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スペードの女王

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第一幕その一


第一幕その一

                第一幕 愛か、それとも死か
 ロシアの黄金時代の一つと言われているエカテリーナ二世の時代。この時代はロマノフ王朝において華やかな貴族文化が花咲いた時代であると言われている。
 それはこの時のロシアの主であるエカテリーナ二世の資質と人柄によるものが大きかった。ドイツの貴族の家に生まれた彼女はロマノフ家に嫁入りした。すぐにプロイセンかぶれで兵隊の人形を集めてはごっこ遊びに興じてばかりの精神、知能、発育いずれも異常な夫とは疎遠になりその分を文学、そしてロシア語、哲学等に向けた。その結果彼女は教養溢れる英邁な女性となったのであった。
 この夫はピョートル三世となったが殆どの者が予想した通り愚行を繰り返した。前の女帝エリザベータが心の奥底から憎悪し、その全身全霊を以って打倒しようとしていたプロイセンのフリードリヒ大王と講和してしまったのだ。
 この講和は七年戦争での講和であったが実はこの戦争は女性陣にとっては極めて因縁のあるものであった。
 元々はオーストリア、即ち神聖ローマ帝国皇帝への即位に端を発するものであった。オーストリアは男子継承であったがこの時の当主は女性のマリア=テレジアであったのだ。これに領土的野心や神聖ローマ帝国皇帝の玉座に野望を持つ周辺国家が一斉に異議を唱えた。そしてオーストリアに宣戦を布告した。所謂オーストリア継承戦争である。
 オーストリアに戦争を売ったのはプロイセン、バイエルン、そして長年の宿敵フランスである。フランスのブルボン家とオーストリアのハプスブルク家といえば不倶戴天の敵同士である。欧州ではまたしてもこの二つの家の戦いかと思われた。
 だが今回は主役が違っていた。一方の主役はオーストリアであったがもう一方はプロイセンであった。プロイセンの王はあのフリードリヒ大王。優れた軍人である彼はオーストリアに攻め込みシュレージェンを奪った。これにマリア=テレジアが激怒したのである。
 若しマリア=テレジアがごく普通の女性だったならば次の七年戦争も起きなかったであろうしエカテリーナもロシアの女帝にならなかったかも知れない。だがこの女帝はすこぶる優秀な女帝であった。後にハプスブルク中興の祖とさえ呼ばれている。オーストリア継承戦争をイギリス、そしてロシアと結んで凌いだ後は優れた人材を抜擢し内政、そして軍隊を整えると共に夫であるロートリンゲン公フランツ=シュテファンを神聖ローマ帝国皇帝とし、さらに敵をプロイセンに定めその台頭を苦々しく思っていた諸国と同盟をとりはじめたのだ。
 スウェーデン、ザクセン、そして何と宿敵だったフランスとも。この思いの寄らぬ同盟は外交革命とさえ呼ばれた。ハプスブルクは新たな宿敵プロイセンを倒す為にかっての宿敵と手を結んだのである。
 ここのフリードリヒの人間性が問題となる。彼は確かに英邁な君主であり偉大な軍人であったが同時に女性蔑視主義者であった。これがマリア=テレジアの怒りを買った理由の一つであった。
 この大王にとって悪いことにフランスの当時の外交顧問はポンバドゥール夫人であった。平民出身ながら王の愛人、そして政治顧問にまでなった彼女は言うまでもなく女である。当然フリードリヒを好く筈がなかった。これでオーストリアとフランスの同盟は成った。
 そしてロシアであるが。エリザベータ女帝は西で勢力を伸張するプロイセンを目障りに思っていた。しかもフリードリヒを人間的にも嫌い抜いていた。むしろこちらの方が大きかったかも知れない。何しろ目の前で話をしただけで不機嫌になってしまったという話がある程なのだ。彼女がプロイセン潰しに加わったことは言うまでもない。
 オーストリアのマリア=テレジア、フランスのポンバドゥール夫人、そしてロシアのエリザベータ女帝。この三人に囲まれたフリードリヒは絶体絶命に追い込まれた。この同盟を『三枚のペチコート』と呼ぶ。そして三国がプロイセンに挑んだ戦争を七年戦争と呼ぶ。三国は終始プロイセンを追い込んでいた。
 だがよりによってエリザベータ女帝が急死する。彼女は最後の最後までフリードリヒを倒すことを叫んでいたという。それ程までに彼を憎んでいたのだ。
 だが次のピョートル三世はどういう頭の構造なのかわからないがプロイセン崇拝主義者だった。そして即位して早速プロイセンと講和した。しかも勝っている戦争なのにプロイセンに一方的に有利な条件でであった。あと一歩でプロイセンを倒せたというのにだ。オーストリアもフランスもこれには呆れてしまった。結果としてこれでフリードリヒもプロイセンも生き残り女性達は彼を仕留めることが永遠に出来なくなってしまったのであった。
 しかもこの皇帝の頭の構造はさらに奇怪で軍服をプロイセン風にしながら給料は払わなかった。財政をそちらに注ぎ込んだからだ。前の女帝の政策を冷笑し全否定したがその政治は滅茶苦茶だった。しかもデンマークと戦争をしようとする。これで軍が彼を見離した。
 それに擁立されたのがエカテリーナである。彼女は素早く軍を動かすとすぐに帝位を奪った。この時の軍服を着た彼女の絵がサンクトペテルブルグに残っている。
 この無能な夫はすぐに暗殺された。彼女に暗殺されたというがこれも仕方ないと言えるような人物であった。妻でもある彼女をほったらかしにして肥満してお世辞にも美人とは言えない愛人と遊んでいたのだ。やはり何処までも異常な皇帝であったと言えよう。
 そしてエカテリーナだが彼女は内政を整備しトルコと戦争をして領土を拡大した。文化にも重点を置き今だに粗野な空気が漂うロシアを西欧風のみらびやかな文化で飾った。とりわけフランス文化を愛し彼女自身もフランスの思想家ヴォルテールと交流を持っていた。宮廷はフランスの服着た貴族達がフランスの料理とフランスの音楽に耽溺し、フランス語を話していた。ロシア人がこよなく愛するバレエもフランスから入ったものである。
 こうした華やかな貴族文化の中心は首都であるペテルブルグであった。北にあるこの首都は寒冷の地にありながらもまるで西欧の街の様に美しい。
 赤や橙のブロックの建物が並び女帝の宮殿がそびえ立っている。エルミタージュからは美しい音楽が絶えることがない。人々はその中を歩いている。
 
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