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失われし記憶、追憶の日々【ロザリオとバンパイア編】

作者:月下美人
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原作開始前
  第八話「トラウマ」



「萌香が目を覚ました!?」


 アルカードを潰し、亞愛と和解した日から三日が経過した。あれから萌香は寝たきりで一向に目を覚ます気配がなかったが、たった今、使用人の口から朗報がもたらされた。


「はい。しかし……」


「どうしたの?」


 口籠る使用人に刈愛が首を傾げる。彼は俺に一瞬視線を向けると、言い辛そうに言葉を続けた。


「それが……、萌香お嬢様のご様子が少々おかしく、特に千夜様の話題となると、その……」


「――? まあ、取りあえず行ってみよう」


「是那樣(そうね)。様子がおかしいというのも気になるし」


 俺は刈愛と亞愛を引き連れて萌香の部屋へと向かった。既に報告を聞いていたのか、部屋の中にはお袋と心愛の気配がある。


「入るぞ」


 ノックとともに入室する。ベッドの上に上半身を起こした萌香の姿を見て俺は安堵の息を吐いた。


「ようやく起きたか……。三日も寝ていたから心配したんだぞ? 体調の方はどうだ」


「あ、ああ。大丈夫だが……」


 萌香がキョトンとした顔で俺の顔を見て、椅子に腰かけているお袋に向き直り、信じられない言葉を口にする。


「母さん、この人は誰だ? なんで人間がここにいるんだ?」


「――は?」


 萌香の言葉に一瞬間の抜けた顔をしてしまった。亞愛と刈愛も似たような表情で萌香の顔を凝視している。対してお袋は困ったような、それでいて落ち込んだような面持ちで娘を見つめる。


「萌香……本当に思い出せないの? 千夜の顔を見ても?」


「何を言っているんだ? 千夜ってこの男のことか?」


 怪訝な顔で俺を見やる萌香。その言葉と態度で、悟ってしまった。


「お袋、もしかして萌香は……」


「……ええ。どうやら覚えていないようなの、あなたのことを……」


「そんな……!」


「嘘でしょう……」


 亞愛と刈愛が信じられないといった面持ちで萌香を見つめた。愕然とした気持ちが俺を襲う。


 呆然自失となりそうなところをなんとか堪え、今は必要な情報を収集することに専念した。


「――覚えていないのは、俺だけか?」


「ええ。千夜と、それとアルカードの事件もまるっきり覚えていないみたい」


「そうか……」


 沈痛な顔で顔を伏せるお袋。俺はお袋のせいではないという思いを込めてその肩に手を置いた。


 もしかしたら、俺が殺される場面を目撃したことが心的外傷になっているのかもしれない。自惚れる訳ではないが、萌香は俺に懐いてくれていたし、あまつさえ俺を殺めたのが同じく心を寄せていた亞愛だったからな。


 ましてや萌香は十歳だ。いくら『力の大妖』と言われるバンパイアとはいえ、その精神は人間となんら変わらない。泣きもすれば笑いもする。十歳という多感な時期にそのような出来事に直面すれば、今の状況も頷ける。そう考えれば、無理もない……。


 ――認めたくはないが、な。


 心愛はまだ理解できないのか、しきりになって萌香に言い寄っていた。


「お姉さま、本当に忘れちゃったの!? お兄さまだよ! 千夜兄さまだよ!?」


「心愛も何を言っているんだ。そもそも、私たちに兄はいないだろう」


「まだそんなことを言って……! お姉さまもよくお兄さまに稽古をつけてもらったじゃない!」


 眉根を寄せた萌香が心愛を心配するように見つめた。


「心愛、お前本当に大丈夫か? 稽古相手はずっと姉さんたちだったろう」


「――このっ、分からず屋! その指輪だって千夜兄さまが送ったプレゼントなのに! これじゃあ、兄さまが可哀想だよぉ……」


 決壊したダムのようにポロポロと大粒の涙を流す心愛。そんな心愛をお袋が優しく抱きしめた。


 お袋の胸の中で声を上げて泣く心愛を見て、萌香が困惑した顔で指輪を取り出す。


「一体どうしたというんだ、心愛もお袋も可笑しいぞ! 第一、この指輪は亞愛姉さんが――」


 ずっと首に掛けていたのか、俺の渡した『月の指輪』を取り出した萌香がマジマジと指輪を見つめた。


「――いや、ちょっと待て……亞愛姉さんはあの時、深紅のドレスをくれたんだった……。え? じゃあ、この指輪は誰が……? でも、亞愛姉さんのはずじゃ――ッ!」


「萌香!?」


「萌香!」


「萌香ちゃん!?」


「お姉さま!」


 急に頭を抱え蹲り始めた萌香。そんな萌香に驚いたお袋たちが駆け寄る。俺は皆の後ろで眺めていた。


「せんや、兄……さん? ころ、ころころされ……首、おち…………血が……血がぁぁぁぁあああああああああああああ――――――――――ッッ!!」


 髪を振り乱し絶叫し出した萌香にお袋たちが落ち着くように声を掛ける。しかし、一向に落ち着く様子を見せない。それどころか、混乱は増々加速しているようだった。


「なんで、どうして……っ!!? なんで兄さんが血塗れなんだぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――!!」


「くっ……!?」


「きゃっ!」


「きゃあ!」


 手足をバタつかせ、拘束を振りほどく萌香。真祖の血が覚醒しているためか、華奢な手足からは考えられない程の力だ。力負けした亞愛たちが吹き飛ばされていく。


 唯一の真祖であるお袋はなんとか腕にしがみついているが、それも時間の問題だろう。


「萌香! 落ち着いて!」


 お袋の声が届いていないのか、完全に錯乱してしまっている。


 それまでずっと部屋の後ろで見ていた俺は静かに前に出た。振るわれる手足を片手でいなし、トン、と指先を萌香の額に当てる。


「あ……――」


 指先から放出した魔力で脳幹の橋にある網様体を刺激した俺は、萌香の意識を刈り取った。乱れたベッドを直し、布団を掛ける。


「千夜……」


 お袋が心配そうに俺を見つめるが、視線を合わせずに一言「出よう」とだけ口にした。





   †                   †                  †





 萌香の部屋を後にした俺たちはお袋の部屋へと向かった。全員が座ったのを確認し、早速萌香の様子について、俺なりの考えを述べる。


「あの様子から分かると思うが、萌香は心にトラウマを抱えている。恐らく、亞愛との喧嘩で俺の首が落とされるのを目撃したのが原因だろう」


俺の言葉に重々しい空気が流れる。


「どうにかなんないの……? ほら、よく漫画なんかだと、そのうちに記憶が戻ったり、何かの拍子に戻ったりすることがあるじゃない!」


 心愛の言葉に刈愛が首を横に振った。


「確かにそういった可能性もあるわ。だけど、確実に戻るという保証はどこにもないし、なによりさっきのように錯乱する可能性の方が高い。リスクが大きすぎるわ」


「じゃあどうしろって言うのよ! それじゃあいつまで経っても記憶が戻らないじゃない!」


 癇癪を起すように声を荒げる心愛に誰もが沈痛な面持ちで押し黙った。


「……俺は、無理に記憶を戻さなくてもいいと思う」


『――っ!?』


 それまで黙していた俺が口を開くと、お袋たちが一斉に驚いた顔で俺を見た。


「何を言っているの千夜!?」


「正気? 記憶が戻らなくてもいいって……」


「そうよ! お兄さまもなに言ってるの!?」


 お袋、亞愛、心愛が血相を変えて言い寄ってくる。刈愛だけは慌てずに、ただジッと俺を見つめていた。


「ああ、至って正気だし何を言っているのかも理解している。萌香が記憶喪失に――いや、記憶障害になったということは、あの子にとってそれほど衝撃的な出来事だったということだろう。人間の場合だが、こういった精神的衝撃を受けることで生じる記憶障害というのは、いわば自己防衛の結果によるものが多い。衝撃のあまりに精神が駄目になるのを防ぐため、その原因を封印しようという本能だな。これは人間の場合であってバンパイアにも適応されるかは謎だが、もし仮にそうだった場合、再び思い出させたがために今以上に状態が悪化する危険性が極めて高い。それに――」


 黙して俺の言葉を待つ皆の顔を一人一人眺め、言葉を続ける。


「萌香に同じ苦しみをもう一度味あわせたくはない。だから俺は、萌香の記憶はこのままにしたほうが良いと思う」


 誰もが押し黙り、嫌な静寂が場を支配する。お袋と亞愛は悔しそうに、それでいて悲しそうに唇を噛み締め、刈愛と心愛は泣きそうな表情で顔を伏せた。


「……本当に、いいのね。それで」


「ああ」


 お袋の確認に頷く。俺と過ごした日々を忘れてしまうのは確かに悲しいことだが、それで萌香が幸せに生活できるのなら躊躇いはない。


 俺の目を真っ直ぐ見つめたお袋は意志が固いのを察すると、同じく頷いた。


「お母さま!」


「納得しろとは言わないわ。だけど、千夜の言うことも無視できないことなのよ。心愛も本当は分かるでしょう?」


「でもっ」


 なおもお袋に詰め寄る心愛を俺は背後から抱きしめる。


「ありがとう、心愛。俺は大丈夫だから」


「……なんでお兄さまは、そんなに冷静なのよ……悲しくないの……?」


「俺だって悲しいさ。けれど、それで萌香が苦しまずに済むならそれでいい。何せ俺はみんなの兄だからな」


「……そんなの、おかしぃよぉ……にぃざまだって、ほんどうはがなじいのにぃ……! こんなのって、あんまりだよぉ……!」


 俺の腰に抱きつき泣き出す心愛を宥め、お袋に視線を向ける。


「後で萌香の記憶を封印処置しておく。萌香の記憶が万が一にも戻らないようにな」


「……わかったわ」


「それと、俺は今日限りで屋敷を出ようと思う」


『――!』


 驚愕のあまりに絶句する皆の顔を見渡し、静かに言葉を続ける。


「萌香の記憶が戻ることの危険性は先程説明した通りだ。いくら封印処置をするとはいえ、俺がこの屋敷で生活したら萌香の記憶を呼び起こしかねない。俺自身が引き金になるかもしれないんだ。なら、早いうちに屋敷を出たほうが良い」


 誰もが泣きそうな顔で押し黙る。頭では理解しているが心が、というやつか。この顔を見ただけで愛されている、と実感してしまうな。


「――ごめんなさい、千夜。あなたには辛い思いをさせてばかりで……。これじゃあ、母親失格ね」


 落ち込んだ様子で肩を落とすお袋の背をポンポンと叩く。


「なにを言っているんだ。記憶喪失だった俺を真っ先に受け入れてくれたのはお袋と萌香じゃないか。お袋には感謝しているよ。あんたは血の繋がった母親ではないが、それでも俺のお袋だ。それは胸を張って言える」


「……っ! ありがとう、千夜……! 本当に、ごめんなさい……ッ」


 涙を流して俺を抱き締めるお袋に、困ったように頬を掻いた俺は隣で俯く妹の姿に目を細めた。


「なんだ、君もか? 亞愛」


「もとはと言えば、私が原因なのよ……。それなのに、兄様はなんで私を責めないの?」


 ――おいおい、なにを言うかと思えば。


「そんな昔の話しは忘れたな。第一、それはすでに解決したと記憶しているが?」


 なんでも無いように話す俺に亞愛も双眸から涙を零した。お袋と同様に俺の腰に抱きつく。


「……对不起、哥哥先生っ(ごめんなさい、兄様)!」


 只でさえ身動きが取れないのに、心のダムが決壊した刈愛たちも抱きついて来る。すでに店員オーバーなんだが!


 ――まあ、これも家族との触れ合いだと思い、されるが儘だったがな。





   †                   †                  †





 幸い萌香は眠っていたので滞りなく『朱染千夜』に関する記憶を封印した俺は、その日の内に荷造りを済ませた。夜明けとともに家を発つ予定だ。


 玄関前で集まってくれた皆と今日最後の言葉を交わす。


「じゃあ、元気でね。身体には気を付けるのよ」


「ああ、大丈夫だよ」


 ――お袋も身体には気を付けなよ。


「加油啊(元気でね)。たまには顔を見せてね」


「年に何度かは見せるようにするよ」


 ――その時は人間界のお土産を持って来るようにするよ。


「身体には気を付けてね」


「お袋と同じことを言ってるぞ、刈愛」


 ――萌香と心愛のことは頼んだぞ。亞愛と一緒に支えてやってくれ。


「おにぃざまぁぁ……!」


「おいおい、心愛はまた泣いているのか? そんなんじゃ、萌香にからかわれるぞ?」


 ――なにも一生会えなくなるわけじゃないんだ。また、そのうち顔を見せるさ。


 亞愛に鼻をかんでもらっている心愛に苦笑した俺はトランクケースを持ち上げる。


「向こうに当てはあるのよね?」


「ああ。仕事のお得意様が優良物件を紹介してくれるらしいからな。それにお袋が言っていた三大冥王の御子神さん、だっけ? にも顔を出しておくから」


 向こうでの俺の生活を心配したお袋が同じ三大冥王である御子神というヒトを紹介してくれるという。なんでも学園の理事長を務めているらしい。正直、生活費は仕事を通じてそれなりに蓄えはあるし、お得意様も大勢いるから仕事には困らないんだが。まあ、折角の善意だから無駄にはしないけどさ。


「千夜様、そろそろお時間です」


「ああ、わかった。じゃあ皆、そろそろ行くよ。また会う日まで壮健で」


 運転手の言葉に頷き、お袋たちに手を振る。


 段々と遠ざかっていく姿を窓越に目に焼き付けながら、俺はずっと朱染家の方角を見つめていた。

 
 

 
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