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西郷と大久保

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第四章

「おいはもう決めたでごわす」
「政府を去るでごわすか」
「そして鹿児島に戻るでごわす」
「士族が西郷どんについて担ぎ出すでごわすが」
「そんなことはさせんでごわす」
 無論西郷はそうしたことを許しはしない、軽挙妄動は彼は最も慎むべきものとしているからだ。だがだった。
 大久保はその西郷にまた言ったのである。
「何が起こるかわからんのが世の中でありもっそ」
「若しおかしなことが起きれば」
「西郷どんは覚悟を決める人たい」
 その西郷への言葉である。
「腹括って士族達に命預けるでごわすな」
「それは」
「しかも政府にいるのはおいだけではないでごわす」
 大久保が言うことは今の政府のことを誰よりもわかっている言葉だった、何しろ彼と西郷が軸になっているのだから。
「西郷どんのことを全部わかっていない者もおりもっそ」
「その人がでごわすか」
「西郷どんを警戒して人を送って薩摩の連中を刺激しもっそ」
「それで若い士族がでごわすか」
「そうなることは充分考えられもっそ。だから」
「一蔵どん、おいは思うでごわす」
 西郷には大久保の言いたいこと、そして心が痛いまでによくわかった、彼は何としてもこれからも西郷と共にいたいのだ。
 それが為に今一人で来て薩摩にいた頃の様に二人で腹を割って話しているのだ。大久保は全てを賭けてここに来ていると言っていい。
 だが西郷はその大久保にこう述べた。
「それでもでごわす」
「去るでごわすか」
「おいの政府での役目はもう終わったでごわす」
「征韓論なら時が来るでごわす」
 だからその時にだというのだ。
「そん時はおいも賛成しもっそ」
「そん時は一蔵どん、おんしが泥を被りもっそ」
「泥を被ることなんぞ何もなさっそ」
 このことは大久保も西郷も同じだ。二人にとって泥を被ることなぞ何でもないことなのだ。
「全くどうでもよかと」
「そうでごわすか」
「それより西郷どん」 
 大久保は西郷に対して彼の言葉に問い返した。
「おんしの役目は終わったと言うが」
「そんことでごわすな」
「まだまだあると。おんしはこの国に必要な人じゃ」
 大久保は心からそう思っていた。だからこそ西郷に言うのだ。
「思いとどまってくれんか」
「どうしてもでごわすか」
「そうじゃ。本当に残ってくれもんそ」
 何としてもという感じだった。
「そうしてくれるか」
「その言葉と気持ちを受け取りもんす」
 だが西郷の心は変わらない。微笑んで大久保に返す。
 達観している笑みだった、その笑みで大久保に言うのだ。
「一蔵どんのおんしへの気持ちを」
「西郷どん・・・・・・」
「後は頼みもんす」
 後も託した、この国のことを。
「おいは後は薩摩で暮すでごわす」
「そんで若しものことがあれば」
「おいが国の害になるのなら天命として討たれるだけでごわす」
 何処までも達観していた、まるで自分の運命ではないかの様に。
「それだけでごわすから」
「いいでごわすか」
「それは一蔵どんも同じでごわすな」
 伊達に幼い頃より共にはいない、西郷もまた大久保の心を見越していた。そのうえでの彼への言葉であった。
「その役目が終われば」
「去るだけでごわす」 
 やはりこう言う大久保だった。
「そんだけでごわす」
「そういうことでごわす、だから」
「戻るでごわすか」
「東京はすぐに引き揚げもっそ。今夜は」
「飲むでごわすか」
 焼酎の他には僅かなあてがあるだけだ。政府の柱である者達とはとても思えないまでに質素な宴だ、だがそれでもだった。
 大久保は西郷の差し出した酒を受け飲んでから言うのだった。
「今日はとことんまで飲みもっそ」
「そうするでごわすよ」
「おいは今宵のことを忘れないでごわすよ」
 大久保もここでようやく笑った、そのうえでの言葉だった。
「死ぬまで」
「おいもでごわす。それなら」
「朝まで飲みもっそ」
「二人で」
 お互いに笑みを浮かべ合い共に痛飲した。そのうえで二人は別れた。
 西郷隆盛と大久保利通の絆は誰よりも何よりも深かった、しかしこのことは長い間誤解され西郷に比して大久保の人気は低かった。
 だが西郷を最も理解しているのは大久保であり大久保を最も尊敬していたのは西郷だった。このことは近年になりようやく知られることになった。
 二人が死んだ時彼等の残した遺産を見て誰もが驚いた。
 何もなかった、国政の頂点にあった二人だがそこには何もなかった。大久保に至っては国政の予算に回した莫大な借金があるだけだった。
 彼等は清廉潔白であり無私だった。それ故に袂を分かち大久保は西郷の死に涙したという。人にはそうせねばならない時もある、時がそうさせることもある。
 だからこそ西郷と大久保は袂を分かってしまったが二人の絆は確かなものだった、それが新しい日本を築いたことは覚えておくべきだろう、無私の二人のことは。


西郷と大久保   完


                   2012・12・2 
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