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少女1人>リリカルマジカル

作者:アスカ
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第二十五話 少年期⑧



「ここまでぐちゃぐちゃになっていると、いっそ清々しく感じるよなぁ…」

 目の前に映る記号や数式の羅列。それを眺めていた死神は笑いさえ起きそうだった。もっともその笑いは、現実逃避に近いものであったが。何度吐いたかわからない溜息すら、もはや出す気にもならなかった。

 彼が遠い目をしながら見ているものは『情報』だった。空中に浮かぶ半透明の記号やらが彼の前で舞い、次々に流れている。その規則正しく並ぶ文字には、あらゆる命あるものの記録が載っていた。それこそ過去も現在も運命も因果も縁もなんでもだ。新しい命ができれば、必ず新たに書き込まれていく。

 そのためここに置かれている情報量はすさまじいの一言であった。彼もできればこんな頭の痛い作業よりも、脳筋と言われようと武闘派の仕事がしたいと泣きそうになる。しかし原因の一端は間違いなく己なので、検索の手を止める気はなかった。以前調べた結果が果たして本当のことなのか、と彼は数えきれないほどの情報の中から必要なものだけをまとめていた。

「……やっぱり俺が原因だよな。俺があいつの奥底をちゃんと見ていれば、少なくともこんなことだけにはならなかっただろうし」

 死なせてしまった青年は、最初それを告げた時は茫然とわけがわからないという表情だった。当然だ。彼には死んだときの記憶はなく、気づいたらもう元の世界にはいられなくなっていたなど信じられない話だろう。

 死神の鎌には、切り付けた相手の魂をその世界から切り離す役割がある。そして1度世界と切り離してしまった魂を、再びその世界と繋げることはできない。それは彼を元の世界に戻すことができないことと同意だった。

 彼は最終的には自分で転生することを選んだが、それまではひどかった。死んで消えてしまうよりは、生きたいと諦めながらも笑った青年。彼は今まで持っていたものを一瞬ですべて無くしてしまった。1人になり、誰にも手を伸ばせない状況に涙を流した。

 死神が青年に力を与えたのは、償いもあった。しかし何よりも、青年が力の使い方を間違えないと判断したからだ。すべてを1度無くし、たった1人だけになった彼は、誰よりも死を……孤独を知った。力を振り回せば人は離れる。それが理解できないほど子どもではない。孤独を恐れる彼が、欲望のままに生きられるとは思えなかったのだ。


 そして、その見解は正しくはあった。だがそれは彼の精神のことであり、死によって変質してしまったあり方…魂の望みとは違っていた。精神は覚えていない死の経験を、魂は覚えていたからだ。世界から唐突に切り離された魂の悲鳴はトラウマという形になり、青年の中に存在することとなった。さらに記憶があるかないかが、彼の精神と魂にズレを生んでしまった。

 そのトラウマが表に出てきたのは、ヒュードラの事故ともう1回だけ。アルヴィンは「アレ」が表に出てきたのはまだ1度だけだと思っているが、彼が認識するずっと以前に1度起こっていたのだ。その1つが、とんでもない歪みを持たせてしまったイレギュラー。

 「アレ」は彼が転生する直前に1度暴走していたのだ。

 アルヴィンが選んだ転生に、「アレ」は納得ができなかったのだろう。アルヴィンは「転移」があれば、危ないことから逃げられると思っていたが、トラウマはそうは思わなかった。理不尽な大きな力による唐突な死を知っていたがゆえに…足りないと感じてしまった。だからアルヴィンの意識が眠った、死神が集中していた転生の直前に力を使った。

『いつでもどんな時でも好きな場所、世界に転移できるレアスキル』

 与えられた力を使い、「アレ」はもらった本人が考えも付かないようなことをしでかした。今この瞬間だからこそできたこと。いつでもどんな時でも、ということは「転生する直前」でも問題はない。望んだ場所に転移できる、ということは「転生に関する情報を受け持つ場所」でも問題はなかった。

 改ざんしたのだ、「アレ」は。ただその改ざんはあまりにも杜撰だった。死にたくない、というそれだけのために動いた本能だったのだから細かいことなどできるわけがなかった。

「アレ」はただ知りたかったのだ。自身に死をもたらすだろう現象がいつ、どのように起きるのかを。それがわかれば、唐突に死ぬことはない。わかっていれば逃げられる。そのために、これから先の運命すら見られる場所に行き、その情報を加えようとしたのだ。

 現に、アルヴィンは断片ながらその恩恵を受けていた。ヒュードラの事故が確実に起きること。いつごろ事故が起きるのかを感じ取っていたこと。記憶がないためなんとなくでしか本人は感じ取れなかったが、奥底にはそれを見た記録が確かに存在していた。


「暴走のおかげで、あいつは自身の死に関する運命に敏感になった。これはあいつにとって確かにメリットになるものだ。だけど、無理やりな介入を行えば…必ず綻びは生じる」

 死神はようやくその無理な介入によって、生じた問題をまとめあげた。その問題は、アルヴィンにとってはかなりきついものであった。もし彼が得たものの代わりに得たデメリットを知れば、ふざけるな、と叫んでもおかしくないようなもの。

 彼がテスタロッサ家に生まれた最大の要因。死に関する項目に特に介入が強かった余波で、他の情報にもそれが影響してしまったのだ。黒のインクが他の色に飛び散り、もともとのインクの色を変えてしまったようなもの。それは運命の1つ……めぐり合わせという縁をつなぐ情報を歪ませてしまった。

 絆を育み共に歩むものを手繰り寄せるはずだった縁は、己と同じ死の因果を持つものを呼び寄せる悪縁へと塗り潰された。

 前世で彼は理不尽なまたは大きな力の前に亡くなった。または巻き込まれた。この情報が流れ、前世の彼の死に方と同じ運命をたどるものを呼び寄せるものになってしまっていた。理不尽な大きな力によって亡くなったアリシア・テスタロッサとリニス。そしてそれに巻き込まれたプレシア・テスタロッサのように。

 もちろん運命は変えられる。定めとして決まっている道筋を変えられたから、彼女たちは生きることができた。逆に言えば、変えられなければ待つのは前世の彼と同じような死が待っていたのだ。

 これから先も彼の前には、悪縁によってそういった人物が集まってくることになる。全員がそうではないだろうが、それでも……果たして彼は耐えられるのだろうか。死神は渋面を浮かべる。

 ある意味テスタロッサ家に生まれたのは、今の彼にとっては幸運だったのかもしれない。なぜなら彼は知識として知っていたからだ。だから悪縁を跳ね除けられた。しかしこれから出会う者たちにも、同じようなことができる保証はない。

 自身の中にある違和感に気づけても、さすがに因果までは気づかないだろう。いや、気づかない方がいいのかもしれない。無意識に手繰り寄せる人物の多くが、理不尽に死んでいく、大きな力に巻き込まれる運命を持っている。そんなことを知れば人と関わることに恐怖を覚えるはずだ。誰よりも人と関わりたいと願う彼だからこそ余計に。


「それでも、……案外あいつならそれらすらも捻じ曲げられるかもしれないのだろうか」

 彼の悪縁は様々な影響を及ぼすだろう。だがその因果は、結局は用意された1つの道筋でしかないのだ。あの自他ともに認められている変人が、用意された道筋を素直に通る姿を死神は想像できなかった。むしろ斜め上に面白そうとかで突き進んでいってしまうかもしれない。

 普通に何かやらかしそうである。別の意味で死神は心配になってしまった。なんせカオス(変人)理不尽(悪縁)が結びついた1つの結果が、今のテスタロッサ家である。明らかになんか変な一家と一纏めにできるぐらいに変貌……えっと成長できたとオブラートに包んでおこう、という状態になってしまっていた。

 あれ、本当に大丈夫だよな? 死神が冷や汗を流したのは、果たして転生した青年の今後か、それとも青年が引き起こすかもしれない今後のことか。良くも悪くも彼は発信源なのだ。未来は常に変貌する。未来を作っていけるのは、結局はそこで生きている者たちだけなのだから。

 とりあえず、彼が幸せに生きていけることを祈っておけばいっか。―――と青年が聞けば、投げたッ!? と突っ込みが入れられそうなことを思い浮かべながら、安全第一を胸に武闘派の仕事に戻るため再び手を動かした。



******



「ちょっと店主さん。家の母親になんてことを吹き込んでくれやがったのですか」
「ふむ。言葉遣いにツッコむべきか、内容にツッコむべきか……迷うな」
『どっちも大差ないような気もしますが』

 いや、聞けよ。俺は怒ってんだぞ。しかし店主は俺の言葉を聞いてもいつも通り飄々としているだけ。むしろ見てろ、華麗にツッコんでやると言わんばかりの表情だ。またテレビになんか影響されたのか、このおっちゃんは。店頭にならんでいる物にハリセンや出っ歯が置かれているのを見て、正解かもしれないと思う。

「今度は何に影響されたんですか。この前までギター片手に歌っていたのに」
「あれもよかったな。地球の文化は俺のパッションを高めてくれる。お前の母親も良さをわかってくれたし」
「やっぱり原因あんたか」

 敬語がとれてしまった、反省。しかし相変わらず趣味に全力そそいでいますねー。俺は『ちきゅうや』とかかげられたお店の看板を眺めながらつくづく思う。このお店は目の前にいる店主の趣味で作られた第97管理外世界である「地球」の専門店である。だけど全然本格的なものではなく、集められている物もかなり偏りがあったりするのだけど。

 海外のものもいくつかあるが、意外に日本のものが多く取り揃えられていたりするのだ。ダイヤル式のテレビがあったり、駄菓子が並んでおり、昔懐かしいインベーターゲームの音が流れている。これ……明らかに昭和だよな。原作の過去だからか、地球の年代も過去のようなのだ。

 オーバーテクノロジーに混ざる20世紀。どっかのスーパー5歳児の映画を思い出してしまった。異様だが、これがなんか新しいと地味に評判があるらしい。物好きに。あれか、新しいものに囲まれていると昔のものに食指が動くという感じなのだろうか。

 ちなみに以前何となく日本の物が多い理由を聞いてみたら、とある日本食に感銘を受けてから興味を持ったとのこと。おぉ日本食愛好家か、と仲間ができたみたいで嬉しかった。「食べてみるか?」と言われて二つ返事で了承して出てきたものに涙が出そうになったけど。おいしかったよ? 3分で出来上がるし、日本が作ったことには変わりはないしさ…。


「しかし店に来たのはアル坊の母親と妹の方だぞ。買い物帰りにちょっと寄ってみたって前に聞いたしな」
「なんでこんなおかしな店にわざわざ足を運ぶんだ。なんか宣伝でもしたんですか」
「常連客のくせにひどいな。残念ながら相変わらず客足は馴染み客ばかりだ。しかし、アル坊が呼んでくれたわけじゃなかったのか」
「当たり前でしょう」
「さすがに傷つくぞ」

 おっちゃんがそんな軟じゃないのは知っています。こんな混沌とした空間に誰が家族を招待しますか。母さんが古そうなレコード流してうっとりしているのを見た時は吐血しかけたぞ。めっちゃ懐かしい曲が家に響いて、俺がヘルプ! って言いたかったよ。いい曲なのは認めるけど。

 2人が来たのってたまたまなのかな? まぁ、あんまりにも変なものとドッキングさえしなければいいんだけどさ。……なんか難しく考えていたけど、別にもういいのかな。地球について語れる人が身近に増えたのは、確かにうれしかった部分もあった。

 なので、これからは家族がここに来るときは一緒に来ようと思う。だって影響力ってやっぱ怖いんだよ、特に子どもの。何が琴線に触れるかがわからない。昔俺もライダーに憧れて、キックの練習に熱中したことがある。……熱中しすぎて、家のコタツをぶっ壊した時は家族全員に怒られたけど。コタツ禁止令が出た時は泣いた。妹をそんな目に合わせるわけにはいかないので、お兄ちゃんがしっかり見極めようと思う。


「それにしても、本当に何でも置いていますよね」
『そうですよねー。特に見てくださいよ、これ。魔法もいいですが、これもこれで夢が広がりそうです。マイスターに頼めば実装できますかね』
「……それ、一応質量兵器に入らね」
『魔法と科学は表裏一体です! 魔法の補助で少々難点がある僕ですが、これがあればすごくないですか? なによりロマンがありますし』

 コーラル自身、デバイスとしての役割は役割でこなせるようにはなりたいと言っていた。だから足りない部分を補うために色々考えてくれるのは助かるんだけどさ…。俺はコーラルが意気揚々と告げるものを見上げる。

 ロマンは認めるけど、デバイスとは別物になりそうなんだけど。ここの科学力ならできそうで怖い。武骨な装甲をつけた人型の機械兵士。もちろん本物ではなく、俺の身長よりも一回り大きい置物だが。このアニメよく見たな…、懐かしい。

 俺が住むこの次元世界では、質量兵器と呼ばれるものを使用することは法律上禁止されている。ただ魔力を使わなくても使える大量破壊を生み出す兵器の総称なので、すべての兵器が駄目というわけではない。魔法だって突き詰めれば科学だし。拳銃とかも申請すれば使える。

 ようは俺の世界にあった核爆弾のような兵器や、それをさらに発展させたような世界すらも滅ぼせるようなものの使用を禁止するということらしい。何を当然な…と思うこの法律は、ほんの数十年前に決められたもの。何その世紀末。俺この時代より前に生まれなくて本当によかった。


 そんな俺のほっとした様子も気にせず、コーラルはピカピカと点滅している。え、そんなに気に入ったの? コーラルって上機嫌の時とかによく光っている。暴走しやすいのもこういう時だよな、と思い出し頬が引きつった。

『……そうです。別にデバイス=杖の公式にとらわれなくてもいいのではないでしょうか。起動したらシャキーン! 合体! みたいになったらかっこよくないですか。デバイスでも腕とかあって動かせたら攻撃できますよね。…なによりインパクトがあるから印象残りそう』
「あの、コーラルさん。俺普通の杖がいいんだけど。ごめんなさい、ちゃんと杖にする機会を増やしますので」
『ロケットパンチができるデバイスって……夢が広がりません?』
「よくぶん投げたり、空に飛ばしてすいません。だから戻ってきてください」

 デバイス起動した柄の先がロボットの上半身になるのはいやです。マスター置いて肉弾戦したり、腕飛ばすデバイスは勘弁してください。こういう時のコーラルは冗談か本気かマジでわからない。ほっといたら本当にやりかねないので必死に頭は下げた。


「けどなぁ、趣味でやっているとはいえやっぱり客は欲しいな。手伝いもあるといいんだが……アル坊、さっき宣伝とか言っていたのを本格的にやったら増えるだろうか」

 マスター置いて店内を見回りに行ったデバイスは置いといて、俺は店の奥の椅子に座って店主からいただいたお茶を飲んでいた。そこに店主が口元に生えた髭を撫でながら聞いてくる。内容はまぁ確かに店をやっているのだから当然の悩みだろう。

 趣味とはいえ、経営もタダではないしな。つまり店主さんはちきゅうやを宣伝したいってこと? そりゃ面白そうなのは認めるけど、なんかこの店が世に出てしまうのは果たしていいことなのか疑問が出てくるんだが。母さんとコーラルの様子を見ていると、ミッドの人が変なものに目覚めそうであれなんだけど……。

「ちなみに客が増えたら給料だすぞ」
「全力で頑張ります」

 さっきまでの思考は空の彼方へおさらばした。俺は過去を振り返らず、未来に進む。キリッ。別に店を宣伝するだけなら何も問題ないでしょ。転生して初めてのアルバイトだし、気合入れて頑張りますか! ……だって子どもの時のお金事情ってかなり大変なんだよ? 本当に。


「すいません、……おや君は」
「ん、おぉらっしゃい。アル坊、ちょっとすまんな」

 俺と一緒にとなりの椅子に腰掛けていた店主は立ち上がり、店に入ってきた男性のもとに歩いていった。男の人は俺たちの会話に割って入ってしまったことに、申し訳なさそうに頭を下げる。俺は慌てて首を横に振って、気にしないでほしいことを伝えた。

 直接こんな風に会ったことはなかったが、確かちきゅうやの常連客の人だったと思う。時々お店の中で見かけたことがあった。同じように、お兄さんも俺のことを見たことがあったのかもしれない。

 年は副官さんとくまのお兄さんと同じぐらいか、もう少し上かもしれない。店の奥にある日本とは違う海外ブースの方でよく見かけたな。礼儀正しい好青年って感じだけど、この店の常連客って時点で俺の中では変わった人認定されている。文句はこの店の胡散臭さに言ってください。

 他にも常連客の人は何人か見たことがあるが、顔ぶれはそういえばあまり変わらなかった気がする。おかげでその何人かとはいつのまにか話をして、仲良くなれたけど。このお兄さんはあんまり顔を出さない人なのか、話す機会がなかった。

「……それなら丁度いい。おーい、アル坊!」
「え、何? 店主さん」
「店の中をちょっと一緒に見てやってくれ。バイト初仕事だ」

 いきなりだな、おい。お兄さんも驚いて、そんなの申し訳ないって表情しているぞ。でも、宣伝以外に手伝いとかも欲しいって言っていたので頑張りますかね。店内はあらかた網羅しているので、どこに何があるのかはすぐにわかる。俺もどんなけ入り浸っているんだろ。


「すまない。迷惑ではなかっただろうか」
「いえいえ。俺も暇でしたし、バイトなのでお気になさらず。あ、お茶はこの棚の上です」

 店内の端っこにある棚の中から、お兄さんが探していた紅茶の葉を見つけ出す。少し前に店内を整理して場所が移動してしまっていたらしい。時々しか来られないお兄さんはそれを知らなかったようで、いつもの場所になくて焦ったようだ。

「ありがとう、この葉が好きなんだ。月に何回かは買いに来させてもらっている」
「それで、わざわざこんな小さなお店に?」
「はは、ミッドチルダの物もおいしいのだけど……やはりふと飲みたくなるものでね」
「ふーん」

 紅茶とかお茶とかの良し悪しは俺にはよくわからないな。おいしければ満足です、みたいな思考だからなのかね。高級な物より、多少安くてそれなりにいい物の方が俺は好きだから、そこまでこだわりも強くない。金がかからない性格だなぁ、自分。

『おぉっと、ここで決められてしまうのか!?』
「お、野球の中継だ」
「……野球?」

 茶葉の棚が日本のブースの近くだったからか、テレビの中継の音が耳に入ってきた。時代的にいっても、このころの日本は野球がブームだった気がする。俺はスポーツに関してはほとんど見る側だったな。野球も学校の授業でやったことがあるぐらいで、テレビぐらいでしか見なかった。

 ミッドチルダでは意外にスポーツ系が少なかったりする。あっても魔法競技や最近よく聞くようになったストライクアーツと呼ばれる格闘技が有名だろう。サッカーも野球もないって知った時は驚いた。地球にあったメジャーなスポーツがないのはちょっと寂しかったな。


「うおぉ、懐かしい。世界の本塁打王じゃん。やばッ、生だ生。ホームラン決めてしまえ!」
「これは球技なのかい? 私の知っているスポーツとは違うものだが」
「そりゃ格闘技とは違いますよ。でも野球は面白いですよ? 投手と打手との駆け引きとか、仲間同士で泥臭く戦うところとか、ホームラン打った時のカキーンって音とか」
「格闘技のことではなかったんだが……。しかし、そうか奥が深いスポーツなのだな」

 俺の様子に微笑ましそうに笑いながら、お兄さんもテレビの画面に目を向ける。俺はスポーツ系は特に野球とかサッカーとかバスケとか、団体で点取りを行うものをよく見ていた。個人プレーの多いミッドのスポーツも面白いが、団体戦の熱さも捨てがたい。

 お兄さんも野球に興味を示してくれているし、ここは宣伝しておかなければ。やっぱり語れる人ができると嬉しいし、共通の話題があると話も広がるものだ。

 お兄さん自身は幼いころから仕事一筋だったからか、スポーツとはあまり関わってこなかったらしい。ならばここはちきゅうや宣伝長として、地球…というか日本の良さを存分にお伝えしようと思う。偏りがでてしまうが気にしない。俺日本大好きだもん。

 その後、テレビでホームランが打たれた瞬間2人で盛り上がってしまった。イエーイってノリでお互いにハイタッチしました。後でお兄さんがノリを思い出して、顔真っ赤にして恥ずかしがっていました。スポーツは人の心を豊かに、そして若くする…って適当にフォロー入れときました。

 なんかお前って枯れているよな、と仕事の同僚さんに言われるぐらい趣味も潤いもなかったらしいお兄さん。俺の「若い」って単語にめっちゃ反応されていました。20代ぐらいなのに枯れているって…、どんなけお仕事大好きなんですか。

 それからそこそこ打ち解けられたお兄さんと別れた。なんか「趣味は仕事です」って素で答えそうなお兄さんの後ろ姿に、19歳になっても色気よりも魔法と公務な人を思い出した。……ちょっと気にかけようかと思いました。



******



「よっしゃ、お小遣いゲットだぜ」
『よかったですね。無駄遣いしてはダメですよ』
「わかってるよ。うーん、でもせっかくの初給料だからアリシアにお菓子でも買って行ってやろうかな」

 あれからコーラルとお店を出て、クラナガンの街並みを一緒に歩いている。お兄さんの案内が終わった後、店主さんからお金をもらいました。髪をぐしゃぐしゃにかき回されたが、それでうまいものでも買ってこいと見送ってくれました。

 もらった金額は、安いものなら2人分は買えそうなぐらいある。ちきゅうやで買ってもよかったが、散歩もしたかったしな。そのためコーラルと2人でぶらぶらしながら、新しいお店探しをすることにしました。

「クラナガンって何回も来たことあるけど、人が本当に多いな」
『そうですね。でもこれからは都心で暮らすことになりますし、いずれ慣れていきますよ』
「そんなものか」

 俺たちの引っ越し先がほぼ決まったのは少し前のこと。森に囲まれて育った俺とアリシアは、このたび都会っ子になることが決定したのだ。まだ引っ越しはしていないが、ここクラナガンで暮らすことになる日はそう遠くない。

 どんどん変わっていく俺の世界。最初は家族とその周辺という小さな範囲だった世界は、いつの間にかたくさんの人と関わりを持つようになった。そしてこれからもその縁はどんどん広がっていく。

 世界が広がる楽しみや不安もあるが、やはり嬉しい気持ちが強い。俺が確かにこの世界に在ることを実感させてくれる。一緒にこれからもずっと歩いて行ける存在がいる。そして、そんな人がもっと増えていくかもしれない。それっていいことだよな。


「そういえば、こっちの道って行ったことがなかったな。コーラルこっち行ってみようぜ」
『はいはい。ますたーの気まぐれには慣れていますよ』

 こんな風に何気なく選んだ道。単純に新しい道を歩きたくなっただけの理由で。なんてことのない選択で選んだもの。それでもそれは、無数にある選択肢から間違いなく選び取られたもの。

「ここって道は狭いけど、人ごみがすごいな」
『本当ですね。あっ、ますたー右に避けないと当たりますよ』

 コーラルの注意に慌てて身体を捻って右にずれた。子どもの身体って不便だよなー、と何気なく思っていた俺の目に映ったのは、俺と同じぐらいの背丈の子どもが大人にぶつかってしまっているところだった。

 最初は大丈夫かな? とそれだけの心配だった。明るい茶色の髪をした子どもで、たぶん年も同じぐらいだろう。少なくとも今まで会ったこともない人物で、普通ならもう意識から外しているだろう些細なこと。

「―――あっ」

 それでもその時の俺には、その子どもから視線を外すことができなかった。たまたま見てしまった出来事を目のあたりにしてしまったからだ。だけど俺には実際関係ないことなのだから、そのまま見て見ぬふりもできた。

 それでも俺は無意識のうちに、俺の身体はその子どもを追いかけていた。後ろからコーラルが慌ててついてくる声が聞こえる。どうしてわざわざ……と思う自分もいたが、特に理由はない気がする。でもそのまま去らないといけない理由もない。なら、まぁいっか。と俺は決めていた予定をあっさり変更した。探索は後日にでもできると思ったからだ。

「コーラル。今大人の人にぶつかった子追える?」
『え、出来るとは思いますが…』

 とりあえずやってみます、とサーチを始めたコーラルと並行して走る。たまたま出会った子どもを追いかけるために。


 偶然選んだ日に、偶然選んだ道で、偶然見てしまった子ども、そしてふいに動いてしまった俺自身の意思が生み出した1つのきっかけ。

 この出会いが本来あるべき運命だったのか、それとも俺が変えてしまったものなのかはわからない。それでも、これだけはいえる。

 俺は何度やり直したって……この選択肢を選ぶと思う。俺が知らない事実を告げられた後でも、それでもこの出会いを選ぶだろう。テスタロッサ家に生まれたことを感謝したように、この出会いにも俺は感謝したと思う。

 もっとも、この時の俺にそんな気は全くなかったのは言うまでもない。ただ足が動いてしまって、なんとかなるかなーあはは、とか考えながら追いかけているだけだったのだから。

 
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