| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

清教徒

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
< 前ページ 目次
 

序曲その一


序曲その一

                      序曲
 イギリスはかってイングランド、スコットランド、ウェールズ、そしてアイルランドの四つの国家に分かれていた。今はアイルランドは北部を除き独立してはいるがその正式名称が『グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国』となっていることからもこの国が連合国家であるということがわかる。
 だがかっては四つの国家に分かれていたことは事実である。統一がなるのはアン女王の頃でありそれまではやはり別々の国であったのだ。それはエリザベス一世の頃においてもそうであった。
 よくエリザベス一世の時代はイギリスの黄金時代と言われるが実情は決してそうした華やかなものではなかった。当時はまだイングランドという一小国に過ぎずハプスブルグ家のスペインや神聖ローマ帝国、ヴァロワ家のフランスとは国力においても家門においても劣っていた。イングランドのテューダー家は欧州では残念ながらハプスブルグやヴァロワの様な名門ではなかったのである。当時の権門の強い欧州においてはそこでも水を開けられていた。
 国力もである。イングランドは土地が痩せフランスやスペインの様な大規模な軍隊を動員することは困難であった。そして彼等は後ろにスコットランドを抱えていた。この国の女王メアリー=スチュワートはエリザベスを見下しており自らがイングランドの王位継承者だと主張して憚らなかった。これがイングランドにとって頭痛の種でもあった。
 そして宗教的な問題もあった。当時のイングランドは国教会であったがこれはエリザベスの父ヘンリー八世が定めたものである。事の発端は実に下らないものであった。彼が王妃と離婚し新しい妃を迎えようとしたのである。だがそれに教会が反対したのだ。
 理由は表向きは宗教的な事情であった。カトリックでは離婚は認められていないのである。だがそれはあくまで表向きのことであり実際は教会は神聖ローマ帝国皇帝に配慮したのである。神聖ローマ帝国は言わずと知れた教会の第一の保護者でありその皇帝はハプスブルグ家の者である。イングランドと神聖ローマ、そしてもう一つハプスブルグ家が掌握するスペインのことを考えればどちらをとるかは一目瞭然であった。ハプスブルグとヴァロワの対立には何かと介入してきたローマ=カトリック教会も今回は迷う必要がなかったのだ。何故ならそのヘンリー八世の妃はハプスブルグ家の者であるからだ。
 しかしヘンリーはそれに逆らった。そして自ら国教会を作り自らその首長となった。これにも実際には政治的な事情があり国内のカトリック勢力を抑えるのが目的でもあった。だがやり方があまりにも強引と言えば強引であった。しかも彼はもう一つ眉を顰めたくなるようなことをしてしまった。離婚して再婚したその新しい妃を何と断頭台に送ってしまったのである。この妃こそアン=ブーリン、エリザベスの母親その人である。彼女は断頭台において首切り役人に対してこう言ったと言われている。
「一太刀で頼むわね。けれどこんな細い首じゃそれもないでしょうけれど」
 そして彼女の首は落ちた。これによりヘンリーは後々まで批判されることとなった。彼の不人気は凄まじいものであり彼の後ヘンリーと名のつく王は出ていないのである。これはジョンに匹敵するものである。それまでは七人も出ていたというのに彼の代でヘンリーは終わったのである。何とも人気のない国王ではあった。
 彼はそれからも離婚を繰り返しその中にはまた断頭台に送られた元王妃もいた。王妃だけでなく家臣もよく断頭台に送った。結局それが彼の不人気を確固たるものにしているのである。彼の死によって断頭台は静かになった。しかし今度は火刑台が騒がしくなったのである。
 エドワード六世の次に即位したのは女王であった。メアリ一世という。彼女は過激なまでのカトリック信者であり彼女によりイングランドはカトリックに回帰した。そしてプロテスタントへの弾圧を開始したのである。これにより次々と新教徒達が火刑台に送られた。これには彼女の夫であるスペイン王太子フェリペ二世も苦言を呈した。彼はハプスブルグ家、すなわちカトリックの保護者である。その彼が言ったのだ。
 まず彼はこう前置きした。
「プロテスタント達への処罰は当然である」
 しかしこう付け加えたのだ。
「だがやり過ぎてはいけない。適度なところで止めるべきである」
 彼は本質的に政治家であった。信仰心は篤かったがそれは彼がハプスブルグ家であるからでもあった。カトリック、そしてハプスブルグ家の者としての義務を果たすだけであったのである。
 しかしメアリーはそれを聞き入れなかった。プロテスタントへの弾圧をさらに激しくさせた。遂には腹違いの妹であるエリザベスすらもロンドン塔に送ったのである。この時彼女は一歩間違えていれば処刑されていた。しかしかろうじてそれから逃れたのである。姉が死ぬと彼女が王となった。この時彼女はこう言ったと言われている。
「神の大いなる御業です」
 と。こうして彼女はイングランドの女王となった。宗教においてはプロテスタントながらカトリックにも配慮した非常にバランスのいい政策を敷いた。だがそれでも外敵はいた。まずスコットランドであった。
 メアリーとエリザベスは従姉妹同士であった。しかしだからといって仲がよいというわけではなかった。彼女達は互いに女王であった。そしてエリザベスは慎重であるのに対してメアリーはあまりにも軽率であった。彼女はその軽率さによってその身を滅ぼす。何と愛人と計って夫を暗殺し愛人と再婚してしまったのだ。これにスコットランドの貴族達が怒った。彼等はその夫ダーンリーとメアリーの子ジェームスを立てメアリーを追い出しにかかった。これによりメアリーは亡命を余儀なくされたが彼女は何とエリザベスの下に逃げ込んできたのである。
 これにはエリザベスも困った。只でさえイングランドの王位を主張して憚らず、そしてカトリックでもある彼女をイングランドに置くことはあまりにも危険であった。フランスやスペインがどう動くかわからなかったこともあった。
 
< 前ページ 目次
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧