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フィデリオ

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第一幕その一


第一幕その一

                    第一幕 監獄へ
 高い塀に囲まれた刑務所であった。門は固く閉じられ中は一切見えないようになっている。それだけでこの刑務所が唯ならぬ存在であることがわかる。その奥深くの仕事部屋で声が聞こえていたがそれは誰にも聞こえはしなかった。
「おい」
 若い茶色の髪の青年がその部屋に入ってきた。緑の目をして顔にはソバカスがある。背は高く筋肉質であった。それを見ると彼が肉体労働に携わっているのがわかる。
「そろそろ休まないかい、マルツェリーナ」
「ヤキーノ」
 それを受けて部屋でアイロンをかけている少女が顔を上げた。見れば小柄で少しくすんだ蜂蜜色の髪をした可愛らしい少女だ。茶色の大きな瞳を持っている。
「お昼だしさ」
「もう少し待って」
 しかし彼女はまだ休もうとはしなかった。
「これが最後だから」
「そんなの後ですればいいのに」
 ヤキーノはそう言って渋い顔をした。
「休み時間は決まっているんだから」
「それはそうだけれどね」
 しかし彼女はそれでも手を休めなかった。
「お仕事は最後まできっちりやらないと」
「ちぇっ、真面目なんだ、マルツェリーナは」
「それが仕事だからね」
 いささか不真面目な様子のヤキーノの対して彼女は本当に勤勉であった。最後の一枚を今終えた。ヤキーノはそれを見届けてからまた声をかけてきた。
「ねえ」
「お昼御飯なら外で食べましょう」
「いや、それもあるけれど」
 彼はもじもじしだした。
「どうしたのかしら」
「あのね、マルツェリーナ」
「ええ」
「ちょっとだけ聞いて欲しいんだ」
 顔を赤くして言う。
「何かしら」
「僕と君はもう長い付き合いだよね」
「そうね。何年経つかしら」
「それでね、言いたいんだ」
「何を?」
「僕とね、結婚してくれないかな」
「それ前にも聞いたわね」
 マルツェリーナはそう言って微笑んだ。
「これで何度目かしら」
「何度でも言うよ」
 ヤキーノも退くつもりはなかった。
「僕と結婚してくれ、お願いだから」
「貴方と」
「そうなんだ。いいだろう?」
「それは」
 だが彼女は言葉を濁した。
「駄目なのかい?」
「いえ」
 それには首を横に振る。
「そうじゃないけれど」
「じゃあどうしてなんだい、僕じゃ駄目なのかい?」
「貴方のことは嫌いじゃないわ。これは本当に」
 彼女はそれは認めた。
「けれど今は」
「またそんなことを言って。これで何度目なんだ」
「何度目だっていいでしょう」
 マルツェリーナの口調がきついものになった。
「貴方には関係ないもの」
「そんなことを言うのか」
「ええ」
 彼女は答えた。
「とにかく今はそんな気分じゃないの。わかった!?」
「クッ」
「おおい」
 そこで外から年配の男の声がした。
「!?」
「ヤキーノ、いるかい?」
「?何だろう」
「行った方がいいわよ、ヤキーノ」
「ちぇっ」
 マルツェリーナは逃れられたと見た。ヤキーノはそれを残念に思った。彼は仕方なくその場を後にした。
 こうしてマルツェリーナは一人になった。そしてほっと安堵の息をついた。
「とりあえずは行ったわね」
 だがすぐに戻ってきた。マルツェリーナはそれを見て心の中で溜息をついた。だがあえてそれを隠して彼に尋ねた。
「で、何だったの?」
「ちょっと午後の仕事のことでね」
 彼は答えた。
「ちょっとした打ち合わせだ。けれどすぐに終わったよ」
「そうだったの」
 彼女はそれに頷いた。
「それでまた聞きたいんだけれど」
「また!?」
 今度は露骨に嫌な顔をした。
「そうさ、さっきも言っただろう?僕は何度も確かめるって」
「あのね、ヤキーノ」
 彼女はたまりかねて言った。
「今は言えないわ、すぐに」
「それも何回も聞いたよ」
「それでもよ」
 彼女は言い返した。
「これもさっき言ったわね」
「じゃあ答えは変わらないんだね」
「ええ」
 彼女は答えた。
「とにかく今すぐは駄目よ」
「そうか、わかったよ」
 彼はそれを聞いて止むを得なく頷いた。
「じゃあ今はいいよ。それじゃあね」
 そう言って昼食を手に取って部屋を出ようとする。
「けれど僕は諦めないからね」
 マルツェリーナはそれに答えなかった。彼女はそれを聞き流していた。
 ヤキーノはその場を後にした。そしてマルツェリーナは今度こそ一人になった。
「やっとね」
 ふう、と一息ついた。
「何を言っても駄目なのに。馬鹿な人」
 彼女の心は彼にはないようであった。では誰のところにあるのか。
「前までだったら受けられたのに」
 だが今は駄目なようだ。それは何故か。
「フィデリオがいるから。あの人には心を動かされなくなってしまったわ」
 フィデリオとはこの前新しく来た看守である。ヤキーノの同僚にあたる。銀色の髪に青い目をした凛々しい若者である。背は高くスラリとしている。いつも物憂げな顔をしている。彼女は彼に心を奪われてしまったのだ。
 
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