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アドリアーナ=ルクヴルール

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第三幕その四


第三幕その四

「ところで例の件についてですが」
「別荘でお話したあの件ですね」
 二人は口元を近付けるように囁き合う。
「はい、それについてお話したいのですが」
「それはこの宴が終わってからでよろしいですか」
 二人は話を続ける。アドリアーナはそれに対し耳をきかせるが聞こえる筈もない。彼女の不安と焦燥は募る。
「聴こえないわ。一体何について話しているのかしら」
「では後程」
「はい」
 二人は別れた。そこへ僧院長との宴の打ち合わせを終えた公爵がやって来た。
「伯爵、この前の戦いではかなり武勲を挙げられたようですね」
「クルランドのあれですか?」
 彼は言葉を返した。
「はい。そのことについてお話を窺いたいのですが」
「武勲と言いましてもそんな大したことは・・・・・・」
 彼は謙遜して言う。
「まあそう仰らずに」
 僧院長も彼に話をしてくれるよう頼む。
「そうです。あのミタウの攻撃のお話を」
「ご存知ではないですか」
 公爵の言葉に彼は苦笑して答えた。
「ですがより詳しく知りたいのです」
「焦らすとは意地がお悪い」
 僧院長も言う。
「そうですか。それでは」
 彼は姿勢を整えて話しはじめた。
「ミタウでロシアのメンチコフ将軍は私を騙し討ちにするよう命令を受けていました。その時私の手元にいるのは僅か一個小隊、向こうは一個軍団。戦力差にして十五対一です。しかも味方からの援軍は当てには出来ない状況でした」
「そしてどうなりました?」
 一同身を乗り出して尋ねる。
「私の周りは大変な状況にありました。敵の音楽隊の演奏がもう三日間聞こえて来ました。それはまるで私達に死を告げる冥府の魔王達の声のようでした。そして遂に敵の突撃ラッパの音が聞こえて来たのです。その時私は考えました。どうすべきか、どうしてそれを退けるか」
「そして!?続けて下さい!」
 皆が急かす。
「はい。その時私は気付きました。敵が火を点けようとしているのを」
「それで貴方はどうしたのです!?」
「私は自分で身を潜めている屋敷の入口の広間に火薬の筒を運び込みました。そしてそれの導火線に火を点けました。そして敵兵を百人程吹き飛ばしました。恐れおののいた敵は退却しそこに援軍が駆けつけてくれたのです。これがあの戦いでの私のお話です」
「よくぞ生き残られました。貴方の武勲をここに讃えましょう」
「有り難うございます」
 彼は謹んでその賛辞を受けた。
「素晴らしいお話でした。では軍神マルスのお話の後は舞踏の女神テルプシコーレの出番ですな」
 公爵は一同の前に出てそう言った。
「斬り合いの後は踊りを」
 僧院長も一礼して客人達に言った。
「皆様、今宵の舞踏は『パリスの審判』ですぞ」
 パリスとはギリシア神話に名高いトロイアの王子である。彼はある時一つの審判を神々より委ねられた。それは女神達のうちどの女神が最も美しいか、という話である。
 審判してもらうのは三柱の女神達。女性の守護神ヘラ、知と戦の女神アテナ、そして愛と美の女神アフロディーテ、すなわちヴィーナスである。
 これは正直極めて難しい判定であった。しかも女神達は自分を選んでくれたならば褒美を与えようというのである。その褒美はどれも極めて魅力的であった。その為彼は悩んだ。
 だが彼はヴィーナスを選んだ。何故ならこの女神が自分に最も美しい女性を与えてくれると言ったからである。
 これがトロイア戦争のもとになる。ホメロスの詩に名高い十年に渡る戦いである。神々がトロイア、ギリシア双方に分かれ英雄達が血を流した。そして多くの悲劇を生み出した戦争であった。
 この劇ではまず二人の従僕が幕を引いた。するとそこに小さな村と海の背景が出て来た。
 そこに羊飼いの服装を着たパリスに扮する役者が現われる。彼は土手に寄り掛かった。遠くから羊飼い達の笛の音や歌い声が聴こえて来る。
 するとそこにキューピット達がすがたを現わした。そしてパリスに言う。
「目覚めてはいけませんよ、羊飼いよ。恋は甘い破滅のもと。貴方はそれの虜になる運命。だからそのまま眠っていなさい」
 彼等はそう歌うとその場を去った。するとそこへ商業の神ヘルメス、すなわちマーキュリーが現われた。
 そしてパリスを起こす。目覚めた彼に懐から取り出した一個の黄金の林檎を与えた。
「これは・・・・・・」
 パリスは尋ねた。マーキュリーは彼に言った。
「君はその林檎を最も美しい人に授けるのだ」
「最も美しい人?」
 彼は尋ねた。
 
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