配。系統魔法に介入して、すべて無効化」

 禍々しい翼を広げてコチラに接近しつつあるドロ人形を瞳に映し、素早く、それぞれの式神たちに指令を下す俺。
 アガレスは元々農耕神にして時間神。つまり、大地に根差した古き神。所詮、人間の土の系統魔法使いのなした魔法に介入する事など赤子の手を捻るようなもの。
 それに続く二柱の式神たちに関しては更に問題なし。彼女らは、それぞれの小さな精霊たちを統べる存在。彼女らが存在している場所で人間の魔法使いが精霊を統べるには、彼女らと直接戦って、実力でねじ伏せられるだけの実力がなければ不可能。

 そんな事が為せる人間は、俺が出会ったあのガリア両用艦隊勤務の軍人内には存在しては居ませんでした。

 そして、最後に残った水の精霊に関しては、俺がわざわざ依頼などせずとも問題は有りません。

 その一瞬後、俺たちを迎撃する為に飛び立ったガーゴイルが、元の土くれへと変わって地上へと落下して行く。

 しかし……。

「シノブ。あのガーゴイルから、不自然なまでに巨大な炎の精霊力を感じます」

 高貴なる炎の精霊。魔界の貴族風のサラマンダーがそう伝えて来る。

 その言葉を聞いた湖の乙女が俺をその瞳に映し、そして微かに首肯いた。
 成るほどね。あのガーゴイルたちが抱えて居るのが、火石だと言う事なのでしょう。

「サラマンダー。すべての炎の精霊を支配すれば、その巨大な精霊力を爆発させない事は可能やな?」

 俺の問い掛けに、あっさり首肯いて答えるサラマンダー。
 そして、

「造作も有りません」

 ……と答えた。
 まして、仮にその火石を爆発させられたトコロで、此処に存在する仲間全員に、一度だけ全ての攻撃を跳ね返す仙術が掛けられて居る為に、ひとつの問題も有りませんから。

 それならば、

「火石を抱えたガーゴイルを、ブレストの街の方向から追って来た飛竜に向けて放つと言う事は、あの艦隊は敵と考えて問題なし、と言う事か」

 後方より接近しつつあるワイバーンに対して、スクランブル発進させたガーゴイルがあっさりと無効化された状況でも、未だ三重縦列陣で西に向かう艦隊を見つめながらそう独り言を呟く俺。
 それに、これで覚悟を決めて、あの艦隊を攻撃出来るように成りましたから。

 そう。事、ここに至ってはそう考えるのも止むなし、……と言う状況ですからね、これは。
 確かに、急に出航したのは、暴徒に貴重な軍艦を壊されたり、奪われたりするのを防ぐ意味だった、と考える事も可能でした。更に、現在、国際情勢も色々とキナ臭い状態ですから、艦隊が急に出航しなければならない緊急事態が発生した可能性もゼロではないと思っていましたが。

 まして、ここからずっと西に向かった先に存在するのはガリアの王都リュティス。到着までは後、二十時間ほどの時間を要するはずですが、それでも、このガリア両用艦隊のクーデターに等しい動きに気付いている人間がどれだけ存在して居るかと言うと……。
 まして、ブレストの街を倉庫に集めた燃料・弾薬と共に吹っ飛ばそうとしたり、ダゴン召喚を囮にしたりしてまで成そうとしたクーデターです。

 少なくとも、王都を完全に灰にするぐらいの覚悟は持って居るでしょう。

 そう考える俺なのですが、ただ、それにしては少し解せない部分。妙な引っ掛かりや、疑問点にも似たもやもやした感じが残って居るので……。

 彼我に距離を三キロメートル程度に維持しながら、大きな弧を描いて縦列陣の先頭に立って居るはずのガリア両用艦隊旗艦の前に出る為の行動を開始したワイバーンの背で、更に思考に沈む俺。

 確かに、火石を使用して攻撃をするのは理解出来ます。この距離では臼砲は使用不可能ですし、マスケット銃や大弓。まして、系統魔法の射程外で有るのも事実。
 しかし、ダゴンを召喚して俺の足止めを行ったような相手が、追っ手に対してこの程度の反撃しか出来ないなどと言う訳はないのですが。

 まして、水の眷属に空中を飛ぶモノは居なかったような記憶も有ります。しかし、それにしたトコロで、危険な追っ手に対しては、もう少し気の利いた御持て成しの方法と言う物も有ると思うのですが。



 決して留まりたいとは思わぬ場所で(くく、くぅなぁぁ~る、やくぅ~ふぅ)…………。



「シルフ、そしてハルファス。風の精霊力の制御を行って、あの艦隊を地上に軟着陸させてくれ」

 どうも、よく判りませんが、あの艦隊が敵で、精霊力を使って浮遊しているのは確実ですから其処の部分に介入する事は簡単ですか。
 敵の思惑に対する詮索は後回し。そう考えてから、先ずは相手の足を止める作戦の実行を風の精霊を支配する式神たちに依頼する。
 まして、上空から見下ろす限り、この近辺に街や村は見当たらず、山岳……とまでは言いませんが、小高い丘と森林地帯が続く地形。ここならば、戦闘で周りに大きな被害を出す事も考えられません。

 そして、
 俺の傍らで、俺と同じ方向に視線を向ける少女に対して、

「湖の乙女。あの艦隊が軟着陸をしたら、俺と同期してくれるか?」

 ……と、問い掛けたのでした。

 
 

 
後書き
 呪文を考えて居ると、本当に、異界の門が何処かに開きそうで怖い。
 少なくとも、SANチェックに成功しているとは言い難い状態ですな。

 それでは次回タイトルは『魔眼の邪神』です。

 ただ、何時も通り、原作のギアスが関わった事件とはまったく違う事件に成って仕舞いましたが。
 
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