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蒼き夢の果てに

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第4章 聖痕
  第49話 太歳星君

 
前書き
 第49話を更新します。
 尚、この話で第4章は終了。第50話より、新章の開始と成って居ります。
 

 
 その場所……。狭くて暗い地下下水道から、更に地下深くに向かうトンネル状の構造を抜けた先は、急に視界の広がった、そして、地下深くに有るはずの空間にしては、微妙に光の有る空間(世界)で有った。
 俺とタバサが顔を出したのは、大体、高さが五十メートルは有ると思われる断崖の途中。更に、上空に向かっては同じだけの高さが続いて居り、そこから緩やかなカーブを描く岩に覆われた天井が続く。
 そう。ここは地下に広がる大空洞。大体、直径が二百メートル程は有るであろう半球体の空洞に、俺達は足を踏み入れていたのでした。

 その、屋内野球場とも、サッカー場とも付かない巨大な空洞の中心部に存在する、これもまた巨大な石の建造物。そして俺には、あの巨石を用いた遺跡に関しても知識が有ります。

 円陣状に並んだ直立巨石と、それを囲む土塁から成る、世界でもっとも有名な先史時代の遺跡のひとつ。
 イギリス南部に存在するストーンヘンジそのものの姿が、其処に再現されていたのだ。

 そして、その直立する巨石の輪の中央部に見える人影がふたつ。
 ひとつは、その侍女風の衣装から、イザベラ姫と思われる少女が中央部に近い巨石の上に寝かされ、
 もうひとつの大きな影は、遙か彼方。断崖の中央部のトンネルから顔を出した俺達を見つめていた。

 俺と目が有った瞬間、そいつは出会った時から変わらない、……最初から彼の発して居た雰囲気に相応しい、邪悪なと表現すべき嗤いを浮かべた。
 そして、

「そんな所から覗き見をするようなマネをするとは感心しませんな、シャルロット姫」

 ポルトーの新領主。イザーク・デュ・ヴァロン・ド・ブランシュー伯爵が、俺達に対して、そう語り掛けて来た。
 彼我の距離はどう考えても百メートル以上。しかし、ヤツの声は何故かここまであっさりと届き、俺とタバサを愚弄するかのような響きを伝えて来ていた。

「そんな場所から盗み見るようなマネを為さらずとも結構ですよ。そもそも、もっと近くから、私がこの国を滅ぼす様をご覧頂けるように、道を残して来たのですから」

 自らの企てが失敗するとは思っていないブランシュー伯爵が、そう、俺達。……いや、タバサに対して話し掛けて来る。
 そして、ここにタバサが現れて、彼の親友で有るはずの東薔薇騎士団副長のシャルルが登場していない事に気付いた上での、今の台詞で有る事は間違いない。

 タバサの瞳を確認する俺。小さく首肯く彼女。
 その答えを確認した後、普段よりも更に一歩分、彼女に近付き、その見た目のままの軽い彼女の身体を、そっと抱き上げる。

 そして、

「元同僚の事について、聞いてやる事もないのか?」

 タバサを抱き上げてから、高度五十メートルの地点より降下を行いながらそう聞く俺。
 但し、あまり相手を刺激し過ぎないように、ゆっくりとした降下のスピードを維持し、それでも、ヤツの関心が此方に向くように心がけながら。

「我が友は、そちらのオルレアンの姫を用いて、この国を牛耳る事が望み。しかし、彼奴の器量では、大望を抱いたとしても所詮は叶わぬ夢で有る事は間違いない」

 そう言ってから、俺達の方を意味あり気に見つめるブランシュー伯爵。
 そして、

尊師(グル)からの命令でも、最早、其処の小娘に利用価値などなし、と言う命令を受けていたにも関わらず、そのような小娘に拘るから、身を滅ぼす事となる」

 一人はみんなの為に。みんなは一人の為に。とてもでは有りませんが、その言葉とは反するような気を発しながら、そう続けたブランシュー伯爵。
 それに、今、彼が発した台詞は、あのカジノ事件の際に、暗殺者エリックが発した台詞と同じ内容の台詞。

 しかし、余裕を持った態度や台詞に反して、俺達が着地すると同時に、ブランシュー伯爵は、腰に差していた軍杖を引き抜き、眠ったまま目を覚まそうとしないイザベラに突き付けた。
 そうして、

「おっと。それ以上、近付くのは御遠慮願えますでしょうか、オルレアンの姫。私は、貴女と、貴女の使い魔の力量を高く評価して居ります故、エリックや、シャルルのような愚は犯しません。
 貴女がたは、この姫の心臓を用いた邪神召喚術の観客としてこの場に招き寄せられたに過ぎない存在です」

 趣味の悪い服装とその口調から、程度の低い舞台に立つ悪役を演じる役者風の雰囲気を発しながら、そう俺達に告げて来るブランシュー伯爵。

 あまり相手を刺激しないように、少しずつ近付きなら降下した為に、彼我の距離は五十メートル程には縮まっているので、ブランシュー伯爵が魔法の有効射程範囲内で有るのは確かです。しかし、それでも対攻撃魔法用の結界が施されていない可能性は低いでしょう。
 流石に考えもなしに攻撃した挙句、失敗しましたでは済まされませんから。
 まして、あそこがストーンヘンジの中心ならば、其処は霊的な場所。何モノかは判りませんが、強力な神や悪魔を呼び寄せる為の召喚術を行うには、最適な場所と言えます。

 そして、邪神召喚の生け贄にされると言う事は、彼女イザベラを、この事件の後に蘇生魔法を使用して蘇らせる事は不可能に成ると言う事でも有ります。

 つまり、ここで慌てて動いたとしても、事態が好転する可能性は低いと言う事。
 さりとて、このまま経過を見つめるばかりでは、イザベラの死亡した後、その召喚された邪神を相手に戦うしか方法が無くなりますから……。

 ここまで、見晴らしの良い場所では、正直に言うと打つ手は少な過ぎますか。

 先ずは、何らかの魔法で眠らされて居るイザベラの目を覚まさせる方法を考え始めた俺。その空白を埋めるかのように、

「判っているのですか、其処で召喚を行うと言う事は、最悪の祟り神が召喚されるのですよ」

 ……と、妖精女王が、彼女から感じるに相応しくない、怒気を孕んだ口調でそう言った。
 その妖精女王の言葉に対して、満足気に首肯くブランシュー伯爵。その対応から判断すると、これは想定された質問と言う事。ならば、当然、答えも用意されていると言う事なのでしょう。

「その為に、ガリア王家を焚き付けて、この地の地上にヴェルサルティル宮殿を造営させたのです」

 そう言ってから、巨石の上に横たえられたイザベラに一瞥を与えた後に、タバサの姿を意味あり気に見つめるブランシュー伯爵。そして、

「この地に元から有った森は、これから召喚する邪神の邪気を散じさせる為に、貴女……妖精女王と、ガリアの古い王達が植え、育てた森。
 そして、それだけでは足らず、地下の空洞に環状列石を造り、最後に井戸を用いて水を引く事により、森の勢いを増した」

 土の邪気を払う為に、木を植え森と為し、その森に力を与える為に、水を引く。
 これは……。

「しかし、それでは、折角の太歳星君の能力が削がれて仕舞う。故に、そこの小娘の先祖に兄殺しと王殺しの大罪を同時に犯させ、貴女。妖精女王を排除し、その後、この地に有った森を潰させて、ガリア。つまり、土の王国の中心となる宮殿を造営させたのです。
 その小娘とここに眠るイザベラの曾祖父の代にね」

 ブランシュー伯爵が、かなり壮大な陰謀の全容を口にした。それは、何代にも渡る規模の策謀。そして呪い。
 タバサの祖先に王殺しを行わせ、妖精女王を排除する。更にその後に、森を切り開かせて、宮殿を造営させる。

 これは、一代や二代で為せる策謀では有りません。

 まして、タバサの魔法の属性は風。そして水。そしてそれは、彼女の父親も同じだったと聞いています。確かに、土の属性を帯びるべきガリアの王家としては相応しくない属性で有るのは事実。
 この世界は、土と風はお互いに相反する属性のはずですから、土の家系に風の子供が現れたとしたのなら、それは忌み児(いみご)。どう考えても世継ぎに任命されるとも思えませんから。

「後の世では、怠惰王と呼ばれたのが、最後のガリア王。それ以後は、すべて簒奪者の家系。故に、ガリア王家の人間に土の系統の人間が現れる事もなく、すべて風か水。つまり、アルビオンか、トリステインの王家の血を引くようになった」

 ブランシュー伯爵が、タバサでさえ知らないであろう、王家の秘事を口にした。
 怠惰王。もし、それが、俺の知って居る地球世界のフランスの歴史に於ける怠惰王とするのなら、怠惰王とはルイ五世の事。
 確か、ルイ五世とは王位を継いだ後、一年後の狩猟中の事故のケガが元で生命を失ったような記憶が有ります。そして、確かに彼がカロリング朝の最後の王で、以後はカペー朝が始まるのでは無かったかな。

「この国の法、サリカ法は貴女。妖精女王に認められた者が王に即位する為の物。しかし、その事件以後、貴女は人の世との関わりを断ったはずです」

 ……そう言ってから、ブランシュー伯爵は、彼に相応しい人を小馬鹿にした口角を上げるような笑みを浮かべながら妖精女王を見つめた。

 成るほど。シャルル・アルタニャンが現王を簒奪者と表現した理由が今更ながら判ったような気がしますね。
 この国のサリカ法を順守するのなら、妖精女王に言祝がれない王は、王を名乗っているだけの簒奪者に過ぎない、と言う事ですか。

 そして、脈々と繋いで来たガリア王家の血筋とは簒奪者の血筋。故に、シャルル・アルタニャンは現王を簒奪者と称したと言う事ですね。
 ガリアは二人の王。この場合は、王と女王に治められていた、と言う事ですか。

 人間を治めるガリア王と、霊的な存在を治める妖精女王。
 そして、両者の間の交流は、ある時期を境に一切存在しなくなったと言う事ですか。

「これは、古の盟約により手を貸しているに過ぎません。まして、其処に封じられている太歳を此の世に放たれたら、人間だけではなく、精霊たちにも害が広がる以上、貴方の行いを看過する事は出来ません」

 そう切り返す、妖精女王。
 しかし、西洋風剣と魔法の世界で、太歳星君の登場ですか。

 太歳星君。中国で木星が神格化された祟り神。中国の占星術で重要な位置を占める神で、地中に有る肉塊のような太歳の化身を侵すと、恐ろしい祟りを為すと言われる神でも有ります。
 そして、ソイツが封じられている上に宮殿を建設していると言う事は、ここに太歳(祟り神)が封じられている事を知らない人間に因って為されたとしか思えない以上、現在のガリア王家が、大地の精霊たちの女王で有るティターニアの加護を失っているのは間違いないでしょう。

 但し、確かに、もし本当に太歳星君が封じられていて、そいつが解き放たれるのならば、それは人間の世界以外。精霊の世界に取っても一大事。看過する事は出来ないとして、妖精女王が動く事は不思議な事では有りません。
 ただ、何故か引っ掛かりが有るのも事実なのですが……。

「おや、もう始まっているのですか」

 そんな、俺の思考が明後日の方向に進み掛けた刹那、俺達とブランシュー伯爵以外の第三の登場人物の声が、俺達の背後。具体的には、遙か上空から発せられた。
 その声は若い男性の声。但し、この邪神が召喚されようとしている緊張した空間内に相応しくない、かなり軽い調子の長閑な雰囲気を発して居る声で有りました。

 振り返り、仰ぎ見た俺の視界に映ったのは、年齢は俺とそう変わらない雰囲気。おそらく、一六,七歳の少年から青年への過渡期にある存在。背丈も俺と同じぐらいと思われるトコロから、百七十五センチメートル以上。服装は簡素な雰囲気ながらも、裕福な商人を思わせ、魔術師の証のマントはなし。
 但し、何よりも珍しいのは、俺と同じ黒髪を持った青年だと言う事ですか。

 その青年が、俺達が出て来た地下下水道に繋がるトンネル出口付近に有るせり出した踊り場から飛び立ち、そして、環状列石内部のブランシュー伯爵の元に軽やかに降り立って見せた。
 しかし、その際に精霊の悲鳴は聞こえる事もなく、まして、杖を振る、呪文を唱える、などと言う予備動作も行う事も有りませんでした。

 そして、

「お久しぶりですね、皆さん」

 ……と、その場に相応しくない挨拶を行う。登場時より続く、謎の東洋的笑みを浮かべたままで。
 但し……。

「お久しぶり、と言われても、俺には、お前さんの顔にも、まして、声にも覚えはないんやけどな」

 コチラ側のメンバーを代表するかのように、そう答える俺。もっとも、彼が語る皆さんの中に、俺が含まれていない可能性も有るので、この答え自体が間違っている可能性もゼロではないのですが。
 しかし、突如現れた若い男は、彼に相応しい謎の東洋風の笑みを浮かべたまま、

「いえ。本当に久しぶりの出会いですよ、僕と貴方は。僕の方には、貴方に生命を救われた記憶が有るのですが、貴方の方には残っていないみたいですね」

 ……と、妙な事を言い出す。
 しかし、生命を救った事と言われても、俺の方には……。

 確かに、奪った命に及ばない可能性も有りますが、それでも、俺が助けた生命の数も少なくはないと思います。それに、奪った生命に関しては相手を覚えている事が最低限の礼儀だと思っていますけど、助けた相手の事までイチイチ細かく覚えている訳では無いので……。
 この青年が、俺に生命を助けられたと主張するのなら、実際に彼の生命を救った可能性もゼロと言う訳では有りませんか。

「それなら、昔のよしみで、少し、手伝って貰う事は出来ないやろうか」

 ほぼ攪乱の為のみで、そう口にしてみる俺。もっとも、この台詞は単なる時間稼ぎに過ぎない作業なのですが。
 そう。イザベラを奪還するには、正面では俺が奴らの気を引いている内に、ダンダリオンの能力でタバサのコピーを作製して、本体の方のタバサにイザベラ奪還を依頼するしかないでしょう。
 ただ、それでも、成功する可能性は低いので……。

 太歳星君の召喚作業にどの程度の時間を要するかが、勝負の分かれ目と成るでしょう。

 しかし……。

「良いですよ。他ならぬ、貴方の頼みです。一度、助けられた生命ですから、その恩に報いる必要は有りますからね」

 予想外の答えを返す、謎の黒髪の青年。しかし、その妙な東洋的笑みを浮かべたままで。
 こいつは、俺の感じた雰囲気では敵。しかし、語っている台詞の内容は味方。俺の感じたままを信用するべきか、それとも、現在の彼の言葉を信用すべきか……。

「それなら、其処で寝ている、おデコの広い姫さんを助けて貰う事は出来ないか。俺が、お前さんの生命を助けたのが一度なら、その娘の生命を一度助けて貰う事でチャラに出来ると思う。これは、悪い取引ではないと思うけどな」

 本当に勝手な言い分を口にする俺。何故ならば、この交渉には、ブランシューの言い分が一欠けらも考慮されていませんから。
 もっとも、少女の心臓を取り出して、それを贄にして邪神を召喚しようとする存在の言い分など、初めから考慮する言われなど有りはしないとは思うのですが。

「その程度の事なら、問題ないですね」

 本当に簡単にそう答えた青年が、次の瞬間、軍杖を突き付けられたまま、こんこんと眠り続けていたイザベラを自らの腕の中に納めていた。
 彼自身が立つ位置は変わらず。そして、俺の瞳には、彼自身が動いた痕跡を確認出来ないトコロから、おそらくは物体の引き寄せ。アポーツの類を行使したのでしょう。
 そして、その際に、確かに不自然な霊力の動きは感知出来ましたから。

「ソルジーヴィオ、約束が違うだろうが!」

 人質兼生け贄の羊であるイザベラを手の内から失ったブランシュー伯爵が、その謎の青年の名前を叫んだ。
 ソルジーヴィオ。邪神セトの召喚を目論んだリード・アルベロと言う名前の青年が所属していた商会の名前と同じ名前で呼ばれる青年……。
 そして、現在は太歳星君が召喚されようとしている最中……。

 どう考えても、この両者が無関係で有る訳は有りませんか。

「ブランシュー伯爵との契約は、太歳星君の召喚方法の伝授と、その手伝い。その召喚作業に、このガリアの姫は必要有りませんから」

 そう言って、ブランシュー伯爵の傍から、高き空中へと飛び去るソルジーヴィオと呼ばれた青年。
 そして、遙か高き空中から、ブランシューと俺達を睥睨した後、

「太歳星君のような祟り神を召喚するのに、簒奪者の末裔とは言え、汚れなき処女の血と心臓では、些か荷が勝ち過ぎるでしょう。
 まして、彼女には、太歳星君を封じた人間の血は一滴たりとも流れてはいないのです」

 彼女の先祖が、その血を絶やして仕舞いましたから、と、そう話を締め括ったソルジーヴィオ。

 確かに、魔術的な理には適っているソルジーヴィオの台詞。しかし、それでも、イザベラがブランシューから奴の手に移っただけで、俺やタバサが動き出せる状況には未だない。
 動き出すには、もう一手。イザベラの身の安全が完全に確保されない限り、俺にしても、タバサにしても、戦闘待機状態で待ち続けるしか方法は有りませんから……。

 本当に楽しい事を見つけたかのような雰囲気を発しながら、ソルジーヴィオと呼ばれた青年は更に続けた。
 彼に相応しい東洋的な笑みを浮かべながら……。
 彼に相応しい悪意を発しながら……。

「邪神の贄に相応しいのは、それに相応しい黒き心に満たされた心臓。
 自らが世界の王と成ろうとする黒き目的を持った存在の血」

 昏き天井を背にしながら、詠うように台詞を口にするソルジーヴィオ。
 左腕にイザベラの意外に小さな身体を抱え、右手は不自然な動きを……。

 刹那、悪趣味で派手な衣装を朱に染め、ブランシュー伯爵の内側から飛び出すソルジーヴィオの右手。
 どうなったのか判らず、自らの胸から突き出された、その赤黒き色に染まった右手を見つめるブランシュー伯爵。

 体外に取り出されながらも、未だ不気味な脈を打ち続け、彼に相応しい赤黒い液体を撒き散らせながら、ソルジーヴィオの右手の中で留まり続ける心臓。
 予想外の生け贄に因る、予想通りの結末へと進む物語。

「これで、すべての準備は整いましたよ、ブランシュー伯爵」

 本当に。心から嬉しそうな声を上げるソルジーヴィオ。但し、何時の間にか彼の右手は、彼の直ぐ傍。つまり、通常の彼の右手が有るべき場所に存在し、ソルジーヴィオの右手に因って支えられていたブランシュー伯爵が、彼から吹き出した赤黒き液体に因って作り上げられた水溜まりに、その身体を倒れ込ませる。

「もっとも、貴方が望んだ世界を、自らの瞳で見る事は不可能ですけどね」

 陽の気に分類される笑いを浮かべながらも、その発して居るのは陰の気。そして、呪詛に等しい台詞を、十人中八人までの女性が好意を抱くで有ろう整った顔立ちと、甘い声で口にした。

 次の刹那、身体から切り離されて尚、どくどくと不気味な脈を打つ事を止めなかったブランシュー伯爵のたったひとつ残された、生きて居る部分がソルジーヴィオの右手より。
 そして、この異常な事態の進行する地下の大空洞内に有ってたった一人、こんこんと眠り続けていたガリアの姫が、ソルジーヴィオの左腕より。

 無造作に放り出された。

 それぞれが、物理法則を無視した形で空中より地上へと向かって進む。
 片や、血を含んでいるにしても、重さにして今は一キログラムも存在していないで有ろう、ブランシュー伯爵が残せし欠片は、矢のような勢いで巨石を用いた遺跡の中央を目指し、
 片や、風に翻弄されし木の葉の如く不規則な動きを繰り返し、地上との激突への道を辿るガリアの姫。

 その瞬間、動き出す俺とタバサ。
 優先すべきはガリアの姫。確かに蘇生魔法は有るが、それも確実ではない。

 目指すは、俺が心臓。そして、タバサがイザベラ。

 しかし、最大レベルで加速された俺に等しい速度で迫る黒い影。
 後方より接近しつつ有った黒い何かを、振り向きざまの右腕の一閃で無力化。

「済みませんね。一応、商人ですから、故人とは言え、正式な契約を交わした相手の依頼内容は完遂する必要が有りますので」

 黒い炎を片手にて扱いながら、再び俺に対して黒い炎を放つソルジーヴィオ。
 それは、刃の如く形作られた黒き炎の刃。
 その数は六。

 その一瞬後、今度は両手を振り抜く俺。

 複雑な軌道を描きながら接近して来る六本の黒き炎の刃に、俺の両の腕から放たれた銀光が迫る!
 そして、次の瞬間!
 振り抜かれた両手より放たれた八本の銀光(クギ)が、俺とソルジーヴィオの中心点よりも、やや俺寄りの地点で黒き刃を完全に相殺した。

「流石は、十字架に掲げられし救世主の属性を持たされつつ有る存在ですね」

 軽く拍手を行いながら、戦闘中、まして、その相手に対して賞賛に等しい声を掛けるソルジーヴィオ。
 そして、この一瞬の戦闘の間に、封印の井戸の底へと呪いに染まった心臓は消えて行った。

 その一部始終を見つめたソルジーヴィオが、彼に相応しい笑みを俺に見せる。そして、

「はい。これにて、ブランシュー伯爵との契約は完了です」

 本当に、何でも無い、一般的な商取引に過ぎない事を為したかのような雰囲気で、そう言う台詞を口にするソルジーヴィオ。
 こいつの目的は、本当にブランシューとの契約の完遂だったと言う事なのか。
 しかし、その完遂の為に契約相手を破滅させるって……。

 まして、俺に聖痕が刻まれつつ有る事を知って居るのは、タバサと、俺に生け贄の印を刻みつつ有る存在。
 それと、……そいつと争っている相手。

「それでは、後の事はお任せしますよ、皆さん」

 遙か上空よりそう告げるソルジーヴィオ。その姿は終幕を告げる舞台俳優の如し。
 その瞬間……、巨大な直下型の地震が発生する。

 いや、これは違う。普通の地震に空気を激しく震わせる事が出来はしない。

 玄武岩と思しき黒光りした巨大な環状列石に刻まれた文字……ルーン文字やオガム文字とは思えない漢字によって刻まれた文字が空中に映し出され、そして、直ぐに消えた。
 そして、その刹那。それまでの中で最大の揺れが世界を襲った!

 太歳星君とは木星と呼応して地中を動く肉の塊として表現される存在。そいつが無理矢理地上に呼び出されようとしている事に対する、世界自体の悲鳴。

 速攻でタバサに接近し、次の事象。……邪神召喚に対応する俺。

 再びの大地の鳴動。そして、走る大地の亀裂。
 その刹那、その走った亀裂より発生する黒く、小さき生命体。
 小さき虫たちが発する低周波に属する羽音が不気味に重なり合いながら、俺とタバサを捕らえ、世界は黒とも、そして焦げ茶とも付かない色に因って染め上げられる。

 その黒き霞の如き集団と成った生命体に因り、一瞬の内に足元から包まれて仕舞う俺とタバサ。

 しかし、その一瞬の後、発生する雷光。俺とタバサ。そして、彼女に支えられたイザベラを包み込み掛けた突然変異種の黒に変色した飛蝗を、俺の雷で消滅させ、その直後にタバサが飛び道具を防ぐ防御陣を敷く。
 しかし、これで物理無効の呪が解除されたのは間違いない。

「飛蝗。貪欲な暴君とされる太歳星君の前触れには相応しいな」

 少し、軽口に等しい台詞を口にする俺。それに、タバサやイザベラの二人に害が無かった事は幸いか。

 そして次の瞬間、大地より現れしは巨大な肉塊。その巨大な身体全体が赤に染まり、奴の身体を覆う数百、数千に及ぶで有ろう瞳が、同時に俺達三人を睨む。
 伝承によれば、これで俺とタバサ。そして、イザベラの親類縁者には逃れられない凶事が起きる事となる。

 この凶事を回避する方法は……。

「奴を排除するしか存在しない」

 再び襲い来る黒い砂嵐。いや、飛蝗の群れ。
 しかし、その飛蝗の群れを阻む小さき蟲たち。

 そう。あの炎の魔神と戦った異界の夜に、俺とタバサを護りし蟲が、再び、俺達を護ったと言う事。

 その瞬間、爆発的な勢いで接近して来る赤い影。
 黒い砂嵐に隠された瞬間に、姿を人間サイズに変えた太歳星君が、敵と認識した俺達に対して襲い掛かって来たのだ!

 俺の右から斬り掛かって来る長剣を七星の宝刀により弾き、
 同時に左より払われた槍を、タバサの魔法使いの杖が、下からすくい上げるようにして上方に躱す。

「な、何が起こっているんだい?」

 ここに来て、ようやく目覚めたイザベラが声を上げる。但し、タイミングが非常に悪い!
 長剣。槍。弾かれ、逸らされ、最後に残った棍がイザベラを襲う!

 今まさに、イザベラの頭部を砕こうとした棍を握る腕の部分を右脚にて蹴り上げ、そのまま後方にトンボを切る俺。同時に、イザベラを自らの蟲に因って連れ去り、大地を滑るかのように後方に下がる妖精女王。
 そして、その三面六臂の異形の化け物のがら空きと成った腹部に、タバサの霊気が生み出した氷の刃を纏いし魔法使いの杖が斬り裂いた。

 周囲を朱に染め、轟音に等しい叫びを上げる太歳星君。
 しかし、染め上げたのは血潮ではない。異形の化け物に蓄えられた呪力。赤き身体に蓄えられた濃密な呪を撒き散らしながら、後方へと退く邪神。

 但し、そこまで。斬り裂かれた一瞬後には、既に回復を開始する太歳星君。

「彼を倒すには、彼と霊的に繋がった龍脈から切り離す必要が有ります」

 イザベラを連れて、直接戦闘の間合いから下がった妖精女王がそう言った。彼女が直接封印に関わったのか、それとも、彼女の先祖が関わったのかは定かでは有りませんが、それでも、俺が彼女から感じている能力や雰囲気。そして、今までの態度などから考えると、彼女が虚偽の申告を行ったとは考えられない。

 刹那。三方向に存在する太歳星君の一対の瞳が俺とタバサを映す。その瞬間、対呪殺用の呪符が効果を失くした事を感じた。

 伝承に語られている太歳星君の能力から類推出来る魔法は呪殺などの呪い系。それ以外は、飛蝗を操る事。そして、三面六臂に因る直接攻撃。

「妖精女王。龍脈から太歳星君の因果を切り離して貰えますか?」

 右腕を振り抜いた後、その身を颶風へと変えた俺が、一気に太歳星君との間合いを詰める。
 舞うように、歌うように紡がれる古の知識。その呼びかけに応えて巻き起こりしは魔風(かぜ)。全てを斬り裂き、巻き上げ、切り刻む魔界の風。

 地中を進む、そして木星の属性を持ち、赤き身体の祟り神に効果が有るとするなら、それは乾いた風。木行が支配する湿り気の有る風ではなく、すべてを乾燥させる乾いた風。
 俺が放った剣圧と、タバサが起こせし閃き刃を孕みし魔風が三面六臂の化生を襲う!
 袈裟懸けに斬り裂かれた身体から呪力を撒き散らし、風を孕みし刃が太歳星君を傷付けて行く。

 しかし、声に成らない声。咆哮に成らない咆哮を上げる祟り神。
 その咆哮が発せられた瞬間、タバサが呼び出した魔風を霧散させ、身体の傷は次の瞬間から回復を開始した。
 確かに、これではこちらに取って、分の悪い戦いにしかならない。

 太歳星君に肉薄した瞬間、七星の宝刀が、俺の高まった霊力を受け、一際強く、蒼銀の輝きを発した。
 そう。アガレスに因り強化された俺のスピードは太歳星君を凌駕したのだ!

『樫の木を回る妖精たちよ』

 下段より閃いた銀光が、長剣を携えし太歳星君の右の腕を斬り飛ばす。

『古き塚の住人。ヤドリギの元に立てる美しき民。力ある良き民たちよ』

 刹那、俺を打ち据えようと振り下ろされた棍を、後方から、体を入れ替えたタバサの魔術師の杖が跳ね上げた。
 その速度も正に神速。普段の彼女には有り得ない、精霊を纏いし今の彼女の身体能力は強化を施された龍種の俺と互角。

『樫によって導かれる覚者の叡智よ』

 しかし、そう、しかし!
 棍に因る攻撃を無効化された太歳星君が、今度は右足を軸に、左足の踏み込みと共に槍を繰り出して来る!
 そして、その槍の軌道をなぞるかのように発生する渦状の風。

 但し、これは魔法に非ず。物理的な腕の捻じりにより発生した渦状の風が鎌鼬を発生させたのだ!

 その、絶望の風が大気を巻き込み、真空状態となった空間が、俺の、そして、蒼き姫の表皮を爆ぜさせた。
 しかし、その程度の害など無きが如し。俺も、そして、タバサにも精霊の加護が存在する。防御力に関しても常なる人に非ず。

『傾ける天秤を吊りあわせる術を我に』

 そして、次の刹那、十分な間合いと、技量によって裏打ちされた正面からの槍の一撃が、精霊を纏いし蒼き姫を襲う!
 そう。ヤツに取って、塵芥に等しい俺やタバサが抵抗を続け、更に未だ有効な攻撃ひとつ行えない苛立ちや憎悪を物理的な破壊力へと転化し、すべてを貫く必殺の一撃が放たれたのだ。

 しかし、次の瞬間。巻き上げられ、高く跳ね上げられたのは太歳星君の槍の方。
 そう。その一瞬前までタバサが居たはずの空間には、既に体勢を入れ替えた俺が待ち構えていたのだ。

 周囲を真空状態にして、すべてを巻き込みながら突き出されて来た死の刺突に逆らう事なく刃を滑らせ、最後の瞬間に下方から右上方部への重力の移動と、太歳星君自身の槍の持つ、すべてを巻き込もうとする呪力(ちから)を利用して、槍を跳ね上げて仕舞ったのだ!

『この穢されし大地を清め、聖なる水をこの地に注ぎたまえ』

 その妖精女王に因る最後の呪文が紡がれた瞬間、倒れた環状列石の巨石群に、それまでとは違う、巨大な霊力が沸き起こった。それは環の中を巡り、一周ごとに速度を、そして、霊力を増して行く。
 霊力が巡る度に眩き光りを発する巨石。その一瞬毎に表面に浮かぶ漢字を思わせる文字。

 そして、限界まで高められた霊気が徐々に、異界により浸食されていた世界自体の浄化を始めた。

 そう。殺人祭鬼に因り穢され、侵された聖域が、太古からそうで有った姿。妖精の女王と歴代の古代の(いにしえの)王たちによって護られた聖域の姿を取り戻しつつ有るのだ。

 槍を跳ね上げた事により無防備と成った左わき腹に、氷の刃を纏いしタバサの魔法使いの杖が斬り付ける。
 その動きは正に舞い。俺が動なら、タバサは静。
 海からの贈り物を散りばめし白き絹が裾を翻し、タバサは舞う。

 しかし! 相対するは伝説に名を残せし太歳星君。絶体絶命に等しい斬撃を、自らの棍を操りし腕を犠牲とする事に因って、俺とタバサの間合いから辛くも脱する。

 刹那、太歳星君が吠える。その声は大気を、そして、大空洞の大地や天井を不気味に震わせる。その後、最早、長剣と棍を失い、槍のみと成った己が武器を地に投げ捨て……、

 そして……。

 元の赤き肉塊へと変化して行く太歳星君。
 その瞬間、再び、呪われし瞳に俺とタバサを映すが、今回は最後に残った魔法反射により無効化。

 次の刹那。周囲の雰囲気が再び一変した。
 清浄なる聖域に等しい雰囲気から、再び、穢れた不浄の気へと。
 大地に半ば溶け込むように成っている太歳星君の姿が、その訳を語っているのだ。
 そう。繋がりを断たれたのなら、再び結び直せば良い、と……。

 そして、奴にはここで俺達と戦わなければならない理由はない。逆に俺達は、ここで奴を倒さなければ、自らの縁者に対しての凶事を防ぐ事が出来ない。

 普段通り、タバサを見つめる俺。

 ゆっくりと首肯くタバサ。
 そして、

「私が彼を止めて置けるのは僅かの時間です。その間に……」

 術式を維持しながら、俺とタバサに対してそう告げて来る妖精女王。その表情には余裕もなく、声には明らかな焦燥の色が滲んでいた。
 古き大地の神ティターンの娘でも、奴を止めて置けるのは僅か……。
 しかし、

「すまんな、妖精女王。せやけど、五分も必要ないで」

 俺の返事。その瞬間に、タバサと視線を交わらせる。

 その一瞬後、再びの大地の鳴動。そして、太歳星君が消えて行った地点から、大地自体が赤く染まり始め、木の根に似たモノが地面を進み、四方八方に広がって行く。
 そして、その次の刹那……。

 そこから。あそこから。大空洞内の有りとあらゆる場所から太歳星君の瞳が顕われ、
 恨み、憎悪、怨嗟。有りとあらゆる負の感情を撒き散らし、俺とタバサを瞳に映す。

 紅い、朱い、赤い大地。
 べちゃり、と気味の悪い糸を引く飛沫が、其処かしこから飛び散る。
 そう。人間の筋肉や内臓。そして、脳味噌を狂った芸術家が自らの芸術性を誇示するが如く組み上げた腐肉による大地。紅く、朱く、赤く走る血管。大地が不気味に蠢く度に腐汁に似た体液が溢れ……。

 耳を穢し続ける怨嗟の声が腐肉の表面から発せられ、濁った瞳が、憎しみに満ちた視線で俺と蒼き姫を映す。

 その瞬間。傍らに立つ蒼き姫が、俺に完全にその身を預けた。
 そして、それと同時に、俺は彼女に精神を明け渡す。

 高く掲げし右手の先に顕われる聖なる槍。
 イメージする。丹田に渦巻く巨大な龍を。
 暴走寸前の霊力()を、(タバサ)が制御する。
 脊柱を走り抜け、右の琵琶骨を抜け、掲げられた聖なる槍に霊力を注ぎ込む(タバサ)
 伝説に語り継がれし槍を持って、この地を穢せし邪神の核を排除する為に……。

 二度目故にか、それとも、タバサ自身が俺の霊力の制御に長けたからか。

 霊力の収斂は即時に、そして確実に行われ、牛角の邪神と相対した際の半分の時間で為す。
 そして……。
 そして、無造作に(タバサ)の右腕が振り下ろされた。

 
 

 
後書き
 最初に。少し、描写が過ぎたような気もしますが……。
 もし、やり過ぎだ、と言うので有れば、感想に書いて下さい。

 ガリアにサリカ法が存在する理由は、伊勢神宮の斎王が存在したのと良く似た理由です。別に、男尊女卑から出来上がった法律と言う訳では無く、彼女、妖精女王ティターニアに認められた存在が王と成るので、女性の神の声を聴くのは、男性の神官の役目の場合が多い為にそう成ったと言う事です。
 相手が妖精王オベロンならば、別の法が存在していたでしょう。

 尚、本文中のガリアは二人の王に治められている、と言う言葉は、ディズレーリの言葉を引用しようかな、とも思ったのですが……。かなり長いので、止めました。
 それに、元の文章はヴィクトリア女王統治下のイギリスの話ですから、二人の女王ですしね。

 もっとも、原作小説内でガリア王家の魔法の系統が、風系統が主流と成ったかどうかについては謎です。タバサの家。オルレアン家がそうだった上に、オルレアン公を次代の王へと推す声が多かったと言うようなので、土の系統の家に生まれた風の忌児が王……つまり、家長を継ぐ事は難しいだろうと思って出来上がった、私のねつ造設定です。尚、魔術的に言うとこれの方が正しいとは思うのですが。
 それと、ルイ五世は存在して居ましたし、怠惰王と呼ばれて居ます。更に、狩りの最中の事故の怪我が元で死亡していますよ。

 尚、カジノ編で『双六禁止令』を最初に出した天皇について言及しましたが、その天皇とは持統天皇です。
 それと、歴代の天皇で、生まれた年月日がはっきりしない天皇が二人居ます。

 ……おっと、これ以上は非常にマズイので書きませんよ。それに、これは俗説ですしね。

 それでは、次回より新章開始です。……何か、妙なタイミングですが、それでも、聖痕は刻み終わりますからね。

 第5章の章題は、『契約』です。
 そして、次回タイトルは『吸血姫』です。

 しかし、意味不明の章題の上に、サブタイトルの方も、ゼロ魔の二次小説のサブタイトルだとは思えませんが。
 
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