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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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エル・ファシル騒乱(後)


エル・ファシル騒乱(後)

 果たしてグリーンヒル少将はその日のうちに、一大尉の面会を受け入れると応えてきた。フロルは一人、作戦本部の参謀室に向かったのである。

 ノックをして部屋に入る。フロルは敬礼をした。フロルにはいくつかの特技があったが、その中でも敬礼の見事さには定評があった。「まるで軍人の鑑」のような敬礼はキャゼルヌも認めるところであったが、「だが中身は酷いもんさ」と付け加えるのを忘れなかった。

 グリーンヒル少将は、その顔色に明らかな憂いを浮かべ、答礼した。それは当然だろう。軍上層部の家族が帝国軍に捕まれば、何をされるかわかったものではないのだ。胃に穴が空くほど不安に思っても仕方あるまい。

 さらにフロルはその顔に浮かぶ警戒の色も見て取った。恐らく、この混乱で誰も知らぬであろう『家族』の話を出してきた大尉に、一抹の警戒を抱いているのだろう。あるいは、政治家の癒着囁かれるパストーレの懐刀として、その一派の一員として見られている可能性もあった。良識派と呼ばれるグリーンヒル少将にとって、パストーレ少将のような男は、不満こそ覚えても良く思うわけはないのだ。


「フロル・リシャール大尉であります」
「ドワイト・グリーンヒル少将だ。……家族の話、ということだったが、大尉」
 グリーンヒルはその目線に質量と密度を持たせてフロルを射抜いた。
「はい、小官は今回のエル・ファシルの騒乱について、多少人並み以上の情報を持っているので」
「……エル・ファシルか……。どうやって知った、大尉」
「私にもツテがありましてね、エル・ファシルには。それで少将のご家族が現在、エル・ファシルにいらっしゃることを存じ上げているのです」

 グリーンヒルは肩を小さく落とした。彼も恐らく知っているのだろう。もしかしたら彼の仲の良い情報部あたりを動かして家族の動向を探ったのかもしれない。

「それで……いきなり私に何を言いに来たのかね? 今回の絶望的な状況で、民間人の私の妻子が、どんな境遇に遭うことになるのか、皮肉でも言いに来たのかね」

 グリーンヒルの言いようは、その人柄を知る者にとっては意外というものだったろう。彼は非常に良識があり、人柄にも素晴らしいものがあった。間違っても初対面の、それも年下の大尉に、毒の籠った言葉を吐くような男では、本来なかったのである。

「いえ、小官は、ご安心下さい、と言いに来たのです」
「安心だとッ!?」
 彼は激高した。彼が心内に溜めていた不安や苛立ちが爆発したように。フロルもその形相に竦む思いだったが、ここで引くわけにはいかなかった。

「そう、ご安心下さい」
「バカなッ! 貴様は今、エル・ファシルがどういう状況に陥っているのか知って言っているのか! 守備隊は半数が壊滅、残る半数に対するのは帝国軍の大軍だ。増援は間に合わなぬし、守備隊が民間人を脱出させるにしても包囲網を突破するだけでどれだけの民間船がやられることか!」
「だから、ご安心下さい、と言っています」

 フロルの自信は、まったく揺らいでなかったのである。同盟の雰囲気は、今最低の底を突いていたと言えるであろう。好戦的な者も、平和主義者も、一様にエル・ファシルを突如襲った災厄に同情し、いとも簡単に敗北した同盟軍を罵倒しているのだ。
 だが、そんな中にあっても、フロルのヤンへの信頼は揺らぐことはなかった。フロルにしてみれば、自分はユリアン以上にヤン教の信者なのだった。例え世界がヤンに反旗を翻すとも、ヤンが軍事的に負けることはありえないと信じているのだ。

「私は私の持ちうる情報網を使って、現状を確認したのです、閣下。現在守備部隊は逃走の準備に入っています」
「当たり前だろう、篭城などできるわけがないのだから」
 グリーンヒルも、目の前の大尉の、自信に満ちあふれた態度を見て、その気持ちを鎮めた。この男は、いったい何を言いたいのだ?

「守備部隊は近日中に逃走するでしょう。……恐らく、民間人300万を置いて」

 この言葉に対するグリーンヒルの返答は絶句だった。それもそのはずである。ただでさえ、エル・ファシルでの敗北によって軍部に批難があるにもかかわらず、司令部が本来守るべき民間人を放置して逃げるとわかれば、その批難は強烈極まるものになるだろう。

「ですが、民間人脱出計画を実行する男がいます。その男は士官学校出の無名の中尉ですが、彼がそれを成功させるでしょう。実を言うと、この男は私の後輩でしてね」
 フロルは目の前で固まったままのグリーンヒルを前にして、小さく笑いかけた。
「私は彼という男を知っています。ヤン・ウェンリーという男を。私以上にあの男を理解している奴はいないでしょうな。彼は必ず、民間人300万を脱出させるでしょう」
「だ、だが、守備部隊もいない状態でどうやってそんな芸当ができる!」
「彼のことです。彼はなかなか気のいい奴なんですが、なかなか辛辣な奴でしてね。恐らく民間人を見捨てた司令部を囮に使って、民間船を上手く脱出させるでしょう。たとえば、司令部とは逆の方向に、レーダーに故意に映るようにしてわざとらしく逃げ出してね」
「レーダーに?」
 グリーンヒルは言葉を繰り返す。
「帝国軍はどう思うでしょう。大量の船が、レーダーにこれ以上なくはっきりと映りながら逃げ去るのを見たら? 恐らくただの隕石群だと思うでしょう」
「そんなあやふやな方法で!」
「だからこそ司令部が敵の注意を惹き付けてくれるのです。あまり褒められた話ではありませんが、逃げ出した司令部のおかげで、民間人300万が助かるという、軍にとっては都合のいい話ができあがるでしょう」

「……そ、それは本当か」

 その時のグリーンヒルがどのような表情であったかは、フロルのみが知るところである。だが、彼がどう思っていたかは容易く察せられる。そんな上手く話が進むわけがない、と考えながらも、もしそうなら自分の妻子は助かるのだ、という希望が彼をどうしようもなく惹き付けていたことだろう。

「まだそうはなっていないですが、まずこうなるでしょうね」
「君は……いったい……」
「勘違いしないで欲しいのです、グリーンヒル少将。私はパストーレの懐刀、と呼ばれはしても、彼のために動いているわけではありません。むしろ政治から身を離し、高潔な軍人たらんとしている少将の方が、よほどお慕いしている。私はこの情報をもってあなたを脅迫しているわけでも取引しに来ているわけでもないのです」

「では、君はいったい何をしに来たのだ」
「お願いがあってきました」
 グリーンヒルは抱えていた頭を上げ、フロルに目をやった。
「家を失った難民300万がハイネセンに戻ってきます。閣下には、彼らの受け入れ先を見つけて頂きたい。私には何の力もないでしょうが、閣下ならば彼らのために力になってくれるでしょう」
「……もし、大尉の言うようにことが進めば、手配しよう」
「300万という数です。準備は早い方がいいでしょう。それに、もう一つ」

 グリーンヒルはこの大尉がいったい何を求めているのか、まったくわかっていなかった。

「守備部隊の司令官、リンチ少将のことです。恐らく、彼は今回の一連の事件の総責任者としてその批難を一身で受けるでしょう。それは致し方ありますまい。ですが、彼の妻子までその矛先を向けられる謂われはありません。彼の妻子のために、閣下が手を貸して頂きたいのです。私もお手伝い致します。彼らの力になって下さい」

「わかった」
 今度はグリーンヒルも、躊躇なく頷いた。

 それとともに彼は心に疑念を抱いていた。この男はほんのわずかであろう情報からここまで事態を見据え、私に力を貸せと言っている。もしそう事態が運ばねば私から批難を受けることを覚悟しているのだろう。その目に迷いはなかった。にもかかわらず、彼は難民や逃げ出すという司令官の家族のためを考えている。いったい、この男はなんなのだ?

 グリーンヒルが聞いている中では、あのパストーレ少将の懐刀として小賢しい真似をしている大尉と聞いていたが、その風評は間違いであったのだろうか。彼の目は下賎な欲で染まったそれではなく、私が理想とするような高潔な者の目だった。そしてこの男の言うことなら、私すら信じてしまいそうになる、この力。いつの間にか、私すらもフロル・リシャールの言う通りになるかもしれない、と信じているのだ。


「それでは私は失礼します」
 フロルは部屋を出る際、綺麗に敬礼をした。
「ああ、ご苦労だった、大尉」
「これから忙しくなります。どうぞよろしく」
 そう言ってフロルはグリーンヒル少将の部屋を辞したのである。


 その後の展開は、まさに劇的の一言であった。
 エル・ファシル本星を民間人を放置した司令部、そしてその間隙でもって民間人300万を救った無名の中尉、ヤン・ウェンリー。
 急展開を見せ続けた続報を聞くにつれ、グリーンヒルは背筋を走る寒気を抑えられなかった。まさに、あの大尉が言ってのけた通りの展開なのだ。
 そんな一種のそこはかとない恐怖心を抱きながらも、彼は大尉の約束を守った。難民受け入れの手配という、その初動の早さによって、グリーンヒル少将はまた一つ功績を上げることになる。フロルも自身の働きでリンチ少将の家族の保護を完璧にやってのけた。軍部にとっても、卑怯者と批難されている男の家族に対する、グリーンヒルから要請に無視を決め込むわけにはならなかったのである。

 その結果、マスコミがその下劣なマイクをリンチ少将の家族に向けようとした頃には、既に行方が不明になっていた。フロルもその最低限の行いで、いくらかの安心を得ていた。恐らくこの家族が迫害を受ける心配は、まず去ったからである。それが、気休めだとは知っていたが……。

 そんな裏の事情があることも知らず、ヤン・ウェンリーは未だ、狂躁乱舞の中にいた。



























 
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