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連隊の娘

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第一幕その四


第一幕その四

「放して下さい」
 若者は縛られながらも必死に懇願していた。
「僕は何も」
「では何故我が連隊の周りをうろうろしていた?」
「何かを探るようにして」
「あの人は」
 マリーはその若者を見てあっと驚いた顔になった。一瞬のうちに。
「まさか。こんなことに」
「言え、何故だ」
「何故我が隊の周りをうろうろしていた」
 兵達は彼を囲んで問い詰める。彼はその彼等の剣幕にいささかたじろぎながらもそれでもこう返すのであった。
「それはですね」
「うむ、どうしてだ」
「ことと次第によっては命はないぞ」
「連隊にいる娘さんに会いに来たのです」
 こう兵達に答えるのであった。
「だからです」
「娘!?」
「娘というとまさか」
「ええ、そうよ」
 ここでマリーが言った。すぐに若者の前に立ち彼を護る様にして兵達に言う。
「この人はトニオというの」
「トニオ!?」
「このスパイの名前か」
「トニオはスパイじゃないわ」
 マリーは兵の一人の何気ない言葉にきっとした顔になって返した。
「この人は絶対にね」
「ふむ。マリーが言うのならな」
「そうなのだろうな」
「そうだな」
 彼等はマリーの言う言葉にはすぐに頷いた。彼女のことを絶対に信頼していることがここからわかった。髭だらけの怖い顔ばかりではあったがそれでもだった。
「しかし何故」
「マリーに会いにきたのだ?」
 しかしまだ疑問はあった。兵達は今度はこのことをトニオに対して問うのだった。
「マリーと知り合いの様だが」
「何故知り合ったのか」
「ある夜のことよ」
 マリーがそのこと兵達に説明するのだった。
「私がお酒を飲んで涼みに外に出た時だけれど」
「何っ、それはまずいぞ」
「そうだ。スイスはフランスとは違うんだ」
 兵達はマリーの今の言葉を聞いて一斉に声をあげた。
「何処に断崖絶壁があるのかわからないのに」
「落ちたらただじゃ済まないぞ」
「ええ。その通りよ」
 マリーはここで顔を曇らせた。
「もう少しで落ちるところだったわ。絶壁にね」
「それ見たことか」
「スイスは危ないんだ、あちこちにそういうものがあるんだからな」
 所謂クレバスである。スイス名物の一つでもある。あまりいい名物ではないがそれでも名物なのは紛れもない事実である。実際に存在しているのだから。
「全く。それでどうして助かったんだ」
「この若者が助けてくれたのかい?」
「そうよ」
 その通りだと答えるマリーだった。
「私が今にも絶壁に落ちそうになって木の枝に必死に捕まっていたけれど」
 その絶壁のところに生えているその木の枝にということである。
「たまたまトニオが通り掛って私を引っ張り出してくれたのよ」
「何と、その絶壁から」
「マリーを救い出してくれたのか」
「自分も落ちるかも知れないのに」
 そうしたというのである。絶壁で人を助けるからには自分も落ちるかも知れない。しかし彼はそれでもマリーを救おうとしたのである。
「そうしてくれたのよ」
「そうだったのか」
「マリーを助けてくれたのか」
「それなら」
 兵達はマリーの話を聞き終えてまずは。トニオの縄を解きそのうえで暖かい声をかけるのであった。
「御前は仲間だ」
「俺達の仲間だ」
「マリーを助けてくれたんだからな」
「そうですか」
 つい今さっきまでえらい剣幕で囲まれていたので今の態度に驚きを隠せないトニオだった。
 
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