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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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エル・ファシル騒乱(前)


エル・ファシル騒乱(前)

 エル・ファシル星域にて発生した帝国軍小艦隊と同盟守備隊が交戦したという知らせが、ハイネセンに入ったのは 宇宙暦788年5月16日のことであった。ハイネセンの統合作戦本部はただちに増援を決定したが、守備隊が帝国軍に攻撃されエル・ファシル本星に逃げ帰ったという続報が入った。増援にあたってエル・ファシル宙域に到達するまでの所要時間を考えると、エル・ファシルの失陥は決定的と言わざるを得なかったのである。


 同日、キャゼルヌ中佐の元に待命中であったフロル・リシャール大尉が訪れた。
 ちなみに既に中尉から昇進している。これは普通にいけば相当な早さ、という話だった。大尉の階級は現場からの叩き上げにとっては、ほとんど退役寸前の到達点という階級であり、そこはさすが士官学校出というところであった。
 もっとも中尉までの昇進はフロル自身の能力によってであったが、大尉の昇進はほとんどパストーレとその愉快な政治家たちの恩着せがましい昇進と言うべきものだった。彼自身、それに思うところがあるわけではなかったのだが、もらえるものはもらっておく、の精神で昇進を受け止めていたのである。

「エル・ファシルが落ちますね」
 フロルが部屋に入るなり、そう切り出した。
「困ったことになった。確かエル・ファシルにはヤンがいるはずだ」
「ええ、そうですね」

 フロルはとうとう来たか、と内心思っていた。あと三日もすれば司令部が住民300万人を放置して逃亡を図るはずだ。

「こんなところでヤンが窮地に陥るとはな」
「いや、ヤンなら大丈夫ですよ」
「なんだ、ずいぶんと自信がありげじゃないか」

 キャセルヌの懸念は当然の話であった。いかなヤン個人にその力量があると言っても、ヤンはまだ中尉。それを行うだけの権力が伴っていないのである。

「いやはや、なんやかんやで運がいい男ですからね」
「まぁ、おまえがあいつを信用してるのは知ってるんだがな」

 キャゼルヌはそのまま言葉を濁した。彼も当然助かって欲しいと思ってはいたのだが、二人ともそれをどうこうできる立場にいるわけではなかったのだ。

「ところで、守備部隊のアーサー・リンチ少将の官舎の場所を教えて頂けますか?」
「リンチ少将? ふむ、別にいいが、なんでそんなものが必要なのかね」

 キャセルヌが訝しげに聞き返す。フロルは内心、不安に思っている事があった。このあとヤンはエル・ファシル住民300万を救う。だが、その反面、リンチ少将は卑怯者の烙印を押され、その迫害は家族まで及ぶであろうことを知っていたのである。

「まぁ、ね。一応、教えておいてくれませんか」
「いや、いいがね」
 キャセルヌは手元の端末を弄ってそれを探し出した。そのメモをフロルはしっかりと懐に入れた。
「それと、もう一つ、お願いがあるんですが」
「なんだ、随分と注文が多いじゃないか」
「こういう異常事態ですからね」

 フロルは今のうちに、ヤンのためにできることをできるだけしておこう、と考えていたのである。一惑星の住民300万がハイネセンに避難してくるのだ。およそ、難民として。恐らくその受け入れ先やら処遇やらで、政府は大変なことになるだろう。それがヤンの功績に直結するとは思えなかったが、彼らの困難には手を貸してやろうと思っているのだ。ここで上手く立ち回れば、これも一つの功績になるだろうというのも、心の何割かを満たしていたが。

 ここで、一つだけフロルという男の矛盾がある。

 彼には昇進やらエリートやら、そういう低俗な出世欲ははっきり言って持ってなかった。ないのである。だが、彼は昇進しなければならない、とも考えていた。なぜなら今後動くためには、階級が高ければ高いほど動きやすいことを知っていたからである。今後の歴史に介入するには、ある程度の権力が必要不可欠だったのだ。その結果、彼は人よりも下世話な出世欲がないにも関わらず、出世を追い求めるという奇妙な事態に陥っていた。そこが彼の後世の評価に歪な矛盾を齎すとも知らずに。

「ドワイト・グリーンヒル少将にお会いしたいのです」
「宇宙艦隊司令部参謀のグリーンヒル少将か? しかし、なんでまたそんなお偉方に会いたいんだ?」
「ちょっと、彼にお願いしたいことがありましてね」
 フロルはここでも、余人が知り得ぬであろうことを知っていたのである。彼の妻と娘、後のヤン夫人となるフレデリカ・グリーンヒルがエル・ファシルにいることを。
「またおまえは妙なことを考えているんじゃなかろうな?」
「俺は自分の出来る限りのことはやるつもりですよ。どうせ、次の任務まで、この一年半の有給休暇を使い切るつもりですからね。時間だけはあるんです」
「まあ、いい。面会できるかは知らんが、要望だけは届けてやろう。で、用件は何だ?」
「用件?」

 フロルは鸚鵡返しに言う。しかし考えてみれば当然だった。宇宙艦隊司令部参謀と言えば、それなりの要職なのだ。暇ではないだろうし、たかが一大尉の面会など、普通なら受け付けないだろう。フロルの名も、そこまで知名度があるわけはあるまい、とも考えていたが。

「ご家族の件で、と言って下さい」
「なんだ、おまえ、誘拐でもしたのか?」
「そんな恐れ多いことはしませんよ。文字通り首が飛びますからね。それはともかく、伝言をお願いします。おそらく、少将は会うと言うはずです」
 自信ありげに言うフロルを、キャゼルヌは奇妙なものを見るような目で見つめていた。

























 
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