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道化師

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第一幕その一


第一幕その一

                  第一幕 衣装をつけろ
 八月十五日。この日はキリスト教世界においては重要な日である。聖母マリアが昇天した日であり聖母被昇天祭の日である。この日はとりわけカトリックの国々では華やかに祝われる。それはバチカンのお膝元であるイタリアでも同じことであった。
 十九世紀の終わり、イタリアはまだ統一されたばかりであった。統一の熱気はヴェルディという一人の音楽家に象徴されていた。だがその熱気はイタリア南部の田舎ではそれ程強くはなかった。そこは昔ながらの古い、統一される前のイタリアが存在していたのだ。
 そのイタリア南部のカラブリア地方である。祭りを祝う村人達がそこで朗らかな顔をしていた。
「今日だったよな」
「ああ、今日だよ」
 彼等は何かを待っていた。そして村の向こう側を見ていた。
 やがてそこに調子外れたトランペットの音が聞こえてくる。派手なだけで上手くはない。だがその音は村人達にとって歓迎すべきものであったのだ。
「来たぞ」
「ああ」
 その音を聞いて笑顔で頷き合う。次第に一台の荷馬車が近付いてきた。
「来たぞ、あの人達が」
「道化師の一座が。ここまで来たぞ」
 この時代娯楽はあまりない。ましてや田舎ともなると娯楽といえばたまにやって来る流しの劇団位であった。今この村に来たのはそうした流しの劇団である。祭りの時にいつもやって来る、道化師の一座であった。
「用意しておいてよかったな」
「ああ」
 村人達の何人かがそう話していた。
 見れば村の広場にテントで芝居小屋がもうけられている。そこで劇をしてもらうつもりなのだ。
「またあの芝居が見られるんだな」
「カニオの旦那も。律儀だよな」
「全くだよ」
 そのカニオという男の名前を聞いて皆頷く。
「いつもこの祭りの時には来てくれて」
「わし等を楽しませてくれる」
「真面目で冗談一つ言わないのに」
「劇じゃ派手に笑わせてくれる。大した御仁だよ」
「じゃあその御仁を出迎える準備をするか」
「ああ」
 彼等は口々に言った。
「酒を用意して」
「出迎えよう」
 村人達も笑顔であった。だがその中で一人笑顔でない者がいた。
「ネッダが来たか」
 見れば男らしい荒々しげな顔立ちの若い男であった。その身体つきも声も男を感じさせる。黒い髪はまるでギリシア神話の英雄の様に長く伸ばし、風にたなびかせている。その目も黒く輝いていた。
「今度こそは」
「おいシルヴィオ」
 そんな彼に他の村人達が声をかけてきた」
「何だ?」
「何だじゃないよ」
 村人達はそんな彼に対して言った。
「カニオさん達が来るんだぞ」
「ああ」
「出迎えの準備をしよう。ほら、もうそこまで来てるじゃないか」
「わかった。じゃあ行くよ」
「早くしろよ」
 その馬車を名残惜しそうに見ていた。だが彼は行かなければならなかった。彼がその場から姿を消すと馬車は村の入り口まで来た。
 その馬車は驢馬に曳かれていた。そしてその手綱は小柄な若い女に握られていた。
 見ればジプシーか軽業師が着る様な衣装を着ている。顔は化粧をしていないが瑞々しい肌と大きな栗色の目を持っており、唇は赤く小さい。そして髪は縮れた赤茶色でそれが彼女の美しさを引き立てていた。その美しさは若く、健康的なものであり小柄な身体によく合っていた。
 その彼女が手綱を握る馬車が村に入る。すると子供達が声をあげた。
「いらっしゃい!」
「今日は何をしてくれるの!」
「それははじまってからのお楽しみよ」
 彼女は子供達にそう言った。大人達もやって来た。
「けれど何をするのかは知りたいよな」
「ああ。何をするんだろうな」
「よかったら教えてくれないか」
「だからそれは」
 彼女は答えに窮していた。だがここで馬車の中から太鼓を叩く音が大きく鳴り響いてきた。
「うわっ!」
 皆突然聞こえてきたその音に思わず黙ってしまった。見れば馬車の後ろに大きな、人間の身体の半分程もある大きな太鼓と撥を持つ初老にさしかかろうという男がいた。
 黒い髪に黒い目、そして突き出た腹を持っている。顔は愛嬌のある人なつっこい顔だがその目の光は鋭かった。彼は太鼓を叩いた後でニヤリと笑っていた。
 
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