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リリカルってなんですか?

作者:SSA
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A's編
  第三十話 裏 後 (シグナム、アリサ)




 闇の書を護る守護騎士であるヴォルケンリッタ―が将であるシグナムが人で言うところの嫌な予感を感じたのは偶然なのだろうか。いや、それはありえないと思う。なぜなら、シグナムとほかの守護騎士は闇の書という大本のシステムを介して繋がっているのだから。どこか、何かを失いそうな、失っているようなそんな感情が嫌な予感として現れていた。さらに、今の八神家にはヴィータが欠けていることがその核心に拍車をかけていた。いつもなら帰ってきている時間なのに。

 だから、シグナムは八神家にいた全員に声をかけ、主に許しをもらって外に飛び出した。もちろん、主である八神はやてには本当のことは言っていない。彼女が本当のことを知ればおそらく悲しむだろうから。ヴィータがいない理由も、何かを失いそうになっているということも、二重の意味で。だから、今は遊びに行って道に迷ったヴィータを迎えに行くという理由で、彼らは八神家から飛び出していた。

 ヴィータの場所を探ることは難しくなかった。なぜなら、遠く遠く離れているはずなのにシグナムがびりびりと肌で感じるほどの魔力の波動を感じるからだ。明らかに相手はヴォルケンリッタ―たちの魔力をはるかに超越している。しかし、仲間の一人であるヴィータが対峙しており、消えそうな、心が折れそうなほどの感情を伴っているとすれば、そこ以外にはありえなかった。そして、彼らの中にヴィータを見捨てるという選択肢はなかった。昔の感情などというものを捨て去っていた過去ならまだしも、八神家で人の感情を思い出した彼らは、ヴィータという妹分が欠けることをよしとしなかった。

 ヴィータを助け出したら、即時撤退。それを基本方針として、ヴォルケンリッタ―たちは最愛の主から頂戴した騎士甲冑を身に纏い、ランク付けなどできるはずもない魔力を発する現場へと向かった。

 その現場は少し山間にある公園だ。主が車椅子であるため勾配のある場所はあまり来ないので、ここに公園があること自体は初めて知った。しかし、そんなことはどうでもよかった。今、問題なのは、ここから尋常ではない魔力と一緒に弱々しい妹分であるヴィータの魔力を感じることである。

 すぐにでも突入しようと思ったが、忌々しいことに簡単ながら結界が張ってある。構造そのものは簡単だが、魔力にものを言わせた結界。しかも、その向こう側に得体の知れない存在がいる。準備して突入することになんら躊躇することはなかった。

「レヴァンティンっ!」

『ja!』

 シグナムの声に愛機であるレヴァンティンは応える。顕現するのは片刃の西洋剣。レヴァンティンに自らの属性でもある『烈火』を纏わせ、シグナムは吼える。

「はぁぁぁぁぁっ! 紫電一閃っ!!」

 裂帛の気合とシグナムが練れる最大限の魔力を乗せ、レヴァンティンの能力によって炎を纏った剣は、公園に張られた結界を一撃で切り裂いた。完全に結界が壊れたわけではない。結界の中に入れるほどの切り込みを入れたという形だろうか。おそらく、このまま突入しなければすぐに修復されてしまうだろう。

 それでは壊した意味がない。シグナムは隣に立っているザフィーラに行くぞ、と目配せして結界の中に侵入する。ヴォルケンリッターにはシャマルもいるが、彼女は結界の外で待機だ。シャマルには外で待機してもらい、ヴィータを回収したのちにすぐにでも転送してもらう必要がある。この魔力から感じるにヴィータと敵対している相手に真正面から勝負を挑んで、勝つのは不可能だ。つまり、からめ手でしかない。たとえば、シャマルの持っている旅の鏡のような魔法だ。リンカーコアを抜き取るという荒業だが、これならば魔力ランクは関係なくなる。もっとも、問題として相手を捕捉しなければならないという欠点があるのだが、これはある程度時間が稼げれば問題はない。それに、この魔力を手に入れることができれば、闇の書などすぐに完成するだろう。このような強大な敵を相手にあわよくば、という思いは禁物だとは分かっているが、それでも彼女たちの状況を考えれば求められずにはいられない。そんな状況だった。

 シグナムとザフィーラが結界の中に突入して目撃したのはぼろぼろになったヴィータの姿とその彼女に近づいてデバイスと思われる杖を近づけた女性の姿だった。それだけならば、彼女にヴィータが敗れたと判断すべきだろう。しかし、シグナムとザフィーラが、彼女たちから受けた印象がそれだけではなかったのは、おそらくヴィータの目だ。どこか濁ったような、どこを見ているのかわからない。まるで虚空を見るような瞳。いつも、シグナムを映していた天真爛漫な瞳は今のヴィータにはなかった。

 ヴィータが何かの攻撃を受けていることは容易に想像できる。しかし、それがわからない。はた目には杖を近づけているだけなのだから。もしも、相手が普通で収まる相手ならばシグナムもヴィータを助けるために飛び込んでいただろう。だが、相手は尋常でない魔力を持つ女性。シグナムが躊躇するのも仕方ないことだった。

 不意に、今まで虚ろな瞳を浮かべていたヴィータの顔がシグナムたちがいる方向を向いた。それは偶然だったのか、何らかの要因があったのかわからない。とにかく、ヴィータは、その濁った瞳のまま、いや、一瞬だけ昔のような瞳の光を取り戻したように見え、ヴィータはその小さな口を開く。

 シグナムは、読唇術を極めているわけではない。だが、そこから見えたヴィータの唇は簡単に読むことができた。

 ―――ご、め、ん、な。

 言葉にすれば、たった四文字。しかし、その想いに込められたものをシグナムは想像できない。彼女がつむいだ言葉の意味は一体なんだったのか、それを知るすべをシグナムは知らない。ただ、理解できたのは、ヴィータがその言葉を紡いだ後にまるでその場からいなかったかのように姿を消したことを闇の書を通じて感じていたはずのヴィータの気配が綺麗に消失してしまったことである。

 ―――バカな、バカな、バカなっ!?

 何度も、何度も、何度もシグナムは己の内から闇の書へ向けてヴィータの気配を探る。守護騎士たちは一見、人間のようにも見えるが、しょせんは闇の書に付随する守護騎士システムという名のプログラム体である。よって、死んだとしても闇の書へと還るだけである。そう、そのはずである。しかし、闇の書からはヴィータの気配は感じられず、代わりに返ってきたのは、ぽっかりと何かが空いたような虚無感と意識もしていないのに頬を流れる一筋の雫だった。まるで、その雫が、二度と還ってこない仲間を悼んでいるようだった。

 どうやって? なんてことをシグナムは理解できない。しかし、誰が? というのはわかる。黒いバリアジャケットに身を包み、黒には似合わない桃色の杖を持っており、尋常ではない魔力を持っている女性以外には考えられなかった。

「貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 普段のシグナムならば考えられない慟哭だった。しかし、シグナムと言えども今の激動を抑えられなかった。いや、シグナムだからこそ、炎を冠する烈火の将だからこそ、というべきだろうか。もしも、この場にシャマルがいて、同様の感情を受け取っていたならば、泣き崩れていたのかもしれない。いや、今は姿こそ見えないが、もしかしたら泣き崩れているかもしれない。なにせ、尽きることがない、一生という概念さえ曖昧な、永久を共にするはずだった仲間を失ったのだから、彼女たちの慟哭も無理もないことだった。

 先ほどの結界の破壊のために抜刀していたレヴァンティンを構えたままシグナムは得意の接近戦に持ち込もうとしていた。もはや、目の前の女性が尋常でない魔力を持っていることなどシグナムの考慮の中に入っていなかった。ただただ、目の前の女性を倒すという一念に注力していた。しかし、それでも数十年、いや、数百年に至る戦闘の経験は、今のシグナムの状態でも彼女自身を裏切らなかったのだろう。躊躇なくシグナムは、最初の一刀にすべてをかけていた。レヴァンティンの特徴であるカートリッジシステムを限界までロードしながら、己の持つ最大の魔力まで練り上げる。カシャン、カシャンと薬莢を排出する音を上げながらカートリッジが排出され、圧縮された魔力がシグナムに流れ込んでくる。ともすれば、体が悲鳴を上げそうな魔力がシグナムを包む。

 過去の経験からわかっていたのだ。持久戦は敗北しかなく、勝機を見いだせるとすれば、それは最初の一撃以外にはありえないということを。だからこそ、最初の一撃から全力全開。次のことなど考えない。それがたとえ仲間を失った悲しみと怒りから来るものであったとしても、冷静であったとしても、選択が変わらなかったのはシグナムにとって幸運なのか、あるいは不運なのか。

 少なくともその一撃は、シグナムが生涯と言えるかわからないが、それでも最大の一撃だったといえるだろう。上空から魔力を全力で振り絞り、レヴァンティンの能力によって炎に変換されたシグナムの姿はまるで、フェニックスのようだった。その火力と威力を鑑みれば、神獣と謳われてもおかしくはなかっただろう。

 だが、そんなシグナムの上空からの渾身の一撃を女性は無作為に掲げた片手で張ったプロテクションのみで簡単に受け止めた。

「なっ!?」

 絶句するシグナム。決めることしか考えていなかったシグナムの魔力は女性によって受け止められた時点で霧散している。

 バカな、とシグナムは思う。少なくとも、魔力としてはシグナムが出せる最高の出力、一撃もシグナムの最高の輝きを見せたというのに女性はたった腕一本で受け止めてしまった。これが、もしもシグナムと同等かあるいはある程度の力量をもってして受け止められたなら驚きはしない。しかし、シグナムの剣が受け止められたのは、単なる力技。シグナムの最大の魔力さえも軽く受け止め、霧散してしまうほどの魔力による防御だった。

 確かに完璧に不意をついたものではない。しかし、意識がシグナムに向いていなかったことも事実である。その状態から、片手だけでシグナムの最高の一撃を受け止めていた。目の前の状況が信じられないシグナムは、己が攻撃を仕掛けたことも忘れて呆然としてしまう。そんな余裕はないというのに。

 呆然としているシグナムが、次に正気に戻ったのは、女性が片手でレヴァンティンを抑えながらもう片方の腕を伸ばしてきたことを確認してからだ。ただゆっくりとシグナムに向かって伸びてくる掌。しかし、その何気ない仕草にも関わらずなぜかシグナムには背筋が凍るような恐怖を感じた。感じてしまった。それは長年の経験からの勘なのかわからない。しかし、その手に触れてはいけないと思ったのだ。

 逃げなければ、と思った。しかし、まるで身体は金縛りにあったように動かない。動けない。まるで蛇ににらまれた蛙のように。このまままでは、腕をつかまれる、とある種の覚悟をした瞬間、突然、女性の身体が銀色の鎖によって縛られる。その鎖は魔力によって編まれた鎖。そして、その魔力をシグナムは知っていた。

「撤退だ」

 力強い男性の声が背後から聞こえる。確認するまでもない。同じ闇の書の守護騎士であるザフィーラの声である。

 その声によって目が覚めたのか、あるいは伸ばしている手が未だに鎖によって拘束されていることへの安心感なのか、このときになってようやくシグナムの身体は動くようになっていた。同時に恐怖に縛られていたような頭も。

 シグナムは、ザフィーラの短い言葉の意味を理解していた。

 ―――たかが、一撃。

 だが、その一撃に込めた魔力はシグナムの全力全開。その中で女性と隔絶した魔力の差を感じた。今はなぜ、ザフィーラの魔法によって拘束されているのかわからないほどの魔力。彼女の魔力であれば、力づくでも一瞬で拘束から逃れられるはずである。もっとも、今はそんなことを疑問に思っている時間はないが。

 確かにヴィータのことは悔しいし、敵とてとってやりたい。しかし、今は無理である。玉砕覚悟でも無理だろう。それでも何もなければシグナムたちは敵を取るために死力を尽くしただろう。だが、今の彼らには守るべきものがある。おそらく、ヴィータもともに守りたかったであろう最愛の主が。最期の言葉となったヴィータのごめん、という謝罪の言葉は共に主を護れなかったことへの謝罪だろう。

 守護騎士たる彼女が主を最後まで守れないというのはどれだけ無念だっただろうか。少なくともシグナムには想像することはできない。だからこそ、この場で死力を尽くして一矢報いることがヴィータを弔うことにはならない。彼女から、あらゆる敵から彼女を護ることこそがおそらくヴィータへの最大の弔いになるだろう。

 だからこそ、ここは逃げる。もちろん、あとを追えないように回り道をしながらになるだろうが。

 シグナムは改めて、未だに女性が拘束されていることを確認しながらゆっくりと撤退のために空に浮かぶ。当然、女性からは目を離さない。背中なんて見せられない。もしも、彼女が拘束されているのが演技であれば、背中を見せた瞬間にシグナムたちはやられるだろうから。だから、背中を見せないように慎重に撤退しようとして――――

 ―――それが不可能であることを知った。

「――――っ!!」

 入る時は薄かった結界の強度が信じられないほどに強固になっていた。確かに入る時もそれなりに強固だったが、今はそれに輪をかけている。少なくとも入る時と同じような手法で外に出ることは不可能だった。

 なぜっ!? という驚愕の表情を浮かべながらシグナムとザフィーラはおそらくこの結界を張った主であろう女性へと目を向けた。結界を確認するだけの一瞬だけだったにも関わらず、彼女はすでにザフィーラのバインドから逃れており、悠然とその場に佇んでいた。まるで嘲笑するような笑みを浮かべながら。そんな彼女が口を開く。

「……あははっ、逃がすわけないでしょう? ショウくんを傷つけようとしてるんだからっ!!」

 シグナムたちには彼女がいう『ショウくん』が誰かはわからない。ただ一つだけわかったことは、少なくともこの場から逃げられないということである。

「私が時間を稼ごう。お前のシュツルムファルケンならば、この結界からも脱出できるだろう」

「それはっ!!」

 ザフィーラの言っていることは理解できる。シグナムの切り札ともいえるシュツルムファルケンには、結界破壊の効果がある。よってこの結界を破壊できる可能性もあるだろう。しかし、切り札というだけあって、魔力も時間も必要だ。幸いにしてカートリッジの予備はある。しかし、目の前の彼女から時間を稼ぐには至難の業だ。おそらく、ザフィーラが持っているのは決死の覚悟。自らが犠牲になることでシグナムを逃がそうとしている。だからこそ、シグナムも制止の声を上げたのだ。

 しかし、ザフィーラはシグナムの声を無視した。シグナムに背中を向けて静かに語る。

「主はやては、守らなければならないお方だ。ここで二人とも死ぬわけにはいかない。そして、お前はこの場を切り抜ける方法を持っている。ならば、可能性が高いほうを優先するのは当然のことだ」

 それは、ザフィーラの盾の守護獣としての在り方なのか。あるいは、本当に可能性が高い手法を選択しただけなのか。いや、たとえザフィーラであれば、自分のみが生還できる可能性を持っていたとしても、おそらくここで犠牲になろうとするだろう。なぜなら、彼は盾の守護中であり、仲間を、主を護る盾なのだから。

 その覚悟がわかったのか、シグナムはザフィーラの背中にこれ以上、何も言うことはできなかった。

「……主はやてに伝えてくれ。主に仕えることができて、幸せでした、と」

 おそらく、それはザフィーラの最期の言葉だろう。だから、将として、騎士として、仲間として、シグナムは力強くうなずいた。ああ、任せろ、と。その声を聞いて安心したのか、ザフィーラはふっ、と笑うと、決死の覚悟を浮かべて構える。彼の武器は鍛え上げた肉体だ。

「盾の守護獣ザフィーラっ! 参るっ!!」

 ザフィーラが最高速で、一直線に名も知らぬ女性に向かって突撃する。ザフィーラが浮かべる表情は、獲物を狙うような獣の獰猛さを隠していない。鋭い八重歯をむき出しにした決死の表情だ。おそらく、彼も冷静を装っていたが、ヴィータが消えたことに憤っているのだろう。

 ザフィーラが稼いでくれる時間を無駄にしないためにもシグナムはシュツルムファルケンの準備を始める。カートリッジを補填し、魔力を全身に漲らせる。

 不意にザフィーラの様子をうかがってみれば、怒涛のごとくザフィーラが女性に殴りかかっていた。もっとも、そのすべてが女性に対しては無意味。避けられたり、プロテクションで防がれたり。彼女がもつ圧倒的な魔力を使わず、まるで一つ一つの動きを確かめるように動いていた。なぜ、一瞬で勝負を決めないのかわからない。しかし、これはシグナムたちにとってもチャンスだった。もしかしたら、ザフィーラがまだ無事なうちに脱出口を作れるかもしれない。

 しかし、それは儚い願いでしかなかった。最初の内は動きを確かめるようにしてザフィーラの猛攻を受けていた女性だったが、やがて飽きたのか、あるいは確認が終わったのか、今まで避けていたザフィーラの拳をパシンと軽く受け止めた。下手すれば、大木さえもへし折ってしまいそうな風切り音を残していたザフィーラの拳を、だ。

 驚愕の表情を浮かべたのはシグナムだけではないのも当然だろう。彼女のような細腕のどこにザフィーラの拳を受けられる力があるというのだろうか。しかし、驚くのはそれだけではなかった。ただ、拳をつかまれた。ただそれだけだ。しかし、それだけなのにザフィーラは一歩も動けない。拳にいくら力を籠めようとも動かない。万力で押さえつけられたように。

 最初は焦りの表情を浮かべていたザフィーラ。だが、やがてその表情は苦悶の表情へと変わる。身体全体から汗が吹き出し、まるで電流を流されているように苦悶の表情とともに苦しそうな声を上げる。なぜ、ザフィーラが声を上げているのかわからない。「やめろ、やめろっ!」とも叫んでいるが、シグナムからは、ザフィーラが何をされているのか全く予想がつかなかった。

 しかし、その内容はすぐにわかることになる。なぜなら、ザフィーラの影がだんだんと薄くなっているからだ。まるで、ここに来た直後に見たヴィータと同じような現象。そのことに気付いた時には、すでに足元からザフィーラの姿はゆっくりと消えていこうとしていた。その段階になれば、叫んでいたはずの声はなくなり、苦悶の表情を浮かべていた顔は人形のように無表情となり、強い意志が籠っていた瞳も虚ろなものへと変化していた。

 やがて、ザフィーラはシグナムの前から完全に姿を消した。

 ―――すまん、ザフィーラ。

 心の中で哀悼の意を送る。

 もしも、自分がもっと強ければ、将としての強さを持っていれば、ザフィーラを犠牲にすることはなかったかもしれない。だが、後悔するのは後だ。今は、ザフィーラが稼いでくれたこの時間を一時も無駄にすることはできない。できないのだが、シグナムは、自分に女性の視線が向けられた瞬間にあまり時間がないことを悟った。

 しかも、今は魔力の補填を行っただけだ。今からシュツルムファルケンを使うためには、レヴァンティンの変形が必要だ。しかし、そのような時間を彼女が与えてくれるはずもない。しかも、ヴィータやザフィーラの状況を見るに、どうやっているかはわからないが、彼女はシグナムたちに触れるだけで、存在を消去することができるらしい。つまり、彼女に触れられたら終わりというわけだ。

「くっ」

 シグナムは下唇をかむ。時間がわずかに足りない。変形している間に触れられたらアウトなのだ。予想が正しければ、変形が終わる前に彼女に触れられてしまう。そうしてしまえば、せっかくザフィーラが決死の覚悟で稼いでくれた時間さえも無意味なものへとなってしまう。

 ―――何とかして時間を稼がなければ。

 しかし、どうやって? 残念ながら、シグナムには良案がなかった。今は一瞬でも、急ぐことしかできなかった。しかし、どうやら天はシグナムに味方してくれたようだった。

 不意に女性の近くの空間が揺らぐ。その前兆をシグナムはよく知っていた。頼りにすべきもう一人の仲間。どうやって、かはわからないが、ともかく彼女が助けに入ってくれたようだ。この場においては強力な助けだった。

 シグナムが期待したその瞬間は訪れた。空間の揺らぎ―――女性の胸元あたり―――から突然飛び出す人の腕。それは、シグナムと同じく闇の書の守護騎士であるシャマルが得意とする旅の鏡を応用したリンカーコアを直接摘出するという荒業だ。しかし、荒業だけに決まってしまえば、まさしく必殺技。どれだけ高い魔力を持っていようとも関係ない。魔力の元たるリンカーコアが摘出されるのだから。

 そして、今、目の前でそのシャマルの必殺技が決まった。

 ―――決まったように見えた。

 本来なら、旅の鏡によって摘出されたリンカーコアがシャマルの手に収められているはずだ。しかし、その手には何も握られておらず、胸から手が出ているはずの女性は、ただただ不敵に笑うだけ。まるで、予想通り、と言わんばかりに。そして、何事もなかったように自らの胸から生えている腕をとる。

 ―――まずいっ!

 そう思ったが、時すでに遅かった。そう、彼女はシグナムたちに触れるだけでいいのだ。ならば、旅の鏡越しとはいえ、その腕は間違いなくシャマルのも。ならば、今、彼女は―――。

 先ほどのザフィーラの時間よりも短い時間で、シグナムの予想が当たってしまう。

 二の腕まで出ていたはずのシャマルの腕が旅の鏡からゆっくりと消えていく。肘、腕、手首、指、とゆっくりと。それだけで、シグナムはシャマルがヴィータやザフィーラと同じような境遇に陥ったことを理解した。理解してしまった。これで、残るヴォルケンリッタ―は自分だけになってしまった。

 おそらく彼女は最後にシグナムを狙うだろう。だが、やすやすとやられない。ザフィーラの言葉を伝えるためにも、志半ばに倒れてしまったヴィータのためにも、偶然か必然か最後の時間を稼いでくれたシャマルのためにも。

 シグナムは覚悟を決め、意志のこもった瞳で目の前の結界を睨みつける。

「翔けよ、隼!」

 西洋剣と鞭状連結刃に続くレヴァンティンの第三の姿。アーチェリーになったレヴァンティンから何者をも貫く必殺の弓矢がシグナムの掛け声とともに放たれる。その弓矢は、高速で結界へ向かって飛んでいき、やがて結界に触れた瞬間、矢はその小さな矢の中に内包したすべての魔力を開放するように大爆発を起こす。

 爆発の大きさを表すように耳をつんざくような爆発音と大きく広がる爆炎。それは結界破壊効果を伴った必殺の技だった。どんな結界であろうとも、この必殺技であれば砕けると信じていた。そう、信じていた。しかし、その信頼は裏切られることなる。

 爆炎が晴れた向こう側に広がっていたのは、いまだ健在している結界。

「バカ……な」

 自分の魔力よりも相当上の結界とて破壊できるはずの魔法だった。しかし、それでも破壊できなかった。まるで、シグナムの切り札を最初から知っていたように強化された結界だったということである。せっかく、仲間が体を張って作ってくれた時間を使って繰り出した必殺技が無意味に終わったことに打ちひしがれるシグナム。しかし、彼女をさらに絶望に突き落とす一言が背後からささやかれた。

「残念だったね」

 振り向かずともわかる。この背筋から恐怖が這い上がるような声を忘れるわけがない。方法はわからずともヴォルケンリッタ―を全滅へと導こうとしている死神のような女性。

 シグナムは、間違いなく、この瞬間に死神の鎌にとらわれた。なぜなら、女性の手がシグナムの首根っこをつかんだからだ。

 その刹那、シグナムに電流のようなものが走る。まるで、自分の中に侵入してこようとしているような、いや、侵入している。まるで身体の中を麻酔なしで弄られているような、そんな違和感を感じる。しかし、それは生物のように動きながら、実に機械的にシグナムを処理していく。最初に、闇の書との連結を切られた。もはやシグナムに闇の書とのラインが感じられない。完全に切り離され、今のシグナムは、ただのシグナムという名のプログラムだった。

 それから、じっくりとシグナムの中を整理していく。シグナムという名のスタンドアローンのPCのファイルを整理するように。戦いに関する情報を収集し、今日までの得難い経験を―――思い出を容赦なく消していく。

 姉のように見守ってきた今までの生活も、はやてという主を得て感じていた家族という絆も、はやてが甘えてきた瞬間も、ヴィータがはやてから怒られている様子を苦笑しながら見守っていたことも、料理を失敗してしまったシャマルを慰めながら、何とも言えない料理を食べことも、犬扱いしているのをわかっていながら我慢してなされるままにブラッシングされているザフィーラの姿も。ここにきて得られた家族との思い出が、すべて、すべて消されていく。

 やめてくれ、と懇願したところで意味はない。本当に機械的に無慈悲に、冷徹に、容赦なく『それ』はシグナムからすべてを奪っていった。

 ―――主、申し訳ありません。私たちは……。

 もはや、主が誰なのか思い出せない状態だというのに、愛おしいと思っていたはずの彼女への謝罪が浮かんだのは、彼女が最期まで騎士だったかだろうか。

 理由はともかく、その想いを最後にシグナムの意識は、完全に闇に包まれ、闇の書の守護騎士だったヴォルケンリッタ―は一人の女性とデバイスの前に全滅したのだった。



  ◇  ◇  ◇



 アリサ・バニングスは、机の上に広げられた一枚の便箋を前にして頭を悩ませていた。テストでもここまで悩んだことはなかっただろう。しかし、今は悩まなければらない。悩むところである。なぜなら、これは彼女の親友である蔵元翔太へと送る手紙なのだから。

 なぜ、彼女が翔太へ手紙を書こうと思い至ったのか。それは、アリサが母親と一緒に夕飯の食後の時間を過ごしている時に起因する。

「はぁ……」

「どうしたの? アリサ。ため息なんて吐いて」

 アリサとしてはため息を吐いているつもりはなかった。しかし、悩んでいるときというのは、ため息が自然と出てしまうものである。それが答えのなかなか見つからない悩みであればなおのこと。アリサも類に漏れず自然とため息を吐いていた。

 悩んでいることを看破されたアリサだったが、母親に話していいものか少しだけ迷った。翔太に関することだったし、悩みは、なかなか彼に会えなくて謝れない、という単純なものだったからだ。時間さえできてしまえば簡単に解決する問題だからだ。こうやって、ずるずる伸びているのが謎なくらいなのだから。

 だが、確かにアリサもこの状況を打破したいとは考えていた。だから、アリサは母親に相談することを決めた。

 ふんふん、とアリサから話を聞く梓。さすがにアリサも整理できてないところもあるのか、話が飛んだりもしたが梓は最後まで聞いた。そして、最後まで話し終えたアリサに出した答えは―――

「そうね、手紙を書くといいわよ」

「手紙?」

 梓の答えにアリサは小首を傾げた。アリサからしてみれば、手紙は前時代的なもののように感じたからだ。今は、携帯とメールがある。手紙という古風なものがこの状況を打破できるとは思えなかったからだ。

 しかし、そんなアリサの主張を聞いた梓はからからと笑った。

「アリサ、それは違うわよ。確かにメールは便利よね。でも、誰が書いても同じなの。でも、手紙は人によって違うの。そこに込められた想いも、願いも。だから、本気で彼にアリサの思いを伝えたいなら、手紙を書きなさい」

 真剣な表情をして語る梓。確かに手書きならば、文字となって思いは現れるかもしれない。梓の言葉を聞いて、一考の余地はあるかも、と思うアリサ。そんな娘にさらにアドバイスする梓。

「それに、差出人を書かずに呼び出せば、必ず翔太くんは来るわよ」

「どうしてよ? 差出人がないのよ」

 普通に考えれば、怪しい呼び出しだ。誰とも知れない相手から呼び出されていくわけがない。少なくともアリサはそう思っていた。しかし、そんな娘の考えがよほどおかしかったのか、一瞬、呆けたような表情をして次の瞬間、梓は爆笑していた。それこそ、涙が出てしまうほどに。笑っていた時間はどれくらいだっただろうか。少なくともアリサが席を立たなかったのだからそんなに長い時間ではなかったようだ。

 笑い終えた梓は目じりの涙を拭いながら、娘の質問に答えた。

「それはね、翔太くんが男の子で、アリサが女の子だからよ」

 悪戯っぽく笑う梓。アリサとしては、梓の言葉の意味が理解できない。しかし、それ以上、梓は答えてくれるつもりはなかったらしく、騙されたと思って書いてみなさい、と言って自らが持っていたのだろう便箋を自分の部屋から取ってきて、アリサに渡した。その便箋は可愛い花柄の便箋だった。ついでにピンクのシンプルな封筒も受け取って。

 そのような経緯からアリサは翔太への手紙を書いているのだが、これがなかなか書けない。まるで、文豪の部屋のように失敗した手紙がカーペットの上に転がっていた。

「う~ん、難しいわね」

 手紙を書くなんて初めてだ。メールなら何度もあるが、こうやって書くのは初めてだった。確かに梓が言うようにメールとは違った趣があり、メールのように簡単にはかけない。それにすぐに返信が返ってくるメールと違って、手紙は相手がすぐに聞き返すことができないため、わかりにくい内容ではだめなのだ。相手が勘違いすることなく受け取れる内容でないといけない。

「う~ん、ママはなんて言ってたかな」

 便箋を渡し、笑いながら、最後に与えたアリサへのアドバイス。それを思い出すアリサ。そうそう、最後のアドバイスは、こうだった。


 ―――手紙は、シンプルでストレートに、ね。


 梓の言うことはもっともだ。簡潔、かつストレートに誤解できないように書かなければならないのだから。

「よしっ! 決めたわっ!」

 ここにきて、アリサは覚悟を決めた。本当に翔太に言いたいことをだけを簡潔かつストレートに書くことにしたのだ。そうと決めれば、アリサの行動は早い。机の上に広げられた便箋の上に文字を走らせる。

 彼女が書いた手紙の本文はたったの一言だけだった。





 ――――あなたに会いたいです。




つづく 
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