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とあるβテスター、奮闘する

作者:らん
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投刃と少女
  とあるβテスター、殴られる

《投刃のユノ》。それは、βテスト時代の僕の呼び名だ。
第4層からボス攻略戦に参加するようになり、第9層攻略戦が終了した後、味方であるはずのパーティメンバーを殺し、LAボーナスを持ち逃げしたオレンジ《犯罪者》プレイヤー。
それが、《投刃のユノ》。正義感溢れる者やPKK《プレイヤーキラーキラー》といったプレイヤー達に追われ、逃げるように各地を転々とし、やがて姿を消した───味方殺しの名に相応しい末路を辿った、昔の僕。

「雑魚コボ、もう一匹くれたるわ。精々大人しくして、変な気ぃ起こさんことやな」
憎しみの滴る声で皮肉の言葉を残し、キバオウはE隊メンバーの元へ戻って行く。
カシャカシャという耳障りな金属音が耳に入り、音がした方向に視線を向ければ。左右の壁の高い位置に存在する穴から、最後の取り巻きが戦場に舞い降りたところだった。
新たに湧いた三体のうち、二体の『ルインコボルド・センチネル』が、斧槍を構えながらこちらに向かってくるのが見える。
だけど、僕は。命の危険がすぐそこまで迫っていることも忘れ、ただ呆然と立ち尽くしていた。

───どうして。

身体が震える。視界が狭まる。音が消える。
どうして。その言葉だけがただただ頭の中を巡り、他のことを考えることができない。
まるで僕一人だけが世界から切り離されてしまったかのように、目の前の敵が振りかぶった斧槍を、どこか他人事のように眺めていた。

───どうして、どうして、どうしてっ!

例え、《投刃のユノ》の名を覚えているプレイヤー……元βテスターが、この場にいたとしても。
投剣スキルを封印し、近接戦闘をしているうちは。人前で以前のプレイスタイルを見せない限りは、ここまで露骨に警戒されることはないと思っていた。
今の姿はアバターの時とは違うし、足が付かないよう、得意な戦闘スタイルも使っていない。
《今のユノ》が《投刃》と呼ばれていたプレイヤーと同一人物だと知っているのは、情報屋・鼠のアルゴくらいのものだ。
だけど。僕も知ってる通り、アルゴはβテストに関する情報は一切売らない。

グリーンでいる限り───“以前のように”オレンジ《犯罪者》にならない限り、僕が《投刃》であることは露見するはずがない。
そう、心のどこかで楽観視していた。

───でも、バレた……!それも、こんなに早くッ……!

本当のことをいうなら。SAOがクリアされるまでの間、《投刃のユノ》の名を隠し通せるとは思っていなかった。
当時と同じ名前を使っている以上、いつかは怪しまれる時がくると、まったく思わなかったわけじゃない。
グリーンを維持したところで、かつてオレンジだったことを警戒され、人知れず闇討ちで葬り去られる日がくるかもしれない。
例え、βテストでは死者が出ることはなかったといっても。
デスゲームと化した今のSAOで、βテスト時代とはいえ“仲間を殺した”という前科があれば───討たれる理由としては、十分すぎる。

───でも、それでも……!

それでも、せめて。
せめて、あの子が───シェイリが独り立ちできる時が、来るまでは。
僕が《投刃》だとバレることで、彼女まで巻き込んで、周りのプレイヤーからの敵意を集めることだけは。
そんな事態になることだけは、絶対に、絶対に避けなきゃいけないはずだったのに……!

「──!────ッ!」
「……、あ」

そうして、僕が気付いた頃には。斧槍の刃が、もう目と鼻の先まで迫っていた。
もう一体のセンチネルを相手取っていたキリトが何かを叫ぶが、何を言っているのかわからない。
思わず間の抜けた声を出してしまう僕。当然ながら、AIに基づいて動いているだけの敵がそんなことを配慮してくれるはずもなく。

周囲をディアベル率いるC隊に包囲され、咆哮する亜人の王。
その側近であるモンスターが繰り出した、斧槍による攻撃。直撃すれば瞬く間にHPを全損させるであろう、容赦ない一撃。

───避けられ、ない。

僕はそれを、ただぼんやりと眺め───


────────────


「ユノくん!ダメだよっ!」


刹那。
この一ヵ月、何度も僕を救ってくれた彼女。そのよく通るソプラノボイスが、僕の耳を打った。
切羽詰ったシェイリの声で我に返り、思考の海に沈みかけていた意識が表層へと浮上する。

「──ッ!!」
咄嗟に身体を捻り、右腕を前に出して左半身を庇う。
流石に無傷とはいかず、斧槍の刃が右腕に食い込み、HPゲージが決して無視できない勢いで減少していく。
ただでさえ軽装備なのに加え、先の戦闘で少なからず減っていたHPゲージ。その二つの要素が合わさり、僕のHPはレッドゾーン《危険域》まで落ち込んでしまった。
それでも、急所のある左半身に直撃を……クリティカルヒットを貰い、即死することだけは、何とか回避することができた。
本当に、ギリギリのところだったけれど。

「ユノ、退いてろっ!」
「……ごめん、任せた」
次の瞬間。いつの間にかフリーになっていたキリトが、僕を狙っていたセンチネルへと向けてソードスキルを放つ。

片手剣 突進技《ソニックリープ》

キリトの剣がライトエフェクトを纏い、鮮やかな直線軌跡を描きながらセンチネルの金属鎧を打ち付けた。

「よしっ!シェイリ!」
「────ッ!!」
キリトの声に応えたシェイリは、いつもの気の抜けるような声とは違う、言葉にならない咆哮と共に敵へと肉薄する。
《バスターチャージ》を発動させながら突っ込んできた彼女の攻撃により、センチネルは胴を金属鎧ごと横一閃に切り裂かれ、ガラスの割れるような音と共に砕け散った。

「……、ユノくん……」
亜人モンスターを難なく葬ったシェイリは、急いで走り寄ってきたためか、肩で息をしながら僕の名前を呼ぶ。
少し遅れて合流したアスナの話によれば、自分と戦っていたコボルドを無理な戦い方で倒し、かなり強引にこちらの援護に回ったのだそうだ。
その証拠に。いつもほぼ一撃必殺で敵を倒してきたため、ほとんど8割を切ることのなかったシェイリのHPが、注意域のイエローゾーンまで減少していた。

「ユノくん」
「……、う、うん」
少し落ち着いたのか、彼女は今度はしっかりとした声で、再度僕の名前を呼ぶ。
だけど。その声はいつもの間延びしたものではなく、むしろ剣呑な響きを含んでいるような───

「ばかっ!!」
「ぐえっ!?」
と、思った次の瞬間。
シェイリの右手が残像を残す程の速さで振るわれ、次いで、僕の顔面を強烈な衝撃が襲った。

これはドラマなんかでよくある、女の子が激怒した時に繰り出される平手打ち───なんて生易しいものではなく、ゲームに出てくる格闘家が使うような、見事な正拳突きだった。
レベルアップボーナスのほとんどを筋力値につぎ込んでいるシェイリから繰り出された拳たるや、下手なソードスキルより威力があるのではないかと思ってしまう程だ。
パーティメンバー同士では攻撃判定にならず、HP自体は減らないものの……攻撃がヒットした時の衝撃そのものは緩和されない。
そのため、僕は頭から仰け反るようにして吹っ飛び、無様に尻餅をついてしまう。

「ばか!ばかばかばか!なに考えてるの!?死んじゃうところだったんだよ!?」
「しぇ、シェイリ、ちょっと待っ───」
尻餅をつき、上半身だけを起こした状態の僕に、再び彼女の正拳突きがクリーンヒット。顔面と後頭部に強烈な衝撃を感じ、仰向けに倒れ込む。
更にシェイリは僕の上に馬乗りになり、左右の拳で容赦なく顔面に連続攻撃を浴びせてきた。
拳がヒットする度に衝撃が生まれ、更に殴られた衝撃と後頭部を床にぶつける衝撃が、二重苦となって何度も僕を襲い───し、死ぬ!本当に死ぬって!

「ばか!ユノくんのばか!」
「ま、待って、これ以上は本当にHP減りそ───うぶっ!?」
僕のことを罵りながら両の拳を振るうシェイリに、本格的に命の危険(HPが減らないとわかってはいるものの)を感じ、制止を求めた瞬間。
彼女はおもむろに回復ポーションを取り出すと、蓋を開けて強引に僕の口へと捻じ込んだ。

「げほっ!ごぼっ!おぇっ………ジェ、ジェイリざん、ボージョンなら自分で飲めまずがらっ……!」
「しらないっ!」
口の中に柑橘系の甘い香りが広がり、危険域にあった僕のHPゲージが回復していく───のはいいんだけど、倒れた状態で無理矢理液体突っ込まれたため、まともに喋るのも困難なくらい咽てしまう。
何とか回復薬を嚥下すると、通常の回復ポーションの倍近い速度でHPゲージが戻っていくのがわかった。
これはボス戦に向かう前、僕が彼女に『いざという時のために』と言い渡しておいた、現段階では最高級の価格と性能を誇るポーションだ。

───あ、そうか。僕、死ぬところだったんだ。

あと一瞬、反応が遅れていれば。
現実世界の僕の身体はナーヴギアに脳を焼かれ、SAOからも現実世界からも永久退場していたことだろう。
渡した本人が“いざという状況”になってたら世話はない……なんて、呆けた頭で考えていると。
不意に、僕の顔を殴る手が止まった。

「……、ユノくんの、ばか」
思わず閉じてしまっていた目を、そっと開ければ。
彼女はその大きな両目に目一杯の涙を溜め、まさにMN5(マジで泣き出す5秒前)といった様相で───だめだ、完全に頭が馬鹿になってるぞ、僕。

……と、そんなしょうもないことばかりが頭に浮かんでいた僕は、

「最後まで気を抜くなって、自分でいつもいってるくせに。死なないでって、いってるくせに!」
「……!」

涙声で叫んだ彼女の声を聞いた瞬間、まるで冷や水をかけられたように、思考がフリーズした。

最後まで気を抜くな。絶対に死なないで。
戦闘で浮かれがちなシェイリに、僕が毎日……それこそ決まり文句のように、言い聞かせてきた言葉。

───そうだ、自分でこの子にそう言ってきたじゃないか。

いまいち現実感が持てないとか、そんな呆けたことを言ってる場合じゃない。
なぜなら。僕はあの“はじまりの日”から、僕のことを信じてついてきてくれたこの子を、絶対に守ると決めたから。
彼女を守るためなら、僕は何があろうと─── ───?

───何があろうと……?……違う、僕は……

自分の主張と実際の行動に、決定的な矛盾を感じて。
それまで当たり前のように思っていた自分の考えが、どうしようもなく矛盾していたことに気が付いてしまって。
僕は、思わず押し黙る。

───違う、僕は。僕は、彼女を、置き去りに……

自分が《投刃》と呼ばれていた元オレンジだということは、いずれ周囲に露呈してしまうだろう。
そうなる前に彼女を育て上げ、最低でも独り立ちできるようになるまでは、一緒に行動するつもりだった。
それが、彼女が僕に寄せてくれる信頼への、僕なりの応え方だと思っていたから。

だけど。もし実際に、その時がきたら。
このまま何も起こらずにボス戦を終えて。やがて僕が《投刃のユノ》だと知られて、彼女を巻き込みかねない状況になったら。
その時、僕はどうするつもりでいた───?

───僕は、僕はシェイリを置き去りにして、一人で消えようと思ってた……

彼女を巻き込みたくないという免罪符を振りかざして、一人で置き去りにしようとしていた。
何をしてでも守るだなんて言いながら、それがずっと続くはずはないと、心のどこかで勝手に諦めてたんだ。

───なんだ……。僕、最低じゃないか……。


────────────


「ユノくんのばか!一人で死んじゃうなんて、絶対にゆるさないからっ!!」
……そう言って、シェイリはとうとう泣き出した。
彼女の涙が頬に落ちてくるのを感じながら、知らず知らずのうちに彼女の信頼を裏切っていた自分を恥じる。

───さっきだって、そうだ。

自分が元オレンジだとバレたからといって、一人で思考停止を起こして。
シェイリが助けにきてくれなければ、僕はあのままモンスターに殺されて、彼女を一人ぼっちにしてしまうところだった。

『それにユノくん、守ってくれるんでしょ?』

あの“はじまりの日”、彼女は僕にこう言った。
SAO初心者であるシェイリには、あのまま『はじまりの街』に残るという選択肢だってあった。実際、僕も彼女はそうするとばかり思っていた。
それでもこの子は、僕を信じて一緒に行くと言ってくれたんだ。守ると言った僕の言葉を、一瞬たりとも疑うことをせずに。
僕はそんな彼女との出会いに感謝して、必ず守ると心に決めた───はずだったのに。
守ってもらっていたのは、どっちの方だったのやら。

───ああ、僕ってほんと……どうしようもないなぁ。

βテストの時に僕がやってきたことを彼女が知れば、どういう反応をするのかわからない。
もしかしたら。味方殺しの経歴がある僕のことを、信用できないと言うかもしれない。
だけど、その時はその時だ。
彼女が僕と一緒にいることを拒むなら、望み通りに消えればいい。
でも。もしも彼女が、それでもいいと───信じると、言ってくれたなら。
その時は、《投刃》だとか元オレンジだとか、そんなものは関係なくて。
僕はただ、あの日心に決めたことを守ればいい。たったそれだけの、話だったんだ───

───独り立ちだとか何だとか、とんだエゴだったね。

どうして今まで気が付かなかったんだと、自分でも不思議に思いながら。
未だ泣きじゃくるシェイリの涙を拭ってやり、頬にそっと手を当てる。

「ごめん、シェイリ。本当にごめん」
「うっ、うぇっ、ユノくん……」

───あーあ、こんなに泣いちゃって……。

そうさせたのは他でもない僕だろう、と、自分自身に苦笑いしつつ。
僕を殴るうちに乱れた黒髪を、手櫛でそっと整えてやった。
さらさらとした髪が指の間を通り抜ける感触を感じながら、改めて彼女の目を見つめる。
赤く、泣き腫らした目。僕が臆病だったばっかりに、こんなになるまで泣いてしまった彼女。
そのことに罪悪感を感じながら、同時に、もう二度とこんな思いはさせまいと決意する。

「もう大丈夫だから。勝手に死んだりしないから」
「……、ほんとに?やくそく、できる?」
「約束するよ。だから───」

───だから、これが終わったら。僕の話を聞いてくれる?

彼女が僕の話を聞いて、それを信じてくれるかどうかはわからない。
だけど、もう……自分を信じてくれているこの子に、隠し事をするのはもうやめだ。
このままボス戦が終わって、次の層に辿り着くことができたら。その時、僕は彼女に全てを話そう。
僕が───《投刃のユノ》が、過去にしてきたことを。

僕が問いかけると。
シェイリは涙でぐしゃぐしゃになった顔に、いつものふにゃりとした笑顔を浮かべて。

「嘘ついちゃ、やだからね?」

そう言って、頷いてくれた。
顔は涙でぐしゃぐしゃで、それでも表情は笑ってるという、とてもおかしな笑顔だったけれど。
何故だかそれは、とても魅力的な笑顔に見えた。 
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