| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

ソードアート・オンライン リング・オブ・ハート

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

46:救ってみせろよ

 わたしの必死の叫びも空しく、二人は膨大なエネルギーを纏って衝突。そして一瞬で辺りは閃光と爆風に包まれ、視界を染めた。

「う、くっ……」

 痺れてロクに上げることも出来ない腕でかろうじで目を覆い、光と風を遮って数秒。
 ようやくそれらが止み、粉塵に覆われていた二人の姿も徐々に明らかになってくる。

『『……………』』

 二人は、互いの武器を交差させる形で静止していた。
 巻き上がっている粉塵のせいで、わたしの目にはまだそれがシルエットとしてしか見えず、どちらがどのように攻撃を喰らったのか分からない。その動かぬシルエットは、今にもどちらかがポリゴンに散ってしまいそうで焦燥が走る。
 そんな中、

「…………やっぱり――無理、だったな……」

 最初に口を開いたのはキリトだった。

「「なっ……」」

 それを見たわたしとユミルは声を失った。
 キリトの繰り出した渾身の《ヴォーパル・ストライク》は…………空を、斬っていた。
 ユミルの肩のすぐ横を通過していて……()()()外していたのだ。
 そして、その代わりに……ユミルの振り下ろされた大鎌の長刃が、キリトの肩に裂き刺さっていた。

「お前……ッ、なにやってんだよォッ!?」

 続いてユミルは涙目のまま驚愕の声を上げた。
 しかしそれに構わずキリトは、肩に刺さった大鎌に空いている左手をやった。

「それは……俺のセリフだぜ?」

 キリトは、肩に刺さっているその大鎌の刃を持ち上げた。
 そのHPは……注意域(イエロー)から危険域(レッド)にまで落ち込んではいたものの、まだ確かに残っていた。
 あの決死の一撃で、キリトは残り多くないHPを全損させていなかったのだ。

「お前のさっきの一撃……俺の体に当たる直前に、勢いを殺したな。刃を止めてなかったら、今頃俺はHPを全損していたどころか、肩から体が真っ二つになって当然だった。お前こそ……どうして俺を殺さなかったんだ?」

 刃を戻されたユミルは唇を震わせながら顔を伏せ、何も答えなかった。

「いや……言い方を間違えたな。俺は……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ッ!?」

 それを聞いたユミルが体を震わせ、

「言うなっ!!」

 続いて大声を上げた。
 ユミルはキリトに()()()を悟られ、明らかに狼狽した。

「なぜ、お前が俺を殺せないか――」
「言うな言うな言うな言うな言うなっっ!!」

 ユミルは顔を伏せたまま、嫌々と駄々をこねる子供のように激しく横に振りながら叫び、キリトの声を遮る。
 だがキリトは構わず、よく通るその声で続きを言った。


「それは、お前が――――――こんなにも……()()()()()()()


 その言葉と同時に。
 ユミルの手から大鎌が滑り落ち、それはガシャンと重い音を立てて刃を地に横たえた。

「…………あ、あぁっ……」

 そして……言われてしまった、と言わんばかりに崩れるようにその場で泣き始めた。
 その顔に嵌められた……『狂乱の仮面』すらも、剥げ落ちていく。

「お前は、最早自分でもどうしようもない位に暴走する自分を……俺に殺されてでも、止めたかった。……違うか?」

「……ちが、違うぅっ……」

 押し潰れた声で、尚もユミルは首を横に振り続けて否定する。
 しかし、そのような仕草では、それは逆に……

「さっき、俺は言ったろ? 『やっぱり《お前には》無理だったな』ってな。お前は……どんなに人を憎もうとも、どんなに狂おうとも、どんなに壊れようとも……お前に人は殺せないよ。それは……ユミルという人間は、こんなにも優しいんだからな……。その証拠に、お前はこれまでにたくさんの人を傷つけても、誰一人として殺しちゃいない。……殺せなかったんだ」

「どう、してっ……」

「どうして俺もお前にトドメを刺さなかったのか、か?」

 キリトがユミルの言葉を上書きする形で引き継ぐ。

「……正直、俺もついさっきまでは……それでもお前を楽にしてやろうと、本当にトドメを刺すつもりだった……。だけどな」

 この時……キリトはチラリと一瞬だけ、何も無い森の奥を見た。
 なに……?
 わたしがそう口開く前に、キリトは続きの句を口ずさんでいた。

「俺はその直前になって……そんな()()お前なら救ってやれることが分かったから、攻撃を止めたんだ」

「な……」

 それを聞いて驚いたのはユミルだ。
 一瞬だけ目を見開くも……

「救う……? こんなボクを、救うだって……?」

 涙を拭うこともせず、声を沸騰させながら肩も怒らせ始める。
 それに微塵も臆さずにキリトは言葉を返す。

「ああ。今の俺は、お前を、()()()()()()……救ってやれる」

 その不遜な一言に、気が触れたかのようにユミルがガバッと顔を上げた。

「ふ、ふざけ――」
「―――――ふざけてなんかない。……俺は、お前を救ってやれる」

 言い聞かせるように、あくまで真剣に、キリトは言の葉を区切りながらゆっくりと繰り返す。

「……………………だったら……!!」

 肩を怒らせたまま、ユミルは再度顔を伏せる。そして、

「だったら救ってみせろよっ!!」

 彼の胸元で叫んだ。



「お前ら人間に裏切られて!! ルビーを亡くしてっ……ベリーまで失った!! たくさんの人々を襲って、そして終いには……ずっと傍でボクを養ってくれたっ……マーブルまで傷つけたっ!! ――こ、こんなっ……」

 涙が頬を伝い、雫となってぽたぽたと零れていく。

「こんなにも終わってしまったボクをッ……――救えるもんなら救ってみせろよっ!!!!」

「……………」

 そう叫ばれたキリトは黙り……そんな彼の頭に、ぽむ、と手を置いた。
 そして……


「 ()()()()()() 」


 ……とだけ、言った。

「…………え?」

 ユミルはその言葉通りに、首を右に回した。わたし達もその方向を見る。
 するとそこには…………何の変哲も無い、森と草むらがあるだけだった。
 しかし、確かこの方向の先は……ベリーが散った場所だ。今では隠れて見えないが、恐らく奥ではレアアイテムの山が築かれているであろうその方向だった。しかし、傍から見ればそれはただの森の風景の一部となんら変わりは無かった。
 何もないじゃない……と言おうとする直前、
 ――カサリ。
 と、草むらの葉が揺れた。
 その奥から出てきたのは……

「…………なんで……」

 それを見たユミルは、信じられない風に小さくつぶやいていた。

「――ベ……リー……?」

 その言葉の通り。その身を散らせて死んだと思っていたベリー、ミストユニコーンが……草むらから姿を現していた。
 HPは半分以上を削られ、さらにユミルと同じく蛇矛によるダメージ毒に侵され、極めて緩やかだがさらにダメージを負いながらも。
 四本だった足は切り落とされて三本になり、そのせいでよたよたと危なげな闊歩ながらも。
 それでも、たしかに生きて、わたし達の方へ……恐らくは主人であるユミルの元へと、ゆっくりと一歩ずつ歩を進めていた。

「ベリーが生きていたのは、本当に幸運だった」

 わたし達が揃って驚いている中、落ち着いた声を出したのはキリトだった。

「デイド達の武器の取調べをした時を覚えてるか? ……デイドの持つ蛇矛はリーチに優れ、突き攻撃にダメージボーナスが付き、さらに毒の威力と効果を増幅させるメリットを持った両手槍だったが……『元の攻撃力はかなり低く、さらに突き以外のアクションでの攻撃にはダメージのマイナス効果がある』というデメリットがある武器だった、ということをな」

「あっ……」

 わたしは思わず声をあげる。
 ベリーがデイドの不意打ちを受けた時。その時の攻撃は……ベリーを空へと打ち上げた『薙ぎ払い』だった。

「あと、不意打ちながらも高確率で発生したはずのクリティカル判定が出ず、ダメージが増えなかったのもラッキーだったな……。ミストユニコーンはステータスを見た限りでは相当に脆いから、俺もあの一撃を見て、てっきりベリーは殺されてしまったと思ってたよ。……ついさっきまでは、な」

「……なんで、ベリーが生きてるって、気付けたの……」

 未だに信じられない顔をしながらも、頭を軽く伏せて目を隠しながらユミルは言った。

「簡単だ」

 キリトはその頭に乗せていた手を降ろし、言葉を続ける。

「思えば、仮にデイドがユニコーンを倒せていれば……その瞬間にデイドは大量の経験地を得てレベルアップし、ファンファーレが鳴っていただろう。それに……索敵スキルを熟練度九八〇以上鍛えると、壁やオブジェクトの向こうの存在も察知できるからな。あの時は緊迫した状況で気付くのが遅れたが、お前がさっき突っ込んで来るのを迎えていた時、視界の端で、草むらの奥からベリーの生体反応が視えた。だから俺は、お前を一言で救えると言ったんだ。それだけのことだよ。……お前、村の川で俺と話したときの事、覚えてるか?」

「え……?」

 それからキリトはなにを思ったか……

「な、索敵スキルも上げておくもんだろ?」

 と、今までと打って変わってニッと不敵に微笑んだ。

「……………」
「……………」

 やや長い静寂。
 わたしには今の二人のやり取りの内情が分からないけど……ひとまずキリトが気まずそうに微笑みを崩し始めたのは分かった。
 しかし、

「は……」

 先に口を開いたのはユミルだった。

「なんだよ、それぇっ……」

 もう、それは憎しみだけではなくなった、様々な感情がぐちゃぐちゃに織り交ざった涙交じりの声。

「馬鹿じゃないのっ……? ベリーは助かっても、ボクは……ちっとも救われてなんかいちゃいないよっ……! ルビーは帰ってこないし、ボクがっ……マーブル達を傷つけた過去は、変わらないんだからっ……!!」

 ユミルはそれだけ言って……ベリーが助かって安堵しているのか、それとも未だ有り余る憎しみを必死に抑えているのかは分からないが……肩を小刻みに震わせ、伏せたままの今にも再び泣き出しそうな顔を隠し貫いていた。
 それを見下ろしているキリトの顔が、再び真摯なものに戻る。

「……ああ、その通りだ」

 キリトは……ユミルの言葉を肯定していた。

「だから、俺は言ったんだ。『()()()()()()救ってやれる』……ってな。だから――」

 そう言って……


「――――ごめんな」


 キリトは、目の前に佇むユミルを……抱き締めていた。







     ◆



「だから――――ごめんな」

 俺はそう言って、今にも泣き出しそうなユミルの肩を掴み、そっと抱き寄せる。
 それにユミルは驚き、もがき暴れようとするが俺は一切の抵抗をしない。もしこの腕から逃れようとするのであれば、すぐに抱擁を解くつもりだった。だが、そういう俺の気配を察したらしいユミルはやがて、意外にも諦めたように抵抗をやめてくれた。
 それを見た俺は、今度はその背に腕を回して……もう少しだけ強く、しっかりとこの子供を抱き締める。
 そして思う。
 ……本当に、本当に華奢な体だ。
 決して大柄ではない俺の両腕でも、容易く覆い包めてしまえる小さくて柔らかな体。
 土埃を被っても艶やかさを失わない金髪から仄かに香る、優しく甘い匂い。
 今までの暴走を引き起こしていた張本人とはとても思えないほどに……幼くて温かく、そして儚い存在が、俺の腕の中にあった。
 その感触を実感しながら、俺はアスナ達に聞こえない程度に少し抑えたボリュームの声で口を開く。

「本当に、ごめんな……ユミル。俺は、今のお前は救えても……過去のお前まで救ってやることはできない。お前が亡くした大切なものは返してやれないし、お前の罪も消してやることも出来ない」

「…………だったらっ……」

 腕の中で、ユミルが小さく震えた。

「ボクはどうすればいいんだよっ!? どうすればいいのっ……!? お願いだからっ……教えてよっ……!」

 俺の胸に向かって、ユミルが搾り出す様な声をあげる。

「そうだよな。悲しいよな……お前の気持ち、とてもよく分か――」
「――お前なんかに分かるもんかっ!! あいつらに囲まれて、誰も失わずぬくぬくと生きてきたお前なんかにっ!!」

 だむっ、とユミルが俺の胸板を叩く。しかし、力がまるで込められていなかった。
 それに俺は首を振る。

「いや……よく分かる。――なぜなら俺も、昔……大切な……本当に大切だった人を、失ったからな……」

 ――――サチ。

「彼女は……俺の目の前で、俺になにかを言い残そうと口を開いて……そして散っていった。かつては、その言葉を聞く為だけに全てを犠牲にして、狂いながら生きてきた頃が俺にもあった。そして今も……俺はずっと、過去の過ちに苛まれながら生きているんだよ」

「――――ッ!!」

 今度こそユミルが大きく震える。

「――なぁ、ユミル……」

 ……俺は、あのまっすぐに見つめてくる黒い瞳の微笑みを、今でも鮮明に思い出せる。

「目の前で大切な人を、失うってのはっ……すごく、つらいよなっ……」

 彼女は、録音クリスタルにあった『ありがとう、さよなら』という言葉を本当に、その身が散る最期の瞬間に俺に言おうとしていたのかと、今でも不安に駆られることがある。……しかし、真の意味で、その真相を知る機会はもう二度と訪れはしないのだ。決して。
 そう思い知らされる度に、俺は……

「つら過ぎて叫びたいよな。泣きたいよなっ……」

 その現実を突きつけられる度に思い出す。
 かつて、彼女を生き返らせる為だけに息をして、自暴自棄になっていた自分を。
 その果てに、それは叶わぬ願いだったと知り……雪振る夜の森の中で一人、壮絶な喪失感と悲しみに絶叫し、無様に雪を掻き毟りながら転げまわっていた自分を。

「苦しいし、寒くて、悲しいよなぁっ……」

 気付けば、俺は歯を食いしばり体も細かく震えさせていて、いつのまにか強くユミルの体を抱き締めていた。
 ……逆に、俺がユミルに縋るように。
 震える俺の指が、薄い布越しにユミルの柔らかな二の腕に深く喰い込んでいるはずなのに、ユミルはそんな俺から逃げようとせず……

「…………キミも……ボクと、同じなの……?」

 俺の胸の中でユミルは、小さく言った。

「ああ……だから、よく分かるよ……」

 サチの事を思い出し、鼻の奥がツンと痛む声で言う。
 すると少しだけ、その身が俺に寄りかけられた……気がした。

「だったら、ボク達のような人間は、どうすればいいの……? キリトは、知ってるんでしょ……? 教えてよっ……」

 その体からはもう、怒りの類の噴気が消えていた。
 まるで水を撒かれた炭火のように、緩やかな熱さの残る小さな声で俺に語りかけていた。

「俺は……正直、今でも俺はその答えを見つけられていない。……だけどな」

 ユミルを見下ろす。

「……だけど、俺とお前は同じじゃない」

「同じ、じゃない……?」

 強く抱き締めていた腕を解き、その華奢な肩に今一度手を置いて、一歩だけ離れる。
 すると、ユミルが涙に濡れた表情で見上げてくる。潤みを帯びた、二つのターコイズグリーン。
 そうすることで、俺はまっすぐユミルと向きあう。

「ユミル。……俺の亡くした人は、もう二度と戻ってこないし、犯した罪を無かったことにも出来ない……」

 サチ。月夜の黒猫団のみんな。ディアベル。コペル。かつて切り伏せた二人のラフコフのギルド員……
 俺さえ関わっていなければ死ぬことは無かったかもしれない、あるいは救おうと思えば救えた筈の、数多くの人達。
 それらの罪を、俺は一生背負い続けなければならない。けど……

「けど、お前は違う。お前は…………まだやり直せるんだ」

 しっかりとその肩を掴み、言う。

「お前はまだ誰も殺しちゃいない。まだみんな、生きてるんだ。だからお前は、たくさんの人と死別した俺と違って……償える」

「…………つぐ、なう……?」

「ああ、そうだ」

 しっかりと頷いてみせる。

「でも、ボクはッ……マーブルを裏切った! こんなボクを、きっとマーブルは許してくれはしないっ……!」

「だいじょうぶだ」

 はっきりと言葉を紡ぐ。もう、あの狂った怒号で俺の言葉を聞き逃さないように。

「人は、たった一度裏切られたくらいで……簡単に人を嫌いにはなれないよ。それは俺も、お前だってそうだっただろう? ルビーを助ける為に、お前は何度も人を信じようとしてきたはずだ。……そしてそれはきっと、マーブルさんだって同じはずだ」

「…………でも、そんな保障なんてっ、無いっ……!」

「信じろ」

 不安と不信に揺れるこの子を、傍で支えるように。俺はすぐさま言葉を添える。

「マーブルさんは、きっとお前を許してくれる。そう、信じるんだ。……それともお前は、マーブルさんはその程度の想いで今までお前に接していたと思ってたのか?」

「…………~~ッ……」

 それにユミルは答えない。目を潤ませて、唇を震えさせて、返答を戸惑い拒んでいた。

「俺は、そうは思わない」

 言葉はなくとも、きっと……もう既にその胸の内にあるであろうユミルの答えを、代わりに俺が言う。

「こんな荒んだ仮想世界で、人があんな風に笑って、ずっと赤の他人の傍に居続けられるなんて情景を、俺は……初めて見た」

 デスゲームと化したこの世界を構成する俺たちプレイヤーの取り巻く感情は、悲しいが疑心暗鬼に塗り固まれた虚構のものがほとんどだった。……それは、当然といえば当然と言える。己の肉体ではなく、ポリゴンで形成されたアバターを被り。デジタル変換された声を吐き。それと同じ境遇の相手の言葉という情報が、耳ではなく脳に直接信号に変換されて送り込まれていく。アバターから読み取れる表情の機微は乏しく、それは疑いの芽になり心の中に根付いていく。そんな歪んだ仕組みの世界を、疑うなという方が土台無理な世界だ。

 ……そんな中。
 プレイヤーのほとんど居ない階層の、寂れた過疎村の中にある、とある一軒の宿屋で見つけた……小さな温もり。
 そこにいたのは、一人の無愛想な子供を我が子のように想う、一人の女性プレイヤー。
 それを見、感じた俺は……内心では正直、それはそれは驚いていた。
 いつも笑って、どこか心意を読み取れない人ではあったが……その裏では、彼女はいつもユミルを想っていた。
 彼を守るべく死神を追い続け……例えその犯人がユミルであったとしても、倒れる最後まで彼の為に力を尽くし。
 そして、かつての……自分の膝の上で眠るユミルを見下ろしていた、本当に幸せそうな微笑み。

「……だから、俺は確信を持ってお前に言える」

 そこには、こんな世界では見ることなど決して無いと思っていた……家族の温もりがあったのだ。

 
「――マーブルさんの、お前への愛情は…………本物だ」


 ――そう。そこには、紛れも無い……一人の母親の姿があったのだ。

「……~~ッ……マーブルッ……!」

 ユミルの顔がくしゃりと歪み、目尻から再び涙の粒が溢れ、頬にある水滴のラインを辿り落ちていく。

「マーブルさんとお前は、また二人でやり直せる……。傷つけてしまった人達も、まだ償えるんだ。なにもお前は、俺と同じ悲しみを背負う必要は無い。……なによりも、あんなに壊れてしまったお前……《死神》の姿を、天国のルビーが望んでいるはずがない」

「…………ルビーっ……」

 ユミルの瞳が、まるで憑き物が落ちたかのように彩度が戻ってゆく。
 暗く深いターコイズから、透き通るようなエメラルドに。

「そしてそれは……まだ生きている、お前の大切なもう一匹の相棒も、同じ気持ちのはずだぜ……?」

 俺はクイ、と顎を右にやる。ユミルがそこを向き、そこには……まだまだ距離が狭められていないものの、ゆっくりと、けれどまっすぐに主の元へと三本の足で歩を進める、純白の仔馬の姿。
 それを見たユミルが、ひぐっ、としゃくりとあげる。

「ベリーッ……」

 俺は手から《ダークリパルサー》を離した。それはトスッと音を立てて、刃先から軽く草地に刺さり立った。
 そしてその手をユミルへと差し出す。

「……この手は……?」

「お前が、再び人として生きる為の……やり直しの第一歩だ。――……ユミル、俺と仲直りをしよう」

「え……?」

 ユミルは、ほんの少しだけ鋭い、くりっとした目をあらん限りに丸くする。
 ……本当に久しぶりに見た気がする、キョトンと純粋に驚く、その大きく綺麗な瞳。

「さぁ……今度は俺とお前で、ベリーに証明してやろうぜ。――……人は、信じあえるんだ、ってな」

「…………キリ、トッ……」

 その大きく見開かれたままの瞳から、じわりとまた一際大きな涙の粒が溢れ出す。
 しかしその涙は、今まで流された涙とは違う、特別なもののように……すぐには瞼から零れず、下睫にみるみる溜まって膨らんでゆく。

「…………………………ひきょう、だよ……」

 長い沈黙の後に、俺を見上げたまま、小さく呟く。
 それと同時に目がくしゃりと細められ、ついに……ひどく綺麗な大粒の涙が頬を伝い、その顎先から煌めきながら落ちていく。

「……卑怯だよ、キリト……。そんな……そんな言い方をされたら、ボクッ……」

「……ははっ」

 つい、笑ってしまう。そして笑ってしまったそのついでに、

「なら、そんな卑怯な俺と一緒に……もう、この事件を――――終わらせようぜ」

 とだけ言って、それを最後に黙り……あとの全ての判断を、ユミルにゆだねた。
 ユミルは一拍置いて、俺の手をじっと見つめる。そして己の手を、俺の手に重ねんと動かし……そしてあと一歩のところで止まる。
 その指は、小刻みに震えていた。不安げに、もう一度俺を見上げる。
 俺はその手を握ってやることはせず……しかし「だいじょうぶだ」と意思を込めて、微笑んでみせる。
 それを見たユミルの瞳がまた少し見開き、すぐに意を決した様に引き締まる。
 …………おずおずと指先が俺の手に一度、二度触れ。そして三度目に指先同士が重ねられ……それはゆっくりと手のひら全体へ。
 手を完全に重ねたユミルが小さく、しかし長い長い息を吐く。
 俺は、その手を握る。
 小さく、されど確かに温かい、人肌の手。
 それは、ユミルが死神などではなく……一人の人間である、なによりの証。
 それが今、直に俺へと伝わっている。

「………………――キリト」

 手をしっかりと握られたユミルは、澄んだ響きで小さく俺の名を呼び、再度俺を見上げた。

 ……すると。

 ゆっくり、ゆっくりとその表情に変化が現れた。

 ずっと強張っていた眉が下がり、どこまでも透き通る翠の目が柔らかく細められる。

 ――それを見届けながら、俺は……その表情が、笑顔に変わればいいな、と無意識に祈っていた。

 その願いに応えるように、どこからか夜の微風が吹き……

 ユミルの、それは綺麗な金の髪が軽く舞い、その可憐な顔を彩った。

 その姿に似合わせるように。

 最後に、唇の口角もゆっくりと上が――




 どすっ。




 ――その時、今、聞こえてはいけない音が鳴った。

「…………え?」

 俺がそういうのも束の間、

「――……う、あっ……?」

 ――その時、今、聞こえてはいけない声が聞こえた。

 ユミルの、肺の中の全ての空気を吐いたような、苦悶の声。
 同時に、その小さな体がビクンと小さく跳ね、その衝撃で繋いでいた手が外れる。
 ユミルと目が合う。互いに、事態が飲み込めぬ見開いた視線を交換し合う。
 ……と、気付けば俺の視界に、ユミルの背後から離れた場所に、一人の人影があった。
 俺の目はユミルにピントが合わせられていて、その影が誰か分からない。
 ふと、嫌な予感がして……少しだけ、視線を下に下げ………………そして絶句した。

 ――その時、今、見えてはいけないものが、見えていた。

「――クッハハッ……アッハハハハッ!! やった、やったぜ!! ついに俺ァ、死神を討ち取ってやったぜェッ!!」

 ――その時、今、聞く事は無いと思っていた笑い声が聞こえた。

 その手には、長い長い棒が握られている。それはユミルの背後へと続き……
 俺とユミルの間には、ひび割れてはいるものの、ぬらりと毒々しい紫色に濡れた輝きを見せる蛇行した奇妙な刃があった。

「…………あ、ああっ……」

 俺は、ようやく理解する。



 ――その時、デイドの凶刃が……ユミルの体を背後から貫いていた、ということを。

 
 

 
後書き
累計1000P突破、並びにご感想90件越え、さらに累計アクセス数が10万アクセス突破していました。
本当にありがとうございます。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧