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至誠一貫

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第一部
第二章 ~幽州戦記~
  二十五 ~張三姉妹~

 総大将である張角及び姉妹が落ち延びた、という知らせは忽ちのうちに城内へと広がる。
 そもそも、数と士気では勝るとは言え、所詮は賊軍に過ぎぬ。
 張角にそこまでの人的魅力があったかどうかは定かではないが、少なくとも求心力はあったに違いない。
 それが失われれば、後は瓦解の道を辿るしかない。
 現に、広宗の城内はまさに阿鼻叫喚、といった様相を呈している。
 とは言え、頑強に抵抗する者は殆どおらぬようだが。
 ……尤も、私が敵方なら、戦意が萎えもしようが。
 疲労しきっていた疾風のみ休ませたが、他は皆、集まってきた。
「揃ったようだな。では、始めるか」
 私の声で、皆の視線が中央に集まる。
「まず、名を聞こうか。私は、義勇軍を率いる土方だ」
「…………」
 三人は、身を寄せ合っている。
「どうした? 口がきけぬ訳でもあるまい?」
「…………」
 ふむ、応えぬか。
「そなた達が、張角らである事はわかっているのだがな?」
「……なら、いちいち聞かないでよ」
「地和姉さん!」
 乱暴な口調で話す青い髪の少女を、眼鏡の少女がたしなめた。
「れんほーちゃん……お姉ちゃん、どうしたらいいの?」
 張角らしき少女が、不安げに俯く。
 となると、後の二人が張宝と張梁か。
「さて、何も答えぬのなら、言い残す事はない……そう見なすが?」
 兼定を手に、腰を上げた。
「な、何よ?」
「ちーちゃん、れんほーちゃん……」
「二人とも、落ち着いて。……話なら、私が」
 身体を震わせる二人と違い、一人だけ冷静な少女。
「よかろう。では、先程の問いに答えて貰いたい」
 柄から手を放した私を見て、件の少女が頷いた。
「いいわ。真ん中が長女の張角、左が次女の張宝、そして私が三女の張梁よ」
「うむ。ならば、お前達が今、どんな立場にいるかも、わかっているな?」
「……ええ。私達にも言い分はあるけど、朝廷に対する反乱の首謀者。そう言いたいのでしょう?」
「そうだ。だが、何故このような事になった? 見たところ、そのような大それた真似をするようには見えぬが」
 疾風からあらましは聞いたが、本人達の口から確かめておきたい。
「私達は、もともと旅をしながら、歌を歌う事を生業としてきたわ。けど、なかなか人気が出なかったの。けど、ある日、転機が訪れたわ」
「太平要術の書、か?」
 その刹那、三人の顔色が変わった。
 やはり、か。
「ど、どうしてそれを知ってるの……?」
「天和姉さん! 言っちゃダメだって!」
「姉さん達、諦めた方がいいわ。どうやら、お見通しみたいだから」
 無論、本当に持っているという確証があった訳ではない。
 だが、この反応……芝居をしているとも思えぬ。
「持っているのだな?」
「ええ」
「見せて貰いたいのだが、良いか」
「だ、ダメ! これがなかったら、私達また……」
「また売れない芸人に戻るのが怖い……か。だが、私は渡せ、とは言っておらぬがな」
「……え?」
 私の言葉に、張角が首を傾げた。
「そもそも、どのような書物なのかも知らぬのに、取り上げるなどと決められる訳がなかろう?」
「なら、どうして知っているのよ。おかしいじゃない?」
 張宝が、食って掛かる。
 何とも、気の強い事だ。
「人間というものは、急には変われぬものだ。ならば、何か切欠があると考えるのが自然だろう。そして、何の後ろ楯も元手もないお前達が急に人気を得る。となれば、何かの介入もしくは力が働いたと言うのは、想像に難くない」
 そこまで聞くと、張梁はふう、と息を吐いた。
「姉さん。いいわね?」
「うん、れんほーちゃんに任せる……」
「…………」
 張角と張宝の反応を確かめてから、張梁は懐から書簡を取り出す。
「これよ」
「では、拝見するぞ」
 貴重品である紙で作られたそれは、確かに尋常な書簡ではなさそうだ。
 慎重に、書を広げた。
「……。これは……」
「どうなさいました、歳三様?」
「稟、読んでみよ」
「はい、では」
 眼を通していくうちに、稟の顔つきが変わるのがわかった。
「こ、これは……。風、見て下さい」
「はいはいー」
 そして、風もまた同様の反応を見せる。
「どうか?」
「はいー。諜報指南の書のようですねー」
「待て。私が見たのは、主君としての指南が記されていた筈だぞ?」
「いえ。私は戦術指南の書でしたが」
 どういう事だ?
 他の者に見せてみたが、皆内容が異なっているようだ。
 霞は騎馬隊の扱いの書と言い、恋は動物飼育の指南書と言う。
「その書は、持つ人間によって見える内容が変わるのよ」
 張梁の説明で、合点がいった。
「では、お前達が見たというのは……」
「ええ。如何にして、人気を得るか。その手管が事細かに書かれていたわ」
「……今一つ聞くが。これを誰から手に入れた?」
 それに答えたのは、張宝。
「ちぃの揮毫が欲しい、って人がいてね。その日は気分もノってたし、握手もしてあげたんだ。そしたら、感激しちゃって。『この書を使って下さい。きっと、あなた方は望みが叶うでしょう』って」
「ただ、効き目は抜群だったけど、効きすぎだったのも確かね」
「えーっ? でもお姉ちゃんが大好き、って人が一杯増えたんだよ? いい事じゃない」
 脳天気な言葉に、愛紗がいきり立つ。
「貴様ら! そのお陰で、たくさんの民が苦しみ、殺されたんだぞ!」
「落ち着くのですぞ、愛紗殿。暴走したのはこやつらが指示した訳ではないようですからな」
「ねねの言う通り。……だが、今となっては、そのような申し開き、罷り通るとは思えぬがな」
 真実がどうあれ、首謀者がお咎めなしで済まされる程、甘くはあるまい。
 ましてや、大陸全土を巻き込んだ戦乱に発展、勅令による討伐となったのだ。
 ……だが、当人達にそこまでの覚悟があるとは見えない。
「やっぱり、処刑されちゃうの……?」
「や、止めてよお姉ちゃん! ちょっとアンタ、ちぃ達をどうする気よ!」
「待って。あなた、私達をどうするつもりなのか、聞かせて。有無を言わせず、というようには見えないわ」
「……そうだ。勿論、お前達次第だが」
「ま、まさかちぃ達に何かするつもり?」
 思わず身構える張宝に、思わず苦笑する。
「安心するのですよ。お兄さんは、そういう方ではありませんからー」
「ですが、ただ見逃す……とは参りますまい。ご主人様、ご存念がおありですか?」
「うむ。……まず、その書はこの場で焼き捨てよ」
「ええーっ! い、嫌だよ……」
 涙ぐむ張角。
「ならば、その書にすがり、再び官吏に追われる身となりたいのか?」
「うう……それも嫌だけど……」
「それに、今のお前達は、妖術の類に力を借りているだけ。芸を極め、真の実力で勝ち取るという気概はないのか?」
「アンタね! 簡単に言うけど、ちぃ達がどれだけ苦労したと思ってるの?」
「苦労せずに大成する人間などおらぬ。仮にいたとしても、それは真の成功者ではない」
「……あの書を諦めれば、私達を助ける、とでも?」
「事情を知らなければ、頚を刎ねるまでだったが。この争乱を、お前達が望んでいたものではない……そう知った以上は、そうもいくまい」
 華琳に聞かれたら、恐らくは甘過ぎる、と言われる事だろうな。
 だが、死ぬ必要のない人間を、むざむざ殺す事もあるまい。
 私の言葉に、張梁が頷いた。
「わかったわ。姉さん達、どうするの?」
「人和。アンタ、コイツの言う事を信じるって言うの?」
「少なくとも、嘘をついてはいないわ。だって、私達を庇い立てしても、この人には何の得にもならないのよ?」
「れんほーちゃん、お姉ちゃん、まだ死にたくないよぉ……」
「ちぃだって……うう……」
「無念だろうが、こんなものは世に存在すべきではない。邪な者が手にすれば、世の人全てが苦しむ事だってあり得る。権力者が耳にすれば、お前達を殺してでも奪おうとするだろう。そうなれば、永遠に安息は得られなくなるのだぞ?」
「……だから、焼き捨てるしかない……そういう事ね」
 張梁は淡々と言った。
「まず、と言ったわね? まだ何か必要なようだけど、何かしら?」
「名は捨てよ。父母から頂いた名、辛かろうが」
「……そうね」
「でも、ちぃ達、それならどうすればいいの?」
 偽名を名乗らせても良いが……。
「風。どうすれば良い?」
「そうですねー。皆さん、真名はお持ちですよね?」
「勿論、あるわ」
「では、それを名乗るしかないでしょうねー。偽名では、不自然さが出て露見してしまう恐れがありますから」
 そうだな。
 少なくとも、張梁以外に芝居を演じる素養はなさそうだ。
 万が一、露見したが最後、間違いなく始末されるだろうな。
「うむ。私も、それが良いと思うが」
 真名は神聖なもの故、抵抗もあるだろうが。
「いいわ」
「ちぃも、別にそれでいい
「なら、お姉ちゃんも」
 ……随分と、あっさりと認めたようだが。
「いいのか?」
「ええ。だって、もともと公演の時も、私の事は真名で呼んで貰っていたし」
「そうそう。その方が、ノリノリになれたしね」
「そうだね。そう考えたら、別に問題ないもんね」
 ……頭痛がしてきた。
「ならば、この書は焼き捨てる。良いな?」
「ええ。仕方ないもの、残念だけど」
「……でも、これでちぃ達、また一からやり直し?」
「せっかく、応援してくれる人も一杯いたのになぁ」
「……姉さん達の事は気にしないでいいわ。残っていれば未練があるでしょうけど」
「わかった」
 天幕を出て、篝火の中に書を放り込んだ。
 メラメラと、天下を騒がせた根源が、灰燼に化していく。
 ……文字通り、これにて一件落着、といけば良いのだが。


 数刻後。
 広宗の賊徒制圧もほぼ完了し、他の軍も後始末に入ったようだ。
 我が軍も、各々が走り回り、任についている。
 今は、稟と愛紗だけが、この場に残っていた。
「では、張三姉妹についてはそのように」
「念のため、警護の兵を手配りしておきます」
「うむ」
 懸念事項も片付き、ようやく一息付けそうだ。
「ところで、ご主人様。この後、お時間はございますか?」
「愛紗。何かあるのか?」
「はい。疾風を、見舞っていただけないかと」
「疾風を?」
 稟も、頷く。
「ご存じの通り、此度はかなり疲れたと見えて、未だに臥せっています」
「……うむ」
 確かに、気にはなっていた。
 能力のあまりに、頼り過ぎてしまったのは事実だ。
「そうだな。そうしよう」
「……それから、一つ、お願いがございます」
 心なしか、愛紗の顔が赤いようだが……。
 いや、稟も同様だな。
 ……むしろ、鼻を押さえているのはどういう訳だ?
「……疾風の想いに、応えて差し上げて下さいませ」
「…………」
「既にお気づきでしょうが、疾風もご主人様をお慕いしております」
「不器用な者ですから、口には出しませんが。それと、私達への遠慮もあるのでしょう」
 やはり、か。
 そんな素振りは見せていたが、私から指摘するのは憚られた。
 私を慕ってくれている稟や愛紗達への遠慮、それに疾風本人の意思を見定めたかった事。
 ……だが、皆も気づいていたのか。
 ふふ、とんだ道化だな。
「しかし、良いのか? 疾風の想いに応える事、それが何を意味するのか、わかっているのであろうな?」
「勿論です。風も、承知の上ですし、星には北平を発つ際に、可能性として話をしてあります」
「……何もかも、お見通しという事か」
「物事の先を読んで手を打つのが軍師の仕事ですから。お陰で、その都度……」
「稟!」
 素早く、愛紗が稟の鼻を押さえた。
「では、後の事は頼んだぞ」
「はっ」
「御意です」
「御意ですよー」
 ……さて、改めて礼を述べねばなるまい。
 その上で、話をするとしよう。 
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